無差別の技師 〜MAP技師は身体を全て取り返す〜 作:羊毛ローブ
17話「歩く為の脚」
翌日。
ルアンナの魔素吸収に関する検証は、ひとまず中断されていた。
何の成果もなかったわけではない。
掌の外へ伸ばした魔力へ、周囲の魔素が僅かに引き寄せられるところまでは確認できた。
だが、そこからMAP内部へ取り込もうとすると、集まった魔素は散ってしまう。
今の構造のまま同じことを繰り返しても、結果は変わらない。
次に試すなら、何か一つ。
今までとは違うものが必要だった。
アンガードはそう判断し、検証を一度区切った。
そして今日は、以前から約束していた用事を済ませるため、ルアンナとクリスを連れて森の外れまで来ている。
クリスの傍らには、青い翼を畳んだルーフェの姿もあった。
「本当に一つだけなのね」
エルヴィスが仮拠点として使う小屋を前に、ルアンナが不満そうに言った。
アンガードの手には、小さな布包み。
中には、クリスの空間魔法で保存されていた高級林檎が一つ入っている。
「一つならいいって言ったのは、お前だろ」
「古代種の炎龍の血を貰ったお礼なのよ? 一つじゃ少なすぎない?」
「二つ渡したら、お前の分が減るぞ」
「それは困るわ」
「なら一つでいいだろ」
「理屈ではそうなんだけど、何か納得できないのよね」
「林檎一個で釣り合うと思って持ってきたわけじゃない。兄さんが金を渡して喜ぶ人じゃないから、喜びそうな物を考えたらこれだっただけだ」
「でしたら、渡す前から惜しまない方がよろしいかと」
横からクリスが口を挟む。
「惜しんでないわよ」
「先ほどから、その包みを何度も見ていらっしゃいますが」
「気のせいよ」
「そういうことにしておきます」
「クリス、最近少し意地悪になってない?」
「ルアンナ様ほどではございません」
「私、そんなに意地悪じゃないわよ」
二人のやり取りを聞き流しながら、アンガードは小屋の扉へ手を伸ばした。
その時だった。
「申し訳ないが、その依頼は引き受けられぬ」
閉ざされた扉の向こうから、聞き慣れた声が届いた。
アンガードの手が止まる。
「どうしたの?」
ルアンナが尋ねる。
アンガードは答えず、扉を見つめた。
聞き間違えるはずがない。
落ち着いた声。
僅かに芝居がかった言い回し。
そして何より、MAPに関することなら、多少の無理難題すら面白がる兄弟子。
「……兄さんが、MAPの依頼を断った」
「エルヴィスさんが?」
ルアンナも目を瞬かせた。
クリスの表情からも、僅かに柔らかさが消える。
アンガードは扉を叩いた。
「兄さん、いるか?」
「その声はアンガードか。入るがよい」
扉を開ける。
小屋の中央には、エルヴィスとミラがいた。
壁際には工具と部品が用途ごとに並び、中央の作業台には分解途中のMAP。
以前と変わらない、エルヴィスらしい工房だった。
ただ一つ。
作業台の前に立つミラだけは、いつもと違っていた。
両手を胸の前で握り、俯いている。
その顔には、隠し切れない落胆が浮かんでいた。
「あっ、アンガードお兄ちゃん……」
「ミラ?」
アンガードは中へ入り、ミラとエルヴィスを見比べる。
「何の話をしてたんだ?」
「その前に」
エルヴィスの視線が、アンガードの手元へ移った。
「そちらは、私への品であろう?」
「こういう時だけ目ざといな」
「林檎であれば、見逃す理由がない」
アンガードは布包みを作業台へ置いた。
「この前の素材の礼だ。ルアンナの高級林檎」
「私の、というところは忘れないでね」
「一つだけか?」
「一つでも渡したことを有り難いと思って」
「ふむ」
エルヴィスは布を僅かに開き、林檎の色艶を確かめた。
「悪くない」
「礼を貰った側の第一声じゃないだろ」
「礼であろうと、物の良し悪しは別である」
「それで」
ルアンナが半ば強引に話を戻した。
「何を断ったの?」
エルヴィスは林檎から手を離す。
視線を向けられたミラが、少し迷った後で口を開いた。
「お父さんの工房へ、よく来る子がいるの」
