鋼鉄の灯火は深淵を照らす—超古代の厄災と、メカオタクの生存戦略——   作:カノープス・ギア

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試作1号の再試験へ挑む灯たち。

目指すのは、ただ高い数字へ到達することではありません。

仲間たちが積み重ねた技術と想いを背負い、今度こそ自分の意思で帰ってこられるのか。

そして試験の先では、新たな力と未知の反応が待っています。

どうぞお楽しみください!


鋼は帰還を選ぶ

 

 

8月下旬の相沢製作所は、今年も地獄のように暑かった。

 

トタン屋根は昼前から熱を抱え込み、3台の扇風機は熱風をかき回しているだけだ。

旋盤の油と、切削液と、焼けた金属の匂いが混じる。

 

ただし、去年の夏とは違うものがあった。

 

工場の隅に、新しい事務机が1つ増えている。

 

そこで伝票の山と格闘しているのが——美園(みその)さんだった。

 

「相沢さん。この加工、材料費が合いません」

 

「え。合ってるだろ」

 

「合っていません。前回、同じ部品を作ったときの記録があります。同じチタン材、同じ寸法です。それなのに今回は、材料の請求額が1.4倍になっています」

 

美園さんは、開いたファイルの数字を指した。

 

24歳。簿記と原価計算の資格を持ち、この春から節子さんの補助として働き始めた。小柄で声も静かだが、数字の食い違いには一切容赦がない。

 

「……なんでだ?」

 

「おそらく、材料の取り方です。前回は1本の丸棒から2個取れています。今回は1個ずつ切り出している。端材の形も違いますから、歩留まりが落ちています」

 

ゴウが、目に見えて嫌そうな顔をした。

 

「そこまで見るのかよ……」

 

「見ます。それが私の仕事ですから」

 

美園さんはファイルを閉じると、今度は別の薄い帳面を差し出した。

 

「それと、加工時間も合っていません」

 

「材料だけじゃねぇのかよ」

 

「相沢さんが、作業票に時間を書いていないからです」

 

「親父と一緒にやったから、どっちが何時間か分かんなくて」

 

「分からないなら、次から分かるように記録してください。人件費を入れずに安く見せても、次に同じ金額で受けたとき苦しくなるのは工場です」

 

「……はい」

 

工場でも研究室でも声の大きいゴウが、美園さんの前では不思議なくらい素直だった。

 

美園さんは、ようやく俺のほうへ向き直った。

 

「鈴木さん。その外骨格、うまくいけば、いずれ複数作るんですよね」

 

「はい。まだ、その前段階ですけど」

 

「なら、性能と同じくらい、記録が必要です」

 

机の上へ、分厚いファイルが置かれた。

 

『加速度支持外骨格 試作1号 製造・変更記録』

 

「部品ごとの製造番号。材料の規格とロット。加工日、担当者、工作機械、工具。不具合が出た部品の交換履歴。設計変更の理由と、変更前後の図面番号。分かる範囲で整理しました」

 

俺は、恐る恐るファイルを開いた。

 

試作0号から1号まで、俺と健三さんが半ば行き当たりばったりで削ってきた部品の一つ一つに、番号が振られている。

 

どの材料から削り、いつ取り付け、どの試験のあとで交換したのか。

 

俺のノートでは「首部フレーム改良」と1行で済ませていた部分が、美園さんの記録では、図面3枚と加工票と材料証明書に分けられていた。

 

「……これ、いつの間に」

 

「春から少しずつ。節子さんと健三さんにも確認してもらいました」

 

「親父、こんなの書いてたのか?」

 

ゴウが覗き込むと、奥の旋盤から健三さんの声が飛んできた。

 

「美園ちゃんに書かされてんだよ! お前も手ぇ動かした時間くらい書け!」

 

「親父までそっち側かよ!」

 

「そっちも何も、金払ってもらう側だろうが!」

 

美園さんは、そのやり取りを無視して続けた。

 

「同じものをもう1着作るとき、同じ品質で、同じくらいの費用と期間で作れなければ、製品とは呼べません」

 

彼女は、試作1号を見た。

 

「1着だけ動くものは、すごい工作です。でも、2着目も同じように動いて、壊れた部品を交換できて、初めて装備になります」

 

俺は、試作1号へ目を向けた。

 

速く加圧する。身体を支える。危険を検知する。

 

これまで考えていたのは、目の前の1着をどう動かすかだけだった。

 

