無差別の技師 〜魔獣に奪われた身体を造り直す〜 作:羊毛ローブ
「嫌に静かね」
ルアンナが、揺れる梢を見上げた。
風は吹いている。
葉擦れの音も、枝が軋む音も聞こえる。
それなのに、森そのものが息を潜めていた。
鳥は鳴かず、小動物が茂みを駆け抜ける気配もない。
この森に多数生息しているはずのブレイドライガーも、鳴き声どころか、硬い体毛が幹へ擦れる音さえ立てていなかった。
「確かにな」
ミラが示す方向へ先頭を進んでいたアンガードが、足を止める。
柔らかな土の上へ視線を走らせた後、近くの木の根元へ屈み込んだ。
「古い足跡しかない。ここ数日は通ってないな」
生息地へ入ってから、既にかなりの距離を進んでいる。
だが、新しい足跡も、折れた枝も、排泄物も見つかっていない。
つい先日まで群れが暮らしていた場所とは思えなかった。
「二日前くらいから、全然いなくなったの」
アンガードの後ろを歩いていたミラが答えた。
「メタルライガーを見た翌日からですか?」
クリスが尋ねると、ミラは頷く。
「うん。それまでは、森の中でよく見かけたよ」
「考えられるのは二つだな」
アンガードは立ち上がり、木の幹に残された古い爪痕へ指を添えた。
「メタルライガーが現れたことで、ほかの個体が縄張りから逃げ出したか。もしくは――」
それ以外の何かが、ブレイドライガーを森から消した。
アンガードが言葉を切った時、ミラが大きな岩を指差した。
「ここだよ」
幾重にも重なった岩の表面へ、真新しい傷が刻まれている。
刃物を強引に擦りつけたような、深く長い傷だった。
「ミラ様がメタルライガーを見たのは、この辺りなのですね?」
「うん。あの岩の向こうを歩いてた」
「分かりました」
クリスは周囲を見回した後、静かに目を閉じた。
「ルーフェ。この周辺を探ってください」
クリスの周囲に、青い炎が灯る。
炎は翼を広げるように揺らめき、ブルーフェニックス《ルーフェ》の姿を形作った。
『任せな』
ルーフェが翼を大きく広げる。
羽ばたきとともに放たれた青い火の粉が、木々の間を縫うように森の奥へ散っていった。
しばらくして、ルーフェが片方の目を開く。
『この辺りにいたのは間違いねえ。それに、今も半径一キロ以内にいる』
「位置まで特定できますか?」
『できる。少し待て』
「お願いします」
再び、青い火の粉が放たれる。
その直後、ルアンナが僅かに鼻を動かした。
「血の匂いがするわ」
「俺にも分かる。こっちだ」
アンガードは腰の短剣へ手を添えながら、重なった岩の裏側へ回った。
そこで四人が目にしたのは、地面へ折り重なるように倒れた五頭のブレイドライガーだった。
「ブレイドライガーの死骸……」
クリスがミラを背後へ庇いながら、周囲を見回す。
五頭とも、死んでからそれほど時間は経過していない。
腐敗臭よりも、乾ききっていない血の臭いの方が強かった。
地面には激しく争った痕跡が残り、周囲の岩や木々には、爪で抉られた傷が無数に刻まれている。
五頭は、一つの地点を囲むように倒れていた。
群れで何者かへ襲いかかり、そのまま返り討ちにされたのだろう。
「メタルライガーに殺されたのかしら?」
「いや」
アンガードは一頭の傍らへ膝をついた。
首元の傷を指で開き、その深さと角度を確かめる。
傷は細く、硬い体毛の僅かな隙間だけを正確に貫いていた。
「細身の刃物だ。魔獣の爪や牙じゃない」
続いて、口元へ手を伸ばす。
「それに、こいつは牙を抜かれてる」
別の個体は、背中を覆う刃状の体毛の一部を、根元から切り取られていた。
傷口に無駄な裂けや潰れはない。
