鋼鉄の灯火は深淵を照らす—超古代の厄災と、メカオタクの生存戦略——   作:カノープス・ギア

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ここまで積み重ねてきたものが、ようやく空へ。

灯と仲間たちが作り続けてきた《白鷺》、有人初飛行です。

どうぞお楽しみください!


初めて、助けた

第38話 初めて、助けた

 

 

 2007年5月18日。

 

 大学を卒業し、TPCの技術職として働き始めてから、1か月半。

 

 俺の名刺には、《航空開発部門・技術職》とだけ刷られている。

 

 もう1つの所属である、特別技術協力事業《白鷺》の名は載っていない。

 

 白鷺班は、存在を消された秘密部隊ではない。

 

 TPC、大学、相沢製作所、医療研究部門が人と技術を持ち寄った、外部共同チームだ。

 

 予算も、責任者も、内部記録も存在する。

 

 ただし、超古代由来の情報や、通常の航空技術では説明できない試作品を扱うため、活動の大半は公表されない。

 

 そして今日。

 

 《白鷺》技術実証初号機へ、初めて人間が乗る。

 

 

 沿岸試験場の更衣室で、俺はEX-ギアを装着していた。

 

 外骨格。

 耐G装具。

 生体センサー。

 緊急脱出補助。

 操縦入力系。

 

 これまで別々に試してきた機能を、1つの操縦装備へまとめたものだ。

 

 完成品ではない。

 

 現在の正式名称も、《操縦統合装具・試作1号》。

 

 EX-ギアは、俺とシステムだけが使っている呼び名だった。

 

「右大腿部、圧力正常」

 

 装着を手伝う真壁先生が、端末を確認する。

 

「腹部圧迫、正常。緊急解放も問題なし」

 

 奏は、俺の胸元へ生体センサーを固定した。

 

「鈴木さん。深呼吸してください」

 

「緊張しているの、分かります?」

 

「心拍数が132です。分からないほうが難しいです」

 

「今日くらいは許してください」

 

「緊張することは許します。隠すことは許しません」

 

 奏は、センサーの上から軽く押さえた。

 

「胸苦しさ、頭痛、視界の違和感。小さくても申告してください」

 

「はい」

 

「返事だけは、いつも立派ですね」

 

「黒木さんと同じことを言わないでください」

 

 奏の口元が、わずかに緩む。

 

 その表情を見て、少しだけ肩の力が抜けた。

 

 

 今日まで、何もせず待っていたわけではない。

 

 無人初飛行から、合計14回の試験飛行。

 

 翼角変更。

 推力偏向。

 通信断。

 主制御停止。

 独立帰還制御への切り替え。

 着陸装置を1系統失った状態での進入。

 

 人を乗せる前に起こせる故障は、可能な限り無人で起こした。

 

 それでも、有人化には時間が足りなかった。

 

 操縦席。

 EX-ギア。

 生体監視。

 緊急脱出。

 遠隔操縦から直接操縦へ切り替えた場合の制御遅延。

 

 4月30日。

 

 世界規模の前兆が増え始めた夜、俺は新しいSPの使い方を選んだ。

 

=========================================

【開発支援:有人化統合・試験工程最適化】

 

必要SP:3,000

 

支援内容:

・有人操縦区画と既存機体の干渉解析

・飛行制御シミュレーション:12,000条件

・地球製材料への置換候補

・加工用データおよび試験優先順位の提示

 

※設計、製造、試験、医療承認を代行しません

※未取得の実測データは補完できません

※安全性は、実機試験による確認が必要です

=========================================

 

「実行する」

 

【3,000 SPを消費しました】

 

 システムは、《白鷺》の図面を完成させなかった。

 

 代わりに、俺たちが検討していた設計案を、失敗しやすい順に並べた。

 

 操縦席の固定部へ荷重が集中する案。

 

 EX-ギアの緊急解放とキャノピー開放が干渉する案。

 

 操縦者の入力と副制御が競合する案。

 

 12,000通りの結果を受け取っても、実際に図面を修正したのは航空開発班だった。

 

 部品を削ったのは、相沢製作所。

 

 機体へ組み込んだのは、TPCの整備班。

 

 医療側は、システムが問題なしと示した項目であっても、自分たちの基準で試験を続けた。

 

 普通なら数か月かかった設計の往復を、18日へ縮めた。

 