だが、人を守る装備として本当に使うなら、1着目を作った俺たちがいなくても、同じものを作り、直せなければならない。

 

同じものを、もう一度作れるか。

 

その視点は、システムから得た知識のどこにもなかった。

 

「……ありがとうございます」

 

「お礼を言われることではありません。仕事です」

 

美園さんは淡々と答え、事務机へ戻っていった。

 

ゴウが、その背中をちらちら見ながら俺へ耳打ちした。

 

「……な。すげぇだろ」

 

「お前、美園さんに出す作業票だけ字が丁寧だな」

 

「うるせぇ!」

 

声は大きかったが、耳まで赤かった。

 

 

◇◇◇

 

 

警告判定の最終検証は、澄人が担当した。

 

そして今年から、その隣にはもう1人いる。

 

遠野(とおの)さん。

 

情報系のゼミで、澄人とデータベースの課題を組んでいる学生だ。背が高く、口数は少ない。2人が並んで画面へ向かっていると、別々の処理を同時に走らせている計算機のように見えた。

 

ただ、よく見ると役割は違う。

 

澄人は、情報をできる限り拾おうとする。

 

遠野さんは、その情報を誰がどう使うのかを確かめる。

 

「見逃しが2件」

 

遠野さんが、モニターの一覧を指した。

 

「過去の傾斜台試験と遠心機試験の記録から、名前と日時を外して、正解の判定を伏せた。警告プログラムへ通した結果、実際には危険域だったのに、第1段階の『注意』で止まった記録が2件ある」

 

「見逃し率は」

 

「危険データだけなら、約8%」

 

「高すぎる」

 

澄人は即答し、キーボードへ手を伸ばした。

 

「近赤外の閾値を下げる。心拍の変化率も足す。加速度の累積時間と、呼吸周期の乱れ、それから——」

 

「柏木くん」

 

遠野さんが、静かに遮った。

 

「それを全部入れたら、なぜ警告が鳴ったのか説明できる?」

 

「説明?」

 

「試験のあと、久保田さんに聞かれるでしょう。『この時点で、なぜ第2段階を出したのか』って。そのとき、『7つの条件を重みづけして総合判定しました』とだけ答えるの?」

 

澄人の手が止まった。

 

「判定式と重みは出せる」

 

「式を見せることと、現場の人が理由を理解できることは違う」

 

遠野さんは、試験中に管制へ表示する予定の画面を開いた。

 

そこには『危険』という赤い文字だけが表示されていた。

 

「この表示を見た人は、何を確認すればいい? センサーのずれなのか、呼吸が崩れたのか、本当に意識を失いかけているのか。それが分からなければ、止めたあとで原因を直せない」

 

「……」

 

なぜ鳴ったか分からない警報は、鳴らない警報と同じくらい怖い

 

俺は、その言葉に顔を上げた。

 

「それ、俺も似たことを言われました」

 

「誰に?」

 

「保健学科の人です。人体を機械の付属品だと思っていないか、って」

 

「……いい人ですね」

 

遠野さんは、わずかに笑って画面へ戻った。

 

澄人はしばらく黙り、やがて追加しかけた条件を1つずつ消し始めた。

 

最終的に残したのは、3つの系統だった。

 

脳表付近の酸素化変化。

循環と呼吸の変化。

そして、加速度に対する反応遅延。

 

1つだけなら『注意』。

互いに独立した2系統が同時に悪化すれば『警戒』。

3系統が揃うか、反応が規定時間を超えれば、装着者の申告を待たず管制側で中止する。

 

さらに管制画面には、警告の理由を短く表示する。

 

『酸素化低下』

『脈圧低下』

『呼吸不整』

『反応遅延』

 

「これなら、止めた理由を説明できる」

 

澄人が言った。

 

「止めたあと、どこを直すべきかも分かる」

 

「うん」

 

遠野さんは、それだけ答えた。

 

だが、澄人が誰かの意見を反論せず設計へ取り込む姿を、俺はほとんど見たことがなかった。

 

澄人は賢い。

 

賢いからこそ、時々、正しい情報を揃えることへ夢中になり、その情報を受け取る人間を置き去りにする。

 

遠野さんは、その半歩後ろから「それは伝わるのか」と問い続ける人だった。

 

(……補い合ってるな)

 

そう思ったが、口には出さなかった。

 

