鋼鉄の灯火は深淵を照らす—超古代の厄災と、メカオタクの生存戦略—— 作:カノープス・ギア
灯と仲間たちが作り続けてきた《白鷺》、有人初飛行です。
どうぞお楽しみください!
第38話 初めて、助けた
2007年5月18日。
大学を卒業し、TPCの技術職として働き始めてから、1か月半。
俺の名刺には、《航空開発部門・技術職》とだけ刷られている。
もう1つの所属である、特別技術協力事業《白鷺》の名は載っていない。
白鷺班は、存在を消された秘密部隊ではない。
TPC、大学、相沢製作所、医療研究部門が人と技術を持ち寄った、外部共同チームだ。
予算も、責任者も、内部記録も存在する。
ただし、超古代由来の情報や、通常の航空技術では説明できない試作品を扱うため、活動の大半は公表されない。
そして今日。
《白鷺》技術実証初号機へ、初めて人間が乗る。
沿岸試験場の更衣室で、俺はEX-ギアを装着していた。
外骨格。
耐G装具。
生体センサー。
緊急脱出補助。
操縦入力系。
これまで別々に試してきた機能を、1つの操縦装備へまとめたものだ。
完成品ではない。
現在の正式名称も、《操縦統合装具・試作1号》。
EX-ギアは、俺とシステムだけが使っている呼び名だった。
「右大腿部、圧力正常」
装着を手伝う真壁先生が、端末を確認する。
「腹部圧迫、正常。緊急解放も問題なし」
奏は、俺の胸元へ生体センサーを固定した。
「鈴木さん。深呼吸してください」
「緊張しているの、分かります?」
「心拍数が132です。分からないほうが難しいです」
「今日くらいは許してください」
「緊張することは許します。隠すことは許しません」
奏は、センサーの上から軽く押さえた。
「胸苦しさ、頭痛、視界の違和感。小さくても申告してください」
「はい」
「返事だけは、いつも立派ですね」
「黒木さんと同じことを言わないでください」
奏の口元が、わずかに緩む。
その表情を見て、少しだけ肩の力が抜けた。
今日まで、何もせず待っていたわけではない。
無人初飛行から、合計14回の試験飛行。
翼角変更。
推力偏向。
通信断。
主制御停止。
独立帰還制御への切り替え。
着陸装置を1系統失った状態での進入。
人を乗せる前に起こせる故障は、可能な限り無人で起こした。
それでも、有人化には時間が足りなかった。
操縦席。
EX-ギア。
生体監視。
緊急脱出。
遠隔操縦から直接操縦へ切り替えた場合の制御遅延。
4月30日。
世界規模の前兆が増え始めた夜、俺は新しいSPの使い方を選んだ。
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【開発支援:有人化統合・試験工程最適化】
必要SP:3,000
支援内容:
・有人操縦区画と既存機体の干渉解析
・飛行制御シミュレーション:12,000条件
・地球製材料への置換候補
・加工用データおよび試験優先順位の提示
※設計、製造、試験、医療承認を代行しません
※未取得の実測データは補完できません
※安全性は、実機試験による確認が必要です
=========================================
「実行する」
【3,000 SPを消費しました】
システムは、《白鷺》の図面を完成させなかった。
代わりに、俺たちが検討していた設計案を、失敗しやすい順に並べた。
操縦席の固定部へ荷重が集中する案。
EX-ギアの緊急解放とキャノピー開放が干渉する案。
操縦者の入力と副制御が競合する案。
12,000通りの結果を受け取っても、実際に図面を修正したのは航空開発班だった。
部品を削ったのは、相沢製作所。
機体へ組み込んだのは、TPCの整備班。
医療側は、システムが問題なしと示した項目であっても、自分たちの基準で試験を続けた。
普通なら数か月かかった設計の往復を、18日へ縮めた。
工程を消したのではない。
迷う時間を、SPで買った。
更衣室を出る前。
奏が、俺の腕を呼び止めた。
「鈴木さん」
「はい」
「見ていますから」
