反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む 作:evejanjan
アルベルトは、最後の踊り場を塞ぐように立ち、階段を上ってきた綾小路を見下ろしていた。
その身体は、通路の幅に対して大きすぎた。
正面から横を抜けようとすれば、肩か腕に触れずには通れない。
綾小路は一段下で足を止めた。
アルベルトの視線が、綾小路の肩越しへ向く。
階下に続く階段。
誰かが追ってきている気配はない。
綾小路が一人であることを確認すると、視線が戻った。
「龍園が待っている相手は俺だ」
アルベルトは答えない。
「軽井沢を使って、ここまで呼び出したかった相手だ」
表情にも変化はなかった。
だが、綾小路の言葉を無視したわけではない。
アルベルトは階段の下へもう一度目を向けた。
誰もいない。
綾小路の鞄も、上着の内側も、何かを隠しているようには見えない。
助けを連れてきた様子もない。
「一人だ」
綾小路が言った。
「龍園が確認したいなら、俺を連れていけばいい」
アルベルトは数秒、綾小路を見続けた。
力ずくで止めようとすることもできる。
階下へ押し戻そうとすることもできる。
それでも動かなかった。
龍園が待っているのは、逃げる相手ではない。
軽井沢を使ってでも姿を現させようとした人物だ。
その人物を名乗る生徒が、警戒もせず一人で現れた。
アルベルトは身体を半歩ずらした。
通れる幅が生まれる。
綾小路は横を抜けた。
背後から襲われる可能性を考えなかったわけではない。
だが、アルベルトがここで倒すつもりなら、通路を空ける必要はない。
アルベルトが向きを変える。
綾小路の後ろにつくのではなく、先へ出た。
屋上扉までの数段を上り、重い扉へ手をかける。
扉の向こうから、風の音が漏れていた。
それに混じって、人の声が聞こえる。
「誰にも、守られてない」
掠れた声だった。
軽井沢のものだ。
綾小路は歩みを止めなかった。
アルベルトが扉を開く。
冬の空気が階段へ流れ込む。
アルベルトが先に外へ出た。
綾小路も続く。
扉が背後で閉まった。
◇
ルルーシュとスザクが特別棟へ入った時、入口付近に生徒の姿はなかった。
普段なら放課後にも使われることのある教室が並んでいる。
終業式の日とはいえ、教師や委員会の生徒が残っていてもおかしくない。
だが、一階の廊下は静かだった。
ルルーシュは入口脇の監視設備を見る。
作動を示す表示が消えている。
「故障か?」
スザクが聞く。
「一台だけならな」
廊下の先にある設備も同じだった。
電源が落ちている。
学校全体の設備が停止している様子はない。
本校舎から特別棟へ来る途中では、監視設備が通常どおり動いていた。
「ここだけ止められている」
「龍園たちが?」
「可能性は高い。だが、誰がどう止めたかは分からない」
ルルーシュは端末を取り出す。
平田から新しい連絡はない。
軽井沢が昇降口へ戻ったという報告も、本人からの連絡も届いていない。
スザクは近くの教室を確認する。
扉は閉じているが、施錠されていない。
中に人はいない。
机と椅子が整然と並び、使用された形跡もなかった。
二つ目の教室も同じだった。
「一階にはいない」
「上へ行く」
二人は階段へ向かった。
急いではいる。
それでも、足音だけを追って走ることはしない。
軽井沢が特別棟方向へ向かったことは分かっている。
龍園の側近三人も同じ方向へ来た。
綾小路も、そのあとに特別棟方向へ向かっている。
だが、軽井沢が実際に棟内へ入ったかは確認できていない。
階段の途中にある扉。
曲がった廊下。
普段使われない準備室。
可能性は一つではなかった。
二階へ上がる。
廊下の教室には明かりがない。
スザクが扉へ耳を近づける。
人の声は聞こえない。
「上だ」
短く言った。
さらに上階から、何かが床へ触れる音がした。
一度だけ。
そのあと、途切れた声が続く。
