デスゲームの宣言から、早くも一ヶ月の月日が流れていた。
「始まりの街」に引きこもり、現実世界の誰かが助けてくれるのを祈るだけのプレイヤーも多い中、生き残るために武器を取り、前線へと繰り出した者たち——いわゆる「攻略組」と呼ばれるプレイヤーたちが形成され始めていた。
第1層の広大なフィールドの北端。暗い迷宮区(ダンジョン)の入口付近で、ルカは初期装備から少しステップアップした白銀の細剣(レイピア)を構え、襲いかかってくる狼型のモンスター『ダイヤモンド・ウルフ』を正面から迎え撃っていた。
シュインッ!
目にも留まらぬ速度で繰り出された中段突き2連撃のソードスキル《パラレル・スティング》。
エメラルドグリーンの光の軌跡が空を切り、コボルドの胸元を一瞬で貫く。ポリゴンとなって霧散するモンスターを背に、ルカはくるりと一回転して細剣を鞘に収めた。
「ふぅ……! よーし、これで今日のノルマ達成かな!」
ルカは額の汗を拭う素振りをしながら、屈託のない笑顔を浮かべた。
その隣でキリトが、呆れたように、けれど感心した眼差しで吐息を漏らす。
「……ルカ、相変わらず凄いな。今の《パラレル・スティング》、システムのアシスト硬直を完全に殺して次の動作に繋げてただろ? 普通はスキル発動後にコンマ数秒の『隙』ができるはずなんだけど」
「え? そうなの?」
ルカは藍色の瞳をパチパチと瞬かせ、不思議そうに首をかしげた。
「特に意識してないよ? スキルが終わった瞬間に『次はあっちに動こう』って思うと、勝手に身体が思い通りに動いてくれるんだよね。キリトみたいに頭で計算して戦うのは苦手だけど、身体を動かすのは本当に気持ちいいや!」
無邪気に笑うルカの言葉に、キリトは苦笑するしかなかった。
(頭で計算するんじゃない……完全に感覚だけでシステムの上限を叩き出してるんだ)
この一ヶ月間、キリトはルカと行動を共にしてきた。そして知れば知るほど、ルカという少年の異質なまでの「強さ」に驚かされ続けていた。
SAOのシステムは、脳からの信号をナーヴギアが読み取り、それを仮想体のアバターへと変換・出力する。
だが、どれほど運動神経が良い人間であっても、「現実の肉体の感覚」という強力な枷(重り)が脳に残っている。走るとき、剣を振るとき、無意識に「現実の肉体の可動域や重量」を意識してしまうため、アバターの動きにはどうしても僅かな抵抗やズレが生じるのだ。
しかし、ルカにはそれが一切ない。
まるで最初からこのアバターこそが彼にとって唯一無二の本物の肉体であるかのように、思考とアバターの動作が100%同期している。恐怖による足すくみもなければ、動作の硬さもない。
しなやかで、圧倒的に軽く、解き放たれた羽を持つ鳥のように戦場を駆ける。
「キリト、そろそろ街に戻ろうよ。今日の夜は、第一層ボスの攻略会議があるんでしょ?」
「……ああ、そうだね。ディアベルって男が主導して、攻略会議を開くらしい。僕たちも参加しよう」
「うん! いよいよ1層のボスかぁ……楽しみだなぁ!」
ルカは子供のように無邪気に目を輝かせ、ピョンと跳ねるように走り出した。
デスゲームという極限状態の中でありながら、彼の存在は暗い影を払い、周囲を照らす明るい太陽そのものだった。
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「始まりの街」から遠く離れたトールバーナの街の円形劇場。
そこに、100名近くの攻略組プレイヤーたちが集まっていた。
「みんな、集まってくれて感謝する! 俺はディアベル。職業は……気持ち的に『ナイト』やってます!」
青い重鎧を纏った騎士風の男、ディアベルが爽やかな笑顔で場を鼓舞する。