管制室から、という意味だろう。
それでも、卒業式の日に言いかけた言葉を思い出した。
隣にいてほしい。
「お願いします」
「無事に帰ってきてください」
「帰ります」
「必ず?」
「待っている人がいるので」
奏の指が、EX-ギアの袖から離れる。
「……行ってらっしゃい」
「行ってきます」
格納庫の扉が開く。
白い機体が、初夏の光の中に立っていた。
全長6.4m。
機首には、無人試験用モジュールの代わりに、有人操縦区画が搭載されている。
塗装の下には、無人飛行で受けた細かな傷と、交換した部品の記録が残っている。
新品ではない。
落ちずに帰る方法を、14回分覚えた機体だった。
「灯」
ゴウが機体の下で待っていた。
「初飛行の感想は、戻ってから聞く」
「縁起でもない言い方するなよ」
「違う。飛ぶ前に聞いても、全部想像だろ」
ゴウは、前脚を軽く叩いた。
「本物の感想を持って帰ってこい」
「ああ」
健三さんは、開かれた点検口の奥を最後まで確認していた。
「右の冷却B、昨日の流量変動は直した。だが、計器に出る前の違和感があったら戻れ」
「違和感?」
「音でも、振動でも、臭いでもいい。作った奴の数字より、乗ってる奴の尻が先に気づくことがある」
「分かりました」
黒木さんは、俺のヘルメットを指先で叩いた。
「今日は、空を楽しむ日じゃない」
「有人初飛行試験です」
「分かってるならいい。最大4.5G。翼角変更は第1段階まで。推力偏向は20%以内」
「はい」
「もっと行けると思っても、行かない」
「はい」
「帰ってから、次へ行く」
「はい」
「よし。乗れ」
操縦席へ身体を収める。
EX-ギアの背部接続部が、座席の固定具へ噛み合った。
かちり。
身体と機体が、機械的につながる。
目の前の計器へ、1つずつ明かりが入った。
前世で、模型の小さな操縦席へ想像の自分を座らせていた。
あのころ欲しかったのは、ただ格好よく飛ぶ力だったのかもしれない。
いまは違う。
この席から、必ず帰る。
そのために、機体と装具と管制室が作られている。
「《白鷺》、有人初飛行を開始します」
『管制、了解』
澄人の声。
『主制御、副制御、独立帰還制御。正常』
遠野さんが続く。
『飛行試験H-01。中止条件、22項目を登録』
『操縦者の心拍数、127。脳表酸素化、血圧、酸素飽和度、すべて基準内です』
奏の声が、耳元へ届く。
『見ています』
「了解」
スロットルを進めた。
推進器の振動が、座席から背骨へ伝わる。
地上で何度も聞いた音。
操縦席の中では、機体の呼吸に近かった。
滑走を開始する。
時速120km。
160km。
200km。
前回の無人飛行と同じ速度。
だが、モニター越しではない。
滑走路の継ぎ目が、身体の下を通り過ぎるたび、振動が腰へ届く。
EX-ギアが脚と腹を締め、加速で血液が偏るのを抑える。
「入力を増やすな」
黒木さんの声。
『速度と姿勢は揃っている。待て』
機首が、わずかに軽くなる。
前脚が離れる。
続いて、主脚。
振動が消えた。
《白鷺》が地面を離れた。
浮いた。
そう思った次の瞬間には、試験場が眼下へ下がっていた。
海。
滑走路。
白い格納庫。
そこへ集まっている仲間たち。
自分で設計した機体に、自分が乗っている。
地上から眺めていた空の中へ、身体ごと入っていた。
(見えるか、前世の俺)
届かなかった場所へ、届いた。
目の奥が熱くなる。
涙が視界を滲ませる前に、瞬きをした。
「高度300m。上昇率、計画値内」
『管制でも確認』
澄人の声も、普段よりわずかに高い。
『《白鷺》有人初飛行——成立』
通信の奥で、ゴウの叫び声が聞こえた。
すぐに美園さんから、「通信中です」と注意されている。
笑いそうになる。
「灯。まだ終わってないぞ」
黒木さんに言われ、計器へ意識を戻す。
「高度800mで水平飛行へ」
「了解」
有人初飛行で確認するのは、基本操作だけだった。
左右旋回。
上昇と降下。
主翼角の第1段階変更。
推力偏向15%。
操縦者の入力を副制御が抑える感覚。
生体警告とEX-ギアの連動。
俺が操縦桿を倒す。
