執務室の窓から差し込む朝日は、帝江号の無機質な壁を淡いオレンジ色に染め上げていた。
作戦決行の朝、張り詰めたような静寂が、来るべき戦いの前触れのように艦内を満たしている。
管理人は、自室のターミナルで風蝕の谷に関するデータを最終確認していた。
ペリカが夜を徹してまとめたであろう、詳細な地形データ、予想される敵の配置、そして谷の各所で観測されているエネルギー反応の分布図。
それらの情報を、自身の「知識」と丹念に照らし合わせ、万に一つの齟齬も見逃さないように脳裏に刻み込んでいく。
(谷地通路の先に、確か避難民がいたはずだ…それに
管理人の胸に、一抹の焦りがよぎる。
『
それは
感染者はその体から源石の力を引き出す「アーツ」を使えるようになることもあるが、それは自らの命を燃やす行為に他ならない。
感染の危険性、そして死後には遺体が源石化し、周囲に汚染を撒き散らすという性質から、感染者は長らく社会から忌避され、差別と迫害の対象となってきた。
このタロⅡという星では、150年の時を経て技術が進歩し、予防や抑制の手段が確立され、かつてのような露骨な差別はなくなったとされている。
しかし、病そのものが根絶されたわけではない。環境さえ整っていれば問題なく生活できるとはいえ、それは「管理された環境」があってこその話だ。
エンドフィールド工業が崩壊し、無法地帯と化したこの場所で、避難民たちが、そして病を患う少女が、無事でいるという保証はどこにもなかった。
コンコン、と控えめなノックの音が響き、管理人の思考を中断させた。
「管理人、準備が整いました。出撃メンバーも、格納庫に集合しています」
ドアの向こうから、ペリカの落ち着いた声が聞こえる。管理人はターミナルの電源を落とし、静かに立ち上がった。
近接戦闘用の片手剣とコンバットナイフ、壁に立てかけてあった、アサルトライフル、スナイパーライフルを手に取り、そのずっしりとした重みを確かめる。
「分かった、すぐに行く」
格納庫は、作戦前の独特の熱気に満ちていた。武装を最終チェックする整備兵たち、慌ただしく動き回るオペレーター、そしてこれから戦場へと赴く者たちの、静かな闘志。その中心に、今回の作戦に参加するメンバーが揃っていた。
まず目に飛び込んできたのは、2本の片手剣を手入れしているチェンだった。
彼女は管理人の姿を認めると、にぱっと屈託なく笑う。
「おはよ、管理人! 今日もいい天気だね! 絶好のアンゲロス退治日和!」
彼女の周りだけ、ピクニックにでも出かけるかのような陽気な空気が流れている。
しかし、その手元で点検されている2本の剣が、これが遊びではないことを雄弁に物語っていた。
その隣では、レーヴァテインが自身の武器である片手剣に、炎のアーツを纏わせるテストを行っていた。
刃が、触れれば全てを焼き尽くさんばかりの紅蓮の輝きを放ち、周囲の空気を歪ませる。
彼女は管理人を一瞥すると、ふんと鼻を鳴らした。
「…遅いぞ、管理人。私の炎が、あんたを待たずに敵を焼き尽くしてしまうところだった」
相変わらずの口ぶりだが、その瞳に宿る光は、この作戦にかける彼女の決意の強さを示していた。
彼女にとって、管理人の下で戦うことは、もはや自身の存在意義そのものになりつつあるのかもしれない。
そして、三人の後ろには、データパッドを片手に何やら難しい顔で演算を続けているペリカの姿があった。
そのハッキング能力と情報分析能力は、このチームにとって不可欠な要素だ。
「管理人。谷地通路周辺のリアルタイムスキャンを更新しました。やはり、入り口付近に複数の熱源反応が集中しています。
ランドブレイカーの斥候と、野生化したアンゲロスが混在しているものと推測されます」
彼女がホログラムで投影した索敵データには、谷の入り口付近に、十数個の赤いマーカーが点滅していた。
数は多くないが、油断はできない。改めて気を引き締め、彼女達に作戦内容を伝えることとなる。
格納庫の床に投影された、風蝕の谷のホログラム。
