無差別の技師 〜MAP技師は身体を全て取り返す〜 作:羊毛ローブ
アンガードは測定器に並んだ数値を見比べると、作業台の横に立つルアンナへ顔を向けた。
「もう一度、四肢へ魔力を流してくれ」
「どのくらい?」
「普段動かす時と同じでいい。今は出力より、流れ方を見たい」
ルアンナが頷き、新しい四肢へゆっくりと魔力を通した。
両腕から両脚へ。
そして、両脚から再び両腕へ。
魔力が四肢の内部を巡るにつれ、測定器に示された温度が僅かに上昇していく。
しかし、熱は一つの部位へ留まらない。
左脚で生じた熱が右脚へ流れ、さらに両腕へ分散する。四肢全体を一つの循環路として使うことで、局所的な温度上昇が抑えられていた。
数値はそのまま安定し、やがて緩やかに低下を始める。
「やっぱりか」
「何が?」
ルアンナが左手を開閉しながら尋ねた。
「兄さんの予想どおりだった」
アンガードは測定器の記録を最初から見直す。
「左脚だけで熱を処理しようとすれば、また同じ場所に負荷が集中する。だから、四肢すべてを使って熱と魔力を循環させた方がいいって言ってたんだ」
「エルヴィスさんは、最初からこうなると分かっていたのね」
「ああ。兄さんは、MAPに関する予想をほとんど外さない」
アンガードは一度言葉を切った。
「その代わり、それ以外の予想はよく外すけどな」
「それ、褒めているの?」
「もちろん褒めてる」
アンガードは即答した。
「俺が流体系を組み直すより先に、必要になる性質まで見抜いて用意してたんだ。MAP技師として、これ以上頼りになる人はそういない」
ルアンナが小さく笑う。
「本人に言ってあげれば?」
「兄さんなら、『当然の結果である』としか言わないだろ」
「言いそうね」
アンガードは測定器から伸びた細い針を、ルアンナの左腕へ軽く当てた。
流体系を満たす媒体は、四肢を巡る魔力を受け止めながらも、ほとんど性質を変えていない。
単に熱へ強いだけではない。
高温に晒されながら、魔力を循環させるための媒体としても極めて安定している。
「にしても、これ……炎龍は炎龍でも、古代種の血を媒介にしてるな」
「古代種?」
「ああ」
炎龍の血は、熱と魔力の双方に強い耐性を持つ。
だが、現在確認されている一般的な炎龍の血では、ここまでの安定性は得られない。
さらに古く、原始的な性質を濃く残した炎龍。
その古代種の血が、流体系の媒体へ僅かに混ぜられている。
「炎の力をMAPへ加えたわけじゃない。熱を抱えても変質せず、魔力を循環させ続けるために使ってる」
「そんな物、どこで手に入れたのかしら」
「聞いても、『手元にあったから使った』としか言わないだろうな」
「それも言いそうね」
古代種の炎龍の血が、一般的な素材と同じように手元へ転がっているはずがない。
入手にどれほどの手間が掛かったのか。
どれほどの価値を持つ素材なのか。
エルヴィスは何も語らず、必要だからと差し出した。
「仕方ない。兄さんは、金を渡したところで礼として受け取ってくれる人じゃないからな」
「何かお礼をするの?」
「礼になるかは分からないけど、何もしないよりはいいだろ」
アンガードは少し考え、ルアンナを見る。
「この前、お前が買った高級林檎があったよな?」
「あるけど」
「クリスさんが空間魔法で保存してくれてるはずだ。今度、それを持っていくか」
「私の林檎を?」
「一つだけだ」
「勝手に決めないでよ」
「駄目か?」
ルアンナはアンガードの顔を見たまま、僅かに考え込んだ。
「……一つならいいわ」
「二つは?」
「残り三つでしょ?」
「分かった。一つにする」
アンガードは素直に引き下がった。
古代種の炎龍の血と、高級林檎一つ。
価値が釣り合うはずはない。
それでも、金銭よりエルヴィスが喜ぶ物を考えるなら、それが一番だった。
「礼の話は、これが本当に完成してからだな」
「まだ完成じゃないの?」
