無差別の技師 〜MAP技師は身体を全て取り返す〜 作:羊毛ローブ
ノエラへの確認を終えてから、そう時間は経っていなかった。
アンガードが測定器を鞄へ戻していると、家の表側から戸の開く音が聞こえた。
「ただいま、ノエラ」
「あ、お母さん!」
ノエラが声のした方へ振り返る。家の脇を回って姿を見せたのは、一組の男女だった。
「お父さんも!」
「おう。ただいま」
ノエラが嬉しそうに二人のもとへ向かう。その姿を見ていたアンガードの視線が、母親へ向いたところで止まった。
父親は人間族だった。だが、その隣に立つ母親は違う。人間族より明らかに長い耳と、一般的な森人族より僅かに濃い肌。顔立ちそのものは森人族に近いが、アンガードが知るそれとは少し特徴が異なっている。
「……兄さん」
「ああ」
エルヴィスも同じものを見ていた。
山森人族。
先ほどノエラを初めて見た時、二人が疑った種族だった。ノエラの容姿に感じた特徴は、母親から受け継いだものらしい。
「お父さん、お母さん。この人たちね、ミラちゃんが話してた技師さん!」
ノエラが両親へ一人ずつ紹介していく。
「アンガードさんと、エルヴィスさん。それからクリスさんと――」
最後に青い鳥へ顔を向ける。
「ルーフェ!」
『ちゃんと覚えたか』
もちろん、その声が届いたのは契約者であるクリスだけだった。クリスが僅かに口元を緩め、ルーフェの頭を撫でる。
「ミラちゃんから話は聞いています」
父親がアンガードへ向き直った。
「娘の脚を見てくれたとか」
「ああ。ちょうど最初の確認が終わったところだ」
アンガードは立ち上がる。
「次はご両親から、生まれた時のことや身体のことを聞かせてもらおうと思ってた」
「娘の脚を?」
母親の表情に僅かな緊張が浮かぶ。
「まだ造れると決まったわけじゃない」
アンガードは最初にそこをはっきり伝えた。
「普通のMAPより難しい。今のまま脚だけ造って身体へ繋いでも、動かない可能性の方が高い」
両親の表情が変わる。
だが、詳しい話を始めるより先に、ノエラが二人の間へ割って入った。
「お父さん、お母さん!」
「ん?」
「今日ね、お家の外まで歩けたよ!」
「本当か?」
「うん!」
「凄いじゃないか!」
父親が笑ってノエラの頭を撫でる。
「前より遠くまで行けたんじゃないか?」
「うん。ちょっと転んだけど」
「転んだの?」
母親が心配そうに尋ねる。
「一回だけ!」
「一回でも転んでいるじゃない」
「でも大丈夫だったよ!」
「そういう問題ではないのだけれど……」
困ったように言いながらも、母親は嬉しそうに娘の髪を撫でた。
「でも、よく頑張ったわね」
「うん!」
両親に褒められ、ノエラが満面の笑みを浮かべる。その姿をアンガードは黙って見つめた。
歩けた。
ノエラにとって、その言葉は間違っていない。
腰を動かし、身体の重心を左右へ移しながら、上半身の勢いで義足を前へ運ぶ。一般的な意味で脚そのものを動かしているわけではなくとも、何度も転びながら身につけたその方法で、ノエラは確かに自分の力で前へ進んでいる。
「……あの子にとっての『歩く』は、あの義足を使って進むことなんだな」
アンガードが小さな声で言う。
「そうであるな」
エルヴィスも両親に褒められるノエラを見ていた。
「故に、我々が考える『脚を動かす』とは、最初から意味が異なる」
「ああ」
それ自体は悪いことではない。ノエラが長い時間をかけ、努力して身につけた一つの歩き方だ。
ただし、新しい脚を自らの身体として動かすのであれば、それとは全く別の動きを一から覚えなければならない。
◯
「外で立ち話も何ですから、中へどうぞ」
母親に促され、アンガードたちは家の中へ通された。
そこで初めて、アンガードはこの建物が単なる民家ではないことに気づいた。
正面側の広い部屋には酒瓶が並ぶ棚があり、壁際には大小いくつもの樽が積まれている。店として使われているらしく、奥の扉を挟んで家族の生活空間と繋がっていた。
「酒屋だったのか」
「はい。夫婦でやっています」
母親が答える。
「遠くから仕入れに来た方なんかは、二階へ泊めることもあるんですよ」
「宿屋ってほど大層なものじゃないですけどね」
父親が笑った。
「空いている部屋を貸すくらいです」
「私、お客さんが泊まるの好きだよ」
ノエラが言う。
「知らない町のお話をいっぱい聞けるから」
「お前らしいな」
「でしょ?」
ノエラが得意そうに笑う。
店内を見回していたアンガードが、並んだ酒樽へ目を向けた。
「じゃあ、おやっさんの鍛冶場へよく行ってるっていうのも、この店の仕事か?」
「おやっさん?」
「ドゥーガさんのこと」
「ああ」
父親が頷いた。
「うちから酒を届けることもありますし、樽の金具や荷車が傷んだ時には直してもらっています。あの人の仕事は丈夫ですからね」
