無差別の技師 〜MAP技師は身体を全て取り返す〜 作:羊毛ローブ
ルアンナの四肢MAPを一新するための設計は、順調に進んでいた。
少なくとも、構造上は。
アンガードの作業台には、四枚の設計図が並べられている。
右腕――肘から先。
左腕――肩から先。
右脚――股関節から下。
左脚――膝から下。
骨格系、筋繊維系、神経系、血管系と流体系。
それらをルアンナの身体へ繋ぐ結合芯。
さらに、損傷した箇所だけを切り離し、調整済みの予備へ置き換えられるよう設けた複数の接続部。
四肢には、共通させる構造がある。
だが、同一仕様の物を四本造るわけではない。
必要な出力も、重量も、力の掛かり方も、それぞれ違う。
特に左脚は、ルアンナが踏み込みや着地の際に軸として使うことが多い。
瞬間的に受ける負荷も、右股関節を全てMAPにしている物よりも左膝より下のMAPの方が大きかった。
そのため、メタルライガーの後脚腱と牙を最も多く使用し、高出力に耐えられる構造とする。
一方、右脚は左脚ほどの最大出力を必要としない。
軽さと反応速度を優先し、左脚が生み出した力を受け止め、次の動作へ繋ぐ役割を持たせる。
両腕も、脚と同じ出力へ揃えればよいわけではない。
武器を扱う際の精密さ。
攻撃を受け流す際の柔軟さ。
高速で移動する身体を支えるための強度。
それぞれの役割に応じて、異なる素材と出力を割り振る必要がある。
四肢の性能を同じにするのではない。
異なる性能を持つ四肢を、一つの身体として釣り合わせる。
それがアンガードの設計だった。
左脚の設計図へ一本の線を引き終えたところで、アンガードの手が止まった。
しばらく接続部を見つめる。
やがて今しがた引いた線を消し、僅かに位置をずらして引き直した。
「また書き直したわね」
作業台の反対側から、ルアンナが設計図を覗き込んでいた。
「さっきから、そこだけで何度目?」
「位置が気に入らない」
「構造に問題があるの?」
「いや」
「なら、何が気に入らないのよ」
アンガードは答えず、引き直した接続線へ視線を落とした。
損傷した筋繊維系を周囲から切り離し、調整済みの予備へ置き換えるための箇所。
森でエルヴィスと話し合い、採用を決めた構造だった。
通常駆動を担う部分。
高出力時に動く部分。
ルアンナの身体と直接繋がる専用部分。
それぞれを分けることで、一つが損傷しても、四肢MAP全体を一から造り直さずに済む。
理屈に問題はない。
むしろ、これまでの構造より合理的だった。
それでも、実際に設計図へ線を引いてみると、どうにも落ち着かなかった。
「決めたことを後悔しているの?」
ルアンナが尋ねる。
「してない」
「その割には、随分と嫌そうな顔をしているけど」
「嫌なのは構造じゃない」
「では、何?」
アンガードは僅かに眉を寄せた。
「身体になった後まで、交換できる部品として扱う考え方だ」
「身体になった後?」
「造っている間なら、骨格も筋繊維も部品だ。組み上げる前の材料だからな」
アンガードは設計図の骨格部を指でなぞった。
「けど、装着して神経が繋がって、血液と魔力が巡って、その人の意思で動き始めたら、もう部品じゃない」
「その人の身体になるから?」
「ああ」
MAPは、失われた身体へ取り付ける道具ではない。
装着者が立ち、歩き、物へ触れ、自らの意思で暮らすための身体だ。
それがアンガードの考えだった。
本物の脚は、筋肉が傷んだからといって、膝から下を別の脚へ付け替えたりはしない。
骨が折れれば繋ぐ。
筋繊維が断裂すれば、残った組織へ新しい組織を馴染ませる。
傷ついた身体を治し、再び一つの身体として動けるようにする。
だからアンガードも、MAPを同じように造ってきた。
一部が損傷すれば、内部を開く。
傷んだ箇所を取り除き、残った構造へ新たな素材を繋ぐ。
周囲の筋繊維や神経系へ馴染ませ、元の動きへ戻していく。
それはアンガードにとって、部品交換ではなく治療だった。
「一度身体になったものを、壊れたから同じ形の物へ替える。その考え方には、まだ慣れない」
「でも、交換できる構造にすると決めたのね」
「決めた」
「エルヴィスさんに言われたから?」
「それだけじゃない」
アンガードは、並べられた四枚の設計図へ目を向けた。
壊れることを前提にするのではない。
壊れた後、再び身体として使える状態へ戻すことを前提にする。
エルヴィスの言葉が、今も頭に残っている。
アンガードのMAPは、一人の身体へ限界まで合わせ込む。
その代わり、一部が壊れれば周囲への影響も大きい。
完全に治すためには、長い時間が必要となる。
その間、装着者は再び身体を失う。
片脚だけではない。
新しい四肢MAPでは、一本の損傷によって全身の均衡が崩れる可能性もある。
修復を終えるまで、ルアンナの動きを大きく制限することになる。
完全に治すためとはいえ、それが本当に身体を大切にすることなのか。
エルヴィスと話すまで、アンガードは深く考えたことがなかった。
「身体として造ることと、壊れた身体を早く戻すことは、両立できるかもしれない」
アンガードが言った。
「兄さんの考え方を、全部受け入れたわけじゃない。誰でもすぐ使えるMAPを造るつもりもない」
「ええ」
「お前の骨格と、動き方と、神経の癖に合わせる。それは変えない」
「でも、壊れた箇所は交換できるようにする?」
「ああ」
アンガードは左脚の設計図へ、新たな接続線を書き加えた。
「お前がMAPを壊すたびに、長く待たせるわけにはいかないからな」
「私が壊すことを前提にしていない?」
「お前は無茶をするだろ」
