龍園クラスの教室でも、ゆるキャラを決めるための会議が行われていた。
ただし、堀北クラスとは雰囲気が大きく異なる。
黒板の前に立っているのは龍園だった。
会議の進行役というより、これから作戦を説明する指揮官のような立ち方をしている。
黒板には、大きく一言だけ書かれていた。
『勝つ』
「ゆるキャラ会議の黒板じゃないでしょ、それ」
伊吹が呆れたように言う。
「何を作るにしても、目的は同じだ」
龍園は教室全体を見回す。
「可愛いだけのゴミを作って満足するつもりはねぇ。狙うのは一位だ」
「誰も負けるつもりではいませんよ」
ひよりが静かに答える。
「でも、まずはどのようなキャラクターにするのか決めないといけません」
「だからドラゴンだ」
龍園は即答した。
体育館でひよりが提案した案を、そのまま採用するつもりらしい。
「本当にドラゴンにするの?」
伊吹が尋ねる。
「文句があるか?」
「龍園だからドラゴンって、単純すぎるでしょ」
「分かりやすい方がいい。見た瞬間に覚えられなきゃ意味がねぇ」
「それはそうっすね」
石崎が龍園の意見に賛同する。
「ドラゴンなら強そうだし、子供にも人気ありそうっす」
「格好よくしすぎると、ゆるキャラから離れてしまいます」
ひよりがノートを開く。
そこには、すでに複数のドラゴンの案が描かれていた。
一つは大きな翼と鋭い牙を持つ、一般的な竜。
一つは身体を丸くし、翼を小さくした子供の竜。
さらに一つは本を抱え、丸い眼鏡を掛けている。
「もう描いてたのかよ」
石崎が驚く。
「授業の休み時間に少しだけ」
「椎名、こういうの得意なんだな」
「本の挿絵を見るのが好きなので、簡単な絵なら」
ひよりは照れたように微笑んだ。
伊吹が二枚目の絵を持ち上げる。
「これが一番マシじゃない?」
丸い身体。
短い手足。
小さな翼。
牙は一本だけ口元から覗いている。
目付きは少し悪いが、怖さよりも生意気さを感じさせる。
「何だその腹」
龍園が尋ねる。
「丸い方が親しみやすいと思って」
ひよりが答える。
「弱そうじゃねぇか」
「ゆるキャラに強そうかどうかって必要?」
伊吹が反論する。
「当然だ。オレたちのクラスのキャラクターが、
尻尾を振って愛想を振りまくだけの生き物でいいわけねぇだろ」
「誰も尻尾を振らせるなんて言ってない」
「見た目は可愛くても、性格を強くすることはできます」
ひよりが二人の間へ言葉を挟む。
「普段は少し怖そうに見えますが、実際は仲間思いで、
困っている人を放っておけない性格にするのはどうでしょう」
教室内が一瞬静かになる。
石崎がゆっくりと龍園を見た。
伊吹も龍園を見る。
アルベルトも無言で龍園へ視線を向けた。
「何で全員俺を見る」
龍園が低い声で尋ねる。
「いや、別に」
伊吹は顔を逸らす。
「龍園さんっぽいなと思っただけっす」
石崎は正直に答えた。
「どこがだ」
「怖そうだけど仲間思いなところっす」
「殺すぞ」
「怖いっす!」
ひよりは小さく笑った。
「いいと思います。クラスの特色も表現できますから」
「性格はそれでいいとして、名前はどうするんだ?」
石崎が尋ねる。
複数の案が挙げられた。
ドラゴンくん。
りゅうちゃん。
黒竜丸。
真紅眼の黒竜。
ドラゴンキング。
伊吹が提案した『トゲトゲ』は、龍園によって即座に却下された。
「じゃあ、りゅうまるはどうでしょう」
ひよりが言った。
「丸い身体をしていますし、龍という特徴も伝わります」
「りゅうまる……」
石崎が声に出して確認する。
「覚えやすい!」
「ちょっと子供っぽすぎない?」
伊吹は完全には納得していない。
「ゆるキャラなんだから、子供っぽくていいでしょ」
西野が口を挟む。