その入り口付近で点滅する十数個の赤いマーカーを、作戦メンバーは静かに見つめていた。これから始まる戦いの、最初の標的だ。
管理人は、集まった三人の顔を順に見渡し、最終的な作戦指示を明確な声で告げる。その声は、格納庫の喧騒の中でも不思議とよく通った。
「よし、確認した。作戦手順を最終確認する。
まず、俺とレヴィが先行し、入り口付近の敵を可能な限り隠密裏に排除する。目的は、あくまで協約核心設置予定地までのルート確保だが、敵は可能な限り殲滅する」
管理人はホログラム上の、谷の入り口から少し入った開けた場所を指し示す。
そこが、最初の協約核心の設置予定地だった。
「俺たちが敵の注意を引きつけている間に、チェンは高所から周囲を警戒。ペリカは後方で待機し、俺たちからの情報を受け、敵の増援や予期せぬ事態に備えろ。
ハッキングで敵の通信を傍受できれば、さらに有利になる」
それは、各員の能力を最大限に活かした、合理的で無駄のない役割分担だった。
旧基地での潜入作戦を成功させた経験が、チームとしての連携をより洗練させている。
「フン、隠密行動か。私の炎は、敵を静かに焼き尽くすこともできる…せいぜい、私を上手く使って見せろ、管理人」
レーヴァテインが、不敵な笑みを浮かべて言う。
彼女の炎のアーツは、派手な破壊力だけでなく、対象だけを精密に燃やし尽くすような繊細な制御も可能だった。
「りょーかい! 高いところから、ぜーんぶ見張ってるね! 怪しいヤツがいたら、すぐに知らせるよ!」
チェンは元気よく敬礼し、背負った二本の剣を軽く叩いた。
彼女の役割は、持ち前の機動力と広い視野を活かした偵察と遊撃。
いざとなれば、誰よりも早く仲間の元へ駆けつけることができる。
「承知しました。帝江号とのデータリンクも常に維持し、リアルタイムで戦況分析を行います。
管理人の負担を少しでも軽減できるよう、全力を尽くします」
ペリカは真剣な表情で頷いた。彼女は、この帝江号という移動要塞の頭脳そのものだ。
彼女の後方支援があるからこそ、前線のメンバーは目の前の敵に集中できる。
管理人は、頼もしい仲間たちの返答に満足げに頷くと、改めて全員の顔を見回した。
「いい返事だ。俺たちの目的は、谷の制圧と協約核心の設置。一人も欠けることなく、必ず全員で帝江号に帰還する。いいな?」
「はいっ」「うん!」「あぁ」
三人の声が、力強く重なった。その瞳には、不安や恐怖の色はない。
あるのは、管理人への揺るぎない信頼と、自らの任務を完遂するという固い決意だけだった。
「…よし、行くぞ。エンドフィールド工業、再起の狼煙を上げる!」
管理人の気合の入った号令と共に、四人はそれぞれの得物を手に、格納庫のハッチへと向かう。
ハッチの向こうには、赤茶けたタロⅡの大地と、これから彼らが挑むことになる巨大な風蝕の谷が、静かにその口を開けて待っていた。戦いの幕が、今、切って落とされる。
輸送船のハッチが、重々しい駆動音と共にゆっくりと開いていく。
眼前に広がるのは、赤茶けた岩と砂に覆われた、荒涼とした大地。そして、その大地を巨大な口のように裂いている、風蝕の谷の全景だった。
乾いた風が格納庫に吹き込み、管理人たちの髪を揺らす。タロⅡの太陽が、これから始まる戦いを静かに見下ろしていた。
管理人の指示に従い、四人は谷から少し離れた岩陰に身を隠し、谷の入り口を窺う。
ペリカが展開した小型ドローンが、先行して周辺の情報をリアルタイムで彼女のデータパッドに送り込んでいた。
「ドローンからの映像です。やはり、入り口付近の廃墟と化した検問所跡に、敵が陣取っています。
ランドブレイカーが8名、アンゲロス型の機械生命体が5体。いずれも小火器や鈍器で武装しています」
ホログラムに映し出された映像は、物陰に隠れて談笑するランドブレイカーの男たちや、獲物を探すようにゆっくりと徘徊するアンゲロスの姿を鮮明に捉えている。
彼らは、まさか自分たちが空から監視されているとは夢にも思っていないだろう。
「数はこちらが把握している通りか。連中の配置は?」