「必要な時に動いているだけよ」
「それを無茶って言うんだよ」
「もっと丈夫に造ればいいでしょう?」
「重くなる」
アンガードの返事は早かった。
「骨格を厚くして、筋繊維を増やして、衝撃を受ける部分を全部補強すれば壊れにくくはなる。けど、その分だけ重くなる。動きも鈍る」
「鈍くはならないわよ?重さは別にそこまで意識した事ないから」
ルアンナとしては渡されたMAPの質量はそこまで重要視していない。四肢を失ったその日より、また動けるようになっただけで奇跡みたいなものなのだ。
だがアンガードは首を横に振る。
「いや、鈍くなるよ、お前の元の四肢をイメージしてるのに無理に動かせば色々とな。それに、お前が無意識に動けないMAPを、お前の身体とは呼べない」
壊れないことだけを求めれば、選択肢はいくらでもある。
だが、耐久性と引き換えにルアンナの速さや柔軟さを失わせれば、それはルアンナの身体ではなくなる。
左脚だけを強くしすぎてもいけない。
右脚がその出力を受け止められなければ、身体は崩れる。
両腕が加速へ追いつかなければ、攻撃も防御も遅れる。
四肢全てがルアンナの意思へ同時に応え、異なる役割を果たしながら、一つの身体として動かなければならない。
だから、動きを変えずに壊れにくくする。
それでも壊れた時には、可能な限り早く元へ戻す。
そのために、エルヴィスから学んだ交換式の構造を取り入れる。
「身体になったものを部品扱いしたいわけじゃない」
アンガードが言う。
「交換した後も、お前の身体として動くように造る」
「随分と難しいことを言っているわね」
「難しいかどうかは関係ない。そこまでしないなら、兄さんの考えを取り入れる意味がない」
「少しは影響されたと認めるのね」
「少しだけだ」
「本人が聞いたら喜びそう」
「絶対に言うなよ」
「どうしようかしら」
「喜んだ後、しばらく俺を構い続ける。面倒だ」
ルアンナは小さく笑った。
そのまま作業台から離れ、工房の空いた場所へ移動する。
修復された左脚の足首を回す。
膝を曲げる。
その場で何度か軽く跳ね、最後に左脚だけで身体を支えた。
「調子はどうだ?」
「少しだけ反応が違うけど、問題ないわ」
「新しい筋繊維を馴染ませたばかりだからな。前と同じになるまでは、もう少し掛かる」
森で壊れた左脚MAPは、既に修復を終えていた。
ただし、これは新しい四肢MAPの一部ではない。
四肢一式が完成するまでの間、ルアンナの身体を支えるために修復した、これまでの左脚MAPだった。
断裂した筋繊維を取り除く。
残った組織の収縮率と信号強度を測定し、それに合わせて調整した新しい筋繊維を繋ぐ。
歪んだ骨格部品は取り出して矯正し、周囲へ余計な力が掛からないよう、何度も形を整えてから戻す。
人間の脚を治療するのと同じように。
アンガードはMAPの内部へ手を入れていた。
「それも、新しい筋繊維へ替えたことになるんじゃない?」
ルアンナが尋ねる。
「違う」
「何が違うの?」
「残っている筋繊維まで全部外して、同じ形の物を付けたわけじゃない。生きている部分へ新しい素材を繋いで、一つの筋繊維として馴染ませた」
「つまり?」
「治療だ」
「交換ではなく?」
「俺が治すつもりで手を入れた。だから治療だ」
「頑固ね」
「身体を造ってるんだ。当然だろ」
ルアンナは呆れたように息を吐いた。
それでも、口元には僅かな笑みが残っている。
「思っていたより早く歩けるようになったのは助かったわ」
「新しい四肢が完成するまでの間だけだけどな」
「普通に動けるけど?」
「日常生活や通常の戦闘なら問題ない」
「全力では?」
「使うな」
「まだ何も言っていないでしょう?」
「言う前に止めた」
「必要なら使うわよ」
「使う前に報告しろ」
「その時にアンガードが近くにいなかったら?」
「クリスさんに言え」
「クリスもいなかったら?」
「動くな」
「無茶を言わないで」
「無茶をしてる奴に言われたくない」
「ミラを助けるためだったでしょう?」
「そこを責めてるんじゃない」
アンガードは設計図へ目を落とした。
「何をするかくらい伝えろって言ってるんだ」
ルアンナが僅かに目を見開く。
やがて、その表情が柔らかく緩んだ。
「分かったわ。次からは伝えます」
「次を作るな」
「難しい注文ね」
「難しくしてるのはお前だ」
「おい、いるかー」
アンガードが四肢の出力配分を書き直していると、工房の扉を叩く音がした。
アンガードが扉を開く。
そこには、煤にまみれた仕事着姿のドゥーガが立っていた。
「頼まれてた物、指定の量まで全部仕上げたぞ。鍛冶場まで取りに来な」
「思ったより早かったな」
「この前打ったばかりの合金だからな。配合は頭に入ってる。素材もお前から預かってるんだ。時間は掛からねぇよ」
「流石だな」
「褒めても値引きはしねぇぞ」
「頼んでない」
アンガードは作業台へ視線を戻し、試験に必要な部品を鞄へ収め始めた。
「私も行くわ」
ルアンナが言う。
「試験を見るだけだぞ」
「分かっているわよ」
「見るだけだからな」
「二度も言わなくていいでしょう?」
◯
アンガードがドゥーガへ依頼していたのは、新しい四肢MAPの骨格へ使用する合金材だった。
使用箇所ごとに必要な強度、しなり、重量、魔力伝導率を指定し、複数の配合を頼んでいる。
左脚の高負荷部へ使う物。
右脚の反応速度を損なわない物。
両腕の細かな動きを妨げない物。
それぞれ必要とする性質は異なっていた。
だが、ドゥーガが知るのは、アンガードが指定した数値と、合金に求められた性質だけだ。
