反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む 作:evejanjan
※本作は、本編とは異なる可能性を描いた特別IF編です。
本編の時系列、設定、人物関係、今後の展開には影響しません。
卒業証書を受け取った時、枢木スザクは、自分の高校生活が終わったことを正確に理解した。
寂しさがないわけではない。
三年間を過ごした校舎。毎朝通った教室。試験のたびに意見をぶつけ、時には互いを疑い、それでも最後には同じ場所へ戻ってきたクラスメイトたち。
それらが明日から失われることを、スザクは認識していた。
ただし、それは予定されていた終了だった。
入学した時から、高度育成高校で過ごせる時間は三年間と決められている。社会環境の中で適切に振る舞い、同年代と関係を築き、競争と協力へ対応できるかを確認するための期間。
結果は、基準を大きく上回った。
身体能力、学力、集団適応、指揮、交渉、自己管理。
求められた全項目において、スザクは一度も致命的な失敗をしなかった。
「枢木、卒業したら何するんだ?」
体育館を出たところで、同じクラスだった男子生徒が尋ねた。
その横では、数人が端末を取り出し、最後の集合写真を撮ろうとしている。校門前には保護者や迎えの車が並び、三年間という時間が、それぞれ別の未来へ分かれようとしていた。
「もう決まっているよ」
「大学?」
「いや。働くことになると思う」
「思うって、自分の進路だろ?」
問い返され、スザクは一瞬だけ言葉に詰まった。
進路は決まっている。
卒業後は施設へ戻り、三年間の記録を提出し、次の課程へ進む。その先にどの役割が用意されているかは知らされていないが、必要な能力を提供することに疑問はなかった。
自分で決めたものではない。
だが、それを問題だと考えたこともない。
「詳しいことは、まだ言えないんだ」
「相変わらず秘密多いな、お前」
男子生徒は呆れたように笑った。それから、別れを惜しむよりも当然の予定を確認するように、手を上げる。
「まあ、連絡くらい返せよ。また会おうぜ」
「うん。また」
スザクも笑って応じた。
その言葉が実現する可能性を、計算しなかったわけではない。
施設へ戻れば外部との連絡は制限される。高校在籍中に使用していた端末も回収される可能性が高い。再会の予定は与えられておらず、友人たちの名前は社会適応課程における接触記録として保存される。
それでも、その場で否定する必要はないと判断した。
卒業の日に交わす言葉として、適切だった。
集合写真を撮り終え、校門を出る。
黒い車が一台、少し離れた場所に停まっていた。
運転席から降りた男は、スザクの姿を確認すると、感情のない動作で後部座席の扉を開ける。
「社会適応課程の終了を確認した。乗れ」
「はい」
振り返れば、校門の向こうでクラスメイトたちがまだ話している。
端末には、先ほど撮った写真が送られていた。その下へ、短い言葉が次々と並んでいく。
また集まろう。
今度は学校の外で。
予定が決まったら連絡して。
スザクは画面を閉じた。
返信を作る時間はあった。
だが、これから先の予定を知らない以上、守れる約束を書くべきではない。
車へ乗り込む。
扉が閉まり、高度育成高校は窓の外へ流れていった。
◇
白い廊下は、三年前と何も変わっていなかった。
温度も、照明の明るさも、床へ落ちる足音の響き方も、一定に管理されている。
スザクは卒業式で着ていた制服から、施設内用の白い衣服へ着替えさせられた。私物は端末を含めて預け、身体検査と記憶確認、三年間の行動記録との照合を受ける。
懐かしいとは感じなかった。
ここはスザクが育った場所だった。
幼い頃から、走る速度、反応時間、正答率、命令への適応、他者を統率する能力を測定されてきた。
失敗すれば原因を分析し、修正する。
成功すれば、より高い基準が示される。
感情は排除されなかった。社会へ適応し、人間を動かすには、感情を理解する必要があるからだ。
ただし、自分の感情を優先する必要はなかった。
苦痛へ耐えられるなら耐える。
