無差別の技師 〜魔獣に奪われた身体を造り直す〜   作:羊毛ローブ

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10話『星鉄の腕』

 

「嫌に静かね」

 

 ルアンナが、揺れる梢を見上げた。

 

 風は吹いている。

 

 葉擦れの音も、枝が軋む音も聞こえる。

 

 それなのに、森そのものが息を潜めていた。

 

 鳥は鳴かず、小動物が茂みを駆け抜ける気配もない。

 

 この森に多数生息しているはずのブレイドライガーも、鳴き声どころか、硬い体毛が幹へ擦れる音さえ立てていなかった。

 

「確かにな」

 

 ミラが示す方向へ先頭を進んでいたアンガードが、足を止める。

 

 柔らかな土の上へ視線を走らせた後、近くの木の根元へ屈み込んだ。

 

「古い足跡しかない。ここ数日は通ってないな」

 

 生息地へ入ってから、既にかなりの距離を進んでいる。

 

 だが、新しい足跡も、折れた枝も、排泄物も見つかっていない。

 

 つい先日まで群れが暮らしていた場所とは思えなかった。

 

「二日前くらいから、全然いなくなったの」

 

 アンガードの後ろを歩いていたミラが答えた。

 

「メタルライガーを見た翌日からですか?」

 

 クリスが尋ねると、ミラは頷く。

 

「うん。それまでは、森の中でよく見かけたよ」

 

「考えられるのは二つだな」

 

 アンガードは立ち上がり、木の幹に残された古い爪痕へ指を添えた。

 

「メタルライガーが現れたことで、ほかの個体が縄張りから逃げ出したか。もしくは――」

 

 それ以外の何かが、ブレイドライガーを森から消した。

 

 アンガードが言葉を切った時、ミラが大きな岩を指差した。

 

「ここだよ」

 

 幾重にも重なった岩の表面へ、真新しい傷が刻まれている。

 

 刃物を強引に擦りつけたような、深く長い傷だった。

 

「ミラ様がメタルライガーを見たのは、この辺りなのですね?」

 

「うん。あの岩の向こうを歩いてた」

 

「分かりました」

 

 クリスは周囲を見回した後、静かに目を閉じた。

 

「ルーフェ。この周辺を探ってください」

 

 クリスの周囲に、青い炎が灯る。

 

 炎は翼を広げるように揺らめき、ブルーフェニックス《ルーフェ》の姿を形作った。

 

『任せな』

 

 ルーフェが翼を大きく広げる。

 

 羽ばたきとともに放たれた青い火の粉が、木々の間を縫うように森の奥へ散っていった。

 

 しばらくして、ルーフェが片方の目を開く。

 

『この辺りにいたのは間違いねえ。それに、今も半径一キロ以内にいる』

 

「位置まで特定できますか?」

 

『できる。少し待て』

 

「お願いします」

 

 再び、青い火の粉が放たれる。

 

 その直後、ルアンナが僅かに鼻を動かした。

 

「血の匂いがするわ」

 

「俺にも分かる。こっちだ」

 

 アンガードは腰の短剣へ手を添えながら、重なった岩の裏側へ回った。

 

 そこで四人が目にしたのは、地面へ折り重なるように倒れた五頭のブレイドライガーだった。

 

「ブレイドライガーの死骸……」

 

 クリスがミラを背後へ庇いながら、周囲を見回す。

 

 五頭とも、死んでからそれほど時間は経過していない。

 

 腐敗臭よりも、乾ききっていない血の臭いの方が強かった。

 

 地面には激しく争った痕跡が残り、周囲の岩や木々には、爪で抉られた傷が無数に刻まれている。

 

 五頭は、一つの地点を囲むように倒れていた。

 

 群れで何者かへ襲いかかり、そのまま返り討ちにされたのだろう。

 

「メタルライガーに殺されたのかしら?」

 

「いや」

 

 アンガードは一頭の傍らへ膝をついた。

 

 首元の傷を指で開き、その深さと角度を確かめる。

 

 傷は細く、硬い体毛の僅かな隙間だけを正確に貫いていた。

 

「細身の刃物だ。魔獣の爪や牙じゃない」

 

 続いて、口元へ手を伸ばす。

 

「それに、こいつは牙を抜かれてる」

 

 別の個体は、背中を覆う刃状の体毛の一部を、根元から切り取られていた。

 

 傷口に無駄な裂けや潰れはない。

 

