午前の授業が終わる頃には、
きよぽんの頭部試作品が完成したという情報が、他クラスにも広がっていた。
原因は明確だった。
軽井沢が撮影した写真。
綾小路グループが大きな丸を作っている集合写真。
そして、頭部だけを被ったオレが教室内を歩いている短い動画。
試験専用ページへ掲載された活動記録には、
長谷部が付けた題名が表示されていた。
『きよぽん爆誕――友達となら、大きな丸も作れる』
掲載から一時間も経たないうちに、感想が増え始めた。
『思ったより完成度が高い』
『ヨーグルト帽子が可愛い』
『身体が制服なのは今だけ?』
『大きな丸の設定が意外と良い』
『中の人の歩き方が自然すぎる』
『本人では?』
『違う。きよぽんが勝手に』
最後の感想は、もはや定型文になっている。
オレは昼休み、食堂の端にある席で端末を閉じた。
正面には長谷部。
隣に三宅と幸村。
佐倉は長谷部の横に座っている。
今日の昼食は、綾小路グループと一緒だった。
「反応いいね」
長谷部は満足そうに感想欄を眺めている。
「ほりぽんとの差がまた開いた」
「それを本人の前で言うなよ」
三宅が周囲を見回す。
少し離れた席に堀北がいる。
聞こえてはいないだろうが、長谷部の声が大きくなれば反応する可能性がある。
「でも事実だから」
「事実なら何でも言っていいわけじゃない」
「みやっちは優しいね」
「普通だ」
幸村は途中経過の数値を表示していた。
「現時点での閲覧数は、ぶっくまるが一位。きよぽんが二位。ほなわんが三位だ」
「二位?」
オレは聞き返す。
昨日までは三位だった。
「今朝の投稿で、ほなわんを上回った」
「正式投票ではない」
「それでも注目度の指標にはなる」
幸村は画面を切り替える。
「ただし、きよぽんには課題もある。
話題性は高いが、キャラクターの設定が綾小路個人へ依存しすぎている」
「だから最初から言っている」
「逆に言えば、綾小路との結び付きを弱めれば、
現在の人気も失われる可能性がある」
「なら失えばいい」
「試験に負ける」
「オレの平穏とクラスポイントのどちらを優先するかだな」
「300クラスポイント」
幸村は即答した。
「少しは迷ってくれ」
「クラス全体の利益を優先するのは当然だ」
「ゆきむーは厳しいなあ」
長谷部は笑っている。
佐倉はオレを気遣うように見た。
「本当に嫌なら、無理に中へ入らなくてもいいと思う」
ようやく味方がいた。
「愛里」
長谷部が不満そうに言う。
「でも、きよぽんは清隆くんをモデルにしてるけど、中の人まで同じじゃなくてもいいよね」
佐倉は控えめながら、自分の意見を続ける。
「声も出さないなら、他の人でも分からないと思う」
「歩き方で分かる」
長谷部が反論する。
「練習すれば似せられるかもしれないよ」
「表情が出ない分、動きが重要なんだよ。
きよぽんの少し困ったような立ち方は、きよぽん本人にしかできない」
「オレは少し困ったように立っているのか」
「大体いつも」
「それは知らなかった」
三宅が笑う。
「確かに、長谷部に何か頼まれてる時はそんな感じだな」
「明人まで観察しないでくれ」
「俺は普通に見てただけだ」
長谷部はオレの前に小さなカードを置いた。
きよぽんのプロフィール案だった。
名前、きよぽん。
種類、謎。
出身地、高度育成高等学校のどこか静かな場所。
好物、適切な温度で発酵したヨーグルト。
性格、無口で眠そうだが、困っている人を放っておけない。
特技、誰にも気づかれずに問題を解決すること。
苦手なこと、一人で大きな丸を作ること。
口癖、『違う。きよぽんが勝手に』。
「何か修正ある?」
長谷部が尋ねる。
「全体的にある」
「一つずつ聞こうか」
「種類が謎なのは問題ではないのか」
「そこが魅力」
「出身地が曖昧すぎる」