他の者より多くを引き受けられるなら引き受ける。
自分一人への負荷で全体の成績が上がるなら、それが最適解だった。
高校でも同じように動いた。
対立が起きれば間へ入り、危険な役割があれば先に引き受ける。誰かが退学の危機へ置かれれば、自分の点数や立場を使って救済する方法を探す。
クラスメイトたちは、そんなスザクを信頼した。
施設も、それを社会適応の成功と評価した。
「座れ」
案内された部屋の奥には、三人の職員がいた。
中央に座る上層責任者は、机へ置かれた資料から顔を上げる。左右には次世代教育を担当する職員と、スザクの高校生活を分析していた者がいる。
「枢木スザク。三年間の社会適応課程を終了。学業、身体、対人、指揮、危機対応、全項目において基準を達成した」
「はい」
「特に、自分への負荷を厭わず、集団の損失を最小化する性質は高く評価されている」
褒められているとは思わなかった。
ただの結果報告だった。
「今後の役割を伝える」
机上の画面に、次の教育課程に関する資料が表示される。
対象となる子供の人数。能力分布。教育段階。選抜基準。
そして、その上部に、スザクの識別番号と新たな権限区分が記されていた。
「お前には、次世代教育を管理する指導者候補としての役割を与える」
スザクは資料を読む。
能力の高い個体を選別し、次段階へ送る。
適性に応じて教育内容を変更する。
子供同士の競争を設計し、社会環境への適応を確認する。
必要な場合には、教育継続の可否も判断する。
それは、教えられる側から、教える側へ移ることを意味していた。
「学生としての枢木スザクは今日で終了した」
上層責任者が告げる。
「今後、お前は次世代を完成させる役割を担う」
その言葉を聞いた瞬間。
スザクの中で、知らないはずの刃が肉へ沈んだ。
◇
記憶は、時間の順番を守らなかった。
小さな手で握った刃。
父の身体から伝わる重さ。
世界を変えるためだと、自分へ言い聞かせた声。
白いドレスを着た少女の笑顔。
彼女が語った、誰もが笑って暮らせる場所。
血に染まった式典。
銃声。
腕の中で失われていく温度。
白い騎士。
空を裂くランスロット。
自分へ向けられた、絶対の命令。
生きろ。
憎み、争い、殺し合い、それでも最後には同じ未来を選んだ少年。
皇帝となったルルーシュ。
世界中の憎しみを一身に集め、死ぬことで明日を作ろうとした男。
ゼロの衣装。
仮面の奥で震える呼吸。
剣がルルーシュの身体を貫いた感触。
笑うように歪んだ、その最後の顔。
ナナリーの叫び。
自分の名前を捨て、ゼロとして歩き続けるはずだった未来。
全てが一度に流れ込んだ。
スザクは椅子から立ち上がることも、声を上げることもできなかった。
視界の前には白い部屋がある。
机の向こうには上層責任者がいる。
自分は高度育成高校を卒業したばかりの十八歳で、幼い頃からこの施設で育てられた。
同時に、自分は日本最後の首相の息子だった。
父を殺した。
ユーフェミアを失った。
ルルーシュと敵対し、和解し、自らの手で殺した。
ゼロを引き継いだ。
二つの人生は互いを押し退けなかった。
ホワイトルームで過ごした時間が偽物へ変わることも、ギアスのある世界で犯した罪が夢になることもない。
どちらも、枢木スザクの人生だった。
「どうした」
上層責任者の声が遠く聞こえる。
スザクは自分の手を見る。
父へ刃を向けた手。
ルルーシュを貫いた手。
施設の課題を誰より早く終え、転倒した子供を起こし、クラスメイトの代わりに危険を引き受けた手。
二度の人生。
まったく違う世界。
それでも、選んだことは同じだった。
他人の失敗を、自分の責任にする。
自分だけが苦しめばいいと考える。
与えられた役割へ自分を押し込む。
自分の未来を、判断材料へ入れない。
父を殺した罪が自分をそうしたのだと思っていた。
だが、この人生では父を殺していない。
ユーフェミアにも出会っていない。
ルルーシュを殺してもいない。
それでもスザクは、自分一人が負えば全体が救われる道を、何度も選んできた。
ホワイトルームに作られたからだけではない。
