鋼鉄の灯火は深淵を照らす—超古代の厄災と、メカオタクの生存戦略—— 作:カノープス・ギア
しかし、それを現実の技術へ変えるには、仲間たちと一歩ずつ道を作らなければなりません。
そして舞台は、人の足では届かない深い海の底へ。
どうぞお楽しみください!
9月16日。
パックを取得した翌朝、俺は最悪の体調で研究室に来ていた。
頭痛が、後頭部に居座って離れない。
目を閉じれば、瞼の裏を設計図が流れていく。
熱核タービンの燃焼室断面。
可変フレームの応力分布。
慣性航法のアルゴリズム。
事故機の破断面。
整備員が書き残した不具合報告。
順番も脈絡もない。
知識というより、濁流だった。
結局、一睡もできなかった。
「……ひでぇ顔だな」
研究室へ入った途端、ゴウが眉をひそめた。
「寝てねぇだろ、お前」
「少し、考えが止まらなくて」
「少しって顔じゃねぇよ。死人が講義受けに来たみてぇだぞ」
「知識を、整理しきれなかった」
「何の知識だよ」
「……新しい制御と機体構造の案。いろいろ」
それ以上は言えなかった。
【マクロス初代・統合技術パック】
前世の知識とシステムの存在を知らないゴウたちに、昨夜いきなり頭へ流れ込んできたなどと説明できるはずがない。
俺は椅子へ沈み込み、鞄からノートを取り出した。
昨夜、吐きながら書き続けた30ページ。
膨大な技術体系の中から、「2005年の地球でも使えるかもしれない」と感じた部分を、忘れる前に殴り書きしたものだ。
「澄人。見てくれ」
「その前に水を飲め」
差し出されたペットボトルを半分ほど空けてから、ノートを渡した。
澄人は何も言わず、最初のページから読み始めた。
5分。
10分。
ページをめくる速度が、次第に遅くなる。
やがて澄人は、音を立てずにノートを閉じた。
「これは、資料じゃない」
「……どこが駄目だ」
「どこが、じゃない。全部だ」
澄人は、途中のページを開いた。
「ここ。『操縦者の循環状態を予測し、危険域へ入る前に機動指令を0.3秒だけ制限する』」
「ああ」
「なぜ0.3秒なんだ。何を入力値にして循環状態を予測する。どの機動を、どの程度抑える。操縦者が制限を解除した場合はどうなる」
「それは……頭の中では、つながってる」
「頭の中にあっても意味がない」
澄人の声は静かだった。
だからこそ、言葉が逃げ道なく刺さった。
「お前が明日、事故で死んだら、このノートはただの落書きだ。結論しか残ってない。誰も検証できないし、誰も再現できない」
俺は、返す言葉を失った。
一晩で30ページも書いた。
自分では、これだけ残せば誰かに渡せると思っていた。
だが実際には、頂上から見えた景色を、単語だけで並べただけだった。
◇◇◇
「鈴木君」
奥の机から、神宮寺教授が顔を上げた。
「君の中に、大量の着想と理論があることは分かる。だが、いまのままでは君一人のものだ」
教授は湯呑みを置き、俺のノートを手元へ引き寄せた。
「結論だけを渡しても、人は受け取れん。君が歩いた道を、他の人間も歩ける形にしなさい」
「歩ける形、ですか」
「そうだ」
教授は、ノートの余白を指でなぞった。
「君はいま、山の頂上から麓を見ている。どこに道を通せばよいか、自分には見えている。しかし麓にいる人間には、崖と森しか見えん」
教授は、穏やかな声で続けた。
「頂上から『こちらへ来い』と叫ぶだけでは、人は登れん。いったん麓まで降りて、一歩ずつ道を作るんだ」
澄人が、その言葉を引き継いだ。
「この形のまま引用できる出典は、出せないんだろ」
「……ああ」
少なくとも、存在しない未来の技術体系を出典欄へ書くことはできない。
「なら、検証手順を残せ。同じ条件と装置を用意すれば、別の人間でも同じ結果へ近づける。途中の計算も、失敗条件も、否定された仮説も全部だ」
澄人は、ノートを俺へ返した。
「出所を説明できないなら、答えへ至る道筋を、現在の科学だけで組み直せ」
俺は、しばらく表紙を見つめた。
昨夜まで、3万SPを払えば「作る側」へ行けると思っていた。
だが、知識を持っていることと、他人が使える技術にすることは別だった。
「……俺、天才じゃないんだな」
「今さらかよ」
ゴウが即座に返した。
「そういう意味じゃねぇよ」
思わず苦笑が漏れた。
「俺がやってるのは、何もない場所から答えを生むことじゃない。向こう側にある完成形を、こっちの材料と数式と設備で説明し直すことだ」
