反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む 作:evejanjan
三月四日。
最初は、山内と池、本堂の三人だけだった。
だが、秘密は守るために共有されたのではない。
同じ批判票を投じる者を増やすために生まれた以上、広がることそのものが目的だった。
山内は休み時間のたびに席を移った。
相手は、自分と同じように成績へ不安を持つ男子。
クラスで目立った役割を持たず、自分が候補に入ることを恐れている生徒。
平田の言葉へ頷きながらも、全員救済が本当に可能だとは信じ切れない者。
「別に、綾小路に入れろって強制してるわけじゃない」
山内は、誰に対しても同じ前置きを使った。
「ただ、何もしてない奴と、ちゃんと結果を出した奴が同じ危険なのはおかしいだろ?」
命令ではない。
相談。
評価の確認。
自分たちが生き残るための保険。
言い方を変えるたびに、行為の意味が薄められていく。
実際に投票するのは、それぞれ本人だ。
山内が責任を負わせたわけではない。
そう思える形だけが、丁寧に作られていた。
◇
昼休みになる頃には、女子側にも名前が届いていた。
「恵、綾小路君の話って聞いた?」
佐藤が声を落として尋ねる。
軽井沢は、すぐには答えなかった。
「何の話?」
「批判票を集めようとしてる人がいるって」
「誰から聞いたの?」
「前の席の子。その子も、別の男子から聞いたみたい」
話の出所は一つでも、届く経路はすでに複数に分かれている。
誰か一人を止めても、噂そのものは消えない段階へ入っていた。
「綾小路君って、そんなに危ないのかな」
「危ないって?」
「批判票が集まりそうって意味。あんまり目立たないし、助けてくれる友達も少なそうだから」
目立たない。
友人が少ない。
反論しなさそう。
それらは能力の評価ではない。
批判票を集めやすいという評価だった。
「名前を回すのはやめた方がいいよ」
軽井沢は言った。
「でも、もう広がってるし」
「広がってるからって、自分まで乗る必要ないでしょ。誰かに言われた通り入れて、その人が退学したら、言った人だけのせいにはできないんだから」
佐藤は困ったように黙る。
軽井沢自身も、誰へ批判票を入れるかは決めていない。
それでも、自分の判断を他人へ預けることが危険だということだけは分かっていた。
端末を取り出し、短い文章を打つ。
『綾小路君に批判票を集める話が広がってる。最初に言い出した人までは分からない』
送信先を確認してから、指を止める。
頼まれたわけではない。
教えなければならない義務もない。
だが、本人だけが知らないまま話が進むのは不公平だと思った。
軽井沢は、そのまま送信した。
◇
同じ頃。
綾小路の端末が一度だけ震えた。
画面に表示された軽井沢からの文章を読み、返信は短く済ませる。
『分かった。出所は俺が確認する。お前は無理に探らなくていい』
すでに、教室内の視線から自分の名前が流れていることは分かっていた。
重要なのは、誰が最初に広げたか。
そして、その人物が自分を選ぶ理由だった。
単に目立たない生徒を狙っただけなら、候補は他にもいる。
高円寺は協調性に欠ける。
池や山内は学力面で不安を抱えている。
須藤は改善したとはいえ、過去の言動から批判票を受ける可能性がある。
その中から、自分を一人へ絞った理由がある。
「綾小路君」
顔を上げると、櫛田が席の横に立っていた。
「平田君が、みんなに話があるって」
教室の前では、平田が堀北と何かを確認している。
綾小路は立ち上がる前に、櫛田へ小さく尋ねた。
「少しだけいいか?」
「うん」
「俺の名前を広げている人間を知っているか」
櫛田の笑顔は変わらなかった。
「どうして私に聞くの?」
「このクラスで、表に出ていない話まで一番早く集まるのは櫛田だと思ったからだ」
「買い被りじゃないかな」