二度生まれても、自分だけを数えない人間だった。
「問題ありません」
スザクは答えた。
声は平静だった。
記憶が戻ったことを、ここで伝える理由はない。
「役割を受けます」
上層責任者は、それを当然の返答として処理した。
◇
指導者候補へ与えられた権限は大きかった。
全施設を自由に動かせるわけではない。
だが、担当区画の教育記録、選抜予定、施錠、監視、移送順序へ触れることができる。
スザクは数日かけて内部構造を確認した。
誰が命令を出すのか。
どの経路で子供たちが移動するのか。
外部へ接続できる時間はあるか。
警備が切り替わる瞬間はどこか。
施設を内部から崩すことは、不可能ではない。
指導者として信頼を得る。
子供たちへ接触できる範囲を増やす。
外部へ情報を渡す手段を作る。
十分な準備が整った時、全員を逃がす。
その責任を、自分一人で引き受ける。
施設がスザクを裏切り者として処分することで追跡が止まるなら、それでいい。
合理的な計画だった。
かつてゼロの仮面を引き継いだ時と同じように、役割を利用して目的を果たし、枢木スザクという個人を代価として差し出す。
今度こそ、失敗しない。
今度こそ、全員を救う。
そう考えた時、胸の奥で、ルルーシュの最後の顔が浮かんだ。
あの男も、同じように考えていた。
自分が死ねば、世界は先へ進める。
自分だけが憎まれれば、残った者たちは手を取り合える。
そしてスザクは、その計画へ加担した。
間違っていたとは言えない。
あの後の世界を、スザクは知らない。
ナナリーが望んだ優しい世界が生まれたのか。
ゼロが何を守り、何を壊したのか。
答えを見る前に、この人生へ生まれていた。
だからこそ、同じ方法を選ぶことが正しいとも言えなかった。
「選抜対象を連れてきます」
職員の声で、スザクは端末から顔を上げた。
今日、次の教育段階へ送る子供たちを決める。
それが指導者候補としての最初の正式な判断だった。
◇
子供たちは一列に並んでいた。
年齢は同じでも、身長も体格も違う。
顔に不安を出している者はいない。
不安を表情へ出すことが有利ではないと、すでに学んでいる。
スザクの前には、一枚の書類が置かれた。
次段階へ進ませる者。
現在の課程へ残す者。
別の教育調整へ送る者。
各項目には数値と評価が並び、推奨される判断まで表示されている。
署名すれば、その日のうちに移送が始まる。
「質問を許可します」
スザクが言うと、列の中の一人が手を上げた。
小柄な子供だった。
「何を選べば、正解ですか」
誰を選ぶかではなかった。
自分がどのように振る舞えば、選ばれるのか。
どの答えを出せば、生き残れるのか。
何を望めば、間違いにならないのか。
その問いだった。
スザクは答えようとした。
最も生存率の高い選択。
最も損失の少ない道。
この施設から逃れるために、今は評価を上げ、次段階へ進むべき者。
残る方が監視を避けやすい者。
自分が全員分を計算し、適切な位置へ置けばいい。
失敗した時の責任も、自分が負う。
だが、それでは何も変わらない。
子供たちの代わりに正解を決め、その選択肢を奪い、最適な役割へ押し込む。
ホワイトルームと同じだった。
目的が救済へ変わっただけで、スザクは再び他人の人生を管理しようとしている。
そして最後には、自分一人を代価として消す。
二つの人生を経ても、また同じ選択をしようとしている。
「指導者候補。署名を」
職員が促す。
スザクはペンを持っていた。
書類の下部には、枢木スザクという名前を記す欄がある。
名前を書けば、その瞬間から子供たちの進路が決まる。
スザクはペンを置いた。
「署名しません」
職員が表情を変える。
「理由を説明しろ」
「今日の選抜を中止します」
「お前に制度そのものを変更する権限はない」
「ありません」
スザクは端末へ手を伸ばす。
「だから、僕に与えられた範囲だけを使います」
指導者候補として発行された認証情報を入力する。
選抜区画。
待機室。
移送前通路。
管理権限を持つ者が、緊急避難と再確認のために使用できる一時解錠。