「工房で確かめられる範囲では完成してる」
アンガードは、ルアンナの四肢を順番に見た。
高出力の踏み込みと、軸足としての負荷を担う左脚。
軽さと反応を優先した右脚。
精密な動作と柔軟性を求められる両腕。
同じ仕様の四肢を揃えたのではない。
それぞれの役割に合わせて組み上げ、血管系と流体系を通じて一つの身体として連動させている。
基本動作、感覚伝達、魔力循環。
工房で行える試験では、いずれにも問題は確認されなかった。
それでも、アンガードはまだ完成を認めるつもりはない。
歩ける。
走れる。
物を掴める。
それだけでは、ルアンナの身体として十分ではなかった。
「実際に戦って、お前の出力と技の反動に耐えられるところまで確認する」
「最初から、そのつもりよ」
ルアンナが作業台から離れる。
新しい両脚は、彼女の意思へ遅れることなく応えた。
「それじゃあ、行きましょうか」
試験場所として選ばれたのは、《天狼の寝床》の訓練場だった。
◯
「なら久しぶりに、ワッチがルアンナの相手をしてやろう」
そう申し出たのは、普段は受付で本を読み、依頼人と冒険者を取り次いでいるルピナスだった。
しかし、ひとたび戦闘となれば話は別だ。
純粋な戦闘能力だけを比べるなら、《天狼の寝床》の誰もがルピナスを最強と認めていた。
その強さは、ギルドの中だけに収まるものではない。
かつて、神話の再現と呼ばれ討伐不可とさえ言われた黄金天狼を単独で討ち、殿堂入り《ブラック》へ至った。
世界でも指折りの冒険者である。
「本気でやってもいいの?」
訓練場の中央へ向かいながら、ルアンナが尋ねる。
「構わん。新しい身体がどこまで耐えられるのか、確かめるための手合わせじゃろう?」
「壊したら、アンガードに怒られるわよ」
「壊れる物を造ったアンガードが悪い」
「俺のせいにするな」
少し離れた場所で測定器を準備していたアンガードが、すぐに言い返した。
ルピナスは愉快そうに笑う。
「安心せい。手加減はしてやる」
その言葉を聞き、ルアンナは両手を握った。
足裏で地面の感触を確かめる。
新しい四肢は、まるで最初から自分の身体だったかのように動いた。
ルピナスが片手を上げる。
「いつでもよいぞ」
最初に動いたのはルアンナだった。
右脚で地面を蹴り、一気に間合いを詰める。
ルピナスの顔へ向けて拳を振るうが、その手首を軽く受け流された。
ルアンナは流された勢いを殺さず、その場で身体を回転させる。
左脚を軸にした蹴りが、ルピナスの脇腹へ迫った。
ルピナスは片腕で受け止める。
衝撃によって、足元の地面が僅かに沈んだ。
それでも、ルアンナの左脚から異音は聞こえない。
姿勢も崩れていなかった。
アンガードは測定器へ視線を落とす。
左脚の温度は上昇している。
だが、流体系は正常に働き、熱を四肢全体へ分散させていた。
筋繊維にも骨格にも異常はない。
結合芯に生じた負荷も、想定の範囲内に収まっている。
ルアンナは蹴りを引き、地面へ着地した。
間を置かず、ルピナスの胸元へ掌を突き出す。
「《
ルピナスは掌の前へ腕を差し入れた。
防がれたはずの衝撃が、その腕を通り抜けて身体へ届く。
ルピナスの上体が僅かに揺れた。
「ほう」
その反応を見ながら、ルアンナはさらに左脚を踏み込んだ。
掌へ、先ほどよりも強い衝撃を凝縮する。
以前の左脚を破損させた技。
新作MAPが、その反動に耐えられるかどうか。
ルアンナは迷わず放った。
「《
凝縮された衝撃がルピナスの身体へ流れ込み、内側で炸裂する。
腹の底へ響くような音とともに、ルピナスの足元から亀裂が広がった。
同時に、技の反動がルアンナの左腕から体幹を通り、両脚へ返ってくる。
新作MAPの内部を、大きな負荷が駆け抜けた。
それでも四肢は止まらない。
筋繊維の断裂もない。
骨格の歪みも、結合芯の緩みも見られなかった。
