鋼鉄の灯火は深淵を照らす—超古代の厄災と、メカオタクの生存戦略—— 作:カノープス・ギア
澄人の分析に従い、群馬の山あいにある「鳴瀬温泉」へと現地調査に向かった灯たち。
硫黄の匂いと湯気が漂う穏やかな町では、約300人の人々が地下の異常など知る由もなく、いつも通りの平和な生活を送っていました。
学術調査として堂々と観測を進める灯たちでしたが、センサーが捉えたのは、これまでの遺構を大幅に上回る「異常な高稼働レベル」の反応で——。
人々が暮らす街の真下で蠢く怪異を前に、灯たちが突きつけられる現実とは。
9月の鳴瀬温泉は、拍子抜けするほど穏やかだった。
上野から新幹線と在来線を乗り継ぎ、駅前で借りた軽トラックに観測機材を積む。
そこから群馬の山あいを走ること、約1時間半。
川沿いの細い道を上りきったところに、その町はあった。
旅館が14軒。土産物屋が2軒。郵便局と診療所が1つずつ。
硫黄の匂いがうっすらと漂い、あちこちの側溝から白い湯気が上がっている。
浴衣姿の観光客が下駄を鳴らし、軒先では温泉饅頭が蒸されていた。
「……普通の温泉町だな」
軽トラックの助手席から降りたゴウが、腰を伸ばしながら言った。
「地下300メートルか400メートルで、何かが動いてるんだよな。ここ」
「観測結果が正しければな」
澄人はそう答えながら、手帳に到着時刻と天候を書き込んでいた。
俺はザックを担ぎ直し、町並みの向こうにそびえる山を見上げた。
黒岩鉱山は、誰も近づかない廃坑だった。
樽内村は、住民が去った後に水底へ沈んだ集落だった。
だが、ここには人がいる。
旅館の玄関を掃く人。配達の軽バンを停める人。観光客に道を教える人。
約300人の生活が、地下の異常など知らないまま、いつもどおり続いていた。
今回、俺たちは堂々と来ていた。
『鳴瀬地区における地磁気および温泉湧出量の学術調査』
申請者は神宮寺教授。調査助手として、俺と澄人とゴウの名前が並んでいる。町役場、旅館組合、源泉を管理する温泉組合にも、事前に話を通してあった。
(……本当に、ありがたいな)
黒岩鉱山では、俺は封鎖壁の隙間から1人で潜り込んだ。
樽内では、教授の名義でようやく湖岸への立入許可を取った。
そして今回は、役場の職員が観測地点の候補まで用意してくれている。
30年間、変人扱いされてきた教授でも、大学教員として積み上げてきた肩書と実績まで消えたわけではない。
俺1人なら開かなかった扉が、この人の名前で開いていく。
宿は、町で最も古い旅館だった。
『明月館』。木造3階建て。磨き込まれた廊下を歩くたび、床板が小さく鳴る。
「大学の先生方ですか」
帳場で、70代半ばほどの女将が俺たちの人数を数えた。
「学術調査だなんて、うちに泊まる方では初めてですよ」
「地面の磁気と、温泉の変化を調べさせていただきます」
教授が丁寧に頭を下げると、女将は目を丸くした。
「磁気って、方位磁石のあれですか」
「ええ。目には見えませんが、土地によってわずかに強さや向きが違います」
「それなら、
——空気が、止まった。
俺と教授は、ほとんど同時に顔を上げた。
澄人のペン先だけが、紙の上を走り続けている。
「巻の谷、というのは」
「あら、ご存じない?」
女将は、なんでもないことのように言った。
「源泉の奥にある谷です。昔から、あそこでは方位磁石が狂うって言うんですよ。山菜採りの人も入りません」
「その話は、誰から?」
澄人が訊いた。
「亡くなった父からですよ。父は先代の主人で、湯守の手伝いもしていました」
「ほかに、その話を知っている方はいますか」
「富沢さんなら、私より詳しいでしょうね。40年以上、湯守をしていた人ですから」