口にすれば、澄人から確実に「お前もな」と返される。

 

最近の俺には、返される心当たりがあった。

 

 

◇◇◇

 

 

9月14日。再試験の前日。

 

俺は大学の保健管理センターで、最終の健康確認を受けていた。

 

奏が血圧計のカフを巻き、脈を取り、瞳孔と顔色を確認していく。

 

この数か月で、彼女の手順は見慣れたはずだった。

 

それでも、今日は落ち着かなかった。

 

「……鈴木さん」

 

「はい」

 

「少し、怖がっていますね」

 

「え?」

 

思わず聞き返した。

 

「いや。普通ですけど」

 

「そうですか」

 

奏は追及せず、血圧計の表示を記録した。

 

だが、隣の心拍計には、普段より10以上高い数字が出ている。

 

「……嘘つき」

 

「今、何か言いました?」

 

「測定値を読み上げただけです」

 

絶対に違う。

 

正直に言えば、怖かった。

 

前回、俺は7.2Gで意識を失った。

 

視界が暗くなった記憶も、自分が倒れた感覚もない。切れた電源のように、意識だけが消えた。

 

明日、また同じことが起きるかもしれない。

 

装具が警告しても、俺が正しく反応できなければ意味がない。

 

「怖いなら、怖いと言ってください」

 

奏が、記録用紙を見たまま言った。

 

「試験を中止しろ、という意味ではありません。ただ、本人が隠した情報は機械にも測れません」

 

「……怖いです」

 

口に出した瞬間、胸の奥の力が少し抜けた。

 

奏の手も、ほんのわずかに緩んだように見えた。

 

「私もです」

 

今度は、はっきり聞こえた。

 

「白石さんも?」

 

「測定を担当した被験者が、目の前で意識を失ったんです。何も感じないほうがおかしいでしょう」

 

声も表情も、いつもと変わらない。

 

それなのに、その言葉より先に。

 

(……行かないでほしい)

 

そんな感情が、胸の内側へ一瞬だけ触れた気がした。

 

奏が実際にそう考えたのか。

俺が自分の恐怖を、彼女へ重ねただけなのか。

 

分からない。

 

ただ、目を上げると、奏もこちらを見ていた。

 

「……鈴木さん?」

 

「あ、いえ」

 

俺は先に目を逸らした。

 

「睡眠は」

 

「7時間です」

 

「食事は」

 

「朝昼、普段どおり」

 

「走り込みは?」

 

「今日は軽めにしました」

 

「なら、明日の朝も無理に追い込まないでください」

 

「分かりました」

 

今度は、嘘をつかなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

9月15日。埼玉の研究施設。

 

遠心加速度装置の建屋には、前回と同じ低い唸りが満ちていた。

 

黒木さん。真壁先生。久保田さん。TPCの技官2人。健三さん、ゴウ、澄人、教授。

 

そして今回は、近赤外モニターと生体警告系の担当者として、奏も正式に試験班へ加わっている。

 

試作1号は、前回と外見こそ大きく変わらない。

 

だが内部は別物だった。

 

両手首の振動子。

装着者と管制へ同時に送られる2段階警告。

接触不良を検出する基準信号。

電源または通信が失われれば、危険側ではなく中止側へ倒れる制御。

 

美園さんの作った製造記録と変更履歴も、機材ケースの中へ収められている。

 

遠野さんは施設へ来ていなかったが、判定プログラムの版番号と試験結果は、澄人の端末に残っていた。

 

これはもう、俺1人の工作物ではなかった。

 

装着確認を終えた俺へ、黒木さんが近づいてきた。

 

「鈴木」

 

「はい」

 

「今日は、何Gまで行くつもりだ」

 

前回と同じ問いだった。

 

前回の俺なら、「8Gまで」と答えていただろう。

数字を先に決め、届くまで耐えることを成功だと思っていた。

 

だが、今日は違う。

 

「警告が正しく作動して、意識があるうちに、自分の言葉で中止を申告するところまでです」

 

「数字は」

 

「決めません。身体と装具が『ここまで』と判断した地点が、今日の記録です」

 

黒木さんは、しばらく俺を見つめた。

 

それから、片方の口角を上げた。

 

「……ようやく、試験を受ける顔になったな」

 

俺はゴンドラへ乗り込んだ。

 

座席へ身体を固定し、心電図、脈波、近赤外センサー、反応確認用のスイッチを接続する。

 

