鋼鉄の灯火は深淵を照らす—超古代の厄災と、メカオタクの生存戦略—— 作:カノープス・ギア
硫黄の匂いと湯気が消え失せ、不気味なほど静まり返った鳴瀬温泉の朝。
住民たちが直面したのは、超古代の怪異などではなく、「観光客が来なくなる」「生活ができなくなる」という、あまりにも生々しい生活の危機でした。
超古代文明のロマンの裏にある、現代社会の現実。
その重みを受け止めながら、灯たちが選んだ「世界へ向けた最初の一歩」とは——。
翌朝、鳴瀬温泉は静かだった。
不気味なほど静かだった。
いつもなら、朝6時には14軒の旅館から一斉に湯気が上がる。
側溝からも、川べりからも、白い筋が立ち上って、町全体がぼんやり霞んで見えるはずだった。
その湯気が、どこにもない。
「……初めて見ました、こんな景色」
宿の縁側で、女将さんが茶を置きながら言った。
「私はまだ子どもでしたからね、35年前は。母が泣いてたのだけ覚えてます」
「田中さんは」
「命に別状はないそうですよ。左足を折っただけで」
女将さんは笑おうとして、失敗した。
「……だけで、なんて言っちゃいけませんね」
その日、旅館組合の緊急会議が開かれた。
役場の2階の和室に、20人ほどが集まった。
教授が調査の報告をするというので、俺たちも隅に座らせてもらった。
そして、そこで交わされた話は——超古代文明とは、何の関係もなかった。
「年末年始の予約が40件入ってる。全部返金か?」
「返金だけじゃ済まねぇよ。詫び状も要る」
「うちは仲居さん3人、パートさん5人だ。休業したら給料どうする」
「県から見舞金は出ねぇのか」
「35年前は1か月半で戻った。今回もそうとは限らんだろ」
「テレビが来てたぞ。あれ、変な流し方されたら終わりだ。『温泉が涸れた町』なんて出されたら、湯が戻っても客は来ん」
俺は、畳に手をついたまま、それを聞いていた。
(……そうだよな)
俺の頭の中は、地下300メートルの黒い炉でいっぱいだった。
だがこの人たちにとって、今日いちばん大事なのは、40件の予約をどう処理するかなのだ。
それは間違っていない。むしろ、正しい。
会議の終わりに、教授は立ち上がった。
「私たちが申し上げられるのは、巻の谷で地磁気・岩盤温度・ガス濃度に通常とは異なる変化を観測したこと、そして新しい亀裂と陥没が確認されたことまでです」
「温泉は戻るんですか」
旅館の主人がすぐに尋ねた。
教授は、安易に頷かなかった。
「分かりません。35年前と同じ経過をたどる保証もありません」
和室の空気が、目に見えて重くなった。
それでも教授は続けた。
「ただし、危険が増しているかどうかを測り続けることはできます。危険が迫ったとき、昨日より早く知らせる仕組みも作れます」
戻ると約束するのではない。
逃げろと命じるのでもない。
今ある不確かなものを、不確かなまま監視する。
それが、この場で口にできる唯一の約束だった。
◇◇◇
会議のあと、俺は富沢さんを捕まえた。
役場の外の喫煙所で、老人は煙草をふかしていた。
「富沢さん」
「おう。学者の坊主か」
「……1つ、聞いてもらえますか」
俺は、言葉を選びながら切り出した。
「巻の谷の地下で、何かが動いています。それが地下水を吸っているせいで、湯が止まったんだと思います」
富沢さんは、煙を吐いた。
「ほう」
「35年前より、反応が強くなっています。地面の亀裂も増えてる。……昨日の陥没も、たぶん無関係じゃありません」
「……ふむ」
「もっと大きな陥没が起きるかもしれません。ガスが出るかもしれません。……最悪の場合は」
そこで、俺は言葉を止めた。
町ごと呑まれる、とは言えなかった。証拠がない。
あるのは、俺の頭の中にある3000万年前の記録だけだ。
富沢さんは、しばらく黙って煙草を吸っていた。