澄人は、手帳の端に線を引いた。
『証言者:明月館女将。情報源:先代主人。二次証言』
『追加聞き取り候補:元湯守・富沢氏』
たった数行だった。
だが澄人は、怪談と記録を同じ箱には入れない。誰が見たのか。誰から聞いたのか。原資料は残っているのか。必ず分けて記録する。
「会わせていただくことはできますか」
教授が頼むと、女将はすぐに電話へ手を伸ばした。
◇◇◇
その夜、女将の紹介で、俺たちは1人の老人に会った。
明月館の裏手にある小さな家で、40年以上にわたって町の源泉を管理してきた元湯守だという。
「調査ねえ」
囲炉裏端で、富沢さんは湯呑みを傾けた。
「まあ、若い人が興味を持つのはいいことだ。この町も、じきに消えるからな」
「消える、というのは」
「若いのがおらん。旅館も、10年前は22軒あった」
淡々とした声だった。
観光客から見れば、鳴瀬温泉は風情のある山間の温泉町だ。
だが、閉じた旅館の看板や、雨戸の下りた家を意識して見れば、町が少しずつ縮んでいるのが分かった。
教授がノートを開いた。
「富沢さん。昔、この温泉の湯が止まったことがあると聞きました」
富沢さんの手が止まった。
「……よく知っとるな」
「35年前に、1度この町で聞き取りをしております」
「ああ、あんたか。いや、顔までは覚えとらんが」
富沢さんは笑って、湯呑みを置いた。
「止まる。30年くらいの間を置いて、な。俺が湯守になってからは、1度だけ見た」
「昭和44年ですね」
「よく調べとる。……ああ、あの年だ」
老人は、囲炉裏の火を見つめた。
「4月28日の朝だった。源泉を見に行ったら、湯が出とらんかった。3本とも、ぴたりとな。前の日の夕方までは普通だったのに」
澄人が顔を上げる。
「日付を覚えている理由は?」
「湯守日誌に書いたからだ。旅館組合にも控えが残っとるはずだぞ」
澄人はすぐに書き留めた。
「原因は分かったんですか」
教授が尋ねる。
「分からん。県の人も来た。大学の先生も来た。配管を掘って、成分を測って、地震の記録まで見た。だが、誰にも分からんかった」
「それで、いつまで」
「6月9日まで。42日間だ」
「……正確ですね」
「毎朝、空の配管を見に行っとったからな」
富沢さんは、指を1本立てた。
「旅館は全部休業だ。町は大騒ぎよ。もう終わりだと、何軒か店を畳んだ」
「それから?」
「6月10日の朝、ひょっこり戻った。何事もなかったみてぇにな」
老人はそこで少し声を落とした。
「ただし、前と同じじゃなかった」
俺は身を乗り出していた。
「何が変わったんですか」
「熱かった。源泉の温度が3度ほど上がっとった。それと、硫黄の匂いが強くなった。成分表も作り直したよ」
澄人が訊く。
「当時の成分表は残っていますか」
「温泉組合の倉庫にならあるかもしれん。昭和44年の前と後、両方な」
証言だけではない。
日誌と成分表という、比較できる記録が残っている。
囲炉裏の薪が、ぱちりと爆ぜた。
「うちの爺さんが言うにはな。『山が息を吸うと、湯が止まる』と」
——山が息を吸う。
俺は、掌に汗をかいていることに気づいた。
「富沢さん」
「なんだ」
「そのとき、巻の谷へ入った人は」
「おらん」
即答だった。
「行方不明者も?」
「1人もな。……当たり前だ。誰も巻の谷には入らんからよ」
その言葉は、安心材料のはずだった。
だが俺には、別の意味に聞こえた。
人が消えなかったのは、安全だったからではない。
たまたま、誰も近づかなかっただけだ。
◇◇◇
巻の谷は、源泉からさらに3キロほど山へ入った場所にあった。
翌朝、俺たちは町役場と土地の管理者から許可を取り、使われなくなった旧道を歩いた。