正面のランプが不規則に点灯したら、右手のボタンを押す。

反応が遅れれば、それ自体が警告条件になる。

 

ハッチが閉じる直前、奏がセンサーの配線をもう一度確かめた。

 

「鈴木さん」

 

「はい」

 

「警告が鳴ったら、勝とうとしないでください」

 

「……何にですか」

 

「数字に」

 

返事をする前に、ハッチが閉じた。

 

狭いゴンドラの中で、俺はその言葉を反芻した。

 

限界を超えることに、意味はない。

超えた先で倒れれば、誰も助けられない。

 

前世の俺は、戻ってこられなかった。

 

だから今度は、生きて帰る。

 

次の設計へつなげるために。

次に救う人間を増やすために。

 

「試験を開始する」

 

黒木さんの声とともに、ゴンドラが動き始めた。

 

 

◇◇◇

 

 

4G。

 

加圧正常。反応時間、基準内。

 

5G。

 

身体が座席へ沈み込む。

 

脚と臀部へ力を込める。腹圧を作る。2.5秒から3秒ごとに、短く吐いて、すぐ吸う。

 

試作1号が、Gの立ち上がりを先読みして脚部と腹部を段階的に締める。

 

6G。

 

正面のランプが点灯した。

 

押す。

 

「6G。視野正常。呼吸維持。反応確認、問題なし」

 

「了解。次へ上げる」

 

6.8G。

 

ブブッ。

 

両手首が、短く2回震えた。

 

第1段階——注意。

 

「1段目、確認」

 

『警告理由:酸素化指標低下/脈圧低下』

 

管制側で、澄人が読み上げる。

 

「信号品質は正常。体動による誤差ではありません」

 

奏の声が続いた。

 

俺は対G動作を修正した。

 

肩へ逃げていた力を脚と臀部へ戻す。息を吐き切らない。腹圧を深く保ち、頭をヘッドレストへ預ける。

 

数秒後、振動が止まった。

 

「酸素化指標、回復。脈圧も基準内へ戻りました」

 

「1段目、解除」

 

警告を受け、自分で動作を修正し、危険域から戻る。

 

それができた。

 

7G。

 

身体が重い。

 

だが、意識は明瞭だった。

 

7.4G。

 

ランプが点く。

 

押したつもりだった。

 

「反応、0.18秒遅延」

 

澄人の声。

 

自覚はない。

 

その事実が、前回の恐怖を呼び戻した。

 

7.6G。

 

視界の端が、薄く霞む。

 

呼吸のリズムを維持しても、回復が追いつかない。

 

そのときだった。

 

(——止めて)

 

声ではなかった。

 

ヘッドセットは、まだ何も伝えていない。

ゴンドラの中から、管制室の奏が見えるはずもない。

 

それでも、その一言だけが、胸の内側へ直接落ちてきた。

 

奏の声だと、なぜか分かった。

 

ブブブブブブ——。

 

直後、両手首が連続で震えた。

 

第2段階——警戒。

 

「2段目、作動!」

 

「酸素化指標低下、脈圧低下、反応遅延。3系統成立!」

 

管制の声が重なる。

 

数字は、7.8Gを示していた。

 

まだ見える。

まだ聞こえる。

まだ、自分の意思で言葉を選べる。

 

だから、俺は数字に勝とうとしなかった。

 

「——中止してください」

 

「中止!」

 

真壁先生の声と同時に、ゴンドラが減速へ移った。

 

身体を押し潰していた力が、少しずつ抜けていく。

 

血が頭へ戻る。

 

視界の霞が晴れる。

 

俺は最後まで意識を保ったまま、装置が停止する振動を感じていた。

 

 

◇◇◇

 

 

ハッチが開いた。

 

俺は補助を受けながら足を床へ下ろし、自分の足で立った。

 

膝は笑っていた。呼吸も荒い。

 

それでも、前回のように床へ崩れ落ちはしなかった。

 

「鈴木さん。名前と今日の日付を」

 

真壁先生が、すぐに確認した。

 

「鈴木灯。2005年9月15日です」

 

「ここは」

 

「埼玉の遠心加速度試験施設」

 

「よろしい。座ってください」

 

椅子へ座らされ、水を渡される。

 

久保田さんが、記録票を読み上げた。

 

「最高到達、7.8G。第2段階警告後、被験者本人が中止を申告。管制側の中止判定と一致。意識喪失なし。試験後の見当識、正常」

 

