鋼鉄の灯火は深淵を照らす—超古代の厄災と、メカオタクの生存戦略——   作:カノープス・ギア

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新たな知識を手に入れた灯。

しかし、それを現実の技術へ変えるには、仲間たちと一歩ずつ道を作らなければなりません。

そして舞台は、人の足では届かない深い海の底へ。

どうぞお楽しみください!


鋼は深淵へ道を引く

 

 

9月16日。

 

パックを取得した翌朝、俺は最悪の体調で研究室に来ていた。

 

頭痛が、後頭部に居座って離れない。

目を閉じれば、瞼の裏を設計図が流れていく。

 

熱核タービンの燃焼室断面。

可変フレームの応力分布。

慣性航法のアルゴリズム。

事故機の破断面。

整備員が書き残した不具合報告。

 

順番も脈絡もない。

知識というより、濁流だった。

 

結局、一睡もできなかった。

 

「……ひでぇ顔だな」

 

研究室へ入った途端、ゴウが眉をひそめた。

 

「寝てねぇだろ、お前」

 

「少し、考えが止まらなくて」

 

「少しって顔じゃねぇよ。死人が講義受けに来たみてぇだぞ」

 

「知識を、整理しきれなかった」

 

「何の知識だよ」

 

「……新しい制御と機体構造の案。いろいろ」

 

それ以上は言えなかった。

 

【マクロス初代・統合技術パック】

 

前世の知識とシステムの存在を知らないゴウたちに、昨夜いきなり頭へ流れ込んできたなどと説明できるはずがない。

 

俺は椅子へ沈み込み、鞄からノートを取り出した。

 

昨夜、吐きながら書き続けた30ページ。

膨大な技術体系の中から、「2005年の地球でも使えるかもしれない」と感じた部分を、忘れる前に殴り書きしたものだ。

 

「澄人。見てくれ」

 

「その前に水を飲め」

 

差し出されたペットボトルを半分ほど空けてから、ノートを渡した。

 

澄人は何も言わず、最初のページから読み始めた。

 

5分。

10分。

 

ページをめくる速度が、次第に遅くなる。

やがて澄人は、音を立てずにノートを閉じた。

 

「これは、資料じゃない」

 

「……どこが駄目だ」

 

「どこが、じゃない。全部だ」

 

澄人は、途中のページを開いた。

 

「ここ。『操縦者の循環状態を予測し、危険域へ入る前に機動指令を0.3秒だけ制限する』」

 

「ああ」

 

「なぜ0.3秒なんだ。何を入力値にして循環状態を予測する。どの機動を、どの程度抑える。操縦者が制限を解除した場合はどうなる」

 

「それは……頭の中では、つながってる」

 

「頭の中にあっても意味がない」

 

澄人の声は静かだった。

だからこそ、言葉が逃げ道なく刺さった。

 

「お前が明日、事故で死んだら、このノートはただの落書きだ。結論しか残ってない。誰も検証できないし、誰も再現できない」

 

俺は、返す言葉を失った。

 

一晩で30ページも書いた。

自分では、これだけ残せば誰かに渡せると思っていた。

 

だが実際には、頂上から見えた景色を、単語だけで並べただけだった。

 

 

◇◇◇

 

 

「鈴木君」

 

奥の机から、神宮寺教授が顔を上げた。

 

「君の中に、大量の着想と理論があることは分かる。だが、いまのままでは君一人のものだ」

 

教授は湯呑みを置き、俺のノートを手元へ引き寄せた。

 

「結論だけを渡しても、人は受け取れん。君が歩いた道を、他の人間も歩ける形にしなさい」

 

「歩ける形、ですか」

 

「そうだ」

 

教授は、ノートの余白を指でなぞった。

 

「君はいま、山の頂上から麓を見ている。どこに道を通せばよいか、自分には見えている。しかし麓にいる人間には、崖と森しか見えん」

 

教授は、穏やかな声で続けた。

 

「頂上から『こちらへ来い』と叫ぶだけでは、人は登れん。いったん麓まで降りて、一歩ずつ道を作るんだ」

 

澄人が、その言葉を引き継いだ。

 

「この形のまま引用できる出典は、出せないんだろ」

 