「違うなら、別の方法で調べる」
櫛田は一瞬だけ綾小路を見る。
頼み方でも、脅しでもない。
自分が知らない可能性を残したまま、知っているなら答える価値があると示している。
「山内君だよ」
櫛田は、声を落として答えた。
「今朝から池君や本堂君たちに話してたみたい。その後、何人かに広がってる」
「理由は?」
「綾小路君は目立った貢献がないから、だって。でも、それだけじゃないと思う」
「何か保証を得ている?」
櫛田の目が僅かに細くなる。
「そこまでは聞いてない。でも昨日まで怯えてたのに、今日は自分が助かる前提で話してる。変だとは思う」
「そうか」
「ねえ」
櫛田は笑顔のまま続けた。
「私から聞いたってことは、山内君たちには言わないでね」
「分かった」
「助かるよ」
限定的な協力関係があっても、櫛田は自分の情報網を無条件には差し出さない。
山内の計画へ最後まで付き合う理由もなければ、情報を渡したことで山内たちから敵視される理由もない。
自分の安全と立場を守れる範囲で、誰へ何を伝えるかを選んでいるだけだった。
◇
「みんな、聞いてほしい」
平田の声で、教室内の会話が止まった。
全員が揃ったわけではない。
それでも、昼休みに残っていた生徒の多くが前を向く。
「綾小路君へ批判票を集めようという話が広がっている」
名前が、初めて教室全体へ出た。
視線が綾小路へ集まる。
山内だけは、驚いた顔を作るのが僅かに遅れた。
「誰が言い始めたかを責めたいわけじゃない」
平田は続ける。
「でも、一人の名前を決めて、みんなで批判票を入れるのはやめよう。本人へ何も伝えないまま、退学させる流れを作るなんて間違ってる」
「じゃあ、どうするんだよ」
山内が声を上げた。
「誰にも合わせずにバラバラに入れたら、自分に集まるかもしれないだろ」
「だからって、綾小路君を選んでいい理由にはならない」
「何もしてない奴より、頑張った奴を残すのは普通だろ!」
山内の声が大きくなる。
「俺は合宿で結果を出した。池だって色々やってきた。須藤は運動で役に立つ。平田や櫛田はみんなをまとめてる。堀北やランペルージは試験で動いてる。枢木だって体力もあるし、困ってる奴を助けてる」
一人ずつ名前を挙げるたび、残す理由が並ぶ。
「でも綾小路は? あいつがいなくなったら、クラスが何を失うんだよ」
教室が静まった。
表から見える情報だけなら、答えを持つ者は少ない。
「見えないことと、何もしていないことは同じではないわ」
堀北が口を開いた。
「綾小路君の評価を高く見積もれと言っているわけではない。でも、他に名前を挙げやすいという理由で批判票を集めるなら、昨日決めた基準とは無関係よ」
「堀北は綾小路を庇うのか?」
「一人へ票を集めるなら、それがクラスにとって最も損失が小さいという根拠が必要だと言っているの」
「本人が何も言わないんだから、仕方ないだろ」
山内が綾小路を見る。
「お前、自分がクラスに必要だって説明できんの?」
全員の視線を受けても、綾小路の表情は変わらなかった。
「俺が説明して、それを信じるのか?」
「内容次第だろ」
「なら、今の時点で結論を決める必要はないはずだ」
山内は言葉に詰まる。
綾小路は自分の価値を主張しなかった。
同時に、何もしていないことも認めなかった。
「僕は反対だ」
スザクが言った。
山内が苛立った顔を向ける。
「また全員助けるって話かよ」
「それだけじゃない」
スザクは、教室全体を見た。
「綾小路へ入れる理由を、自分で考えた人はいるのか。山内君の話を聞く前から、同じ判断をしていたのか」
誰もすぐには答えない。
「誰かが先に名前を出したから。それなら自分は安全だから。その理由で投じても、結果だけは自分の票として残る」
「じゃあ、枢木は誰に入れるんだよ」
「まだ決めていない」
「決めてない奴が偉そうに言うなよ」