「黒竜王とかよりは、よっぽど人気出ると思うけど」
龍園はひよりの描いた絵を見る。
丸い身体。
悪そうな目付き。
短い手足。
可愛らしい外見でありながら、
口元の牙や背中の小さな棘には、わずかな凶暴性が残されている。
「りゅうまるか」
「嫌なら、他の名前を考えます」
ひよりが言う。
龍園はしばらく黙っていたが、やがて口元を歪めた。
「悪くねぇ」
石崎が手を叩く。
「決まりっすね!」
「まだ暫定だ。デザインはもう少し凶悪にする」
「駄目です」
ひよりが即座に止めた。
「なぜだ」
「子供が泣いてしまいます」
「一人か二人泣いた方が印象に残るだろ」
「そういう印象は必要ありません」
「牙を増やすくらいならいいだろ」
「一本で十分です」
「目から炎を出すのは?」
「もっと駄目です」
「お前、思ったより頑固だな」
「りゅうまるのためです」
ひよりは穏やかな表情のまま、一歩も引かなかった。
龍園クラスのゆるキャラは、
早くも生みの親よりひよりの方が強い権限を持ち始めていた。
◯
一之瀬クラスの会議は、他のクラスよりも穏やかに進んでいた。
黒板には多数の動物が書き出されている。
犬、兎、羊、鹿、小鳥。
その中で最も多くの支持を集めたのは犬だった。
「やっぱり、犬が一番親しみやすいと思う」
一之瀬が言う。
「小さい子供から大人まで知っているし、着ぐるみにしても動きやすそうだよね」
「ただの犬では他クラスとの差が出ない」
神崎は冷静だった。
「人気投票では、見た目の可愛さだけでなく、記憶に残る特徴が必要になる」
「神崎くん、すっかりゆるキャラに本気だね」
「300ポイントが懸かっているからな」
「そういうところ、真面目だよね」
「お前に言われたくない」
一之瀬は笑いながら、黒板に描かれた犬の絵を見る。
丸い耳。
大きな尻尾。
胸元にはハートの模様。
「この子は、誰とでもすぐ友達になれるの」
「一之瀬さんみたいだね」
クラスメイトの一人が言う。
一之瀬は少し照れた。
「私がモデルってわけじゃないよ」
「でも、絶対一之瀬さんが入った方が人気出る」
「私が着ぐるみの中に?」
「一之瀬さんなら、子供に囲まれてもずっと笑顔でいられそう」
「中に入ったら顔は見えないけどね」
「それでも雰囲気で分かるよ」
周囲から賛同の声が上がる。
一之瀬は困ったように笑った。
「着ぐるみ担当は後で決めよう。まずは名前だね」
名前の案も、クラス全員から集められた。
フレンドッグ。
ハートわん。
なかよし丸。
いちわん。
最後の案が出た瞬間、一之瀬が目を見開く。
「私の名字から取ってるよね?」
「ほなわんは?」
別の生徒が提案した。
「帆波の『ほな』と、犬の『わん』を合わせて」
「やっぱり私から取ってるよね?」
「でも可愛い」
「覚えやすいな」
「一之瀬さんのクラスってすぐ分かる」
神崎が少し考える。
「個人名に依存しすぎる問題はあるが、知名度という点では有効かもしれない」
「神崎くんまで賛成なの?」
「名前だけで得られる印象も評価の一部だ。使えるものは使うべきだろう」
「急に怖いことを言わないでよ」
一之瀬は困惑していたが、
クラス内では『ほなわん』への支持が急速に広がっていった。
胸のハートは、人と人との繋がりを表す。
大きな尻尾は、嬉しい時に隠さず感情を示すため。
首には、クラス全員の色を組み合わせたスカーフを巻く。
性格は明るく、初対面の相手ともすぐ友達になれる。
困っている人を見ると、一人で解決しようとせず、仲間を集めて助ける。
その設定をまとめるたびに、クラスメイトたちは一之瀬を見る。
「だから私じゃないってば」
一之瀬は何度も否定した。
