無差別の技師 〜MAP技師は身体を全て取り返す〜   作:羊毛ローブ

2 / 33
1章『義肢の技師』
1話 『その腕はまだ動ける事を知らない』


 

 

「それで、この腕はいつ動くの?」

 

洗い場から戻ってきたアンガードへ、ルアンナはそう尋ねた。

 

作業台の上には、人間の左腕が横たわっている。

 

肌の色も、爪の形も、関節に刻まれた皺も、本物とほとんど変わらない。

 

ルアンナが、その人差し指を持ち上げる。

 

指を離すと、支えを失ったそれは力なく落ち、元の位置へ戻った。

 

人肌の温もりもなければ、自ら動く気配もない。

 

「今は動かない」

 

アンガードは濡れた顔をタオルで拭きながら答えた。

 

「見れば分かるわよ」

 

「なら聞くな」

 

「いつ動くのかを聞いているの」

 

「中身を仕上げて、使う本人の身体へ繋いだ後だ」

 

アンガードはルアンナの隣へ立つと、作業台の腕を持ち上げた。

 

肩口からは、行き先の決まっていない細い束がいくつも伸びている。

 

外から見える部分はほとんど完成していたが、内部へ組み込まれた部品の多くは、まだ仮のものだった。

 

「つまり、外側だけなのね」

 

「骨格と主要な部分は入っている。ただ、今のまま身体へ繋いでも動かない」

 

「それでも、皮膚は先に作ったの?」

 

「外形を確かめるためだ。この皮膜なら拒絶が起きにくい。色と質感も調整しやすいからな」

 

アンガードが腕の表面を指で押す。

 

僅かに沈んだ肌は、指を離すとゆっくり元へ戻った。

 

弾力も、指先へ返ってくる感触も、人間の皮膚とほとんど変わらない。

 

「問題は中身だ」

 

アンガードは腕を作業台へ戻した。

 

「同じ素材でも、採れた場所や育った環境が違えば、性質も変わる」

 

「魔素の影響ね」

 

「ああ」

 

この世界に満ちる魔素は、生物だけでなく、植物や鉱石にも影響を与える。

 

同じ種類の魔獣から採れた素材であっても、火山地帯で育った個体と雪原で育った個体とでは、熱や冷気への耐性がまるで違う。

 

一つだけなら身体が受け入れる素材でも、別の素材と組み合わせた途端、強い拒絶反応を起こすこともあった。

 

外見を人間の腕へ近づけるだけなら、それほど難しくはない。

 

難しいのは、その腕を本人の身体へ馴染ませることだった。

 

アンガードは、作業台の端に置かれた茶封筒へ手を伸ばした。

 

先ほどルアンナが持ち帰ったものだ。

 

中から資料を取り出し、一枚ずつ作業台へ並べていく。

 

装着する人物の身体計測。

 

残された右腕の長さと太さ。

 

握力と関節の可動域。

 

失われた左腕の付け根に残る傷の状態。

 

いくつかの素材を皮膚へ触れさせた際の反応。

 

暮らしている地域の気温と湿度。

 

さらに、普段使用している道具や、仕事場の環境まで細かく記録されていた。

 

アンガードの目が、紙面の上を素早く動いていく。

 

「鍛冶場の炉前は、かなり温度が上がるわ」

 

ルアンナが資料の一箇所を指した。

 

「汗も多いし、細かな金属粉も舞っている。普通の生活だけを想定した素材では、長く持たないでしょうね」

 

「外皮は今のもので耐えられる」

 

「内側は?」

 

「熱よりも、反復動作と衝撃への強さを優先する」

 

アンガードは、残された右腕の握力へ目を落とした。

 

「相当強いな」

 

「著名な鍛冶師らしいわよ。片腕になった今も、仕事は続けているそうね」

 

「なるほど。確かに、あそこの鉄は質がいいと思っていた」

 

「使ったことがあるの?」

 