 工程を消したのではない。

 

 迷う時間を、SPで買った。

 

 

 更衣室を出る前。

 

 奏が、俺の腕を呼び止めた。

 

「鈴木さん」

 

「はい」

 

「見ていますから」

 

 管制室から、という意味だろう。

 

 それでも、卒業式の日に言いかけた言葉を思い出した。

 

 隣にいてほしい。

 

「お願いします」

 

「無事に帰ってきてください」

 

「帰ります」

 

「必ず?」

 

「待っている人がいるので」

 

 奏の指が、EX-ギアの袖から離れる。

 

「……行ってらっしゃい」

 

「行ってきます」

 

 

 格納庫の扉が開く。

 

 白い機体が、初夏の光の中に立っていた。

 

 全長6.4m。

 

 機首には、無人試験用モジュールの代わりに、有人操縦区画が搭載されている。

 

 塗装の下には、無人飛行で受けた細かな傷と、交換した部品の記録が残っている。

 

 新品ではない。

 

 落ちずに帰る方法を、14回分覚えた機体だった。

 

「灯」

 

 ゴウが機体の下で待っていた。

 

「初飛行の感想は、戻ってから聞く」

 

「縁起でもない言い方するなよ」

 

「違う。飛ぶ前に聞いても、全部想像だろ」

 

 ゴウは、前脚を軽く叩いた。

 

「本物の感想を持って帰ってこい」

 

「ああ」

 

 健三さんは、開かれた点検口の奥を最後まで確認していた。

 

「右の冷却B、昨日の流量変動は直した。だが、計器に出る前の違和感があったら戻れ」

 

「違和感?」

 

「音でも、振動でも、臭いでもいい。作った奴の数字より、乗ってる奴の尻が先に気づくことがある」

 

「分かりました」

 

 黒木さんは、俺のヘルメットを指先で叩いた。

 

「今日は、空を楽しむ日じゃない」

 

「有人初飛行試験です」

 

「分かってるならいい。最大4.5G。翼角変更は第1段階まで。推力偏向は20%以内」

 

「はい」

 

「もっと行けると思っても、行かない」

 

「はい」

 

「帰ってから、次へ行く」

 

「はい」

 

「よし。乗れ」

 

 

 操縦席へ身体を収める。

 

 EX-ギアの背部接続部が、座席の固定具へ噛み合った。

 

 かちり。

 

 身体と機体が、機械的につながる。

 

 目の前の計器へ、1つずつ明かりが入った。

 

 前世で、模型の小さな操縦席へ想像の自分を座らせていた。

 

 あのころ欲しかったのは、ただ格好よく飛ぶ力だったのかもしれない。

 

 いまは違う。

 

 この席から、必ず帰る。

 

 そのために、機体と装具と管制室が作られている。

 

「《白鷺》、有人初飛行を開始します」

 

『管制、了解』

 

 澄人の声。

 

『主制御、副制御、独立帰還制御。正常』

 

 遠野さんが続く。

 

『飛行試験H-01。中止条件、22項目を登録』

 

『操縦者の心拍数、127。脳表酸素化、血圧、酸素飽和度、すべて基準内です』

 

 奏の声が、耳元へ届く。

 

『見ています』

 

「了解」

 

 スロットルを進めた。

 

 

 推進器の振動が、座席から背骨へ伝わる。

 

 地上で何度も聞いた音。

 

 操縦席の中では、機体の呼吸に近かった。

 

 滑走を開始する。

 

 時速120km。

 

 160km。

 

 200km。

 

 前回の無人飛行と同じ速度。

 

 だが、モニター越しではない。

 

 滑走路の継ぎ目が、身体の下を通り過ぎるたび、振動が腰へ届く。

 

 EX-ギアが脚と腹を締め、加速で血液が偏るのを抑える。

 

「入力を増やすな」

 

 黒木さんの声。

 

『速度と姿勢は揃っている。待て』

 

 機首が、わずかに軽くなる。

 

 前脚が離れる。

 

 続いて、主脚。

 

 振動が消えた。

 

 《白鷺》が地面を離れた。

 

 

 浮いた。

 

 そう思った次の瞬間には、試験場が眼下へ下がっていた。

 

 海。

 

 滑走路。

 

 白い格納庫。

 