それがMAPのどの部分へ使われ、どの魔獣素材と組み合わされ、どのように動くのか。
必要以上に尋ねることはなかった。
他の職人の領分へ、無闇に足を踏み入れない。
それもドゥーガなりの、職人としての礼儀だった。
鍛冶場へ到着すると、完成した合金材が用途ごとに並べられていた。
アンガードは一つずつ手に取り、重量と硬さ、内部を通る魔力の感触を確かめていく。
「注文どおりだ」
「当然だ」
ドゥーガは腕を組んで答えた。
「違ってたら、ここに並べてねぇ」
アンガードは左脚用の合金材を持ち上げた。
四肢の中で、最も高い負荷を想定した素材だった。
「これだけ、他より魔力の馴染みが早いな」
「配合を少し変えた」
「頼んだ範囲で?」
「ああ。指定された数値のギリギリの範囲だよ」
アンガードは合金材へ指を這わせる。
硬い。
だが、力を受けた際には僅かにしなる。
メタルライガーの牙や腱が生み出す力を、骨格全体へ逃がすために必要な性質だった。
アンガードが合金材を包み直そうとした時、ドゥーガが口を開いた。
「その高負荷用のやつだが」
「何だ?」
「最初の負荷試験だけは、ここでやっていけ」
アンガードが顔を上げる。
「何故だ?」
「その牙と合わせるんだろ」
ドゥーガは、アンガードが鞄から取り出したメタルライガーの牙板へ視線を向けた。
「合金だけなら、こっちで一通り試してある。だが、そいつがどんな力を返すかまでは知らねぇ」
「だから、試験を見たいのか?」
「お前の仕事へ口を出す気はねぇ」
ドゥーガは即座に答えた。
冗談も笑みもない。
「何をどう造るかは、お前の仕事だ。俺が知る必要もねぇ」
そのうえで、鍛冶場の奥へ顎を向ける。
大型武器や防具の耐久試験に使う、頑丈な試験台が置かれていた。
太い金属柱で組まれ、床へ深く打ち込まれた杭によって固定されている。
「だが、俺が打った合金が、未知の素材からどんな力を受けるかは見ておきたい」
「お節介だな」
「割れてから持ち込まれるよりましだ。それに、この配合を別の仕事で扱うことがあれば、癖を知っておいて損はねぇ」
「俺が持ち込んだ素材を、勝手に使うなよ?」
「当たり前だ。必要なら自分で仕入れる」
ドゥーガは試験台を親指で示した。
「ほら。試すなら早くしろ」
アンガードは試験台を見た。
自分の工房にある物より、遥かに大きな負荷へ耐えられる。
「台を借りる」
「好きに使え」
ドゥーガはそれ以上何も言わず、試験台から離れた。
アンガードは持参した試験用部品と、完成した合金材を使い、左脚の高負荷部を模した簡易骨格を組み上げていく。
四肢全体の完成形ではない。
左脚へ使用する構造のうち、最も大きな力が集まる箇所だけを抜き出した負荷試験用の物だ。
通常駆動用には、ブレイドライガーの筋繊維。
高出力用には、一定以上の負荷を受けた時だけ伸縮するよう調整した、メタルライガーの後脚腱。
二種類の駆動部は直接繋がず、それぞれを独立させる。
通常時には、ブレイドライガーの筋繊維だけを使う。
一定以上の出力が必要となった時だけ、メタルライガーの腱へ力を蓄え、瞬間的に解放する。
二つの力は、ルアンナの身体へ繋がる結合芯の手前で合流する。
さらに、力が集中する接続部の周囲には、メタルライガーの牙から薄く切り出した板を取り付けた。
牙が持つ層構造によって、一点へ集中する衝撃を周囲へ分散させるためだ。
ドゥーガは少し離れた場所で、黙って作業を見ていた。
アンガードがどの素材をどこへ配置しているのか。
その理由が何なのか。
尋ねることはない。
視線が向けられているのは、自分が打った合金と、牙板の境目だけだった。
「妙だな」
ドゥーガが呟いた。
アンガードは作業の手を止める。
「何が?」
「合金が、そいつを掴みすぎてる」
アンガードは牙板と合金の接合部へ指を這わせた。
溶かして混ぜたわけではない。
牙を加工し、合金へ固定しただけだ。
それにもかかわらず、境目に指を掛けても、別々の素材を継いだ感触がほとんどない。
「固定剤の問題じゃないな」
「ああ」
ドゥーガは短く答えた。
「合金単体じゃ、こんな反応はしねぇはずだ」
「力を流してみるしかない」
アンガードは試験装置へ手を伸ばした。
外部から流体系へ少量の魔力を送り、神経系の代わりとなる動作信号を流し込む。
最初に動いたのは、ブレイドライガーの筋繊維だった。
細かな束が順番に縮み、簡易骨格を滑らかに引き上げる。
動きに引っ掛かりはない。
信号の遅れも、想定した範囲へ収まっている。
「通常駆動は問題ない」
アンガードは出力計を確認した。
ドゥーガは何も答えない。
合金の表面へ目を凝らし、歪みや亀裂が生じていないかを見ている。
アンガードは信号を強めた。
一定以上の出力を感知した制御部が、メタルライガーの腱を動かし始める。
腱が引き伸ばされ、内部へ力を蓄えていく。
ここまでは設計どおりだった。
「次で解放する」
アンガードが告げる。
ドゥーガは試験台の側面へ手を添えた。
返事はない。
だが、合金から視線を外してはいなかった。
アンガードは蓄積された力を解放した。
簡易骨格が、一気に伸びる。
直後。
金属同士が激しく衝突する音が、鍛冶場へ響き渡った。
試験台が大きく揺れ、床へ固定されていた脚の一本が僅かに浮き上がる。
ドゥーガが体重を掛け、試験台を押さえ込んだ。
アンガードは即座に動作信号を切る。
簡易骨格は停止した。
だが、試験部を固定していた金属具は、中央から大きく折れ曲がっている。
「固定具が負けたか」
ドゥーガが歪んだ金属へ目を向ける。
アンガードは答えず、出力計を確認した。
表示された数値を見た瞬間、その表情が険しくなる。