「神出鬼没だから」
「好物の表現が細かい」
「きよぽんが温度にうるさいから」
「オレではなく、きよぽんの設定ではなかったのか」
「そこは本人準拠」
「都合よく使い分けるな」
「性格は?」
「オレは困っている人を常に助けているわけではない」
「でも見て見ぬふりもしないでしょ?」
長谷部の質問に、オレは少し黙った。
状況による。
自分に関係がなければ、積極的に関与しないことも多い。
だが長谷部たちから見れば、違う印象があるのかもしれない。
「設定としては、悪くないと思う」
佐倉が言った。
「きよぽんを見た子供が、自分も誰かを助けようって思うかもしれないし」
「教育的価値も出る」
幸村も頷く。
「ほりぽんとの差別化は必要だが、
きよぽんにも一定のメッセージ性があった方が専門審査で有利になる」
「最初はヨーグルトを被っただけだったのにな」
三宅がしみじみと言う。
「成長したね、きよぽん」
長谷部が嬉しそうにプロフィールカードを眺める。
キャラクターが成長したというより、周囲が勝手に意味を与え続けた結果だった。
だが、それによって単なる内輪受けのキャラクターから、
少しずつ一つの人格を持った存在へ変化しているのも事実だった。
「一つ修正してほしい」
オレが言う。
長谷部が身を乗り出す。
「何?」
「ヨーグルトは、温度だけではなく時間も重要だ」
四人が黙った。
「発酵時間が短ければ十分に固まらない。
長すぎれば酸味が強くなる。使用する種菌や室温によっても変わる」
「きよぽんの特技、ヨーグルト作り」
長谷部が書き加える。
「今のは一般論だ」
「本人監修」
「監修したつもりはない」
「でも間違った設定のまま公開するのは嫌でしょ?」
それはそうだった。
ヨーグルトを重要な要素として扱うなら、明らかに間違った情報を載せるべきではない。
「好物は、適切な温度と時間で発酵したヨーグルト」
幸村が修正する。
「細かすぎないか?」
三宅が言う。
「設定に一貫性が出る」
「ゆきむーまで乗り気だね」
「誤りを残す方が気になる」
綾小路グループの中で、役割分担が自然に固まり始めていた。
長谷部は企画と宣伝。
幸村は設定整理と構造分析。
三宅は材料運搬と実演補助。
佐倉は表情や外見の細部。
そしてオレは、本人監修という名目で細かい修正を求められる。
認めた覚えはない。
しかし何も言わなければ、ヨーグルト帽子の中に常温のヨーグルトを入れられかねない。
完全に放置することもできなかった。
「ところで」
三宅が食事を続けながら言う。
「今日の放課後、合同説明会があるんだろ?」
「ああ」
「綾小路も出るのか?」
「堀北から参加するよう言われている」
「きよぽん代表として?」
長谷部が尋ねる。
「クラスの補助だ」
「同じことだよ」
「違う」
「きよぽんが勝手に?」
「それを言えば何でも成立すると思うな」
三宅と佐倉が笑った。
幸村だけは、合同説明会の案内資料を確認している。
「各クラスは暫定キャラクターの紹介と、
制作状況の報告を行う。質疑応答も予定されている」
「他クラスに情報を与えすぎる危険はないのか」
オレが尋ねる。
「詳細な制作方法や予算配分まで話す義務はない。
学園側の目的は、途中段階で各クラスを刺激し、競争を活性化させることだろう」
「つまり見せ合いだな」
三宅が言う。
「自分たちのキャラを見せて、相手の反応を見る」
「ぶっくまるを直接見られるかもしれない」
長谷部が反応した。
「きよぽんの競争相手だよ」
「相手を敵扱いするな」
「でも今一番人気だから、気になるでしょ?」
気にならないと言えば嘘になる。
ひよりが描いたぶっくまるは、
デザインの完成度だけなら他の候補より一段上に見えた。
ただし龍園クラスでは、りゅうまるとの代表争いが続いている。
