鋼鉄の灯火は深淵を照らす—超古代の厄災と、メカオタクの生存戦略—— 作:カノープス・ギア
失敗を重ねながらも、灯たちは少しずつ次の場所へ進んでいきます。
どうぞお楽しみください!
11月の研究室には、毎日3回、群馬から数字が届いた。
午前6時、正午、午後6時。
巻の谷に置いた観測装置がデータを蓄積し、源泉小屋の電話回線を通じて、約400キロ離れた研究室へ送ってくる。
地磁気強度 : ▲上昇(横ばい傾向)
岩盤温度 : +0.3度/週
地盤微振動 : 検出継続(微弱)
硫化水素濃度 : 変動あり
源泉湧出量 : 平常時の12%(3系統中1系統のみ回復)
亀裂開口幅 : +2ミリ(3週間)
俺は毎朝、研究室へ着くと、まずこの表を開いた。
電話回線が途中で切れていないか。センサーの電池電圧は落ちていないか。前日の値から不自然に飛んでいないか。
澄人が決めた確認項目を上から順に追い、判定基準の1段目を超えていないことを確かめて、ようやく息を吐く。
「……今日も、大丈夫か」
11月の終わりには、湯が一部だけ戻ったという連絡が来た。
3本ある源泉のうち、最も浅い1本だけが、以前の1割ほどの量で細々と出始めたらしい。
女将さんは電話口で、「これでお正月は、なんとか」と笑っていた。
ただし、客室の風呂をすべて満たせる量ではない。共同浴場へ湯を集め、宿泊客には時間を区切って使ってもらうと言っていた。
残る2本は、止まったままだった。
「……何も解決してねぇんだよな」
俺は、印刷した表を机へ置いた。
装置を置いた。警報の基準を決めた。町と県へ報告書を出した。サワイさんにも資料を送った。
それでも炉は動き続けている。湯は戻りきらない。県から届いたのは、「参考資料として受領した」という1行だけだった。
「灯」
隣の机で、澄人が言った。
「今週、お前が『何もなかった』って言ったの、これで5回目だ」
「……そうか?」
「そうだ。そのたびに機嫌が悪くなってる」
俺は答えられなかった。
澄人は、送られてきた記録を日付順に綴じながら続けた。
「変化がないことも、観測結果だ」
「…………」
「何も起きなかった日を残さなければ、何かが起きた日の意味が分からない。平常時の幅が分からなければ、どこからが異常なのかも決められない」
彼は、厚くなり始めたファイルの背を指で叩いた。
『鳴瀬・巻の谷 観測記録 2004』
「この中には、センサーの型番、校正日、送信に失敗した時刻、現地で富沢さんが確認した天候まで入ってる。将来、誰かが同じ場所を調べるとき、最初に必要になる資料だ」
俺は、その背表紙を見つめた。
前世のあの日も、きっと誰かが何かを測っていたはずだ。
測っていたのに、届かなかった。届いても、意味を読み取れなかった。あるいは、平常時の数字がなくて、異常だと断定できなかった。
「……悪い。腐ってた」
「知ってる」
澄人は、顔も上げなかった。
◇◇◇
12月に入って、俺は別の宿題へ本格的に取りかかった。
加速度支持装具・試作0号。
ノートの表紙にはそう書いたが、実物を見たゴウは、「外骨格もどきだな」と言った。
否定はできなかった。
設計方針は、最初から絞っていた。
筋力を増幅する装置ではない。
目的は1つ。高いGがかかった際に、血液が下半身へ偏るのを抑え、首と脊椎へ集中する荷重を外側の構造へ逃がすこと。
構成は、次のとおりだ。
・脚部および腹部を圧迫する加圧バッグ
・3軸の加速度センサー
・圧力を個別制御する電磁弁(12系統)
・腰部に置く小型の蓄圧タンク
・首と脊椎を支える軽量フレーム
・電源喪失時に圧力を抜く開放機構
・心拍、血圧、末梢血流、血中酸素の計測端子
・機械式の緊急解除レバー
「要するに、空気で脚と腹を締める服だな」
図面を見た健三さんは、あっさり要約した。
「戦闘機乗りが着るやつだろ。あれと何が違う」
「一番の違いは、締める場所とタイミングを変え続けることです」
俺は、工場のホワイトボードに加速度と圧力の波形を描いた。
「急にGが立ち上がると、身体が反応する前に血液が下へ落ちます。試作0号では、加速度の方向を検出して、必要な部分だけを締める。目標は、検出から有効な圧力が出るまで0.05秒です」
