無差別の技師 〜魔獣に奪われた身体を造り直す〜 作:羊毛ローブ
MAP技師
正式には、
失われた身体を、生身とほとんど変わらない姿と機能で造り直す技術者。
その技術は、およそ三百年前、一人の森人の女性によって生み出されたと伝えられている。
以来、数え切れないほどの技術者たちが研究を重ね、七つの系統へと分かれた技術を発展させてきた。
しかし、その全てを修め、MAP技師の名を許された者が現れたのは、長い歴史の中でもここ数十年に限られる。
現在、その名を持つ者は、わずか七名。
彼らには、技術と思想の在り方を示す、固有の技師名が与えられている。
アンガード・インディスクレータは、《
エルヴィス・アルテリアは、《
カーナ・クティスは、《
その七名の中でも、世間に最も広く名を知られているMAP技師が、エルヴィスだった。
彼が掲げる思想は、単純である。
誰にでも扱えるものを、誰にでも届く形で造る。
一人の装着者に合わせて全てを造り込むのではなく、部品の規格を揃え、必要に応じて組み替えられる構造を採用する。
同じ部品を複数のMAPへ流用できるため、製造に必要な時間と費用も抑えられる。
完全な専用品には及ばない。
それでも、生身と同じように歩き、物を掴み、日常を送るには充分な性能を備えている。
エルヴィスのMAPによって身体を取り戻した者は、他の技師が手掛けた数とは比較にならないほど多い。
腰近くまで伸びた黒髪。
その毛先には、隠れるように金色が混じっている。
細身ではあるが、身体は無駄なく鍛えられていた。
そして、相手の内側まで見透かすかのような蒼い瞳。
エルヴィス・アルテリア。
アンガードと同じ師の下で技術を学んだ、五番目の弟子だった。
◯
「やっぱり、兄さんだったか」
アンガードが、投げナイフを手にした男を見上げる。
「久しいな、アンガード。以前会ったのは――」
言葉の途中で、エルヴィスが森の奥へ顔を向けた。
「どうやら、再会を喜んでいる暇はなさそうであるな」
遅れて、アンガードたちの耳にも音が届く。
枝が折れる音。
硬いものが木の幹を擦る音。
そして、地面を蹴る無数の足音。
先ほど逃げてきた群れよりも多い。
「まだいるのか?」
「先ほどの個体で最後ではない。数が多かったため、いくつかの群れに分かれたようである」
エルヴィスは投げナイフに付着していた血を払い、指の間で回した。
「もっとも、こちらへ逃げてくるとは思っていなかったが」
「私たちがいると分かって、進路を変えたんじゃない?」
ルアンナが腰を落とす。
直後、木々の隙間から一頭のブレイドライガーが飛び出した。
続けて、二頭、三頭。
硬質な体毛が枝を切り落とし、刃物同士を擦り合わせるような音を鳴らす。
現れたのは、十頭を超える群れだった。
「ミラ、下がってろ」
「うん」
ミラがクリスの背後へ入る。
「ルーフェ」
『分かってる』
クリスの周囲に青い炎が灯り、翼の形となって左右へ広がった。
エルヴィスも両手に投げナイフを構える。
「私が追っていた群れだ。こちらで処理しよう」
「一人で全部やるつもりか?」
「問題はない」
エルヴィスの手から、三本の投げナイフが放たれた。
木々の隙間を縫い、互いに異なる軌道を描いて飛ぶ。
一頭目の眼窩。
二頭目の喉。
三頭目の口内。
三本の刃が、ほぼ同時に急所へ突き刺さった。
三頭のブレイドライガーが勢いを失い、地面を滑りながら倒れる。
後続の群れが、その死骸を避けるように左右へ分かれた。
「回り込みます!」
クリスが声を上げる。
アンガードは右側へ走り、ルアンナは左から回り込もうとする群れの前へ出た。
「ルアンナ、無理に力を出すなよ!」
「分かっているわ!」
返事をしながら、ルアンナは迫る前脚を半歩横へ動いてかわす。
擦れ違いざまに、ブレイドライガーの胴体へ左の掌を触れさせた。
「《
力を込めたようには見えなかった。
次の瞬間、ブレイドライガーの体内で衝撃が弾ける。
巨体が横向きに吹き飛び、後ろから迫っていた二頭を巻き込んで地面へ転がった。
さらに一頭が、倒れた仲間を飛び越えてルアンナへ襲いかかる。
ルアンナは左足を軸に身体を回転させ、右脚を振り上げた。
顎を蹴り抜かれたブレイドライガーが宙で一回転し、背中から地面へ叩きつけられる。
「やはり、随分と動きが鈍いな」
