反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む 作:evejanjan
本格的な長距離訓練は、二日目の午前から始まった。
山間学校の外周路は、平地だけではない。
校舎裏から林へ入り、緩い上り坂を越え、運動場の脇へ戻る。
一周しただけでは大きな差にならない。
だが、二周、三周と重ねるたび、集団は細長く伸びていった。
先頭を走る鬼頭と柴田。
少し後ろに神崎、平田、小宮が続く。
金田、米津、残るBクラスの男子生徒も、中団で大きく速度を崩さず走っていた。
葛城は速度を上げず、列の間隔と折り返し位置を確認していた。
そのさらに後方で、ルルーシュの呼吸は明らかに乱れていた。
足が止まるほどではない。
だが、同じ速度を保つために必要な負荷が、他の者より大きい。
「残り半周だよ」
平田が横へ並ぶ。
「会話をする余裕はある」
「それを余裕とは言わないよ」
平田は無理に速度を落とさなかった。
ルルーシュの歩幅だけを見て、必要なら止められる位置を保つ。
後ろでは池と山内が、さらに大きく遅れていた。
「待って、これ何周だっけ」
「三周目だよ」
「嘘だろ。もう五周くらい走ってるって」
池が息を切らしながら答える。
山内は返事をせず、上り坂の手前で歩きかけた。
「止まるな」
葛城の声が届く。
「速度は落としてもいい。完全に歩けば、再び走り出す時に余計な負荷がかかる」
「無理だって……」
「無理かどうかではない。歩幅を小さくしろ。今の速度を維持する必要はない」
命令口調ではあった。
だが、先頭と同じ速さを求めてはいない。
池と山内は不満を口にしながらも、足だけは動かし続けた。
◇
測定を終えると、十二名分の記録が並べられた。
ルルーシュは椅子へ座ったまま、しばらく呼吸を整えていた。
額の汗を拭き、最初に自分の記録へ印を付ける。
「私が平均を下げている」
池が顔を上げた。
「お前も遅いじゃん」
「ああ」
ルルーシュは否定しなかった。
「短距離の加速は最低ではない。だが、一定距離を越えた後の低下が大きい。駅伝で長い区間を持てば、全体順位を落とす可能性が高い」
「責任者なのに?」
山内が聞いた。
「責任者であることと、身体能力が上がることに関係はない」
葛城が記録表を見る。
「駅伝だけを考えれば、短区間へ置くべきだろう」
「そうする」
ルルーシュは別の評価表を重ねた。
「ただし、短い区間へ逃がして終わりではない。体力項目で失う見込みを、筆記とスピーチで上回る」
「競技ごとに全部一位を狙わないって話か」
神崎が確認する。
「ああ。私を駅伝の主力へするために訓練時間を集中させれば、伸び幅の小さい項目へ時間を使うことになる」
ルルーシュは自分の欄へ書き込んだ。
駅伝――短区間候補。
筆記――上位維持。
スピーチ――構成、発表担当。
「体力訓練をしないという意味ではない」
葛城が言う。
「最低限の改善を放棄すれば、他の構成員へ負担を押しつけるだけになる」
「分かっている。呼吸が崩れる地点を遅らせる。駅伝で勝つためではなく、自分の失点を必要以上に増やさないためだ」
自分の弱点を消したことにはしない。
弱点のまま、どこまで損失を減らせるかを記録する。
次に、池と山内の欄へ移った。
「二人とも、今日の速度で全周を走り切る必要はない」
「じゃあ休んでいいのか?」
「違う」
池の期待を即座に切る。
「池は上り坂へ入る前に速度を上げすぎている。平地の速度を一段落とし、最後まで走り続けることを最初の基準にする」
「遅く走っても点になるのかよ」
「途中で歩くよりは記録が安定する。次の測定では、今回より歩き出す地点を半周遅らせる」
ルルーシュは山内を見る。
「山内は呼吸が乱れると歩幅まで大きくなる。速く走ろうとしているのではなく、前へ倒れないよう足を出しているだけだ」
「そんなの自分じゃ分かんねえよ」
「だから小宮に姿勢を見てもらう。次の測定の基準は、二周目の上り坂まで歩幅を崩さないことだ」
「順位は?」
「今は置かない」
「でも最終的には比べられるだろ」
「ああ。だから、今回の二人と次の測定の二人を比べる」
ルルーシュは点数表を閉じなかった。
「鬼頭と同じ速度を求めても達成できない。達成できない基準を与え、失敗した事実だけを残しても得点は増えない」
「俺たちだけ簡単にしてるみたいで嫌なんだけど」
池が小さく言った。
「簡単ではない。達成できる上限を毎日更新する。達成できなければ理由を確認する。努力しなかった場合も記録する」
「逃げられないじゃん」
「最初から、努力しなくても守るとは言っていない」
池は嫌そうな顔をした。
