反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む 作:evejanjan
結果発表を終えた日の夜。
三年Aクラスに与えられた部屋には、合宿中で最も重い沈黙があった。
堀北学は、教員から受け取った資料を全員の前へ置く。
橘茜の退学処分を取り消すために必要な条件。
二千万プライベートポイント。
三百クラスポイント。
救済申請の期限。
支払い後の撤回は認められないこと。
感情を挟まず、一つずつ説明した。
「以上が、学校から提示された条件だ」
誰もすぐには口を開かなかった。
三百クラスポイントを失えば、Aクラスで卒業できる可能性は確実に下がる。
それは橘一人だけでなく、ここにいる全員の進路へ関わる損失だった。
「私は反対です」
最初に言ったのは、橘だった。
「私を残すために、全員へこの負担を受け入れてもらうことはできません」
「お前の意見は、すでに聞いている」
「なら――」
「だが、お前の拒否だけでクラス全員の判断を終わらせることもできない」
学は橘だけでなく、全員を見る。
「今回の評価は、学校の規則上は成立している。だが、橘が一人で怠慢を重ねた結果ではないことも、ここまでに確認できた」
生活上の不足を埋めたこと。
他者へ合わせたことで、自分の測定を落としたこと。
助言も沈黙も、同じ方向の評価へ処理されたこと。
数字を覆す証拠にはならない。
それでも、何を理由に橘を切り捨てるのかを考える材料にはなった。
「俺は、橘を残すべきだと判断する」
橘が息を止める。
「堀北君」
「これは、お前一人を特別扱いするという意味ではない」
学は言葉を続けた。
「橘はこれまで、三年Aクラスの運営を支えてきた。今回も、自分の成績を守るために他者を切り捨てなかった。その生徒を、作られた評価の流れだけで失うことを合理的とは考えない」
「それでも、三百ポイントは――」
「軽い代価ではない」
学は否定しなかった。
「二千万ポイントも、三百クラスポイントも、失えば戻らない。だから全員へ説明し、異論を求めている」
命令ではなかった。
だが、自分の判断を他人へ預けてもいない。
「Aクラスを率いる責任には、ポイントを守ることだけが含まれるわけではない」
学は橘を見る。
「守るべき生徒を見極め、そのために必要な代価を払うことも含まれる」
「私が、その代価に値するかを、堀北君が決めるんですか」
「俺一人では決めない」
学はクラスへ視線を戻した。
「だが、判断を避けるつもりもない」
反対意見は出た。
卒業直前に三百ポイントを失う危険。
南雲の思惑どおりに損失を受け入れることへの抵抗。
一人を救えば、同じ条件の全員を救わなければならないのではないかという疑問。
学は全てを聞いた。
橘も、自分を救うべきだとは一度も言わなかった。
話し合いが終わった時、三年Aクラスは無傷ではいられない選択を、自分たちの意思で受け入れた。
全員が同じ考えになったわけではない。
それでも、救済申請へ必要な同意は揃った。
◇
翌朝。
退校手続きが始まる前に、関係する生徒が再び講堂へ集められた。
学が教員へ申請書を提出する。
「橘茜の退学救済を申請する」
「必要条件を確認します」
教員が端末を操作した。
三年Aクラスの生徒たちが拠出したポイントが、複数の個人口座から学校の指定先へ移される。
二千万プライベートポイント。
続いて、クラス代表者の同意記録が照合される。
三百クラスポイント。
画面上の数値が減少し、二つの条件が確定した。
「申請を受理しました」
短い処理音が響く。
「橘茜に対する退学処分を取り消します」
橘は、すぐには顔を上げなかった。
安心だけではなかった。
自分が残るために失われた数字が、画面に残っている。
「堀北君」
「決めたのは俺だけではない」
学は先に告げた。
「だが、この判断を提案し、進めた責任は俺が負う」
「私は、返せません」
「返す必要はない」
「でも――」
「残った後の責任を果たせ」
学は橘から目を逸らさない。
「一人で代価を背負うな。お前を残すと決めたクラスの一員として働け」
橘は、しばらく言葉を探した。
深く頭を下げることもしなかった。
涙で礼を言うこともしなかった。
ただ、自分を残すために削られたものから逃げずに頷いた。
「分かりました」
それだけだった。
◇
講堂を出た廊下で、学は足を止めた。
少し先に、ルルーシュがいる。
「ランペルージ」
呼ばれ、ルルーシュが振り返る。
「何だ」
「南雲が作った条件が一方的であることを、公の場で明確にした点は評価する」