「……ああ」

 

少なくとも、存在しない未来の技術体系を出典欄へ書くことはできない。

 

「なら、検証手順を残せ。同じ条件と装置を用意すれば、別の人間でも同じ結果へ近づける。途中の計算も、失敗条件も、否定された仮説も全部だ」

 

澄人は、ノートを俺へ返した。

 

「出所を説明できないなら、答えへ至る道筋を、現在の科学だけで組み直せ

 

俺は、しばらく表紙を見つめた。

 

昨夜まで、3万SPを払えば「作る側」へ行けると思っていた。

だが、知識を持っていることと、他人が使える技術にすることは別だった。

 

「……俺、天才じゃないんだな」

 

「今さらかよ」

 

ゴウが即座に返した。

 

「そういう意味じゃねぇよ」

 

思わず苦笑が漏れた。

 

「俺がやってるのは、何もない場所から答えを生むことじゃない。向こう側にある完成形を、こっちの材料と数式と設備で説明し直すことだ」

 

翻訳者。

 

前世の記憶も、システムから得た知識も、そのままではこの地球で動かない。

 

俺の仕事は、それをこの時代の言葉へ置き換えることだ。

誰かが検証できる数式へ。

材料屋へ発注できる規格へ。

町工場で加工できる寸法へ。

操縦者が理解できる警告へ。

 

そして——翻訳は、一人ではできない。

 

 

◇◇◇

 

 

その日から、俺は知識を直接渡すのをやめた。

 

最初に作ったのは、3色の表だった。

 

=========================================

【技術移植・一次評価】

 

[A:現行技術で検証可能]

・フライ・バイ・ワイヤの制御思想

・操縦者状態と機体制御の連携

・機動前の荷重予測と予防的制御

・警告情報の優先順位づけ

・故障時に安全側へ移行する設計

・部品のモジュール化と交換履歴管理

・脱出/生命維持装備の独立化

 

[B:数年単位の研究が必要]

・高性能複合材料

・推力偏向機構

・小型高出力エンジン

・高機動航空機向け統合制御

・限定的な可変翼/可変構造

 

[C:現時点では再現不能]

・熱核タービン

・完全な可変戦闘機構

・重力制御

・ピンポイントバリア

・未知材料を前提とする駆動系

=========================================

 

分けるだけなら、数時間で終わると思っていた。

 

実際には、1週間かかった。

 

「作れそう」という感覚だけでは、Aには置けない。

現行の論文から理屈をつなげられるか。材料を入手できるか。大学かTPCの設備で試験できるか。失敗したとき、安全に止められるか。

 

4つの問いに答えられないものは、すべてBかCへ落とした。

 

さらに、他人へ渡す資料からは、俺にしか分からない名称を消した。

 

「可変戦闘機の統合制御」ではなく、

『高機動航空機における操縦入力・機体荷重・操縦者状態の協調制御』。

 

「異星由来の生存装備」ではなく、

『複数故障下でも独立作動可能な緊急脱出系』。

 

結論ではなく、課題として渡す。

答えを知っていることを隠すのではない。誰でも答えを確かめられる形まで、現在の技術へ引き戻すのだ。

 

分類した項目は、役割ごとに分けた。

 

制御と記録形式は、澄人と遠野さん。

製造可能性は、ゴウと健三さん。

材料費、工数、再製造性は、美園さん。

操縦者保護と生理的限界は、奏と真壁先生。

既存研究との接続と、TPCへ提出できる説明への整形は、教授。

 

俺は全員へ同じことを伝えた。

 

「分からないところは、分からないと書いてください。俺の案に合わせなくていいです」

 

以前の俺なら、言えなかった言葉だった。

 

 

◇◇◇

 

 

最初に戻ってきたのは、製造側からだった。

 

「……なあ、灯」

 

相沢製作所の作業台で、ゴウが図面を広げた。

 

俺が『B:数年単位』へ分類した、複合材料の積層構造案だ。

 

「これ、削れねぇ」

 

「削るものじゃない。繊維を積層して、樹脂で固める」

 

「じゃあ、積めねぇ」

 

「即答かよ」

 