 使える部位だけを見極め、手際よく回収している。

 

「素材を取った後、死骸はそのままにしていったみたいだな」

 

「魔獣の行う処理ではありませんね」

 

「ああ。こいつらを倒したのは人間だ」

 

 アンガードはブレイドライガーの頭部を持ち上げた。

 

 左耳は切り取られず、そのまま残っている。

 

 残りの四頭も同じだった。

 

「しかも、討伐依頼を受けていたわけじゃない」

 

「どうして分かるの?」

 

 ミラがクリスの背後から覗き込む。

 

「ブレイドライガーの討伐証明は左耳だ」

 

 アンガードが答えた。

 

「依頼で倒したなら、牙や体毛より先に持っていく。それが五頭とも残ってる」

 

「依頼とは無関係に襲われ、返り討ちにした後、必要な素材だけを持ち去ったということですね」

 

「恐らくな」

 

 クリスが、死骸の傷を順番に確認する。

 

 喉元。

 

 前脚の付け根。

 

 硬い体毛に覆われていない腹部。

 

 どの傷も急所へ正確に届いていた。

 

「五頭を相手にして、攻撃を受けた形跡がありません」

 

「人間の血も落ちてないわ」

 

 ルアンナが、荒れた地面を見渡す。

 

「囲まれても、ほとんど傷を負わずに仕留めたみたいね」

 

「少なくとも、偶然通りかかった旅人じゃないな」

 

 アンガードは細い刺創へ、もう一度目を落とした。

 

「魔獣との戦いに慣れてる。それも、かなり――」

 

『見つけたぞ』

 

 周囲へ広がっていた青い火の粉が、次々とルーフェの身体へ戻ってきた。

 

『クリスから見て右へ三十五度。二百六十メートルほど先だ』

 

「動いていますか?」

 

『いや、止まってる』

 

 ルーフェが右側の森を睨む。

 

『じっとこっちを窺ってやがる。向こうも、もう俺たちの存在に気づいてるぞ』

 

「分かりました。ご苦労さまです」

 

『気をつけろよ。普通のブレイドライガーとは、気配の重さがまるで違う』

 

 ルーフェが青い炎へ姿を変え、クリスの中へ戻る。

 

 直後、森の奥から低い唸り声が響いた。

 

 獣の声に混じり、硬い刃同士を擦り合わせるような、不快な音が聞こえる。

 

 アンガードが立ち上がった。

 

「ミラ」

 

「うん」

 

「クリスの傍から離れるなよ」

 

「分かった」

 

 クリスがミラの前へ立ち、音の聞こえた方向へ身体を向ける。

 

「では、私が支援を――」

 

「必要になったら頼む」

 

 アンガードが答えた。

 

「それなら、私がやるわ」

 

 ルアンナがアンガードの横へ並ぶ。

 

 だが、アンガードは首を横に振った。

 

「いや。今回は俺が出る」

 

「どうして?」

 

「お前だと、やり過ぎるからな」

 

「私だって加減くらいできるわよ」

 

「牙と後脚の筋繊維を、使える状態で確保したい」

 

 アンガードはルアンナの脚へ視線を落とした。

 

「それに、今のMAPへ余計な負荷をかけるな」

 

「もう修理したでしょう?」

 

「見た目を整えただけだ」

 

 アンガードは即座に言い返した。

 

「右脚の筋繊維は、束ごと何本も裂けてる。左脚の結合芯も片側だけ削れてる。あの出力でもう一度踏み込めば、帰りは俺がお前を担ぐことになるぞ」

 

 ルアンナが自分の脚へ目を落とす。

 

 外皮の上からは、傷一つ見えない。

 

 だが、その内側にある損傷を、製作者であるアンガードは正確に把握していた。

 

「……それは遠慮したいわね」

 

「なら、大人しく見てろ」

 

「分かったわ」

 

 ルアンナは一歩下がった後、アンガードの背中へ声を投げる。

 

「危なくなったら助けるから、遠慮なく言いなさい」

 

「ああ」

 

 金属の擦れる音が、急速に近づいてくる。

 

 木々の隙間へ、黒銀色の影が現れた。

 

「お出ましか」

 

 姿を現した魔獣は、ブレイドライガーよりも一回り以上大きかった。

 

 全身を覆う体毛は、もはや毛と呼べるものではない。

 

 一本一本が刃物のように硬質化し、差し込む光を鈍い銀色に反射している。

 

