鋼鉄の灯火は深淵を照らす—超古代の厄災と、メカオタクの生存戦略—— 作:カノープス・ギア
積み重ねてきた記録と、未完成の試作0号は、そこで何を動かすのでしょうか。
新たな出会いと、それぞれの想いが交わる第20話。
どうぞお楽しみください!
2005年4月14日。
TPC設立準備室は、都心の外れにある新しいビルの6階にあった。
エントランスの案内板に、その名前は載っていなかった。
6階の欄には「準備室」とだけ書かれている。
「……看板もねぇのかよ」
ゴウが、ネクタイを何度も締め直しながら呟いた。
「お前、それ上下逆だぞ」
「はぁ!?」
澄人が呆れた顔で、ゴウのネクタイを解いて結び直してやっていた。
俺たち学生3人は、慣れないスーツを着ていた。ゴウのそれは明らかにサイズが合っていない。
成人式で親戚に借りたものだそうだ。
教授だけが、いつもの着古したジャケットだった。
「教授、スーツは」
「私はこれでいい」
教授は、袖口の擦り切れを指で撫でた。
「30年、この格好で笑われてきた。今日だけ着替えるのは、筋が通らん」
通されたのは、簡素な会議室だった。
長机が1つ。椅子が10脚。壁には何も掛かっていない。
窓の外に都心の風景が広がっているのに、部屋の中だけが妙に殺風景だった。
俺たちは指示された側に並んで座り、そして——15分、誰も来なかった。
「……忘れられてんじゃねぇの」
「単に前の打ち合わせが延びてるんだろ」
澄人が小声で言い、壁の時計と受付でもらった来訪票の時刻を見比べた。
「15分なら誤差だ。資料を最後まで見直す」
「……お前、そういうとこ怖ぇな」
俺は、鞄の中身をもう一度確認した。
観測データの原本。校正記録の綴り。金属試料の容器。黒岩・樽内・鳴瀬の現地写真。
そして、外骨格の設計図と試験記録。
1年半かけて集めたものの大半が、この鞄1つに収まっていた。
(……軽いな)
そう思った瞬間、扉が開いた。
◇◇◇
入ってきたのは、2人だった。
先に入った白衣の男は、50歳前後だろうか。
神経質そうな細い顔で、こちらを一瞥もせずに席へ向かった。
そして、その後ろ。
俺は、思わず息を止めた。
50代後半。がっしりした肩。日に焼けた肌。
テレビの国際会議の映像で、何度か見た顔だった。
だが——映像で見るのと、目の前にいるのとでは、まとう空気がまるで違った。
「お待たせしました」
低く、静かな声だった。
「サワイです」
教授が、椅子を鳴らして立ち上がった。
「……お久しぶりです」
「30年ぶりですかな、神宮寺先生」
サワイは、教授の顔をまじまじと見た。
「あの学会で壇上に立っていた頃の面影が、まだ残っている」
「あなたも、目つきは変わっておられませんな」
「よく言われます」
2人は、しばらく黙って見つめ合っていた。
30年前、壇上で笑われた男と、会場でただ1人だけ笑わなかった男。
その2人が、今、同じ机を挟んでいる。
俺は、なぜか喉が詰まった。
◇◇◇
「技術評価担当の、
白衣の男は、名乗ってから初めてこちらを見た。
そして、資料の束を机に広げた。
「先に申し上げます。あなた方の観測データは、精度が高い」
意外な出だしだった。
「地磁気の測定手法、基準の取り方、時系列の管理。いずれも学術水準を満たしています。
特に、3地点の観測値を規格化し、時間変化を重ねた解析は——」
久保田は、そこで一度言葉を切った。
「正直に申し上げると、我々の初期解析より、優れていた」
「……ありがとうございます」
「褒めているわけではありません」
即座に切り返された。
「精度が高いからこそ、厄介なのです」
久保田は、資料の一点を指で叩いた。
「あなた方は、この構造物を『人工物である』と断定していない。それは正しい判断です。だが——行間で、そう読ませようとしている」
俺は、身を硬くした。
「『既知の自然現象だけでは説明が困難』『同種の異常が他地点にも存在する可能性』。
……こういう書き方をする人間は、自分の中で答えを持っている」
「…………」
「違いますか」
俺は、答えられなかった。
図星だった。
あの報告書を書いたとき、俺は澄人と教授に何度も削られながら、それでも最後の一線まで寄せて書いた。
「……はい。持っています」
俺は、正直に答えた。
「ですが、証明できないので書きませんでした」
久保田の眉が、わずかに動いた。
◇◇◇
「では、順番に確認していきます」
久保田は、俺たちの持ち込んだ観測ノートを開いた。
「まず、鳴瀬の亀裂開口幅の測定。この治具は、市販品ではありませんね」
「はい。自作です」
「精度の保証は」
「ダイヤルゲージで校正しました。記録は綴じ込み資料の14ページです」
