反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む 作:evejanjan
ペーパーシャッフルの結果が発表された日の教室は、昼休みに入っても落ち着かなかった。
退学者はゼロ。
攻撃と防衛の両方でCクラスに勝利。
体育祭で失った百クラスポイントを取り戻した。
黒板に表示された数字はすでに消されている。それでも、池と山内は自分たちの点数を何度も話題にしていた。
「俺、国語で三十点超えてたんだぞ!」
「俺なんて英語で奇跡起こしたからな!」
「最後に同じ番号を並べたことは、奇跡とは言わないと思うよ」
平田が苦笑しながら訂正する。
「でも基準は超えたんだから勝ちだろ?」
「うん。今回はね」
「今回はって何だよ!」
池の声に、周囲から笑いが起きた。
その中心に櫛田がいる。
「二人とも、最後まで空欄を減らしたのがよかったんだよ。途中で諦めてたら危なかったと思う」
「やっぱ櫛田ちゃんのおかげだって!」
「私は勉強を手伝っただけ。答案を書いたのは池君だよ」
櫛田はいつもと同じように笑っていた。
結果発表の少し前まで、自分が堀北と綾小路を退学させようとしていたことを、この教室で知る者はほとんどいない。
龍園へ渡した問題が正式版ではなかったことも。
自分が受け取った解答が使えなかったことも。
空き教室で、堀北への妨害を止めると約束したことも。
今の笑顔からは読み取れない。
堀北は自分の席から、その輪を見ていた。
櫛田は池の点数を確認し、山内の大げさな話へ呆れ、平田が整理した各ペアの結果を覗き込んでいる。
クラスを敗北させようとした人物と、退学寸前の生徒を最後まで支えた人物。
どちらも櫛田桔梗だった。
「堀北」
ルルーシュが席の横で立ち止まった。
「何?」
「放課後、話すと言っていたな」
「ええ。枢木君にも来てもらうわ」
ルルーシュの視線が僅かに動く。
「本人には伝えてあるのか」
「まだよ」
「なら、私から伝える」
「お願いするわ」
堀北は短く答えた。
綾小路は呼ばない。
櫛田との勝負に関わったことも、龍園へ働きかけたことも、今回の話し合いには必要なかった。
話すのは、Dクラス全体に関わる部分だけだ。
◇
放課後。
堀北は特別棟の空き教室で、ルルーシュとスザクを待っていた。
机の上には、一枚の用紙が置かれている。
問題の版。
閲覧した者。
配布先。
回収状況。
提出者。
体育祭とペーパーシャッフルで残された記録を、今後の手順へ変えるために整理したものだった。
扉が開く。
「待たせた?」
先に入ってきたのはスザクだった。
「いいえ」
その後ろからルルーシュが入り、廊下を確認して扉を閉める。
「平田には?」
「まだ何も話していないわ」
「それでいい」
ルルーシュは堀北の向かいへ立った。
スザクは二人の間ではなく、横の机へ手を置く。
「櫛田さんのことだよね」
「ええ」
堀北は答えた。
「ランペルージ君から、内部情報を外へ流していた可能性があるとは聞いているでしょう?」
「体育祭の参加表と、今回の問題だろ」
「そうよ」
「可能性じゃなくなったの?」
スザクの問いに、堀北はすぐには答えなかった。
「私の中では、ほぼ確定しているわ」
「ほぼ?」
「本人の通信履歴や、龍園君との受け渡しを確認したわけではない。学校へ提出すれば即座に退学処分を求められるような証拠はないわ」
ルルーシュは口を挟まない。
自分が記録したものも同じだった。
櫛田が提出手順を繰り返し確認したこと。
正式期限より前に封筒を持ち込んだこと。
その後、Cクラス側で問題作成の動きが変わったこと。
疑いを強く支える。
だが、通信や取引そのものを記録したものではない。
「それでも、櫛田さんが関わったと考えているんだね」
「ええ。体育祭では、私の参加競技を含む正式な情報が龍園君へ渡った。今回は、正式問題とは別のものをDクラスの提出物として先に持ち込んだ」
スザクの表情が変わる。
「本当に提出したのか」
「茶柱先生が受け取ったわ。ただし、正式提出としては扱われていない。事前に、正式な提出代表を私一人へ限定していたから」
「それが対策だったんだな」
「ええ」
ルルーシュが確認する。
「櫛田が持ち込んだ封筒は、まだ保管されているのか」
「開封されないまま残っているわ」
「正式版と比較すれば、どの問題案を利用したかは確認できる」