翻訳者。
前世の記憶も、システムから得た知識も、そのままではこの地球で動かない。
俺の仕事は、それをこの時代の言葉へ置き換えることだ。
誰かが検証できる数式へ。
材料屋へ発注できる規格へ。
町工場で加工できる寸法へ。
操縦者が理解できる警告へ。
そして——翻訳は、一人ではできない。
◇◇◇
その日から、俺は知識を直接渡すのをやめた。
最初に作ったのは、3色の表だった。
=========================================
【技術移植・一次評価】
[A:現行技術で検証可能]
・フライ・バイ・ワイヤの制御思想
・操縦者状態と機体制御の連携
・機動前の荷重予測と予防的制御
・警告情報の優先順位づけ
・故障時に安全側へ移行する設計
・部品のモジュール化と交換履歴管理
・脱出/生命維持装備の独立化
[B:数年単位の研究が必要]
・高性能複合材料
・推力偏向機構
・小型高出力エンジン
・高機動航空機向け統合制御
・限定的な可変翼/可変構造
[C:現時点では再現不能]
・熱核タービン
・完全な可変戦闘機構
・重力制御
・ピンポイントバリア
・未知材料を前提とする駆動系
=========================================
分けるだけなら、数時間で終わると思っていた。
実際には、1週間かかった。
「作れそう」という感覚だけでは、Aには置けない。
現行の論文から理屈をつなげられるか。材料を入手できるか。大学かTPCの設備で試験できるか。失敗したとき、安全に止められるか。
4つの問いに答えられないものは、すべてBかCへ落とした。
さらに、他人へ渡す資料からは、俺にしか分からない名称を消した。
「可変戦闘機の統合制御」ではなく、
『高機動航空機における操縦入力・機体荷重・操縦者状態の協調制御』。
「異星由来の生存装備」ではなく、
『複数故障下でも独立作動可能な緊急脱出系』。
結論ではなく、課題として渡す。
答えを知っていることを隠すのではない。誰でも答えを確かめられる形まで、現在の技術へ引き戻すのだ。
分類した項目は、役割ごとに分けた。
制御と記録形式は、澄人と遠野さん。
製造可能性は、ゴウと健三さん。
材料費、工数、再製造性は、美園さん。
操縦者保護と生理的限界は、奏と真壁先生。
既存研究との接続と、TPCへ提出できる説明への整形は、教授。
俺は全員へ同じことを伝えた。
「分からないところは、分からないと書いてください。俺の案に合わせなくていいです」
以前の俺なら、言えなかった言葉だった。
◇◇◇
最初に戻ってきたのは、製造側からだった。
「……なあ、灯」
相沢製作所の作業台で、ゴウが図面を広げた。
俺が『B:数年単位』へ分類した、複合材料の積層構造案だ。
「これ、削れねぇ」
「削るものじゃない。繊維を積層して、樹脂で固める」
「じゃあ、積めねぇ」
「即答かよ」
「だって、この耐熱温度と引張強度を両方満たす繊維、日本で普通に買えねぇぞ。材料屋にも聞いた。『規格番号を間違えてませんか』って返された」
健三さんも、図面を覗き込みながら首を振った。
「成形する炉も治具もない。仮に材料だけ手に入っても、うちじゃ品質を揃えられねぇな」
美園さんが、製造記録のファイルを抱えて事務室から出てきた。
「こちらも無理です」
彼女が差し出したのは、俺が高温・高圧動力系として整理した概念案だった。
「作れるかどうか以前に、材料の名前を発注書へ書けません。国内規格との対応がなく、見積もり先もありません」
「……代用品は」
「性能条件を半分以下に落とせば、候補はあります」
美園さんは、俺の反応を確かめるように一度言葉を切った。
「ただし、それは同じ物ではありません。似た形の、別の物です」
その指摘は正しかった。
翻訳とは、名前だけ日本語へ直すことではない。
性能を落とし、機能を分け、別の材料へ置き換えた結果、何が失われたかまで残さなければならない。
「分かりました。これはCへ落とします」
「いいんですか」
「いま作れないものを、作れることにはできません」
ゴウが、少し意外そうに俺を見た。
「前のお前なら、『何とかしろ』って粘ったよな」
「粘って材料が生えてくるなら、いくらでも粘るよ」
そのとき、事務机の上で電話が鳴った。
