反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む 作:evejanjan
Cクラス
教室の前に掲げられた「一年Cクラス」という表示を、わざわざ立ち止まって確かめる生徒は、もうほとんどいなくなっていた。
呼び間違える者も減った。
教師に指摘される前に言い直していた池も、今では当たり前のように自分たちをCクラスと呼んでいる。
混合合宿を終えて手に入れたのは、龍園たちのクラスを一ポイントだけ上回る順位だった。
決して安定した差ではない。
それでも、最下位ではなくなったという事実は、教室の空気をわずかに変えていた。
「次の試験でも勝ったら、もうDクラスに戻る心配もなくなるんじゃね?」
昼休み。
池が購買で買ったパンを片手に、根拠のない見通しを口にする。
「一回勝ったくらいで何言ってんだよ。次も俺たちが活躍しないとな」
山内が当然のように自分を含めた。
以前なら、周囲から即座に笑いが起きていただろう。
だが今回は、完全な冗談としては扱われなかった。
山内は混合合宿で、ルルーシュの小グループに所属していた。
飛び抜けた能力を示したわけではない。それでも与えられた課題から逃げず、最低点を避け、小グループ第一位の一員として結果へ貢献した。
本人がそれを誇りに思うこと自体は、間違っていない。
「活躍って、お前は言われたことやってただけだろ」
須藤が笑う。
「それが大事なんだって。勝手なことして減点されるより、よっぽど役に立ってるだろ?」
「比較対象が低すぎる」
幸村が教科書から顔を上げた。
「何だよ。俺だって前よりは役に立ってるだろ」
「それは否定していない」
「ならいいじゃん。何やってるか分からない奴より、結果を出した俺の方が評価されるのは普通だろ?」
特定の名前は出さなかった。
だが、その言い方には、自分より下に評価される誰かがいることを確認したがる響きがあった。
「誰かを下に置かないと、自分の成果を認められないの?」
堀北が冷ややかに問いかける。
「そういう意味じゃねえって」
「なら、自分が何をしたかだけを話せばいいでしょう。他人が何をしていないかを推測する必要はないわ」
山内は何か言い返そうとしたが、言葉を見つけられずに口を閉ざした。
「まあまあ」
櫛田が柔らかな声で間へ入る。
「山内君も、合宿で頑張ったことを認めてもらえて嬉しかったんだよね。次も頑張ろうって思えるなら、それはいいことじゃないかな」
「そう、それだよ。さすが櫛田ちゃん」
教室の空気は、そこでいったん緩んだ。
しかし、山内の中に生まれた自信まで消えたわけではない。
以前より自分は役に立つ。
以前より高く評価されるべきだ。
その認識だけが、わずかに大きくなっていた。
ルルーシュは少し離れた席から、会話の流れを眺めていた。
混合合宿以前より、教室で意見を求められる生徒は増えている。
クラス全体の方針なら堀北。
人間関係の調整なら平田や櫛田。
運動面では須藤やスザク。
規則や試験の分析では、ルルーシュにも視線が向けられるようになった。
それを信頼と呼ぶ者もいる。
警戒と捉える者もいる。
合宿中に自分たちを切り捨てなかったと評価する者がいる一方で、いつ、誰と、何を交渉していたのか分からないことへ不安を抱く者もいた。
表へ出れば、評価される。
同時に、観察もされる。
当然の代価だった。
「ランペルージ君」
平田が近づいてくる。
「次の特別試験について、何か聞いてる?」
「何も」
「そっか。上級生と話す機会もあるみたいだから、過去の試験について何か聞いていないかと思ったんだけど」
「過去の傾向が、そのまま次の試験へ適用できるとは限らない。今のところ、判断材料になる情報はない」
「そっか。分かった」
平田が小さく頷く。
「でも、次も簡単な試験じゃないよね。僕たちはCクラスになったばかりだから」
「順位が上がったことで、学校から与えられる試験が変わるわけではない」
「みんなの受け止め方は変わるよ」
平田は教室を見渡した。
「前より勝てると思ってる。自分たちにもできることがあるって、信じ始めてる」
「自信は判断を早める。正しい方向へ向けば有効だ」
「間違った方向なら?」
「失敗するまで気づかない」
ルルーシュの答えに、平田はすぐには言葉を返さなかった。
それでも、否定もしなかった。
◇
混合合宿後の校内では、一ノ瀬帆波を巡る複数の噂が広まっていた。
隠された過去がある。
万引きをした。
援助交際をしていた。
違法な薬物に関わっていた。
一人の人間について語られているとは思えないほど、噂の内容はばらばらだった。
やがて一ノ瀬は学校を休むようになった。
Bクラスの内部で何らかの説明が行われたらしいという話も流れたが、その内容まで他クラスへ伝わることはなかった。
そして一ノ瀬は、再び学校へ姿を見せるようになった。
Bクラスも崩壊してはいない。
騒動が収まり始めた頃、ルルーシュとスザクは廊下の先を歩く一ノ瀬を遠目に見た。
周囲には、以前と同じようにBクラスの生徒がいる。
「結局、何が本当だったんだろうな」
スザクが小さく呟いた。
「さあな」
「気にならないのか?」
「噂の内容には、大した価値はない」
「万引きも、援助交際も、薬物も?」
「全てが事実である可能性は低い。性質の異なる噂を同時に流せば、一つ一つの信憑性は下がる」
「なら、どうしてそんなことを?」
「真実を信じさせることが目的ではなかったからだ」
スザクがルルーシュを見る。
「一ノ瀬本人に、何かを認めさせたかった?」