集まったプレイヤーたちの中に、ルカとキリトの姿もあった。ルカはキリトの隣にちょこんと腰掛け、好奇心いっぱいに周囲を見渡している。
「へぇ……色んな人がいるんだね。あっちの大きな斧を持った人とか、強そうだなぁ」
「ルカ、目立ちすぎるなよ。僕たちはソロ(単独)参加だからな」
「はーい! でもキリト、僕たちソロだけど、二人でパーティー組んでるから『ソロ』じゃないんじゃない?」
「そう言われると、確かに『ペア』ではあるか……」
クスッと笑い合う二人の前で、会議は順調に進んでいくかと思われた。だが、途中でキバオウと名乗るツンツン頭の男が乱入し、「元ベータテスターが謝罪と補償をしろ」と叫び立てるなど、攻略組の中にも不協和音が生じ始める。
しかし、エギルという巨漢の戦士が間に入り、ベータテスターが配っていたフリーガイドブックの存在を指摘したことで場は収まった。
「……よし! ではパーティ分けだ。ボス戦は複数パーティでの集団戦闘となる。余っている者は近くの人間とパーティを組んでくれ!」
ディアベルの号令がかかる。
キリトとルカは顔を見合わせ、「俺たちはこれで決まりだな」「うん!」と頷き合った。
ふと見ると、階段の隅の方に、深くフードを被った小柄な人物がポツンと一人で座っているのが見えた。
「あ、あの人……一人みたい。キリト、声かけてみようよ!」
「え? あ、ちょっとルカ……!」
ルカは物怖じすることなく、トコトコとフードの人物に駆け寄っていった。
「こんにちは! 一人なら、僕たちと一緒にパーティ組まない?」
フードの下から、栗色の瞳が驚いたように見開かれた。チラリと覗いたその素顔は、勝気そうな目元をした美少女だった。
「……いえ、別に私は」
「いいからいいから! 一人より三人の方が絶対に心強いし、楽しいじゃん! 僕はルカ。こっちはキリト。よろしくね!」
ルカのとびきりの笑顔と、迷いのない言葉。
少女は少し圧倒されたように絶句し、やがて小さく息を吐いてメニューを操作した。
プレイヤー名『アスナ』。
こうして、ルカ、キリト、アスナの三人による奇妙で、けれど確かな協力関係が誕生したのだった。
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翌日。青空が広がる中、50名弱の攻略隊は第1層の迷宮区最奥にあるボス部屋の巨大な扉の前に立っていた。
「みんな、準備はいいか! 勝ち目なら十分にある!」
ディアベルの力強い声に、プレイヤーたちが歓声をあげる。
ルカは細剣の柄に手をかけ、目を輝かせていた。恐怖など微塵もない。ただ、目の前の大きな試練を仲間と共に突破することへの期待に、胸が高鳴っていた。
重厚な扉が音を立てて開き、巨大な小部屋が姿を現す。
奥の玉座に鎮座していたのは、巨体と凶悪な大斧、そして盾を持つ第1層ボス『イルファング・ザ・コボルトロード』。そしてその周りを固める『ルイン・コボルト・センチネル』の群れ。
「突撃ーーーッ!」
ディアベルの叫びと共に、攻略隊が一斉に雪崩れ込む。
「僕たちのパーティはCパーティのサポート! 雑魚のセンチネルを引き剥がすぞ!」
「了解! アスナ、僕の動きに合わせて!」
「ええ……やってみるわ!」
戦闘が始まった。
幾重もの剣戟の音、モンスターの咆哮、スキル発動の光が交錯する。
その混沌とした戦場の中で、ルカの存在感は際立っていた。
「はぁっ!」
ルカの身体が、まるで重力を無視したかのように滑らかに跳躍する。
襲いかかかるセンチネルの槍を、紙一重どころかミリ単位の見切りでかわし、その刃の側面を足場にしてさらに高く跳んだ。
「な……なんだあの動き!?」
周囲のプレイヤーが目を疑う。
空中で身体を反転させ、重力に従って落ちながら繰り出される精密極まりない一撃。
シュシュシュンッ!