機体が応える。
無人飛行の映像で見た動きとは違った。
翼へ荷重が乗る瞬間が、腰と肩へ伝わる。
推力偏向板が動けば、機首が空気を押す感覚まで分かる。
ただし、《白鷺》は俺の身体ではない。
操縦者が気持ちよい動きと、機体に無理のない動きは違う。
機体が応えるからといって、限界まで命令してよいわけではない。
「右旋回。荷重3.2G」
『脳表酸素化、安定』
奏が状態を読む。
「次、4.0Gまで」
『許可します。3秒以内』
操縦桿を引く。
身体が座席へ押しつけられた。
EX-ギアが脚と腹を締める。
視野は保たれている。
『4.1G。残り2秒』
奏の声。
『1秒——解除してください』
操縦桿を戻す。
機体が水平へ移る。
警報は鳴らない。
鳴る前に、管制から止められた。
「体調は?」
『異常なし』
「俺が答える質問じゃないんですか」
『数値を答えました。鈴木さん自身の感覚は?』
「視界、呼吸、手足。問題ありません」
『記録しました』
空の中にいても、1人ではなかった。
俺が機体を見る。
奏が俺の身体を見る。
澄人と遠野さんが制御と記録を見る。
地上にいる全員が、俺の帰り道を作っている。
飛行開始から37分。
予定していた項目をすべて終えた。
まだ飛べる。
もっと旋回できる。
推力も半分近く残している。
それでも、帰る。
「《白鷺》、帰投します」
滑走路へ進入する。
速度を落とす。
主翼を低速用へ戻す。
主脚が地面へ触れ、一度だけ小さく跳ねた。
「入力を足すな」
黒木さんの声に従い、機体が沈むのを待つ。
前脚が接地。
減速。
予定範囲内で停止した。
推進器を切る。
キャノピーが開いた瞬間、外の音が一気に入ってきた。
最初に聞こえたのは、ゴウの声だった。
「どうだった!」
俺はヘルメットを外し、息を吸った。
空の匂いがするわけではない。
推進器と、熱を持った金属と、海風の匂いだった。
「……飛んだ」
「見りゃ分かる!」
「違う」
言葉を探す。
「俺が、飛んだ」
ゴウは一度だけ目を見開いた。
それから、俺の肩を強く叩いた。
「おう。飛んだな」
◇◇◇
有人初飛行から、15日。
白鷺班は、5回の有人飛行試験を実施した。
飛行時間を延ばし、夜間着陸と通信断からの帰還を試した。
同時に、救難用モジュール《R-01》の地上試験も進めていた。
《白鷺》の中央下部へ取り付ける、小型の救助装備。
電動ウインチ。
1人用の密閉救助バスケット。
救助者を地面へ降ろさず、要救助者を1人ずつ吊り上げるためのものだ。
格好のよい武器ではない。
それでも、白鷺班が最初に実用化を選んだ装備だった。
人を乗せた機体なら、まず人を助けられるようにする。
まだ飛行中の使用許可は下りていない。
地上で荷重試験を行い、無人機で一度だけ吊り下げ試験を終えた段階だった。
2007年6月2日、午前6時18分。
沿岸部を通過中の発達した低気圧が、予測を超えて急速に強まった。
台風ではない。
ただし、前線と海面水温の影響が重なり、一部地域で最大瞬間風速40mを超える暴風となった。
山間部では、前夜からの大雨で土砂崩れと河川氾濫が同時に発生。
TPCの救難航空隊は、複数の被災地へ出動している。
午前7時03分。
白鷺班の詰所へ、久保田さんから緊急連絡が入った。
「沿岸から12km入った山間集落で、3名が孤立している」
モニターへ現地映像が表示される。
川沿いの小さな集落。
大半の住民は避難済みだったが、避難所へ向かう途中で道路が崩れ、3人が公民館へ戻った。
建物の1階は浸水。
3人は屋上へ移動している。
成人女性。
高齢女性。
7歳の子ども。
「消防の救助隊は?」
俺が尋ねる。
「南側の道路が崩落。徒歩では最低4時間。ヘリは、谷の横風と視界不良で進入できない」
「《白鷺》なら、到達できます」
言った瞬間、部屋の視線が集まった。
「通常飛行なら可能です。ただし、現地で救助するにはR-01を使う必要があります」
「飛行試験は終わっていない」
久保田さんの声は厳しい。
「R-01も、有人状態での吊り上げは未実施だ」