だが、否定すればするほど、ほなわんと一之瀬の印象は強く重なっていった。
◯
坂柳クラスでは、会議が始まった時点ですでに有栖の案が中心となっていた。
黒板には、王冠を被った白いチェスのポーンが描かれている。
身体は小さく、丸みを持たせている。
王冠は身体に対して大きく、少し斜めに傾いていた。
「思ってたより可愛いな」
橋本が率直な感想を口にする。
「もっと無機質なチェスの駒になると思ってた」
「ゆるキャラですから、親しみやすさは必要です」
坂柳は椅子に座ったまま、デザイン担当の生徒が描き直した絵を確認していた。
「ですが、単に可愛いだけではいけません。
このキャラクターには、成長の物語を与えます」
「成長?」
神室が尋ねる。
「ポーンは、チェスの中では最も小さく、最初は前方へ一歩ずつしか進めません。
ですが盤上の最後まで進めば、より強力な駒へ昇格できます」
「だから王冠を被ってるのか」
「ええ。最初から王ではありません。
いつか王冠に相応しい存在になることを夢見て、
毎日一歩ずつ前へ進むキャラクターです」
橋本が感心したように頷く。
「ちゃんと学校の理念にも繋がってるな」
「ですが、一つ問題があります」
坂柳が絵を見つめる。
「何?」
「名前です」
これまでに出された案が黒板へ並んでいた。
ポーンちゃん。
チェス丸。
ありす駒。
ちびキング。
「ちびキングは絶対やめて」
神室が言う。
「何でだよ。分かりやすいだろ」
橋本が反論する。
「安っぽい」
「ゆるキャラに高級感を求めるなよ」
「それでは、ありすぽーんはいかがでしょう」
坂柳が穏やかに提案した。
教室内が静かになる。
橋本が一度、声に出して確認する。
「ありすぽーん」
「私の名前と、ポーンを合わせたものです」
「自分で言うんだ」
神室が呆れる。
「何か問題が?」
「もっと隠すかと思った」
「分かりやすさは重要です。
それに、ありすぽーんという柔らかな響きは、この子の外見にも合っています」
「自分の名前を付けておいて、この子って呼ぶんだな」
橋本は笑った。
坂柳は気にした様子を見せず、キャラクターの設定をさらに詰めていく。
小さな身体だが、誇りは高い。
転んでも、自分の力で起き上がる。
一度に一歩しか進めないが、後ろへは下がらない。
得意なことは、盤面全体を眺めて友達の進む道を考えること。
好物は、小さく切った白いケーキ。
「白いケーキ?」
神室が尋ねる。
「チェス盤の白いマスを表現しています」
「細かい」
「設定の積み重ねが、キャラクターに個性を与えます」
有栖の言葉に反論できる者はいなかった。
「着ぐるみに入るのは、やっぱり坂柳か?」
橋本が悪気なく尋ねた。
教室内の空気が一瞬止まる。
神室が橋本の脇腹を肘で突いた。
「痛っ!何すんだよ」
「少しは考えて喋りなさい」
坂柳は笑みを崩さなかった。
「残念ながら、長時間の着ぐるみ演技を担当することは難しいでしょう」
「悪かった」
「ですが、声を担当することはできます」
「声?」
「ステージ上で、ありすぽーんの台詞を読み上げます。
着ぐるみの動きと声を別の生徒が担当すれば、私も参加できます」
「自分で自分を演じるのか」
「正確には、私をモデルにした別の存在です」
神室が小さく呟く。
「絶対本人より素直じゃないでしょ」
「何か仰いましたか?」
「何も」
坂柳クラスの暫定案も、ありすぽーんに決まりつつあった。
◯
それぞれのクラスで会議が進む中、
教師たちも職員室で今回の試験について話し合っていた。
机の上には、各クラスへ配布されたものと同じ資料が置かれている。
茶柱先生は椅子に座り、こめかみを押さえていた。
「本当に始まってしまった」