彼は記録票から顔を上げた。

 

「前回は7.2G。今回の伸びは0.6Gです」

 

「はい」

 

「数字だけなら、大きな進歩とは言えない」

 

「……はい」

 

「しかし、前回は警告を自覚しないまま意識を失った。今回は危険を検知し、動作を修正し、それでも回復しないと判断した時点で、自分の意思で中止を申告した」

 

久保田さんは、はっきりと言った。

 

「前回は到達しただけです。今回は帰還した。この差は大きい」

 

黒木さんが、俺の肩を軽く叩いた。

 

「よく『止めてくれ』が言えたな。高い数字が目の前にあると、たいていの奴は、あと少しだけと欲を出す」

 

「白石さんに、数字と勝負するなと言われたので」

 

「俺の教えじゃねぇのかよ」

 

「呼吸は黒木さんです」

 

「半分だけか」

 

黒木さんは笑った。

 

一方で、評価表には課題が並んだ。

 

被験者は、まだ俺1人。

短時間の正方向Gしか確認していない。

横方向、負方向、複合加速度は未試験。

近赤外信号には、装着圧や頭皮血流の影響が残る。

警告系は、遠心機の管制と接続しただけで、実際の航空機の操縦系とは連動していない。

フレーム、配管、弁の耐久回数も足りない。

 

「完成には程遠い」

 

久保田さんは言った。

 

「正式装備にできる段階でもありません」

 

「分かっています」

 

「ただし、危険域を検知し、装着者と管制の双方へ理由を示し、意識喪失前に試験を終了できた。この基本構成には、継続して検証する価値があります」

 

彼は評価票へ署名した。

 

「試作1号を、実用化検討へ向けた第2段階の技術評価へ移します。次は複数の被験者、耐久試験、そして機体側の入力と連動した予測制御です」

 

TPCの技官2人が、初めて俺たちへ正式に頭を下げた。

 

一年前には、「学生の工作物」を見る目をしていた人たちだった。

 

俺も、座ったまま深く礼を返した。

 

ふと、奏を見る。

 

彼女はモニターのケーブルを外し、同じ書類の角を何度も揃えていた。

 

普段の奏なら、一度で揃える。

 

「あの」

 

声をかけようとしたところで、奏が先に口を開いた。

 

「鈴木さん」

 

「はい」

 

「……帰ってきてくれて、よかったです」

 

こちらを見ないまま、それだけ言った。

 

胸の内側に、さっきの『止めて』が蘇った。

 

「白石さん。試験中——」

 

聞きかけると、奏の手が止まった。

 

だが俺は、続く言葉を飲み込んだ。

 

今はまだ、説明できない。

 

計測値を見た奏が、通信より先に中止を考えた。

俺が極度の緊張の中で、その可能性を想像した。

 

それだけでも説明はつく。

 

「……いえ。ありがとうございました」

 

「私は測っただけです」

 

「それが必要だったんです」

 

奏は一瞬だけこちらを見て、それから小さく頷いた。

 

 

◇◇◇

 

 

その夜。

 

アパートへ帰った俺は、試験結果のノートを机へ置いた。

 

『最高到達:7.8G』

『意識喪失:なし』

『本人申告と管制判定が一致』

『第2段階技術評価へ移行』

 

今日の成果は、数字を0.6伸ばしたことではない。

 

危険を知り、伝え、戻ってこられたことだ。

 

そして、視界の隅には、青いウィンドウが灯っていた。

 

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▶ 所持ポイント: 40,400 SP

 

▼[OVER TECHNOLOGY領域]

 【マクロス初代・統合技術パック】:30,000 SP

  └ 購入可能

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7月29日の時点で、購入条件は満たしていた。

 

そこから48日。

比較試験の条件を変えないため、取得を保留したままデイリーを続けた。

 

もう、迷う理由はなかった。

 

それでも俺は、購入表示をしばらく見つめた。

 

指を伸ばせば、前世で憧れた可変戦闘機の技術体系が手に入る。

 

だが、この装具を作ったのは、その知識ではない。

 

図面を現物へ変えた健三さん。

壊れたときのことを考え、装着者の感覚を拾ったゴウ。

制御と記録を背負った澄人。

人体の側から設計を組み直した奏。

安全の基準を定めた真壁先生。

帰還するための対G動作を教えた黒木さん。

同じものを再び作れる形へ変えた美園さん。

警報を、理由の分かる仕組みにした遠野さん。

 