 身体を動かすたびに無数の刃が擦れ合い、甲高い金属音を鳴らした。

 

 前脚の爪が地面へ食い込み、硬く締まった土を容易に抉る。

 

 口元から覗く二本の牙も、通常個体とは比べ物にならないほど太く、鋭い。

 

 メタルライガー。

 

 ブレイドライガーから、ごく稀に生まれる突然変異個体。

 

 ルアンナの新しいMAPを造るために必要な、最後の素材だった。

 

 メタルライガーの眼が、アンガードを捉える。

 

 後脚が僅かに沈んだ。

 

「来るぞ」

 

 地面が爆ぜる。

 

 次の瞬間、メタルライガーはアンガードの目前まで迫っていた。

 

「速い――」

 

 クリスが声を上げる。

 

 振り抜かれた前脚を、アンガードは上体を僅かに傾けるだけでかわした。

 

 爪が長袖の表面を掠め、そのまま背後の木を深く切り裂く。

 

 メタルライガーは着地と同時に身体を捻った。

 

 黒銀色の体毛が周囲の枝を斬り落とし、間を置かずにアンガードへ飛びかかる。

 

 アンガードは退かなかった。

 

 迫る大口へ向け、自ら左腕を差し出す。

 

「アンガード!」

 

 ルアンナの声と、獣の牙が閉じる音が重なった。

 

 ガギィン――と。

 

 肉を噛み砕いたものとは思えない硬質な音が、森の奥まで響き渡る。

 

 メタルライガーの牙が、アンガードの左腕を上下から挟み込んでいた。

 

 だが、血は一滴も流れていない。

 

 牙に引き裂かれた長袖の下から現れたのは、人間の皮膚ではなかった。

 

 黒銀色の金属骨格。

 

 剥き出しの関節。

 

 大小の部品が精密に噛み合い、人間の腕と同じ形を作り出している。

 

 ルアンナの四肢とは異なり、その腕には生身へ似せるための外皮が存在しない。

 

 メタルライガーが、さらに顎へ力を込める。

 

 牙の位置も、食い込もうとする圧力も、左肩の受容基部を通じてアンガードへ伝わっていた。

 

 それでも、痛みはない。

 

 鋼さえ噛み砕く牙が、黒銀色の表面を滑る。

 

 耳障りな音が鳴るだけで、星鉄製の左腕には、僅かな傷さえ刻まれなかった。

 

「……流石星鉄(フェルム・アストルム)

 

 クリスが目を見開く。

 

 アンガードは、自分の腕へ噛みついた獣を見下ろした。

 

「俺の左腕は、うまいか?」

 

 左手の指が動く。

 

 アンガードは口内で下顎の奥を掴み、メタルライガーが自ら口を開けられないように固定した。

 

 獣が激しく身を捩る。

 

 振るわれた前脚がアンガードの胸元を狙う。

 

 アンガードは半歩だけ内側へ入り、その一撃を肩口でかわした。

 

 同時に腰を落とし、メタルライガーが突進してきた勢いを、噛みつかれた左腕を支点にして横へ流す。

 

 巨体が地面から浮き上がった。

 

 アンガードは身体を捻り、そのままメタルライガーを背中から地面へ叩きつける。

 

 轟音とともに土が爆ぜ、周囲の木々が大きく震えた。

 

 それでも、メタルライガーは倒れない。

 

 口を強引に開いて左腕を解放すると、地面を転がりながら距離を取った。

 

 すぐさま四肢を立て、低い姿勢でアンガードを睨み返す。

 

 アンガードは左腕へ目を落とした。

 

 傷はない。

 

 続いて、メタルライガーの口元を見る。

 

 二本の牙にも、欠けや亀裂は生じていなかった。

 

「欠けてない。使えるな」

 

 メタルライガーが唸り声を上げる。

 

 後脚へ力が集まり、太い筋繊維が皮膚の下で隆起した。

 

 爪の食い込んだ地面へ、放射状の亀裂が走る。

 

 新作MAPに必要なのは、あの牙と後脚だ。

 

 頭部も、後肢も、無闇に傷つけることはできない。

 

 狙うべき場所を間違えれば、ここまで来た意味がなくなる。

 

 メタルライガーが地面を蹴った。

 

 アンガードも正面から踏み込む。

 

「牙も後脚も――」

 

 黒銀色の爪が振り下ろされる。

 

「使える形で貰うぞ」

 

 金属の爪と星鉄の左腕が、森を裂く音を立てて激突した。

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