「検問所の建屋内外に分散しています。狙撃に適した高台に2名。残りは地上で警戒に当たっているようです。
アンゲロスは、ランドブレイカーの指揮下にあるというより、彼らの周りを縄張りのように巡回している、といった方が近いかもしれません」
ペリカは、タクト《指揮棒》型のデバイスでホログラムを操作し、各敵の位置と予測される視界範囲をマーキングしていく。
その情報は、この後の潜入と暗殺の成否を大きく左右する。
管理人は、そのマーキングされた敵配置と、自身の「知識」にある初期配置を比較する。
(配置は、ゲームのチュートリアルとほぼ同じ…そもそもこんな場所自体なかったんだが…
しかも数が少し多いな…ランドブレイカーとアンゲロスが共存しているのが厄介だ。片方を攻撃すれば、もう片方もすぐに気づく)
静かに思考を巡らせながら、管理人は具体的な排除手順を組み立てていく。
まず、最も厄介な高台の狙撃手を、いかにして無力化するか。
「レヴィ、お前の炎で、高台の狙撃手を…どちらでもいい。排除してくれ。片方は俺が狙う」
その問いに、レーヴァテインは唇の端を吊り上げてみせた。侮るな、と言外に物語っている。
「フン、誰に物を言っている。あの程度の距離、息を止めている間にでも灰にしてやれる。だが、ただ焼くだけでは芸がないだろう?」
彼女は手のひらに、小さな炎を灯した。それはまるで生きているかのように揺らめき、周囲の熱を奪っていくような、不思議な静けさを湛えている。
「私の炎は、ただ燃やすだけではない。対象の生命力だけを吸い取るように、静かに消し炭にすることもできる。奴らは、自分が死んだことにすら気づくまい」
その言葉通り、彼女のアーツは単純な破壊力だけでなく、恐ろしいほどの精密さを兼ね備えている。
管理人は頷き、次の指示を出す。
「それでいこう。俺が合図をしたら、まず高台の1人を頼む。片方は俺が狙う。狙撃手を排除した瞬間、俺が地上に降りて、建物の影にいる二名を始末する。
その騒ぎに、残りの連中が気を取られるはずだ」
彼は背負っていたサイレンサー付きのライフルを静かに構え、スコープを覗き込む。
「俺の侵入と同時に、チェンはアーツで浮遊し、建屋の屋上へ移動。そこから残敵の位置を正確に把握し、俺に伝えろ。
ペリカは、俺たちが戦闘に入った瞬間に、ハッキングで敵の通信機器を全てダウンさせろ。増援を呼ばれるのが一番厄介だ」
チェンは、ワクワクした表情でこくりと頷いた。彼女の身体が、アーツの力でふわりと数センチ宙に浮く。
二刀流の剣を抜き放ち、いつでも飛び出せる体勢だ。
「任せて!」
「了解しました。検問所の通信システムは旧式のもの。
ジャミングは容易です。いつでもどうぞ」
彼女はデバイスを握り、指先が目にもとまらぬ速さで空中に仮想キーボードを叩き始めた。青白い電光が、彼女の周りで静かにはじける。
役割分担は完璧だ。全員が、己の成すべきことを理解している。
管理人は深く息を吸い、スコープ越しに、高台にいる狙撃手の一人に照準を合わせた。ライフルの冷たい感触が、彼の昂る神経を鎮めていく。風の音、遠くで響くアンゲロスの金属質な足音、そして隣にいるレーヴァテインのかすかな呼吸音。
全ての情報が、研ぎ澄まされた感覚を通して管理人の脳内へと流れ込んでくる。
(あぁ、懐かしいな…この雰囲気、昔を少し思い出す…
あの時は1人だったが…いや、今はそれを考えるべきじゃないな)
「…今だ」
管理人が、誰にともなく呟いた。その一言が、静寂を切り裂く合図だった。
管理人は寸分の迷いもなくライフルの引き金を絞る。サイレンサーが発射音をくぐもった短い破裂音に変え、放たれた弾丸は正確に一人の狙撃手の眉間を撃ち抜いた。
スコープの中で、もう一方の高台にいた狙撃手の頭部が、ライフルの狙撃と同時に音もなく炎に包まれた。
それは爆ぜるような炎ではない。まるで黒い影が纏わりつくように、男の身体を内側から蝕んでいく、レーヴァテインの静かな炎だった。
男は悲鳴を上げる間もなく、人型の炭となってその場に崩れ落ちた。
(完璧なタイミングだ、レヴィ!)