「生徒たちの反応は悪くなかったでしょう」
真嶋先生が答える。
「反応が良ければ、どんな試験でも許されるわけではない」
「だが、普段目立たない生徒にも役割を与えられるという目的は理解できる」
「それは理解している」
茶柱先生も、試験の教育的な意義そのものを否定しているわけではない。
絵、裁縫、演技、宣伝。
これまでの学力や体力を中心とした試験では
評価されにくかった能力が、今回の試験では重要になる。
クラス内で新たな才能が発見される可能性は十分にある。
「問題は、生徒たちがどこまで本気になるかだ」
茶柱先生が言う。
「すでに本気になっているのでは?」
「だから問題なんだ」
真嶋先生が疑問を浮かべる。
「私のクラスでは、堀北と長谷部がキャラクター名をめぐって対立している」
「健全な意見の対立だろう」
「片方はフクロウだ」
「悪くない」
「もう片方は綾小路だ」
真嶋先生が黙った。
「綾小路本人を着ぐるみにする気らしい」
「……本人は承諾しているのか?」
「すると思うか?」
「思わない」
二人の意見が初めて一致した。
「それより、龍園のクラスが気になるな」
真嶋先生は資料を確認する。
「龍園が考えるゆるキャラか」
「恐らく、可愛らしさとは反対方向へ進む」
「椎名が止めているらしい」
「なら多少は安心か」
教師たちはまだ知らなかった。
ひよりがすでに、龍園と牙の本数をめぐって真剣に争っていることを。
◯
放課後の会議は一時間を超えた。
堀北クラスでは、ほりぽんときよぽんの二案を暫定案として提出することが決まり、
詳細なデザインを担当する生徒を募集する段階へ進んでいた。
「絵が得意な人は?」
堀北が尋ねる。
数名の生徒が控えめに手を挙げる。
美術部ではなくても、趣味でイラストを描いている者はいる。
普段の特別試験では表に出ることの少なかった生徒たちだった。
「明日までに、ほりぽんときよぽんのデザイン案を一枚ずつ作ってほしいの。
複数人で話し合いながら描いて構わないわ」
「きよぽんは、この顔を残してね」
長谷部が自分の絵を渡す。
「眠そうな目が一番大事だから」
「ヨーグルトの帽子は外してもらえないか」
オレが言う。
「駄目」
「なぜだ」
「個性がなくなるから」
「帽子がなくても、きよぽんはきよぽんだろう」
「きよぽんに詳しくなってる」
「違う」
「違う。きよぽんが勝手に?」
また笑いが起きた。
口癖として完全に定着しつつある。
堀北は黒板へ明日までの役割を書き出していく。
デザイン班、設定班、予算管理班、素材調査班、宣伝戦略班、着ぐるみ演技班。
「待て」
須藤が最後の班を見て、警戒する。
「着ぐるみ演技班って、誰が入るんだ?」
「今から決めるわ」
「俺はやらねぇぞ」
「まだ何も言っていないでしょう」
「でも絶対俺を見ただろ!」
「体力面では、あなたが第一候補なのは事実よ」
「やっぱりじゃねぇか!」
池が笑う。
「頑張れ、ほりぽん」
「お前が入れよ!」
「オレはフライング・モンキーの作者だから、クリエイター側だ」
「却下されただろ!」
二人が言い争う横で、長谷部はこちらへ近づいてきた。
「きよぽんの中身は本人で決まりだから」
「決まっていない」
「須藤くんがほりぽんで、綾小路がきよぽん。二人で人気対決すればいいじゃん」
「何で俺まで巻き込まれてんだよ!」
須藤の怒りの矛先がこちらへ向いた。
「オレに言うな」
「お前がきよぽんだからだろ!」
「オレはきよぽんではない」
「じゃあ誰なんだよ!」
「綾小路だ」
「知ってるわ!」
教室内は、試験発表前には想像もできなかったほど騒がしくなっていた。
誰かが退学する危険はない。
他人を裏切る必要もない。
それでも、全員が真剣だった。