 そこへ集まっている仲間たち。

 

 自分で設計した機体に、自分が乗っている。

 

 地上から眺めていた空の中へ、身体ごと入っていた。

 

(見えるか、前世の俺)

 

 届かなかった場所へ、届いた。

 

 目の奥が熱くなる。

 

 涙が視界を滲ませる前に、瞬きをした。

 

「高度300m。上昇率、計画値内」

 

『管制でも確認』

 

 澄人の声も、普段よりわずかに高い。

 

『《白鷺》有人初飛行——成立』

 

 通信の奥で、ゴウの叫び声が聞こえた。

 

 すぐに美園さんから、「通信中です」と注意されている。

 

 笑いそうになる。

 

「灯。まだ終わってないぞ」

 

 黒木さんに言われ、計器へ意識を戻す。

 

「高度800mで水平飛行へ」

 

「了解」

 

 

 有人初飛行で確認するのは、基本操作だけだった。

 

 左右旋回。

 上昇と降下。

 主翼角の第1段階変更。

 推力偏向15%。

 操縦者の入力を副制御が抑える感覚。

 生体警告とEX-ギアの連動。

 

 俺が操縦桿を倒す。

 

 機体が応える。

 

 無人飛行の映像で見た動きとは違った。

 

 翼へ荷重が乗る瞬間が、腰と肩へ伝わる。

 

 推力偏向板が動けば、機首が空気を押す感覚まで分かる。

 

 ただし、《白鷺》は俺の身体ではない。

 

 操縦者が気持ちよい動きと、機体に無理のない動きは違う。

 

 機体が応えるからといって、限界まで命令してよいわけではない。

 

「右旋回。荷重3.2G」

 

『脳表酸素化、安定』

 

 奏が状態を読む。

 

「次、4.0Gまで」

 

『許可します。3秒以内』

 

 操縦桿を引く。

 

 身体が座席へ押しつけられた。

 

 EX-ギアが脚と腹を締める。

 

 視野は保たれている。

 

『4.1G。残り2秒』

 

 奏の声。

 

『1秒——解除してください』

 

 操縦桿を戻す。

 

 機体が水平へ移る。

 

 警報は鳴らない。

 

 鳴る前に、管制から止められた。

 

「体調は?」

 

『異常なし』

 

「俺が答える質問じゃないんですか」

 

『数値を答えました。鈴木さん自身の感覚は?』

 

「視界、呼吸、手足。問題ありません」

 

『記録しました』

 

 空の中にいても、1人ではなかった。

 

 俺が機体を見る。

 

 奏が俺の身体を見る。

 

 澄人と遠野さんが制御と記録を見る。

 

 地上にいる全員が、俺の帰り道を作っている。

 

 

 飛行開始から37分。

 

 予定していた項目をすべて終えた。

 

 まだ飛べる。

 

 もっと旋回できる。

 

 推力も半分近く残している。

 

 それでも、帰る。

 

「《白鷺》、帰投します」

 

 滑走路へ進入する。

 

 速度を落とす。

 

 主翼を低速用へ戻す。

 

 主脚が地面へ触れ、一度だけ小さく跳ねた。

 

「入力を足すな」

 

 黒木さんの声に従い、機体が沈むのを待つ。

 

 前脚が接地。

 

 減速。

 

 予定範囲内で停止した。

 

 推進器を切る。

 

 キャノピーが開いた瞬間、外の音が一気に入ってきた。

 

 最初に聞こえたのは、ゴウの声だった。

 

「どうだった!」

 

 俺はヘルメットを外し、息を吸った。

 

 空の匂いがするわけではない。

 

 推進器と、熱を持った金属と、海風の匂いだった。

 

「……飛んだ」

 

「見りゃ分かる!」

 

「違う」

 

 言葉を探す。

 

「俺が、飛んだ」

 

 ゴウは一度だけ目を見開いた。

 

 それから、俺の肩を強く叩いた。

 

「おう。飛んだな」

 

 

◇◇◇

 

 

 有人初飛行から、15日。

 

 白鷺班は、5回の有人飛行試験を実施した。

 

 飛行時間を延ばし、夜間着陸と通信断からの帰還を試した。

 

 同時に、救難用モジュール《R-01》の地上試験も進めていた。

 

 《白鷺》の中央下部へ取り付ける、小型の救助装備。

 