画面へ警告が表示される。
開放後、上位権限によって再封鎖されるまでの時間は長くない。
施設全体は壊せない。
監視も止められない。
外へ出た先が安全だという保証もない。
ここへ残れば守られる保証もない。
それでも、今この場で、子供たちの進路が署名一つで決められることだけは止められる。
認証を完了する。
重い扉の奥から、解錠音が響いた。
「何をしている!」
「選ぶ時間を作っています」
「誰に許可された」
「与えられた管理権限の範囲です」
「選択させる必要はない。最適な配置はこちらが決定する」
「それでは、僕がここにいる意味もありません」
廊下の先で警報が鳴り始める。
子供たちは動かなかった。
扉は開いている。
だが、出ろという命令はない。
残れという命令もない。
先ほど質問した子供が、再びスザクを見る。
「どこへ行けばいいんですか」
別の子供も尋ねた。
「何を選べば、正しいんですか」
答えは考えられる。
出口までの最短経路。
警備の薄い場所。
追跡を避けられる可能性。
ここへ残り、次の機会を待つ利点。
だが、それらを正解として与えれば、子供たちはまた、誰かの答えを選ぶだけになる。
スザクは口を開きかけ、止めた。
「正しい答えは、分からない」
子供たちの目が僅かに揺れる。
ホワイトルームで、指導する側が「分からない」と答えることはない。
「ただ、分かっていることは伝える。この先にも施錠区画と警備がある。扉が開いている時間も長くない。ここに残ったとしても、安全が保証されるわけじゃない」
それは答えではない。
選ぶための材料だった。
「僕も、これから決めるところなんだ」
「僕たちに決めろということですか」
「君たちの代わりには決めない」
「間違えたら?」
「間違えるかもしれない」
「外へ出たら、失敗するかもしれない」
「そうだね」
「ここに残っても?」
「安全だとは言えない」
正解を与えない言葉は、残酷だった。
命令に従えば結果の責任を命令した者へ預けられる。
自分で選べば、その結果は自分へ返ってくる。
それでも、選ぶ権利を奪ったまま救うことはできない。
「僕は外へ出る」
スザクはそれだけを告げた。
「一緒に来いとは言わない。ここへ残れとも言わない」
誰も動かない。
開いた扉の向こうから、白い廊下の光が差し込んでいる。
その先に自由があるとは限らない。
別の施錠区画と、警備と、追跡が待っているかもしれない。
それでも、扉が閉じている時には存在しなかった選択肢だった。
「枢木スザク」
上層責任者の声が、廊下のスピーカーから響いた。
「直ちに操作を停止し、指導者区画へ戻れ」
スザクは端末から手を離した。
「拒否します」
「お前は当施設の教育によって作られた。能力も判断も、与えられた役割のために存在する」
別の人生では、騎士だった。
ナイトオブゼロだった。
ゼロだった。
誰かの願いを守るため、自分の名前を捨てた。
この人生では、最高傑作と評価され、次世代の指導者へ変えられようとしている。
「役割を拒否して、何になるつもりだ」
スザクは開いた扉を見る。
外へ出た後、どこへ行くかは決めていない。
施設を壊す方法もない。
子供たちを全員救う計画も完成していない。
追跡される。
失敗するかもしれない。
かつての友人たちへ会える保証もない。
端末は回収され、卒業の日に届いた「また集まろう」というメッセージへ、まだ返事もしていない。
それでも、今度は自分を未来から除外しない。
世界を変えるための代価でも、誰かの願いを背負う仮面でもなく。
「枢木スザクだ」
自分の名前を選ぶ。
スザクは、開いた扉の先へ足を踏み出した。
背後で、誰かの足が僅かに動く音がした。
振り返らなかった。
それが外へ向かう一歩なのか、残るための一歩なのか、スザクが決めることではない。
施設はまだ存在している。
追跡も、抵抗も、これから始まる。
何を変えられるのかも、どこまで生きられるのかも分からない。
だからこそ、これは答えではない。
ゼロから、その先へ進むための。
自分自身を数えた、最初の一歩だった。
FIRST