反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む 作:evejanjan
外部デッキへ続く扉を開けると、船内の音が遠ざかった。
聞こえるのは、船体が水を押し分ける低い音と、手すりの間を抜けていく風だけだった。
夜の海には、目印になるものがない。
船内から漏れた明かりも、数メートル先で暗闇へ吸い込まれている。
スザクは船尾側の手すりの前で立ち止まった。
端末には、これまで聞き取った内容が残っている。
自分が言ったこと。
自分が言っていないこと。
ルルーシュが言ったこと。
それを聞いた生徒たちが信じたこと。
一つずつ分けて記録した。
それでも、画面に並んだ文章だけでは分からないことがある。
ルルーシュが、どこまで知っていたのか。
背後で扉が開いた。
振り返らなくても、誰が来たのかは分かった。
足音が近づき、少し離れた場所で止まる。
「調べ終わったのか」
「必要なことは聞いた」
スザクは振り返った。
ルルーシュはいつもと変わらない顔をしている。
弁解を用意しているようには見えない。
何も知らないふりをするつもりもないのだろう。
スザクは端末を握ったまま尋ねた。
「僕の名前を使ったのか」
「ああ」
否定はなかった。
「お前に嘘は言わせていない」
「そこを聞いてるんじゃない」
端末の縁を押す指に力が入る。
スザクは声を荒らげなかった。
怒鳴ったところで、事実が変わるわけではない。
「僕は、自分が優待者ではないことを話した」
「ああ」
「途中解答をするつもりがないことも」
「知っている」
「僕が話したのは、僕自身のことだけだ」
「それも知っている」
ルルーシュはすぐに答えた。
聞き間違いではない。
認識の違いでもなかった。
「他の生徒たちは、Dクラス全体も同じ方針だと思っていた」
「全員ではない」
「何人なら構わないという話じゃない」
スザクは一度言葉を切った。
「君が動かしている人たちは、僕と同じように途中解答をしない。そう受け取った人がいた」
「俺は、そうだとは言っていない」
「訂正もしなかった」
風が二人の間を抜けていく。
ルルーシュは答えなかった。
その沈黙だけで、十分だった。
「いつ気づいた?」
「最初からではない」
「途中では気づいていたんだな」
「ああ」
知らなかったのなら、話は違った。
言葉が意図しない形で広がり、その結果をあとから知っただけなら、ルルーシュ一人の責任とは言えない。
だが、ルルーシュは途中で知った。
知ったうえで、誤解を残した。
「僕の名前を使ったことだけを責めてるんじゃない」
「では、何だ」
「僕を信じた人たちがいた」
蛇グループで端末を閉じた生徒。
犬グループで途中解答を待った生徒。
Dクラスが先に裏切る可能性は低いと判断した生徒。
誰も、まったく同じ理由で決めたわけではない。
それでも、その判断の中にスザクの名前があった。
「その人たちは、僕が話したことより広い範囲を信じた」
「それは、彼らが勝手に――」
ルルーシュは言葉を止めた。
スザクは続きを促さなかった。
最後まで口にすれば、自分でも分かるはずだった。
「違うな」
ルルーシュは自分で否定した。
「誤解を作ったのは俺ではない。だが、広がったあとも訂正しなかった」
「利用できると思ったから?」
「ああ」
「僕を信じた人たちまで、君は作戦の一部として数えた」
ルルーシュは否定しなかった。
他人を命令だけで動かさない。
役割を与え、自分で判断できる形を作る。
この学校へ来てから、ルルーシュは何度もそうしてきた。
堀北へ共有範囲の判断を返した。
平田へ伝達を任せた。
各グループにいるDクラス生徒へ、最後の決断を残した。
それなのに、スザクの信用を使うかどうかだけは、本人へ返さなかった。
「あの場で訂正すれば、警戒は戻っていた」
ルルーシュが言った。
「Dクラスが先に途中解答しないという認識が崩れれば、自分が先に動こうとする人間が増える」
「分かっている」
「龍園は待たない」
「それも分かっているよ」
「なら――」
「結果が悪かったと言ってるんじゃない」
声が僅かに強くなる。
スザクは一度息を吸い、続けた。
「君の情報で守れたグループがある。犬グループは全員正解になった。途中解答を思いとどまった生徒もいた」
「ああ」
「僕の名前を信じて待った人も、自分から裏切らない道を選んだ」
「結果としてはな」
「その結果を否定するつもりはない」
ルルーシュの判断がなければ、Cクラスに奪われるグループは増えていたかもしれない。
龍園が正解を持っている以上、時間を与えること自体が危険だった。