センチネルの頭部に連続でスキルを叩き込み、一瞬でポリゴンへと砕く。着地と同時に、まったく隙のない動作で次のターゲットへと踏み込んでいく。
「すごい……あんな風に動けるの……!?」
アスナは細剣を振るいながら、ルカの立ち回りに息をのんだ。
アスナ自身、恐ろしいほどのプレイヤースキルを持つが、ルカの動きは次元が違った。システムに操られているのではなく、ルカという少年がシステムそのものを軽々と手玉に取り、己の肉体として100%駆動させている。
「ルカ、左からもう一匹来る!」
「任せて、キリト!」
ルカは鈴を転がすような声で応じると、地を滑るようなステップで左からの襲撃をかわし、そのまま滑らかな円を描くように相手の背後に回り込んだ。敵の攻撃がルカの衣類をかすめることすら許さない。
圧倒的な、あまりにも完璧な空間把握と身体操作。
その戦いぶりは、死の恐怖に怯えるデスゲームのプレイヤーのそれではなく、まるで満開の草原を楽しそうに駆け回る幼子のような、無垢で純粋な輝きに満ちていた。
だが、戦況は思わぬ方向へと狂い始める。
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ボスのHPが最後の1ゲージ、レッドゾーンに突入した時だった。
「よし、一旦下がれ! 情報の通りなら、奴はタルワールに持ち替えて襲ってくる! 俺が前に出る!」
ディアベルが功名心からか、一人でボスへ突進した。
しかし、キリトの目が鋭く見開かれる。
「ダメだ、ディアベル! ベータの時と武器が違う! あれはタルワールじゃなくて——《野太刀》だ!」
SAOの本実装に伴い、ボスのアルゴリズムと装備が変化していたのだ。
ボスの振るった巨大な野太刀が、空を切り裂くような変則的な曲線を描く。ディアベルの盾はあっけなく弾き飛ばされ、その巨躯が強烈な一撃を叩き込まれて吹き飛んだ。
ドカァンッ!
「ディアベル!!」
吹き飛ばされたディアベルのHPゲージが、見る見るうちに減少していく。
攻略隊全体に不穏な動揺とパニックが広がった。指揮官の痛恨のミスと重傷。このままでは攻略隊が崩壊する。
「みんな、動揺するな! 陣形を直せ!」
キリトが叫ぶが、恐怖に怯えたプレイヤーたちの足はすくんでいた。
その時——。
誰よりも早く、迷いなく前に飛び出したのはルカだった。
「ルカ!?」
ルカは白銀の細剣を高く掲げ、倒れ伏すディアベルとボスの間に割り込んだ。
ルカが作った隙を利用して、キリトはディアベルの元へ駆けつける。
巨体を誇るイルファング・ザ・コボルトロードが唸り声をあげて野太刀を振り下ろす。圧倒的な破壊力を秘めた薙ぎ払い。
「させるかぁっ!」
ルカの身体が、一瞬だけ光の粒子のように揺らいだ。
通常ではあり得ない鋭角のダッシュ。ボスの巨大な野太刀の刃先、わずか数ミリの隙間をすり抜け、その懐深くへと滑り込む。
ピキィィン!
ルカの細剣が、眩いエメラルドグリーンの光を放つ。
「ハアァァァッ!」
一秒間に無数の突きを繰り出す高位スキル。ルカの手元が見えなくなるほどの超高速連突が、ボスの巨体にしなやかに叩き込まれた。
ズドドドドンッ!
ボスの巨体が大きくのぞけ反る。強烈な体勢崩し(ステッガー)。
「今だよ、キリト! アスナ!」
ルカは振り向き、最高の笑顔で二人を叫んだ。
その明るい声と、圧倒的なプレイで切り拓かれた絶好の機波に、キリトとアスナの身体が反射的に動いた。
「行くぞ、アスナ!」
「ええっ!」
キリトとアスナがルカの両脇を駆け抜ける。
キリトの片手剣スキルと、アスナの鋭い突進が、崩れたボスの弱点へと連続で叩き込まれた。
三人の連携は、まるで長年連れ添ったチームのように完璧だった。ルカが隙を作り、アスナが繋ぎ、キリトが締める。
そして最後——。
「これで……終わりだぁぁぁっ!」
キリトの放った渾身のソードスキルがボスの胸板を深々と切り裂いた。
ゴォォォォン……!