「分かっています」
「救助へ行き、試験機まで墜落すれば、被害を増やす」
「だから、条件を決めます」
俺は現地の地形と風向きを確認した。
公民館の屋上は、谷の西側にある。
南西から強い風が吹き抜けている。
向かい風へ機首を向ければ、《白鷺》の対地速度を小さくできる。
完全な静止飛行ではない。
失速速度に近い対気速度を保ちながら、地面に対する移動を抑える。
「風速が基準を超えた場合は進入しない。屋上の構造が映像で確認できなければ、バスケットを下ろさない。1人ずつ、近くの高台へ移送します」
「現地滞在時間は?」
「1回の吊り上げを90秒以内。3回で、最大8分」
「救助バスケットの操作は」
「機体側の自動張力制御と、澄人の遠隔監視。屋上では、要救助者本人に入ってもらいます」
7歳の子どもに、暴風の中で単独乗降させるのは難しい。
「成人女性へ、先に無線機を投下します。子どもは女性と2人用の緊急ハーネスで固定する」
「定員を超える」
美園さんが即座に指摘する。
「バスケットの人員定員は1名です」
「重量は?」
「成人女性と子どもを合わせても、荷重試験値の範囲内です。でも、定員は重量だけでは決まりません」
「なら、子どもを先に1人で上げる」
遠野さんが現地映像を拡大した。
「屋上にいる女性が、無線で手順を伝えられれば可能です。乗降時間は長くなります」
真壁先生が、俺のほうを見る。
「鈴木さんの体調は、出動基準内。ただし、5回目の飛行から48時間しか経っていません」
奏も、医療記録を確認する。
「疲労指標は基準内です。ですが、暴風下では通常より操作負荷が高くなります」
「白石さん」
俺は彼女を見る。
「飛べると思いますか」
奏はすぐには答えなかった。
感情ではなく、データと俺の顔を見て判断している。
「飛行そのものは、許可範囲です」
一度、言葉を切る。
「ただし、現地で心拍と脳表酸素化が警告域へ入った場合は、1人残っていても一度離脱してください」
「戻って、もう一度行きます」
「はい。1回で全部を助けようとしないでください」
黒木さんが、机を軽く叩いた。
「現場指揮は俺がやる。進入中止を命じたら戻れ」
「了解」
久保田さんは、全員の意見を聞いたあと、サワイさんと短く連絡を取った。
「特殊災害救助として、《白鷺》の出動を承認する」
白鷺班として、初めての実任務だった。
格納庫で、全員が同時に動き始めた。
ゴウと健三さんが、R-01を機体下部へ取り付ける。
「固定ボルト、4本!」
「締結トルク、確認!」
美園さんが部品番号と使用時間を記録する。
「ウインチSW-R01、使用前点検完了。予備電池、搭載」
澄人は、無人試験で使った張力制御を有人機の制御系へ接続する。
「白鷺の姿勢制御とは独立させる。ウインチ側が異常でも、飛行制御へ入力を返さない」
遠野さんは、現地の風速と機体の中止基準を同じ画面へ表示した。
「瞬間風速38m以上。ワイヤー振れ角25度以上。張力の急変。いずれかで自動巻き上げ」
真壁先生と奏が、俺のEX-ギアを確認する。
「鈴木さん」
奏の手が、最後に胸部センサーへ触れた。
「帰ってきてください」
「はい」
「約束ですよ」
「約束します」
今度は、言葉だけにしない。
3人を助ける。
俺も戻る。
どちらも、任務の一部だ。
◇◇◇
《白鷺》は、暴風の雲へ入った。
機体が大きく揺れる。
主翼へ横風が当たり、右へ押される。
推力偏向で機首を戻し、可動翼が左右の荷重差を吸収する。
「風速、南西27m。瞬間34m」
遠野さんの声。
『谷へ入ると、さらに上がる可能性があります』
「了解」
通常の救難ヘリが飛べなかった理由が分かる。
風は一定ではない。
壁のように押してくるのではなく、方向と強さを変えながら機体を殴る。
《白鷺》は、怪獣用の戦闘機ではない。
だが、縮小実証機から積み上げた分散制御と推力偏向は、乱れた空気の中で真価を発揮した。
1つの大きな修正で姿勢を戻すのではない。
翼。
尾部。
推力。
3つの制御が、小さな修正を同時に重ねる。
機体が、風へ力で逆らうのではなく、受けた力を別の方向へ逃がしていく。