投げナイフを放ちながら、エルヴィスが呟いた。
「以前、一度だけ本気に近い動きを見たことがあるが、今とはまるで別人であった」
「本人の問題じゃない」
アンガードはブレイドライガーの爪を左腕で受け止め、その前脚を押し返した。
「見れば分かる。MAPが本来の出力を抑えているのであろう」
エルヴィスは、一目見ただけでルアンナの状態を見抜いていた。
その間にも新たな投げナイフが放たれ、アンガードへ飛びかかろうとしていた一頭の喉を射抜く。
アンガードは別の一頭の前脚を掴むと、身体を捻り、その巨体を地面へ叩きつけた。
残る個体は四頭。
そのうち二頭が、正面で戦う三人から大きく離れた。
一頭はクリスへ。
もう一頭は、その背後にいるミラへ。
「そっちは――」
アンガードが声を上げる。
クリスも狙いに気づき、青い炎を展開した。
だが、その瞬間、横から飛びかかった一頭が、炎を突き破るように前脚を振り下ろした。
「くっ……!」
クリスが炎を集中させ、その一撃を受け止める。
もう一頭がミラへ向かっていることには気づいていた。
それでも、目の前の個体を止めなければ、自分だけでなく、その背後にいるミラまで同時に襲われる。
『こっちは俺が止める!』
ルーフェの翼がクリスとブレイドライガーの間へ割り込み、青い炎が獣の全身を包んだ。
しかし、ミラへ向かった個体は止まらない。
アンガードとエルヴィスも、それぞれ別の個体に進路を阻まれていた。
間に合わない。
「ミラ!」
ルアンナが左足を踏み込んだ。
左脚のMAP内部で、筋繊維が軋む。
アンガードから無理をするなと言われたばかりだった。
現在のMAPは、ルアンナの身体能力に耐えられない。
安全制御が、送られた信号を抑えようとする。
それでは届かない。
ルアンナは制御を押し切り、さらに強い信号を送り込んだ。
左足の下で地面が陥没する。
ルアンナの姿が、その場から消えた。
次の瞬間には、ミラとブレイドライガーの間へ立っている。
「触らせないわ」
振り下ろされた前脚を右腕で外側へ受け流す。
同時に左足を深く踏み込み、腰を落とした。
加速に耐え切れなかった左脚の内部で、筋繊維の一部が断裂する。
それでも、ルアンナは止まらない。
左の掌を、ブレイドライガーの胸部へ押し当てた。
《直撃》でも傷は負わせられる。
だが、勢いを殺し切れなければ、その爪がミラへ届く。
確実に、ここで止める。
ルアンナは衝撃を一点へ集め、相手の内側へ送り込んだ。
反動を受け止めるため、踏み込んだ左脚へさらに負荷が集中する。
「《
腹の底へ響くような破裂音が鳴った。
凝縮された衝撃が硬質な体毛を通り抜け、ブレイドライガーの体内で炸裂する。
巨体が地面から浮き上がり、背後の木へ叩きつけられた。
太い幹に亀裂が走る。
ブレイドライガーはその場へ崩れ落ち、二度と動かなかった。
「ルアンナ!」
ミラは守られた。
だが、ルアンナはその場から動かなかった。
左足を地面へ着けたまま、僅かに身体を揺らしている。
「ルアンナ様?」
クリスが近づこうとした直後、左脚の内部から小さな破裂音が鳴った。
膝から下が、力を失ったように折れる。
「っ……」
ルアンナの身体が傾く。
アンガードが駆け寄り、倒れる前に肩を支えた。
「左脚か?」
「ええ。急に、動かなくなったわ」
「信号を送るな」
アンガードはルアンナを地面へ座らせると、すぐに左脚MAPの状態を確認した。
外皮に目立った損傷はない。
だが、膝下へ触れながら動作信号を確かめても、内部から返ってくるはずの反応が途中で途切れている。
「内部の筋繊維が断裂してる。骨格も少し歪んでるな」
「直せる?」
「工房へ戻ればな。だが、ここじゃ無理だ」
アンガードは受容基部へ触れ、異常が及んでいないことを確かめた。
「安全機構が動作を止めてくれた。これ以上信号を送らなければ、受容基部までは傷めずに済む」
「ごめんなさい」
「謝るな」
アンガードが周囲へ視線を向ける。
残っていたブレイドライガーは、既にエルヴィスとクリスによって仕留められていた。
「ミラを守るには、あれしかなかった」
「でも、言われたばかりだったのに」
「だからって、見捨てられるわけないだろ」
ミラがルアンナの傍へ駆け寄る。
「ルアンナお姉ちゃん、ごめんなさい。ミラのせいで……」
