反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む 作:evejanjan
最後の競技を告げる放送が、校庭全体へ響いた。
千二百メートルリレー。
体育祭の最終種目であり、赤組と白組の勝敗を決める最後の得点競技でもある。
招集場所へ向かう生徒たちの表情には、午前中にはなかった疲労が浮かんでいた。
足を痛めた者。
転倒で擦り傷を負った者。
勝敗がほとんど決まり、気持ちを切らしている者。
それでも競技は止まらない。
Dクラスの待機場所では、平田が変更後の走順を読み上げていた。
「堀北さんの代わりは櫛田さん。三宅君の代わりは綾小路君で、学校からも変更の許可が出てる」
三宅は先ほどの団体競技で足を痛めていた。
走れないほどではないと本人は主張したが、保健室の判断は出場不可だった。
堀北も同様に、障害物競走で痛めた右足ではリレーに出られない。
負傷者が出た場合に限り、学校の確認を経て認められた代走だった。
「須藤君は予定どおり復帰。枢木君も、最初から登録されていた走順のままでお願いするよ」
「ああ」
須藤は短く答えた。
寮から戻って以降、以前のように周囲へ苛立ちをぶつけてはいない。
疲労は残っている。
競技を一度離れたことで身体が冷え、筋肉も固くなっているはずだ。
それでも、その目はすでに次の競技へ向いていた。
「俺の前で差がついても、追いつけばいいんだろ」
「一人で全部取り戻そうとしないで」
平田が念を押す。
「後ろにも走者がいる。無理に抜こうとして接触するより、確実にバトンをつないでほしい」
「分かってるよ」
「本当に?」
「さっきから何回言わせんだ」
不満そうではある。
だが、説明を拒絶してはいない。
少し離れた場所では、ルルーシュがスザクの走順を確認していた。
「お前は中盤だ。前との差が開いても、必要以上に焦るな」
「勝てる範囲で走る」
「今度は意味を確認しないのか?」
「周囲を巻き込まず、必要な分だけ差を縮める」
スザクは答えた。
「これまでの説明で分かったよ」
「ならいい」
「ただし、勝てると思ったら勝ちにいく」
「止めてはいない」
ルルーシュは視線を走順表へ戻す。
「限界を見せる必要がないだけだ」
スザクの身体能力が高いことは、すでにクラス内へ知られ始めている。
今さらすべてを隠すことはできない。
だからといって、自分の限界まで公開する理由もない。
「綾小路君がアンカーなんだね」
スザクが走順表を覗き込む。
「三宅の代走だからな」
「走るのは得意なのかな」
「これまでの記録だけなら、平均的だ」
ルルーシュは答えた。
体育祭序盤の綾小路も、目立つ順位を取っていない。
最下位へ沈むわけではなく、上位へも出ない。
本人が話していたとおりの結果だった。
だが、正確に平均へ収まり続けること自体が、不自然に見える場合もある。
「何か気になる?」
「まだ何も見ていない」
ルルーシュは端末を閉じた。
「判断は走った後だ」
◇
リレーの招集が始まり、綾小路はアンカーの待機場所へ向かっていた。
前方に、三年生の走者たちがいる。
その中に、堀北学の姿があった。
綾小路は歩調をわずかに速める。
「堀北先輩」
呼びかけに、学が足を止めた。
「何だ」
「先輩と一度、純粋な走力を競ってみたいと思っていました」
学は綾小路の表情を見た。
「これまでの競技を見る限り、俺に勝負を挑むような走力には見えないが」
「見せているものが、すべてとは限りません」
「そうか」
学は視線を、これから使用されるトラックへ向けた。
「正式競技の範囲でなら構わない。俺に追いつけたなら、応じよう」
「ありがとうございます」
「礼を言うのは、追いついてからにしろ」
それだけ告げ、学は三年生の待機場所へ戻っていった。
綾小路も自分の交換区域へ向かう。
学が先にバトンを受け取る可能性は高い。
その差を埋められなければ、勝負は始まらない。