「右前方、集落を確認」
濁流に囲まれた公民館。
屋上に、3つの人影が見えた。
白い布を振っている。
子どもがいる。
その姿を見た瞬間、胸の奥に、前世の瓦礫が浮かんだ。
助けて。
届かなかった声。
動かなかった梁。
心拍が跳ねる。
『鈴木さん』
奏の声が、すぐに届いた。
『心拍が上がりました。現在地を言ってください』
「山間集落、公民館上空へ進入中」
『帰還先』
「沿岸試験場。管制に、みんながいます」
『助ける人数』
「3人」
『鈴木さん自身を含めると?』
一瞬、答えが遅れた。
「4人です」
『そうです。4人全員で帰ります』
呼吸を整える。
過去ではない。
今日は、機体がある。
仲間がいる。
帰る道もある。
「《白鷺》、救助位置へ入ります」
機首を風上へ向ける。
対気速度を保ちながら、対地速度を時速6kmまで落とす。
完全には止まれない。
屋上の上を、ゆっくりと横切る。
「無線機を投下」
小さな耐衝撃容器が、屋上へ落ちた。
成人女性が拾う。
『聞こえますか』
「聞こえます!」
泣きそうな声が返る。
「今から、1人ずつ救助バスケットを下ろします。最初は、お子さんです」
「この子を1人で?」
「バスケットは閉鎖式です。こちらから手順を説明します。お母さんが乗せてください」
女性は何度も頷いた。
俺は、公民館の屋上を外れる。
旋回し、再び風上から進入する。
「R-01、降下開始」
機体下部から、黄色い救助バスケットが降りていく。
ワイヤーが風に流される。
「振れ角18度」
澄人が読む。
『張力、正常。右へ1.2m補正』
機体をわずかに移動させる。
屋上の端へ近づきすぎないよう、レーザー測距を確認する。
バスケットが屋上へ触れた。
成人女性が、子どもを中へ入れる。
扉を閉める。
「固定、確認!」
「巻き上げる」
ワイヤーが張る。
子どもを乗せたバスケットが、屋上を離れた。
その瞬間。
「下降気流!」
機体が、数m押し下げられた。
反射的にスロットルを上げる。
推力偏向を20%。
右主翼の角度を補正。
《白鷺》が高度を取り戻す。
「ワイヤー張力、上限の82%!」
『急に上げないでください!』
澄人の声。
推力を少し戻す。
機体を救えば、ワイヤーが切れる。
ワイヤーだけを守れば、機体が屋根へ落ちる。
両方の動きを、同時に見る。
空間認識力C。
反応速度C。
システムで強化した能力が、ばらばらの情報を1つの立体として組み上げる。
バスケットの位置。
機体の姿勢。
屋上までの距離。
風の向き。
次に来る揺れ。
「姿勢、安定」
「張力、低下」
バスケットが機体下部へ収まった。
子どもの泣き声が、救助装備の通信から聞こえる。
生きている声だった。
「第1救助、成立」
近くの高台へ移動し、待機していた地上救助班へ子どもを引き渡す。
2回目。
高齢女性。
身体を動かすのが難しく、成人女性がバスケットへ入れるまで時間がかかった。
「現地滞在、72秒」
『瞬間風速36m』
中止基準まで、あと2m。
「あと10秒で固定できなければ、一度離脱します」
無線へ伝える。
「分かりました!」
成人女性が、最後の固定具を閉じる。
「固定確認!」
巻き上げる。
高齢女性も、高台へ運ぶ。
最後。
屋上に残った成人女性。
雨水が膝近くまで上がっている。
濁流が、公民館の壁へ繰り返しぶつかる。
3回目の進入。
「風速37m」
遠野さんの声が硬い。
『一度でも38mを超えたら中止です』
「了解」
救助バスケットを下ろす。
女性が扉を開く。
そのとき。
屋上の一部が、濁流の衝撃で沈んだ。
女性が足を取られる。
「つかまって!」
無線へ叫ぶ。
女性は、バスケットの縁を掴んだ。
ワイヤーが急に張る。
「張力急上昇!」
自動中止条件。
通常なら、バスケットを巻き上げる。
だが、女性の身体は半分外にある。
このまま急に上げれば、落ちる。
「自動巻き上げを止める!」
『灯!』
黒木さんの声。
「5秒だけください!」
機体を風下へ50cm流す。
ワイヤーの横方向の力を抜く。