合同説明会でどちらを押し出すのかによって、今後の流れも変わるかもしれない。
「坂柳クラスの森下って子が、きよぽんに興味あるらしいよ」
長谷部が続けた。
「誰から聞いた」
「橋本くんから」
「いつ接触した」
「昨日、廊下で会った時」
長谷部の情報網が思った以上に広い。
「何で興味を持っている」
「本物を見たいって」
「オレではなく、着ぐるみの方だろう」
「きよぽんの方だと思う」
幸村が資料から顔を上げる。
「試験ページの感想欄に、森下藍の名前で複数の書き込みがある」
「何と書いてある」
「『きよぽんは本当にヨーグルトから生まれたのですか』」
「違う」
「『発酵が進むと第二形態になりますか』」
「ならない」
「『戦闘能力はありますか』」
「ゆるキャラに求めるな」
「『捕獲できますか』」
「するな」
三宅が吹き出した。
佐倉も口元を押さえている。
長谷部だけは、競争相手が現れたような顔をしていた。
「森下藍……きよぽんを狙ってるね」
「狙ってはいないだろう」
「私が育てたのに」
「オレはお前に育てられていない」
「きよぽんの話」
「なおさら所有権はない」
「合同説明会で確かめないと」
何を確かめるつもりなのか分からない。
この時点でオレは、放課後の説明会が平穏に終わらないことを予想し始めていた。
◯
放課後。
特別棟へ向かう廊下には、各クラスの代表者たちの姿があった。
堀北クラスから参加するのは、堀北、平田、長谷部、そしてオレ。
ただし長谷部の要望により、三宅、幸村、佐倉も
制作協力者として同行することになった。
綾小路グループ全員での参加だった。
「愛里、それ大丈夫?」
長谷部が尋ねる。
佐倉は両腕で、大きなファイルケースを抱えていた。
中にはきよぽんのデザイン画、プロフィール、試作グッズが入っている。
「う、うん。そんなに重くないよ」
「俺が持つ」
三宅が自然にケースを受け取った。
「明人くん、助かる」
「最初から俺に持たせるつもりだっただろ」
「そんなことないよ」
「目が泳いでるぞ」
幸村は別のケースを持っている。
こちらには、構造図と素材の一覧。
「頭部の試作品を持ってこなくてよかったのか?」
オレが尋ねる。
「持っていきたかったけど、大きすぎるから」
長谷部が答える。
「代わりに写真と動画を見せる」
「動画は削除していなかったのか」
「活動記録だから」
「撮影を許可した覚えはない」
「クラスの共有財産」
「オレの肖像権は?」
「きよぽんだから問題ない」
「問題しかない」
堀北が前を歩きながら振り返る。
「話している間に遅れないで。開始まで十分しかないわ」
「ほりぽんの資料は?」
長谷部が尋ねる。
「私が持っている」
堀北の手には、ほりぽんの資料が入った青いケースがある。
「今日の説明会では、二体とも紹介するの?」
「当然よ。正式案を決めるまでは、公平に扱うわ」
「人気差があるけど」
「途中の閲覧数だけで決めるつもりはないわ」
「負け惜しみ?」
堀北が足を止めた。
長谷部も止まる。
二人の間に見えない火花が散る。
「長谷部さん」
「何?」
「今日の説明会で、ほりぽんの教育的価値を他クラスにも理解させるわ」
「じゃあ私は、きよぽんの謎の魅力を見せる」
「謎のままでは専門審査に通用しないわ」
「謎だから人気なんだよ」
「説明できないだけでしょう」
「説明しすぎると、ゆるくなくなるんだよ」
議論として成立しているのか判断が難しい。
だが二人は真剣だった。
「二人とも」
平田が穏やかに声をかける。
「今日は同じクラスとして参加するんだから、他クラスの前で争うのはやめよう」
「私は争っていないわ」
「私も」
同時に答える。
平田は苦笑した。
「なら大丈夫かな」
大丈夫ではないように見える。
特別棟へ入る。