内容までは聞き取れない。
風の音も混じっている。
屋内の教室なら、あれほど強く風は鳴らない。
ルルーシュは階段へ視線を移した。
踊り場の隅に、薄い水滴が残っている。
床全体が濡れているわけではない。
何かを運んだ時に落ちたような、小さな跡が上へ続いていた。
手すりの近くには、靴底で擦った新しい汚れもある。
一人が静かに通っただけではできにくい。
複数人が急いで上ったか、重いものを運んだ可能性がある。
「屋上か」
スザクが上を見る。
「まだ断定はできない」
「でも、他の階に人はいない。上から風と声が聞こえる。水の跡も続いている」
「ああ」
ルルーシュは否定しなかった。
「ここで初めて、屋上へ絞れる」
二人は速度を上げた。
階段を一つ上るごとに、風の音が強くなる。
それとは別に、屋上扉が閉じる重い音が響いた。
誰かが今、外へ出た。
スザクが先へ出る。
ルルーシュも遅れず続いた。
最後の階段へ近づく。
上から人が下りてくる気配はない。
踊り場へ着くと、屋上扉が見えた。
扉の脇には、細い確認窓がある。
窓越しに見える屋上側の床へ、端末が置かれていた。
画面は消えている。
外見だけで持ち主を断定できる特徴はない。
「軽井沢のものか?」
「分からない」
ルルーシュは即答した。
だが、軽井沢と連絡が取れない状況で、龍園たちがいる可能性の高い屋上へ端末が置かれている。
本人が自由に連絡できる状態ではない可能性は、さらに高くなった。
スザクが扉へ手を伸ばす。
「まだ動くな。あいつには、ここへ来た理由がある」
ルルーシュの言葉で、その手が止まった。
スザクは振り返らない。
「軽井沢が中にいる可能性は高い」
「分かっている」
「軽井沢とは連絡が取れない。屋上側には画面の消えた端末がある。監視設備も止められていた。待つ理由より、入る理由の方が多い」
「綾小路は、それを承知で一人で入った」
「だから任せるのか?」
「違う」
ルルーシュは確認窓へ近づく。
窓は細く、屋上全体を見ることはできない。
見えるのは扉の正面と、その先の一部だけだった。
アルベルトの背中が見える。
その向こうに綾小路。
さらに離れた場所に龍園がいる。
軽井沢は視界の端にいた。
濡れた髪が頬へ張りついている。
制服も濡れ、両腕を自分の身体へ寄せている。
強い震えが窓越しにも分かった。
意識はある。
顔を上げ、屋上へ入ってきた綾小路を見ている。
周囲を認識できない状態ではない。
だが、安全だと判断できる状態でもなかった。
「綾小路が勝てると思っているわけじゃない」
ルルーシュが言う。
「体育祭で速かった。だから何人相手でも戦える、とはならない」
「だったら、なおさら入るべきだ」
「綾小路は助けを呼ばず、一人でここへ来た。龍園の側近がいると分かっていてもだ」
「無謀なだけかもしれない」
「その可能性もある」
ルルーシュは認めた。
綾小路が強いという証拠はない。
龍園に勝てるという保証もない。
走力を隠していた事実。
複数の試験で、見えない場所から結果へ干渉した可能性。
軽井沢と何らかの関係を持ち、誰にも共有していなかったこと。
そこから分かるのは、綾小路が目的と準備を隠す人物だということだけだった。
今も同じとは限らない。
勝算があるとも限らない。
「それでも、あいつは自分で入った」
ルルーシュは続ける。
「何をするつもりなのか、短い時間だけ確認する」
「その間に軽井沢が傷ついたら?」
「待たない」
返答に迷いはなかった。
スザクがようやくルルーシュを見る。
「条件を決める」
「ああ」
「軽井沢にもう一度直接危害が加えられたら入る。誰かがあの子を別の場所へ移そうとしても同じだ」
「それでいい」
「意識が落ちる。呼びかけへの反応が鈍くなる。呼吸がおかしくなる。自分で姿勢を保てなくなる。会話ができなくなる。震えが急に止まる。どれか一つでも確認したら、綾小路が何を考えていても待たない」