美園さんはすぐに戻ろうとしたが、立ち上がった瞬間、わずかによろめいた。
「美園さん?」
「大丈夫です。少し立ちくらみが」
「昼、食った?」
ゴウの声が、それまでと変わった。
美園さんは答えなかった。
机の端には、朝から置かれたままの小さな弁当箱があった。
「……美園さん」
「この見積もりだけ返してから——」
「返さなくていい。俺が電話取る」
「相沢さんでは、話が」
「分かんなかったら聞く。だから座って食え」
いつもなら勢いだけに聞こえる言葉が、そのときは不思議と静かだった。
美園さんは数秒、ゴウを見上げた。
やがて小さく息を吐き、椅子へ戻った。
「……伝言は、必ず残してください」
「分かった」
「相手先、担当者名、要件、折り返し番号」
「分かったって」
「復唱してください」
「相手先、担当者、要件、番号!」
美園さんは、ようやく弁当箱を開けた。
ゴウは乱暴に受話器を取ったが、その横には、いつもよりずっと丁寧な字で伝言用紙を置いていた。
◇◇◇
情報側から戻ってきた資料には、数式よりも空欄が多かった。
「空欄?」
「未検証項目」
澄人が答えた。
遠野さんが作ったデータベースには、すべての案に同じ欄が用意されていた。
『前提条件』
『検証方法』
『否定条件』
『故障時の挙動』
『判定理由を第三者へ説明できるか』
俺の原案は、最後の欄で半分近くが空白になった。
「判定精度だけなら、もっと複雑にできます」
遠野さんは、画面を見たまま言った。
「でも、複雑にするほど、警告が出た理由を現場へ説明しにくくなる。操縦者が信用できない警告は、無視されます」
「外骨格のときと同じですね」
「はい。だから、性能を上げる前に、理由を表示できる形にします」
隣で澄人が、無言のまま画面を切り替えた。
遠野さんが整理していた作業のうち、未完了だった項目が、すでに澄人の担当欄へ移されている。
「柏木くん。これは私の範囲です」
「昨日から同じ行を3回修正してる。今日は精度が落ちてる」
「……大丈夫です」
「理由は聞いてない。残りは俺がやる」
遠野さんは反論しかけて、やめた。
「迷惑をかけます」
「作業分担だ。迷惑じゃない」
澄人はそれ以上、何も聞かなかった。
遠野さんも、それ以上は謝らなかった。
2人の間では、あれで会話が成立しているらしい。
俺は黙って、自分の空欄を埋める作業へ戻った。
◇◇◇
生存装備の概念案を見た奏は、最初の3分で問題を見つけた。
「鈴木さん。これ、全部を一つにしようとしてませんか」
研究室の机に広げたのは、操縦席周辺の統合生存システム案だった。
脱出。生命維持。通信。操縦者状態の監視。機体とのデータ接続。
「連携させたほうが、判断が速いと思って」
「連携と一体化は違います」
奏は、脱出系統へ赤い線を引いた。
「この制御器が故障したら、何が止まりますか」
「……生命維持と、通信と、射出判定」
「全部ですね」
「はい」
「駄目です」
迷いのない声だった。
「脱出装置は、ほかの全部が壊れた後にも動かなければならない。人の命に関わるものほど、機能を分けて、最後は単純な操作で動かせるようにしてください」
俺は、図面を見直した。
高度な連携を実現しようとするほど、故障点が増えていた。
未来の完成品では、冗長な系統と高性能な部品がそれを支えている。しかし2005年の部品で外形だけを真似れば、複雑さだけが残る。
「……分けます。自動判定が死んでも、手動で切り離せるように」
「お願いします」
奏は頷き、それから俺の顔を見た。
「それと、鈴木さん」
「はい」
「昨日から、頭痛がありますね」
「……少しだけ」
「目の焦点も合っていません。今日は、何時間寝ました?」
「2時間くらい」
奏の眉間に、細い皺が寄った。
「帰ってください」
「でも、まだ——」
「帰ってください」
声は強かった。
だが、怒っているのとは少し違った。
奏は他人の無理を見つけると、見なかったことにできない。
その優しさは、時々、本人を削るほど鋭い。
そう思った直後、俺は彼女の机に置かれた紙袋へ気づいた。
昼に買ったらしいパンが、手つかずで残っている。
「白石さんも、昼食べてませんよね」
「私は後で」
「それ、俺と同じ言い訳です」
奏は、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。