そして、灰を落としながら言った。
「坊主。仮にな」
「はい」
「仮にお前さんの言う通りだとして、俺らはどこへ行きゃいい」
——胸を、真正面から刺された気がした。
「ここは俺の生まれた町だ。女将さんとこの旅館は、婆さんの代から110年やっとる。田中は先週、孫が生まれたばっかりだ」
「…………」
「危ないから逃げろ、と言われて。……で、どこへ行く」
老人は、煙草を灰皿に押しつけた。
「補償は誰が出す。仕事はどうする。年寄りばっかりだぞ、この町は。80を過ぎた人が10人以上おる。アパート借りて、そこで死ねってか」
「……すみません」
「謝るこっちゃねぇよ」
富沢さんは、少しだけ笑った。
「お前さんは正しいんだろ。だがな、正しいってだけじゃ、人は動かんのよ」
◇◇◇
その日の午後から、俺たちは動き出した。
炉は止められない。町は避難させられない。
なら、今、俺たちにできることは何か。
答えは、1つしかなかった。
——見張ることだ。
「機材、東京から送らせた。明日の午前着だ」
澄人が電話を置いて言った。
「研究室にあるやつを全部かき集めた。足りない分は教授の予算で買う」
「電源は」
「源泉小屋に来てる。役場の許可も取った」
「通信」
「そこが問題だ」
澄人は、地図の上を指で叩いた。
「巻の谷から常時データを送るのは無理だ。携帯は圏外、無線も山が邪魔する。……だから、ロガーに溜めて、1日3回、源泉小屋の保守用電話回線から研究室へ送る」
「1日3回か」
「通常時はそれで足りる。数値が注意域へ入ったら送信間隔を短くする。回線が切れた場合は、役場の担当者が記録媒体を回収する」
俺は頷いた。
設置には、3日かかった。
観測項目は、6つに絞った。
1.地磁気の強度と方位偏差
2.岩盤温度および地表温度
3.地盤の微振動
4.硫化水素濃度
5.源泉の湧出量
6.亀裂の開口幅
ゴウは旅館の若い衆と一緒に、機材を担いで谷まで何往復もした。
「これ何やってんだ?」と聞かれるたびに、彼はこう答えていた。
「地面の様子を見張るやつです。何かあったら、逃げる時間を稼ぐための」
俺には、それ以上うまい説明はできなかった。
亀裂の開口を測るセンサーは、市販品では合うものがなかった。
仕方なく俺が寸法を出し、相沢製作所へ図面をFAXした。健三さんは磁力計へ影響を与えにくいアルミ材で治具を削り、翌朝の便で送り返してくれた。
現場で測り、図面を引き、町工場で削り、現場に取り付ける。
——相沢製作所で積み重ねてきたことが、そのまま形になった。
「灯」
3日目の夕方、澄人が装置の前で言った。
「基準値、どう置く」
「基準値?」
「異常判定だ。この数値を超えたら警報を出す、っていう線を引かなきゃならん」
俺は、しばらく黙った。
低く引けば、誤報が増える。狼少年になれば、次に本当の警報が出たとき誰も動かない。
高く引けば、間に合わない。
(……間に合わない)
前世の記憶が、また端のほうで疼いた。
あの日、俺は何も知らずにあの建物にいた。
揺れて、崩れて、それから走った。
誰も、何も、教えてくれなかった。
(——あのとき欲しかったのは、重機だけじゃなかったのか)
俺は、装置の筐体に手を置いた。
逃げろ、と教えてくれる誰かが。
あと30秒で崩れる、と知らせてくれる何かが。
「……警報は2段階にしよう」
「2段階?」
「第1段階は『注意』。役場と大学に自動で連絡を送る。第2段階が『警戒』で、避難判断に必要な情報をすぐ役場へ渡す」
「線は」
「第1段階は低めに置く。誤報の可能性があっても、まず人が確認できるようにする。第2段階は、独立した複数の指標が同時に基準を超えたときだけだ」
澄人は、少し考えてから頷いた。
「……いいな。それでいく」