「……倍を超えてる」
「想定のか?」
「ああ」
少し離れた場所から試験を見守っていたルアンナが、出力計を覗き込む。
「良いことじゃないの?」
「良くない」
アンガードは即座に否定した。
「制御できない出力は、欠陥と同じだ」
メタルライガーの後脚腱は、予想どおり大きな力を蓄える性質を持っていた。
牙の層構造も、結合部へ集中する衝撃を周囲へ分散させている。
そこまでは、アンガードの見立てどおりだった。
問題は、素材同士の相性が予想以上に良かったことだ。
牙から削り出した板が、合金へ伝わる力を、ほとんど損なわずに分散する。
ドゥーガの合金は、受け取った力を骨格の各部へ効率良く伝える。
そこへ、メタルライガーの腱が蓄積した力まで加わった。
本来なら途中で失われるはずの出力が、ほとんど失われないまま結合芯へ向かっている。
「素材同士が、互いの長所を増幅してる」
アンガードは簡易骨格へ手を近づけた。
触れる直前、その指が止まる。
「熱いな」
合金の表面から、僅かな熱気が立ち上っていた。
アンガードが外側の一部を開く。
内部へ籠もっていた熱が、空気の揺らぎとなって漏れ出した。
「筋繊維だけじゃない。力の合流部と骨格まで発熱してる」
「合金に歪みはねぇ」
ドゥーガが初めて、試験結果について口を開いた。
合金材を注意深く確認する。
「亀裂もない。牙との境目も外れてねぇ」
「強度は足りてる」
「ああ」
ドゥーガは短く頷いた。
「だが、熱は想定してなかった」
「俺もだ」
ドゥーガはそれ以上、原因について口を出さなかった。
筋繊維の構造も、出力の制御も、MAP全体の排熱も、ドゥーガの領分ではない。
ただ、自分が打った合金の表面へ手を近づけ、その熱を確かめる。
「配合を変えるなら言え」
それだけ告げた。
「熱を逃がしやすくすれば、今の強度と伝達率は落ちる。それでも必要なら打ち直す」
アンガードは簡易骨格を見つめた。
「今は変えない」
「分かった」
ドゥーガは理由を尋ねなかった。
そこから先は、アンガードが責任を持つべき仕事だと理解しているのだ。
「台、助かった」
「壊した分は払え」
「貸したのはお前だろ」
「壊したのはお前だ」
「合金の代金に含めておいてくれ」
「それはそれ、これはこれだ」
ドゥーガは折れ曲がった固定具を持ち上げ、顔をしかめた。
「次は、もっと太いのを用意しとく」
「また貸すつもりか?」
「今度は台ごと浮かせる気かもしれねぇからな」
「やらない」
「職人の『やらない』ほど当てにならねぇ言葉もない」
アンガードは反論せず、試験結果を書き留めた。
◯
工房へ戻った後も、アンガードは四枚の設計図と試験結果を睨み続けていた。
左脚の出力は、想定を大きく超えた。
それ自体を抑えるだけなら難しくない。
メタルライガーの腱を減らす。
力の伝達途中に損失を設ける。
制御部によって、蓄積できる力へ上限を掛ける。
だが、左脚の出力を落とせば、それに合わせて設計していた右脚と両腕の性能まで見直す必要がある。
逆に、今の出力を活かすのであれば、右脚にはその力を受け止める強度と反応速度が必要になる。
両腕にも、急激な加速の中で狙いを外さないだけの制御性を持たせなければならない。
さらに、四肢全体を巡る流体系で、発生する熱を処理する必要がある。
左脚だけを冷やせば済む問題ではなかった。
「このまま動かし続けたら?」
ルアンナが尋ねる。
「左脚の筋繊維が先に傷む」
「私へ付けた場合は?」
「熱が結合芯を通って、受容基部まで伝わる。それだけじゃない」
アンガードは四肢の流体系を指でなぞった。
「全身の循環が繋がれば、左脚で生まれた熱が他の三肢へ回る可能性がある」
「私の身体も焼けるということ?」
「そこまで行く前に、安全機構が止める」
「なら問題ないでしょう?」
「止まった時点で、お前は四肢の均衡を失う」
左脚だけが停止するとは限らない。
熱を検知した流体系が全体の出力を落とせば、両腕と右脚の反応まで鈍る。
戦闘の最中、限界を超えた瞬間に四肢MAPの動きが乱れれば、そのまま転倒する。
高速で移動している最中なら、身体を投げ出される。
空中であれば、着地することさえできない。
安全機構が働いた結果、命を落とすこともあり得る。
「左脚の出力を抑えれば、問題なく動かせる」
アンガードは試験結果へ目を落とした。
「なら――」
「それだけじゃ駄目だ」
ルアンナが言い終える前に否定する。
「左脚を抑えたら、四肢全体の設計をやり直す必要がある」
「やり直せばいいでしょう?」
「今の出力を捨てる理由がない」
左脚が生み出した力は、アンガードの想定を超えていた。
だが、ルアンナの動きを損なう力ではない。
制御し、全身の均衡へ組み込むことができれば、これまで届かなかった動きへ届く。
問題は、性能ではない。
その性能を、身体として安全に扱えないことだった。
「出力を抑えるだけなら、今までと同じ物を造ればいい。新しくする意味がない」
高出力に耐えること。
ルアンナの動きを妨げないこと。
四肢全体が一つの身体として釣り合うこと。
壊れた箇所を、短時間で身体へ戻せること。
その全てを満たして初めて、新しい四肢MAPと呼べる。
「なら、排熱を強くすればいいんじゃない?」
「簡単に言うなよ」
「何か方法はあるのでしょう?」
「ある」
アンガードの返事は早かった。
だが、その声には僅かな迷いが含まれていた。
ルアンナは、その変化を聞き逃さない。
「何を使うの?」
アンガードはしばらく黙った後、工房の奥へ目を向けた。
厚い布を掛けられ、複数の封印具で閉じられた大きな箱が置かれている。