俺がこの1年半で得たものは、SPだけではなかった。

 

このパックは、あの人たちの代わりにはならない。

 

あの人たちと、次へ進むために使う。

 

その答えを確認してから、俺は指を伸ばした。

 

「購入する」

 

【購入確認】

【『マクロス初代・統合技術パック』:30,000 SP】

※高容量知識領域です。取得時、一時的な認知負荷が発生する可能性があります。

 

「……今さら言うなよ」

 

それでも、取り消さなかった。

 

【取得を実行します】

 

 

——次の瞬間。

 

世界が、洪水になった。

 

「——ッ、ぁ……!」

 

頭蓋の内側へ、濁流が叩き込まれた。

 

上級知識を取得したときとは、量も構造も違う。

 

あれが教科書を一冊ずつ棚へ収める作業だったなら、これは、図書館そのものを頭の中へ落とされるような感覚だった。

 

機体形状と空力特性。

可変機構の運動学と、荷重経路。

高冗長・故障許容型の飛行制御。

熱核タービンの反応・熱交換サイクル。

耐熱材料と複合材の積層設計。

慣性航法、火器管制、生命維持、脱出装置。

整備手順、点検間隔、製造設備、部品供給網。

 

そして——失敗の記録。

 

疲労亀裂を見逃した機体。

変形途中に拘束され、空中分解した試験機。

安全装置が働かず、帰ってこなかった操縦者。

設計変更が補給部門へ伝わらず、同じ故障を繰り返した部隊。

 

成功した完成図だけではない。

 

そこへ至るまでに、何が壊れ、誰が判断を誤り、何を二度と繰り返さないと決めたのか。

 

技術体系を支える、膨大な失敗まで含めた知識だった。

 

俺は椅子から転げ落ちた。

 

胃が痙攣し、這うように流しへ向かう。喉の奥までせり上がったものを吐き出し、濡れた縁を掴んだ。

 

「……はっ、はぁ……」

 

冷や汗が全身から流れていた。

 

その状態でも、頭だけは理解を続けていた。

 

(……作れない)

 

その結論は、残酷なほど明確だった。

 

機体へ搭載できる小型熱核反応炉は存在しない。

必要な強度、耐熱性、疲労寿命、加工性を同時に満たす材料体系もない。

可変機構を動かす小型高出力の駆動系も、空間へバリア場を形成する技術も、この地球にはない。

 

設計図があっても、部品を作る工作機械がない。

工作機械があっても、材料がない。

材料があっても、品質を揃える測定技術と量産工程がない。

 

一機の可変戦闘機は、1人の天才が図面を引けば完成するものではなかった。

 

何千人、何万人もの人間が、何十年もかけて作った産業と組織の結果だ。

 

俺は、それを1人の頭で受け止めようとして、流しの前で吐いている。

 

滑稽だった。

 

そして同時に、ようやく腑に落ちた。

 

(……分ければいい)

 

作れないものの中にも、今の地球へ落とせる考え方がある。

 

熱核タービンそのものは無理でも、異常を予測して出力を制限する制御思想は、既存のエンジンへ応用できる。

 

可変戦闘機は無理でも、多重故障を前提にした飛行制御と、損傷後も操縦性を残す制御配分は研究できる。

 

機体を丸ごと作れなくても、整備単位を交換可能な部品へ分け、履歴を追跡する構成は、相沢製作所でも始められる。

 

そして——操縦者の状態と、機体制御を連動させる技術。

 

意識が危険域へ近づいたとき、警告するだけではない。

機体側が旋回率や操舵入力を制限し、Gの立ち上がりそのものを抑える。

本人が判断できなくなる前に、機械が安全な余白を作る。

 

(……外骨格の、次だ)

 

奏や澄人たちと3か月かけて作った警告機構の、ずっと先にあるものだった。

 

膨大な知識の中で、最初に手を伸ばすべき場所が見えた。

 

それは、変形機構でも、火器でもない。

 

人を、生きて帰らせるための統合制御だった。

 

 

◇◇◇

 

 

吐き気が収まるまで、1時間近くかかった。

 

水で口をすすぎ、床へ落ちたノートを拾う。

 

膨大な知識の中から、現在の地球で検証可能なものだけを書き出した。

 

