反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む 作:evejanjan
三月五日。
まだ空の明るくなる前から、ルルーシュは寮の共用スペースにいた。
机の上には、クラス内投票の資料と端末が並んでいる。
二千万プライベートポイント。
他クラスからの賞賛票。
票の均等化。
外部との交換。
既存の規則を利用した退学取消。
考えられる経路を一つずつ書き出し、成立条件と失敗した場合の損失を添えていた。
二千万ポイントは用意できない。
クラス内の申告額を最大に見積もっても足りず、他クラスから借りるには、期限も返済材料も不足している。
上級生へ持ちかけたとしても、一年新Cクラスの生徒一人を残すために、無条件で二千万を差し出す理由はない。
外部への問い合わせにも、答えは出ていた。
個人で動かせる額ではない。
クラス単位で出せるとしても、卒業順位へ影響するほどの見返りが必要になる。
期限までに契約を整え、全員の同意を得ることも現実的ではない。
善意を前提にすれば可能性は残る。
だが、善意だけを根拠に一人の退学を預けることは、救済案とは呼べなかった。
賞賛票の交換は、特定の生徒を守ることには使える。
だが、全員へ同じだけ配ることはできない。
誰かを押し上げれば、その分だけ別の誰かが相対的に最下位へ近づく。
さらに、この試験では全員が三票の批判票を必ず投じなければならない。
批判票そのものを消すことはできない。
均等に散らして最下位を同票にしても、待っているのは救済ではなく再投票だ。
学校が求めているのは評価ではない。
最後まで残る、一人の名前だった。
「朝から何をしてるんだ」
声に顔を上げる。
スザクが、入口に立っていた。
「見れば分かるだろう」
「全員を残す方法?」
「ああ」
スザクは机の向かいへ座り、端末の画面を見る。
試した案には、どれも横線が引かれていた。
「全部、駄目なのか」
「現時点ではな」
「まだ今日一日ある」
「時間だけで二千万ポイントは生まれない。票を交換しても、最下位になる人間が変わるだけだ」
「それでも、探すべきだ」
「探すことは否定していない」
ルルーシュは新しい欄を開いた。
救済可能性。
候補者評価。
外部票の流れ。
三つを分けて更新する。
「可能性が低いことと、存在しないことは別だ。だが、存在しない経路へ全員の判断を預けることもできない」
スザクは、画面の一番下へ視線を止めた。
退学対象者、一名。
その横には、まだ名前がない。
「誰が選ばれても、残る人数は同じだと考えてる?」
「制度上はそうだ」
「制度の話じゃない」
「今は制度の話をしている」
ルルーシュは画面を閉じた。
「感情を先に置けば、誰も選べない。だが、選ばないという結果は認められていない」
「だからって、自分だけを別に考えるなよ」
昨日、廊下で投げられた言葉と同じだった。
「俺は誰も別に扱っていない」
「本当に?」
ルルーシュは答えなかった。
肯定するための言葉が見つからなかったのではない。
答える必要がないと判断しただけだった。
その沈黙を、スザクは見過ごさなかった。
◇
始業前。
堀北は、全員救済へ向けて集めた情報を教室の前で報告した。
「現時点で、二千万ポイントを用意できる見込みはないわ」
教室の空気が沈む。
「他クラスとの票交換についても、特定の生徒を守ることはできても、退学者そのものを消す方法にはならない。票を均等にする案も、再投票を避けられない」
「まだ、全部試したわけじゃないだろ」
平田が言った。
「ええ。今日も調査は続ける」
「なら、誰かを選ぶ話はまだ――」
「同時に進める」
堀北は平田から目を逸らさなかった。
「今夜までに方法が見つからなければ、明日は投票よ。見つからなかった時に、何も考えていなかったでは済まない」
「考え始めたら、助けることを諦める人が出る」
「考えなければ、誰かが流した名前へ乗る人が出る。昨日、もう起きたことよ」
綾小路へ向いていた視線が、いくつか下がった。
山内だけは、机の下で端末を確認している。
自分へ二十票が入る。
その約束がある限り、教室の空気が変わっても、自分が最下位になるとは考えていなかった。
「候補者を一人へ決めるのは、情報を整理した後にする」
堀北は続ける。
「ただし、誰であっても評価の対象から外さない。私も、平田君も、ランペルージ君もよ」
最後の名前で、教室の一部が僅かに反応した。
ルルーシュは、その反応を見ていた。
山内へ票を集めれば、損失だけを見た判断としては最も分かりやすい。
だが、その名前は同時に、全員が責任を軽くするための逃げ道にもなる。
山内だから仕方がない。
自分が選んだのではなく、クラスの総意だった。
そう言い換えたところで、実際に一人を切り捨てた事実は消えない。
それでも結果だけを共有すれば、責任の所在は曖昧なまま残る。
一人を失った後もクラスを割らないためには、ただ最も弱い人間を選ぶだけでは足りなかった。
◇
昼休み。
「ランペルージ君の名前も、少し出てるよ」
櫛田は声を落として言った。
教室の隅には、ルルーシュ、スザク、堀北がいる。
「誰が言った」
堀北が尋ねる。
「個人名は出さない約束で聞いてるから、それは言えない。でも、一つのグループだけじゃないよ」
「理由は?」
「混合合宿で目立ちすぎたこと。上級生や他クラスと、みんなの知らないところで話してること。助けてもらったことはあるけど、何を考えてるか分からないって」
櫛田は言葉を選びながら続けた。