◇
リレーの出場者たちが、トラックの各所へ分かれていく。
赤組と白組。
各学年から選ばれた走者が、一つの競技場に並ぶ。
応援席の熱気も、この日で最も大きかった。
堀北は椅子へ座ったまま、走者たちを見つめている。
本来なら、自分もあの中にいた。
女子の走者としてバトンを受け、後続へつなぐ予定だった。
今は櫛田が代わりに立っている。
「そんな顔をしても、足は治らないよ」
隣にいた平田が声をかけた。
「分かっているわ」
「櫛田さんなら、ちゃんと走ってくれる」
「彼女の能力を疑ってはいないわ」
櫛田は運動能力も低くない。
日頃から多くの生徒と関わり、団体競技への適応も早い。
急な代走であっても、大きく崩れる可能性は低かった。
「ただ、自分が作った配置に自分が出られないことが気に入らないだけよ」
「それは分かるけど、今は任せよう」
「ええ」
堀北は素直に頷いた。
その返答に、平田がわずかに目を丸くする。
「何?」
「いや。今日は、ちゃんと人の話を聞くようになったなと思って」
「怪我人へ随分な言い方ね」
「悪い意味じゃないよ」
号砲が鳴った。
最初の走者が一斉に飛び出す。
歓声が校庭を揺らした。
Dクラスの第一走者は、序盤でわずかに遅れた。
大きな差ではない。
だが、上位クラスの走者は速い。
一度できた差が、そのまま次の走者へ引き継がれていく。
バトンが渡る。
二人目。
三人目。
Dクラスは順位を一つ上げ、次の区間で再び落とした。
個人の力だけではなく、バトンの受け渡しや走者全体の地力が結果へ表れている。
櫛田へバトンが渡る。
「櫛田さん、頑張れ!」
クラスメイトの声援を受け、櫛田が走り出した。
急な代走とは思えない安定した走りだった。
前を走る相手へ無理に並ぼうとはせず、後ろとの差を維持する。
順位は上げられない。
それでも、大きく離されることなくバトンをつないだ。
「悪くない」
ルルーシュが呟く。
「褒めるなら、本人へ言ってあげればいいのに」
平田が言う。
「必要ならな」
「今が必要な時だと思うけど」
「競技後に伝える」
次の走者が走る。
だが、前半でついた差は少しずつ広がっていった。
Dクラスの生徒たちは、個々には全力で走っている。
それでも、全体の地力が高いクラスには届かない。
やがてバトンが、スザクの前走者へ渡った。
◇
スザクは交換区域の中で、前方を確認した。
Dクラスの走者は、先頭から大きく離されている。
直前を走る相手との差も小さくない。
前走者の呼吸が乱れている。
足取りも重い。
それでも、最後まで速度を落とさずバトンを運んできた。
「枢木!」
名前を呼ばれる。
スザクは走り出した。
前走者の速度へ合わせ、交換区域の中でバトンを受け取る。
握った瞬間、身体を前へ倒した。
景色が後方へ流れる。
最初の数歩で、前を走る相手との差が目に見えて縮み始めた。
「速っ……」
池の口から声が漏れた。
短距離走でも一位を取った。
だが、単独の競技とリレーでは印象が違う。
前後の走者が同時に走ることで、速度差がはっきりと見える。
スザクは一人目を抜いた。
外側へ膨らまず、相手の進路へ入ることもない。
必要な距離を確保して横を通過する。
二人目へ近づく。
その走者もスザクの接近へ気づき、速度を上げた。
それでも差は縮まる。
コーナーへ入る前に並び、出口で前へ出た。
「枢木って、あんなに速かったのかよ……」
「須藤君より速いんじゃない?」
「まだ全力じゃないわ」
堀北が言った。
周囲の視線が集まる。
「分かるの?」
櫛田が尋ねる。
「走り方に余裕がある。身体がぶれていないし、前の走者を抜いた後も呼吸が変わっていない」
堀北には、スザクの限界がどこにあるかまでは分からない。
ただ、今見せている速度が限界ではないことは分かった。
スザクはさらに前との差を縮める。
しかし、最後の直線では無理に追い抜こうとしなかった。