俺たちは、役場の担当者と消防団長も交えて、警報が出た後の動きを紙に落とした。
第1段階の「注意」では、研究室と役場が数値を確認し、巻の谷と源泉小屋への立ち入りを止める。第2段階の「警戒」では、防災無線で住民へ知らせ、旅館ごとに決めた集合場所へ移動を始める。
避難を決定するのは、俺たちではない。
役場と消防だ。
だからこそ、判断に使う数値と、誰がどこへ電話するかを曖昧にできなかった。
「地磁気だけで鳴らすなよ」
澄人が設定画面を見ながら言った。
「機器のずれでも振れる。主要3系統——地磁気、岩盤温度、微振動のうち2系統が同時に基準を超えた場合を第2段階にする。硫化水素が急上昇した場合だけは、単独でも即時通報だ」
「源泉の湧出量は?」
「すでに0だ。今は警報の条件に使えない。戻り始めた後の変化を見る指標に回す」
1つずつ決めるたび、装置はただの箱ではなくなっていった。
それは、誰かに逃げる時間を渡すための仕組みだった。
◇◇◇
町と県へ提出する報告書は、教授が書いた。
俺が下書きを持っていくと、教授は赤ペンを走らせ、3分ほどで半分以上を消した。
「……教授」
「鈴木君。ここだ」
赤で囲まれたのは、俺が書いた一文だった。
『——地下に人工構造物が存在する可能性が極めて高い』
「これは、書くな」
「でも、事実です」
「事実ではない。我々の解釈だ」
教授はペンを置いた。
「地磁気が異常だ。温度が上がっている。湧出量が落ちた。亀裂が増えた。陥没が起きた。
……ここまでが観測だ」
「はい」
「その先を書いた瞬間、この報告書は『変わった学者の妄想』になる。
そうなれば、観測した数字まで一緒に捨てられる」
俺は、赤い線を見つめていた。
「仮説を書くな。観測した事実だけを書け」
教授は、静かに言った。
「事実は、それだけで人を動かす。……30年かけて、私はそれを学んだよ」
提出した報告書には、こう書かれた。
・地磁気異常の増大(3か月で継続的に上昇)
・岩盤温度の上昇
・源泉湧出量の急減(3系統すべて)
・硫化水素濃度の変動
・新規亀裂の発生および地盤陥没
・今後、追加の陥没およびガス噴出が生じる可能性
・巻の谷周辺への立入制限を推奨
・異常値検出時の通報および避難手順(別紙)
超古代文明という文字は、1つもなかった。
そして——県の担当者からは、2週間後に「参考資料として受領した」という1行の返信が届いただけだった。
それでも、町役場は巻の谷へ続く旧道に立入禁止の札を立て、消防団は旅館ごとの連絡網を作り直した。明月館の帳場には、警報が出た際の手順を記した紙が貼られた。
大きな組織は動かなかった。
だが、小さな町は、自分たちで動き始めていた。
報告書1冊で危険が消えたわけではない。
それでも、昨日まで存在しなかった「次に何をするか」が、紙の上には残った。
◇◇◇
東京へ戻る日の朝。
俺は、湯気の上がらない旅館街を歩いていた。
明月館の前では、女将さんが箒を使っていた。客が来ないのに、玄関を掃いている。
土産物屋のシャッターが半分開いて、店主が中で在庫を数えていた。
診療所の前では、老人が2人、いつも通り立ち話をしていた。
みんな、明日も生きるつもりでいる。
「……灯」
隣に、ゴウが立っていた。
「行くぞ。バス出る」
「……ああ」
俺は、動かなかった。
「なあ、ゴウ」
「あ?」
「俺たち、逃げるのかな」
ゴウは、鼻を鳴らした。
「馬鹿かお前」
「……」
「俺らが残って、何ができんだよ」
彼は、湯気の消えた町を顎で示した。
「シャベル持って穴掘るか? 300人を背負って山越えるか? ……そもそもだ。4人まとめてあの穴に落ちたら、見張るやつがいなくなるんだぞ」
俺は、顔を上げた。
「装置は置いた。基準も決めた。役場に手順も渡した。それでも足りねぇって言うなら」
