反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む   作:evejanjan

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選ばなかった一手

 三月六日、午後。

 

 投票開始まで、残り二十分。

 

 端末の画面には、最後の文書が残っていた。

 

 他クラスとの交渉記録。

 クラスへ報告しなかった条件。

 個人の判断で利用した情報。

 

 送信すれば、自分への批判票はさらに増える。

 

 危険人物としての輪郭は完成する。

 山内が候補へ上がったとき、その票を自分へ逸らすには十分だった。

 

「だから、君が止めるんだ」

 

 スザクは端末へ手を伸ばさなかった。

 

 奪われたなら、別の手段を選べた。

 妨害されたなら、それを計算へ含められた。

 

 だが、選択そのものを返されれば、ルルーシュ自身が決めなければならない。

 

 正しい可能性のある犠牲を、もう一度選ぶのか。

 失敗する可能性を抱えたまま、残るのか。

 

 画面の右上で、時刻だけが進んでいく。

 

「スザク」

 

「何だ」

 

「お前は、あの計画を後悔しているのか」

 

 スザクはすぐには答えなかった。

 

「分からない」

 

 それは逃げではなかった。

 

「僕たちは、その後を知らない。だから、正しかったとも、間違っていたとも言えない」

 

「なら、否定する根拠もない」

 

「同じ答えしか選ばない理由にもならない」

 

 ルルーシュの指が、送信欄の上から離れた。

 

 文書は消していない。

 送る可能性も、まだ捨ててはいない。

 

 ただ、端末を閉じた。

 

「投票へ行く」

 

 それだけを告げ、ルルーシュは席を立った。

 

     ◇

 

 投票開始の十分前。

 

 教室には、普段とは異なる沈黙があった。

 

 誰もが端末を手にしている。

 誰を残し、誰を残さないのか。

 六つの名前を選ばなければならない。

 

 平田は、最後まで一人へ票を集めることに反対していた。

 

「まだ考え直せる。誰かが言った名前じゃなくて、自分で決めよう」

 

 返事をする者は少ない。

 

 それでも平田は、全員へ同じ言葉を繰り返した。

 

 山内は落ち着かない様子で教室を見回している。

 

「別にさ、俺は誰へ入れろとも言ってないからな」

 

 誰も聞いていないのに、そう言った。

 

「ただ、役に立たない奴と危ない奴がいるって話をしただけだ。判断するのは本人だろ?」

 

「そうね」

 

 堀北が応じた。

 

 山内の表情が僅かに明るくなる。

 

「だろ? 堀北も分かって――」

 

「だから、私も自分で判断したわ」

 

 その言葉で、教室の視線が堀北へ集まった。

 

「私は山内君へ批判票を入れる」

 

「は?」

 

 山内の声が裏返る。

 

 平田が立ち上がりかけたが、堀北は続けた。

 

「これはクラス全員へ同じ票を求める発言ではない。私個人の判断よ」

 

「なんで俺なんだよ! ランペルージの方が、自分で危険だって認めてるだろ!」

 

「ルルーシュ君は、自分の行動と今後の方針を開示した。内容をどう評価するかは分かれるでしょうね」

 

 堀北はルルーシュを庇わない。

 

「けれど、あなたがしたことは違う」

 

「何がだよ」

 

「綾小路君を退学候補として繰り返し広めながら、票を入れろとは言っていないと逃げ道を作った。ルルーシュ君が候補になり始めれば、今度はその名前も利用した」

 

「候補を話しただけだろ!」

 

「複数の生徒へ、同じ理由を、別々に伝えていた。それを票の誘導ではないと言うつもり?」

 

 山内の目が教室を走る。

 

 池は俯き、須藤は眉を寄せている。

 何人かは山内から視線を逸らした。

 

「それに、あなたは自分へ二十票の称賛票が入ると話していたそうね」

 

 空気が変わった。

 

「な、なんでそれを……」

 

「あなた自身が、安心させるために何人かへ話していたからよ」

 

 堀北は冷静だった。

 

「他クラスの生徒から票を受け取れる保証を得たうえで、同じクラスの生徒を退学候補へ押し上げようとした。少なくとも私は、クラスへ残すべき行動だとは判断しない」

 