「義足を使ってるって言ってた子か?」
アンガードには覚えがあった。
以前、ドゥーガの左腕MAPを見せた時。
ミラは、生まれつき両脚がなく、普段から義足を使っている常連客の娘について話していた。
「うん。ノエラっていう子」
『……ノエラ?』
不意に届いた声に、クリスが傍らへ目を向けた。
ルーフェが顔を上げている。
「ルーフェ?」
『そういや……昔、あいつが話してたな』
青い鳥は、何かを思い返すように目を細めた。
『「お父さんの仕事で、よくドゥーガさんって人の鍛冶場に連れてってもらうの。ミラちゃんって、同じくらいの歳の女の子がいてね」って』
クリスの表情が僅かに変わる。
「……どうしたの?」
ミラが尋ねた。
「ルーフェが、そのノエラという少女を知っているようです」
「ルーフェが?」
「はい。以前、その子自身から聞いたそうです。父親の仕事でドゥーガ様の鍛冶場へよく連れていってもらうこと。そこで、自分と同じくらいの歳のミラという女の子と会うことを」
「それ、ノエラだよ!」
ミラがルーフェを見る。
「ミラのことも話してたの?」
『ああ』
ルーフェが静かに頷いた。
少しだけ間を置いてから、再びクリスへ声が届く。
『俺が魔獣……レッドライガーだったころ、何度も背に乗せて森を歩いた』
クリスは一瞬だけルーフェを見つめた。
そして、皆へ向き直る。
「まだ聖霊獣になる前――レッドライガーだった頃、ルーフェは何度もノエラを背へ乗せ、森を歩いていたそうです」
「そうだったの?」
ミラが驚いたように尋ねる。
ルーフェは、もう一度頷いた。
『あいつ一人じゃ、森の奥までは行けなかったからな』
「ノエラ一人では行けない場所へ、ルーフェが連れていっていたそうです」
木々の奥へ。
森の風が届く場所へ。
自分の脚だけでは辿り着けない景色を、ノエラはレッドライガーの背から何度も見ていた。
だが。
今のルーフェは、もうレッドライガーではない。
聖霊獣となり、ブルーフェニックスへ姿を変えている。
以前のように少女を背へ乗せ、森の中を歩くことはできなかった。
『……まさか、あいつの話だったとはな』
クリスは何も付け加えず、ただルーフェの頭を一度撫でた。
「それで」
アンガードがミラへ向き直る。
「ノエラのMAPを、兄さんに頼みに来たのか?」
「うん」
ミラは小さく頷いた。
「お父さんの腕を見て、ノエラにもMAPが作れるんじゃないかって思ったの」
ドゥーガの左腕は、本人の身体へ接続されている。
物を掴む。
金槌を振るう。
熱した金属を押さえる。
失う前と完全に同じではない。
それでも、本人の意思で動かす身体として確かに機能していた。
「アンガードお兄ちゃんは、ルアンナお姉ちゃんの新しいMAPを作ったばっかりで、まだ忙しいと思って……」
「それで兄さんへ聞きに来たのか?」
「エルヴィスさんなら、いろんな人が使えるMAPを作ってるんでしょう?」
「間違ってはいない」
エルヴィスが答える。
「私が目指しているのは、一人の身体だけへ合わせたMAPではない。可能な限り構造を共通化し、多くの者へ届けられる物である」
「だったら、ノエラにも――」
そこまで口にして、ミラの声が止まった。
「どうした?」
「……そういえば、私、忘れてた」
「何をだ?」
「MAPって、すごくお金が掛かるんだよね?」
ミラは胸の前で握った自分の手へ目を落とした。
「お父さんの腕だって、普通の義手とは全然違うって聞いたし……」
「ああ」
アンガードは否定しなかった。
MAPは安い物ではない。
素材。
加工。
設計。
調整。
装着する身体側への処置。
本人の身体として動かす物である以上、普通の義肢とは比べものにならない手間が掛かる。
「だから……ノエラの家じゃ、作れないのかもしれないって思って」
それでも、とミラは続ける。
「作れるかどうかだけでも、聞いてみたかったの」
「費用の問題ではない」
エルヴィスが静かに告げた。
ミラが顔を上げる。
「金銭の話は、造れると分かってからするものである」