「……本当だ。あるな」
久保田は、次のページをめくった。
「黒岩の坑内温度。これはどうやって測った」
「K型熱電対です。坑口の基準点と比較しながら、深度ごとに測りました」
「基準の取り直しは」
「3時間ごとです。周囲温度と配線条件の変化で、指示値がずれる可能性があるので」
久保田の指が、止まった。
「……そこまで確認したのですか」
「はい。冷接点補償と接続部の状態も、基準点へ戻るたびに確認しました」
そこまで答えて、俺は言葉を止めた。
久保田が、じっとこちらを見ていた。
(……喋りすぎた)
大学2年までしか終えていない学生が、初対面の専門家と、こんな速度で計測条件をやり取りする。それ自体が不自然だ。
「灯」
隣で、澄人が口を開いた。
「校正記録は、資料番号5のファイルだ。出そう」
そう言って、澄人は分厚いファイルを久保田のほうへ押し出した。
「柏木です。測定条件と出典の管理を担当しました。……気になる項目があれば、全部そこに残っています」
久保田の視線が、澄人へ移った。
俺は、机の下で拳を握った。
(……助かった)
澄人は、俺のほうを見なかった。
◇◇◇
次に机に置かれたのは、金属試料の容器だった。
久保田が手袋をはめて、それを取り出す。
その前に、試料番号と封印の状態を澄人が読み上げ、久保田が受領票へ署名した。
採取地点、採取日時、保管者。どの試料が、いつ、誰の手を経たかを記録に残すためだ。
手のひらに収まるほどの、黒い破片。指先に、今も温かさが残っているはずの。
「提出された分析記録と、事前に受領した微小切片をこちらでも確認しました」
久保田の口調が、初めてわずかに硬くなった。
「……通常の硬度試験では、安定した値を取得できませんでした」
「はい」
「密度測定では値が揺らぐ。加熱しても、投入した熱量に見合う温度上昇を示さない。通常条件のX線回折では、既知物質に対応する明瞭なピークを同定できない。……そして」
彼は、報告書のページをめくった。
「生体由来の可能性を否定できない微量成分」
部屋の空気が、変わった。
そこまで黙っていたサワイが、初めて口を開いた。
「これは、どこで採取されたものですか」
俺は、教授を見た。
教授は、小さく頷いた。
「……黒岩鉱山の坑道から1点。樽内の遺構から2点です」
「黒岩鉱山」
サワイは、資料を捲った。
「昭和41年、落盤事故。死者3名。……遺体は収容されていない」
「はい」
「樽内は、ダムに沈んだ集落ですね。行方不明者は」
教授の声が、わずかに震えた。
「……1名、います」
「どなたですか」
「私の、兄です」
——サワイの動きが、止まった。
「昭和25年の夏に、奥の沢という谷へ入って、戻りませんでした。当時、私は8つでした」
教授は、鞄から1枚の写真を取り出して、机に置いた。
岩に彫られた、粗い2つの文字。
『正一』
『きよし』
「昨年2月、湖底に現れた谷で、これを見つけました。……兄が彫ったものです」
「きよし、というのは」
「私の名です」
サワイは、その写真を長いこと見ていた。
会議室に、空調の音だけが響いていた。
やがて、サワイは静かに口を開いた。
「神宮寺先生」
「はい」
「30年前、私はあなたに質問をしました」
「……はい」
「あなたは今回、その答えを手紙に書いてくださった。『答えは、あなたが今なさっていることです』と」
サワイは、写真を丁寧に教授のほうへ戻した。
「では、私からも1つ、お約束したい」
「…………」
「この試料に含まれる成分が、失踪者に由来する可能性は、現段階では否定も肯定もできない」
サワイは、久保田のほうを見た。
「久保田君。この件は、単なる材料分析として扱うな」
「……と、言いますと」
「身元確認と、ご遺族へ返還できる可能性を検討する鑑定として扱え。法医学と材料分析の専門家を入れ、関係機関とも調整しろ。黒岩の3名についても、当時の記録を辿ってご遺族を探す」
久保田が、目を見開いた。
「……それは、かなりの工数になりますが」
「構わん。私が承認する」
そして、サワイは教授に向き直った。
「時間はかかります。40年、50年以上前の資料です。何も出ないかもしれない」
「……はい」
「それでも、探します。お約束します」
教授は、机に両手をついたまま、深く頭を下げた。
頭を上げなかった。
しばらく、上げられなかった。
俺は、その隣に座って、ただ前を見ていた。
(……届いた)
「連れて帰る」と教授が岩に向かって言ったのが、去年の二月だ。
学生3人と老いた研究者では、どうやっても届かなかったもの。
それが今、国家の枠を超えた組織の力に、繋がった。
◇◇◇
「さて」
サワイが、話を戻した。