ルアンナのためだけに造られた、星鉄製MAP。
普段使いを想定した身体ではない。
通常のMAPでは届かない力を、僅かな時間だけ引き出すための四肢。
最大出力で動かしても、星鉄の骨格そのものは耐えられる。
だが、内部で発生する熱は、装着者の身体さえ傷つけかねない。
そのため、内部にはアンガードが造ったMAPの中でも最大規模の排熱機構が組み込まれていた。
「あのMAPには、専用の流体系が入っている」
アンガードが答える。
「四肢の動作に合わせて冷却液を循環させ、内部の熱を外皮の近くまで運ぶ。逃がし切れなかった熱は、一時的に流体系の中へ留める構造だ」
「それを新しい四肢へ使うつもり?」
「全部じゃない。循環を制御している部分と、熱を一時的に保持する部分だけだ」
「駄目よ」
ルアンナは即答した。
アンガードが振り返る。
「星鉄の骨格へ手を入れるわけじゃない」
「それでも駄目」
「一度取り外しても、後から戻せる」
「戻せることと、完全に同じ状態へ戻ることは違うでしょう?」
「………」
アンガードは答えられなかったのはルアンナの言うとおりだったからだ。
部品そのものを元へ戻すことはできる。
だが、星鉄製MAPの流体系は、最大出力時に生じる熱へ合わせ、四肢全体の循環量を極端な精度で均衡させている。
一部を外せば、元の状態へ戻すためには、相応の時間と再調整が必要になる。
「今のままじゃ、新しい四肢を安全に動かせない」
「別の方法を考えて」
「理由を聞いてもいいか?」
ルアンナは工房の奥にある箱を見つめた。
いつもより少しだけ長い沈黙が落ちる。
「あれは――」
ルアンナは静かに言った。
「本当に必要な時のための、お守りなの」
アンガードは何も言わなかった。
星鉄製MAPが何のために造られたのか。
どのような状況を想定していたのか。
それを最も理解しているのは、設計したアンガードだった。
使わないことが最善である。
あれを必要とする状況など、訪れない方がいい。
それでも、いつか何かを守るために、通常のMAPでは足りない力を必要とする時が来るかもしれない。
ルアンナは、その時のために残しておきたいのだ。
欠けることなく。
いつでも使える状態で。
「分かった」
アンガードが答えた。
「使わない」
「いいの?」
「お前のMAPだ」
アンガードは箱から視線を外した。
「今は装着していなくても、あれはお前の身体だ。お前が残したいと言うなら、勝手に切り取ったりはしない」
ルアンナが僅かに目を見開く。
やがて、柔らかく笑った。
「ありがとう」
「礼を言うのは、別の方法が見つかってからにしてくれ」
アンガードは四枚の設計図へ向き直った。
左脚の出力。
右脚の受け止め方。
両腕の反応速度。
四肢を巡る流体系。
一つを変えれば、残りの三つも変わる。
「どうしたものかな……」
腕を組み、設計図を睨むように見つめる。
その横顔を見ていたルアンナが、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、エルヴィスさんのMAPを返しに行かない?」
「もう行くのか?」
「私の左脚は直ったでしょう。いつまでも借りている理由はないわ」
ルアンナは、工房の壁際に置かれていた脚部MAPを見る。
エルヴィスが自身の左脚から外し、ルアンナ用に調整した膝下部分。
森から工房へ戻るまで。
そして、アンガードによる修復が終わるまで。
ルアンナの身体を支えてくれたものだった。
「そうだな」
アンガードは答えたものの、視線は設計図から離れない。
「それなら、明日にでも――」
「俺は行かない」
ルアンナが眉を上げる。
「返しに行かないの?」
「返す。けど、俺はまだ行かない」
アンガードは左脚の設計図を中央へ寄せ、その両側へ右脚と両腕の設計図を並べ直した。
「今ここを離れたら、四肢の配分が頭から抜ける」
「また工房へ籠もるつもり?」
「答えが出るまでな」
「食事は?」
「食べる」
「睡眠は?」
「する」
「目を見て言いなさい」
アンガードはルアンナを見なかった。
「……クリスさんと行ってきてくれ」
「逃げたわね」
「適材適所だ」
◯
翌日。
ルアンナとクリスは、森の外れにあるエルヴィスの仮拠点を訪れた。
使われていなかった小屋を整えたものだと聞いていたが、内部は既に技師の工房として使える状態になっている。
壁際には、工具と部品が用途ごとに並べられていた。
中央の作業台には、分解途中のMAP。
窓辺には、半分ほど残った林檎果汁。
奥の棚には、同じ形の部品が幾つも整然と収められている。
一人の身体へ合わせた素材や試作品が所狭しと積み上げられている、アンガードの工房とは違う。
同じ構造を、異なる身体へ合わせるための工房。
目指しているものの違いが、部屋の中へそのまま表れていた。
エルヴィスは作業台から顔を上げると、ルアンナが抱えている脚部MAPへ目を向けた。
「本当に返しに来るとはな。律儀なことである」
「何よ、その言い方」
ルアンナは脚部MAPを作業台へ置いた。
「あれだけ返すように念を押していたのに、返さないと思っていたの?」
「あれは方便である」
「方便?」
「ああでも言わなければ、ルアンナ嬢は借り物であろうと構わず無茶をすると考えた次第だ」
「実際には返さなくてもよかったということ?」
「私の試験用であるから、返してもらえるのであれば返してもらう」
「やっぱり返してほしかったんじゃない」
「物を大切にすることと、貸した相手を信用していないことは別であるからな」
「その言い方だと、結局信用していなかったみたいに聞こえるわよ」