「0.05秒って、弁が動くだけで終わらねぇか」
「だから、空気を遠くから送らない。腰と太腿の近くに小さな蓄圧部を置いて、チューブも短くします」
「それでも、実際に袋が膨らむまで時間は食うぞ」
「分かってます」
俺は、もう1本の波形を描き足した。
「将来、機体へ載せる段階では、加速度を受けてから反応するだけじゃ足りません。操縦入力と機体姿勢から、次にかかるGを予測して、立ち上がる前に予圧する必要があります」
「……機体と服を、同じ制御系で動かすのか」
「はい。ただ、今は機体がない。まずは装具だけで、どこまで速く、安全に圧を動かせるかを確かめます」
健三さんは図面をしばらく睨み、それから鼻を鳴らした。
「やることだけは、でけぇな」
フレームは、相沢製作所で作った。
最初はアルミ合金から人体に沿った曲面を削り出そうとしたが、材料も時間も食いすぎる。
最終的には、俺が背中の曲線を12枚の断面へ分け、健三さんが薄い部材を1枚ずつ削った。位置を調整できる継手でつなぎ、身体へ直接当たる部分には樹脂製の受けを入れた。
「人間の背中ってのは、図面にすると面倒だな」
「左右対称でもないですからね」
「お前の姿勢が悪いだけじゃねぇのか」
「……それもあります」
制御基板は、俺と澄人で組んだ。
「加速度センサーはこれ。半導体式の3軸」
澄人が、秋葉原で買ってきた小さな部品をピンセットでつまんだ。
「出典はメーカーのデータシート。標本化は最大1キロヘルツ。ただし、カタログ値どおりに取れるとは限らない。実装後に振動試験をする」
「マイコンは?」
「これ。12系統を同時に制御するには余裕がない。処理を絞るか、2枚に分ける」
「2枚に分けると、同期がずれる」
「だから記録する。ずれたら、どの条件でずれたかを残す」
「……お前、本当に記録が好きだな」
「好きなんじゃない。後から再現できない作業が嫌いなんだ」
年末までに、形だけはできた。
ただし、すぐ人間には着せなかった。
砂袋を入れた人形へ装着し、加圧と開放を200回繰り返す。チューブを折る。電源を切る。センサーを1つ外す。誤った信号を入れる。
壊し方を変えながら、壊れたときに何が起きるかを確かめた。
それでも工場の隅へ吊るされた試作0号は、金属フレームへ無数のチューブと空気袋が絡みついた、明らかに不気味な何かだった。
「……人の形に近い物って、どうしてこう怖いんだろうな」
ゴウが呟いた。
「中身がいないからじゃないか」
澄人が答えた。
「余計に怖くなったぞ」
◇◇◇
最初の人体試験を予定したのは、年明けの1月10日だった。
「じゃあ、着ます」
俺がフレームへ足を入れようとした瞬間、後ろから襟首を掴まれた。
「待て、馬鹿」
ゴウだった。
「なんだよ」
「お前が最初に着るのかよ」
「俺が乗るんだから、俺が着るだろ」
「じゃあ、俺が先に着る」
「は?」
「俺のほうが身体でかいし、頑丈だ。壊れるなら、俺で壊れとけ」
俺は、ゴウの顔を見た。
冗談ではなかった。
「駄目だ」
「なんでだよ!」
「体格が違えば、加圧する位置も圧力も変わる。俺向けに作った装具をお前が着ても、意味のあるデータにならない」
「じゃあ、お前が壊れてもいいのかよ!」
ゴウが、俺の胸ぐらを掴んだ。
「お前を守る服を作ってるのに、それでお前を壊したら意味ねぇだろ!」
工場が静まり返った。
俺は、掴まれたまま動けなかった。
「……鈴木君」
奥から、教授の声がした。
「相沢君の言うことが正しい。ただし、理由は少し違う」
教授は、俺の試験計画書を持って歩いてきた。
「君はいま、人間を対象にした実験を始めようとしている」
「……はい」
「ならば、本人の覚悟だけで始めてはならん。試験手順、中止基準、緊急時の対応、医師の立ち会い。それに、大学の承認が要る」
「そこまで、必要ですか」
口に出した瞬間、自分でもまずいと思った。
教授の目が細くなった。
「必要だ。君が自分の身体をどう扱おうと勝手だ、とは言えん。これは個人の工作ではなく、大学の設備と人員を使った研究だ」