「ああ。誰が打っているかまでは気にしていなかったがな」

 

アンガードは改めて、資料へ目を落とした。

 

その鍛冶師が打った鉄は、安いものではなかった。

 

それでも、値段に見合うだけの粘りと強さがあった。

 

刃物であれば欠けにくく、工具であれば長く使っても歪みにくい。

 

使い手のことを考え、必要な重さと強さを見極めて打たれた鉄だった。

 

「なら、ただ動くだけじゃ足りない」

 

金槌を握る。

 

振り上げる。

 

打ち下ろす。

 

腕へ返ってくる衝撃に耐えながら、同じ動きを何度も繰り返す。

 

日常生活だけを想定した腕では、遠からず内部が壊れてしまう。

 

だからといって、耐久力だけを求めて重くすれば、今度は肩や背中へ負担が集中する。

 

アンガードは資料へ視線を落としたまま、指先で作業台を数度叩いた。

 

「力を生む部分は、これでいい」

 

「耐熱性は?」

 

「炉へ直接突っ込まない限り問題ない」

 

「鍛冶師なら、普通の人より火へ近づくでしょう?」

 

「だから外側へ、こっちを薄く重ねる」

 

アンガードは素材の一覧から、別の項目を指した。

 

「熱には強くなる。ただし、重ねすぎれば指が動きにくくなる」

 

「どの程度まで使えるの?」

 

「今から確かめる」

 

アンガードは椅子から立ち上がり、部品棚へ向かった。

 

一歩目は、まっすぐ進んだ。

 

二歩目で身体が傾き、肩が棚へぶつかった。

 

小さな箱が一つ、棚の奥で音を立てる。

 

「アンガード」

 

「何だ」

 

「まっすぐ歩けていないわよ」

 

「必要な場所には着いた」

 

「そういう問題ではないの」

 

アンガードは何事もなかったように棚を開き、中から細長い箱を取り出した。

 

箱の中には、糸のように細い素材が何重にも巻かれている。

 

それを抱えて作業台へ戻ろうとしたアンガードの前へ、ルアンナが立ち塞がった。

 

「退け」

 

「寝なさい」

 

「断る」

 

間を置かず返された答えに、ルアンナの眉が僅かに動いた。

 

「今の自分の状態を分かっているの?」

 

「部品を組み込める程度には動く」

 

「手が動くことと、頭が正常に働いていることは別でしょう?」

 

「問題ない」

 

「先ほど、棚へ体当たりしていたけれど?」

 

「棚の位置が悪い」

 

「一週間前から同じ場所にあるわよ」

 

アンガードは返事をせず、ルアンナの横を通り抜けようとした。

 

ルアンナが一歩動き、再び進路を塞ぐ。

 

「これを組み込んだら寝る」

 

「アナタの『これが終わったら』は信用していないの」

 

「今回は本当だ」

 

「その言葉も何度も聞いたわ」

 

「泣いている子供がいるんだ」

 

アンガードの声から、それまでの軽さが消えた。

 

「悠長に寝ていられるか」

 

ルアンナの表情が、僅かに和らぐ。

 

アンガードが無茶をする理由を、彼女も理解していた。

 

それでも、道を譲ることはなかった。

 

「気持ちは分かるわ」

 

「なら退け」

 

「だからこそ、寝なさいと言っているの」

 

「話を聞いていたか?」

 

「聞いていたわ。アナタがここで倒れたら、その子はもっと長く待つことになる」

 

アンガードが口を閉ざす。

 

「今の状態で素材の配合を間違えたら、最初から作り直し。部品を傷つければ、代わりを用意する時間も必要になるわ」

 

「間違えない」

 

「判断力が落ちている人ほど、そう言うものよ」

 

「落ちてない」

 

「なら、確かめてみましょうか」

 

「何を――」

 

アンガードが眉を寄せた瞬間、ルアンナの姿が視界から消えた。

 

反射的に振り返る。

 