心の中で賞賛の言葉を送りながら、二つの脅威が、ほぼ同時に、そして誰にも気づかれることなく無力化される。
その瞬間、管理人はライフルを傍らにいたペリカに手渡す、すぐさま岩陰から飛び出し、重力に身を任せるようにして崖を駆け下りた。
彼の身体は、常人離れしたバランス感覚で、ほとんど音を立てずに地上へと着地する。
狙撃手の異変に、まだ誰も気づいていない。
彼はそのまま、建物の影から影へと疾走し、油断しきって雑談に興じているランドブレイカー二名の背後へと忍び寄った。
抜き放ったコンバットナイフが、月光を反射して鈍く煌めく。
「!?」
一人が、管理人の殺気に気づいて振り返ろうとしたが、遅かった。
一閃、首筋に走る冷たい感触を最後に、彼の意識は永遠に闇に沈む。
もう一人も、仲間が崩れ落ちるのを見てようやく事態を察したが、管理人の繰り出す二撃目のナイフが、彼の心臓を正確に貫いていた。
「な、何だ!?」
「敵襲だ!」
ようやく、残りのランドブレイカーたちが異常に気づき、騒ぎ始めた。その瞬間を待っていたかのように、チェンが動く。
「いっくよー!」
彼女の身体が、アーツの力でふわりと宙に舞い上がった。
まるで重力など存在しないかのように、軽やかに検問所の屋上へと飛び乗る。その手には、二本の剣が煌めいていた。
「管理人! 右翼のコンテナ裏に二人! 建屋の中に三人! アンゲロスは建屋の周りを囲むように移動中!」
屋上からの的確な報告が、管理人の耳に届く。それと同時に、ペリカの指先が最後のキーを叩いた。
「敵通信網、完全に遮断。ここ一帯は、外界から隔離されました」
青白い電光が収まり、ペリカがタクトを静かに下ろす。彼女の額には、うっすらと汗が滲んでいた。
管理人は、アサルトライフルを構え、コンテナ裏へと牽制射撃を行いながら、次の指示を飛ばした。
「レヴィ! 建屋の周りのアンゲロスを頼む! 焼き払え! チェンは上空から、建屋から出てくるヤツらを叩け! 俺はコンテナ裏の二人をやる!」
その号令を皮切りに、チームは殲滅戦へと移行する。レーヴァテインの口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
「フン、やっと私の出番か!」
彼女が片手剣を振るうと、地を這う巨大な炎の蛇が顕現し、アンゲロスたちへと襲いかかった。機械の軋む音と、金属が溶ける甲高い音が、谷間に響き渡る。
エンドフィールド工業の、反撃の狼煙だった。
本文の長さアンケートです
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このままでちょうどいい!
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あのぉもうちょっと短くできませんかねぇ…
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たまには長くやってもいいのよ。