会議室がある階へ向かう途中、前方から別の集団が近づいてきた。
龍園クラスだった。
龍園を先頭に、伊吹、石崎、ひより、西野、アルベルトが歩いている。
ひよりは胸元に、ぶっくまるの小さなぬいぐるみを抱えていた。
まだ試作品だろう。
茶色い熊。
丸眼鏡。
小さな本。
絵の段階でも完成度は高かったが、立体になるとさらに親しみやすく見える。
「椎名さん」
佐倉が小さく声をかける。
ひよりはこちらに気づき、柔らかく微笑んだ。
「佐倉さん。こんにちは」
「そ、それ……ぶっくまる?」
「はい。小さな試作品を作っていただきました」
ひよりはぬいぐるみを少し持ち上げる。
佐倉と長谷部が同時に近づいた。
「可愛い!」
長谷部が素直に感想を口にする。
「絵よりさらに可愛いね」
佐倉も目を輝かせた。
ひよりは嬉しそうだった。
「ありがとうございます」
「敵を褒めてどうする」
龍園が言う。
「可愛いものは可愛いでしょ」
伊吹が返す。
「お前も昨日可愛いって言ってたな」
「言ってない」
「全員聞いてたぞ」
「空耳よ」
石崎が笑う。
「俺も聞いた」
伊吹が石崎を睨む。
「黙ってなさい」
「何で俺まで怒られるんだよ」
石崎の口調は、伊吹に対しては普通だった。
龍園へ向き直った時だけ、少し調子が変わる。
「でも龍園さん、ぶっくまるは本当に反応いいっすよ。今朝の閲覧数も一位でしたし」
「分かってる」
龍園は不機嫌そうに答えた。
その手には、黒いドラゴンの小さなパネルがある。
りゅうまるも諦めてはいないらしい。
「きよぽんの頭、できたんだってな」
龍園がこちらを見る。
「なぜ知っている」
「試験ページに出てただろ」
「動画も見ました」
ひよりが言う。
「大きな丸を作る設定、素敵ですね」
「オレが考えたわけではない」
「でも、綾小路くんが中に入っていました」
「サイズ確認だ」
龍園が笑う。
「随分似合ってたぞ」
「頭しかなかった」
「だから余計にな」
伊吹も思い出したのか、口元をわずかに緩める。
「制服から上だけゆるキャラなの、気持ち悪かった」
「率直すぎるだろ」
三宅が言う。
「完成後はちゃんと身体も作る」
長谷部が対抗する。
「きよぽんは今日、正式に爆誕したから」
「まだ候補だろ」
龍園が言う。
「それに、爆誕したなら連れてくりゃよかったじゃねぇか」
「大きすぎて運べなかった」
「中に綾小路を入れて歩かせればいい」
「それだ!」
「採用するな」
オレはすぐに否定した。
龍園は楽しそうに笑った。
「説明会まで着ぐるみで歩けば、宣伝になっただろうな」
「お前のクラスでやれ」
「りゅうまるは石崎に入らせる」
石崎が目を見開く。
「俺ですか?」
「体格がちょうどいい」
「聞いてないっすよ!」
「今言った」
「ぶっくまるは誰が入るんですか?」
平田が尋ねる。
龍園クラスの生徒たちが、ほぼ同時にひよりを見る。
ひよりは少し驚き、ぬいぐるみを抱き直した。
「私は長時間動ける自信がありません」
「中身まで椎名なら人気出るだろ」
龍園が言う。
「外からは見えませんよ」
「雰囲気で分かるらしいぞ」
龍園は長谷部を見た。
先ほどの会話を聞いていたらしい。
「そうだよ」
長谷部が頷く。
「キャラクターと中の人の魂は大事だから」
「お前ら、同じこと言い出してるぞ」
三宅が呆れる。
ひよりは少し考える。
「では、短時間だけ入ってみます」
「椎名、断っていいのよ」
伊吹が言う。
「でも、ぶっくまるの動きは自分で考えたいです」
「読書してる熊が、どう動くのよ」
「本を開いたり、ページをめくったりします」
「地味だな」
龍園が言う。
「ゆっくりした動きが、ぶっくまるには合うと思います」
「戦闘シーンは?」
「ありません」
「一回くらい入れろ」
「本を守るためなら、少しだけ怒ります」