ゴウは、俺の背中を思いきり叩いた。
「足りるようになるまで、取ってこいよ。外から」
俺は、しばらく黙っていた。
そして、バス停へ向かって歩き出した。
発車間際、女将さんが小さな紙袋を持って追いかけてきた。
「お客さんに出すはずだった温泉饅頭です。湯が止まっても、これはまだ食べられますから」
冗談めかして笑ったが、声は少し震えていた。
俺は袋を受け取り、深く頭を下げた。
「装置の数値は、毎日確認します」
「ええ。お願いします」
助けます、とは言えなかった。
必ず戻ります、とも言えなかった。
だから、確認します、とだけ約束した。
バスが動き出すと、湯気のない町並みが窓の後ろへ流れていった。
女将さんは、見えなくなるまで頭を下げていた。
◇◇◇
東京に戻ってからの3週間、研究室の明かりは毎晩ついていた。
サワイへの、2通目。
1通目は、教授が便箋1枚に書いた挨拶だった。
今回は、違う。
「分担する」
教授が、机に紙を配った。
「本文と、研究者としての見解は私が書く。鈴木君は技術資料だ。
3地点に共通する現象と、危険性の整理」
「はい」
「柏木君は、出典と観測条件、データの信頼性」
「了解です」
「相沢君は、現地の写真と、設置記録と、住民の状況」
「……俺、文章書くの苦手なんすけど」
「写真の説明でいい。君しか撮っていないものがある」
「俺が撮った、って書くんですか」
「撮影日時、場所、方角、写っているものを添えなさい。それで写真は証拠になる」
澄人が横から付け加えた。
「元フィルムの番号も残せ。複写した順番が分かるようにする。サワイさんの手元で誰かが検証するとき、出所を辿れない資料は使われない」
ゴウは難しい顔をしながらも、写真の裏へ1枚ずつ番号を書き始めた。
報告書の最後には、要請事項も付けた。
・地質、地磁気、温泉、材料分析の専門家による独立再調査
・鳴瀬地区における継続監視への支援
・未知試料および観測地点に関する情報の限定的な取り扱い
・新組織の設立準備部門との連絡窓口の指定
町を今すぐ避難させてくれ、とは書かなかった。
軍を送ってくれ、とも書かなかった。
俺たちの結論を信じてもらうのではなく、同じ場所へ行き、同じ数値を測り、間違っているなら間違っていると証明してもらう。
そのための手紙だった。
ゴウは、少しだけ嬉しそうな顔をした。
最初の衝突は、3日目に起きた。
俺が書いた危険性の項目を読んで、澄人がペンを置いた。
「灯。これは駄目だ」
「どこが」
「『この構造物は、地下水を吸収して稼働を継続しており、いずれ地表を巻き込む規模の変動を起こす』」
澄人は、俺の原稿を指で叩いた。
「地下水を吸ってるって、どこで測った」
「……測ってない。湧出量が落ちたことから推定した」
「地表を巻き込む規模、っていうのは」
「…………」
「灯。証明できることと、俺たちが考えていることを分けろ」
澄人の声は、静かだった。
「混ぜたら、確かなデータまで信用されなくなる」
俺は、原稿を握りしめていた。
「じゃあ、どう書けばいいんだよ」
俺は、自分でも驚くくらい荒い声を出していた。
「あそこには300人が住んでるんだぞ! 遠回しに書いて、伝わらなくて、それで町が消えたら——」
「鈴木君」
教授だった。
「……はい」
「信じてもらうために、話を大きくするな」
教授は、赤ペンのキャップを閉めた。
「小さくても、崩れない事実を積め」
俺は、机に両手をついたまま、しばらく動けなかった。
(……そうか)
俺はずっと、自分の中の「知っている未来」を、なんとか他人に渡そうとしてきた。
だがそれは、渡らない。前世の記憶は、誰にも検証できないからだ。
渡せるのは、誰にでも確かめられるものだけだ。