女性が、もう片方の手をバスケットへかける。
「今です! 中へ!」
身体が入る。
扉が閉じた。
「固定確認!」
「巻き上げる!」
バスケットが屋上を離れた。
直後、公民館の一部が濁流へ崩れ落ちた。
間に合った。
今度は、間に合った。
『鈴木さん、心拍150。呼吸を整えてください』
奏の声が、俺を現実へ戻す。
「3人目、収容」
『すぐに離脱してください』
「了解。帰ります」
《白鷺》は谷を抜け、高台へ向かった。
◇◇◇
3人目を地上救助班へ引き渡したあと、《白鷺》は沿岸試験場へ帰投した。
右主翼の外板に、小さな亀裂。
R-01のワイヤーは交換基準を超えて伸びている。
推進器の冷却Bも、通常より高い温度を記録していた。
無傷ではない。
それでも、機体は自分の脚で着陸した。
キャノピーを開ける。
EX-ギアの接続を外す。
地面へ降りた瞬間、膝から力が抜けた。
その場へ座り込みそうになった身体を、ゴウが支える。
「おい」
「大丈夫」
「その台詞、医療の前で言うな」
ゴウは全身ずぶ濡れだった。
地上救助班と一緒に、高台で受け入れを担当していたらしい。
「3人とも無事だ」
「ああ」
「子ども、ずっと泣いてた。でも、母親が来たら抱きついてた」
「……そうか」
それだけで、視界が滲んだ。
「泣いてるな」
「雨だ」
「格納庫の中だぞ」
今回は、否定できなかった。
前世で、俺は間に合わなかった。
声が聞こえていたのに、瓦礫を動かせなかった。
今日。
白い機体で、声のある場所へ飛んだ。
3人を1人ずつ持ち上げた。
俺を含めて、4人で帰ってきた。
「……助けた」
「ああ」
ゴウが、俺の肩を強く叩く。
「俺たちが助けた」
医務室へ連れていかれ、心電図、血圧、神経学的確認を受けた。
興奮状態を除けば、大きな異常はない。
検査を終えたあと。
奏が、医務室の外で待っていた。
「鈴木さん」
「ただいま」
「おかえりなさい」
その言葉を聞いた瞬間。
ようやく、本当に帰ってきたのだと思った。
奏は、俺の顔を確かめるように見つめる。
「最後の救助で、自動中止を止めましたね」
「はい」
「手順違反です」
「女性が半分外にいて、巻き上げたら落ちると判断しました」
「記録で確認します。判断が正しかったかは、そのあとです」
「はい」
叱られると思った。
奏は一歩近づき、俺の胸元へ額をつけた。
次の瞬間。
両腕が、背中へ回った。
短い抱擁だった。
強くはない。
それでも、EX-ギアを外したばかりの身体には、その温度がはっきり分かった。
「……無事で、よかった」
震える声。
俺は一瞬、何もできなかった。
それから、奏の背中へ片腕を回す。
「約束、守りました」
「はい」
「4人で帰りました」
「はい」
奏は数秒後に離れた。
顔が赤い。
俺も、たぶん同じだった。
「これは、医療行為ですか」
「違います」
即答だった。
「では」
「それ以上は、今聞かないでください」
「はい」
奏は呼吸を整え、いつもの表情へ戻ろうとした。
完全には戻れていなかった。
「救助地点を見つけたとき、心拍が一度だけ大きく乱れました」
「昔のことを、思い出しました」
俺は、少し迷ってから続ける。
「以前、助けられなかった人がいます。声が聞こえていたのに、間に合わなかった」
前世という言葉は出さなかった。
それでも、今までより一歩だけ、自分の内側を見せた。
奏は、理由を問い詰めなかった。
「今日助けたことは、その人の代わりではありません」
「……はい」
「過去の埋め合わせにされたら、今日の3人も、鈴木さんも苦しくなります」
胸へ刺さる言葉だった。
奏は、傷つけるためではなく、丁寧に続ける。
「助けられなかったことが消えなくても、今日助けたことは本物です」
屋上から上がってきた、子どもの泣き声を思い出す。
「鈴木さんは、もう間に合っています」
俺は、ゆっくり頷いた。
「ありがとうございます」
「お礼は、機体を直してからにしてください」
「そこは健三さんと同じですね」
「白鷺班なので」
格納庫では、すでに点検が始まっていた。
右主翼の亀裂。