すでにルアンナは背後へ回り込み、アンガードの首筋へ手刀を振り下ろしていた。

 

アンガードは右手を差し入れ、その一撃を掌で受け止める。

 

乾いた音が工房へ響いた。

 

「何年の付き合いだと思っているんだ?」

 

手刀と首の間へ右手を挟んだまま、アンガードが笑う。

 

「寝不足でも、この程度は防げる」

 

「ええ」

 

ルアンナも微笑んだ。

 

「そうすると思っていたわ」

 

「何を――」

 

受け止めた掌を通り抜け、衝撃が首筋へ直接届いた。

 

「かっ……」

 

アンガードの身体から力が抜ける。

 

床へ崩れ落ちる寸前、その身体をルアンナが抱き止めた。

 

「まったく。何年の付き合いだと思っているの?」

 

《直撃》。

 

触れた物の向こう側へ、衝撃だけを通す技だった。

 

アンガードが手刀を掌で受け止めた時点で、その右手は防壁ではなく、首筋まで衝撃を伝えるための道になっていた。

 

「万全なら、こんな受け方はしなかったでしょうに」

 

意識を失ったアンガードの顔を覗き込む。

 

目の下の隈は濃く、頬も僅かにこけていた。

 

洗い落としきれなかった油の筋が、まだ頬に残っている。

 

「顔も、まだ汚れたままじゃない」

 

ルアンナは小さく息を吐き、その身体を抱き上げた。

 

「まずは、アナタが元気になりなさい」

 

返事はない。

 

「アナタが倒れたら、泣いている子供を泣き止ませることもできないのよ」

 

寝室へ運び、アンガードを寝台へ横たえる。

 

途中で起き出さないよう布団で身体を包み、その端を身体の下へ入れ込んだ。

 

「これでよし」

 

起きていれば、間違いなく文句を言っただろう。

 

しかし今は、久しぶりに穏やかな呼吸を繰り返している。

 

ルアンナは濡らした布でアンガードの頬を拭うと、工房へ戻った。

 

作業台の上には、まだ動かない左腕が横たわっている。

 

外見だけなら、すでに人間の腕と変わらない。

 

それでも今は、物を掴むことも、温度を感じることも、誰かの手を握ることもできない。

 

肩口から伸びた細い束には、まだ行き先がない。

 

身体と繋がり、使う者の意思を受け取って初めて、この腕は本当の意味で腕になる。

 

ルアンナは、その手の甲へそっと触れた。

 

「もう少しだけ待っていてちょうだい」

 

腕の持ち主へ向けたものか。

 

泣いている子供へ向けたものか。

 

それとも、眠っている技師へ向けたものか。

 

ルアンナ自身にも分からなかった。

 

 

アンガードが目を覚ましたのは、翌朝だった。

 

「お前、俺に何をした?」

 

寝室から出てきたアンガードが、低い声で尋ねる。

 

「寝かしつけてあげたのよ」

 

「布団へ縛りつける必要はあったのか?」

 

「途中で起きて逃げないようにしただけよ」

 

「俺は子供か」

 

「子供の方が、もう少し聞き分けがいいと思うわ」

 

反論しようとしたアンガードだったが、昨日より身体が軽くなっていることには気づいていた。

 

頭の鈍い痛みも、指先の震えも消えている。

 

「飯は?」

 

「用意してあるわ」

 

「先に作業を――」

 

「ご飯が先よ」

 

「食いながら作業する」

 

「もう一度寝たいの?」

 

ルアンナが片手を上げる。

 

アンガードは無言で食卓へ向かった。

 

朝食を終えると、アンガードはすぐに作業台へ戻った。

 

必要になりそうな部品は、この一週間で候補ごとに作ってある。

 

あとはルアンナが持ち帰った資料を基に、その中から適したものを選び、本人の身体へ近づけていくだけだった。

 

鍛冶仕事の反復に耐えられる繊維。

 