可愛いか。
覚えやすいか。
クラスの象徴になっているか。
着ぐるみとして動きやすいか。
一見すると馬鹿馬鹿しく思える問題について、それぞれが本気で意見を出していた。
平田はその光景を眺め、嬉しそうに笑っていた。
「どうした?」
オレが尋ねる。
「いや、こういう試験も悪くないなと思って」
「そうか?」
「今までの試験だと、得意な人と苦手な人がはっきりしてたよね。
勉強が得意な人。運動が得意な人。交渉が得意な人。
でも今回は、みんなに何かできることがありそうだから」
教室の前では、普段あまり発言しない生徒が、
着ぐるみの素材について詳しく説明している。
別の生徒は、短い動画を作って宣伝する案を出している。
池のフライング・モンキーは採用されなかったが、
彼はステージ上での動きを考えることに興味を持っていた。
須藤も文句を言いながら、着ぐるみの中でどれだけ動けるかを真剣に考え始めている。
「全員が一つのものを作るって、意外と今までなかったからね」
平田はそう言った。
確かに、その通りかもしれない。
これまでのクラスは、同じ目的のために行動しても、
最後まで一つの成果物を作り上げることは少なかった。
今回は、誰か一人の成績だけでは勝てない。
デザイン、設定、衣装、演技、宣伝。
全てが組み合わさり、一体のキャラクターになる。
坂柳理事長が、ゆるキャラには人を一つにする力があると言っていた。
その言葉を全面的に認めるつもりはない。
だが少なくとも、今の教室は普段より一つの方向へまとまり始めていた。
問題があるとすれば。
その中心に、なぜかオレを模した丸い生物が存在していることだ。
「綾小路くん」
堀北に呼ばれる。
「何だ」
「きよぽんの設定班に入って」
「断る」
「本人の情報が必要なのよ」
「本人ではないはずだろう」
「モデルの一人ではあるでしょう」
「一人どころか、ほぼ全部オレだ」
「なら、なおさら必要ね」
堀北は当然のように言った。
体育館では、長谷部の暴走を止めてくれると思っていた。
今では完全に、勝つためならオレを利用する側へ回っている。
「きよぽんの好物はヨーグルトでいいとして、苦手なものは?」
長谷部が尋ねる。
「ゆるキャラ選手権」
「それは採用できない」
「本人の意見が必要なんだろう」
「キャラクターの魅力を下げる意見は不採用です」
「都合がいいな」
「じゃあ、苦手なものは人混み?」
佐藤が提案する。
「でも学園祭で活動するのに、人混みが苦手だと困るんじゃない?」
軽井沢が答える。
「そこが可愛いんだよ」
長谷部は真剣だった。
「人混みは苦手だけど、みんなのために頑張って外に出てくるの」
「急に良い設定になったね」
松下が感心する。
「きよぽんは、本当は静かな場所でヨーグルトを作っていたい。
でも、困っている人を放っておけないから、今日も外へ出る」
「オレより立派な人格になっていないか」
「ゆるキャラだから、少しくらい美化しないと」
「やはりオレなのか」
誰も答えなかった。
その反応が答えだった。
やがて、堀北が会議の終了を告げる。
「今日はここまでにしましょう。各班は明日の放課後までに、最初の案をまとめておいて」
生徒たちはそれぞれの資料を片づけ始める。
だが会議が終わっても、教室内の話題はゆるキャラのままだった。
誰が絵を描くのか。
どの色を使うのか。
ほりぽんの制服を男子用にするか女子用にするか。
きよぽんのヨーグルト帽子にスプーンを何本付けるか。
どれも、昨日までなら誰も真剣に話し合わなかった問題だ。
オレも帰るために席を立つ。
すると長谷部が、きよぽんの絵をこちらへ差し出した。
「持って帰る?」
「いらない」