「でも、お金がなかったら……」
「支払い方を相談することはできよう。素材や製作方法によって、変えられる部分もある」
エルヴィスはそこで一度言葉を切った。
「だが、今はそこへ至っておらぬ」
「どういうこと?」
「金を受け取り、完成品として渡せるMAPを、今の私には造れぬということだ」
ミラの表情が曇る。
「脚の形をした物であれば造れる。身体を支え、立つことを補助する義足も造れる。しかし、それをノエラ嬢自身の脚として動かすことができぬ」
「MAPは、自分で動かせるんじゃないの?」
「身体から、動かすための信号が届けばな」
エルヴィスは作業台に置かれていた神経系MAPの細い束を持ち上げた。
「腕を曲げようと考えれば、その意思は神経を通じて信号となる。MAPはそれを受け取り、内部の筋繊維を動かす」
細い束を作業台へ戻す。
「同時に、触れた感覚や、関節がどの位置にあるのかを身体へ返す。それを繰り返し、MAPは装着者の身体へ馴染んでいく」
「お父さんも?」
「ああ」
アンガードが答えた。
「おやっさんは、腕を失う前に何十年も腕を使ってた」
指を曲げる。
肘を伸ばす。
金槌を振るう。
物を掴む。
力を入れる。
力を抜く。
ドゥーガの身体には、それまで使い続けてきた腕の動かし方が残っていた。
「腕そのものはなくなっても、どう動かすかを身体は知ってた。だから、その行き先へMAPを繋げられる」
アンガードは自分の右手を握り、再び開く。
「ルアンナも同じだ」
「ええ」
ルアンナが自分の両脚を見る。
「私は、失う前に立つことも歩くことも知っていた。だから今の脚にも、以前の脚を動かしていた感覚を使える」
「でも、ノエラは違う」
アンガードが言う。
「生まれつき両脚がないんだろ?」
「うん……」
「なら、脚を使った経験がない」
一歩を踏み出す。
膝を曲げる。
足裏で地面を踏む。
身体が傾けば、倒れないよう無意識に力を入れる。
生まれた時から脚を持つ者なら、やがて考える必要すらなくなる動き。
だが、ノエラには、その経験そのものがない。
「普通の脚部MAPが前提にしている動かし方を、ノエラの身体はまだ知らない」
「じゃあ……練習すれば?」
「その練習を始めるための、最初の動かし方がないのである」
エルヴィスが答えた。
「さらに、ノエラ嬢自身の身体認識に、脚が存在しておらぬ」
「身体認識?」
「目を閉じてみるがよい」
ミラは言われるまま目を閉じる。
「右手を上げよ」
右手が上がった。
「見えておらぬな?」
「うん」
「それでも、今、自分の右手がどこにあるか分かるであろう?」
「分かる」
「それが身体認識の一つである」
ミラが目を開けた。
「自らの身体がどこにあり、どう動き、どこから感覚が届いているのか。普段は意識せずとも、身体はそれを理解している」
「ノエラには……それがないの?」
「少なくとも、脚についてはな」
エルヴィスの声は冷たくなかった。
ただ、技師として誤魔化すことなく事実を伝えている。
「脚部MAPを装着することはできる。しかし、それだけでノエラ嬢の身体になるわけではない」
「エルヴィスさんでも?」
「ああ」
エルヴィスは迷わず答えた。
「動かぬ可能性が高いと理解している物を、完成したMAPとして渡すことはできぬ」
ミラが俯く。
その横で、アンガードも作業台へ視線を落とした。
「兄さんの判断は正しい」
ミラが顔を上げる。
「アンガードお兄ちゃんも、作れないの?」
「今の俺には無理だ」
アンガードも、そこだけは濁さなかった。
「俺は、失った身体を再現するのが得意だ。本人が昔どう動いてたか、どんな感覚を持ってたか。それが残ってれば、それに合わせて造れる」
身体の形。
神経の反応。
魔力の流れ。
積み重ねてきた動きの癖。
情報があれば、それを拾い上げて身体へ戻していくことができる。
だが。
「ノエラには、戻すための元の脚がない」
小屋の中が静かになった。
「ないものを、そのまま戻すことはできない」