道はほとんど藪に呑まれていた。倒木を跨ぎ、枝を払い、ぬかるんだ斜面を登る。
教授は息を切らしていたが、足取りは確かだった。
「……教授。休みますか」
「問題ない」
教授はザックの肩紐を締め直した。
樽内へ向かう前から続けていた山歩きの訓練を、この人は今もやめていない。
見た目は70を越えて見える。それでも、中身まで老いに明け渡すつもりはないらしい。
1時間ほど進んだところで、澄人が携帯型の磁力計を見て足を止めた。
「……灯」
「どうした」
「測定上限を超えた」
俺は表示を覗き込んだ。
教授が30年使い、去年、俺が回路とセンサーを調整した磁力計。
以前の約3倍まで感度を引き上げた機械が、警告を出している。
「機器の故障は?」
「出発前の校正値は正常。ここへ来るまでの測定ログも連続している。急に跳ねたのは、この地点からだ」
澄人は情報源だけでなく、機械が正しいと判断した根拠まで口にする。
「ここか」
谷は深く切れ込んでいた。
両側から岩壁が迫り、昼間でも底まで日が届かない。
斜面には奇妙なほど木が少なく、剥き出しの岩肌が続いている。
そして——
「……なんだ、これ」
ゴウが地面を指した。
谷底の岩盤に、幾筋もの亀裂が走っている。
古い風化面とは色が違う。内側から押し広げられたように、新しい岩肌が覗いていた。
俺は耐熱手袋を着け、亀裂の縁へ触れた。
——温かい。
気温より、明らかに高い。
「灯!」
「大丈夫だ。手袋越しに確認しただけだ」
表面温度計を当てる。
『31.8℃』
9月の山中。日陰の岩盤としては、不自然な温度だった。
指先に残る感触は、あの黒い金属片に触れたときとよく似ていた。
(……この下だ)
地下300メートル。あるいは400メートル。
俺は来た道を振り返った。
木々の切れ間から、町の方角に白い湯気が幾筋も立ち上っている。
14軒の旅館。約300人が暮らす町。
その真下で、これが動いている。
その日の調査で、俺たちは谷へ3台の簡易観測装置を設置した。
地磁気。岩盤表面温度。微小振動。
源泉側には、温泉組合の許可を得て、湧出量と温度を記録するセンサーを取り付けた。
谷の装置には電話線も電源も届かない。計測値は本体へ蓄積し、誰かが現地まで回収しなければならなかった。
一方、源泉側の記録装置は管理小屋の電話回線へ接続できる。1日分の数値を圧縮し、夜間に大学の端末へ送る仕組みを澄人が組んだ。
「最新式じゃない。低速で数字を送るだけだ。通信が切れても、本体側には残る」
澄人は装置の箱へ、設置日、測定項目、校正値、機器番号を書いた札を貼った。
9月いっぱいは、大学の夏季休暇だった。
俺たちは交代で鳴瀬へ残り、3日おきに谷へ入って記録を回収した。俺とゴウが工場へ戻る日は、教授と澄人が町に残る。澄人が大学へ機材を持ち帰る日は、俺が教授に付き添った。
全員が一緒に動けないのは不便だった。
だが、それぞれに大学も工場もある。約1か月、4人の生活を完全に止めることはできなかった。
10月に入って講義が再開すると、谷の装置は一度回収し、源泉側の遠隔記録だけを継続した。
集めた数字は、同じ方向を指していた。
地磁気の異常は、少しずつ強くなっている。
岩盤温度は、日ごとの気温変化とは関係なく上昇している。
源泉の湧出量は、目に見えないほど緩やかに落ち続けている。
10月8日。
澄人が、湧出量、源泉温度、地磁気強度のグラフを重ねた。
「低下率が変わった」
それまで直線に近かった湧出量が、急に下向きへ曲がっている。
同じ時刻から、源泉温度と地磁気強度の変化も大きくなっていた。
「出典は、9月の現地記録と、10月に入ってから温泉組合の回線で受け取った連続データ。欠測はない」