次の走者が受け取りやすい位置へ入り、速度を調整する。
「来るよ!」
バトンを掲げる。
次走者の手へ、ほとんど減速せずに渡した。
受け渡しが成功する。
スザクは交換区域を抜けたところで速度を落とし、後続の邪魔にならない位置へ移動した。
順位は二つ上がった。
先頭との差も大きく縮まっている。
だが、追いついてはいない。
「悪い。全部は戻せなかった」
待機場所へ戻ったスザクが言う。
「十分だよ」
平田がタオルを渡した。
「かなり差を縮めてくれた」
「限界まで走ったわけじゃないでしょう」
須藤が横から口を挟む。
「うん」
スザクは隠さなかった。
「次の走者がバトンを受け取りにくくなるほど速度を上げても仕方がないから」
「余裕ぶりやがって」
「須藤君も、この後に走るんだろう?」
「当たり前だ」
須藤は交換区域へ向かう。
「お前が縮めた分より、もっと縮めてやる」
「競技前に説明されたことを忘れないで」
スザクが声をかける。
「分かってる!」
須藤は振り返らずに答えた。
◇
バトンが須藤へ渡る。
復帰直後とは思えない勢いで、須藤は前へ飛び出した。
スザクのような滑らかさはない。
一歩ごとに地面を強く蹴り、力で速度を作る走りだった。
前方の走者へ狙いを定める。
追いつく。
並ぶ。
だが、相手が須藤の進路へ寄ってきた瞬間、以前のように正面から競り合おうとはしなかった。
一度外側へ距離を取る。
コーナーで無理に抜かず、直線へ入ってから前へ出た。
「今の、避けたよな?」
池が言った。
「ああ」
平田が頷く。
「挑発に乗らなかった」
須藤は前の走者を一人抜いた。
さらにもう一人へ近づく。
だが、そこで交換区域が見えた。
無理に追い抜けば、バトンの受け渡しが乱れる。
須藤は追走へ切り替え、次走者へ確実にバトンを渡した。
戻ってきた須藤は、悔しそうに舌打ちした。
「もう少し距離がありゃ抜けたのによ」
「無理に抜かなかったのは正解だよ」
平田が言う。
「次につながった」
「褒め方が地味なんだよ」
「一位を取るだけが役割じゃないって、分かったんでしょう」
堀北の言葉に、須藤は顔をしかめた。
「怪我人は黙ってろ」
「図星なのね」
「うるせえ」
言い返しながらも、須藤の声には以前のような苛立ちはなかった。
スザクと須藤が縮めた差を、後続の走者たちが必死に守る。
しかし、地力の差は消えない。
一つの区間で少しずつ離される。
別の区間で追いつこうとする。
その繰り返しだった。
やがて、最後のバトンが近づいてくる。
Dクラスのアンカーは、綾小路清隆。
◇
交換区域に立った綾小路は、前方の走者を見ていた。
同じアンカーの中に、堀北学がいる。
現生徒会長であり、校内でも最高水準の身体能力を持つ三年生。
学は、綾小路へ一度だけ視線を向けた。
リレーの招集前に交わした短い会話を、忘れてはいない。
正式競技の中で。
互いに余計な介入を受けない形で。
純粋に走る速度を比べる。
学が先にバトンを受け取る。
本来なら、そのまま後続を突き放してもよかった。
だが、学は序盤から限界まで速度を上げず、自分の走りを崩さない範囲で綾小路が追いつく余地を残した。
立ち止まっているわけではない。
競技を捨てているわけでもない。
必要なら、いつでも加速できる走りだった。
綾小路の前走者が近づいてくる。
「綾小路!」
バトンが差し出される。
綾小路は受け取った。
直後、それまでの競技では見せなかった速度へ切り替える。
歓声の質が変わった。
「え……?」
櫛田が声を漏らす。
平均的な走者として見えていた生徒が、一瞬で前との差を縮め始める。
足の回転。
上体の安定。
コーナーへ入る際の重心移動。
どれも、偶然出せる速度ではない。
「綾小路君……?」
平田も驚きを隠せなかった。
「普段の記録と全然違う」
ルルーシュは黙ってトラックを見ている。
頭脳を隠している可能性は考えていた。