その言葉に、ミラの指が強く握られた。
『……今は、もう乗せてやれねえしな』
低く届いた声に、クリスがルーフェへ目を落とす。
「ルーフェ……」
『あいつ、何か言ってなかったか?』
クリスがミラへ顔を向けた。
「ミラ様」
「なに?」
「ノエラは、今も森へ行きたがっていますか?」
「うん」
ミラは少しだけ考えてから、続ける。
「いつか、自分の脚で歩いてみたいって言ってた」
ルーフェの瞳が、僅かに見開かれた。
「ルーフェと一緒に?」
クリスが尋ねる。
「うーん……ルーフェじゃなくて、レーちゃんって言ってたよ」
『…………レーちゃん』
ルーフェの翼が、ぴくりと揺れた。
まだクリスと契約し、《ルーフェ》という名を与えられる前。
ノエラが、レッドライガーだった彼を呼ぶためにつけた名前だった。
「今度は背中に乗せてもらうんじゃなくて――」
ミラは少しだけ笑った。
「レーちゃんの隣を、自分の脚で歩いてみたいって」
『…………』
ルーフェは何も言わなかった。
青い翼が、ほんの僅かに開く。
やがて。
『……そうか』
短い声だけが、クリスへ届いた。
クリスは相棒を見つめる。
その様子を見てから、アンガードへ向き直った。
「……本当に、無理なのですか?」
向けられた先は、エルヴィスではなかった。
アンガードだった。
「クリスさん」
「技師の判断を、感情だけで覆せないことは承知しています」
クリスは一度だけルーフェへ目を向ける。
「できない物を、できると偽って造っていただきたいわけでもありません」
そして再び、アンガードを見る。
「それでも、本当に何一つ方法がないのでしょうか」
アンガードは、すぐには答えなかった。
作業台に並ぶMAPの部品を見る。
これまで造ってきたMAP。
失われた身体へ繋ぐための技術。
本人の信号を受け取り、動作へ変える。
感覚を返し、身体として馴染ませる。
どれも。
元になる身体があったことを前提としている。
「今の俺とエルヴィス兄さんだけじゃ無理です」
クリスの表情が僅かに沈む。
「でも」
アンガードが続けた。
「絶対に無理だとは、まだ言えない」
エルヴィスが僅かに目を細める。
「ほう」
「どういうこと?」
ルアンナが尋ねた。
「俺たちに造れるのは脚だ」
骨格。
筋繊維。
神経系。
血管系。
流体系。
ノエラの体格に合わせた脚部MAPそのものなら、設計できる。
「問題は、それをノエラ自身の身体へする方法がないことだ」
「身体認識を作る、ということか?」
エルヴィスが尋ねる。
「ああ」
「心当たりがあるのだな」
アンガードは頷いた。
「……カーナの姉貴だ」
「カーナ?」
ミラが首を傾げる。
「俺たちの姉弟子だ。技師名は《
「装飾……?」
「皮膚系MAPの技師だよ」
アンガードは言った。
「姉貴は、俺たちじゃ繋げられないようなMAPを身体へ繋いできた」
「そんなことができるの?」
「ああ。皮膚の下にある接触面全部を、一つの受容基部みたいに扱うような真似までな」
ミラが瞬きをする。
「全部?」
「理屈だけなら単純なんだ」
アンガードは苦笑した。
「実際に、全部を狂わせず繋げられる奴が、姉貴しかいないだけで」
身体へ新しく繋がった物が、どこにあるのか。
そこから届く感覚を、身体のどの部分として受け取るのか。
カーナは幻想魔術とMAP技術を組み合わせ、その認識まで調整できる。
「姉貴なら、ノエラの中に今までなかった脚の認識を作る、その手掛かりを持ってるかもしれない」
「作れる、と断言はせぬのだな」
「ああ」
アンガードはエルヴィスを見る。
「姉貴だって、生まれつきなかった脚を身体として認識させた経験があるかは知らない」
「ならば、まだ仮説の段階である」
「そういうことだ」
完全な解決ではない。
ノエラが歩けると決まったわけでもない。
けれど。
閉じていた道に、僅かな隙間ができた。
「じゃあ、そのカーナさんにお願いすれば――」
「待ってくれ」
アンガードがミラを止める。
「まだ、依頼として受けられる段階じゃない」