「……分かった」
俺は、原稿を破いた。
「書き直す」
◇◇◇
書き直した報告書の背骨は、たった1つになった。
3地点の異常に、同じ特徴が現れている。
黒岩鉱山。樽内ダム。鳴瀬温泉。
数百キロ離れた、地質構造もまったく異なる3か所で、地磁気異常の変化に共通した周期と立ち上がり方が現れている。
もちろん、測定値そのものが同じわけではない。
機器も地質も距離も違う。黒岩では磁気の変動幅が大きく、鳴瀬では温度変化が先に現れた。
そこで澄人は、各地点の平常値を基準にして変化量を規格化し、時間軸を異常の立ち上がりに合わせた。
すると、緩やかな上昇、短い停滞、急な落ち込み、その後に続く弱い第2波まで、同じ順序が浮かび上がった。
局所的な地質現象だけで説明するには、共通点が多すぎた。
「これが、いちばん崩れにくい」
澄人は、3本のグラフを重ねた図を指した。
「1か所なら偶然で済む。2か所なら類似例だ。けど3か所で、地質も計測条件も違うのに同じ特徴が出るなら——共通する原因があると考える根拠になる」
「そして、7つあるはずだと」
「それは書かない」
澄人は即答した。
「巻物の記述は、第三者が検証できる証拠にならない。……ただし、こう書ける。『同種の異常が、他地点にも存在する可能性がある』」
俺は、頷いた。
添付資料の最後に、金属片の分析結果を綴じるとき——教授の手が止まった。
そのページには、元素分析の表が印刷されている。
主成分の下に、こう並んでいた。
『C:微量 N:微量 P:微量 Ca:微量』
「……教授」
「うむ」
教授は、その行をじっと見ていた。
元素分析だけで、生体由来だと断定することはできない。
炭素もカルシウムも、自然界には普通にある。試料の汚染という可能性も残る。
だが、蜂の巣状の区画に沿って炭素・窒素・リン・カルシウムが偏在していること、そして試料が40年前に3人の失踪した坑道から回収されたことを並べれば、読む側は生体組織との関係を疑う。
その瞬間、これは未知材料の研究だけではなく、未解決の失踪事故に関わる資料になる。
半世紀以上前の樽内村の話も、掘り返されるかもしれない。
「……鈴木君」
「はい」
「私は、この一行を落としたい誘惑にかられている」
「……」
「落とせば、兄の話は誰にも触られん。私の半生は、私だけのものでいられる」
教授は、丸眼鏡を外して目頭を押さえた。
そして、かけ直した。
「だが、落とせば、この構造物の危険性は半分しか伝わらん」
ページを、そっと束に加えた。
「載せなさい」
「……いいんですか」
「35年前、私は鳴瀬で『湯が止まる話』を聞いて、行方不明者がおらんという理由で切り捨てた」
教授は、静かに言った。
「あの聞き取りを継続観測につなげていれば、今回の変化にもっと早く気づけたかもしれん。……もう、都合の悪い事実を切り捨てんよ」
◇◇◇
本文は、教授が最後に書いた。
30年前に学会へ持って行った、あの万年筆で。
書き出しは、こうだった。
『サワイ様
30年前にいただいた質問への答えを、ようやく一部だけお送りします。』
そして、末尾はこうだった。
『——あなたは私に、こう問われました。
「あなたの説が正しかった場合、人類は何をすべきですか」と。
30年、考えました。
武器を持つことだと思った時期もあります。逃げる場所を作ることだと思った時期もあります。
今の私の答えは、こうです。
見つけること。
記録すること。
知らせること。
そして、危険が来る前に人を動かせる組織を、あらかじめ作っておくこと。
——つまり、答えは、あなたが今なさっていることです。
私は30年かけて、それを確かめただけでした。
この報告書について、私はあなたに「信じてください」とは申しません。