船上試験でも、綾小路は必要以上に自分を表へ出さず、結果だけへ影響しているように見えた。
それが今、身体能力にまで広がった。
走る能力を隠していた。
その事実は確かだ。
だが、これだけで戦闘能力まで高いと断定することはできない。
競走と実戦では、必要とされる能力が違う。
「速いね」
スザクが呟いた。
「驚いたか」
ルルーシュが尋ねる。
「うん。普段は意図的に抑えていたんだと思う」
「お前と比べてどうだ」
「分からない」
スザクは即答した。
「僕と競っているわけじゃない。綾小路も、僕を見て走っていない」
綾小路が追っているのは堀北学だけだ。
スザクも、リレーで限界まで走ってはいない。
互いの最高速度は分からない。
「ただ、あれが限界かどうかも分からない」
スザクは目を細めた。
綾小路が学へ追いつく。
並んだ。
二人の速度が、周囲の走者を明確に上回っている。
他のアンカーが止まって見えるほどではない。
それでも、同じ競技の中で別の勝負が始まったことは、誰の目にも明らかだった。
学が速度を上げる。
綾小路も離れない。
二人は並んだまま、最後のコーナーへ入った。
応援席から、さらに大きな歓声が上がる。
綾小路が内側。
学が外側。
直線へ入れば、純粋な加速勝負になる。
その直前だった。
二人の前方を走っていた生徒が、足をもつれさせた。
体勢が崩れる。
転倒を避けようとして大きく進路を変え、綾小路の前へ入った。
綾小路は接触を避けるために、一歩外側へずれる。
ほんのわずかな減速。
学はその隙を逃さなかった。
直線へ入り、前へ出る。
綾小路も再加速した。
だが、先ほど生まれた差を完全には埋められない。
学が先にゴールを越えた。
綾小路も、そのすぐ後へ続く。
勝敗はついた。
それでも、観客の視線は一位だけへ向いていなかった。
これまで目立たなかった一年Dクラスの生徒が、堀北学とほぼ互角の速度で走った。
その事実が、校庭全体へ残った。
◇
「負けたな」
ゴール後、学が綾小路へ言った。
「ええ」
「進路が塞がれた」
「それも競技の一部です」
「言い訳はしないか」
「結果が変わるわけではありませんから」
綾小路は呼吸を整えながら答える。
学は一度だけ、綾小路の顔を見る。
「まだ余力を残しているように見える」
「会長も同じでしょう」
「どうだろうな」
学は答えず、三年生の待機場所へ戻っていった。
綾小路もDクラスの側へ歩き出す。
待っていたのは、驚きを隠せないクラスメイトたちだった。
「綾小路、お前、何だよ今の!」
池が真っ先に声を上げる。
「普通に走れるってレベルじゃねえだろ!」
「たまたまだ」
「たまたまで堀北先輩に追いつけるかよ!」
「本番で調子が良かっただけだ」
「それで押し通すつもり?」
堀北が呆れたように言う。
「過去の測定記録と違いすぎるわ」
「走り方を変えた」
「今日だけで?」
「そういうこともある」
「あるわけないでしょう」
綾小路は追及を受けながらも、表情を変えなかった。
平田は困ったように笑っている。
櫛田も驚いた顔のまま綾小路を見ていた。
スザクだけは、少し離れた場所から静かに観察している。
綾小路がこちらへ視線を向ける。
一瞬だけ目が合った。
だが、互いに何も言わない。
綾小路はスザクの速度について尋ねなかった。
スザクも綾小路へ、どこまで力を隠していたのかを聞かなかった。
二人は今日、互いの一部を見た。
それだけだった。
「綾小路」
ルルーシュが呼ぶ。
「何だ?」
「走る能力を隠していた理由は?」
「隠していたつもりはない」
「なら、今後も今日と同じ記録を出せるな」
「必要なら」
「そうか」
ルルーシュは、それ以上追及しなかった。
答えが得られるとは思っていない。
ただ、綾小路が否定し切らなかったことは覚えておく。
頭脳。
身体能力。
そして、表へ出ることを避ける姿勢。
これまでより警戒すべき相手になったことだけは確かだった。
◇
全競技が終了した。