「でも、できるかもしれないんでしょう?」
「可能性しかないんだ」
アンガードは作業台へ手を置いた。
「歩ける脚を完成させますって約束して、金を受け取ることはできない」
エルヴィスが頷く。
「その通りである」
「姉貴が加わっても、結局動かないかもしれない。身体認識を作れたところで、その先に別の問題が出るかもしれない」
ミラの表情が再び曇る。
「じゃあ、やっぱり……」
「完成品を渡す依頼としては、受けられない」
アンガードは一度言葉を切った。
「でも、検証としてならやれる」
「検証?」
「実際に試作品を造って、何が足りないのか確かめるんだ」
どこまで繋がるのか。
身体は何を受け取れるのか。
動かなければ、なぜ動かないのかを調べる。
感覚が返らなければ、構造を変える。
問題が見つかれば、造り直す。
「研究のためにノエラへ付き合ってもらうんじゃない」
アンガードは言った。
「ノエラの脚を造るために、分からないところを一つずつ確かめる」
「ただし」
エルヴィスが引き継ぐ。
「成功は約束できぬ」
ミラを見る。
「何度試しても動かぬ可能性がある。途中で、現在の技術では不可能だと判断することもあり得る」
「ノエラにも、それを話すの?」
「当然である」
「家族にもだ」
アンガードも答える。
「本人が嫌だって言ったら、そこで終わり。家族が納得しなかった場合も同じだ」
「危なくないの?」
「危険をできる限り無くして試す」
アンガードは言った。
「でも、身体へ繋ぐ以上、絶対に何も起きないとは言えない。そこまで含めて、俺たちからちゃんと説明する」
ミラはしばらく黙っていた。
やがて、ふと気づいたように言う。
「でも……試すだけでも、お金って掛かるんだよね?」
「掛かる」
アンガードは素直に答えた。
「試作品でも材料は使うからな」
「じゃあ……」
「ただ、それをノエラの家に払わせるつもりはない」
「え?」
ミラが顔を上げた。
「完成品を造って売る依頼じゃない。まだ分からないことを確かめるための検証だ」
アンガードは言葉を選びながら続ける。
「ノエラには、検証実験の被験者として協力してもらうことになる」
「被験者?」
「試作したMAPを身体へ繋いで、動くか、何を感じるか、どこに問題が出るかを確かめてもらう人のことだ」
何度も調整へ来てもらうことになるかもしれない。
思うように動かない脚で、同じ試験を繰り返すことになるかもしれない。
身体へ直接繋ぐ以上、負担も全くないとは言えない。
「だから、話は逆だ」
「逆?」
「ああ」
アンガードは頷いた。
「検証に協力してもらうなら、ノエラは金を払う側じゃない。報酬を受け取る側になる」
ミラが目を丸くした。
「ノエラがお金を貰えるの?」
「額や支払い方は、正式に話を進める時に決める。ただ、身体と時間を使って検証へ付き合ってもらう以上、その分の対価を出すのが筋だ」
「その点については、私も異論はない」
エルヴィスが言った。
「完成するか否かと、検証へ協力したことへの対価は別問題である」
「じゃあ……失敗しても?」
「払う」
アンガードは即答した。
「歩けるMAPが完成したかどうかを、報酬の条件にはしない」
「当然であろう」
エルヴィスが続ける。
「結果が出なかったとしても、何が機能しなかったかという情報は残る。それ自体が、次の設計へ繋がる知見となる」
そして、作業台へ並ぶ部品へ視線を移す。
「試作に必要な部品は、私の手持ちを使えばよい。私のMAPは構造を共通化している。検証と再利用には、アンガードの物より向いておる」
「兄さん」
「何であるか?」
「さっき断ってただろ」
「あれは正式な依頼として、完成を約束できぬから断ったのである」
エルヴィスは平然と答えた。
「検証に参加せぬとは言っておらぬ」
「随分都合のいい話だな」
「合理的と言え」
エルヴィスは作業台へ並ぶ部品を見たまま続けた。
「それに、もし成功すれば、ノエラ嬢だけの話ではなくなる」
アンガードが兄弟子を見る。
「生まれつき腕を持たぬ者」