「ほら、あるじゃねぇか」
「怒るだけです」
ひよりと龍園のぶっくまる解釈は、まだ一致していなかった。
その横で、石崎がオレの端末ケースを見た。
「りゅうまるのステッカー、まだ貼ってるんだな」
前回の作業室で龍園から渡されたものだった。
剥がす理由もなかったため、そのままになっている。
龍園も気づいた。
「宣伝に貢献してるじゃねぇか」
「剥がしてほしいなら剥がす」
「そのままにしとけ」
龍園の端末ケースにも、きよぽんのステッカーが残っている。
伊吹がそれを指摘する前に、龍園は端末をポケットへしまった。
「行くぞ。説明会に遅れる」
話を切り上げる意図が分かりやすかった。
二つのクラスは、同じ方向へ歩き始める。
特別棟の廊下を、ほりぽんときよぽんの資料。
りゅうまるのパネル。
ぶっくまるのぬいぐるみ。
それぞれを抱えた生徒たちが進んでいく。
特別試験の代表者たちには見えない。
これから児童向けイベントへ参加する集団のようだった。
だが全員の表情は真剣だ。
300クラスポイントが懸かっている。
何より、自分たちが作り始めたキャラクターへ、少しずつ愛着を持ち始めている。
その感情が、試験を単なる課題ではなく、本気の競争へ変えつつあった。
◯
会議室の前へ到着すると、すでに一之瀬クラスと坂柳クラスが集まっていた。
一之瀬の手には、ほなわんのお友達カード。
神崎はプレゼン資料を抱えている。
その背後には、多くのクラスメイトが作ったと思われる
小さなカードケースが並んでいた。
「こんにちは」
一之瀬が全員へ笑顔を向ける。
「すごい人数になったね」
「代表者だけのはずじゃなかったの?」
伊吹が尋ねる。
「制作協力者も参加していいって聞いたから」
一之瀬クラスからは、一之瀬と神崎の他にも数人が同行している。
ほなわんの宣伝力を強めるため、人員を多く投入したようだ。
「それ、友達カードか」
長谷部が尋ねる。
「うん。今日、みんなにも渡そうと思って」
一之瀬は一枚取り出す。
表には笑顔のほなわん。
裏には『きょうからおともだち』と書かれ、名前を記入できる欄がある。
「きよぽんにも?」
「もちろん」
一之瀬は迷わず答えた。
「ほりぽんにも、りゅうまるにも、ぶっくまるにも、ありすぽーんにも渡すよ」
神崎が横で小さく息を吐いた。
「全候補へ配布するため、朝から百枚以上作った」
「百枚?」
平田が驚く。
「今後候補が増える可能性も考えて、多めに用意した」
「神崎、お前も相当本気だな」
龍園が言う。
「試験である以上、当然だ」
神崎は真顔だった。
「一之瀬の発想は、他のキャラクターの支持者へほなわんを認知させる効果がある」
「そんな計算してないよ」
一之瀬が否定する。
「結果的には同じだ」
「友達を増やしたいだけだってば」
善意から始まった作戦が、非常に強力な広報活動になっている。
一之瀬らしいと言える。
そして会議室の扉の近くには、坂柳クラスがいた。
坂柳有栖。
橋本正義。
神室真澄。
森下藍。
山村美紀。
白石飛鳥。
他にも数名の生徒がいるが、目立つのはその六人だった。
坂柳は椅子へ座り、ありすぽーんの資料を確認している。
橋本は周囲のクラスを観察し、神室は大きな白い袋を持たされていた。
山村は集団の端へ隠れるように立っている。
白石は穏やかな笑顔で、山村へ声をかけていた。
そして森下。
オレたちが近づいた瞬間から、こちらを見ていた。
正確には。
オレを見ていた。
視線が全く逸れない。
「清隆」
三宅が小声で言う。
「ずっと見られてるぞ」
「分かっている」
「逃げる?」
長谷部が尋ねる。
「なぜお前が警戒している」
「きよぽんを守るため」
「オレは自分で対処できる」
「きよぽんは無防備だから」
「設定と本人を混ぜるな」
森下が動いた。