最終結果が発表される。
総合では赤組が勝利。
一年生の学年順位は、Bクラスが一位、Cクラスが二位、Aクラスが三位、Dクラスが四位だった。
総合勝敗と学年順位は、別々にクラスポイントへ反映される。
茶柱が、四クラスの変動を読み上げた。
一年Aクラス。
赤組勝利による減点はなく、学年三位で五十ポイント減少。
九百二十四から八百七十四。
一年Bクラス。
白組敗北で百ポイント減少し、学年一位で五十ポイント加算。
合計五十ポイント減少し、八百三から七百五十三。
一年Cクラス。
白組敗北で百ポイント減少し、学年二位による増減はない。
六百四十二から五百四十二。
そして一年Dクラス。
赤組勝利による減点はないが、学年最下位で百ポイント減少。
三百七十七から二百七十七。
競技中に得た得点ではない。
学校が管理する累計クラスポイントが、確定した順位に従って変動した結果だった。
Dクラスの数字が表示された瞬間、クラスの空気が沈む。
「百ポイント……」
池が呟いた。
「赤組は勝ったのに、そんなに減るのかよ」
「組の勝敗と、学年内の順位は別に計算されるからよ」
堀北は答えた。
「私たちは赤組の勝利による損失を免れただけ。学年最下位の減点は受ける」
「結局、最下位は最下位ってことか」
「ええ」
須藤とスザクが多くの得点を取った。
堀北も負傷するまで上位へ入り続けた。
それでも、クラス全体の差を埋めることはできなかった。
参加表の流出。
Cクラスによる弱者への集中攻撃。
堀北の負傷。
須藤の一時離脱。
失った得点が積み重なり、最後まで順位を押し上げられなかった。
「受け入れて終わりか?」
須藤が尋ねる。
「いいえ」
堀北は得点板を見上げる。
「次に同じ失敗をしないために、原因を整理する」
「なら、俺が途中で抜けたことも入れろ」
須藤は目を逸らさずに言った。
「ええ。私が負担を集中させたこともね」
二人とも、自分だけを原因にしなかった。
個人表彰も発表される。
一年生最優秀選手は、Bクラスの柴田颯だった。
複数の競技で安定して上位を取り、最後まで離脱せずに得点を積み重ねた結果だった。
須藤は多くの一位を取ったが、途中で競技を離れている。
スザクも高い成績を残したものの、出場競技数を限定していた。
二人とも最優秀選手には選ばれなかった。
「納得いかねえ」
須藤が言う。
「途中で抜けたんだから当然でしょう」
「次は取る」
「体育祭は毎回あるとは限らないわよ」
「なら別の試験で一位取る」
「何の一位よ」
「何でもいい」
堀北は呆れながらも、否定はしなかった。
スザクは表彰される柴田へ拍手を送っている。
自分が選ばれなかったことを気にしている様子はない。
ルルーシュは、表彰よりもクラス全体の結果を見ていた。
三百七十七から二百七十七。
数字だけなら大敗だ。
平田は、須藤が抜けた後も競技を止めなかった。
堀北は、自分の誤りを認めて須藤へ頭を下げた。
須藤は、目の前の相手を抜くことより、後続へバトンを渡すことを優先した。
スザクは、指示の意味を理解したうえで走った。
綾小路は、隠していた能力の一部を表へ出した。
ルルーシュは、記録された数字の下へ、それぞれの行動を書き加えた。
◇
体育祭が終わった後。
生徒たちは片づけを終え、それぞれ寮へ戻り始めていた。
龍園の端末へ、見覚えのない送信元から一件の音声ファイルが届いた。
件名はない。
本文もない。
ただ、再生可能なファイルだけが添付されている。
龍園は人通りの少ない場所へ移動し、音声を再生した。
『木下へ正式に謝罪しろ。それから、慰謝料として百万プライベートポイントだ』
自分の声だった。
続いて堀北の声。
故意の妨害として申立てを行うこと。
Cクラス側の証言を揃え、学校へ処分を求めること。
期限を体育祭終了までとしたこと。
交渉の最初から最後までが記録されている。
「なるほどな」
龍園は笑った。