「灯」
澄人が、俺のノートを持ち上げた。
「これも見た。お前の手順、成功した場合の条件しか書いてない」
「え?」
「加圧が0.05秒で入る。血圧が維持される。しびれが出ない。全部、『こうなれば成功』だ」
澄人はページをめくった。
「どの数値になったら止めるのかが、1行もない。これは実験じゃない。度胸試しだ」
俺は、拳を握ったまま俯いた。
前世の俺なら、自分1人が傷つくことに、ここまで文句を言う人間はいなかった。
今は、違う。
「…………分かった」
「分かればいい」
ゴウが、ようやく手を離した。
◇◇◇
試験は、2週間延期された。
教授が医学部と保健管理センターへ頭を下げ、大学内の手続きを通した。立ち会いを引き受けてくれたのは、保健管理センターの
40代の、声も表情も恐ろしく事務的な医師だった。
「装着時間は最大20分。収縮期血圧が設定値を外れたら中止。末梢の脈波が落ちた場合も中止。しびれ、痛み、呼吸苦、めまい、視野の異常。どれか1つでも訴えたら、その時点で終了します」
「はい」
「本人が『まだ大丈夫です』と言っても、私が止めると判断したら止めます」
「……はい」
「返事が弱いですね」
「はい」
「よろしい。それと、試験前の3日間は睡眠と食事を記録してください。脱水した状態では試験をしません」
「分かりました」
そして、1月24日。
保健管理センターの傾斜台へ試作0号を固定し、周囲へ血圧計、心電計、末梢脈波計、血中酸素計を並べた。
今日は高Gをかける試験ではない。
身体を水平から起立位へ傾け、血液が下半身へ移る状況で、装具がどのように働くかを見るだけだ。
それでも、俺の心拍数は試験前から高かった。
「緊張していますか」
真壁先生が、俺の瞳孔をペンライトで確かめながら訊いた。
「……少し」
「少しではないですね。数字に出ています」
俺は何も言えなかった。
前世の記憶にある操縦席。
ペナルティゾーンで何度も座らされ、身体が覚えてしまった加速と警報音。
その一部を、今度は自分の手で現実へ持ち込もうとしている。
「鈴木さん」
「はい」
「不安なのは悪いことではありません。不安を感じる人のほうが、確認をします」
真壁先生は、モニターの波形を確認した。
「今日は装置の性能より、危険な状態へ入る前に止められるかを見ます。気負わなくて結構です」
その一言で、肩から少しだけ力が抜けた。
「灯。俺、すぐそこにいるからな」
部屋の隅で、ゴウが言った。
「何もできねぇだろ、お前」
「腕くらい掴める」
澄人はノートパソコンを膝に置き、すでに記録を始めていた。
「14時3分。装着開始。センサー同期、確認」
教授は入り口近くの椅子へ座り、黙ってこちらを見ていた。
俺は試作0号へ足を通した。
冷たい金属が背中へ触れる。加圧バッグが脚と腹へ巻きつく。胸の電極が、心拍に合わせて微かに震えた。
「……着ます」
俺は初めて、試作0号を着た。
結果は、惨敗だった。
1つ目。加圧が遅い。
加速度センサーが傾斜の変化を拾ってから、脚部が有効圧へ達するまで0.31秒。
目標の6倍以上だった。
「……どこで食ってる」
「弁だけじゃない」
澄人が記録を追った。
「演算に0.04秒。命令送信に0.02秒。弁の作動と圧力の立ち上がりで、残り全部」
「チューブも長いな」
健三さんが、腰から脚へ伸びる配管を指した。
「空気は電気みてぇには走らねぇ。圧が伝わるまでに時間を食う」
2つ目。締めすぎた。
装着から9分を過ぎた頃、ふくらはぎから下の感覚が鈍くなった。
「真壁先生。右足、しびれてきました」
「中止」
即答だった。
圧を抜いて装具を外すと、脛へ赤黒い圧痕が残っていた。
「局所に圧が集中しています。このまま続ければ、血流を守る装置で血流障害を起こします」
3つ目。呼吸が苦しい。
腹部の圧迫は、血液が下へ偏るのを抑えた。
一方で、胸部まで同時に加圧すると、息を吸う動きを邪魔した。
「Gに耐えられても、呼吸ができなければ意味がないですね」
澄人が淡々と記録した。
4つ目。首が回らない。
脊椎フレームは、首へかかる荷重を確かに分散していた。