澄人は画面を指した。
「このままなら、数日以内に止まる」
俺たちは翌日の講義を休む手続きを取り、10月10日の夕方、再び鳴瀬へ入った。
◇◇◇
10月11日、午前6時20分。
宿の電話が、けたたましく鳴った。
俺は廊下で、女将が受話器に向かって叫ぶ声を聞いた。
「——え? 止まった? 3本ともですか!?」
飛び起きて廊下へ出る。
澄人とゴウも、ほぼ同時に部屋から顔を出していた。
「灯」
澄人の顔は青かった。
「……予測どおりだ」
当たった、とは言わなかった。
人の生活が壊れ始めたことを、当たりとは呼びたくなかったのだと思う。
町は、朝から大騒ぎになった。
3本の源泉が、すべて止まっていた。
前日の夜まで湧いていた湯が、配管の中から消えている。
旅館組合の緊急会合が開かれ、県へ連絡が飛び、昼前にはテレビ局の車が1台やってきた。
温泉街では、宿泊客に頭を下げる旅館の人たちが行き交っていた。
78歳の富沢さんは、源泉小屋の前で腕を組んでいた。
「……35年ぶりだな」
声に驚きはなかった。
恐れていたものが、とうとう来たという顔だった。
俺たちは役場と消防団へ巻の谷の再調査を届け出て、その日のうちに山へ入った。
◇◇◇
谷の様子は、9月とはまるで違っていた。
亀裂が増えている。
そして、その隙間から——
青白い光が漏れていた。
「……見えた」
俺はヘッドランプを消した。
薄暗い谷底で、地面のあちこちが淡く発光している。
ゆっくり明るくなり、急に弱まり、また明るくなる。
教授が息を呑んだ。
「……これだ」
掠れた声だった。
「半世紀以上前、樽内の谷で見たものと同じだ」
俺はガス検知器のスイッチを入れた。
『O2:20.4%』
『H2S:8 ppm』
酸素濃度は正常。
だが、硫化水素は無視できない値だった。しかも亀裂へ近づくほど、数字が上がっていく。
「全員、全面形マスクを着けてください。吸収缶の使用時間も記録します。酸素濃度が下がるか、硫化水素が10 ppmを超えたら即時撤退です」
「了解」
今回は、誰も軽装では来ていない。
ガス検知器は2台。ロープ、ヘルメット、無線、予備の吸収缶。
黒岩鉱山での無謀を繰り返さないための装備だった。
最も大きな亀裂は、幅60センチほどまで広がっていた。
ロープで身体を確保し、縁へ腹ばいになって中を覗き込む。
ヘッドランプの光は、途中で闇に呑まれた。
深い。
そして数メートル下の岩盤の隙間に——黒い金属の壁面が見えた。
「……澄人、記録を頼む」
「すでに撮影中。時刻は10時43分。磁力計、表面温度、ガス濃度も同じ番号で紐づける」
亀裂の奥に露出した壁面。
表面には、血管めいた隆起が走っている。
黒岩鉱山や樽内で見たものと同じだ。
だが、決定的に違う点があった。
動きが速い。
黒岩の炉は、眠る心臓のようにゆっくり脈打っていた。
樽内の壁も同じだった。
これは違う。
隆起が縮み、膨らむたびに、青白い光が走る。
人が全力で走った後のような、荒く不規則な明滅だった。
【超古代遺構を確認】
【観測記録を開始します】
※本遺構の稼働レベルは、既観測の2基を大幅に上回ります
「……大幅に上回る」
俺は表示を読み上げていた。
「教授」
「うん」
「この炉、起きかけています」
「起きかけている、とは」
「ほかの2基は、3000万年の間、眠りながら微弱に動いていた。でもこれは、外部からエネルギーや物質を取り込んで、活動を上げようとしている」
俺は源泉の方角へ目を向けた。
「湯が止まったのは、この遺構が地下水を取り込んでいるからかもしれません」
教授はすぐに頷かなかった。
「仮説だな」
「はい。まだ断定はできません」