「試験が終わった今なら可能よ。ただ、それだけで龍園君へ渡した証明にはならない」
「分かっている」
ルルーシュはそれ以上を求めなかった。
「櫛田さんは、どうしてそこまでしたの?」
スザクが尋ねる。
「直接の標的は私よ」
「理由は?」
「以前からの個人的な問題がある。それ以上を今、説明するつもりはないわ」
スザクは堀北を見た。
問い返すことはできる。
だが、ここで必要なのは櫛田の過去を暴くことではない。
「綾小路も関係しているのか」
ルルーシュが聞いた。
「今回の話し合いに必要な範囲では、答えないわ」
堀北の返答に迷いはなかった。
ルルーシュは一度だけ目を細める。
それでも、追及はしなかった。
必要なのは、綾小路が龍園へ何を言ったかではない。
櫛田を残すことで、次に何が起きるかだった。
「櫛田さんとは話したの?」
「ええ。今後、私への直接的な妨害を止める約束を得たわ」
「約束だけ?」
「録音もある」
「それで、信じるのか」
ルルーシュの声は低かった。
「信じてはいないわ」
堀北は即答した。
「約束を守る可能性はある。でも、それだけでこれまでの行動が消えたとは考えていない」
「なら、退学させる?」
スザクが尋ねた。
堀北は机の上の用紙へ視線を落とした。
「今は、退学へ追い込まない」
教室に短い沈黙が落ちる。
ルルーシュの表情は変わらない。
スザクも、安心した顔はしなかった。
◇
同じ頃。
Dクラスの教室では、須藤が自分と堀北の結果をまだ眺めていた。
数学と物理。
自分が堀北より高い点を取った科目へ、何度も視線が戻っている。
「須藤君」
櫛田が横から声をかけた。
「何だよ」
「堀北さんとの勉強、役に立った?」
「まあな」
「本当に?」
「何で疑うんだよ」
「だって、須藤君、照れると声が小さくなるから」
「照れてねえ!」
須藤の声が教室へ響き、池がすぐに振り返った。
「何だ何だ、堀北の話か?」
「うるせえ!」
櫛田は楽しそうに笑った。
「でも、よかったね。数学と物理、堀北さんより高かったんでしょう?」
「俺が取るって決めた科目だからな」
「堀北さんも助かったって言ってた?」
「……言ってた」
今度は、先ほどより声が小さかった。
「そっか」
櫛田は笑う。
「須藤君が頑張ったことも、堀北さんがそれをちゃんと認めたことも、どっちもよかったね」
「お前が喜ぶことかよ」
「クラス全員が残れたんだから、喜んでもいいでしょう?」
須藤は答えず、結果の表示へ視線を戻した。
櫛田もそれ以上からかわない。
近くで山内に呼ばれると、いつもの調子でそちらへ向かった。
◇
空き教室では、三人の話が続いていた。
「理由を聞いていい?」
「櫛田さんを失えば、Dクラスは大きなものを失うわ」
堀北は一つずつ言葉にする。
「人望。情報を集める力。人に勉強を教える能力。対立している相手同士の間へ入れる立場。今回、池君たちが退学を避けられたことにも、彼女の力は確実に影響している」
「だから危険でも残す?」
「能力が高いから裏切りを許す、という意味ではないわ」
「でも、損失を計算に入れている」
「ええ。入れているわ」
堀北は否定しなかった。
「それに、今の時点で私たちが持っているものだけでは、確実に退学へ追い込めるとは限らない。中途半端に暴露すれば、櫛田さんが知っている他の生徒の秘密までクラスへ広がる可能性がある」
「反撃されるということか」
「そうよ。彼女を排除しようとして、クラス全体を壊す結果になれば意味がない」
「それでも、将来は協力できると考えている?」
スザクが聞いた。
「可能性は捨てていないわ」
「変わると信じてる?」
「信じてはいない」
堀北はまた即答した。
「信じることと、可能性を閉じないことは別よ。現時点で選ぶのは、和解ではなく休戦。信用ではなく制限よ」
スザクはその言葉を反芻するように黙った。
ルルーシュは机の上の用紙を見る。
「結論は、残す。ただし、以前と同じ情報へ触れさせない」
「そうよ」
「それを櫛田本人へ説明するのか」
「必要な範囲では伝える。でも、クラス全体へ本性を暴露するつもりはない」
「表向きの立場は維持させる?」
「ええ」
堀北の視線が、閉じた扉の先へ向いた。
さきほどまで、櫛田が笑っていた教室。
池や山内へ声をかけ、誰かの点数を一緒に喜んでいた。
「あの笑顔も、これまでの親切も、全部仮面だったのかもしれないわね」