 電動ウインチ。

 1人用の密閉救助バスケット。

 救助者を地面へ降ろさず、要救助者を1人ずつ吊り上げるためのものだ。

 

 格好のよい武器ではない。

 

 それでも、白鷺班が最初に実用化を選んだ装備だった。

 

 人を乗せた機体なら、まず人を助けられるようにする。

 

 まだ飛行中の使用許可は下りていない。

 

 地上で荷重試験を行い、無人機で一度だけ吊り下げ試験を終えた段階だった。

 

 

 2007年6月2日、午前6時18分。

 

 沿岸部を通過中の発達した低気圧が、予測を超えて急速に強まった。

 

 台風ではない。

 

 ただし、前線と海面水温の影響が重なり、一部地域で最大瞬間風速40mを超える暴風となった。

 

 山間部では、前夜からの大雨で土砂崩れと河川氾濫が同時に発生。

 

 TPCの救難航空隊は、複数の被災地へ出動している。

 

 午前7時03分。

 

 白鷺班の詰所へ、久保田さんから緊急連絡が入った。

 

「沿岸から12km入った山間集落で、3名が孤立している」

 

 モニターへ現地映像が表示される。

 

 川沿いの小さな集落。

 

 大半の住民は避難済みだったが、避難所へ向かう途中で道路が崩れ、3人が公民館へ戻った。

 

 建物の1階は浸水。

 

 3人は屋上へ移動している。

 

 成人女性。

 高齢女性。

 7歳の子ども。

 

「消防の救助隊は?」

 

 俺が尋ねる。

 

「南側の道路が崩落。徒歩では最低4時間。ヘリは、谷の横風と視界不良で進入できない」

 

「《白鷺》なら、到達できます」

 

 言った瞬間、部屋の視線が集まった。

 

「通常飛行なら可能です。ただし、現地で救助するにはR-01を使う必要があります」

 

「飛行試験は終わっていない」

 

 久保田さんの声は厳しい。

 

「R-01も、有人状態での吊り上げは未実施だ」

 

「分かっています」

 

「救助へ行き、試験機まで墜落すれば、被害を増やす」

 

「だから、条件を決めます」

 

 俺は現地の地形と風向きを確認した。

 

 公民館の屋上は、谷の西側にある。

 

 南西から強い風が吹き抜けている。

 

 向かい風へ機首を向ければ、《白鷺》の対地速度を小さくできる。

 

 完全な静止飛行ではない。

 

 失速速度に近い対気速度を保ちながら、地面に対する移動を抑える。

 

「風速が基準を超えた場合は進入しない。屋上の構造が映像で確認できなければ、バスケットを下ろさない。1人ずつ、近くの高台へ移送します」

 

「現地滞在時間は?」

 

「1回の吊り上げを90秒以内。3回で、最大8分」

 

「救助バスケットの操作は」

 

「機体側の自動張力制御と、澄人の遠隔監視。屋上では、要救助者本人に入ってもらいます」

 

 7歳の子どもに、暴風の中で単独乗降させるのは難しい。

 

「成人女性へ、先に無線機を投下します。子どもは女性と2人用の緊急ハーネスで固定する」

 

「定員を超える」

 

 美園さんが即座に指摘する。

 

「バスケットの人員定員は1名です」

 

「重量は?」

 

「成人女性と子どもを合わせても、荷重試験値の範囲内です。でも、定員は重量だけでは決まりません」

 

「なら、子どもを先に1人で上げる」

 

 遠野さんが現地映像を拡大した。

 

「屋上にいる女性が、無線で手順を伝えられれば可能です。乗降時間は長くなります」

 

 真壁先生が、俺のほうを見る。

 

「鈴木さんの体調は、出動基準内。ただし、5回目の飛行から48時間しか経っていません」

 

 奏も、医療記録を確認する。

 

「疲労指標は基準内です。ですが、暴風下では通常より操作負荷が高くなります」

 

「白石さん」

 

 俺は彼女を見る。

 

「飛べると思いますか」

 

 奏はすぐには答えなかった。

 

 感情ではなく、データと俺の顔を見て判断している。

 

「飛行そのものは、許可範囲です」

 

 一度、言葉を切る。

 

「ただし、現地で心拍と脳表酸素化が警告域へ入った場合は、1人残っていても一度離脱してください」

 