「……人のことは、よく分かるんですね」
「最近、教えてもらったので」
俺たちは、しばらく互いの顔を見た。
先に目を逸らしたのは、奏だった。
「では、食べたら帰ってください」
「白石さんも」
「分かりました」
強い人だと思う。
人を守るためなら、年上の技官にも教授にも臆さず意見を言える。
けれど、その強さの内側に、触れれば崩れそうな薄い場所がある。
他人の痛みへ気づきすぎるぶん、自分の痛みを後へ回してしまう場所が。
俺はまだ、その正体を知らなかった。
◇◇◇
9月29日。
俺たちは、TPC技術評価室の会議へ呼ばれた。
室内には久保田さんのほか、海洋調査を担当する技官と、外部の海洋研究機関から来た研究者が3人。壁一面のスクリーンには、関東南方の海図が映されていた。
「4か所目の候補について説明します」
久保田さんが、伊豆諸島東方の海域を拡大した。
「推定水深、約1050メートル。昨年から行われていた海底地形調査の記録に、既知の地質構造では説明しにくい反応が含まれていた」
スクリーンへ、複数のグラフが並ぶ。
「曳航式磁力計で確認された周期的な磁場変動。海底付近の局所的な水温偏差。地震波形とは異なる、一定間隔の低周波音。そして、海底下探査用の音波装置が捉えた平坦な反射面」
澄人が、配布資料へ視線を落とした。
「反射面の深さは」
「海底面から、およそ12メートルから20メートル下。堆積層の厚さによって変わる」
「火山性の岩盤では」
「可能性は残っている。だから、四基目とは呼ばない」
久保田さんは、はっきり言った。
「黒岩、樽内、鳴瀬と似ている。だが、同じものだとはまだ言えない。今回は誰も現物を見ていない。試料もない。推測を事実として扱うつもりはない」
俺は頷いた。
この人が慎重だからこそ、俺たちの資料も「面白い仮説」ではなく、検証すべき対象として扱われている。
「第1次調査は、無人機で行う」
海洋担当の技官が、次の資料を配った。
調査船。
曳航式磁力計。
サイドスキャンソナー。
海底下を調べるサブボトム・プロファイラ。
水温、塩分、圧力を測る観測器。
遠隔操作式の無人探査機。
耐圧カメラと試料回収アーム。
海流と気象を含む運航計画。
通信断や機材喪失を想定した救難手順。
俺たちがザックを背負って山へ入っていた頃とは、規模が違った。
「人間は下ろさない」
技官が念を押した。
「水深1000メートルでは、水圧は約100気圧。最初に行くのは無人探査機だ。対象の性質が分からない以上、有人潜水艇の投入も行わない」
その言葉に、反射的に口が動いた。
「……俺も、調査船へ」
言い切る前に、自分で止めた。
胸の奥では、まだ声がしている。
自分が行かなければならない。
誰かへ任せたら、間に合わない。
前世のあの日から、身体へ染みついた恐怖だった。
久保田さんは、続きを待っていた。
俺は机の下で握った拳を、ゆっくり開いた。
「いえ。訂正します」
「ほう」
「俺は潜水の専門家ではありません。海上作業の訓練も受けていない。現場へ行けば、守られる側になります」
自分で口にすると、痛いほどよく分かった。
「第1次調査には、乗りません」
久保田さんが、わずかに目を細めた。
「昨年の君なら、食い下がっただろうな」
「昨年の俺は、自分で行くことと、自分の仕事をすることを、同じだと思っていました」
「今は違うと?」
「はい」
俺は、無人探査機の仕様書を指した。
「代わりに、この機体へ載せる観測ユニットと、安全手順を俺たちに作らせてください」
◇◇◇
TPCが借り受けるのは、海洋研究機関の有索式無人探査機だった。
母船から延びるケーブルを通じて電力と映像をやり取りし、海底付近を遠隔操作で移動する。
機体そのものには手を入れない。
俺たちが担当するのは、追加観測ユニットと、そのデータを読む判定系だった。
最初の問題は、磁力計の位置だった。
「本体へ付けたら、スラスターのモーターと電源系の磁場を拾います」
俺が図面へ円を描くと、海洋研究者が頷いた。
「最低でも機体から1.5メートルは離したい。ただし長い支持棒は、海流で振られる」
「非磁性材で、途中に弱い部分を作りましょう」
健三さんが提案した。
「岩へ引っかかったとき、本体ごと持っていかれる前に、棒だけ折れるようにする」
ゴウが、すぐに寸法を書き始めた。
「交換できるカートリッジ式にする。壊れたら船上で差し替えればいい」