その言葉を聞いた瞬間だけ、ルルーシュの返答が遅れた。
僅かに視線を伏せる。
すぐに顔を上げた時には、いつもの冷静さへ戻っている。
「仮面の下に敵意があることは分かった。それでも、目の前で誰かを助けた行動まで、すべて偽物だったとは証明できない」
堀北がルルーシュを見る。
「動機が嘘でも?」
「動機が一つとは限らない。好かれるために助けたとしても、助けられた者がいる事実は消えない」
「だから許すの?」
スザクの問いではなかった。
堀北自身が、確認するように口にした。
「違う」
ルルーシュは即座に否定した。
「過去に誰かを助けたことは、今回の裏切りを免責しない。表向きの人格を維持することと、その信頼を利用してクラスを売ることも別だ」
「僕も、そう思う」
スザクが言った。
「櫛田さんが池たちを助けたことまで嘘だとは思わない。でも、それで危険がなかったことにはできない」
「善人か悪人かを決める必要はない」
ルルーシュは続ける。
「確認するべきなのは、何をしたか。次に何をする可能性があるか。そして、どこで止めるかだ」
堀北は頷いた。
「約束だけでは足りない、ということでしょう」
「ああ」
ルルーシュは机の上の記録へ指を置く。
「櫛田はすでに、クラス全体の情報を外へ流した可能性が高い。体育祭ではクラス全体を不利にし、今回も複数人を退学危険へ近づけた。自分を守るためなら、クラス利益を切り捨てられることを行動で示している」
「でも、退学させる証拠は足りない」
「そうだ。私は今、櫛田を助けたいとは考えていない。排除しないのは救済ではなく、被害を抑えるための選択だ」
ルルーシュの言葉に温度はなかった。
「強引に暴露すれば、どの秘密を道連れにするか分からない。なら、情報への接触を制限し、再び動いた時に止められる記録を確保する方がいい」
「それでも動いたら?」
「回復できない被害が出る前に止める。制御できないと判断した場合は、退学を含む排除案を出す」
スザクがルルーシュを見る。
「君一人で?」
「そのつもりはない」
「堀北さん一人でも?」
「同じだ」
ルルーシュは答えた。
「一人の判断で残し、一人の判断で排除する問題ではない」
スザクは机から手を離した。
「今退学させないと決めるなら、信じるだけじゃ足りない」
堀北へ向けた声だった。
「ええ」
「次に誰かが傷ついた時、櫛田さんだけの責任にはできない」
堀北の眉が僅かに動く。
「裏切った本人の責任ではないと言うの?」
「違う。櫛田さんが選んだことの責任は、櫛田さんにある」
スザクは首を振る。
「でも、危険を知った上で残すと決めるなら、止める側にも責任がある。何もせずに信じて、また誰かが傷ついた時だけ櫛田さんを責めるのは違う」
堀北は黙って聞いている。
「本人に選ばせることだけが問題ではないんだな」
ルルーシュが言った。
「ああ。櫛田さんが何を選ぶかは、僕たちには決められない。でも、その選択で無関係な誰かが傷つくのを、見ているだけにはできない」
「仕組みを作っても、止めるのが間に合わなければ?」
ルルーシュの問いに、スザクは迷わなかった。
「その時は、僕たちが止める。退学しか方法が残らなくても」
教室が静かになる。
それは櫛田を信じる言葉ではない。
変わると期待する言葉でもない。
残すという決定に、失敗した時の責任まで含めるという言葉だった。
「櫛田さんを残すと決めたのは私よ」
堀北が言う。
「だから、次を見落とさない責任も引き受ける」
「一人で引き受けるな」
ルルーシュが即座に返した。
「私が決めたことよ」
「クラス全体が被害を受ける問題を、お前一人の賭けにはさせない」
堀北は反論しかけ、止まった。
体育祭では、一人で最適な配置を決めようとした。
須藤を道具として扱い、クラスを動かせなかった。
ペーパーシャッフルでは、自分で櫛田へ勝負を持ちかけた。
だが、その結果は自分一人の中だけには収まらない。
「責任を奪うつもりはない」
ルルーシュは続ける。
「お前が残すと決めたことは変えない。ただし、次の被害を防ぐ手順はクラスの問題だ」
スザクも頷く。
「僕も関わる。止める判断を、誰か一人に押しつけないために」
堀北は二人を見た。
許可を求めたわけではない。
決定を任せたわけでもない。
それでも、自分の決定が生む責任まで独占する必要はなかった。
「分かったわ」
短く答える。
「では、手順を決めましょう」