「だって、この耐熱温度と引張強度を両方満たす繊維、日本で普通に買えねぇぞ。材料屋にも聞いた。『規格番号を間違えてませんか』って返された」

 

健三さんも、図面を覗き込みながら首を振った。

 

「成形する炉も治具もない。仮に材料だけ手に入っても、うちじゃ品質を揃えられねぇな」

 

美園さんが、製造記録のファイルを抱えて事務室から出てきた。

 

「こちらも無理です」

 

彼女が差し出したのは、俺が高温・高圧動力系として整理した概念案だった。

 

「作れるかどうか以前に、材料の名前を発注書へ書けません。国内規格との対応がなく、見積もり先もありません」

 

「……代用品は」

 

「性能条件を半分以下に落とせば、候補はあります」

 

美園さんは、俺の反応を確かめるように一度言葉を切った。

 

「ただし、それは同じ物ではありません。似た形の、別の物です」

 

その指摘は正しかった。

 

翻訳とは、名前だけ日本語へ直すことではない。

性能を落とし、機能を分け、別の材料へ置き換えた結果、何が失われたかまで残さなければならない。

 

「分かりました。これはCへ落とします」

 

「いいんですか」

 

「いま作れないものを、作れることにはできません」

 

ゴウが、少し意外そうに俺を見た。

 

「前のお前なら、『何とかしろ』って粘ったよな」

 

「粘って材料が生えてくるなら、いくらでも粘るよ」

 

そのとき、事務机の上で電話が鳴った。

 

美園さんはすぐに戻ろうとしたが、立ち上がった瞬間、わずかによろめいた。

 

「美園さん?」

 

「大丈夫です。少し立ちくらみが」

 

「昼、食った?」

 

ゴウの声が、それまでと変わった。

 

美園さんは答えなかった。

 

机の端には、朝から置かれたままの小さな弁当箱があった。

 

「……美園さん」

 

「この見積もりだけ返してから——」

 

「返さなくていい。俺が電話取る」

 

「相沢さんでは、話が」

 

「分かんなかったら聞く。だから座って食え」

 

いつもなら勢いだけに聞こえる言葉が、そのときは不思議と静かだった。

 

美園さんは数秒、ゴウを見上げた。

やがて小さく息を吐き、椅子へ戻った。

 

「……伝言は、必ず残してください」

 

「分かった」

 

「相手先、担当者名、要件、折り返し番号」

 

「分かったって」

 

「復唱してください」

 

「相手先、担当者、要件、番号!」

 

美園さんは、ようやく弁当箱を開けた。

 

ゴウは乱暴に受話器を取ったが、その横には、いつもよりずっと丁寧な字で伝言用紙を置いていた。

 

 

◇◇◇

 

 

情報側から戻ってきた資料には、数式よりも空欄が多かった。

 

「空欄?」

 

「未検証項目」

 

澄人が答えた。

 

遠野さんが作ったデータベースには、すべての案に同じ欄が用意されていた。

 

『前提条件』

『検証方法』

『否定条件』

『故障時の挙動』

『判定理由を第三者へ説明できるか』

 

俺の原案は、最後の欄で半分近くが空白になった。

 

「判定精度だけなら、もっと複雑にできます」

 

遠野さんは、画面を見たまま言った。

 

「でも、複雑にするほど、警告が出た理由を現場へ説明しにくくなる。操縦者が信用できない警告は、無視されます」

 

「外骨格のときと同じですね」

 

「はい。だから、性能を上げる前に、理由を表示できる形にします」

 

隣で澄人が、無言のまま画面を切り替えた。

 

遠野さんが整理していた作業のうち、未完了だった項目が、すでに澄人の担当欄へ移されている。

 

「柏木くん。これは私の範囲です」

 

「昨日から同じ行を3回修正してる。今日は精度が落ちてる」

 

「……大丈夫です」

 

「理由は聞いてない。残りは俺がやる」

 

遠野さんは反論しかけて、やめた。

 

「迷惑をかけます」

 

「作業分担だ。迷惑じゃない」

 

澄人はそれ以上、何も聞かなかった。

 

遠野さんも、それ以上は謝らなかった。

 