理想だけで待っていれば、守れるものまで失う。
それを、スザクも理解している。
「訂正して警戒を戻すより、誤解を残した方が被害は少なかった」
ルルーシュは断言した。
「少なくとも、あの時点で集めた情報からはそう判断できた」
スザクは否定しなかった。
「今回は、そうだった」
「今回は?」
「次も同じ結果になるとは限らない」
「悪い結果を生むために使うつもりはない」
「君はそう考えている」
「当然だ」
「でも、信じた人たちは知らない」
スザクは端末へ目を落とした。
「Dクラス全体が途中解答しないと思った人がいた」
「……」
「君が僕の言葉を保証していると思った人もいた」
「……」
「僕が、君たちの作戦を知ったうえで認めていると思った人までいた」
「俺は、そこまでは言っていない」
「それなら、誤解した人が悪い?」
「そうは言っていない」
「でも、その誤解は使った」
「ああ」
「失敗した時に代価を払うのは、君だけじゃない」
ルルーシュは答えなかった。
「信じた自分が悪かったと思う人もいる」
「それは――」
「君が守ろうとした人だよ」
ルルーシュの言葉が止まった。
守った人数。
奪われたクラスポイント。
全員正解によって得たプライベートポイント。
結果表には数字が残る。
だが、誰かを信じた判断が裏切られた時、その後に何が残るかは表示されない。
「蛇グループにも、途中解答しようとした人がいた」
スザクは言った。
「報告で知っている」
「僕は、途中解答するなとは言わなかった」
「結果として思いとどまらせた」
「最後に決めたのは本人だ」
ルルーシュの表情が僅かに硬くなる。
「途中解答すれば、本人とクラスが利益を得られる可能性がある」
「誤答すれば逆になる」
「それも伝えた」
「全員正解の可能性も失う」
「伝えたよ」
「それなら、実質的には止めている」
「違う」
スザクは静かに否定した。
「何が起きるかを話しただけだ」
「言葉で判断を変えた」
「それでも、選んだのは本人だ」
蛇グループは全員正解へ届かなかった。
クラスにもポイントは入っていない。
得点だけを比べれば、スザクの方法が優れていたとは言えない。
待ったことで、別のクラスに利益を奪われる可能性もあった。
「僕のやり方が、いつも正しいとは思ってない」
「なら、何が違う」
「間違うかもしれなくても、最後に決めるのは本人であるべきだ」
「一人の間違いで、他の全員が損をする」
「分かっている」
「取り返しがつかない場合もある」
「それでも、考える時間があるなら話す」
「その時間に龍園は答えを送る」
「そうなるかもしれない」
「それで全員が損をしてもか」
スザクは逃げずにルルーシュを見た。
「だから、君の方法がすべて間違っているとは言わない」
ルルーシュの視線が揺れる。
「君は、僕より多くのグループを守った」
「なら、何を求めている」
「僕にも選ばせてほしかった」
風の音だけが残る。
「僕の信用を使うなら、先に話してほしかった」
「お前なら反対した」
「そうかもしれない」
「そうかもしれない、ではない。お前は反対した」
「だったら、反対するかどうかを僕に選ばせるべきだった」
ルルーシュは、すぐには答えなかった。
反対されると分かっていた。
説明すれば、スザクは受け入れない。
受け入れない相手へ話せば、作戦は使えない。
だから話さなかった。
時間がなかったからだけではない。
スザクの答えを、最初から決めていたからだ。
「反対されれば、使えない」
スザクは否定しなかった。
「使わなければ、守れない可能性が高かった」
「それも理解している」
「なら、俺が選ぶしかない」
「違う」
スザクは静かに否定した。
「君は、僕が反対するという結論まで先に決めて、その選択をなくした」
「お前の考えは分かっている」
「分かっていても、僕の代わりにはなれない」
ルルーシュの口が閉じる。
これまで、二人の間に長い説明は必要なかった。
スザクが何を優先するのか。
ルルーシュが何を考えているのか。
言葉にしなくても分かると思っていた。
実際、ルルーシュはスザクの答えを分かっていた。
だからこそ、聞かなかった。
答えが分かっている相手へ、あえて選択を返す必要はないと判断した。
だが、それは理解ではない。
答えを代わりに決めることだった。
「堀北には判断を返した」
スザクが言った。
「平田にも」
「二人には役割があった」
「各グループの生徒にも、自分で決めてもらった」
「現場を見ているのは彼らだ」
「僕だけは違うのか」
ルルーシュは答えない。
「僕が一番近いから?」
「……」
「僕の答えを、一番よく知っているから?」