流体系の温度は一気に上昇したが、危険域へ達する前に低下し始めている。
アンガードは測定器を確認したまま、静かに息を吐いた。
ルピナスも腕を下ろし、ルアンナの四肢を見回す。
「ほう。《直撃》はまだしも、《撃滅》を使っても壊れる予兆がないか」
「まだ終わりじゃないわよ」
「分かっておる」
ルピナスの金色の瞳が、楽しそうに細められた。
「ならば、久しぶりに少しギアを上げるかのう」
ルピナスの身体から、目に見えない圧力が広がった。
外見は変わらない。
小柄な人の姿を保ったまま、その内側に眠る天狼の力だけが引き出されていく。
祖先たる獣の力を、人型のまま身体へ降ろす高等技法。
亜人族の中でも、扱える者は極めて少ない。
奥義――《獣降ろし》。
ルアンナは反射的に腰を落とした。
次の瞬間、目の前にいたはずのルピナスが消えた。
「後ろじゃ」
背後から声が聞こえる。
ルアンナは振り返りながら右腕を振るう。
しかし、そこにルピナスはいない。
すでに側面へ回り込んでいたルピナスの蹴りが、ルアンナの両腕へ叩き込まれた。
ルアンナの身体が横へ押し流される。
両脚で地面を削りながら、どうにか踏み止まった。
受け止めた両腕から両脚まで、大きな衝撃が突き抜けている。
だが、新作MAPは動き続けていた。
ルアンナは地面を蹴り、再びルピナスへ迫る。
右腕を囮として振るい、その陰から左の掌を突き出した。
ルピナスが身をかわす。
ルアンナは左腕を引き戻し、右脚で地面を蹴った。
威力だけなら、《直撃》を上回る。
さらに、《撃滅》よりも強い。
衝撃を相手の内側へ通す技巧も、内側で炸裂させる制御もない。
両脚の踏み込み。
体幹の捻り。
両腕の出力。
四肢すべてを連動させ、全身の力を右拳の一点へ集約する、純粋な物理打撃。
全盛期のルアンナであれば、通常の攻撃では仕留めきれない、少し手強い敵へ使う程度の技だった。
しかし、今の身体にとっては、四肢すべてへ最大級の負荷を掛ける一撃となる。
「《
踏み込んだ地面が陥没した。
新作MAPの全出力を乗せた右拳が、ルピナスへ迫る。
ルピナスは避けなかった。
正面から、その拳を掌で受け止める。
訓練場へ轟音が響いた。
巻き上がった土煙が、二人の姿を覆い隠す。
やがて煙が晴れる。
ルアンナの拳は、ルピナスの掌によって完全に止められていた。
新作MAPには、亀裂も変形も見られない。
流体系も余裕こそ失っているが、かろうじて安全域を保っていた。
「《破砕》まで使っても、壊れる兆しがないか」
ルピナスが満足そうに頷く。
その視線が、訓練場の端にいるアンガードへ向いた。
「ようやく、少しは形になったのう。アンガード」
「まだ試験は終わってないだろ」
「そうじゃな」
ルピナスが笑う。
次の瞬間、その姿がルアンナの視界から消えた。
ルアンナが反応した時には、ルピナスの指先が首元へ触れていた。
あと僅かに力を加えられていれば、勝負は決まっている。
「そこまでじゃ」
ルアンナは一拍遅れて構えを解いた。
「やっぱり、まだ勝たせてはくれないのね」
「新しい身体に慣れた程度で、ワッチに勝てると思うておったのか?」
「少しくらい期待してもいいでしょう?」
「期待するのは自由じゃ」
ルピナスはそう言ってルアンナから離れた。
その身体には、まだ《獣降ろし》の力が薄く残されている。
「ふむふむ。これなら及第点をやってもよかろう」
「これで及第点か。先はやっぱり長いわね」
ルアンナは両手を開閉し、自分の新しい四肢を見下ろした。
以前とは違う。
《撃滅》を使っても壊れなかった。
《破砕》の反動にも耐えた。
《獣降ろし》を使ったルピナスの攻撃を受けても、四肢は最後まで動き続けた。
確かな進歩だった。
しかし、ルピナスの評価は決して甘くない。
「身体の動きだけを見れば、全盛期の六割を少し越えたところかのう」
「それでも六割なのね」