エルヴィスは返されたMAPを持ち上げ、外側から状態を確認した。
足首を動かす。
膝下側の接続部へ指を添える。
内部へ僅かな信号を流し、筋繊維の収縮と戻りを確かめた。
「大きな損傷はないな」
「ちゃんと気をつけたもの」
「内部の筋繊維には、僅かな負荷が残っている」
「……分かるの?」
「私が造ったMAPであるからな」
ルアンナは気まずそうに視線を逸らした。
「工房へ戻る途中で、少し急いだだけよ」
「ルアンナ様の『少し』は、一般的な基準とは異なります」
クリスが淡々と言う。
「クリス?」
「事実ですので」
エルヴィスはそれ以上責めることなく、返されたMAPを作業台へ置いた。
「アンガードは来なかったのか?」
「設計に夢中よ」
「新しい左脚か」
「四肢全部よ」
エルヴィスが僅かに眉を上げた。
「ほう」
「左脚だけ変えれば、他の三本との釣り合いが崩れるって」
「それでこそアンガードであるな」
「左脚の試験までは進んだのだけれど、問題が出たの」
「熱であろう?」
あまりにも自然に言われ、ルアンナは目を瞬かせた。
「どうして分かったの?」
「予想はしていた」
エルヴィスは椅子へ腰を下ろした。
「メタルライガーの後脚腱は、大きな力を蓄積する。牙には、受けた力を損なわずに分散する性質がある」
「ドゥーガの合金についても知っていたの?」
「いいや。完成した物を見たわけではない」
エルヴィスは静かに首を横へ振った。
「だが、アンガードが認め、合金の調整を任せた鍛冶師である。素材の性質を殺すような仕事はしないであろう」
「ドゥーガではなく、アンガードを信用したの?」
「どちらとも言えるな」
エルヴィスは作業台の上にある部品を一つ取り上げた。
「アンガードは、自分のMAPへ使う素材を誰にでも任せる男ではない。まして、ルアンナ嬢の身体となる物であれば、なおさらである」
ルアンナは僅かに目を瞬かせた。
「アンガードが任せたのであれば、その鍛冶師は素材の性質を損なわず、可能な限り引き出す。私はそう考えただけだ」
「それで、出力が上がりすぎると?」
「腱が力を蓄え、牙がそれを分散し、合金が骨格へ伝える。三つが想定以上に噛み合えば、出力が予定を上回っても不思議ではない」
「実際、倍以上になったわ」
「そこまでとは思わなかったがな」
「だったら、先に教えてくれてもよかったんじゃない?」
「実物を組み合わせる前に、断定はできぬ」
エルヴィスは手にした部品を作業台へ戻した。
「合金の配合も、牙との馴染み方も、力を流した際にどれほど損失が生じるのかも分からなかった。私が考えていたのは、あくまで可能性である」
「熱まで予想していたの?」
「予定以上の力が一つの結合部へ集まれば、その分だけ発熱も増える」
エルヴィスはルアンナを見た。
「加えて、アンガードは性能を抑えて安全を確保するより、性能を維持したまま問題を取り除こうとする男である」
「それは、よく分かるわ」
「であろう?」
「分かっていたなら、止めてほしいくらいよ」
「それはルアンナ嬢の役目である」
「押し付けたわね」
エルヴィスは僅かに口元を緩めた。
「それで、交換式の構造は採用したのか?」
「したわ」
「素直に?」
「まさか」
ルアンナは呆れたように答える。
「採用すると決めた後も、設計図へ接続部を書くたびに嫌そうな顔をしていたわ」
「であろうな」
「身体になった後まで、部品として扱う考え方には慣れないそうよ」
「それもアンガードらしい」
「本物の身体は、部品を交換しないからって」
エルヴィスは返された脚部MAPへ手を置いた。
「私にとってMAPは、より多くの者へ身体を届けるための技術である。故に構造を共通化し、必要な箇所を交換できるように造る」
「アンガードは違う?」
「あやつは、一人のために一つの身体を造る」
誰か一人の癖を読み取る。
その者が失う前に持っていた感覚を探り、身体の動きへ落とし込む。
他の誰にも使えなくていい。
装着した者にとって、本物の身体となればいい。
それがアンガードのMAPだった。
「今回も、左脚だけを強くするのではないのであろう?」
「ええ。右脚と両腕まで、全部造り直すつもりよ」
「左脚の力を、他の三肢へ合わせるのではない。異なる性能を持つ四肢を、一つの身体として合わせる」
エルヴィスが満足そうに頷く。
「アンガードらしい答えであるな」
「随分と大変そうだけど」
「簡単な身体などない」
エルヴィスは返された脚部MAPへ目を落とした。
「どちらが正しいという話ではない。私のMAPには、アンガードほどの緻密な再現性はない。アンガードのMAPには、私の物ほどの修復性と汎用性はない」
「だから、今回は両方を使うのね」
「あやつがそれを選んだのであれば、ルアンナ嬢の存在が考えを変えたのであろう」
「私が?」
「身体として造ることと、身体を早く取り戻させること。その両方が必要だと思わせたのである」
ルアンナは、どこか照れたように視線を逸らした。
「本人は、少しだけ影響されたと言っていたわ」
「ふむ」
エルヴィスが満足そうに頷く。
「後で詳しく聞くとしよう」
「やめてあげた方がいいんじゃない?」
「何故であるか?」
「アナタが構い続けるから、絶対に言うなと言われたもの」
「なるほど」
エルヴィスの口元が、明らかに緩んだ。
「では、直接確かめる必要があるな」
「どうしてそうなるのよ」
ルアンナがため息を吐く。
「ところで、排熱の問題が残っているのであれば、アンガードは星鉄製MAPの排熱機構を流用しようとしたのではないか?」
ルアンナの表情が、ほんの僅かに止まった。