美園さんは、その横で部品番号を振っていた。
「左右で形を変えないでください。同じ部品なら予備を半分にできます」
「……分かった」
ゴウが素直に図面を直す。
美園さんがそばにいるときだけ修正が早いのは、たぶん気のせいではない。
観測するのは、磁場、水温、圧力、水中音、映像。
海底へ一時的に接触させる振動センサーも用意するが、対象へ直接触れさせない。
澄人と遠野さんは、受信画面を3段階に分けた。
『平常』
『要確認』
『接近中止』
警告の横には、必ず理由が表示される。
『磁場変動+水温偏差』
『周期音+映像異常』
『機体姿勢不安定+ケーブル張力上昇』
何が起きたか分からないまま、赤い警告だけが点灯することはない。
「通信が切れた場合は?」
久保田さんに問われ、俺は非常時手順を示した。
「有索機なので、通常はケーブルを通じて回収します。ただし、ケーブルが完全に切れた場合に備えて、非常用の錘を切り離します」
「切り離すと」
「機体が正の浮力になります。推進器を停止し、一定速度で浮上。音響ビーコンと閃光灯を起動して、海面で回収を待つ」
「電源喪失時は」
「機械式の遅延機構で錘を外します。制御器が死んでも浮上できるようにします」
健三さんが、隣で小さく笑った。
「海の底でも、同じだな」
「はい」
壊れたときに、どうなるかを先に決める。
外骨格の開放弁から始まった考え方が、今度は水深1000メートルの探査機を帰す仕組みになっていた。
最後に、接近手順を決めた。
対象候補から50メートルで停止。
観測値を3分間記録。
異常な変化がなければ20メートルまで接近。
再度停止し、映像と音響を確認。
5メートル以内への接近と試料採取は、第1次調査では行わない。
「慎重すぎないか」
海洋担当の技官が言った。
「過去の3地点では、環境が変化した直後に構造物側の反応が強まっています」
俺は、断定を避けて説明した。
「黒岩では坑道の開放後、鳴瀬では湧出量低下と発光・振動の増大が同じ時期に起きた。因果関係は証明できませんが、刺激で状態が変わる可能性は排除できません」
久保田さんが、手順書へ目を通した。
「よし。第1次調査は観測だけだ。接触も採取も行わない」
その一言で、計画が決まった。
◇◇◇
会議の終盤、スクリーンへ海底下の予想断面が映された。
薄い堆積層。
その下に続く、不自然に平坦な反射面。
映像ではない。
音波を計算処理して作った、色のない断面図にすぎない。
それなのに——胸が、急に圧迫された。
「……っ」
深い水の底へ沈められたように、息が詰まる。
胸郭ではなく、もっと内側を、冷たい手で握られたような感覚だった。
ほんの一瞬で消えた。
俺は無意識に、室内を見回した。
会議室の隅で、奏が胸元を押さえていた。
彼女もすぐに手を下ろし、何事もなかったように資料へ目を戻した。
目が合う。
奏は、小さく首を横へ振った。
なんでもない。
声にされていないのに、そう言われた気がした。
俺も目を逸らした。
暗い深海の断面図を見たからだ。
前回の遠心試験の疲労が残っているのかもしれない。
同じ瞬間に息苦しくなったのも、偶然だ。
そう処理しようとした。
だが、胸の奥には、海とは違う感覚が残っていた。
何かが苦しんでいる。
そんな、根拠のない感覚が。
奏は資料を持つ指へ、少しだけ力を込めていた。
◇◇◇
10月17日。
伊豆諸島東方海域へ、調査船『
第1次調査に乗船したのは、TPCと海洋研究機関の職員だけだった。
俺たちは東京の技術評価室で、送られてくる映像とデータを待った。
モニターの前には、俺、澄人、ゴウ、教授、奏。
遠野さんは判定ログの記録を担当し、美園さんと健三さんは相沢製作所で予備部品の待機に入っている。
午前10時12分。
無人探査機が海面へ降ろされた。
映像が揺れ、白い泡が画面を埋める。
深度100メートル。
太陽の光が青く薄まる。
300メートル。
色が消える。
500メートル。
ライトの外は、完全な闇になった。
カメラの前を、白い粒が絶えず流れている。
海中を沈む有機物——マリンスノー。その向こうを、透き通った小さな生物が一瞬だけ横切った。
「深度800。姿勢、安定」
船上のオペレーターの声が、衛星回線越しに届く。
探査機のライトが、やがて海底を照らした。
細かな泥に覆われた、緩やかな斜面。