◇
話し合いは、二つに分けて進められた。
一つ目は、Dクラス全体へ適用する情報管理。
特定の誰かを疑うためではなく、同じ失敗を繰り返さないための手順だった。
「平田には、体育祭と今回の試験で、内部情報の扱いに問題があったことだけを話す」
堀北が用紙へ書き込む。
「櫛田さんのことは?」
スザクが確認する。
「話さないわ。特定人物への監視を頼めば、平田君の人間関係まで利用することになる」
「一般的な手順だけを運用させる」
ルルーシュが引き取る。
「試験情報は役割ごとに分ける。最終提出権限は責任者一名へ限定する。未確定版と正式版を混在させない」
「文書の版、配布先、閲覧者、回収状況も残す」
「外部クラスとの接触そのものは禁止しない方がいい」
スザクが言った。
「禁止すれば、普通の交流まで疑うことになる。それに、隠れて会う理由を増やすだけだ」
「同意する」
ルルーシュが答える。
「接触ではなく、重要情報への接触と、不自然な行動が重なった時に確認するべきだ」
堀北が項目を書き終える。
平田が運用するのは、誰にでも同じように適用される仕組み。
櫛田を監視しているとは知らせない。
二つ目は、三人だけが共有する停止条件だった。
「櫛田さん一人へ、未提出の正式情報を集中させない」
「重要情報へ触れた時期と、Cクラスとの不自然な接触が重なれば確認する」
「無断提出、情報漏洩、クラスメイトの秘密を利用した脅迫が確認された場合は?」
スザクが尋ねる。
「情報への接触を直ちに止める」
堀北が答えた。
「時間があるなら、証拠を示して本人へ説明を求める」
ルルーシュが続ける。
「時間がなければ?」
「回復できない被害が迫っているなら、説明より停止を優先する」
「その後の退学提案は、誰か一人で決めない」
スザクが最後の項目を加えた。
堀北は書き終えた用紙を見る。
信頼ではない。
処罰でもない。
危険を知った上で残すための境界だった。
「これで十分だと思う?」
スザクがルルーシュへ尋ねる。
「十分とは言えない」
「即答だね」
「仕組みは行動を遅らせ、証拠を残す。だが、必ず止められるとは限らない」
「だから、止める人間が必要になる」
「ああ」
二人の意見は同じではない。
ルルーシュは、櫛田が制御不能になる可能性を先に見る。
スザクは、残す決定によって第三者へ生じる責任を見る。
だが、互いが何を恐れているかは理解していた。
「綾小路君には話す?」
堀北が尋ねる。
「必要ない」
ルルーシュが答えた。
「今回の問題変更へ関わった可能性は高い。だが、確証がない。追及しても情報を出すとは思えない」
「彼が別の方法で櫛田さんを止めようとしたら?」
スザクが聞く。
「クラス全体へ影響するなら確認する。それまでは、こちらの手順を共有する理由はない」
堀北は頷いた。
綾小路は、この場にはいない。
龍園との取引も、他の協力関係も、三人へ共有していない。
それでも今回、同じ被害を別の場所から止めた。
ルルーシュは、その事実だけを最有力の推測として残した。
確証がない以上、決めつけない。
◇
三人が教室へ戻った時、生徒の数は半分ほどに減っていた。
部活動へ向かった者。
寮へ戻った者。
まだ結果を見ながら話している者。
「やべえ、ノート忘れた」
池が自分の机と鞄を交互に探している。
「どのノート?」
櫛田が尋ねた。
「英語。明日提出のやつ」
「それなら、私のを貸そうか? 書き写したら明日の朝返してくれればいいよ」
「マジで!? 助かる!」
櫛田は鞄からノートを取り出し、池へ渡した。
「なくさないでね」
「命より大事にする!」
「それは言いすぎだよ」
櫛田が笑う。
堀北が教室へ入ると、その視線が一瞬だけ向けられた。
空き教室で向けられた敵意はない。
何もなかったように、櫛田は笑った。
堀北も、声をかけなかった。
ルルーシュは二人の間にある短い視線を見た。
櫛田の笑顔が本物なのか。
偽物なのか。
そのどちらかへ決める必要はなかった。
仮面は、時に意志を示す象徴となり、時に内面を覆い隠す。
櫛田の仮面は、その敵意と恐怖を隠している。
だが、問題は仮面を被っていることそのものではない。
その仮面を利用して、誰を傷つけたのか。
そして、その怪物を残すと決めた者が、次に誰を守り、どこで止めるのか。
排除しないことは、許すことではない。
残すという選択にも、止める責任が必要だった。