「可能性は高い。一ノ瀬個人の信用だけではなく、彼女を中心にまとまっているBクラスも標的に含まれていただろう」
「誰が、そんなことを」
「断定はできない。だが、一ノ瀬とBクラスの両方を崩すことで利益を得る人間は、そう多くない」
スザクは、遠ざかっていく一ノ瀬の背中を見た。
「本当のことを知りたいからって、根拠のない噂で一人を追い詰めていいわけじゃない」
「ああ。真実を知ることが目的なら、こんな手段は選ばない」
「じゃあ、やっぱり一ノ瀬を傷つけること自体が目的だったのか」
「傷つけることは手段だ。狙いは、その先にある。本人の口から何かを言わせることか、それによって周囲の信頼を崩すことだろう」
「止める方法はなかったのか?」
「一ノ瀬本人が何を隠し、どこまで他人に知られたくないのか分からない状態で踏み込めば、こちらが傷を広げる可能性もある」
スザクは黙った。
助けようとすることと、知る権利があることは同じではない。
一ノ瀬と深い関係を持たない自分たちが、本人の望みを確認せず過去を調べることもまた、一方的な侵入になり得る。
「Bクラスは、一ノ瀬を受け入れたように見える」
ルルーシュが続ける。
「Bクラス内で何らかの説明があり、その後もクラスが一ノ瀬を受け入れているのなら、俺たちが扉をこじ開ける理由はない」
「……そうだな」
納得しきった声ではなかった。
それでもスザクは、一ノ瀬を追いかけなかった。
ルルーシュも、それ以上調べようとはしなかった。
Bクラスの外へ出なかった事情を、こちらから暴く理由はなかった。
◇
三月二日。
終礼の時間になっても、茶柱はすぐに連絡事項を読み上げなかった。
教卓の上に置いた資料を一度確認し、教室全体を見渡す。
「これから、新たな特別試験について説明する」
その一言で、教室の空気が変わった。
池が姿勢を正す。
山内はどこか期待するように前を見る。
堀北は端末を開き、平田は周囲の生徒の様子を確かめた。
茶柱が教室前方の画面を操作する。
表示された文字は、簡潔だった。
クラス内投票。
「今回、お前たちには生徒同士を評価してもらう」
「評価?」
須藤が眉を寄せる。
「テストの点数じゃないんですか?」
「違う」
茶柱は資料を配布するよう前列の生徒へ指示する。
「各生徒は、定められた人数に賞賛票と批判票を投じる。誰が誰へ票を投じたかは、原則として公開されない」
教室の中で、紙が送られていく。
まだ誰も、自分の手元へ届いた資料をすぐには開かなかった。
「一票の賞賛票と一票の批判票は相殺される。全ての票を集計し、その結果で首位と最下位を決定する」
茶柱は、教室の反応を待たずに続ける。
「首位となった生徒には、プロテクトポイントが一つ与えられる」
賞賛という言葉に、わずかな安堵が生まれる。
だが、茶柱の説明はそこで終わらなかった。
「一方で、最下位となった生徒は、退学の対象となる」
一瞬、誰も反応しなかった。
言葉の意味が教室へ染み込むまでに、わずかな時間が必要だった。
「……退学?」
池が聞き返す。
「このクラスから?」
「そうだ」
「待ってください」
平田が立ち上がった。
「生徒同士の投票で、誰かを退学させるんですか?」
「投票結果が、退学対象者の決定へ直接関わる」
「そんなの――」
「まずは最後まで聞け」
茶柱の声は冷静だった。
「お前が納得できるかどうかと、試験が行われるかどうかは別問題だ」
平田は立ったまま、周囲を見た。
先ほどまで同じクラスの仲間だった生徒たち。
今も、その事実は変わっていない。
それでも何人かは、すでに隣の席の生徒を見ていた。
成績。
運動能力。
協調性。
友人の多さ。
過去の失敗。
普段から抱いていた評価が、退学へつながる票として意味を持ち始める。
「平田君」
櫛田が静かに呼びかけた。
「今は説明を聞こう」
平田は拳を握り、ゆっくりと席へ戻った。
山内は手元の資料へ目を落とした。
混合合宿では結果を出した。
以前の自分とは違う。
自分より評価されない人間は、他にいるはずだ。
そう考えなければ、資料に書かれた「批判票」という文字を直視できなかった。
軽井沢は女子側の様子を見る。
普段から仲の良い者。
表面上は笑い合っていても、内心では距離を取っている者。
友人の多さがそのまま賞賛票になるとは限らない。
反対に、嫌われていないことが安全を保証するわけでもない。
軽井沢は机の下で端末を開いた。
綾小路の名前を表示させる。
だが、何も入力せずに画面を閉じた。
綾小路は前方を向いたまま、その動きに気づいていた。
声はかけなかった。
スザクは配布資料を見つめる。
根拠の定かでない噂で一人の評価が作られる光景を、つい先日見たばかりだった。
今度は噂ではない。
学校が用意した正式な制度の中で、自分も誰かを評価する側になる。
投票を拒否すれば済むのか。
誰にも批判票を入れなければ、誰も傷つけずに済むのか。
まだ規則の全ては分からない。
だが、自分が選ばなかったことで、別の誰かが選ばれる可能性はある。
その事実だけは理解できた。
ルルーシュは資料ではなく、教室を見ていた。
先月は、噂が一人の信用を揺らした。
今度は、人への信用を学校が票として数える。
匿名で投じられた票から、結果だけが残る。
誰が誰を評価したのか。
誰が一人を切り捨てる判断に加わったのか。
それが分からないまま退学者だけが決まった時、選んだ責任はどこへ行く。
「今回、学校が一方的に退学者を指名するわけではない」
茶柱が告げる。
「結果を決めるのは、お前たち自身の評価だ」
同じ教室にいる全員が、同じ説明を聞いていた。
だが、その瞬間から。
全員が同じ側にいるわけではなくなった。