木下の負傷を利用した要求は、これで使えなくなった。
堀北が音声を学校へ提出すれば、Cクラス側が故意の妨害を訴える前に、龍園による取引の存在が問題になる。
木下の証言まで疑われる可能性がある。
百万円どころではない。
この録音を持つ相手が、いつ、どこで、誰へ渡すか分からない以上、要求を続ける利益はなかった。
龍園は堀北へ短い連絡を送る。
『さっきの話はなしだ』
理由は書かない。
謝罪もない。
ただ、要求を取り下げる。
◇
堀北の端末へ龍園からの連絡が届いた時、ルルーシュも近くにいた。
Dクラスの体育祭結果を整理するため、平田と三人で残っていた。
「龍園からよ」
堀北が画面を見せる。
「何の話だ」
「木下さんの件で、謝罪と百万プライベートポイントを要求されていたの」
平田の表情が変わった。
「そんなことを言われてたの?」
「返事は保留していたわ。でも、今になって突然取り下げると連絡が来た」
「理由は?」
「書かれていない」
ルルーシュは表示された文面を見る。
短い。
取引条件の変更も、別の要求もない。
龍園の性格を考えれば、利益のある交渉を感情だけで放棄するとは思えない。
「お前が何かしたのか」
「いいえ」
堀北は即答した。
「罠だと証明できる材料はなかった。学校へ相談することも考えていたけれど、まだ動いていないわ」
「平田は?」
「僕も今、初めて聞いたよ」
ルルーシュは画面から視線を上げた。
龍園の要求を消した人物がいる。
しかも、堀北にも平田にも知らせずに。
要求そのものを知り、龍園が引き下がらざるを得ない材料を持っていた。
木下の負傷。
堀北への接触。
人通りの少ない場所で行われた交渉。
第三者が介入できる機会は限られている。
「誰かが龍園の罠を崩した」
ルルーシュが言う。
「誰が?」
堀北が尋ねる。
「分からない」
「候補は?」
「証拠がない」
体育祭序盤、参加表の流出を指摘された時と同じ答えだった。
堀北は不満そうな顔をする。
「あなたが知らないところで、Dクラスのために動いている人間がいるということ?」
「Dクラスのためとは限らない」
「結果的には助けられているわ」
「目的と結果は同じではない」
ルルーシュは言った。
龍園を牽制すること。
堀北を守ること。
Dクラスへの損害を防ぐこと。
どれが目的だったのかは分からない。
「ただ、龍園が理由もなく要求を消したわけではない」
誰かが介入した。
その人物は、名乗らないことを選んだ。
◇
放課後。
体育祭の片づけを終えた生徒たちが、校舎から寮へ向かっていた。
二階の渡り廊下から、龍園はその流れを見下ろしている。
少し離れた場所には石崎がいた。
「声、かけねえのか?」
「今は必要ねえ」
龍園の視線の先では、ルルーシュが平田へ端末の画面を見せていた。
平田が頷き、堀北が横から短く何かを返す。
スザクは三人から少し離れた位置で待っていたが、話が終わると自然に同じ方向へ歩き出した。
体育祭の途中も同じだった。
参加表を読まれたと気づいた後、ルルーシュは平田や堀北へ情報を渡し、表側の配置を修正させた。
自分だけが動いたわけではない。
必要な人間へ役割を渡し、その動きが相手から見えることも隠さなかった。
一方、堀北への要求を崩した介入者は、姿を見せていない。
名乗らず、見返りも求めず、録音だけを置いた。
結果だけを作り、誰が動いたのかを残さない。
「やっぱり、ランペルージじゃねえのか?」
石崎が聞く。
「手口は違う」
「じゃあ別人だろ」
「決めるのが早えんだよ」
同じ人物が、場面によって方法を変えた可能性。
ルルーシュと匿名の相手が協力している可能性。
互いを知らないまま、それぞれの理由でDクラスへ手を入れた可能性。
今ある情報だけでは、どれも切れない。
龍園は、ルルーシュの背中を見送った。
表から人を動かす策士。
姿を見せず、証拠だけを置く介入者。
「手口は違う。だが、別人だと決めるにはまだ早い」