「本題です。あなた方は、今後どうするおつもりか」
俺は、鞄から最後の資料を取り出した。
加速度支持外骨格・試作0号。
設計図と、3か月分の試験記録。
「……なんですかな、これは」
久保田が、身を乗り出した。
「高い加速度から人体を守るための装具です」
俺は説明した。
血液が下半身へ落ちるのを防ぐ加圧機構。従来型の耐Gスーツより細かく加圧を制御し、試作機では検知から加圧開始まで0.06秒に短縮できたこと。首と脊椎の荷重を分散する半拘束フレーム。電源が落ちたら自動で開く安全弁。
久保田は、図面を隅から隅まで見て、そして顔を上げた。
「……これ、あなたが設計したのですか」
「はい。製作は、町工場の職人さんに手伝ってもらいました」
「町工場ですか」
「相沢製作所といいます」
ゴウが、慌てて頭を下げた。
久保田は、しばらく図面を睨んでいた。
「……この安全弁の設計思想は、悪くない。というより、正しい。誰の発想ですか」
「うちの親父です」
ゴウが、即答した。
「壊れたときにどうなるかを先に決めとけって、それが安全だって」
久保田は、初めてわずかに笑った。
「……その通りです」
そして、真顔に戻った。
「で、鈴木さん。この装具、何Gまで保つのですか」
「分かりません」
「分からない?」
「Gがかけられないんです」
俺は、机の上で手を組んだ。
「本当に確かめるには、遠心加速度装置が要ります。国内に数えるほどしかない。……大学生が『試作品を試させてください』と言って、借りられるものではありません」
久保田は、資料を閉じた。
そして、サワイのほうを見た。
サワイは、少しの間、天井を見上げていた。
「久保田君。うちで試験できるか」
「……防衛庁の共同利用施設に1基あります。手続きは面倒ですが」
「手続きは私が通す」
即断だった。
俺は、息を呑んだ。
◇◇◇
「ただし」
サワイは、こちらを見た。
「条件がある」
「……はい」
「1つ。試験に必要な範囲で、この装具の設計図と試験データを提出していただく。資料は機密として管理し、相沢製作所と大学、そして設計者の権利と貢献を記録に残す。改良や製造へ進む場合は、別途契約を結びます」
俺の指が、わずかに動いた。
(……奪う、ではないのか)
これは、俺が描いた図面だ。健三さんが削り、ゴウが運び、澄人が記録し、真壁先生が止めながら3か月かけて育てたものだ。
サワイは、それを当然のように取り上げるのではなく、誰が作ったものかを残すと言った。
「2つ。あなた方には今後、当室の技術協力候補として、調査と開発を継続していただきたい。学生である以上、正式な身分や責任範囲は大学とも協議する必要があります」
「3つ」
サワイの声が、少しだけ低くなった。
「今後、あなた方だけで遺構へ立ち入ることを禁じます」
「——え」
思わず声が出た。
「あなた方は、40年前に3人を飲み込んだ坑道に、学生1人で潜っている。……無謀にもほどがある」
「……はい」
「調査は、こちらの人員と装備で行います。あなた方は同行してもらうが、先頭は歩かせない」
俺は、俯いた。
正しい。何もかも正しい。
だが——これは、俺が積み上げてきたものを、自分たちだけの手から外へ渡すということでもあった。
「……鈴木君」
隣で、教授が小さく言った。
「これは、負けではない」
「……」
「30年、私は誰にも渡せなかった。渡す相手がいなかったからだ。……検証できる相手へ渡せるというのは、それだけで前進だよ」
俺は、顔を上げた。
「……分かりました。お受けします」
◇◇◇
「1つ、伺ってもよろしいですか」
俺がそう言うと、サワイは頷いた。
「鳴瀬温泉のことです」
「ああ」
「あそこには、300人が住んでいます。地下で、炉——構造物が動いています。俺たちは、観測装置を置いただけです」
俺は、机の上で拳を握った。
「住民には、何も伝えていません」
サワイの目が、こちらを向いた。
「なぜ、伝えなかった」
「……証明できなかったからです。それと」
言葉に詰まった。
「言ったところで、どこへ逃げろと言えばいいのか、分かりませんでした」
会議室が、静かになった。
サワイは、しばらく黙っていた。
そして——静かに、こう言った。
「住民へ断定的な説明をしなかったこと自体は、妥当です」
「……え」
「証明できないことを、権限も避難先も持たない者が告げれば、混乱だけが先に立つ。旅館は潰れ、地価は落ち、それでも地下の現象は止まらない。……人命被害がなくても、町だけが先に死ぬことがある」
「…………」
「だが」
サワイは、俺を真っ直ぐ見た。
「権限と手段を持つ側が、検証もせずに黙るのは罪です。」
彼は、久保田のほうを向いた。