「記念すべき第一号だよ」
「なおさらいらない」
「じゃあ私が保管しておく。将来、公式キャラクターになったら価値が出るかもしれないし」
「ならない」
「分からないよ」
長谷部は絵を大切そうにファイルへしまった。
「きよぽん、絶対人気出るから」
「ほりぽんに負ける可能性もある」
「あれ、対抗心出てきた?」
「出ていない」
「じゃあ、どっちが勝ってもいいんだ?」
「どちらも採用されないのが理想だ」
「素直じゃないなあ」
長谷部は笑った。
素直かどうかの問題ではない。
自分を模した着ぐるみが、学園祭で大勢の来場者の前に立つ。
その光景を想像するだけで、早くも疲労を感じた。
教室を出る直前、黒板を振り返る。
そこには会議で出された多くの案が残っている。
ほりぽん。
きよぽん。
芽のキャラクター。
バスケットボール。
端の方には、池が消し忘れたフライング・モンキーも残されていた。
まだ正式な代表は決まっていない。
だが、他クラスではすでに最初のキャラクターが生まれつつある。
丸くて少し目付きの悪いドラゴン。
誰とでも友達になれる犬。
王冠を夢見る小さなチェスの駒。
それぞれのクラスの特徴を映した存在。
試験発表から、まだ一日も経過していない。
それにもかかわらず、何もなかった場所には、少しずつ形が生まれ始めていた。
りゅうまる。
ほなわん。
ありすぽーん。
そして、ほりぽんときよぽん。
ゆるキャラたちは、まだ紙の上に描かれただけの存在だった。
声もない。
動くこともできない。
誰にも知られていない。
それでも、この日を境に、高度育成高等学校の空気は確実に変わり始めていた。
廊下を歩く生徒たちは、他クラスのキャラクターを探ろうとしながら、
自分たちの案だけは隠そうとしている。
食堂では、どの動物が人気を得やすいかという話が飛び交っている。
売店では、裁縫道具や画材を確認する生徒の姿が増えていた。
ゆるキャラ選手権。
発表された瞬間、誰もが正気を疑った特別試験。
だが今では、全校生徒がその奇妙な戦いへ足を踏み入れようとしていた。
ただし。
オレの戦いだけは、他の生徒たちとは少し違っていた。
他のクラスが目指しているのは、自分たちのキャラクターを優勝させること。
オレが目指しているのは、自分自身が着ぐるみになる未来を回避すること。
そのためには、ほりぽんが勝つのが最も簡単なはずだった。
しかし、堀北が勝利すれば、須藤が着ぐるみの中へ入れられる可能性が高い。
須藤を犠牲にして自分だけ逃げるのは、多少気が引ける。
ならば第三の案を支援し、ほりぽんときよぽんの両方を落とす方法もある。
だが、今のところ最も有力な第三案は、池のフライング・モンキーだった。
あれをクラスの代表にするくらいなら、まだ丸いヨーグルトの方がいい。
考えれば考えるほど、選択肢が減っていく。
廊下の窓から、夕方の校舎を眺める。
これまでの特別試験では、相手の行動を読み、
必要な情報を集めれば、ある程度の解決策を導き出せた。
だが今回は違う。
オレが静かにしていればしているほど、きよぽんらしいと言われる。
否定すれば、照れていると言われる。
意見を出せば、本人もやる気になったと解釈される。
何もしなければ、勝手に設定が増えていく。
逃げ道が見つからない。
そんなことを考えていると、後ろから長谷部の声が聞こえた。
「きよぽん、帰るよ」
「その名前で呼ぶな」
「違う。長谷部が勝手に」
「使い方が違う」
長谷部の笑い声が廊下に響いた。
第一回ゆるキャラ選手権。
その準備初日。
各クラスを象徴するキャラクターたちは、静かに産声を上げた。
そしてオレの平穏だけが、少しずつ失われ始めていた。