それでも、自分の欄に書かれた目標を消そうとはしなかった。
◇
午後の外周路は、他の一年生小グループと使用時間が重なった。
走路へ入ろうとした小宮が、別のクラスの生徒と向かい合う。
「こっちは二時から取ってたんだよ」
「俺たちも同じ時間だって聞いてる」
どちらも教員から許可を得ていた。
声が大きくなりかけたところで、神崎が間へ入った。
「走路全体を同時に使う必要はない。こちらは一定速度の持久走、そちらは短い区間の計測だろう」
「だから何だよ」
「計測する直線部分をそちらへ渡す。こちらは林側を周回し、五分ごとに直線を横切る。その時間だけ空けてもらえれば両方できる」
相手の生徒はすぐには答えなかった。
「こっちが譲ったみたいになるだろ」
「こちらも直線区間を使わない。譲るのではなく、必要な場所を分けるだけだ」
神崎は相手の小グループ責任者まで呼び、予定表を並べた。
感情ではなく、必要時間と使用範囲を数字で分ける。
最終的に、二つの小グループは同じ走路を交互に使うことになった。
「開始時刻を守れ」
葛城が自分たちの構成員へ告げる。
「こちらが一分遅れれば、相手の計測時間を削る。決めた条件を破れば、次から協力は得られない」
池がまだ座り込んでいるのを見て、平田が隣へしゃがむ。
「足が痛い?」
「痛いっていうか、だるい」
「右と左で違う?」
「右の方が重いかも」
平田は記録表へ書き込んだ。
「無理に同じ練習を続ける前に、一度見てもらおう。怪我じゃなければ負荷を調整できる」
「休んだらルルーシュに何か言われない?」
「僕から伝えるよ。でも、休むかどうかを決めるために状態は正直に話して」
同じ頃、山内は小宮から姿勢を直されていた。
葛城が時間を守る。
神崎が他グループとの衝突を処理する。
平田が疲労と不満を拾う。
ルルーシュは、それぞれから戻ってきた情報を記録表へ足していく。
自分一人で全員へ声をかける必要はなかった。
全てを一人で行えば、責任者だけが情報を持ち、責任者が見落とした瞬間に仕組みが止まる。
複数の調整役が動き、その結果だけを最後にまとめる。
ルルーシュの仕事は、誰より多く命令することではなかった。
誰から上がった情報を、どの判断へ使うかを決めることだった。
◇
濱口の小グループでは、須藤が先頭から振り返っていた。
「遅すぎるだろ!」
後方の生徒との距離は、外周路の半分近くまで広がっている。
「これじゃ練習にならねえ。速い奴だけでも先に走った方がいい」
須藤の隣にいたスザクが速度を落とす。
「先頭の訓練と、全体の訓練を分けよう」
「また遅い奴に合わせるのか?」
「合わせ続けるだけなら、速い人は伸びない。遅い人も、自分の限界を変えられない」
スザクは濱口へ戻った。
「一周目は現在の速度で分ける。二周目からは三つの集団にして、それぞれ少しだけ目標速度を上げたい」
「全員を同じ速度にするわけじゃないんだね」
「今、同じにするのは無理だよ。でも、それぞれが昨日より少し速くなることはできる」
濱口は記録を確認する。
「須藤君は先頭組。三宅君は中間。枢木君は後方から始めて、フォームが安定したら前へ移る。それでどうかな」
「俺が一番遅いところから?」
「指導する人が隣にいた方がいい」
須藤は納得し切れない顔をした。
「遅い奴が遅いのは、今までやってこなかったからだろ」
その言葉を口にした直後、須藤は黙った。
体育祭で、自分だけが結果を求め、周囲の言葉を聞かずに動いた時のことを思い出す。
速く走れることと、全体を勝たせることは同じではなかった。
自分が正しいと思ったまま突っ走り、周囲との間に残したものも覚えている。
「……分かったよ」
須藤は視線を逸らした。
「先頭は俺が見る。ついて来られなくなった奴を置いていく前に、三宅へ回す」
「頼む」
スザクはそれ以上、須藤を責めなかった。
三つの集団が走り始める。
先頭は須藤。
中間は三宅。
後方では、スザクが最も遅い生徒の歩幅へ合わせた。
ただし、同じ速度のまま終わらせない。
「次の標識まで、今より少しだけ腕を速く振ってみよう」
「これ以上は無理だって」
「ずっとじゃない。標識まででいい。着いたら元へ戻す」
短い距離だけ速度を上げる。
呼吸が整えば、もう一度同じことを行う。
一周後、その生徒の平均速度は僅かに上がっていた。
スザクが隣を走ったからではない。
自分で上げられる距離を知ったからだった。
◇
幸村の小グループでは、疲労が責任者へ集中していた。
筆記課題の採点。
生活記録の確認。
体力測定の順番。
練習場所の変更。
幸村は、竹本と橋本が引き受けた仕事まで最後に自分で確認していた。
「そこまで全部見る必要あるか?」