エルヴィスは続ける。
「脚を持たぬ者」
従来のMAPでは、動かすための経験がないという理由で対象にならなかった者たち。
「その者たちへMAPを届けられる道が生まれる」
「兄さんらしいな」
「お前は違うのか?」
「俺はまず、目の前の一人を歩かせる」
「目的へ至る順序が違うだけであろう」
二人の視線が交わる。
考え方は違う。
だが。
造りたい物は、同じだった。
「もし、本当に動くMAPが完成したら?」
ミラが尋ねる。
「その時は、ノエラがそれを自分のMAPとして使い続けたいか、改めて話す」
「その時は、お金が掛かるの?」
「そこは別の話になる」
アンガードは答えた。
「検証用の試作品と、日常でずっと使う完成品は同じじゃない。使う素材も、成長に合わせて何回交換するかも、まだ分からない」
「では、完成後に必要となる費用は、その段階で改めて家族と相談することになる」
エルヴィスが補足する。
「ただし、それまでにノエラ嬢が受け取った検証への報酬とは別である」
「返さなくていいの?」
「当たり前だろ」
アンガードが答えた。
「検証に付き合ってくれた分の報酬なんだからな」
ミラは少し考える。
「じゃあ、途中でノエラが、もう嫌だって言ったら?」
「その時点でやめる」
アンガードは迷わなかった。
「それまで協力した分の報酬も払う。一度引き受けたからって、最後までやれなんて言うつもりはない」
「当然である」
エルヴィスも頷く。
「本人が望まぬ検証を続けたところで、良い結果など得られぬ」
ミラは二人を交互に見る。
そして、小さく頷いた。
「ノエラに話してみる」
「俺も行く」
「アンガードお兄ちゃんも?」
「ああ」
「私も同行しよう」
エルヴィスが言った。
「エルヴィスさんも?」
「私も検証へ参加するのであれば、説明する責任がある」
「じゃあ、カーナさんも?」
「いや」
アンガードは首を横へ振る。
「まずはノエラ本人の意思を確かめる」
「先に探さないの?」
「本人が望んでないのに、勝手に話を進めてどうする」
「あ……」
「ノエラが、それでも自分の脚を試したいって言ったら、その時に姉貴を探す」
「うん」
ミラが今度は強く頷いた。
「では」
クリスが尋ねる。
「カーナ様は、現在どちらに?」
「知らない」
即答だった。
「……連絡手段は?」
「ないわけじゃないんですけど、今どこにいるかは……」
アンガードがエルヴィスを見る。
「兄さんは?」
「知らぬ」
「即答かよ」
「カーナは昔から、一つの場所へ長く留まる女ではない」
「それでは、どうやって探すのよ」
ルアンナが尋ねる。
「まず師匠か、ほかの兄弟子に当たる」
アンガードは少し考えた。
「それで分からなかったら、酒場だな」
「酒場?」
「酒があるところなら、姉貴が立ち寄ってる可能性が高い」
クリスが僅かに首を傾げる。
「随分と信用されているのか、されていないのか分からない方ですね」
「技術は信用してますよ」
アンガードは答えた。
「それ以外は、あんまり」
「本人に聞かれれば、また揶揄われるぞ」
「兄さんが言わなきゃいい」
「考えておこう」
「言う気だろ」
エルヴィスの口元が僅かに緩んだ。
先ほどまで張り詰めていた空気も、少しだけ和らぐ。
何も解決してはいない。
脚を造るだけでは足りない。
生まれた時から存在しなかった身体を、ノエラ自身の中へ新しく造らなければならない。
アンガードにも。
エルヴィスにも。
まだ、その方法はない。
けれど。
そのために欠けているものを、一つ埋められるかもしれない技師がいる。
「ところで」
エルヴィスが作業台の林檎を手に取った。
「この林檎は、もう食べても構わぬのか?」
「話が終わった途端にそれかよ」
「重要な確認である」
「好きにしろ」
「待って」
ルアンナが素早く口を挟んだ。
「何であるか?」
「一口だけ頂戴」
「断る」
「どうしてよ!」
「私への礼であろう?」
「元々は私の林檎よ!」
「既に譲渡は完了している」