「戻って、もう一度行きます」

 

「はい。1回で全部を助けようとしないでください」

 

 黒木さんが、机を軽く叩いた。

 

「現場指揮は俺がやる。進入中止を命じたら戻れ」

 

「了解」

 

 久保田さんは、全員の意見を聞いたあと、サワイさんと短く連絡を取った。

 

「特殊災害救助として、《白鷺》の出動を承認する」

 

 白鷺班として、初めての実任務だった。

 

 

 格納庫で、全員が同時に動き始めた。

 

 ゴウと健三さんが、R-01を機体下部へ取り付ける。

 

「固定ボルト、4本!」

 

「締結トルク、確認!」

 

 美園さんが部品番号と使用時間を記録する。

 

「ウインチSW-R01、使用前点検完了。予備電池、搭載」

 

 澄人は、無人試験で使った張力制御を有人機の制御系へ接続する。

 

「白鷺の姿勢制御とは独立させる。ウインチ側が異常でも、飛行制御へ入力を返さない」

 

 遠野さんは、現地の風速と機体の中止基準を同じ画面へ表示した。

 

「瞬間風速38m以上。ワイヤー振れ角25度以上。張力の急変。いずれかで自動巻き上げ」

 

 真壁先生と奏が、俺のEX-ギアを確認する。

 

「鈴木さん」

 

 奏の手が、最後に胸部センサーへ触れた。

 

「帰ってきてください」

 

「はい」

 

「約束ですよ」

 

「約束します」

 

 今度は、言葉だけにしない。

 

 3人を助ける。

 

 俺も戻る。

 

 どちらも、任務の一部だ。

 

 

◇◇◇

 

 

 《白鷺》は、暴風の雲へ入った。

 

 機体が大きく揺れる。

 

 主翼へ横風が当たり、右へ押される。

 

 推力偏向で機首を戻し、可動翼が左右の荷重差を吸収する。

 

「風速、南西27m。瞬間34m」

 

 遠野さんの声。

 

『谷へ入ると、さらに上がる可能性があります』

 

「了解」

 

 通常の救難ヘリが飛べなかった理由が分かる。

 

 風は一定ではない。

 

 壁のように押してくるのではなく、方向と強さを変えながら機体を殴る。

 

 《白鷺》は、怪獣用の戦闘機ではない。

 

 だが、縮小実証機から積み上げた分散制御と推力偏向は、乱れた空気の中で真価を発揮した。

 

 1つの大きな修正で姿勢を戻すのではない。

 

 翼。

 尾部。

 推力。

 3つの制御が、小さな修正を同時に重ねる。

 

 機体が、風へ力で逆らうのではなく、受けた力を別の方向へ逃がしていく。

 

「右前方、集落を確認」

 

 濁流に囲まれた公民館。

 

 屋上に、3つの人影が見えた。

 

 白い布を振っている。

 

 子どもがいる。

 

 その姿を見た瞬間、胸の奥に、前世の瓦礫が浮かんだ。

 

 助けて。

 

 届かなかった声。

 

 動かなかった梁。

 

 心拍が跳ねる。

 

『鈴木さん』

 

 奏の声が、すぐに届いた。

 

『心拍が上がりました。現在地を言ってください』

 

「山間集落、公民館上空へ進入中」

 

『帰還先』

 

「沿岸試験場。管制に、みんながいます」

 

『助ける人数』

 

「3人」

 

『鈴木さん自身を含めると?』

 

 一瞬、答えが遅れた。

 

「4人です」

 

『そうです。4人全員で帰ります』

 

 呼吸を整える。

 

 過去ではない。

 

 今日は、機体がある。

 

 仲間がいる。

 

 帰る道もある。

 

「《白鷺》、救助位置へ入ります」

 

 

 機首を風上へ向ける。

 

 対気速度を保ちながら、対地速度を時速6kmまで落とす。

 

 完全には止まれない。

 

 屋上の上を、ゆっくりと横切る。

 

「無線機を投下」

 

 小さな耐衝撃容器が、屋上へ落ちた。

 

 成人女性が拾う。

 

『聞こえますか』

 

「聞こえます!」

 

 泣きそうな声が返る。

 

「今から、1人ずつ救助バスケットを下ろします。最初は、お子さんです」

 

「この子を1人で?」

 