2人の間では、あれで会話が成立しているらしい。

 

俺は黙って、自分の空欄を埋める作業へ戻った。

 

 

◇◇◇

 

 

生存装備の概念案を見た奏は、最初の3分で問題を見つけた。

 

「鈴木さん。これ、全部を一つにしようとしてませんか」

 

研究室の机に広げたのは、操縦席周辺の統合生存システム案だった。

 

脱出。生命維持。通信。操縦者状態の監視。機体とのデータ接続。

 

「連携させたほうが、判断が速いと思って」

 

「連携と一体化は違います」

 

奏は、脱出系統へ赤い線を引いた。

 

「この制御器が故障したら、何が止まりますか」

 

「……生命維持と、通信と、射出判定」

 

「全部ですね」

 

「はい」

 

「駄目です」

 

迷いのない声だった。

 

「脱出装置は、ほかの全部が壊れた後にも動かなければならない。人の命に関わるものほど、機能を分けて、最後は単純な操作で動かせるようにしてください」

 

俺は、図面を見直した。

 

高度な連携を実現しようとするほど、故障点が増えていた。

未来の完成品では、冗長な系統と高性能な部品がそれを支えている。しかし2005年の部品で外形だけを真似れば、複雑さだけが残る。

 

「……分けます。自動判定が死んでも、手動で切り離せるように」

 

「お願いします」

 

奏は頷き、それから俺の顔を見た。

 

「それと、鈴木さん」

 

「はい」

 

「昨日から、頭痛がありますね」

 

「……少しだけ」

 

「目の焦点も合っていません。今日は、何時間寝ました?」

 

「2時間くらい」

 

奏の眉間に、細い皺が寄った。

 

「帰ってください」

 

「でも、まだ——」

 

「帰ってください」

 

声は強かった。

だが、怒っているのとは少し違った。

 

奏は他人の無理を見つけると、見なかったことにできない。

その優しさは、時々、本人を削るほど鋭い。

 

そう思った直後、俺は彼女の机に置かれた紙袋へ気づいた。

昼に買ったらしいパンが、手つかずで残っている。

 

「白石さんも、昼食べてませんよね」

 

「私は後で」

 

「それ、俺と同じ言い訳です」

 

奏は、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。

 

「……人のことは、よく分かるんですね」

 

「最近、教えてもらったので」

 

俺たちは、しばらく互いの顔を見た。

 

先に目を逸らしたのは、奏だった。

 

「では、食べたら帰ってください」

 

「白石さんも」

 

「分かりました」

 

強い人だと思う。

人を守るためなら、年上の技官にも教授にも臆さず意見を言える。

 

けれど、その強さの内側に、触れれば崩れそうな薄い場所がある。

他人の痛みへ気づきすぎるぶん、自分の痛みを後へ回してしまう場所が。

 

俺はまだ、その正体を知らなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

9月29日。

 

俺たちは、TPC技術評価室の会議へ呼ばれた。

 

室内には久保田さんのほか、海洋調査を担当する技官と、外部の海洋研究機関から来た研究者が3人。壁一面のスクリーンには、関東南方の海図が映されていた。

 

「4か所目の候補について説明します」

 

久保田さんが、伊豆諸島東方の海域を拡大した。

 

「推定水深、約1050メートル。昨年から行われていた海底地形調査の記録に、既知の地質構造では説明しにくい反応が含まれていた」

 

スクリーンへ、複数のグラフが並ぶ。

 

「曳航式磁力計で確認された周期的な磁場変動。海底付近の局所的な水温偏差。地震波形とは異なる、一定間隔の低周波音。そして、海底下探査用の音波装置が捉えた平坦な反射面」

 

澄人が、配布資料へ視線を落とした。

 

「反射面の深さは」

 

「海底面から、およそ12メートルから20メートル下。堆積層の厚さによって変わる」

 

「火山性の岩盤では」

 

「可能性は残っている。だから、四基目とは呼ばない

 

久保田さんは、はっきり言った。

 

「黒岩、樽内、鳴瀬と似ている。だが、同じものだとはまだ言えない。今回は誰も現物を見ていない。試料もない。推測を事実として扱うつもりはない」

 

俺は頷いた。

 

