反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む 作:evejanjan
七日目の午後。
水場へ向かう途中で、綾小路は足を止めた。
腕時計を見る。
少し先では、Aクラスの生徒が二人、空になった容器を抱えて戻っていく。
その向こうに葛城の姿もあった。
昨日までと変わらない。
報告を受け、指示を返し、周囲の人間がそれに従う。
表から見れば、Aクラスの中心は葛城だった。
ただ、一人だけいない。
戸塚弥彦。
綾小路はもう一度時刻を確認した。
最初に戸塚が葛城のそばから消えた時刻。
今朝、北側の道から一人で戻ってきた時刻。
占有権の更新は八時間ごとに必要になる。
完全に一致しているわけではない。
だが、偶然として切り捨てるには重なりが増えすぎた。
しばらくすると、北側の道から戸塚が戻ってきた。
葛城はその間、一度も水場を離れていない。
「葛城さん」
戸塚が近付く。
「問題ありませんでした」
「そうか。次も同じでいい」
「はい」
短いやり取りだった。
綾小路は水筒の蓋を閉める。
葛城が表の指揮を執る。
戸塚が一定の時刻に、Aクラスの占有地側へ動く。
それがリーダーの仕事だと断定するには、まだ一段足りない。
それでも、候補の順位を入れ替えるには十分だった。
Aクラスなら、戸塚弥彦。
現時点では、最も可能性が高い。
もう一つ。
Cクラス。
大半の生徒が試験から退いた後も、伊吹と金田への指示は止まっていない。
情報を受け取り、次の指示を返す人間が島のどこかに残っている。
表では試験を捨てたように見せながら、他クラスの内側へ人を置く。
その中心にいるのが龍園なら、ここまでの動きは一つに繋がる。
Cクラスなら、龍園翔。
こちらも、最有力として置いていい。
◇
Dクラスへ戻ると、堀北が地図を畳んでいた。
顔色は朝より悪い。
「まだ動くつもりか?」
綾小路が尋ねる。
「必要なことが残っているもの」
「平田に任せたらどうだ」
「任せられることなら、そうしているわ」
即答だった。
堀北は地図を鞄へ戻し、内側のポケットへ手を入れた。
その手が止まる。
もう一度探る。
表情が変わった。
「どうした?」
「……ない」
「何が?」
堀北は答えなかった。
代わりに鞄の中身を確かめる。
地図。
筆記具。
試験冊子。
そこにあるはずのものだけがない。
「キーカードか」
堀北が綾小路を見る。
「声が大きいわ」
「いつ気付いた?」
「今よ」
「最後に確認したのは?」
「午前の更新の後」
それ以降、堀北が鞄から長く離れた時間は多くない。
だが、ゼロではなかった。
熱を冷ますために水場へ行った時。
平田へ地図を渡していた時。
人の出入りが重なった時間もある。
盗む機会まで特定するには材料が足りない。
綾小路は拠点の端へ目を向けた。
伊吹の姿がない。
堀北も同じ場所を見た。
「伊吹さんは?」
近くにいた池が顔を上げる。
「さっき水筒持って出てったけど」
堀北は立ち上がった。
「待て」
「待てないわ」
「その身体で追うのか?」
「カードを持っていかれた方が問題よ」
言い終える前に歩き出す。
足取りは明らかに重い。
それでも止まらなかった。
綾小路はその背中を見送る。
これまで残っていた疑問。
伊吹が最後に何を確かめようとしているのか。
龍園が欲しがるのが外さないリーダー名なら、答えはほとんど出た。
ただし、カードがいつ、どう盗まれたのかまでは分からない。
伊吹が本当に持っているかも、まだ確認していない。
堀北の姿が見えなくなってから、綾小路も距離を取って後を追った。