「……そこまで分かるの?」
「あのMAPの排熱構造については、森で説明を受けたからな」
エルヴィスは何でもないことのように答える。
「発熱箇所に応じて排熱量を変える機構と、四肢の接続部を冷却する流路が組み込まれているのであろう?」
「覚えていたのね」
「興味深い構造であったからな」
「その時、随分楽しそうな顔をしていたものね」
「気のせいである」
「まだ言うの?」
「アンガードならば、一から新しい排熱機構を造る時間を惜しみ、既に完成している構造の一部を移そうと考える」
「実際、そうしようとしていたわ」
「やはりな」
「でも、断った」
「何故であるか?」
「あれは、本当に必要な時のためのお守りだから」
エルヴィスは、それ以上問い返さなかった。
僅かに目を細め、ルアンナを見つめる。
「アンガードは何と?」
「私のMAPだから、勝手に切り取ったりはしないって」
「そうか」
短い返事だった。
だが、その声には、どこか満足したような響きがあった。
エルヴィスは返された脚部MAPへ目を落とした。
「以前にも言ったが、ルアンナ嬢とは一度会ったことがある」
「私は覚えていないんですけど」
「それはそうであろう」
先ほどまでと変わらない、落ち着いた声。
だが、エルヴィスの眼差しだけが、僅かに遠いものへ変わった。
「君が――いや」
エルヴィスは言葉を切る。
そして改めて、ルアンナへ視線を向けた。
「アナタ方は、崇高と呼ぶに値する方々でいらっしゃいましたからな」
小屋の空気が変わった。
クリスの表情から柔らかさが消える。
ルアンナも笑みを失い、エルヴィスを見つめ返した。
「……まさか、知っているの?」
「知っていると申し上げられるほどではございません」
声音そのものは穏やかなままだった。
だが、言葉の一つ一つに、先ほどまでとは異なる敬意が込められている。
「では、どこまで?」
「アンガードがまだ師匠のもとにいた頃、アナタについて幾つか聞いたことがございます」
エルヴィスは静かに答えた。
「当時は、あまりに現実離れした話だと思っておりました。しかし、同じ時期に起きた幾つかの出来事と、その後に現れた方々の関係を考えれば、自ずと一つの推測へ行き着きます」
「推測だけで、そこまで言ったの?」
「いいえ。それだけではございません」
エルヴィスはルアンナの立ち姿へ目を向けた。
「お顔も、本当のお名前も存じ上げてはおりませんでした。ですが、身体に染みついた動きというものは、そう簡単に変わるものではございません」
歩き出す前の僅かな重心移動。
周囲へ意識を向けながらも、それを悟らせない立ち方。
誰かを庇う時、無意識に自らの身体を前へ出す癖。
かつて目にした姿と、目の前にいるルアンナの動きには、幾つもの共通点があった。
「もっとも、それだけでアナタだと断定することはできませんでした」
エルヴィスは僅かに目を伏せる。
「確信が半分。そして、私の推測が正しいのか、確かめたいという思いが半分でございました」
クリスが一歩前へ出る。
周囲の空気が僅かに冷えた。
「クリス、待って」
ルアンナが言った。
「ですが、ルアンナ様」
「待ちなさいと言ったのよ」
静かな声だった。
だが、拒むことを許さない強さがある。
クリスはエルヴィスから視線を外さないまま、前へ出そうとした足を止めた。
エルヴィスは、二人の反応を静かに見つめる。
「……やはり、私の推測は間違っていなかったのですね」
「今ので確かめたの?」
「はい」
エルヴィスは小さく頷いた。
「クリス嬢の反応は、随分と分かりやすいものでございましたから」
「申し訳ありません」
クリスが悔しそうに唇を結ぶ。
「謝る必要はないわ」
ルアンナはエルヴィスへ視線を戻した。
「それで、どうするつもり?」
「どうもいたしません」
エルヴィスは椅子の背へ身体を預けた。
「この話を吹聴するつもりはございません。知ったところで、私が得るものも何一つございませんからな」
「信じられないのであれば――」
「信じますよ」
ルアンナは間髪を入れずに答えた。
今度はエルヴィスが僅かに眉を動かす。
「なぜ、私を信じくださるのですか?」
「アンガードの兄弟子さんですから」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、エルヴィスは声を上げて笑った。
「ふはははは!」
「何がおかしいのよ」
「いえ、失礼いたしました」
笑いを収めながらも、その表情はどこか楽しげだった。
「流石は、アンガードが選んだ方でいらっしゃる。信頼の根拠まで、実に真っ直ぐでございますな」
「不満ですか?」
「いいえ。むしろ光栄に存じます」
「でも、今までどおりに接してくださいね」
「今までどおり、でございますか?」
「急に丁寧になったり、特別な呼び方をされたりしたら困るもの」
エルヴィスは僅かに目を伏せた。
「……承知いたしました」
短い間を置き、顔を上げる。
「では、これまでどおりルアンナ嬢と呼ぶとしよう」
「嬢も別に要らないんだけど」
「それは私の自由である」
「戻るのが早いわね」
「今までどおりを望んだのは、ルアンナ嬢であろう?」
「そうだけど」
ルアンナが呆れたように息を吐く。
その表情から緊張が抜けたのを確認すると、エルヴィスは立ち上がった。
「少々困らせた詫びも兼ねて、必要な物を渡そう」
「私に?」
「正確には、ルアンナ嬢とアンガードの両方に、であるな」
エルヴィスは工房の奥にある棚を開き、小さな金属製の箱を取り出した。
箱には複数の封印具が付けられている。
それらを決められた順番で解除し、蓋を開いた。