ただし、固定を優先しすぎた結果、左右を振り向ける範囲まで殺していた。
「これ、後ろ見えないぞ」
試験後にゴウがフレームを当てて言った。
「戦闘機で後ろを確認できねぇのは、致命的だろ」
「……致命的だな」
そして、5つ目。
低圧状態で緊急開放試験を行ったとき、開放弁が閉じたまま固着した。
「……開かない」
「手動解除!」
真壁先生の声が飛ぶ。
俺は腰のレバーを引いた。動かない。
「灯!」
「圧は低い。まだ大丈夫です」
「その判断を、あなたがしない!」
真壁先生が試験中止を宣言し、健三さんが工具を掴んだ。
最後は配管の継手を外し、空気を直接逃がした。
しゅう、と間の抜けた音が、部屋に響いた。
誰も、しばらく何も言わなかった。
「……実戦中だったら」
床へ座り込んだまま、俺は口にしていた。
「高い圧が残った状態で意識を失えば、解除する人間はいない。そのまま——」
「言うな」
ゴウが遮った。
その夜、俺はアパートへ戻り、システムの画面を開いた。
=========================================
【BASE STATUS/強化】
┣ 演算処理能力: F → E 500 SP
┣ 空間認識力 : F → E 500 SP
┣ 反応速度 : F → E 500 SP
┗ G耐性/肉体: F → E 500 SP
=========================================
4つとも、同じ値段だった。
それでも、俺が最初に選んだのは1つだけだ。
「演算処理能力を、上げる」
【演算処理能力:F → E】
頭の奥が、熱を持った。
複数のセンサー入力。弁の遅れ。圧力の伝播。呼吸周期。
これまで別々に考えていた条件が、線で結ばれていく。
※BASE STATUS上昇に伴い、ペナルティ規定が更新されます
「……分かってるよ」
俺は表示を閉じた。
G耐性/肉体には、手をつけなかった。
試験の途中で俺自身の身体条件を変えれば、装具の効果と身体強化の影響を切り分けられなくなる。
それに、判断、認識、反応は機体へ乗らなくても使える。設計にも、救助にも、これから先のすべてに必要だ。
身体は、今のまま基準として固定する。
足りないG耐性は、外から補う。
それが正しい選択かどうかは、まだ分からなかった。
◇◇◇
2月と3月は、失敗を1つずつ潰す作業に費やした。
加圧速度。
電磁弁を応答の速い型へ替え、蓄圧タンクを腰部から左右の太腿付近へ分散した。チューブを短くし、加圧バッグを小さな区画へ分ける。
0.31秒が0.14秒になり、0.09秒になった。
それでも、目標には届かない。
「装具だけで反応させる限界がある」
俺は波形を見ながら言った。
「実機では、操縦桿と推力の指令を先に受け取る。Gが立ち上がってからじゃなく、立ち上がる直前に予圧する」
「その入力端子だけ、今から残しておけ」
澄人が基板上の空き端子を指した。
「機体ができてから基板を全部作り直すよりましだ」
圧力分布。
脚部を3つの区画へ分け、足首側を弱く、太腿側を強くした。圧力センサーを増やし、左右差も個別に補正する。
しびれは出にくくなった。
呼吸。
胸部を常時締める設計は捨てた。
腹部の加圧を中心にし、胸郭の動きをセンサーで読み取って、息を吐く瞬間だけ圧を高める。
「装具に呼吸を合わせさせるんじゃない」
真壁先生が言った。
「装具のほうが、人間の呼吸に合わせなさい」
首の支持。
完全固定をやめ、普段は自由に動かせるようにした。
一定以上の荷重がかかった方向だけ、左右の支持材が受ける半拘束型へ変更する。
「これが一番面倒だったぞ」
健三さんは、削り直した継手を机へ置いた。
「動かしたい。でも、動きすぎると支えられねぇ。機械なら止めりゃ済むが、人間はそうはいかねぇな」
緊急開放。
ここは、設計を根本から変えた。
電気を流したときだけ閉じる弁を使い、断線や電源喪失が起きれば、自動的に圧が抜けるようにした。さらに、配管そのものを切り離す機械式の解除索を別系統で設けた。
「灯くん」
健三さんが、古い弁を指先で転がしながら言った。