私たちの観測が誤っているかどうかを、あなた方ご自身の手で確かめていただきたい。
そのために、独立した調査班による再検証を、伏してお願い申し上げます。』
俺は、その文章を3度読んだ。
読み終えて、顔を上げると、教授が宛名を書いていた。
万年筆が、封筒の上をゆっくり滑っていく。
30年前、この人はこのペンで、誰にも読まれない論文を書いた。
◇◇◇
投函は、ゴウがやると言い張った。
11月5日。大学近くの郵便局で、ゴウは国際書留の伝票を書き、分厚い封筒を窓口へ差し出した。
「はい、たしかにお預かりしました」
局員がスタンプを押した。
それだけだった。
4人で局を出て、街路樹の下に立った。11月の風が、落ち葉を転がしていた。
「……なんつーか」
ゴウが、間の抜けた声で言った。
「もっとこう、ドラマチックなもんかと思ってた」
「窓口だからな」
澄人が言った。
俺は、郵便局の看板を見上げていた。
(……これで、町が救われるわけじゃない)
炉は止まらない。湯も戻らない。県からの返事は1行だった。
サワイが読むかどうかも分からない。読んでも、動くとは限らない。
だが。
(——俺たちだけが知っていた危険を、初めて外へ渡した)
長い間、俺は1人で抱えていた。
今は、4人で抱えている。
今日、5人目の手へ向けて送り出した。
それが、今の俺にできる全部だった。
「帰るか」
教授が言った。
「腹が減った。……そこの店、まだやっとるかね」
「やってますよ。ラーメン屋」
「では、行こう。私が出す」
「まじすか!」
ゴウが跳ねた。
4人で歩き出す。誰も、もう手紙の話はしなかった。
◇◇◇
夜の谷に、人はいなかった。
月のない晩だった。倒木の陰で、小さな緑のランプが点滅している。
樹脂の箱に収められた観測装置が、静かに動いていた。
地磁気強度 : ▲上昇
岩盤温度 : ▲上昇
地盤微振動 : 検出(微弱・継続)
硫化水素濃度 : 変動あり
源泉湧出量 : 0
谷に置かれたセンサーの値は源泉小屋の記録装置へ集められ、1日3回、保守用電話回線を通じて東京の研究室へ送られる。
それが、この町に置かれた唯一の見張りだった。
判定基準の第1段階まで、あとわずかだった。
そして——
谷底の岩の亀裂から、青白い光が漏れた。
さっきより、強く。
どくん。
地面が、脈打った。
その音を聞く者は、一人もいなかった。
=========================================
【現在のステータス・スキル情報】
[BASE STATUS]
┣ 演算処理能力: F
┣ 空間認識力 : F
┣ 反応速度 : F
┗ G耐性/肉体: F
[ACQUIRED SKILLS & KNOWLEDGE]
┣【超古代言語理解 Lv.2】
┣【初級・機械工学/プログラム言語】
┣【中級・航空力学/制御アルゴリズム】
┣【上級・次世代エネルギー/流体力学】
┣【インファイト Lv.1】
┗【SPアップ Lv.1】
[SYSTEM DATA]
┣ 所持ポイント: 22,775 SP
┣ 残機数 : 3 / 3
┣ 保有サンプル : 未知の有機金属片 ×3(解析:31%)
┣ 設計中 : 加速度支持外骨格(構想段階)
┗ 特記 : 鳴瀬の継続監視を開始/サワイ宛て報告書を発送
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第18話の更新でした、お読みいただきありがとうございます!
温泉街の日常の裏で、着実に動き出した歯車。
サワイ・ソウイチロウへの手紙の行方はどうなるのか……。
次回以降も怒涛の展開が続いていきますので、ぜひお楽しみに!
お気に入り登録やご感想、評価、励みになります。
それでは次回の更新でお会いしましょう!