坂柳たちの集団を離れ、真っ直ぐこちらへ歩いてくる。
歩く速度は速くない。
だが迷いがない。
間にいる生徒たちを避け、一直線にオレを目指している。
山村がその背中を不安そうに見つめる。
「も、森下さん、どこへ……」
「目的地は明確ですね」
白石が穏やかに答える。
「綾小路くんのところです」
「止めなくていいんですか……?」
「お話ししたいのではないでしょうか」
「普通のお話ならいいんですけど……」
山村の心配は正しいかもしれない。
森下はオレの正面まで来ると、足を止めた。
距離は一メートルほど。
近い。
無表情に見えるが、目だけは妙に真剣だった。
数秒。
森下は何も言わない。
オレも待つ。
周囲の会話が少しずつ小さくなる。
龍園や伊吹。
一之瀬。
坂柳クラスの生徒たち。
全員がこちらへ注目し始めていた。
「本物ですね」
森下が言った。
「何の話だ」
「きよぽんです」
「違う」
即答した。
森下の目がわずかに見開かれる。
「違う。きよぽんが勝手に」
長谷部が横から続けた。
会議室前の廊下に、笑いが広がった。
橋本が最初に吹き出し、神室は顔を逸らした。
伊吹も口元を押さえ、石崎は声を上げて笑っている。
一之瀬は困ったように笑い、神崎まで少し俯いていた。
坂柳有栖は優雅な笑みを保っているが、その目には明確な愉快さが浮かんでいる。
森下だけは笑わなかった。
感動したように、小さく頷く。
「再現度が高いです」
「本人だからね」
橋本が言う。
「だから本物なのです」
森下は橋本へ振り返らずに答えた。
「握手をお願いします」
「断る」
「では、サインをお願いします」
「断る」
「ヨーグルトを発酵させる際の適切な温度と時間を書いてください」
「何に使う」
「家宝にします」
「やめろ」
森下は制服のポケットから、小さな色紙を取り出した。
すでに中央へきよぽんの顔が印刷されている。
準備が良すぎる。
「なぜ持っている」
「今日お会いできると予測していました」
「合同説明会だからな」
「綾小路清隆ではなく、きよぽんに会えると」
「同じ意味で使うな」
長谷部がオレと森下の間へ入った。
「きよぽんへの依頼は、マネージャーを通してください」
「あなたがマネージャーですか」
「そうだよ」
「公認ですか」
「自称」
「では私もなれますね」
「駄目」
「なぜですか」
「私が先だから」
「先着順なのですか」
「そう」
「ルールを確認していませんでした」
森下は真剣に考え込んだ。
長谷部も本気で対抗している。
誰もオレの意見を聞かない。
「二人とも、オレを無視して話を進めるな」
「きよぽんは喋らない設定では?」
森下が尋ねる。
「必要な時は喋るよ」
長谷部が答える。
「口数は少ないが、ヨーグルトの話になると少しだけ饒舌になる」
幸村が補足した。
「何で全員で説明しているんだ」
「設定班だから」
幸村は当然のように言う。
森下は感心したように頷いた。
「奥が深いですね」
「深くしたのは周囲だ」
「私も深くしてよろしいですか」
「断る」
「では浅くします」
「関わらないという選択肢はないのか」
森下は少し考える。
「ありません」
迷いのない返答だった。
その後ろから、白石がゆっくり近づいてくる。
「森下さん。綾小路くんが困っていますよ」
「そうなのですか」
「そうだ」
オレが答える。
森下は一歩下がり、丁寧に頭を下げた。
「失礼いたしました」
ようやく理解したらしい。
「では、後ほど改めてお願いします」
「何も解決していない」
白石は困ったように微笑む。
「森下さんは、一度興味を持つと長いのです」
「見れば分かる」
「ですが悪気はありませんので」
「悪気がない方が対処しづらい」
「確かにそうですね」
白石はおっとりと同意した。