「ミラのせいじゃないわ」
ルアンナは少女の頭を撫でた。
「守りたいと思って、私が勝手に動いただけよ」
「いいえ」
僅かに震える声が、その言葉を遮った。
クリスがルアンナの前で膝をつく。
その顔は俯き、両手は強く握り締められていた。
「私の責任です」
「クリス?」
「ミラさんを守る役目は、私が引き受けていました」
クリスは顔を上げられないまま、言葉を続ける。
「それなのに、一頭を止めることしかできなかった。もう一頭がミラさんへ向かっていることにも気づいていながら、私は動けませんでした」
『クリス……』
ルーフェの声にも、いつもの強さはなかった。
『俺が、あいつをもっと早く止めていれば』
「ルーフェのせいではありません。判断したのは私です」
クリスは首を横へ振った。
「私が守り切れなかったから、ルアンナ様が無理をすることになった。そのせいで、MAPまで壊れてしまった」
握り締めた指先が、白くなる。
「申し訳ありません」
クリスは深く頭を下げた。
ルアンナは困ったように眉を下げ、その頭へ手を伸ばす。
「顔を上げて、クリス」
「ですが――」
「あなたは一頭を止めていたでしょう」
「それは、当然のことです」
「その当然をしてくれたから、私はミラのところへ行けたのよ」
クリスが、僅かに顔を上げる。
「あの一頭まで残っていたら、私はミラに追いつく前に足止めされていたかもしれない。そうなれば、今度こそ間に合わなかったわ」
「しかし、ルアンナ様のMAPは……」
「壊したのは私よ」
ルアンナは、自分の左脚へ目を落とした。
「使える出力を超えていると分かった上で、私が信号を送り込んだ。あなたが壊したわけじゃないわ」
「でも、私が守れていれば、使う必要はありませんでした」
「それを言い始めたら、きりがない」
アンガードが、左脚MAPを調べながら口を挟んだ。
「クリスがあの一頭を止めてなければ、ルアンナは二頭を相手にしながらミラを守ることになってた。俺も兄さんも、すぐには動けなかった」
アンガードは一度だけクリスへ目を向ける。
「お前が失敗したから壊れたんじゃない。全員が自分の前にいた敵を止めた。その上で、最後にルアンナが届いたんだ」
「……ですが」
「クリス」
ルアンナが、クリスの頬へ手を添えた。
俯いていた顔を、静かに持ち上げさせる。
「守り切れなかったんじゃないわ」
ルアンナは、不安そうに見つめているミラへ視線を移した。
「私たちで、この子を守ったのよ」
ミラがクリスの服の袖を掴む。
「クリスお姉ちゃんも、ミラを守ってくれたよ」
「ミラさん……」
「青い炎で、怖いのを止めてくれたもん」
クリスは何かを言おうとして、唇を僅かに動かした。
だが、言葉は出てこなかった。
代わりに、ミラの小さな手を両手で包み込む。
「……無事で、本当によかったです」
「うん」
ミラが頷く。
クリスは安堵したように目を伏せた。
それでも、ルアンナの壊れた左脚へ向けられる視線から、申し訳なさが完全に消えたわけではなかった。
ルアンナはそれ以上何も言わず、クリスの頭を一度だけ撫でる。
「しかし、これでは移動が難しいな」
エルヴィスが、倒れたブレイドライガーから投げナイフを回収しながら近づいてきた。
ルアンナの左脚を一目見ると、その場へ膝をつく。
「少し見せてもらっても?」
「ええ」
エルヴィスは外皮の上から骨格の歪みを確かめ、膝下の数か所へ順番に触れた。
「筋繊維の断裂に、内部骨格の変形。安全機構が動作を停止させ、損傷が受容基部へ及ぶのを防いだか」
「見ただけで分かるのか?」
「触れてもいる」
「そういう意味じゃねぇよ」
「お前の診断と同じだ。少なくとも、この場で応急処置を施し、再び動かせる状態ではない」
エルヴィスは立ち上がると、自分の左脚へ目を落とした。
「ルアンナ嬢の欠損は、左膝下からであるな」
「ああ」
「ならば、私のものを使うといい」
ルアンナが瞬きをする。
「あなたのもの?」
「脚部MAPだ」
エルヴィスは、当然のことを口にするように答えた。
「待ってちょうだい」
ルアンナの視線が、エルヴィスの左脚へ向けられる。
「それを私に貸したら、あなたの脚がなくなるでしょう?」
「心配は無用である」
エルヴィスは近くの岩へ腰を下ろした。
服を股関節近くまで捲り、左脚の付け根へ手を掛ける。