「壊れない物を作るのは無理だ」
「……はい」
「だから、壊れたときにどうなるかを先に決めろ。危ねぇまま止まるのか、安全なほうへ倒れるのか。それが設計ってもんだ」
俺は、その言葉をノートの表紙に書いた。
システムの強化も、段階的に進めた。
2月3日。
【空間認識力:F → E】
2月12日。
【反応速度:F → E】
2月24日。
【演算処理能力:E → D】
3月3日。
【空間認識力:E → D】
3月10日。
【反応速度:E → D】
合計6000 SP。
数字だけを見れば、マクロス統合技術パックへ向かう道を、自分で遠ざけたことになる。
だが、買った瞬間に完成図が降ってくるわけではなかった。
見落としていた遅延へ気づきやすくなる。配管が身体の動きを邪魔する位置を、図面の段階で想像できる。警報が鳴った瞬間に、どの弁を開放すべきかを早く判断できる。
その程度の差が、試験を重ねるたびに積み上がった。
3月半ばには、試作0号は最初と別物になっていた。
重量は12キロから8.4キロ。
有効圧へ達するまで0.06秒。
連続装着時間は40分。
傾斜台試験では、装具を着けない場合よりも起立時の血圧低下が小さく、末梢の脈波も維持された。
緊急開放試験は、電源断、配線断、制御停止を含めて50回連続で成功した。
「……よく、ここまで持ってきましたね」
真壁先生が、試験結果を眺めて言った。
「ありがとうございます」
「褒めてはいません。次の質問です」
「はい」
「これで、何Gまで耐えられるんですか」
俺は答えられなかった。
「……分かりません」
「分からない?」
「実際のGをかけていないからです」
俺は資料の最後を開いた。
「傾斜台で分かるのは、姿勢変化に対する循環の補助までです。戦闘機で起きる急激な高Gでは、圧力の立ち上がりも、首への荷重も、呼吸も違う。本当に確かめるには、人体用の遠心加速度装置が要ります」
「大学には?」
「ありません。国内でも、防衛関係か航空医学の研究施設くらいです。学生が試作品を持ち込んで借りられる設備ではありません」
真壁先生は、吊るされた試作0号を見上げた。
「つまり、あなたたちだけでは、ここが天井ということですね」
「……はい」
従来の装具より速く、細かく加圧できる可能性は示せた。
故障時に、安全側へ圧を逃がすこともできた。
だが、本当に何Gまで人間を保たせられるのかは、証明できない。
証明するには設備が要る。
設備を持っているのは、国家か、それに準じる規模の組織だけだ。
(……また、外側か)
技術を積んだ。図面を引いた。物を作った。仲間もいる。
それでも最後の1段は、いつも自分たちの外にある。
俺は工場の床へ仰向けになり、天井から吊られた試作0号を見上げた。
蛍光灯の下で、人の形をした装具が、ゆっくりと揺れていた。
◇◇◇
封筒が届いたのは、その3日後だった。
3月18日。
「……鈴木君」
研究室へ入った俺に、教授が振り返った。
顔が、こわばっている。
「来た」
机の上に、上質な封筒が1通置かれていた。
差出人欄には、見慣れない名称が印刷されている。
『地球平和連合(TPC)設立準備室』
「——TPC」
思わず、その3文字を口にしていた。
前世の記憶では知っている。
だが、この世界で、その名が公的な組織の封筒へ印刷されているのを見るのは初めてだった。
(……始まったのか)
教授は封を切り、便箋を広げた。
俺は、その横から文面を追った。
『神宮寺 清 様
貴殿より提出された報告書ならびに添付資料について、当室にて内容を精査いたしました。
現時点で、提出資料に示された結論を承認することはできません。
当該現象を人工構造物に起因すると断定する科学的根拠は、なお不足していると判断します。
しかしながら、記録された現象そのものを看過することもできません。
つきましては、下記の資料および試料をご持参のうえ、指定日時にご来訪願います。
1.観測データの原本
2.測定機器の校正記録一式
3.未知の金属試料(現物)
4.黒岩・樽内・鳴瀬各地点の現地記録
5.神宮寺教授および調査助手による直接説明