「バスケットは閉鎖式です。こちらから手順を説明します。お母さんが乗せてください」

 

 女性は何度も頷いた。

 

 俺は、公民館の屋上を外れる。

 

 旋回し、再び風上から進入する。

 

「R-01、降下開始」

 

 機体下部から、黄色い救助バスケットが降りていく。

 

 ワイヤーが風に流される。

 

「振れ角18度」

 

 澄人が読む。

 

『張力、正常。右へ1.2m補正』

 

 機体をわずかに移動させる。

 

 屋上の端へ近づきすぎないよう、レーザー測距を確認する。

 

 バスケットが屋上へ触れた。

 

 成人女性が、子どもを中へ入れる。

 

 扉を閉める。

 

「固定、確認!」

 

「巻き上げる」

 

 ワイヤーが張る。

 

 子どもを乗せたバスケットが、屋上を離れた。

 

 その瞬間。

 

「下降気流!」

 

 機体が、数m押し下げられた。

 

 反射的にスロットルを上げる。

 

 推力偏向を20%。

 

 右主翼の角度を補正。

 

 《白鷺》が高度を取り戻す。

 

「ワイヤー張力、上限の82%!」

 

『急に上げないでください!』

 

 澄人の声。

 

 推力を少し戻す。

 

 機体を救えば、ワイヤーが切れる。

 

 ワイヤーだけを守れば、機体が屋根へ落ちる。

 

 両方の動きを、同時に見る。

 

 空間認識力C。

 

 反応速度C。

 

 システムで強化した能力が、ばらばらの情報を1つの立体として組み上げる。

 

 バスケットの位置。

 

 機体の姿勢。

 

 屋上までの距離。

 

 風の向き。

 

 次に来る揺れ。

 

「姿勢、安定」

 

「張力、低下」

 

 バスケットが機体下部へ収まった。

 

 子どもの泣き声が、救助装備の通信から聞こえる。

 

 生きている声だった。

 

「第1救助、成立」

 

 近くの高台へ移動し、待機していた地上救助班へ子どもを引き渡す。

 

 

 2回目。

 

 高齢女性。

 

 身体を動かすのが難しく、成人女性がバスケットへ入れるまで時間がかかった。

 

「現地滞在、72秒」

 

『瞬間風速36m』

 

 中止基準まで、あと2m。

 

「あと10秒で固定できなければ、一度離脱します」

 

 無線へ伝える。

 

「分かりました!」

 

 成人女性が、最後の固定具を閉じる。

 

「固定確認!」

 

 巻き上げる。

 

 高齢女性も、高台へ運ぶ。

 

 

 最後。

 

 屋上に残った成人女性。

 

 雨水が膝近くまで上がっている。

 

 濁流が、公民館の壁へ繰り返しぶつかる。

 

 3回目の進入。

 

「風速37m」

 

 遠野さんの声が硬い。

 

『一度でも38mを超えたら中止です』

 

「了解」

 

 救助バスケットを下ろす。

 

 女性が扉を開く。

 

 そのとき。

 

 屋上の一部が、濁流の衝撃で沈んだ。

 

 女性が足を取られる。

 

「つかまって!」

 

 無線へ叫ぶ。

 

 女性は、バスケットの縁を掴んだ。

 

 ワイヤーが急に張る。

 

「張力急上昇!」

 

 自動中止条件。

 

 通常なら、バスケットを巻き上げる。

 

 だが、女性の身体は半分外にある。

 

 このまま急に上げれば、落ちる。

 

「自動巻き上げを止める!」

 

『灯!』

 

 黒木さんの声。

 

「5秒だけください!」

 

 機体を風下へ50cm流す。

 

 ワイヤーの横方向の力を抜く。

 

 女性が、もう片方の手をバスケットへかける。

 

「今です! 中へ!」

 

 身体が入る。

 

 扉が閉じた。

 

「固定確認!」

 

「巻き上げる!」

 

 バスケットが屋上を離れた。

 

 直後、公民館の一部が濁流へ崩れ落ちた。

 

 間に合った。

 

 今度は、間に合った。

 

『鈴木さん、心拍150。呼吸を整えてください』

 

 奏の声が、俺を現実へ戻す。

 

「3人目、収容」

 

『すぐに離脱してください』

 

「了解。帰ります」

 