「有能だから賞賛票を入れたい人もいる。でも、有能だからこそ、残して大丈夫なのか怖いって人もいるみたい」
「何人だ」
ルルーシュが尋ねた。
スザクが横を見る。
「正確には分からないよ」
「同じ話を、別の経路から聞いた数は?」
「五人。男子と女子の両方。誰か一人に頼まれて言ってる感じじゃなかった」
「そうか」
それだけで、ルルーシュは質問を終えた。
「訂正したいことはないの?」
櫛田が尋ねる。
「事実と違うものがあれば訂正する」
「怖いって思われてることは?」
「評価する側が決めることだ」
「ルルーシュ」
スザクの声が低くなる。
「何だ」
「どうして、票を減らす方法じゃなく、何人が別々に考えたかを聞くんだ」
「噂なのか、個別の評価なのかを分けるためだ」
「それだけ?」
「それ以外に何がある」
「女子の方でも、似た話は出てる」
軽井沢が、少し遅れて会話へ加わった。
「ランペルージ君に助けられたことがある子もいる。でも、助ける時に何も相談されなかったって思ってる子もいる。次は自分が勝手に使われるかもしれないって」
「誰かが名前を回しているのか?」
スザクが尋ねる。
「そういう感じじゃない。私も、綾小路君の時みたいに一人へ集める話は止めてる。でも、ランペルージ君を怖いと思うことまでやめろとは言ってない」
「それでいい」
ルルーシュが答えた。
「よくないでしょ」
軽井沢は眉を寄せる。
「少しくらい説明したら? 何で勝手にやったのかとか、結果的に助かったとか」
「結果は全員が知っている。理由をどう評価するかは別だ」
軽井沢は何か言い返そうとしたが、スザクの表情を見て口を閉じた。
ルルーシュは席を立った。
櫛田から得られたのは、五票ではない。
同じ不信が、指示されなくても複数の場所で生まれているという事実だった。
山内が作った綾小路への流れとは違う。
誰かが最初に名前を与えなくても、自分へ向かう票は存在する。
その票は、まだまとまっていない。
だが、まとめるための理由なら、すでにあった。
◇
同じ昼休み。
綾小路は櫛田から、山内が坂柳と接触していたという情報を得た。
接触したのは、山内が自分への批判票を集め始める前。
会話の内容は確認できていない。
それでも、山内の態度が変わった時期とは一致する。
綾小路は、その事実を直接堀北へ持ち込まなかった。
自分は批判票を集められている当事者だ。
山内を候補へ押し上げるための自己保身と受け取られれば、情報の価値まで歪む。
校舎を出た後、堀北学へ連絡する。
『山内春樹は、坂柳有栖と接触していました』
「確認は取れているのか」
『接触した事実までは。会話の内容は分かりません』
「それを鈴音へ伝えろということか」
『事実だけを伝えてください。どう評価するかは、堀北が決めることです』
学は短い沈黙の後、了承した。
綾小路は通話を終える。
ルルーシュがどの情報を得ているかは知らない。
共有する理由もない。
ただ昼休みの会話で、一つだけ気になったことがあった。
ルルーシュは、自分へ批判票を向ける人間を探していなかった。
その票が、誰かの誘導なしでも成立するかを確かめていた。
普通なら、危険を避けるために使う情報だ。
だが、ルルーシュの問いは、避けるためのものには聞こえなかった。
◇
放課後。
堀北の端末へ、一つの資料が届いた。
送信者はルルーシュ。
題名は、未共有判断記録。
混合合宿で、退学条件を伴う責任者を引き受けたこと。
その判断を、クラス全員へ事前に確認しなかったこと。
他クラスや上級生との交渉内容を、必要な範囲に限定して共有してきたこと。
南雲の手法へ公の場で異議を唱え、新Cクラスへ余計な関心を招く可能性を生んだこと。
書かれているのは、全て事実だった。
だが、その判断によって避けられた危険や、得られた結果については、最低限しか触れられていない。
「これは何?」
教室に残っていたルルーシュへ、堀北が画面を示す。
「読んだとおりだ」
「なぜ今、わざわざ不利な材料を提出するの」
「候補者を評価するのだろう」
「あなたを候補へ押し上げるための会議ではないわ」
「俺だけ、未共有の判断を評価から外す理由もない」
「説明が不足しているわ。合宿であなたが責任者になった結果、このクラスはCクラスへ上がった」
「結果が良ければ、過程の危険が消えるわけではない」
堀北は画面から目を上げた。
「正当な評価を受けたいのなら、利益と損失を両方書きなさい」
「利益は、すでに全員が知っている」
「損失だけを、自分から追加するのね」
ルルーシュは答えなかった。
資料は堀北個人へ送られたものではない。
クラスの共有フォルダにも、同じ記録が追加されていた。
通知に気づいた生徒が、一人ずつ画面を開き始める。
「ルルーシュ」
スザクが教室の入口に立っていた。
「どうして、これをみんなへ送った」
「判断材料だからだ」
「君は、自分に入る票を減らす気がないのか」
「評価材料を隠す理由はない」
「そういう答えが聞きたいんじゃない」
ルルーシュは鞄を持ち、二人の横を通る。
「誤解を広げたわけではない。隠していた事実を出しただけだ」
「反論できることまで、書いてない」
「必要なら、質問された時に答える」
「質問されなかったら?」
足が止まる。
振り返らないまま、ルルーシュは答えた。
「それも、クラスの選択だ」
スザクは追いかけなかった。
まだ、ルルーシュが何を完成させようとしているのか分からない。
ただ、自分へ向かう票を防ぐ人間の行動ではなかった。
投票は、まだ始まっていない。
それでもルルーシュは、自分へ向かう票を退けるのではなく、その輪郭を形作り始めていた。