この人が慎重だからこそ、俺たちの資料も「面白い仮説」ではなく、検証すべき対象として扱われている。

 

「第1次調査は、無人機で行う」

 

海洋担当の技官が、次の資料を配った。

 

調査船。

曳航式磁力計。

サイドスキャンソナー。

海底下を調べるサブボトム・プロファイラ。

水温、塩分、圧力を測る観測器。

遠隔操作式の無人探査機。

耐圧カメラと試料回収アーム。

海流と気象を含む運航計画。

通信断や機材喪失を想定した救難手順。

 

俺たちがザックを背負って山へ入っていた頃とは、規模が違った。

 

「人間は下ろさない」

 

技官が念を押した。

 

「水深1000メートルでは、水圧は約100気圧。最初に行くのは無人探査機だ。対象の性質が分からない以上、有人潜水艇の投入も行わない」

 

その言葉に、反射的に口が動いた。

 

「……俺も、調査船へ」

 

言い切る前に、自分で止めた。

 

胸の奥では、まだ声がしている。

 

自分が行かなければならない。

誰かへ任せたら、間に合わない。

前世のあの日から、身体へ染みついた恐怖だった。

 

久保田さんは、続きを待っていた。

 

俺は机の下で握った拳を、ゆっくり開いた。

 

「いえ。訂正します」

 

「ほう」

 

「俺は潜水の専門家ではありません。海上作業の訓練も受けていない。現場へ行けば、守られる側になります」

 

自分で口にすると、痛いほどよく分かった。

 

「第1次調査には、乗りません」

 

久保田さんが、わずかに目を細めた。

 

「昨年の君なら、食い下がっただろうな」

 

「昨年の俺は、自分で行くことと、自分の仕事をすることを、同じだと思っていました」

 

「今は違うと?」

 

「はい」

 

俺は、無人探査機の仕様書を指した。

 

「代わりに、この機体へ載せる観測ユニットと、安全手順を俺たちに作らせてください」

 

 

◇◇◇

 

 

TPCが借り受けるのは、海洋研究機関の有索式無人探査機だった。

 

母船から延びるケーブルを通じて電力と映像をやり取りし、海底付近を遠隔操作で移動する。

 

機体そのものには手を入れない。

俺たちが担当するのは、追加観測ユニットと、そのデータを読む判定系だった。

 

最初の問題は、磁力計の位置だった。

 

「本体へ付けたら、スラスターのモーターと電源系の磁場を拾います」

 

俺が図面へ円を描くと、海洋研究者が頷いた。

 

「最低でも機体から1.5メートルは離したい。ただし長い支持棒は、海流で振られる」

 

「非磁性材で、途中に弱い部分を作りましょう」

 

健三さんが提案した。

 

「岩へ引っかかったとき、本体ごと持っていかれる前に、棒だけ折れるようにする」

 

ゴウが、すぐに寸法を書き始めた。

 

「交換できるカートリッジ式にする。壊れたら船上で差し替えればいい」

 

美園さんは、その横で部品番号を振っていた。

 

「左右で形を変えないでください。同じ部品なら予備を半分にできます」

 

「……分かった」

 

ゴウが素直に図面を直す。

美園さんがそばにいるときだけ修正が早いのは、たぶん気のせいではない。

 

観測するのは、磁場、水温、圧力、水中音、映像。

海底へ一時的に接触させる振動センサーも用意するが、対象へ直接触れさせない。

 

澄人と遠野さんは、受信画面を3段階に分けた。

 

『平常』

『要確認』

『接近中止』

 

警告の横には、必ず理由が表示される。

 

『磁場変動+水温偏差』

『周期音+映像異常』

『機体姿勢不安定+ケーブル張力上昇』

 

何が起きたか分からないまま、赤い警告だけが点灯することはない。

 

「通信が切れた場合は?」

 

久保田さんに問われ、俺は非常時手順を示した。

 

「有索機なので、通常はケーブルを通じて回収します。ただし、ケーブルが完全に切れた場合に備えて、非常用の錘を切り離します」

 

「切り離すと」

 

「機体が正の浮力になります。推進器を停止し、一定速度で浮上。音響ビーコンと閃光灯を起動して、海面で回収を待つ」

 