使える部位だけを見極め、手際よく回収している。
「素材を取った後、死骸はそのままにしていったみたいだな」
「魔獣の行う処理ではありませんね」
「ああ。こいつらを倒したのは人間だ」
アンガードはブレイドライガーの頭部を持ち上げた。
左耳は切り取られず、そのまま残っている。
残りの四頭も同じだった。
「しかも、討伐依頼を受けていたわけじゃない」
「どうして分かるの?」
ミラがクリスの背後から覗き込む。
「ブレイドライガーの討伐証明は左耳だ」
アンガードが答えた。
「依頼で倒したなら、牙や体毛より先に持っていく。それが五頭とも残ってる」
「依頼とは無関係に襲われ、返り討ちにした後、必要な素材だけを持ち去ったということですね」
「恐らくな」
クリスが、死骸の傷を順番に確認する。
喉元。
前脚の付け根。
硬い体毛に覆われていない腹部。
どの傷も急所へ正確に届いていた。
「五頭を相手にして、攻撃を受けた形跡がありません」
「人間の血も落ちてないわ」
ルアンナが、荒れた地面を見渡す。
「囲まれても、ほとんど傷を負わずに仕留めたみたいね」
「少なくとも、偶然通りかかった旅人じゃないな」
アンガードは細い刺創へ、もう一度目を落とした。
「魔獣との戦いに慣れてる。それも、かなり――」
『見つけたぞ』
周囲へ広がっていた青い火の粉が、次々とルーフェの身体へ戻ってきた。
『クリスから見て右へ三十五度。二百六十メートルほど先だ』
「動いていますか?」
『いや、止まってる』
ルーフェが右側の森を睨む。
『じっとこっちを窺ってやがる。向こうも、もう俺たちの存在に気づいてるぞ』
「分かりました。ご苦労さまです」
『気をつけろよ。普通のブレイドライガーとは、気配の重さがまるで違う』
ルーフェが青い炎へ姿を変え、クリスの中へ戻る。
直後、森の奥から低い唸り声が響いた。
獣の声に混じり、硬い刃同士を擦り合わせるような、不快な音が聞こえる。
アンガードが立ち上がった。
「ミラ」
「うん」
「クリスの傍から離れるなよ」
「分かった」
クリスがミラの前へ立ち、音の聞こえた方向へ身体を向ける。
「では、私が支援を――」
「必要になったら頼む」
アンガードが答えた。
「それなら、私がやるわ」
ルアンナがアンガードの横へ並ぶ。
だが、アンガードは首を横に振った。
「いや。今回は俺が出る」
「どうして?」
「お前だと、やり過ぎるからな」
「私だって加減くらいできるわよ」
「牙と後脚の筋繊維を、使える状態で確保したい」
アンガードはルアンナの脚へ視線を落とした。
「それに、今のMAPへ余計な負荷をかけるな」
「もう修理したでしょう?」
「見た目を整えただけだ」
アンガードは即座に言い返した。
「右脚の筋繊維は、束ごと何本も裂けてる。左脚の結合芯も片側だけ削れてる。あの出力でもう一度踏み込めば、帰りは俺がお前を担ぐことになるぞ」
ルアンナが自分の脚へ目を落とす。
外皮の上からは、傷一つ見えない。
だが、その内側にある損傷を、製作者であるアンガードは正確に把握していた。
「……それは遠慮したいわね」
「なら、大人しく見てろ」
「分かったわ」
ルアンナは一歩下がった後、アンガードの背中へ声を投げる。
「危なくなったら助けるから、遠慮なく言いなさい」
「ああ」
金属の擦れる音が、急速に近づいてくる。
木々の隙間へ、黒銀色の影が現れた。
「お出ましか」
姿を現した魔獣は、ブレイドライガーよりも一回り以上大きかった。
全身を覆う体毛は、もはや毛と呼べるものではない。