そこにあったのは、生身の皮膚ではない。
金属製の受容基部と、脚部MAPを固定する接続機構だった。
エルヴィスが固定具を一つずつ解除していく。
小さな金属音が続き、最後の留め具が外れた。
「アンガード。少し持っていてくれ」
「兄さん、それを外すなら先に言え」
「言ったであろう。私のものを使えと」
「そういう意味だとは思わないだろ」
エルヴィスが、自身の左脚部MAPを股関節から丸ごと外した。
股関節から爪先までを備えた、完全な左脚がアンガードへ渡される。
外見は簡素だった。
目立った装飾はなく、複雑な曲線も使われていない。
だが、部品の一つ一つが規則的に配置され、分解と交換を前提とした無駄のない構造をしていた。
「エルヴィス様……」
クリスが、左脚を失ったエルヴィスを見つめる。
ルアンナも言葉を失っていた。
エルヴィスは右脚だけで岩へ腰を下ろしたまま、一度深く息を吸った。
そして、ゆっくりと吐き出す。
「さて」
露出した左の股関節周辺が、僅かに脈打った。
次の瞬間、受容基部の内側から白い骨が伸び始める。
「え……?」
ミラが目を見開いた。
伸びていく骨へ、赤い筋繊維が糸を編むように絡みつく。
その隙間を血管と神経が走り、再生した肉の表面を新しい皮膚が覆っていった。
太腿。
膝。
脛。
足首。
そして、五本の指。
再生した組織が受容基部を内側から押し出し、固定されていた金属部品が次々と外れていく。
エルヴィスがもう一度息を吐いた時には、失われていたはずの左脚が完全に再生していた。
生まれたばかりの脚を地面へ下ろし、足首を軽く回す。
「これで問題ない」
それだけ言うと、エルヴィスは再生した脚への興味を失ったように、ルアンナの壊れたMAPへ視線を戻した。
「問題しかないように見えるのだけれど……」
ルアンナが呟く。
「エルヴィス兄さんは、
アンガードが説明する。
「吸血鬼族なら、脚がなくなっても生やせるの?」
ミラが尋ねた。
「再生自体は珍しくない。ただ、誰でも兄さんと同じ速さで再生できるわけじゃない。兄さんの再生能力が異常に高いんだ」
「異常とは失礼であるな」
「褒めてる」
「ならばよい」
ミラは再生した脚と、アンガードが抱えている脚部MAPを交互に見る。
「でも、生やせるなら、どうしてMAPを付けてたの?」
「試験のためだ」
エルヴィスは事もなげに答えた。
「自分で使ったこともないものを、誰にでも使えると称するほど、私は厚顔ではない」
「自分の脚を外して試すの?」
「装着時の違和感も、信号の遅れも、歩行中の僅かなずれも、実際に使うのが最も早く分かる」
エルヴィスがアンガードへ手を差し出した。
「先に、壊れた方を見せてくれ」
アンガードはルアンナの左脚MAPを受容基部から慎重に外し、エルヴィスへ渡した。
エルヴィスは外皮の一部を開き、露出した内部構造を観察する。
骨格の長さ。
接続規格。
信号の受信強度。
足首の可動域。
安全機構の設定値。
短い時間で一つずつ確認すると、今度は自分が装着していた脚部MAPを手に取った。
側面の固定具を外し、内部構造を露出させる。
まず、股関節用の接続部を取り外す。
続いて、大腿部の骨格ユニットを分離する。
さらに膝関節用のジョイントを外し、脛から爪先までの膝下部分だけを残した。
「その脚、そこまで分解できるのね」
「量産を前提とするならば、交換と調整が容易でなくてはならない」
エルヴィスは二本のMAPを並べる。
ルアンナの壊れた左脚を基準に、膝下部分の長さを数段階縮めた。
膝下側の接続部品を取り替え、ルアンナの受容基部に合う規格へ切り替える。
足首の角度。
接地時の重心。
信号の受信強度。
出力上限。
側面に設けられた調整機構を動かし、一つずつ設定を変更していく。
「専用品ではないのでしょう?」
クリスが尋ねる。
「そうだ」
「それでも、ルアンナ様が使えるのですか?」
「歩く程度であれば、何の問題もない」
エルヴィスの手は止まらない。
「装着者に合わせ、接続位置、長さ、信号強度、出力上限を一定範囲で変更できる。完全な専用品ほど身体能力を引き出すことはできないが、歩行や日常生活には充分である」
「戦闘では?」
「一般的な戦闘であれば支障はない」
エルヴィスがルアンナへ目を向ける。