「なら、そう記録しよう。地下水位と湧出量、遺構の温度変化が連動しているか、追加で確かめる必要がある」
その冷静な言葉に、少しだけ呼吸が戻った。
『山が息を吸うと、湯が止まる』
昔の人は、観測機器を持っていなかった。
それでも、起きている現象を言葉として残していたのだ。
30年に1度、この炉は息を吸う。
そして今回は、35年前より深く、長く吸おうとしている可能性がある。
「教授。前回、湯は42日で戻ったんですよね」
「富沢さんの記録では、そうだ」
「今回は」
答えられる者は、いなかった。
◇◇◇
谷を降り始めたのは、午後3時を過ぎた頃だった。
旧道を半分ほど下ったところで、俺は足を止めた。
「……何か聞こえないか」
「音?」
ゴウが耳を澄ませる。
風の音に混じって、遠くからサイレンが聞こえた。
俺たちは走った。
町へ戻ると、そこは朝とは別の場所になっていた。
消防車が2台。軽トラックが何台も。
人々が山際の一角を取り囲んでいる。
源泉小屋のすぐ横だった。
「何があったんですか!」
俺が駆け寄ると、顔見知りになった旅館の若い従業員が振り返った。
「地面が抜けたんだ! 小屋の裏が!」
斜面の一角が、直径5メートルほどにわたって陥没していた。
新しい土砂と折れた木、崩れた小屋の資材が、すり鉢状に落ち込んでいる。
「中に人が?」
「田中さんが! 配管の点検に入っていて!」
俺は、その場に立ち尽くした。
——瞬間。
視界が切り替わった。
コンクリートの粉。
傾いた電柱。
あの日の、濁った空。
爪の間に食い込む破片。
感覚のなくなった指先。
まだ、声が聞こえていた。
1人は掘り出した。
だが、その奥から、もう1人。
梁が動かない。
人の手では動かない。
(——重機が来ない)
(道が、寸断されて)
(間に合わない)
「灯!」
肩を掴まれた。
ゴウの顔が、目の前にあった。
「おい、しっかりしろ! 顔が真っ白だぞ!」
俺は大きく息を吸った。
土の匂い。
硫黄の匂い。
目の前にいる人々の声。
ここは、あの日ではない。
そして——動いた。
「消防団の責任者は誰ですか!」
俺の声に、スコップを持った男たちが振り返った。
「俺だ! 何だ!」
50代ほどの男が前へ出る。
俺は陥没の縁そのものではなく、その上の斜面を指した。
雨も降っていないのに、土の一部だけが濡れ、細い水が染み出している。
「上部の土砂がまだ動いています。真上から掘り続けると、二次崩落する可能性があります!」
「根拠は!」
「湧水の位置と亀裂です。あそこから下の土が浮いている。縁にも新しい割れ目が伸びています!」
【技能適用:『上級・次世代エネルギー/流体力学』】
【技能適用:『中級・航空力学/制御アルゴリズム』】
俺に救助現場を指揮する資格はない。
地盤工学の専門家でもない。
それでも、水がどこへ流れ、どの土塊へ圧力がかかっているかは見えた。
消防団長が斜面を見上げた。
その横にいた、作業着姿の男がしゃがみ込み、地面へ手を当てる。
「……団長。この学生の言うとおりだ。上から水が回ってる。重機を乗せたら落ちるぞ」
地元の建設会社の人らしい。
団長が即座に向き直った。
「全員、縁から下がれ! 上側には近づくな!」
人が動く。
俺は息を吐く暇もなく続けた。
「田中さんの位置は分かりますか」
「声は聞こえた。小屋の床下にできた空洞へ落ちたらしい。土砂に完全には埋まっていない」
「安定している下流側から、横へ掘れませんか。支保を入れながら」
作業着の男が陥没を見回す。
「できる。小屋の基礎が梁代わりになってる。単管と合板があれば、狭いが横穴を作れる」
「足場材なら、うちの旅館の裏にある!」