責めるための問いではなかった。
答えは、もう分かっている。
他の人間へは選択を返した。
だが、スザクには返さなかった。
信頼していなかったからではない。
最も深く理解し、最も確実に反対すると知っていたからだ。
「僕を信用していないわけじゃないんだよね」
「当然だ」
返答は早かった。
「誰よりも信用している」
端末を握る指だけが、まだ緩んでいない。
一瞬だけ視線を落とし、それからルルーシュを見た。
「だから、聞かなかった」
「ああ」
予想していた答えだった。
それでも、実際に聞けば何も感じないわけではない。
「それじゃ駄目なんだ」
「何がだ」
「分かっているから説明しない、では」
ルルーシュの視線が動く。
「僕たちは、もう命令する側と従う側じゃない」
「そんなつもりはない」
「つもりの話じゃない」
スザクは言った。
「君が僕の答えを代わりに決めた時点で、同じことになる」
ルルーシュは命令していない。
スザクも命令に従ったわけではない。
それでも、本人へ知らせず、その信用だけを使えば、選択は残らない。
「俺は、お前に嘘をつかせなかった」
「分かっている」
「お前の言葉を変えてもいない」
「それも分かっている」
「それでも、裏切ったと言うのか」
スザクはすぐには答えなかった。
海から吹き上げた風が、髪を揺らす。
「僕は、君に裏切られたとは言わない」
ルルーシュが僅かに目を見開く。
「でも、信じたままでいていいのか、確かめなきゃいけなくなった」
声は震えていなかった。
端末を握る指だけが、まだ緩んでいない。
これまでは、ルルーシュが何も言わなければ、説明する必要がないのだと思えた。
これからは違う。
何も言わない時、その沈黙によって何を選ばされているのかを考える。
信頼がなくなったわけではない。
信頼だけで任せることができなくなった。
「関係を切るつもりはない」
スザクは言った。
「君が必要なのも変わらない」
「なら――」
「でも、同じままではいられない」
ルルーシュは口を閉じた。
スザクは端末をポケットへ戻す。
聞きたかったことは聞いた。
ルルーシュが知らなかったわけではない。
必要だと判断し、意図的に訂正しなかった。
そして今も、結果そのものを間違いだったとは思っていない。
そのすべてを確認した。
「次は、先に話してくれ」
スザクは言った。
「反対すると思っても」
「……」
「僕が間違った答えを選ぶと思っても」
ルルーシュは返事をしない。
約束できないのだろう。
同じ条件が揃えば、また同じ選択をする可能性を捨てていない。
それでも、スザクは答えを迫らなかった。
返事を引き出すより、今後受け入れない境界を伝えることが必要だった。
「戻るよ」
スザクはルルーシュの横を通り、扉へ向かった。
ルルーシュは呼び止めなかった。
扉を開ける前に、一度だけ振り返る。
暗い海を背にしたルルーシュは、同じ場所から動いていない。
この船へ戻ったばかりの頃、二人は自然に並んで歩いていた。
説明しなくても、同じ方向へ進んでいると思っていた。
今は、同じ船内へ戻るために、別々の時間が必要だった。
スザクは扉を閉じた。
◇
扉が閉じる音を、ルルーシュは背中で聞いた。
外部デッキには、再び海と風の音だけが残る。
次は先に話す。
そう約束すれば、今の関係を取り繕うことはできた。
だが、同じ状況で同じ選択を迫られた時、必ず約束を守れるとは言えない。
訂正すれば、守れない人間が増える。
説明すれば、反対される。
反対を受け入れれば、龍園に先を越される。
その条件が揃った時、ルルーシュは再び黙るかもしれない。
作戦そのものを間違いだったとは思わない。
犬グループは守った。
途中解答を待つことを選んだ生徒もいる。
スザクの信用がなければ、いくつかの判断は違っていた可能性が高い。
だが、正しい結果だったことは、決め方まで正しかったことを意味しない。
他の人間には判断を返した。
最も近い相手にだけ、それをしなかった。
答えを知っていたから。
反対されると分かっていたから。
誰よりも信用していたから。
理由をいくつ並べても、本人の知らない場所で信用を使い、選ぶ機会を奪った事実は変わらない。
スザクは、関係を切るとは言わなかった。
必要だとも言った。
それでも、同じままではいられない。
これからスザクは、ルルーシュの沈黙をそのまま受け入れない。
何も説明されない時ほど、その裏にある選択を確かめようとする。
ルルーシュは手すりへ手を置いた。
扉の向こうへ消えた背中は、もう沈黙だけで同じ方向を選ぶ背中ではなかった。
それが、信頼を使った値段だった。