◇
森の奥へ進むにつれ、堀北の呼吸は荒くなっていった。
熱は残っている。
数日間の疲労も抜けていない。
それでも足を止める選択肢はなかった。
少し先に、伊吹の背中が見えた。
「伊吹さん」
堀北が呼び掛ける。
伊吹の足が止まった。
ゆっくりと振り返る。
「返しなさい」
「何を?」
「私のカードよ」
伊吹はしばらく黙った。
やがて、制服のポケットから一枚のカードを取り出す。
「これ?」
堀北の目が細くなる。
そこに刻まれた名前まで、伊吹にはもう見えていた。
堀北鈴音。
推測ではない。
龍園が欲しがっていた確証だった。
「いつ盗んだの?」
「教えると思う?」
「そう」
堀北が一歩踏み出す。
「なら、力ずくで返してもらうわ」
「その身体で?」
「あなた一人を止めるくらいなら十分よ」
「強がりね」
伊吹がカードをポケットへ戻す。
堀北が距離を詰めた。
先に動いたのは堀北だった。
伊吹の腕を取り、そのまま体勢を崩そうとする。
伊吹が足を引き、肩を捻って外す。
返された蹴りを、堀北は腕で受けた。
衝撃で半歩下がる。
本来なら、そこで立て直せる。
だが呼吸が追いつかない。
視界の端が僅かに霞んだ。
「……っ」
「遅い」
伊吹の拳が伸びる。
堀北は避ける。
避けたはずだった。
肩へ浅く当たる。
身体が思うように動いていない。
それでも堀北は踏み込んだ。
伊吹の懐へ入り、脇腹へ一撃を入れる。
「っ……!」
伊吹が顔を歪めた。
すぐに距離を取る。
「病人のくせに」
「病人に押されている人に言われたくないわね」
口では返せる。
身体は違った。
足が重い。
呼吸が浅い。
額から流れた汗が目へ入る。
伊吹にもそれは分かっていた。
長引かせれば、自分が有利になる。
再び距離が縮まる。
二度。
三度。
堀北は受け、避け、返す。
技術だけなら一方的にはならない。
だが、反応するたびに身体から力が抜けていった。
伊吹の蹴りを受け流した瞬間、堀北の膝が僅かに落ちる。
そこへ肩がぶつかった。
背中が木へ当たる。
息が止まった。
伊吹が一歩引く。
「もう無理でしょ」
「まだよ」
堀北は木から背を離した。
その手が伊吹の制服へ伸びる。
指先がポケットを掠めた。
伊吹が腕を払う。
同時に、ポケットからカードが滑り落ちた。
湿った地面へ落ちる。
二人の視線が一瞬だけそこへ向いた。
堀北が手を伸ばす。
だが、身体がついてこなかった。
一歩踏み出したところで足が崩れる。
伊吹はカードへ目を向けたまま、動かなかった。
もう名前は確認している。
必要なのはカードそのものではない。
「悪いけど、もう目的は済んでる」
「待ち……なさい……」
堀北は立とうとする。
腕に力が入らない。
伊吹はそれ以上攻撃しなかった。
踵を返し、森の奥へ消えていく。
堀北はその背中を追おうとした。
視界が大きく揺れる。
膝が地面へ落ちた。
手をつく。
もう一度立ち上がろうとして、今度は腕も支えにならなかった。
身体が横へ倒れる。
意識が途切れた。
◇
伊吹は十分に距離を取ってから無線機を取り出した。
短い雑音。
『取れたか』
「取った」
『確証は?』
「カードを見た」
伊吹は一度だけ息を整える。
「堀北鈴音。Dクラスのリーダーは堀北よ」
無線の向こうで、龍園が笑った。
『間違いないんだな』
「自分の目で名前まで確認した」
『上出来だ』
「カード自体は落とした」
『いらねえよ。名前が分かれば十分だ』
「なら終わりね」
『ああ。よくやった』
通信が切れる。
伊吹は無線機を下ろした。
報告した内容に間違いはない。