 ・操縦者状態と連動した故障許容型飛行制御

 ・高機動時の荷重予測と、操舵入力の事前制限

 ・警告情報の優先順位づけ

 ・交換単位を明確にしたモジュール設計

 ・製造番号と整備履歴を結びつける構成管理

 ・脱出、救命、生存装備の統合

 

書けば書くほど、誰に渡すべきかが見えてくる。

 

制御は、澄人と遠野さん。

製造と整備は、健三さん、ゴウ、美園さん。

生理と生存装備は、奏と真壁先生。

飛行時の感覚と試験手順は、黒木さん。

そして、設備と人員をつなぐのは、久保田さんとTPCだ。

 

一年前なら、絶望していた。

 

30,000 SPを払っても完成品が作れない。

何もかも足りない、と。

 

今は違う。

 

材料がなければ、地球の材料へ翻訳する。

設備がなければ、持っている組織を探す。

1人で扱えなければ、専門ごとに分けて渡す。

 

前世で憧れながら、手の届かなかった「作る側」へ。

 

俺はようやく、入口に立った。

 

そのとき、机の上の携帯電話が鳴った。

 

表示された名前は、久保田さんだった。

 

「鈴木君。夜分にすまない」

 

「いえ。どうかしましたか」

 

声が掠れていたので、一度咳払いをする。

 

「体調が悪いのか」

 

「少し知恵熱が出ただけです」

 

完全な嘘ではない。

 

「……無理はするな。明日でもよかったんだが、先に伝えておきたい」

 

久保田さんの声が、仕事のものへ変わった。

 

「TPCの観測網に、新しい反応が出た」

 

俺は、ペンを止めた。

 

「以前の3地点と共通する特徴がある。局所的な磁気異常。周期変動。地殻側から説明しにくい熱の偏り。まだ誤差を除外している段階だが——4地点目の可能性がある」

 

心臓が跳ねた。

 

黒岩。樽内。鳴瀬。

 

7基あると記された炉の、4基目。

 

「場所は、どこですか」

 

電話の向こうで、久保田さんはわずかに間を置いた。

 

「それが問題だ」

 

「はい」

 

「今回は——地上ではない

 

俺は、窓の外を見た。

 

9月の夜空に、月が浮かんでいた。

 

海の底か。

地底湖か。

あるいは、俺たちがまだ探索対象にすら入れていなかった場所か。

 

これまで俺たちは、地面の上から炉を探してきた。

 

だが今度は、TPCの観測網が、人間の足では届かない場所から信号を拾った。

 

一人で坑道へ潜った頃とは、もう違う。

 

次は、組織とともに向かう。

 

俺は、開いたノートの新しいページへ、4文字を書いた。

 

『第4地点』

 

その下へ、まだ何も分からない空白を残した。

 

 

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【現在のステータス・スキル情報】

[BASE STATUS]

┣ 演算処理能力:D

┣ 空間認識力:D

┣ 反応速度:D

┗ G耐性/肉体:F(装具装着時:D相当/実測7.8G)

 

[ACQUIRED SKILLS & KNOWLEDGE]

┣【超古代言語理解 Lv.2】

┣【初級・機械工学/プログラム言語】

┣【中級・航空力学/制御アルゴリズム】

┣【上級・次世代エネルギー/流体力学】

【マクロス初代・統合技術パック】(NEW)

┃ ┣ 熱核タービン/高出力推進理論

┃ ┣ VF系可変機構/故障許容型飛行制御

┃ ┣ 統合生命維持/脱出・生存装備

┃ ┗ バリア場形成基礎理論(現時点では再現不能)

┣【インファイト Lv.1】

┗【SPアップ Lv.1】

 

[SYSTEM DATA]

┣ 所持ポイント:10,400 SP

┣ 残機数:3/3

┣ 外骨格:試作1号(第2段階技術評価へ移行)

┣ 新規研究候補:操縦者状態連動型・飛行安全制御

┗ 次の目標:第4地点の調査(※地上ではない)

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第23話をお読みいただき、ありがとうございました。

今回は、試作1号の再試験と、マクロス初代・統合技術パックの取得までのお話でした。

限界を越えることではなく、危険を知り、自ら止まり、生きて帰ること。

灯たちの外骨格は、ようやくそのための装備へ近づき始めました。

そして物語は、地上ではない第4地点へ進みます。

次回もどうぞよろしくお願いいたします。
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