少し離れた場所で、山村がこちらを見ている。
目が合った瞬間、驚いたように顔を伏せた。
白石が気づく。
「山村さんも、きよぽんが気になりますか?」
「ち、違います……」
山村は小さな声で否定した。
「ただ、森下さんが何か問題を起こさないか心配で……」
「もう起きてる」
神室が言う。
「始まる前から迷惑かけないでよ」
「私は交流していただけです」
森下が答える。
「一方的な交流だったでしょ」
「綾小路清隆も会話していました」
「拒否してただけじゃん」
橋本は笑いながら、森下の持つ色紙を覗き込む。
「でも、その色紙いいな。どこで作った?」
「自作です」
「ありすぽーんのも作れるか?」
「可能です」
「じゃあ後で頼む」
「一枚につき二千ポイントです」
「金取るのかよ!」
森下は変わり者だが、商売の感覚は持っているらしい。
坂柳有栖が杖をつきながら、ゆっくりこちらへ近づいてくる。
「ずいぶん盛り上がっていますね」
「お前のクラスの森下を止めろ」
龍園が言う。
「森下さんの興味を止めるのは、私にも困難です」
「諦めるなよ」
「ですが、きよぽんが現時点で最も予測しづらい候補であることは確かです」
坂柳はオレを見る。
「完成前から高い認知度を得ている。
設定は一見すると支離滅裂でありながら、
綾小路くんの性格や周囲との関係性によって、
一つの個性としてまとまり始めています」
「分析されても困る」
「特に、本人が否定すればするほど設定が強化される構造は興味深いです」
「本人ではない」
「今の発言も含めて」
坂柳は楽しそうだった。
堀北が一歩前へ出る。
「きよぽんだけが私たちの候補ではありません」
「もちろん、ほりぽんも拝見しています」
坂柳は堀北へ向き直る。
「知性と成長を明確に表現した、完成度の高いキャラクターです。
ただし、現段階では少し優等生的すぎる印象があります」
堀北の眉がわずかに動く。
「欠点がないことが欠点だと?」
「ゆるキャラは、完璧である必要はありません。
少し不器用であったり、どこか抜けていたりする方が、親しみを持たれやすいものです」
「その点はすでに改善しているわ。
ほりぽんには苦手科目から逃げることがあるという設定を加えた」
「逃げるのですか」
「最終的には向き合うわ」
「堀北さんらしいですわね」
「私ではなく、ほりぽんの話よ」
オレと同じことを言っている。
坂柳は微笑みを深めた。
「どのクラスも、制作者自身の特徴が強く反映されています。
りゅうまるは龍園くん。ぶっくまるは椎名さん。
ほなわんは一之瀬さん。そして、ありすぽーんは私」
「自分で認めるんだな」
橋本が言う。
「隠す必要がありますか?」
「ないけどさ」
「着ぐるみの中にも入るのか?」
龍園が尋ねる。
坂柳は笑顔のまま答える。
「長時間の演技は難しいため、声を担当します」
「安全な役だな」
神室が呟く。
「適材適所です」
「中に入るのは誰なんだ?」
橋本の質問に、坂柳クラスの視線が動く。
最初に山村へ。
山村は顔を青くし、一歩下がった。
「む、無理です……」
次に神室。
「絶対嫌」
橋本。
「俺も嫌だぞ」
白石は微笑んでいるが、自分から名乗り出る様子はない。
最後に森下。
「私が入ります」
即答だった。
「本当に?」
白石が尋ねる。
「はい。ありすぽーんは転ぶたびに経験値を獲得すると聞きました」
「聞いてない」
神室がすぐに訂正する。
「転んでも立ち上がる設定です」
坂柳が説明する。
「百回転べば、レベル100になります」
「なりません」
「残念です」
森下は本気で落胆している。
「でも、着ぐるみに入るのは怖くないんですか……?」
山村が遠慮がちに尋ねた。
「外から顔が見えないので、むしろ自由です」
「そ、そういう考え方も……」
山村は少しだけ興味を示した。