「認める」
濡れた状態で強い震えが続いている。
震えが止まれば回復したとは限らない。
身体が熱を作れなくなった可能性がある。
スザクは軽井沢の身体状態を見落とさないよう、確認窓を覗く位置を変えた。
窓から見える範囲は狭い。
軽井沢と綾小路の両方を同時に確認し続けることはできない。
スザクは軽井沢を優先した。
「綾小路が倒れたら?」
「戦闘を続けられないと判断した時点で入る」
「軽井沢と龍園たちの間に入れなくなった時もだ」
「ああ」
「武器を出した場合も待たない」
「当然だ」
「綾小路が援護を求めた場合も、すぐに入る」
「その時点で待つ理由はない」
スザクは扉の取っ手へ手を置いたまま、離さなかった。
今すぐ押せば開く。
綾小路の意図とは関係なく、軽井沢を連れ出すこともできる。
少なくとも、そうするために動くことはできる。
だが、屋上にいる人数は分からない。
窓から確認できるのは龍園、アルベルト、綾小路、軽井沢の一部だけだ。
石崎と伊吹もいるはずだが、現在の位置は見えない。
勢いだけで入れば、軽井沢を挟んで混乱が広がる可能性もある。
スザクは取っ手を握ったまま、扉を押さなかった。
「失敗したら?」
「その時は、お前が終わらせろ」
命令ではなかった。
無制限に暴力を許す言葉でもない。
綾小路が倒れた時。
軽井沢への危害が再開した時。
この場を止め、軽井沢を外へ出す役割をスザクへ渡す言葉だった。
ルルーシュ自身も、その判断の外へ立つつもりはない。
介入すれば、龍園との対立は隠せなくなる。
軽井沢が隠していることへ近づく可能性もある。
綾小路の目的を壊すかもしれない。
それでも、失敗した時の責任まで綾小路一人へ押しつけるつもりはなかった。
「僕が止める」
スザクが答えた。
「でも、軽井沢の状態が悪くなったら、綾小路がまだ立っていても入る」
「それでいい」
二人は勝利を信じて待っているのではない。
綾小路が自分で選んだ行動を、結果が出る前から奪わないために待つ。
同時に、その選択が失敗した時、軽井沢まで代価にさせないためにここにいる。
扉一枚。
数歩の距離。
必要なら、すぐに越える。
◇
屋上へ出た綾小路を見て、龍園は笑わなかった。
最初に動いたのは視線だった。
綾小路。
その後ろに立つアルベルト。
閉じた屋上扉。
誰かが続いて入ってくる様子はない。
「一人か」
龍園が聞く。
「ああ」
「随分と素直に来たな」
「呼んだのはお前だろ」
綾小路の視線が屋上を動く。
龍園。
石崎。
伊吹。
アルベルト。
そして軽井沢。
軽井沢の制服は濡れている。
髪から落ちた水が、足元へ小さな跡を作っていた。
顔色は悪い。
震えも止まっていない。
意識はある。
綾小路の姿を見ている。
「……何で」
軽井沢の唇が動いた。
声は風に削られ、ほとんど聞こえない。
綾小路は返事をしなかった。
ここへ来た理由を説明する必要はない。
龍園が綾小路と軽井沢の間へ視線を往復させる。
「なるほどな」
「何がだ」
「この女が連れてきたのがお前なら、少なくとも無関係じゃねえ」
「軽井沢が俺を連れてきたわけじゃない」
「じゃあ、どうしてここが分かった?」
綾小路は答えない。
龍園は口元を上げた。
「答えねえこと自体が答えになる」
「そう思うなら、それでいい」
綾小路は軽井沢の前へ進んだ。
龍園たちと軽井沢の間に、自分の身体を入れる位置で止まる。
石崎が一歩動く。
伊吹も壁から背を離した。
アルベルトは屋上扉の前に残っている。
逃げ道を塞ぐ配置は変わらない。
龍園が綾小路を見た。
「俺が呼んだ相手を知ってるのか?」
「ああ」
「誰だ」
綾小路は龍園の正面へ立った。
軽井沢を背後へ置く。
恐怖も、怒りも、表情には出ていない。
龍園が探してきた見えない相手。
ルルーシュが存在だけを追い、まだ確定できていない人物。
その本人が、自分の意思で姿を現した。
「お前が探していたXは、俺だ」