 《白鷺》は谷を抜け、高台へ向かった。

 

 

◇◇◇

 

 

 3人目を地上救助班へ引き渡したあと、《白鷺》は沿岸試験場へ帰投した。

 

 右主翼の外板に、小さな亀裂。

 

 R-01のワイヤーは交換基準を超えて伸びている。

 

 推進器の冷却Bも、通常より高い温度を記録していた。

 

 無傷ではない。

 

 それでも、機体は自分の脚で着陸した。

 

 

 キャノピーを開ける。

 

 EX-ギアの接続を外す。

 

 地面へ降りた瞬間、膝から力が抜けた。

 

 その場へ座り込みそうになった身体を、ゴウが支える。

 

「おい」

 

「大丈夫」

 

「その台詞、医療の前で言うな」

 

 ゴウは全身ずぶ濡れだった。

 

 地上救助班と一緒に、高台で受け入れを担当していたらしい。

 

「3人とも無事だ」

 

「ああ」

 

「子ども、ずっと泣いてた。でも、母親が来たら抱きついてた」

 

「……そうか」

 

 それだけで、視界が滲んだ。

 

「泣いてるな」

 

「雨だ」

 

「格納庫の中だぞ」

 

 今回は、否定できなかった。

 

 前世で、俺は間に合わなかった。

 

 声が聞こえていたのに、瓦礫を動かせなかった。

 

 今日。

 

 白い機体で、声のある場所へ飛んだ。

 

 3人を1人ずつ持ち上げた。

 

 俺を含めて、4人で帰ってきた。

 

「……助けた」

 

「ああ」

 

 ゴウが、俺の肩を強く叩く。

 

「俺たちが助けた」

 

 

 医務室へ連れていかれ、心電図、血圧、神経学的確認を受けた。

 

 興奮状態を除けば、大きな異常はない。

 

 検査を終えたあと。

 

 奏が、医務室の外で待っていた。

 

「鈴木さん」

 

「ただいま」

 

「おかえりなさい」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 ようやく、本当に帰ってきたのだと思った。

 

 奏は、俺の顔を確かめるように見つめる。

 

「最後の救助で、自動中止を止めましたね」

 

「はい」

 

「手順違反です」

 

「女性が半分外にいて、巻き上げたら落ちると判断しました」

 

「記録で確認します。判断が正しかったかは、そのあとです」

 

「はい」

 

 叱られると思った。

 

 奏は一歩近づき、俺の胸元へ額をつけた。

 

 次の瞬間。

 

 両腕が、背中へ回った。

 

 短い抱擁だった。

 

 強くはない。

 

 それでも、EX-ギアを外したばかりの身体には、その温度がはっきり分かった。

 

「……無事で、よかった」

 

 震える声。

 

 俺は一瞬、何もできなかった。

 

 それから、奏の背中へ片腕を回す。

 

「約束、守りました」

 

「はい」

 

「4人で帰りました」

 

「はい」

 

 奏は数秒後に離れた。

 

 顔が赤い。

 

 俺も、たぶん同じだった。

 

「これは、医療行為ですか」

 

「違います」

 

 即答だった。

 

「では」

 

「それ以上は、今聞かないでください」

 

「はい」

 

 奏は呼吸を整え、いつもの表情へ戻ろうとした。

 

 完全には戻れていなかった。

 

「救助地点を見つけたとき、心拍が一度だけ大きく乱れました」

 

「昔のことを、思い出しました」

 

 俺は、少し迷ってから続ける。

 

「以前、助けられなかった人がいます。声が聞こえていたのに、間に合わなかった」

 

 前世という言葉は出さなかった。

 

 それでも、今までより一歩だけ、自分の内側を見せた。

 

 奏は、理由を問い詰めなかった。

 

「今日助けたことは、その人の代わりではありません」

 

「……はい」

 

「過去の埋め合わせにされたら、今日の3人も、鈴木さんも苦しくなります」

 

 胸へ刺さる言葉だった。

 

 奏は、傷つけるためではなく、丁寧に続ける。

 

「助けられなかったことが消えなくても、今日助けたことは本物です」

 

 屋上から上がってきた、子どもの泣き声を思い出す。

 

「鈴木さんは、もう間に合っています」

 

 俺は、ゆっくり頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

「お礼は、機体を直してからにしてください」

 