なお、本件に関する一切の資料は、当方において機密として取り扱います。
地球平和連合(TPC)設立準備室
技術評価担当』
「……承認しない、と書いてありますね」
「そうだな」
「でも、来いとも書いてあります」
「そうだな」
教授は、便箋を持つ手を震わせながら笑った。
「つまり、こういうことだ。あの男は、我々を信じたわけではない」
「はい」
「無視した場合の危険のほうが大きいと判断した」
俺は、その言葉を噛みしめた。
信じてもらえなかった。
だが、確かめる価値があると認められた。
30年もの間、証拠のないことを話す変人だと言われ続けた人が、初めて「ならば、こちらでも確かめる」と返されたのだ。
「教授」
「うむ」
「これ、下を見てください」
俺は、便箋の最下部を指した。
印字ではなく、癖のある万年筆の字で、1行だけ書き加えられていた。
『——今度は、学生たちも一緒に。』
教授は、その1行を長い間見つめていた。
そして、便箋を胸へ押し当て、天井を仰いだ。
◇◇◇
4月1日。
俺は大学3年生になった。
新入生が構内を埋め、桜が咲き始めていた。
ゴウは、落とした必修を追試で拾い、どうにか一緒に3年へ上がった。澄人はすでに大学院の研究室を調べ始めている。
相沢製作所の隅には、試作0号が吊られたままだった。
まだ飛行には使えない。
何Gまで人間を守れるのかも分からない。
正式な名前すら決まっていない。
鳴瀬の湯は、3本のうち1本しか戻っていない。
炉は今も動き続けている。
何も完成していなかった。
だが、机の上には1枚の通知書があった。
『非公開技術聴取
日時:2005年4月14日 14時
場所:地球平和連合(TPC)設立準備室
出席予定:技術評価担当ほか
同伴者:神宮寺教授および調査助手3名』
俺は、その紙を両手で持って、しばらく眺めていた。
数か月前、俺は6畳1間の部屋で、3万SPという数字だけを見ていた。
1年前、俺は誰にも言わず、1人で坑道へ潜っていた。
今も、3万SPには届いていない。
炉も止められていない。
試作0号も未完成だ。
それでも。
(——ようやく、説明できる場所に立った)
前世の俺は、あの日、誰にも何も渡せないまま死んだ。
今度は違う。
渡す相手がいる。
渡すための記録がある。
そして、渡す場所ができた。
「……行くか」
俺は通知書を鞄へ入れた。
窓の外では、4月の風が、咲き始めた桜の枝を揺らしていた。
=========================================
【現在のステータス・スキル情報】
[BASE STATUS]
┣ 演算処理能力: D (UP)
┣ 空間認識力 : D (UP)
┣ 反応速度 : D (UP)
┗ G耐性/肉体: F
[ACQUIRED SKILLS & KNOWLEDGE]
┣【超古代言語理解 Lv.2】
┣【初級・機械工学/プログラム言語】
┣【中級・航空力学/制御アルゴリズム】
┣【上級・次世代エネルギー/流体力学】
┣【インファイト Lv.1】
┗【SPアップ Lv.1】
[SYSTEM DATA]
┣ 所持ポイント: 27,800 SP
┣ 残機数 : 3 / 3
┣ 保有サンプル : 未知の有機金属片 ×3(解析:31%)
┣ 開発中 : 加速度支持装具・試作0号(高G試験未実施)
┣ OT領域 : 【マクロス初代・統合技術パック】まで 残り 2,200 SP
┗ 予定 : TPC設立準備室・非公開技術聴取
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第19話をお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、試作0号の開発と、灯たちの記録がついにTPCへ届くまでのお話でした。
まだ何も完成してはいません。
それでも、一人で進んでいた灯の道は、少しずつ世界へつながり始めています。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。