「もっとも、ルアンナ嬢の戦い方を一般的と呼ぶつもりはない。先ほどのような出力を使えば、これも長くは保たないであろうな」
「気をつけるわ」
「そうするといい。これは私の試験用だ。壊されては困る」
「貸してくれるのに、随分な言い方ね」
「貸すからこそ言っている」
調整を終えたエルヴィスが、膝下だけになったMAPをアンガードへ差し出した。
「接続規格と信号強度は合わせた。最終的な装着は、お前が行え」
「兄さんが付けないのか?」
「彼女の身体と信号を、最も理解しているのはお前であろう」
アンガードは、差し出されたMAPを受け取った。
軽い。
自分が造ったものよりも、部品の数は少ない。
それでいて、必要な機能は失われていない。
設計思想そのものが違う。
アンガードが造るのは、装着者一人の身体へ限界まで合わせ込むMAPだ。
骨格の長さ。
筋繊維の収縮。
信号の癖。
日常の何気ない動作まで読み取り、その人物が失う前に持っていた身体そのものを再現する。
対して、エルヴィスのMAPは違う。
一人だけの身体を完全に再現するものではない。
部品を交換し、長さと信号を調整することで、規格の合う多くの装着者へ対応する。
誰か一人だけのために造られた脚ではない。
誰にでも使えるよう、最初から考え抜かれた脚だった。
「少し借ります」
「最初から、そのつもりで渡している」
アンガードはルアンナの受容基部に損傷がないことを改めて確認し、エルヴィスから受け取った膝下用MAPを接続する。
「最初は動かすなよ」
「分かったわ」
結合芯を固定する。
接続部を安定させ、信号の伝達状態を確認する。
僅かな遅れはある。
信号を送ってから反応するまでの間に、ルアンナのMAPにはなかった小さな空白が生じている。
それでも、接続そのものに問題はない。
「足の指を動かすつもりで、足先へ信号を送れ」
ルアンナが意識を集中させる。
借り物の足先が、僅かに動いた。
続いて、足首がゆっくりと曲がる。
「動いた……」
「今度は膝を伸ばせ。ただし、まだ立つな」
ルアンナがゆっくりと膝を伸ばす。
エルヴィスのMAPは、僅かな戸惑いこそあったものの、ルアンナの信号へ素直に反応した。
「専用品ではないのに」
「それが兄さんの技術だ」
アンガードが答える。
エルヴィスは、誰か一人のために完璧な一本を造るのではない。
同じ構造を、多くの者が使えるように整える。
欠損の位置が違えば、部品を外す。
身体の大きさが違えば、長さを変える。
信号が強ければ抑え、弱ければ拾い上げる。
一つのMAPが、装着者に合わせて無数の形へ変わる。
千人に。
万人に。
数え切れないほど多くの者へ届くように。
それが、《千万無量》と呼ばれる技師の技術だった。
「立ってみろ」
アンガードが手を差し出す。
ルアンナはその手を取り、ゆっくりと身体を起こした。
借り物の左足が地面へ着く。
最初の一歩には、僅かなぎこちなさがあった。
足裏から返ってくる感覚も、いつものMAPとは異なっている。
それでも、二歩、三歩と進むうちに、動きは徐々に滑らかになっていった。
「本当に歩けるわ」
「当然である」
エルヴィスは再生した左脚で立ち上がり、何事もなかったように答えた。
「一人にしか使えないのであれば、数を造る意味がないからな」
ルアンナは、借りた左脚へ視線を落とす。
自分の身体として造られたものではない。
いつものように動けるわけでもない。
それでも、歩ける。
必要であれば、戦うことさえできる。
アンガードは、その構造を静かに見つめていた。
「相変わらず、兄さんらしいな」
「褒め言葉として受け取っておこう」
アンガードは、再生したエルヴィスの左脚へ目を向けた。
「でも兄さん、生身の脚を再生させたなら、股関節の受容基部も使い物にならなくなっただろ」
「ああ」
「次に脚部MAPを試す時は、受容基部から造り直すことになるぞ」
エルヴィスは、何を今さらというように首を傾げた。
「なに。受容基部を一から造り直すのも、試験の一部である」
「そう言うと思ったよ」
エルヴィスは、森に横たわるブレイドライガーの群れへ振り返った。
「さて、再会の挨拶も、脚の交換も済んだ」
死骸の向こうに続く森の奥を見つめ、言葉を続ける。
「互いに、ここへ来た理由を話すとしようか」
更新頻度ちょっと落ちます。