「そういうところだけ理屈っぽくならないで!」
小屋の中へ、先ほどまでとは違う声が響いた。
○
「うーん。暇だねぇ」
女は空になった杯を、指先で緩く回していた。
腰を越えて流れる髪は、白に近い淡い銀紫。
片側には太い編み込みが入り、長い髪をあえて崩すように柔らかくまとめている。
髪の間から覗く、すらりと長い耳。
白いゆったりとした内衣へ深紫の羽織を重ね、腰を黒い帯で締めた姿には、酒場には少々不似合いな上品さがあった。
ただし。
淡紫の瞳は心地よさそうに半ば細められ、頬と目元には酒気による赤みが差している。
「酒を飲むくらいしか、やることがないよ」
「お嬢ちゃん、そいつで七杯目だろう。飲みすぎだよ」
酒場の主人が呆れたように言う。
「口が上手いねぇ、マスター」
女は愉快そうに笑った。
「こんなおばさんを捕まえて、お嬢ちゃんだなんて」
「自分でおばさんと言う奴ほど、そう呼ばれると怒るもんだ」
「アタイは気にしないさ。もう一杯くれるなら、何と呼ばれても構わないよ」
「カーナ様」
隣席から短い声が掛かった。
青色の皮膚の女性が、じっと女を見ている。
「分かってるよ。飲みすぎだって言いたいんだろう?」
「はい」
「相変わらず正直だねぇ」
カーナと呼ばれた女は、空の杯を主人へ差し出した。
「そういや、あんた、この辺じゃ見ない顔だな」
主人が新しい酒を注ぎながら尋ねる。
「仕事で来たのかい?」
「まあね。師匠からの頼まれ事さ」
「へえ。何を頼まれたんだ?」
カーナは差し出された杯を受け取った。
「悪いけど、そこは言えないねぇ」
先ほどまでと変わらない、緩い笑顔。
だが、答えだけは明確だった。
「アタイ一人の話じゃないんでね」
「そりゃ悪かった」
「気にすることじゃないさ」
カーナは酒を一口飲む。
「頼まれたことは、ちゃんと見てきた。後は帰って報告すれば、仕事は終わりさね」
「では、すぐ戻られるのですか?」
青色の皮膚の女性が尋ねた。
「んー」
カーナは杯を傾けたまま、少し考える。
「せっかくここまで来たんだ。知った顔に挨拶くらいして帰ろうかねぇ」
「エルヴィス様ですか?」
カーナの杯が、ほんの僅かに止まった。
「……どうしてそこであいつの名前が出るんだい」
「違いましたか?」
「アン坊だっているだろう?」
「では、アンガード様へ?」
「……いや、まあ。アン坊にも顔は出すさね」
「では、エルヴィス様にも」
「別に、エルヴィスに会いに来たわけじゃないさね」
「私は、そこまでは申し上げておりません」
「……アンタ、たまに意地が悪いねぇ」
「恐縮です」
カーナは何事もなかったように杯へ口をつける。
「もう一杯貰おうかね」
「八杯目です」
「数えるんじゃないよ」
その時。
近くの席にいた数人の冒険者が立ち上がった。
依頼を終え、宿へ戻るらしい。
酒場の主人が、そのうち一人へ声を掛ける。
「おい、あんた。仮にも冒険者なら、自分の武器くらい忘れるんじゃないよ」
「はぁ?」
男が振り返る。
主人が指したのは、壁際へ立て掛けられた巨大な剣だった。
剣というより。
厚い鉄塊へ柄を取り付けたような代物。
幅広の刀身は人の胴ほどもあり、柄まで含めれば大柄な男の身長を優に超えている。
「俺の武器は宿だぜ」
「なら、あれは誰のだ?」
「ああ、悪い悪い」
カーナが片手を上げる。
「そいつはアタイのさね」
酒場が、一瞬静かになった。
冒険者が大剣とカーナを交互に見る。
「これが、あんたの?」
「ああ」
「冗談だろ」
「持ってみるかい?」
「言われなくても、通路を塞いでいたら邪魔だ」
男は大剣の柄を両手で掴んだ。
腰を落とす。
腕と背中へ力を込め、一気に持ち上げようとする。
剣は動かなかった。
「……っ!」
もう一度。
今度は足を踏ん張り、全身の力を使う。
それでも、刀身は床から僅かにも浮かない。
「何だ、この剣……」
男は柄を離し、荒く息を吐いた。
「力には自信があったんだが」
「だらしないねぇ」
カーナが椅子から立ち上がる。
右手で大剣の柄を掴んだ。