金槌を振り下ろした際の衝撃を、肩だけではなく腕全体へ逃がす構造。

 

炉の熱や汗、金属粉の中でも劣化しにくい管。

 

指先で触れた物の硬さや温度を、身体へ伝えるための細い線。

 

アンガードは一つずつ腕の内部へ収め、何度も動きを確かめていった。

 

「そっちを取ってくれ」

 

「どちら?」

 

「右から二番目の箱だ」

 

「これ?」

 

「違う。それは三番目」

 

「アナタから見た右でしょう? 私から見れば左よ」

 

「だったら最初に言え」

 

「アナタが言うのよ」

 

口では言い合いながらも、ルアンナの手は止まらない。

 

アンガードが求める道具や部品を渡し、資料を開き、必要な数値を読み上げる。

 

アンガードも、昨日のように無理を押し通そうとはしなかった。

 

少なくとも、ルアンナが背後で片手を上げるたび、素直に休憩を取る程度には反省したらしい。

 

日が傾き始めた頃。

 

アンガードは最後の部品を腕の内部へ収めた。

 

肩口から外へ伸びていた細い束も整理され、身体へ繋ぐ部分だけを残して内部へ収まっている。

 

作業台の上には、一つの左腕が横たわっていた。

 

肌の色。

 

指の太さ。

 

爪の形。

 

関節に刻まれた皺。

 

外から見えるのは、どこにでもある人間の腕だけだった。

 

「完成ね」

 

ルアンナが手の甲へ触れる。

 

「まだだ」

 

アンガードはすぐに否定した。

 

「本人の身体へ繋がっていない」

 

「でも、ここでできる作業は終わったのでしょう?」

 

「ああ。残りは本人の身体を直接確認しながら仕上げる」

 

アンガードは左腕を持ち上げ、重さを確かめるように数度傾けた。

 

ルアンナも腕へ手を添える。

 

「少し重くないかしら?」

 

「これでいい」

 

「もっと軽く作ることもできたのでしょう?」

 

「できた。だが、軽ければ使いやすいとは限らない」

 

アンガードは作業台へ置かれた資料を見た。

 

「人間は、自分の腕がどれくらい重いかなんて意識していない。それでも身体は、重さも、動かした時の勢いも、物を掴む時の力加減も覚えている」

 

突然軽くなれば、必要以上に力を入れる。

 

重くなれば、これまでと同じようには動かせない。

 

丈夫で軽い腕を作るだけなら、それほど難しくはなかった。

 

しかし、それでは失われた腕の代わりにはならない。

 

「これは道具じゃない」

 

アンガードは腕の指先を見つめた。

 

「本人が今まで使ってきた腕の代わりになるんだ。便利なだけじゃ意味がない」

 

失われた腕を、まったく同じ形で取り戻すことはできない。

 

それでも、可能な限り近づけることはできる。

 

指の太さも。

 

重さも。

 

動かした時の感覚も。

 

本人さえ意識していなかった、小さな癖も。

 

その一つ一つを積み重ねて、初めてその人の腕になる。

 

アンガードは指先から肩口までを最後に確認すると、左腕を厚い布で包み、持ち運び用の鞄へ収めた。

 

「行くぞ」

 

「もう身体は大丈夫なの?」

 

「誰かさんのおかげで、嫌になるほど寝た」

 

「それなら良かったわ」

 

「良くはない。まだ首が痛い」

 

「気のせいよ」

 

「絶対に気のせいじゃない」

 

アンガードが鞄を背負う。

 

工房の扉を開くと、外から差し込んだ光が床の上へ細長く伸びた。

 

鞄の中の左腕は、まだ動かない。

 

誰かの意思を受け取ることも、温度を感じることも、手を握り返すこともできない。

 

それは、腕に何かが足りないからではなかった。

 

帰るべき身体へ、まだ辿り着いていないだけだ。

 

アンガードとルアンナは、腕を待つ者のもとへ向かうため、工房を後にした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。