「坂柳ちゃんが約束したんだ! 俺は助かるんだよ!」

 

「その約束が本物かどうかさえ、あなたは確認していない」

 

「本物に決まってる!」

 

 山内の叫びが、かえって教室を冷やした。

 

 堀北はそれ以上、何も言わなかった。

 

 自分の判断を示しただけだった。

 

 他の生徒へ同じ票を求めない。

 だが、その理由は十分に伝わっていた。

 

     ◇

 

「流れが変わった」

 

 教室の後方で、軽井沢が小声で言った。

 

 綾小路は正面を見たまま答える。

 

「堀北が名前を出したからだけじゃない」

 

「分かってる。山内が自分で崩れた」

 

 山内は坂柳との約束を否定しなかった。

 むしろ、それを自分が助かる根拠として叫んだ。

 

 クラスメイトを退学候補へ押し上げながら、自分だけは他クラスから守られる。

 その構図を、自分の口で確定させた。

 

「ランペルージ君の方は?」

 

「候補にしている人間は残っている」

 

 三つの文書は消えていない。

 ルルーシュの独断を危険だと感じた者も、本心から存在する。

 

 それは工作だけで生まれた票ではない。

 綾小路も、それ自体を否定するつもりはなかった。

 

「ただ、集中する理由は崩せる」

 

「私が流した話のこと?」

 

 昼休みが終わる直前、綾小路から軽井沢へ短い指示が届いていた。

 

 ルルーシュが開示した記録には、隠していた判断が書かれている。

 だが、クラスを裏切った記録はない。

 結果を出した行動と、手段への不信は分けて考えるべきだ。

 

 擁護ではない。

 独断を正しいと言っているわけでもない。

 

 ただ、批判票を一人へ集める結論だけを切り離す。

 

 軽井沢はその話を、女子を中心に静かに回していた。

 

「これ、綾小路君が考えたんでしょ」

 

「広げたのはお前だ」

 

「そういう言い方、ずるいんだけど」

 

 軽井沢は小さく息を吐いた。

 

「でも、ランペルージ君本人は何もしてない」

 

「最後の文書が出ていない」

 

「スザク君が止めたのかな」

 

「それだけなら、別の方法を使う」

 

 綾小路はルルーシュを見る。

 

 ルルーシュは端末を机へ置き、何も発信していない。

 

「少なくとも、まだ最後の一手は使っていない」

 

 投票開始を知らせる表示が、全員の端末に現れた。

 

     ◇

 

 六つの名前を選ぶ。

 

 三つの称賛票。

 三つの批判票。

 

 ルルーシュは画面を見た。

 

 批判票の候補欄には、自分の名前はない。

 自分へ票を入れることはできない。

 できるのは、他者の選択を作ることだけだった。

 

 最後の文書を送れば、まだ間に合う。

 

 教室の誰もが端末へ視線を落としている。

 今なら、内容を確認した直後の感情で票を動かせる。

 

 ルルーシュは端末を操作した。

 

 共有予定だった文書を開く。

 送信欄ではなく、削除欄を選んだ。

 

 確認表示が出る。

 

 本当に削除しますか。

 

 指が止まる。

 

 過去のゼロレクイエムを否定するためではない。

 あれが間違っていたと認めたわけでもない。

 

 ただ、今回まで同じ答えにする必要はなかった。

 

 自分が残れば、クラスは割れるかもしれない。

 判断を誤り、誰かを傷つけるかもしれない。

 山内を切った責任も、残った者同士で背負わなければならない。

 

 それでも、その結果を見る者の中へ自分を含める。

 

 ルルーシュは削除を確定した。

 

 画面から、最後の文書が消える。

 

 それから称賛票を三人へ、批判票を三人へ入れた。

 

 山内の名前も、その中にあった。

 

     ◇

 

 投票結果が表示されたのは、全員の入力が終わってからだった。

 

 最初に示されたのは、称賛票の順位。

 

 一位。

 

 綾小路清隆。

 

 教室が静まり返る。

 

「……は?」

 

 池が間の抜けた声を出した。

 

 綾小路本人だけが、変わらない表情で画面を見ている。

 