ガラスが砕け散るような巨大な効果音とともに、第1層のボス『イルファング・ザ・コボルドロード』は膨大なポリゴンの破片となって散華した。
宙に浮かび上がる『Congratulations!!』の文字。
静寂が、広いボス部屋を支配した。
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「か……勝った……?」
「1層のボスを……倒したぞーっ!」
静寂の後、プレイヤーたちから爆発的な歓声が沸き起こった。
だが、その喜びも束の間だった。痛恨の深手を負ったディアベルは、回復アイテムの受け取りを拒み、キリトの手の中で静かにポリゴンとなって消えていってしまったのだ。
そして、キバオウが声を荒らげた。
「なんでや……なんでディアベルはんを見殺しにしたんや! ベータテスターの知識を隠していたからやろ!」
広場の空気が再び悪意と猜疑心で冷え込んでいく。
キリトは、このままではベータテスター全体と一般プレイヤーの間に決定的な亀裂が生まれ、攻略隊が崩壊することを見抜いた。
(俺が……すべての悪名を引き受ければいい)
キリトが口元をキツく締め、自らをベータテスターと名乗って悪役を買って出ようとした、その瞬間——。
「ねえ、キバオウさん」
鈴の鳴るような透明感のある声が、緊張した部屋に響いた。
ルカだった。
ルカはキバオウの前にトコトコと歩み寄ると、怒りに震える彼の顔をまっすぐに見つめた。
「ディアベルさんが倒れたのは、誰も望んでなかったよ。キリトも、必死で助けようとした。それに……みんなで力を合わせたから、このボスを倒せたんでしょ?」
「な、なんやとボウズ……! お前かて、あの人外みたいな動きは何やねん!チートか何かやろ!?」
キバオウの怒号に対し、ルカは怖がるどころか、可愛らしく首をかしげてニコッと笑った。
「チートじゃないよ。僕はただ……この世界で自由に動けるのが嬉しくて、全力で楽しんでるだけ。みんなもさ、誰かを責めるより、次に進む準備をしようよ。だって僕たち、100層まで行かなきゃいけないんだから!」
ルカの言葉には、毒も、誇張も、偽善もなかった。
ただどこまでも純粋で、真っ直ぐな「前向きさ」。
その圧倒的な無邪気さを前にして、キバオウは毒気を抜かれたように言葉を詰まらせた。
周囲のプレイヤーたちも、少年の放つ不思議な光に気圧され、それ以上攻撃的な言葉を投げかけることができなくなってしまった。
キリトは驚いたようにルカを見つめた。
自分が一人で泥をかぶろうとしていたのを、ルカの眩しいほどの明るさが自然体で包み込み、散らしてしまったのだ。
「……ルカ、君ってやつは」
キリトは苦笑しつつも、彼がここにいてよかったと心底安堵した。
「行こう、ルカ。2層のエリアが解放された。一番乗りを目指すぞ」
「うん! 行こう、キリト!」
ルカは満面の笑顔でキリトの隣に駆け寄った。
立ち去り際、ルカは後ろで呆然と立っていたアスナに向かって振り返り、大きく手を振った。
「アスナ! 一緒に戦えて楽しかったよ! またどこかで絶対に会おうね!」
アスナは息をのみ、やがて小さく、けれど暖かく微笑んで頷いた。
「ええ……またね、ルカくん。キリトくん」
大階段を上り、明るい光が差し込む第2層へと足を踏み入れる二人。
風が二人の髪を揺らす。
ルカは開けた視界の先に広がる新しい世界を見渡し、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
「うわぁ……! 2層もすっごく綺麗な場所だね、キリト!」
「ああ、そうだな」
キリトはルカの横顔を見つめた。
過酷なデスゲームの世界で、誰よりも自由に、誰よりも明るく羽ばたく少年。
彼のアバターの動きに見られる「異質なまでの枷のなさ」に些細な疑問を感じつつも、キリトはその眩しい光に深く救われている自分を感じていた。
「よしっ! 2層も思いっきり駆け抜けるぞーっ!」
ルカは少年らしい元気な声をあげ、解き放たれた翼を持つ鳥のように、新しい大地へと躍り出たのだった。