生き物の巣穴らしい小さな穴が、ところどころに開いている。
サイドスキャンソナーが地表の形をなぞり、サブボトム・プロファイラが泥の下へ音波を送る。
『要確認』
画面の一角が黄色へ変わった。
理由表示。
『海底下反射面:連続』
『磁場偏差:基準値超過』
「反射面まで、推定16メートル」
澄人が読み上げた。
探査機は海底から10メートルの高度を保ち、ゆっくり斜面を下った。
反射面は途切れない。
100メートル進んでも、200メートル進んでも、泥の下に平らな境界が続いている。
自然の岩盤なら、ここまで均一にはならない。
「前方30メートル。露出部らしき反応」
オペレーターが告げた。
探査機が停止する。
手順どおり、3分間の観測。
磁場は高いが、急変はない。
水温偏差、0.4℃。
周期的な低周波音が、23秒間隔で繰り返されている。
「20メートルまで接近を許可」
久保田さんの声。
探査機が、再び進み始めた。
ライトの先で、泥の斜面が途切れる。
最初は、岩だと思った。
黒く、平らな面。
堆積物の間から、ほんの数メートルだけ露出している。
だが、その端はあまりにも真っ直ぐだった。
自然の割れ目ではない。
削ったような直線が、ライトの外まで続いている。
「映像、拡大」
久保田さんの声が掠れた。
カメラが寄る。
黒い表面には、血管のような細い隆起が走っていた。
黒岩で見たものと同じ。
樽内で見たものと同じ。
鳴瀬の亀裂の奥で、荒く脈打っていたものと同じ。
判定画面が、赤へ変わった。
『接近中止』
『磁場変動+周期音+表面発光』
表面発光。
その文字が出た直後だった。
黒い面の上へ——横一線に、青白い光が灯った。
暗い海の底で、瞼が開くように。
探査機の映像が一瞬だけ乱れた。
「距離を維持。接触するな」
久保田さんが即座に指示を出した。
探査機は前進を止めた。
青白い光は、ゆっくりと明滅している。
23秒に一度。
低周波音と、まったく同じ周期で。
通信室から、誰の声も消えた。
やがて久保田さんが、海上から俺たちへ呼びかけた。
「……鈴木君」
「はい」
「訂正する」
モニター越しでも、彼が息を呑んでいるのが分かった。
「これは、海底にあるんじゃない」
暗い泥の下へ、反射面はどこまでも続いている。
「海底そのものが、何かの上に積もっている」
俺は、画面を見つめた。
四基目。
そう呼ぶには、まだ調べるべきことが多すぎる。
久保田さんなら、きっと今日の段階では認めない。
それでも俺は、知っていた。
深い海の底で、それは眠っている。
いや。
青い光は、もう一度、ゆっくりと明滅した。
眠りながら、こちらを見ている。
=========================================
【現在のステータス・スキル情報】
[BASE STATUS]
┣ 演算処理能力: D
┣ 空間認識力 : D
┣ 反応速度 : D
┗ G耐性/肉体: F (装具装着時:D相当)
[ACQUIRED SKILLS & KNOWLEDGE]
┣【超古代言語理解 Lv.2】
┣【初級・機械工学/プログラム言語】
┣【中級・航空力学/制御アルゴリズム】
┣【上級・次世代エネルギー/流体力学】
┣【マクロス初代・統合技術パック】
┃ ┗ 地球技術への翻訳作業:一次分類完了
┣【インファイト Lv.1】
┗【SPアップ Lv.1】
[SYSTEM DATA]
┣ 所持ポイント: 12,800 SP
┣ 残機数 : 3 / 3
┣ 開発項目 : 操縦者保護連携/故障安全設計/観測ユニット
┣ 第1次海底調査 : 完了(接触・試料採取なし)
┗ 四基目候補 : 伊豆諸島東方・水深約1050メートル
=========================================
第24話をお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、マクロスの技術を現代へ翻訳する試みと、第4地点候補への海底調査を描きました。
自ら危険へ飛び込むのではなく、仲間と技術を送り出すことで、灯たちは深海へたどり着きます。
しかし、海底で見つかったものは、ただ眠っているだけではないようです。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。