「山村さんも一緒に入りますか」
「一体の着ぐるみに二人は入れない」
神室が止める。
「では交代制で」
「わ、私は遠慮します……」
山村は再び縮こまった。
「ですが、ありすぽーんの影ならできます」
「影?」
橋本が聞き返す。
「人前には出ませんが、舞台袖から見守る役です……」
「それは普通の裏方だろ」
「私には一番合っています……」
山村は本当に安心したようだった。
白石が優しく頷く。
「では山村さんには、舞台袖で時間を知らせる役をお願いしましょう。
森下さんが転びすぎたら止めてくださいね」
「何回までですか……?」
「三回くらいでしょうか」
「少ないです」
森下が反論する。
「百回は必要です」
「ステージが終わりますよ」
白石は穏やかな口調のまま、的確に指摘した。
森下、山村、白石。
三人が加わったことで、坂柳クラスの空気は以前よりかなり賑やかになっていた。
そして会議室の扉が開く。
中から担当教師が顔を出した。
「参加者は入室してください。間もなく合同説明会を始めます」
生徒たちの会話が止まる。
各クラスが、それぞれの資料や試作品を持ち直す。
一之瀬はほなわんのお友達カードを抱える。
ひよりはぶっくまるのぬいぐるみ。
龍園はりゅうまるのパネル。
坂柳はありすぽーんの設定資料。
堀北はほりぽんの青いケース。
長谷部たちは、きよぽんのファイルと試作グッズ。
全てはまだ完成していない。
それでも、紙の上だけに存在していたキャラクターたちは、少しずつ形を得ていた。
名前を呼ばれ。
設定を与えられ。
誰かに愛され。
誰かの対抗心を刺激し。
作った生徒たち自身の性格まで映し出している。
オレは会議室へ入る直前、廊下の窓へ目を向けた。
ガラスには、自分の姿が映っている。
制服姿。
いつもと変わらない表情。
頭にヨーグルトの容器もなければ、身体が丸いわけでもない。
どこから見ても、きよぽんではない。
それなのに。
「きよぽん、行くよ」
長谷部に呼ばれる。
「その名前で呼ぶな」
「早くしないと始まっちゃう」
「分かっている」
オレが歩き出すと、森下も隣へ並んだ。
「今日はきよぽんの生態を詳しく学びます」
「オレは説明対象ではない」
「では観察します」
「やめろ」
「安心してください。距離は保ちます」
そう言いながら、距離は一メートルもない。
長谷部が反対側へ並ぶ。
「森下さん、きよぽんに近づきすぎ」
「一メートルあります」
「二メートル空けて」
「規則にありますか」
「私の規則」
「効力がありません」
二人の間で、謎の牽制が始まった。
オレを挟んで。
きよぽんのマネージャーを自称する長谷部。
きよぽん研究家になりつつある森下。
少し後ろでは、三宅が呆れた顔をし、
幸村が状況を冷静に分析し、佐倉が困ったように笑っている。
白石は「人気者ですね」と穏やかに言い、
山村は森下が暴走しないか不安そうに見守っている。
龍園は愉快そうに笑い、伊吹は面倒そうに目を細め、
ひよりはきよぽんとぶっくまるが友達になれるか考えている。
一之瀬はすでに、きよぽん用のお友達カードへ名前を書こうとしている。
堀北は、合同説明会でほりぽんの価値をどう示すかに集中していた。
坂柳は、その全てを眺めながら楽しそうに微笑んでいる。
第一回ゆるキャラ合同説明会。
本来は各クラスが制作状況を報告し、試験のルールを再確認するための場だった。
だが、この時点ですでに。
まともな説明会で終わる可能性は、ほとんど残されていなかった。
そして。
この日の朝。
試作品の頭部を被っただけだったきよぽんは。
全校生徒の前へその存在を広げ。
長谷部だけではなく、他クラスにまで熱心な支持者を生み。
オレの意思とは無関係に。
一体のゆるキャラとして、本当の意味で爆誕しようとしていた。