自分の目でカードを確認した。
Dクラスのリーダーは堀北鈴音。
その時点では、それが正解だった。
◇
綾小路が現場へ着いた時、森は静かになっていた。
最初に見えたのは、木の根元へ倒れている堀北だった。
「堀北」
返事はない。
近付いて状態を確認する。
呼吸はある。
額へ触れる。
熱い。
衣服には泥が付き、腕にも戦った痕が残っていた。
近くの地面に、一枚のカードが落ちている。
綾小路はそれを拾い上げた。
堀北鈴音。
リーダーのキーカード。
伊吹がここまで来た理由は、これで確定した。
そして、伊吹が名前を確認した可能性も高い。
龍園へ情報が渡る。
止めるには遅い。
だが、止める必要もなかった。
綾小路はカードをポケットへ入れ、もう一度堀北を見る。
意識は戻らない。
試験を続けられる状態ではなかった。
このままなら、学校側へ離脱を申請することになる。
リーダーが離脱すれば、変更が認められる。
正しい情報でも、盤面が変われば意味は変わる。
綾小路は堀北を抱き上げた。
◇
拠点へ戻る途中で、最初に気付いたのはスザクだった。
「綾小路――堀北?」
表情が変わる。
駆け寄り、堀北の顔を見る。
「意識がない。熱も高い」
「分かった。僕が運ぶ」
綾小路から堀北を受け取る。
声を聞いた平田もすぐに来た。
「何があったの?」
「体調が悪化した。学校側に繋いだ方がいい」
「分かった」
平田はそれ以上問い詰めなかった。
「山内、先生側へ連絡できる人を呼んで。急いで」
「分かった!」
「池、水をお願い。今使える分でいい」
「おう!」
「須藤、通る場所を空けて」
「任せろ!」
声が重なる。
だが、混乱は広がらなかった。
山内が走る。
池が水を持ってくる。
須藤が荷物を寄せ、通路を空ける。
スザクは堀北の様子を確かめながら、揺らさないように運ぶ。
平田は必要な人間だけを動かし、それ以外には作業を続けるよう伝えた。
誰か一人の次の命令を待つ時間はなかった。
それぞれが、自分の役割へ入っていく。
ルルーシュは少し離れた場所から、その動きを見ていた。
口を挟む必要はなかった。
◇
堀北の試験離脱が認められた後。
Dクラスのリーダーは変更された。
新しい名前は、綾小路清隆。
手続きが終わっても、綾小路の表情は変わらない。
龍園が手に入れた情報は正しい。
伊吹も間違えていない。
ただし、それは少し前までの正解だった。
◇
堀北が学校側へ引き渡された後、Dクラスの拠点には短い沈黙が残った。
「……堀北、大丈夫なんだよな」
須藤が森の方を見る。
「先生たちに任せるしかないよ」
平田が答える。
不安が消えたわけではない。
試験もまだ終わっていない。
残った物資。
明日の撤収。
占有地。
人数もまた一人減った。
確認したいことが増えるにつれ、いくつかの視線が物資置き場へ向いた。
ルルーシュへ。
「ランペルージ」
須藤が呼ぶ。
「これからどうする?」
ルルーシュは一度だけ全体を見た。
「平田」
「うん」
「残りを見ろ」
それだけだった。
平田は一度頷き、地図へ目を落とす。
「まず人数を組み直す。明日の撤収まで考えよう」
「須藤君は重い物。池君は水。山内君は戻った班の状況を僕に」
「おう」
「分かった」
「了解」
そこへスザクが戻ってくる。
「僕は?」
平田は拠点を見回した。
「空いてるところをお願いしていい?」
「分かった」
平田が残った人数と仕事を組み直すと、それぞれが持ち場へ戻っていった。
ルルーシュはもう何も言わなかった。
堀北がいない。
それでも、拠点は止まらない。
誰もが、次に見るべき場所を知っていた。