「そこは健三さんと同じですね」

 

「白鷺班なので」

 

 

 格納庫では、すでに点検が始まっていた。

 

 右主翼の亀裂。

 

 ワイヤーの伸び。

 

 冷却Bの温度上昇。

 

 3回目の進入で、自動巻き上げを停止した判断。

 

 誰も、救助成功だけで終わらせない。

 

 次も助けるために、今日の危険を全部残す。

 

 

 その夜。

 

 詰所で1人になったとき、青い画面が開いた。

 

=========================================

【実績達成】

 

▶ 初の有人実任務:+1,000 SP

▶ 民間人3名を全員救出:+2,000 SP

▶ 操縦者を含む全員帰還:+1,000 SP

 

▶ 合計獲得:+4,000 SP

▶ 所持ポイント:32,775 SP

=========================================

 

 戦闘でも、探索でもない。

 

 人を助け、全員で帰ったことで、SPが入った。

 

 システムが何を目的に作られたのかは分からない。

 

 それでも、少なくとも。

 

 倒した数だけを評価する仕組みではない。

 

 誰かへ届いたこと。

 

 帰ってきたこと。

 

 そこにも価値を置いている。

 

 

 新しい表示が現れる。

 

=========================================

【チームクエスト:白い翼の次段階】

 

達成条件:

・《白鷺》の救難任務結果を反映した機体改修

・局所力場発生核の低出力実証

・実戦用装備を1種以上完成

・短時間高出力機動の安全限界を確認

 

報酬:

・6,000 SP

・【戦闘支援モジュール選択権】×1

 

※武装のみでは達成できません

※操縦者保護、帰還能力、整備性の確認を含みます

=========================================

 

 次は、戦うための段階。

 

 救助はできた。

 

 暴風の中でも飛べた。

 

 だが、ゴルザやメルバを相手にするには足りない。

 

 攻撃を避ける速さ。

 

 一撃だけでも受け流す盾。

 

 翼へ傷を負っても帰れる余裕。

 

 そして、怪獣の動きを止めるための武器。

 

 俺はノートを開いた。

 

『《白鷺》実戦改修案』

 

 最初に書いたのは、武器の名前ではなかった。

 

『救難モジュールを、外さずに戦えること』

 

 人を助ける機体が、戦うためだけの機体へ変わってはいけない。

 

 空で無双したい。

 

 メルバより速く飛びたい。

 

 その翼へ、自分の手で穴を開けたい。

 

 その願いは、もう隠さない。

 

 だが、勝ったあとに助けられなければ、俺が作りたかった機体ではない。

 

 窓の外では、雨が弱まり始めていた。

 

 今日。

 

 俺は初めて、自分たちの機体で人を助けた。

 

 次は、この白い翼で。

 

 人を襲うものの前へ立つ。

 

 

=========================================

【現在のステータス・スキル情報】

[BASE STATUS]

┣ 演算処理能力:C

┣ 空間認識力:C

┣ 反応速度:C

┗ G耐性/肉体:D(EX-ギア試作時:短時間B相当)

 

[ACQUIRED SKILLS & KNOWLEDGE]

┣【超古代言語理解 Lv.2】

┣【初級・機械工学/プログラム言語】

┣【中級・航空力学/制御アルゴリズム】

┣【上級・次世代エネルギー/流体力学】

┣【マクロス初代・統合技術パック】(翻訳作業:進行中)

┣【鉄の揺籃・第1層設計記録】(外部資料/解析率1.7%)

┣【可変荷重フレーム設計(基礎)】

┣【高出力推進・熱管理統合(基礎)】

┣【ピンポイントバリア制御(基礎)】

┣【EX-ギア(操縦統合型)】

┣【インファイト Lv.1】

┗【SPアップ Lv.2】

 

[SYSTEM DATA]

┣ 所持ポイント:32,775 SP

┣ 残機数:3 / 3

┣ 所属:特別技術協力事業《白鷺》/中核構成員10名

┣ 《白鷺》:有人初飛行成立/初の実任務を完遂

┣ 救助実績:民間人3名/操縦者を含む全員帰還

┣ 試作ブラックボックス:局所力場発生核×1(隔離試験中)

┗ 次段階:救難能力を維持した実戦改修/短時間高出力機動

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次は、この白い翼で。
人を襲うものの前へ立つ。
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