ワイヤーの伸び。
冷却Bの温度上昇。
3回目の進入で、自動巻き上げを停止した判断。
誰も、救助成功だけで終わらせない。
次も助けるために、今日の危険を全部残す。
その夜。
詰所で1人になったとき、青い画面が開いた。
=========================================
【実績達成】
▶ 初の有人実任務:+1,000 SP
▶ 民間人3名を全員救出:+2,000 SP
▶ 操縦者を含む全員帰還:+1,000 SP
▶ 合計獲得:+4,000 SP
▶ 所持ポイント:32,775 SP
=========================================
戦闘でも、探索でもない。
人を助け、全員で帰ったことで、SPが入った。
システムが何を目的に作られたのかは分からない。
それでも、少なくとも。
倒した数だけを評価する仕組みではない。
誰かへ届いたこと。
帰ってきたこと。
そこにも価値を置いている。
新しい表示が現れる。
=========================================
【チームクエスト:白い翼の次段階】
達成条件:
・《白鷺》の救難任務結果を反映した機体改修
・局所力場発生核の低出力実証
・実戦用装備を1種以上完成
・短時間高出力機動の安全限界を確認
報酬:
・6,000 SP
・【戦闘支援モジュール選択権】×1
※武装のみでは達成できません
※操縦者保護、帰還能力、整備性の確認を含みます
=========================================
次は、戦うための段階。
救助はできた。
暴風の中でも飛べた。
だが、ゴルザやメルバを相手にするには足りない。
攻撃を避ける速さ。
一撃だけでも受け流す盾。
翼へ傷を負っても帰れる余裕。
そして、怪獣の動きを止めるための武器。
俺はノートを開いた。
『《白鷺》実戦改修案』
最初に書いたのは、武器の名前ではなかった。
『救難モジュールを、外さずに戦えること』
人を助ける機体が、戦うためだけの機体へ変わってはいけない。
空で無双したい。
メルバより速く飛びたい。
その翼へ、自分の手で穴を開けたい。
その願いは、もう隠さない。
だが、勝ったあとに助けられなければ、俺が作りたかった機体ではない。
窓の外では、雨が弱まり始めていた。
今日。
俺は初めて、自分たちの機体で人を助けた。
次は、この白い翼で。
人を襲うものの前へ立つ。
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【現在のステータス・スキル情報】
[BASE STATUS]
┣ 演算処理能力:C
┣ 空間認識力:C
┣ 反応速度:C
┗ G耐性/肉体:D(EX-ギア試作時:短時間B相当)
[ACQUIRED SKILLS & KNOWLEDGE]
┣【超古代言語理解 Lv.2】
┣【初級・機械工学/プログラム言語】
┣【中級・航空力学/制御アルゴリズム】
┣【上級・次世代エネルギー/流体力学】
┣【マクロス初代・統合技術パック】(翻訳作業:進行中)
┣【鉄の揺籃・第1層設計記録】(外部資料/解析率1.7%)
┣【可変荷重フレーム設計(基礎)】
┣【高出力推進・熱管理統合(基礎)】
┣【ピンポイントバリア制御(基礎)】
┣【EX-ギア(操縦統合型)】
┣【インファイト Lv.1】
┗【SPアップ Lv.2】
[SYSTEM DATA]
┣ 所持ポイント:32,775 SP
┣ 残機数:3 / 3
┣ 所属:特別技術協力事業《白鷺》/中核構成員10名
┣ 《白鷺》:有人初飛行成立/初の実任務を完遂
┣ 救助実績:民間人3名/操縦者を含む全員帰還
┣ 試作ブラックボックス:局所力場発生核×1(隔離試験中)
┗ 次段階:救難能力を維持した実戦改修/短時間高出力機動
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次は、この白い翼で。
人を襲うものの前へ立つ。