 他クラスから加えられた二十票。

 それが、クラス内で目立たなかった綾小路を一位へ押し上げていた。

 

 特別試験の規定により、綾小路へプロテクトポイントが付与される。

 

「なんで綾小路なんだよ!」

 

 山内が叫んだ。

 

「二十票は俺に入るはずだろ! 坂柳ちゃんは俺を助けるって――」

 

 そこで、自分が何を言ったのかに気づいた。

 

 だが遅い。

 

 称賛票の行き先が、約束の答えだった。

 

 続いて、批判票の結果が表示される。

 

 最下位。

 

 山内春樹。

 

 数字が出た瞬間、教室から音が消えた。

 

「嘘だ」

 

 山内が呟く。

 

「こんなの、ありえないだろ」

 

 画面を何度更新しても、結果は変わらない。

 

「待てよ。もう一回だ。何かの間違いだろ。俺は二十票もらえるって――」

 

 担任の茶柱が、教卓の前から告げた。

 

「結果は確定している。山内春樹。お前が退学対象だ」

 

「ふざけんなよ!」

 

 椅子が倒れる。

 

 山内は立ち上がり、教室全体を睨んだ。

 

「誰だよ! 俺に入れた奴! 池、お前は違うよな? 須藤も、俺たち友達だろ!」

 

 誰も答えない。

 

「平田! お前、全員助けるって言ったじゃねえか!」

 

 平田の肩が震えた。

 

「僕は……」

 

「助けろよ! 今からどうにかしろよ!」

 

 できない。

 

 その言葉を、平田は口にできなかった。

 

 山内は次にルルーシュを見た。

 

「お前のせいだ!」

 

 理屈はなかった。

 

「お前が変な文書なんか出すから、全部おかしくなったんだ! お前が退学すればよかっただろ!」

 

 ルルーシュは山内を見る。

 

 最後の文書を送っていれば、その結果になった可能性はある。

 

 だが、もう画面には残っていない。

 

「そうかもしれない」

 

「だったら――」

 

「それでも、俺は残ることを選んだ」

 

 山内の言葉が止まった。

 

 それは勝利の宣言ではなかった。

 山内を切り捨てた正当化でもない。

 

 自分が消えれば済むという答えを、今回だけは選ばなかった。

 

「票を入れたのは俺だけではない。お前を残せないと判断した者が、それぞれ自分で選んだ結果だ」

 

「黙れ……」

 

「俺も、その一人だ」

 

 山内の顔が歪む。

 

 茶柱が退室を促す。

 山内は最後まで何かを叫んでいた。

 

 扉が閉じる。

 

 教室には、残った者だけがいた。

 

     ◇

 

 誰も喜ばなかった。

 

 制度が要求した一人を、クラスは失った。

 回避できなかった損失が、結果として確定した。

 

 それでも、教室の空気は軽くならない。

 

 ルルーシュは、自分の端末を見る。

 

 消した文書は戻らない。

 

 生き残ったという実感もなかった。

 ただ、自分もこの結果の後に残された。

 

 それだけだった。

 

「山内君を……」

 

 平田の声が聞こえた。

 

「僕たちが、退学させた」

 

 誰も否定できない。

 

 平田は机へ手をついた。

 

「僕がもっと……ちゃんと、みんなを……」

 

「平田」

 

 堀北が呼ぶ。

 

 だが、平田は顔を上げなかった。

 

「僕は、何もできなかった」

 

 教室を出ていく背中を、誰も止められない。

 

 綾小路だけが、静かに席を立った。

 

 ルルーシュはその姿を見る。

 

 自分が消えていれば、平田は傷つかなかったのか。

 

 答えは出ない。

 

 綾小路の言葉が蘇る。

 

 切り捨てた側と、止められなかった側が残る。

 

 まさに、そのとおりだった。

 

 自分が消えても、この痛みは消えなかったのかもしれない。

 残ったからこそ、その事実を見届けることになった。

 

 優しい世界は、一人が代わりに傷つけば生まれるものではない。

 

 その代償を、誰か一人へ押しつけて完成させることもできない。

 

 ルルーシュは閉じた扉を見つめた。

 

 今回は、背を向けなかった。

 

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