軽く引き上げる。
それだけで。
先ほどまで男が全力を尽くしても動かなかった鉄塊が、床から浮き上がった。
そのまま片手で立て直す。
そして。
柄頭を、右人差し指の腹へ乗せた。
巨大な剣が、指一本の上で静止する。
「嘘だろ……」
「聞いたことがある」
別の冒険者が呟いた。
「大重剣を扱う森人の女がいるって話を」
「ここいらじゃ、そんな呼ばれ方をしてるのかい?」
カーナは指の腹で剣を支えたまま笑う。
「大陸を越えりゃ、通り名まで変わる。面白い話さね」
その時だった。
酒場の外から、激しい物音が響いた。
続いて。
悲鳴。
「魔獣が逃げたぞ!」
「道を空けろ!」
客たちが一斉に入口へ顔を向ける。
大通りを、人々が走って逃げていた。
その向こう。
建物の一階部分へ届きそうなほど大きな、猿型の魔獣が姿を現す。
両腕を地面へ叩きつけるたび、重い音が響く。
首と胴には千切れた鎖。
背中には輸送用の拘束具が残っていた。
「何で街の中に魔獣がいる!」
「生きたまま運んでたらしい!」
「管理できない物を運び込むな!」
「大きいねぇ」
カーナは大重剣を指の腹へ乗せたまま、魔獣を眺める。
「まだ子供かい?」
「子供でもBランク指定だぞ!」
先ほど剣を持ち上げようとしていた冒険者が、自分の武器へ手を伸ばした。
「戦えない奴は中へ入れ! ここで止める!」
「心配ありません」
青色の皮膚の女性が静かに言った。
「カーナ様がいらっしゃいます」
「待ってくれ!」
通りの向こうから、一人の男が走ってくる。
魔獣を運んでいた者らしい。
「そいつを殺さないでくれ!」
「はぁ!?」
「あれは貴族へ納める予定なんだ!」
「街の人間と貴族の商品、どっちが大事だ!」
「分かってる! 分かってるが、殺されたら俺の首も本当に飛ぶんだ!」
「それは大変だねぇ」
カーナが言った。
輸送担当の男が、縋るように彼女を見る。
「どうにかできるのか?」
「殺さなければいいんだろう?」
「できるのか!?」
「なら、加減しとこうかね」
カーナは右人差し指から大剣を外すと、片手で壁際へ立て掛けた。
まるで、何の重さもない棒でも扱うように。
そして素手のまま、大通りへ進み出る。
猿型魔獣が彼女を見つけた。
武器すら持っていない女が、一人。
脅威とは判断しなかったのだろう。
両腕を地面へ叩きつけ、そのままカーナへ突進する。
「避けろ!」
誰かが叫んだ。
カーナは動かない。
魔獣が目前まで迫る。
巨大な腕が振り上げられた。
頭上から叩き潰すように落ちてくる。
直前。
カーナの姿が沈んだ。
腕を掻い潜る。
一歩。
魔獣の懐へ。
右手を開く。
腰を捻る。
下から掬い上げるように。
掌を、魔獣の顎先へ打ち込んだ。
鈍い音が、一度だけ響いた。
猿型魔獣の巨体が浮き上がる。
突進の勢いを残したまま、後方へ倒れた。
地面が揺れる。
土埃が舞い上がった。
「……倒した?」
埃が晴れる。
猿型魔獣は仰向けに倒れたまま、動かない。
カーナはその傍へ屈み、首筋へ指を当てた。
「息はしてるよ」
「一撃で……?」
「殺してないのか?」
「加減するって言っただろう?」
カーナは立ち上がり、服についた埃を払う。
魔獣の身体に大きな傷はない。
ただ。
意識だけを、正確に刈り取られていた。
「Bランクを、素手で……」
「運び直すなら、次は鎖を増やしな」
カーナは輸送担当者へ言った。
「次も近くにアタイがいるとは限らないよ」
「は、はい!」
男は何度も頭を下げる。
カーナはもう興味を失ったように背を向けた。
大重剣を片手で拾い、再び酒場の壁際へ立て掛ける。
そして元の席へ戻った。
「ふぅ」
杯を持ち上げる。
「少し酔いが醒めちまった」
酒場の主人が呆然と彼女を見る。
「……まだ飲むのかい?」
「とりあえず、もう一杯貰おうかねぇ」
「九杯目になります」
「ガルディナ」
「はい」
「数えるのをやめな」
「承知しました」
女の名は、カーナ・クティス。
技師名――《装飾》。
冒険者として活動することは、ほとんどない。