「鳴瀬を当室の監視案件へ組み込め。大学の観測装置を暫定運用しながら、関係機関の機器で再測定する。地滑り、陥没、火山性ガスへの防災対策として、群馬県と避難基準を協議してください」
「承知しました」
俺は、机の下で、両手を強く握った。
(……動いた)
俺1人では、どうやっても動かせなかったものが、サワイの指示を起点に動き始めた。
もちろん、一言だけで避難計画が完成するわけではない。県との協議も、再測定も、予算の確保も必要になる。
それでも、責任を引き受ける人間が現れたことで、止まっていた歯車が噛み合った。
嬉しかった。そして——悔しかった。
◇◇◇
「最後に1つ」
サワイが、席を立つ間際に言った。
「鈴木さん。あなたは、なぜここまでやる」
俺は、しばらく答えを探した。
前世のことは言えない。システムのことも言えない。
だが、この問いにだけは、嘘のない答えがあった。
「……間に合わせたいんです」
「間に合わせる」
「災害が起きたとき、いつも何かが足りません。重機、通れる道、人手、情報、時間」
俺は、自分の掌を見た。
あの日、爪が割れるまで瓦礫を掻いた掌を。
「足りないまま、間に合わなくなる瞬間があります。……俺は、それを1つでも減らしたい」
サワイは、しばらく俺を見ていた。
そして、初めてはっきりと笑った。
「30年前、私が神宮寺先生に聞いた質問を、覚えていますか」
「はい。手紙で読みました」
「『あなたの説が正しかった場合、人類は何をすべきですか』」
サワイは、窓の外へ目をやった。
「あの日から私は、その答えを探して組織を作ってきた。……今日、その続きを、20歳の口から聞くことになるとは思わなかった」
彼は、俺に手を差し出した。
「正式な受け入れについて、前向きな返事を期待していただいていい」
俺は、その手を握った。
分厚くて、硬い手だった。
——健三さんの手と、少しだけ似ていた。
◇◇◇
ビルを出たのは、日が傾き始めた頃だった。
「……終わったァ」
ゴウが、ネクタイを引き抜きながら、その場にへたり込んだ。
「終わってねぇよ。始まっただけだ」
澄人が言った。
「遠心加速度試験の日程、来週には連絡が来るらしい。……灯、あれ乗るの誰だ」
「……俺だ」
「だよな」
俺は、都心のビル群を見上げた。
炉は止まっていない。外骨格は完成していない。三万SPにも届いていない。
図面は全部渡した。単独で潜ることも禁じられた。
得たものより、手放したもののほうが多い日だったかもしれない。
だが。
(……鳴瀬に、避難計画を作る道ができた)
俺たちだけでは届かなかった行政と専門機関へ、あの人は責任を引き受けたうえで手を伸ばした。
(……ああいう仕組みが、要るのか)
鉄だけでは、足りない。
人を動かす仕組みが、要る。
「教授」
「うん」
「良かったですね」
教授は、しばらく黙っていた。
それから、空を見上げた。
「……正一。聞いたか」
誰に向けた言葉でもなかった。
俺たちは、駅へ向かって歩き出した。
四月の風は、まだ少し冷たかった。
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【現在のステータス・スキル情報】
[BASE STATUS]
┣ 演算処理能力: D
┣ 空間認識力 : D
┣ 反応速度 : D
┗ G耐性/肉体: F
[ACQUIRED SKILLS & KNOWLEDGE]
┣【超古代言語理解 Lv.2】
┣【初級・機械工学/プログラム言語】
┣【中級・航空力学/制御アルゴリズム】
┣【上級・次世代エネルギー/流体力学】
┣【インファイト Lv.1】
┗【SPアップ Lv.1】
[SYSTEM DATA]
┣ 所持ポイント: 28,850 SP
┣ 残機数 : 3 / 3
┣ 保有サンプル : 未知の有機金属片 ×3(受領記録を作成し、TPCへ一時預託/解析:31%)
┣ 開発中 : 加速度支持外骨格 試作0号(遠心加速度試験・日程調整中)
┗ 特記 : TPC技術協力候補(手続中)/学生のみでの遺構立入を禁止
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第20話をお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、灯たちがサワイと出会い、集めてきた記録や技術をTPCへ託すお話でした。
自分たちだけで抱え込まず、力を持つ誰かへ渡すことも、人を救うために必要な選択です。
長い間止まっていたものが、ようやく動き始めました。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。