誰かが叫んだ。
「ゴウ!」
「分かってる!」
ゴウは数人の若い衆と一緒に走り出した。
澄人は団長の横で、時刻と救助経路を記録しながら無線連絡を手伝っている。
教授は診療所へ走り、医師と担架を呼びに行った。
俺は陥没の縁から十分に距離を取り、地面へ向かって叫んだ。
「田中さん! 聞こえますか!」
数秒の沈黙。
やがて、土砂の下からくぐもった声が返った。
「……お、おう……ここだ……」
町の人たちから、どよめきが上がった。
「生きてる!」
俺は目を閉じた。
(……聞こえた)
前世のあの日。
俺は最後まで、もう1人の声へ辿り着けなかった。
「動かないでください! 今、横から道を作っています! 必ず行きます!」
団長が俺を見た。
「学生。声かけを続けろ。意識を切らすな」
「はい!」
今度は、資格のある人間の指示に従った。
◇◇◇
田中さんが引き出されたのは、それから1時間40分後だった。
横穴へ合板を差し込み、単管で支え、数十センチずつ土を掻き出す。
途中で小さな崩落が2度あった。そのたびに全員が手を止め、支保を追加した。
田中さんは、小屋の床材と土砂の間にできた隙間へ落ちていた。
左脚を骨折していたが、胸部は圧迫されておらず、意識もはっきりしていた。
担架が地上へ出た瞬間、歓声より先に、何人もの人がその場へ座り込んだ。
診療所の医師が状態を確認し、救急車で麓の病院へ送る。
消防団長は最後まで陥没箇所に残り、周辺を立入禁止にした。
人だかりが散った後、俺は源泉小屋の壁にもたれ、そのまま地面へ座り込んだ。
手が震えていた。
握っても、止まらなかった。
「……灯」
ゴウが缶コーヒーを差し出してきた。
「……ありがとう」
受け取ろうとして、落とした。
からん、と缶が転がった。
ゴウは何も言わずに缶を拾い、プルタブを開けて、俺の両手で挟ませた。
それから、隣へ腰を下ろした。
「お前さ」
「……なんだ」
「あそこで、なんで動けたんだよ」
俺は答えられなかった。
「普通、ああはならねぇだろ。俺なんか、何をすればいいか全然分からなかった。なのにお前、最初の数秒だけ真っ白な顔をして、そこから急に周りが見えるようになった」
「…………」
「あれ、初めてじゃねぇだろ」
俺は、温かい缶を両手で包んだまま山を見ていた。
「……初めてだよ」
「嘘つけ」
「……」
「まあ、いいけどな」
ゴウは、それ以上訊かなかった。
代わりに空を見上げ、疲れ切った声でぼやいた。
「保留リスト、また増やされるんだろうな。澄人に」
少し離れたところで、澄人が消防団長から救助開始時刻と発見位置を聞き取っていた。
たぶん、もう増えている。
◇◇◇
その夜、俺たちは宿の一室へ集まり、町へ提出する速報を作った。
地磁気異常。
岩盤温度の上昇。
源泉湧出量の急減。
地下空洞の発生と、それに伴う陥没。
超古代文明も、炉も、黒い金属も書けない。
だが、説明できないからといって、観測した事実まで黙る理由にはならない。
「少なくとも、巻の谷と源泉周辺への立入禁止。それから地盤調査と地下水位の連続監視は要請できる」
教授が言った。
「町を避難させるには、まだ根拠が足りん。だが、人を近づけないことはできる」
澄人は報告書の末尾へ、使用した観測機器、設置地点、校正記録、元データの保管場所を追記した。
「数字だけ出しても、再現できなきゃ信用されないからな」
ゴウは腕を組み、黙って窓の外を見ていた。
湯気の上がらなくなった温泉街は、いつもより暗く見えた。
報告書をまとめた後、俺は1人で青い表示を開いた。
=========================================
【観測クエスト:完了】