礼ではなかった。
借りを認める言葉でもない。
「俺は、あなたや橘のために発言したわけではない」
「承知している」
学は即答した。
「お前が認めなかったのは、南雲の立つ位置だ」
「ああ」
「俺も、お前の言葉を利用して判断を変えたわけではない」
「それも分かっている」
短いやり取りだった。
学は、他者へ代価を要求するだけで終わらなかった。
自分が率いるクラスの未来を、実際に削った。
その判断が常に正しいとは限らない。
だが、少なくとも自分だけを安全な場所へ残してはいない。
ルルーシュが学を見る基準は、称賛でも肩書でもなかった。
要求した責任を、自分でも引き受けられるか。
今回、学はそれを行った。
「以上だ」
学は歩き出す。
協力を求めない。
今後の約束もしない。
ルルーシュも、見返りを要求しなかった。
互いに相手の行動を一つ確認しただけだった。
◇
南雲は、講堂を出る生徒たちを離れた場所から見ていた。
三年Aクラスは、二千万プライベートポイントと三百クラスポイントを失った。
橘は残った。
男子側の得点勝負では負けた。
伊狩の救済に必要な条件も、約束どおり履行した。
計画の全てを得たわけではない。
だが、何も残らなかったわけでもない。
学へ大きな損失を与えた。
そして、自分の作った条件へ正面から異議を唱える一年生の名を知った。
南雲の視線が、ルルーシュから別の一年生へ移る。
綾小路清隆。
その視線を、綾小路は気づかないふりをして受け流した。
南雲がルルーシュを見る理由と、自分を見る理由は同じではない。
ルルーシュへ向けられているのは、盤面の正しさそのものを疑った者への興味。
自分へ向けられているのは、表へ出ていない能力への疑念。
二人を同じ側として見る理由はなかった。
ルルーシュと協力する理由もない。
ただ南雲の中で、異なる理由から無視できない一年生が二人になった。
綾小路は、それだけを確認した。
◇
合宿の全日程が終了する。
帰校前、一年生の端末へクラスポイントの最終反映が通知された。
一年Aクラス、九百七十九ポイント。
一年Bクラス、六百五十九ポイント。
旧一年Dクラス、四百四十六ポイント。
龍園たち旧一年Cクラス、四百四十五ポイント。
一ポイント差。
順位の入れ替えが正式に確定する。
旧Dクラスは、新Cクラスへ。
龍園たち旧Cクラスは、新Dクラスへ。
「本当に上がったぞ!」
池が端末を掲げる。
「一ポイントでも勝ちは勝ちだろ!」
山内も周囲へ画面を見せ、須藤は大きく拳を握った。
平田は喜びながらも、通知の下に表示された内訳を確認している。
堀北鈴音は、四百四十六という数字をしばらく見つめた。
「第一位を取った小グループだけの結果ではないわ」
「分かっている」
ルルーシュが答える。
第一位となった自分たちの小グループ。
第二位となった幸村の小グループ。
第三位となったスザクの小グループ。
残る男子小グループが抑えた減点。
女子側で得た加点と、避けられなかった減点。
責任者を引き受けた者。
最低点を回避するために、得意でない課題へ向き合った者。
全てを足して六十九ポイント。
どれか一つが欠けていれば、一ポイントの逆転はなかった。
「俺たちの小グループだけの結果ではない」
喜びの声に消える程度の音量で、ルルーシュは言った。
少し離れた場所では、龍園が新しい表示を見ていた。
新Dクラス。
四百四十五ポイント。
「一ポイントか」
それだけを口にする。
怒鳴らない。
言い訳もしない。
今回の敗北を、別の敗北と重ねることもしなかった。
画面を閉じ、歩き出す。
石崎とアルベルトが、その後を追った。
◇
帰校後。
荷物を返却し、生徒たちがそれぞれの寮へ戻っていく。
スザクは校舎へ続く道で、前を歩くルルーシュを見つけた。
呼び止めなかった。
講堂で聞いた言葉が、まだ残っている。
他人へ未来を賭けさせる者は、自分も同じ危険の中へ立たなければならない。
ルルーシュは今回、責任者欄へ自分の名前を置いていた。
他の誰かだけを、退学の危険へ送ったわけではない。
その点では、あの言葉に嘘はなかった。
だが、スザクは知っている。
ルルーシュは、他人の未来を守るためなら、自分の未来だけを簡単に捨てようとする。
他人へ同じ危険を求めることと、自分だけを軽く扱うことは同じではない。
その違いを、今ここで問いかけても答えは出ない。
ルルーシュも立ち止まらない。
二人の距離は、合宿前より近づいたわけでも、元へ戻ったわけでもなかった。
スザクは、その言葉だけを忘れなかった。