一本一本が刃物のように硬質化し、差し込む光を鈍い銀色に反射している。
身体を動かすたびに無数の刃が擦れ合い、甲高い金属音を鳴らした。
前脚の爪が地面へ食い込み、硬く締まった土を容易に抉る。
口元から覗く二本の牙も、通常個体とは比べ物にならないほど太く、鋭い。
メタルライガー。
ブレイドライガーから、ごく稀に生まれる突然変異個体。
ルアンナの新しいMAPを造るために必要な、最後の素材だった。
メタルライガーの眼が、アンガードを捉える。
後脚が僅かに沈んだ。
「来るぞ」
地面が爆ぜる。
次の瞬間、メタルライガーはアンガードの目前まで迫っていた。
「速い――」
クリスが声を上げる。
振り抜かれた前脚を、アンガードは上体を僅かに傾けるだけでかわした。
爪が長袖の表面を掠め、そのまま背後の木を深く切り裂く。
メタルライガーは着地と同時に身体を捻った。
黒銀色の体毛が周囲の枝を斬り落とし、間を置かずにアンガードへ飛びかかる。
アンガードは退かなかった。
迫る大口へ向け、自ら左腕を差し出す。
「アンガード!」
ルアンナの声と、獣の牙が閉じる音が重なった。
ガギィン――と。
肉を噛み砕いたものとは思えない硬質な音が、森の奥まで響き渡る。
メタルライガーの牙が、アンガードの左腕を上下から挟み込んでいた。
だが、血は一滴も流れていない。
牙に引き裂かれた長袖の下から現れたのは、人間の皮膚ではなかった。
黒銀色の金属骨格。
剥き出しの関節。
大小の部品が精密に噛み合い、人間の腕と同じ形を作り出している。
ルアンナの四肢とは異なり、その腕には生身へ似せるための外皮が存在しない。
メタルライガーが、さらに顎へ力を込める。
牙の位置も、食い込もうとする圧力も、左肩の受容基部を通じてアンガードへ伝わっていた。
それでも、痛みはない。
鋼さえ噛み砕く牙が、黒銀色の表面を滑る。
耳障りな音が鳴るだけで、星鉄製の左腕には、僅かな傷さえ刻まれなかった。
「……流石
クリスが目を見開く。
アンガードは、自分の腕へ噛みついた獣を見下ろした。
「俺の左腕は、うまいか?」
左手の指が動く。
アンガードは口内で下顎の奥を掴み、メタルライガーが自ら口を開けられないように固定した。
獣が激しく身を捩る。
振るわれた前脚がアンガードの胸元を狙う。
アンガードは半歩だけ内側へ入り、その一撃を肩口でかわした。
同時に腰を落とし、メタルライガーが突進してきた勢いを、噛みつかれた左腕を支点にして横へ流す。
巨体が地面から浮き上がった。
アンガードは身体を捻り、そのままメタルライガーを背中から地面へ叩きつける。
轟音とともに土が爆ぜ、周囲の木々が大きく震えた。
それでも、メタルライガーは倒れない。
口を強引に開いて左腕を解放すると、地面を転がりながら距離を取った。
すぐさま四肢を立て、低い姿勢でアンガードを睨み返す。
アンガードは左腕へ目を落とした。
傷はない。
続いて、メタルライガーの口元を見る。
二本の牙にも、欠けや亀裂は生じていなかった。
「欠けてない。使えるな」
メタルライガーが唸り声を上げる。
後脚へ力が集まり、太い筋繊維が皮膚の下で隆起した。
爪の食い込んだ地面へ、放射状の亀裂が走る。
新作MAPに必要なのは、あの牙と後脚だ。
頭部も、後肢も、無闇に傷つけることはできない。
狙うべき場所を間違えれば、ここまで来た意味がなくなる。
メタルライガーが地面を蹴った。
アンガードも正面から踏み込む。
「牙も後脚も――」
黒銀色の爪が振り下ろされる。
「使える形で貰うぞ」
金属の爪と星鉄の左腕が、森を裂く音を立てて激突した。