「電源喪失時は」

 

「機械式の遅延機構で錘を外します。制御器が死んでも浮上できるようにします」

 

健三さんが、隣で小さく笑った。

 

「海の底でも、同じだな」

 

「はい」

 

壊れたときに、どうなるかを先に決める。

 

外骨格の開放弁から始まった考え方が、今度は水深1000メートルの探査機を帰す仕組みになっていた。

 

最後に、接近手順を決めた。

 

対象候補から50メートルで停止。

観測値を3分間記録。

異常な変化がなければ20メートルまで接近。

再度停止し、映像と音響を確認。

5メートル以内への接近と試料採取は、第1次調査では行わない。

 

「慎重すぎないか」

 

海洋担当の技官が言った。

 

「過去の3地点では、環境が変化した直後に構造物側の反応が強まっています」

 

俺は、断定を避けて説明した。

 

「黒岩では坑道の開放後、鳴瀬では湧出量低下と発光・振動の増大が同じ時期に起きた。因果関係は証明できませんが、刺激で状態が変わる可能性は排除できません」

 

久保田さんが、手順書へ目を通した。

 

「よし。第1次調査は観測だけだ。接触も採取も行わない」

 

その一言で、計画が決まった。

 

 

◇◇◇

 

 

会議の終盤、スクリーンへ海底下の予想断面が映された。

 

薄い堆積層。

その下に続く、不自然に平坦な反射面。

 

映像ではない。

音波を計算処理して作った、色のない断面図にすぎない。

 

それなのに——胸が、急に圧迫された。

 

「……っ」

 

深い水の底へ沈められたように、息が詰まる。

胸郭ではなく、もっと内側を、冷たい手で握られたような感覚だった。

 

ほんの一瞬で消えた。

 

俺は無意識に、室内を見回した。

 

会議室の隅で、奏が胸元を押さえていた。

 

彼女もすぐに手を下ろし、何事もなかったように資料へ目を戻した。

 

目が合う。

 

奏は、小さく首を横へ振った。

 

なんでもない。

 

声にされていないのに、そう言われた気がした。

 

俺も目を逸らした。

 

暗い深海の断面図を見たからだ。

前回の遠心試験の疲労が残っているのかもしれない。

同じ瞬間に息苦しくなったのも、偶然だ。

 

そう処理しようとした。

 

だが、胸の奥には、海とは違う感覚が残っていた。

 

何かが苦しんでいる。

 

そんな、根拠のない感覚が。

 

奏は資料を持つ指へ、少しだけ力を込めていた。

 

 

◇◇◇

 

 

10月17日。

 

伊豆諸島東方海域へ、調査船『海鳴(かいめい)』が出た。

 

第1次調査に乗船したのは、TPCと海洋研究機関の職員だけだった。

俺たちは東京の技術評価室で、送られてくる映像とデータを待った。

 

モニターの前には、俺、澄人、ゴウ、教授、奏。

遠野さんは判定ログの記録を担当し、美園さんと健三さんは相沢製作所で予備部品の待機に入っている。

 

午前10時12分。

無人探査機が海面へ降ろされた。

 

映像が揺れ、白い泡が画面を埋める。

 

深度100メートル。

太陽の光が青く薄まる。

 

300メートル。

色が消える。

 

500メートル。

ライトの外は、完全な闇になった。

 

カメラの前を、白い粒が絶えず流れている。

海中を沈む有機物——マリンスノー。その向こうを、透き通った小さな生物が一瞬だけ横切った。

 

「深度800。姿勢、安定」

 

船上のオペレーターの声が、衛星回線越しに届く。

 

探査機のライトが、やがて海底を照らした。

 

細かな泥に覆われた、緩やかな斜面。

生き物の巣穴らしい小さな穴が、ところどころに開いている。

 

サイドスキャンソナーが地表の形をなぞり、サブボトム・プロファイラが泥の下へ音波を送る。

 

『要確認』

 

画面の一角が黄色へ変わった。

 

理由表示。

 

『海底下反射面:連続』

『磁場偏差:基準値超過』

 

「反射面まで、推定16メートル」

 