石崎が言った。
「責任者なら確認するのは当然だ」
「だったら遅いって文句言うなよ。自分で仕事増やしてんだろ」
「君たちが指示どおり動けば確認は減る」
「また俺たちのせいかよ」
幸村の手が止まる。
「提出時刻を守らなかった。体力測定の順番にも文句を言った。事実を言っているだけだ」
「その順番が悪いって言ってんだよ!」
「責任者を引き受けなかった人間が、後から責任だけ批判するな!」
教室が静まった。
石崎が椅子を蹴るように立ち上がる。
「俺が責任者になった方がマシだったって言いてえのか?」
「少なくとも、何も背負わずに文句だけ言うよりはな」
アルベルトが二人の間へ入ろうとする。
橋本が先に机へ手を置いた。
「どっちも、そこまで」
「橋本は黙ってろ」
「黙ったら練習時間が消える。幸村も石崎も、それは望んでないだろ」
幸村は答えなかった。
石崎も顔を背ける。
橋本は責任者用の記録表を持ち上げた。
「幸村。竹本が時間管理をして、俺が場所を取ってる。それでも全部確認し直すなら、俺たちへ任せた意味がない」
「最終的に責任を負うのは僕だ」
「だからって、全部自分でやる必要はない」
竹本も予定表を開く。
「明日から時間変更は僕が確定させる。幸村には最終確認だけ回す。提出が遅れた者への連絡も僕がやる」
「だが――」
「僕たちも同意して幸村を責任者にした」
竹本の声は強くなかった。
「責任だけ押しつけて、仕事まで一人で持たせるつもりはない」
石崎がその言葉へ反応した。
「同意っていうか……他に誰もやらなかっただけだろ」
「そうだね」
橋本は否定しない。
「少なくとも、俺も石崎も、高円寺も、綾小路も責任者へ名乗り出なかった。ここにいる大半が同じだ。最後に引き受けたのは幸村だった」
石崎は言い返しかけて、止まった。
責任者を押しつけられたと幸村を笑った。
だが、押しつけた側に自分もいた。
「……だったら、どうすりゃいいんだよ」
橋本は体力測定の表を石崎へ渡す。
「石崎とアルベルトで、体力測定で遅れた者をまとめて見てくれ。幸村が言うより、お前たちが言った方が聞く者もいる」
「俺が?」
「責任者になる必要はない。でも、責任者へ全部やらせないことはできる」
石崎は表を見た。
すぐには頷かない。
その横で、アルベルトが自分の欄を指し、石崎を見る。
「……分かったよ」
石崎は乱暴に用紙を取った。
「ただし、俺のやり方でやる。甘やかせとか後から言うなよ」
「必要な指摘は任せる。ただし、記録を悪化させるほど追い込むな」
幸村が答える。
言い方はまだ硬い。
石崎も不満そうだった。
それでも、先ほどまでとは違う。
互いの役割を否定するのではなく、条件を確認していた。
森重は練習場所の確認を終えて戻り、後半の持久走へ加わった。
吉田は高円寺へ参加を迫ることをやめ、自分が担当する区間と他の生徒の測定を進める。
高円寺は集団の予定へ完全には従わなかった。
だが、測定へ姿を見せた時には、他の生徒との差を隠すこともなかった。
軽い動きのまま、上位の記録を残す。
「それだけ走れるなら最初から参加しろよ」
石崎が言う。
「美しい肉体は、誰かに命じられて動くものではないよ」
「やっぱ腹立つな、こいつ」
石崎は吐き捨てたが、高円寺を追い回しはしなかった。
綾小路は、少し離れた位置から全体を見ていた。
幸村が自分の言い方を改めたわけではない。
石崎も、自分の態度を反省したとは言わない。
それでも、幸村だけが全責任を抱える状態は終わり始めていた。
竹本が予定を持つ。
橋本が衝突を止める。
石崎とアルベルトが体力面を補う。
森重と吉田が自分の担当を進める。
綾小路が前へ出て命令する必要はなかった。
この小グループが変わるべき理由を、彼が代わりに説明する必要もない。
責任者を選んだ者たちが、ようやく選んだ後の責任を引き受け始めていた。
◇
夕方、ルルーシュは更新された記録表を確認した。
鬼頭の速度は上がっている。
神崎と柴田は安定していた。
金田、米津、残るBクラスの生徒も、設定された範囲から大きく記録を崩していない。
池は設定した区間まで歩かずに走った。
山内は二周目の上り坂で姿勢を崩したが、午前の測定より長く歩幅を保った。
ルルーシュ自身も、呼吸が乱れる地点を僅かに遅らせている。
大きな変化ではない。
一日で弱者が強者へ変わったわけでもない。
点数表には、速い者も遅い者も残っている。
差を消す必要はなかった。
差があることを理由に、誰かの得点を最初から諦めなければいい。
◇
外周路では、最後の一組がまだ走っていた。
スザクは、一番遅い生徒の隣を走る。
ルルーシュは、一番遅い生徒を点数表から消さない。