「以前の物よりは遥かにましじゃ。少なくとも、四肢がルアンナの動きに耐えられんという問題は、ひとまず越えたと言ってよかろう」
ルピナスはルアンナの両手へ視線を落とす。
「じゃが、ルアンナの力というものは、身体能力だけではないからのう」
「魔素の吸収ね」
「そうじゃ」
かつてのルアンナは、全身から大気中の魔素を取り込むことができた。
中でも両の掌から行う吸収は凄まじく、周囲の魔素を一時的に枯らすほどだった。
取り込んだ魔素を体内へ巡らせ、自らの力へ変換する。
そして、必要な瞬間に全身から放出する。
高い身体能力だけではない。
周囲の魔素を自らの力へ変え、戦いながら補い続けられることも、全盛期のルアンナを支えていた。
新作MAPの流体系は、ルアンナ自身の魔力を四肢へ循環させ、蓄え、必要な力へ変換できる。
発生した熱を分散し、外部へ逃がすこともできた。
しかし、大気中の魔素を取り込む機能は、ほとんど再現できていない。
「今のお主は、自分の内にある魔力を、新しい四肢へ通しておるだけじゃ」
ルピナスが続ける。
「全身から魔素を吸い上げ、自らの力として放つところまでは、まだできておらん」
ルアンナは自分の掌を見つめた。
見た目も、感触も、生身だった頃と変わらない。
けれど、かつての身体との差は、まだ確かに残っている。
「吸収まで含めれば、総合して全盛期の五割ほどじゃな」
「身体だけなら六割。でも、私の力としては五割……」
「そういうことじゃ」
ルピナスはアンガードへ顔を向けた。
「難しいのは分かっておる」
先ほどまでの軽い調子を少しだけ抑え、問いかける。
「それでも、お前が掲げておるのは、元の身体と同じ物を造ることなのじゃろう?」
アンガードは迷わず頷いた。
「ああ」
ルアンナが戦える身体を造るだけではない。
歩けること。
触れられること。
力を振るえること。
そして、かつての身体に備わっていた機能を、一つ残らず取り戻すこと。
「そのつもりだ」
「ならば、及第点で満足しておる暇はないのう」
「最初から満足なんかしてない」
「それでこそじゃ」
ルピナスは笑った。
新作MAPは完成した。
しかし、アンガードが目指すものにとっては、ようやく一つの問題を越えたにすぎない。
「おっ、ばっちゃん!」
訓練場の入口から、よく通る声が響いた。
「久しぶりに《獣降ろし》を使ってるじゃん!」
そこに立っていたのは、白髪と褐色の肌を持つ、小柄な少年のような人物だった。
幼い外見とは対照的に、その歩みには不自然なほどの重みがある。
一歩進むたび、硬く踏み固められた地面へ薄い足跡が残った。
プロス・テージス。
討伐依頼へ出ていた、《天狼の寝床》の冒険者である。
「プロス、帰ってきたのか」
ルピナスが振り返る。
「依頼は無事に終わったのかの?」
「当たり前だろ!」
プロスは胸を張って答えた。
その視線は、すぐに《獣降ろし》の力を残しているルピナスへ戻る。
「それより、ばっちゃん。久しぶりに俺とも手合わせしてくれよ!」
「ワッチは今しがた、ルアンナの相手をしたばかりなのじゃが?」
「まだ《獣降ろし》を解いてないんだろ? だったらちょうどいいじゃん」
ルピナスは呆れたように息を吐く。
しかし、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
「ふむ。まあ、よかろう」
「よし!」
プロスが訓練場へ入る。
ルアンナたちが場所を譲る中、プロスは肩を回しながら、ルピナスの正面へ立った。
「今度こそ届かせてやるからな、ばっちゃん」
「帰って早々、元気なことじゃ」
ルアンナは訓練場の端へ下がりながら、自分の新しい掌を見下ろした。
流し、蓄え、変換することはできる。
だが、外から取り込むことはできない。
顔を上げる。
プロスの肩口へ、大気中の魔素が集まり始めていた。
それは、今のルアンナには失われている力だった。