▶ 基本報酬 : +800 SP
▶ 高稼働遺構の観測 : +2,800 SP
▶ 環境データ記録 : +600 SP
▶ 合計獲得 : +4,200 SP
▶ 現在所持ポイント : 20,900 SP
=========================================
2万900 SP。
3万SPまで、あと9100 SP。
数字は、確実に近づいている。
だが、俺は何ひとつ嬉しくなかった。
30年に1度、山が息を吸う。
次も30年後——とは限らない。
炉は以前より深く吸っている。
稼働レベルは、ほかの2基を大幅に上回っている。
そして、その真上には約300人が暮らしている。
(……どこまで言える)
町役場へ行って、こう説明するのか。
この町の地下に3000万年前の設備があり、それが目覚めかけていて、いつか町ごと呑み込むかもしれない、と。
写真もデータもある。
黒い金属片もある。
だが、それらをすべて見せれば、俺たちは「どこで手に入れたのか」「なぜ文字を読めるのか」「なぜ危険を予測できたのか」を問われる。
そして、俺は説明できない。
今夜提出できるのは、地磁気と地下水と陥没の報告だけだ。
それで次の事故を防げるかもしれない。
だが、炉そのものを止めることはできない。
俺は畳の上へ仰向けに倒れた。
3年後の話ばかりしていた。
ゴルザが来て、メルバが来て、そのとき人類には対抗手段がない、と。
だが、こちらのほうが早いかもしれない。
3年を待たずに、この町が消えるかもしれない。
そして今の俺には、それを止める手段が1つもない。
「……足りない」
天井へ向かって呟く。
「全部、足りてない」
隣の部屋から、ゴウのいびきが聞こえていた。
それが聞こえることに、少しだけ救われた。
=========================================
【現在のステータス・スキル情報】
[BASE STATUS]
┣ 演算処理能力: F
┣ 空間認識力 : F
┣ 反応速度 : F
┗ G耐性/肉体: F
[ACQUIRED SKILLS & KNOWLEDGE]
┣【超古代言語理解 Lv.2】
┣【初級・機械工学/プログラム言語】
┣【中級・航空力学/制御アルゴリズム】
┣【上級・次世代エネルギー/流体力学】
┣【インファイト Lv.1】
┗【SPアップ Lv.1】
[SYSTEM DATA]
┣ 所持ポイント: 20,900 SP
┣ 残機数 : 3 / 3
┣ 保有サンプル : 未知の有機金属片 ×3(解析:31%)
┣ 設計中 : 加速度支持外骨格(構想段階)
┗ 特記 : 鳴瀬の炉/稼働レベル上昇中・住民約300人
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第17話をお読みいただきありがとうございました!
誰もいない廃坑やダムの底とは違い、「いま現在、大勢の人間が上で暮らしている」という鳴瀬温泉。
異常を掴んだところで、行政や住民に「この下に未知の炉があります」と言ったところで信じてもらえるはずもない……という、知識を持つ者ゆえの苦い葛藤を描いた回でした。
今回のクエスト達成で+4,200 SPを獲得し、所持ポイントは【20,900 SP】に到達!
目標の30,000 SP(マクロス初代・統合技術パック)まで、いよいよ1万SPを切りました。
数字は着実に近づいていますが、地下の怪異もまた刻一刻と動きを見せています。
ここからさらに加速していくストーリーを、ぜひ楽しみにお待ちください!
感想や評価等もいただけますと執筆の大きな励みになります!