澄人が読み上げた。

 

探査機は海底から10メートルの高度を保ち、ゆっくり斜面を下った。

 

反射面は途切れない。

100メートル進んでも、200メートル進んでも、泥の下に平らな境界が続いている。

 

自然の岩盤なら、ここまで均一にはならない。

 

「前方30メートル。露出部らしき反応」

 

オペレーターが告げた。

 

探査機が停止する。

 

手順どおり、3分間の観測。

 

磁場は高いが、急変はない。

水温偏差、0.4℃。

周期的な低周波音が、23秒間隔で繰り返されている。

 

「20メートルまで接近を許可」

 

久保田さんの声。

 

探査機が、再び進み始めた。

 

ライトの先で、泥の斜面が途切れる。

 

最初は、岩だと思った。

 

黒く、平らな面。

堆積物の間から、ほんの数メートルだけ露出している。

 

だが、その端はあまりにも真っ直ぐだった。

自然の割れ目ではない。

削ったような直線が、ライトの外まで続いている。

 

「映像、拡大」

 

久保田さんの声が掠れた。

 

カメラが寄る。

 

黒い表面には、血管のような細い隆起が走っていた。

黒岩で見たものと同じ。

樽内で見たものと同じ。

鳴瀬の亀裂の奥で、荒く脈打っていたものと同じ。

 

判定画面が、赤へ変わった。

 

『接近中止』

 

『磁場変動+周期音+表面発光』

 

表面発光。

 

その文字が出た直後だった。

 

黒い面の上へ——横一線に、青白い光が灯った。

 

暗い海の底で、瞼が開くように。

 

探査機の映像が一瞬だけ乱れた。

 

「距離を維持。接触するな」

 

久保田さんが即座に指示を出した。

 

探査機は前進を止めた。

 

青白い光は、ゆっくりと明滅している。

23秒に一度。

低周波音と、まったく同じ周期で。

 

通信室から、誰の声も消えた。

 

やがて久保田さんが、海上から俺たちへ呼びかけた。

 

「……鈴木君」

 

「はい」

 

「訂正する」

 

モニター越しでも、彼が息を呑んでいるのが分かった。

 

「これは、海底にあるんじゃない」

 

暗い泥の下へ、反射面はどこまでも続いている。

 

海底そのものが、何かの上に積もっている

 

俺は、画面を見つめた。

 

四基目。

 

そう呼ぶには、まだ調べるべきことが多すぎる。

久保田さんなら、きっと今日の段階では認めない。

 

それでも俺は、知っていた。

 

深い海の底で、それは眠っている。

 

いや。

 

青い光は、もう一度、ゆっくりと明滅した。

 

眠りながら、こちらを見ている。

 

 

=========================================

【現在のステータス・スキル情報】

[BASE STATUS]

┣ 演算処理能力: D

┣ 空間認識力 : D

┣ 反応速度 : D

┗ G耐性/肉体: F (装具装着時:D相当)

 

[ACQUIRED SKILLS & KNOWLEDGE]

┣【超古代言語理解 Lv.2】

┣【初級・機械工学/プログラム言語】

┣【中級・航空力学/制御アルゴリズム】

┣【上級・次世代エネルギー/流体力学】

┣【マクロス初代・統合技術パック】

┃ ┗ 地球技術への翻訳作業:一次分類完了

┣【インファイト Lv.1】

┗【SPアップ Lv.1】

 

[SYSTEM DATA]

┣ 所持ポイント: 12,800 SP

┣ 残機数 : 3 / 3

┣ 開発項目 : 操縦者保護連携/故障安全設計/観測ユニット

┣ 第1次海底調査 : 完了(接触・試料採取なし)

┗ 四基目候補 : 伊豆諸島東方・水深約1050メートル

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第24話をお読みいただき、ありがとうございました。

今回は、マクロスの技術を現代へ翻訳する試みと、第4地点候補への海底調査を描きました。

自ら危険へ飛び込むのではなく、仲間と技術を送り出すことで、灯たちは深海へたどり着きます。

しかし、海底で見つかったものは、ただ眠っているだけではないようです。

次回もどうぞよろしくお願いいたします。
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