「決めていないから、他人に決めてもらわないと言っている」
スザクの声は強くない。
それでも、山内から目を逸らさなかった。
「誰へ入れるとしても、自分で理由を持つ。それができないなら、匿名を言い訳にすることになる」
「綺麗事だろ」
「そうかもしれない。でも、誰かを退学させる票を投じるなら、綺麗事さえ捨てていいとは思わない」
平田はスザクを見た。
同じ結論ではない。
平田は、一人を選ぶことそのものを止めたい。
スザクは、選ばざるを得なくなっても責任を手放すなと言っている。
近い場所に立ちながら、二人の間には決定的な違いがあった。
「この話は、ここで終わりにする」
堀北が区切った。
「少なくとも今日、クラスとして綾小路君へ批判票を集める方針は取らない。個人の投票先を強制する権利も、誰にもないわ」
山内は不満を隠さなかった。
だが、表立って反論を続ければ、自分が中心人物だと認めることになる。
舌打ちを飲み込み、席へ戻った。
◇
放課後。
ルルーシュは、人気のなくなった教室で端末を見ていた。
クラス内の共有フォルダには、今日までに集められた情報が並んでいた。
平田が他クラスへ送った問い合わせへの回答。
櫛田が集めた救済案。
堀北が整理した評価項目。
どれも二千万ポイントを生み出すには足りない。
その一方で、山内の態度だけが変わっている。
昼の話し合いで名前を出された後も、自分が候補になる恐怖は戻らなかった。
クラス内の支持だけで安全を確保しているなら、堀北や平田の反対をもっと恐れるはずだ。
それを恐れていない。
「山内は、外部票を得られると信じている」
ルルーシュが独り言のように言う。
教室には、まだスザクが残っていた。
「分かったのか?」
「確定ではない。だが、それ以外に態度の変化を説明しにくい」
「誰からだ」
「まだ分からない」
ルルーシュは端末を閉じる。
「重要なのは、山内が救われることではない。誰かが山内へ安全を与え、その代わりにクラスの票を動かそうとしていることだ」
「綾小路君を退学させるために?」
「標的が綾小路だということは、今日分かった」
第三者が、山内の恐怖を利用してクラスの選択へ介入している。
実際に批判票を投じるのは新Cクラスの生徒たちだ。
だが、その選択肢を先に作った者は教室の外にいる。
「止めるのか」
スザクが尋ねた。
「山内を止めるだけでは足りない」
「なら、何をする」
「外部票という保証が本当に存在するのか、存在するなら有効なものかを調べる。それが崩れれば、山内が自分を安全だと思う根拠も崩れる」
「それで、綾小路を助けるのか?」
「助けるためではない」
ルルーシュは窓の外へ視線を向けた。
「クラスが選ぶ前に、誰かが選択を作っている。その構造を放置しないだけだ」
スザクは、それ以上尋ねなかった。
ルルーシュが綾小路を残すと決めたわけではないことも分かっている。
ただ、見えない場所から票を動かす者を許すつもりがないだけだ。
◇
同じ時刻。
綾小路は校舎を出ながら、櫛田から得た名前を整理していた。
山内。
自分への批判票を集める中心。
だが、山内一人の判断とは考えにくい。
昨日まで自分の退学を恐れていた人間が、今日になって他人を選ぶ側へ回った。
その変化には、自分が助かるという保証が必要だ。
クラス内で山内へ賞賛票を集める動きはない。
ならば、保証は外から来ている。
誰が。
何のために。
候補は多くなかった。
綾小路は端末を取り出す。
連絡先を開き、坂柳有栖の名前を表示した。
すぐには発信しない。
山内を通じて自分へ仕掛けているのなら、問いただして認める相手ではない。
先に確認すべきなのは、山内が何を約束されたのか。
そして、どこまでの人数がすでに動いているのか。
画面を閉じる。
教室の中で広がった名前は、ようやく本人の手元へ届いた。
次に必要なのは、その名前を最初に選んだ意思ではない。
選ばせた意思だった。