内部には、透明な容器が収められている。
容器を満たしているのは、僅かに青白く輝く液体だった。
「これは?」
「炎龍種の血液を基に精製された、熱緩衝用の流体である」
エルヴィスは容器を取り出し、窓から差し込む光へ透かした。
「流体系の循環液へ少量混ぜることで、高出力時に生じた熱を一時的に吸収する」
「冷たくなるの?」
「直接冷やすわけではない。熱を内部へ抱え込み、筋繊維や結合芯へ伝わる速度を遅らせるのである」
「吸収した熱はどうなるの?」
「動作を止めた後、時間を掛けて外部へ放出する。連続使用には向かぬが、短時間の高出力を扱うのであれば有効であろう」
ルアンナは青白い液体を見つめた。
「それって……」
「ああ」
エルヴィスが頷く。
「アンガードが抱えている排熱問題へ使えるはずだ」
「どうして、こんな物を持っているの?」
「君たちと別れた後、相棒――ルーファスへ頼んで取り寄せた」
「その時には、まだ出力が倍になるなんて分からなかったでしょう?」
「可能性は考えていた」
エルヴィスは事もなげに答える。
「メタルライガーの腱と牙が持つ性質。アンガードが選んだ設計。そして、あやつが合金の調整を任せた鍛冶師」
「全部が、うまく噛み合いすぎる可能性があった?」
「そうである」
「それで、先に冷却用の物を?」
「使わずに済めば、それでよかった。私の試作品にも使えるからな」
「だったら、アンガードへ直接渡してくれればよかったのに」
「直接渡せば、対価を支払うと言い張るであろう」
「言いそうね」
「さらに、入手経路と費用を聞き、同じ物を自分で調達できないか調べ始める」
「それもやりそう」
「その間、設計が止まる」
「間違いなく止まるわね」
「故に、ルアンナ嬢へ渡す方が早い」
エルヴィスは容器を差し出した。
「量は多くない。星鉄製MAPの最大出力を、排熱できる程はない」
ルアンナの指が、僅かに止まる。
「だが、今造っている四肢MAPの排熱を補助するには充分なはずだ。星鉄製MAPから排熱部品を取り外す必要もなくなる」
「星鉄製MAPに入っている物と、同じなの?」
「基材は同じである」
エルヴィスは容器を軽く揺らした。
「ただし、アンガードが星鉄製MAPへ使った物は、あの骨格が発する熱と、ルアンナ嬢の動きに合わせて調整されているのであろう。そちらは、精製前の原液に近い」
「そのまま入れればいいわけではないのね」
「ああ。新しい四肢MAPへ合わせて濃度を決め、流体系へ組み込むのはアンガードの仕事である」
「炎龍ねぇ。それこそ熱くなりそうなのに、不思議ねぇ……」
「その疑問も分からないではないが……」
エルヴィスは容器を窓辺の光へ透かした。
「炎龍は、体内で絶えず莫大な熱を生み出している。にもかかわらず、自らの血肉が焼けぬのは、血液が余分な熱を一時的に抱え、全身へ分散させているからだ」
「炎を生み出すための血が、自分を冷ます役目も持っているの?」
「生物である以上、熱くなりすぎれば冷まし、冷たくなりすぎれば温める必要がある。それができなければ、自らが生み出した力で先に死ぬ」
エルヴィスは青白い液体へ視線を落とした。
「これは、その働きを担う成分だけを抽出し、流体系で扱えるよう安定させた物である。冷気を生む液ではない。危険な場所へ熱が届くまでの時間を稼ぐための物だ」
「時間を稼いでいる間に、外へ逃がす構造を造る?」
「そうである。それができなければ、いずれ流体そのものが熱を抱え切れなくなる」
ルアンナは容器を見つめた。
これだけで問題が解決するわけではない。
それでも、アンガードが新しい排熱構造を造るために必要な、最初の一歩にはなる。
エルヴィスは、全てを知っていたわけではない。
素材の性質。
アンガードの設計。
そして、アンガードが認めた鍛冶師の仕事。
それらを信じ、必要になるかもしれない物を用意していた。
「これを、貰っていいの?」
「必要な物だと言ったであろう」
「高いんじゃない?」
「値段を聞けば、アンガードへ返すのか?」
「……可能性はあるわね」
「ならば、聞かない方がよい」
ルアンナは容器を両手で受け取った。
「有り難く頂戴します」
「詫びも兼ねた品だ。遠慮なく受け取るといい」
エルヴィスは満足そうに頷いた。
「それを渡せば、アンガードも工房から出てくるであろう」
「出てくるかしら」
「問題が解決した直後に、四肢の配分を最初から調べ直す可能性もあるな」
「やめて。想像できるのが嫌だわ」
◯
ルアンナとクリスが立ち去った後、仮拠点には再び静けさが戻った。
エルヴィスは窓辺に立ち、森の道を遠ざかっていく二人の背中を見送る。
最後にルアンナが振り返り、小さく手を振った。
眩い笑顔だった。
エルヴィスも、それに応えるように片手を上げる。
二人の姿が木々の向こうへ消えると、ゆっくりと手を下ろした。
作業台の上には、返された脚部MAPが置かれている。
誰かの身体を補うために造られたもの。
壊れれば、傷んだ部品を交換できる。
失われれば、同じ規格の部品を組み合わせ、再び身体として動かすこともできる。
それが、エルヴィスの目指してきた技術だった。
誰もが身体を取り戻せるようにする。
失った者を、長く待たせないようにする。
だが、どれほど技術を磨いても、全てが同じように戻せるわけではない。
造り直せる身体がある一方で、一度失えば、二度と取り戻せないものもある
「アンガード……」
誰もいない工房で、エルヴィスが静かに呟く。
「お前には、私のような思いをせずに穏やかに生きてほしいものだ」
その声に答える者はいなかった。