「ドゥーガさんのところへ行く時、私もよく一緒に行くんだよ」
ノエラが横から口を挟む。
「それでミラと仲良くなったのか」
「うん!」
「なるほどな」
アンガードは短く頷いただけで、それ以上その話を広げなかった。
居間へ場所を移すと、アンガードとエルヴィスは両親からノエラについて詳しい話を聞き始めた。
生まれた時から両脚が形成されていなかったこと。その後の成長で脚の付け根に大きな異常が出たことはないこと。これまでの病気や手術歴、簡易義足を使い始めた時期、歩く練習をどれほど続けてきたのか。
二人は必要な部分を記録しながら、一つずつ確認していった。
「もう一つだけ」
アンガードが筆を止める。
「お二人の種族を確認してもいいか?」
父親が少し不思議そうな顔をした。
「俺は人間族です」
「私は山森人族です」
母親が答える。
「やっぱりか」
「分かったんですか?」
「ノエラを見た時に少し似てると思った。ただ、外見だけで決めつけるわけにもいかなかったからな」
「この子は私の特徴も結構受け継いでいますから」
母親が娘を見る。
「耳や肌なんかは特に」
「動物にも昔から好かれるんですよ」
父親も続けた。
「それも母親似かもしれません」
「もう。私まで動物みたいに聞こえるじゃないですか」
「そういう意味じゃないって」
両親のやり取りを聞きながら、アンガードとエルヴィスは一度だけ視線を交わした。
「……兄さん」
「うむ」
二人は少しだけ声を落とす。
「人間族と山森人族の混血か」
「そうであるな」
「脚が形成されなかった原因としては?」
「可能性の一つとして考慮すべきであろう」
エルヴィスは即断せず、少し考えてから答えた。
「異なる種族の特徴を受け継ぐ以上、身体形成へ通常とは異なる影響が生じることはある。しかし、ノエラ嬢の両脚が形成されなかった直接の原因であると断定できる情報はない」
「だよな」
アンガードも頷く。
「それに、今回の問題とはあんまり関係ないか」
「うむ」
なぜ生まれつき両脚が存在しなかったのか。その原因を今から解明できたとしても、ノエラの身体に脚を動かした経験が存在しないことは変わらない。
過去に起きた理由と、これから解決しなければならない問題は別だった。
「何か?」
母親が不安そうに尋ねる。
「いや」
アンガードが首を横へ振った。
「ノエラの身体を考える上で知っておきたかっただけだ。混血が関係している可能性はある。でも、それだけで原因だと決めつけられるものじゃない」
「そう……ですか」
「それに、俺たちが今考えなきゃいけないのは昔の原因じゃない」
アンガードはノエラを見る。
「これから、この子へどうやって脚を繋ぐかだ」
ノエラが自分の義足へ目を落とした。
アンガードは両親へ、先ほどノエラ本人に説明したことを改めて伝える。
脚の形をしたMAPそのものは造れる。しかし、それを身体へ接続しただけで動くとは考えられない。ノエラには生まれつき存在しなかった脚を動かした経験がなく、一般的な脚部MAPが利用する身体認識も最初から存在していない。
そのため、歩けるMAPの完成を約束して代金を受け取る通常の依頼ではなく、何が可能なのかを一つずつ確かめる検証として始める。
「成功するとは約束できません」
エルヴィスが静かに言った。
「私にもアンガードにも、この条件で人間の脚を動かせるようにした経験はない」
「何度試しても動かないかもしれない」
アンガードも続ける。
「途中で、今の俺たちの技術じゃ無理だって分かる可能性もある。それでも試すなら、まず身体をもっと詳しく調べる。その結果に問題がなければ、MAPを繋ぐための《受容基部》を身体側へ取り付けることになる」
「手術……ということですか?」
父親が尋ねる。
「ああ」
アンガードは誤魔化さなかった。
「当然、危険が全くないとは言えない。ただ、いきなりやる気もない。次に詳しい検査をして、使う素材や取り付ける位置を確認して、それから改めて判断する」
「途中で中止することもできます」
エルヴィスが補足する。
「ノエラ嬢本人が望まぬなら、その時点で終わりである。ご両親が続けるべきではないと判断した場合も同じだ」
「費用は……」
母親が躊躇いながら尋ねた。
「検証の段階では、そっちから技術料を取るつもりはない」
「でも、材料は必要なんでしょう?」
「使う」
「それなら――」
「完成品を売る仕事じゃないからな」
アンガードは続ける。
「ノエラには自分の身体と時間を使って検証に付き合ってもらうことになる。だから、むしろ逆だ」
「逆?」
「協力してもらった分は、こっちから報酬を出す」
両親が顔を見合わせる。その横で、ノエラの目だけが少し輝いた。
「私、お金もらえるの?」
「そこに食いつくのかよ」
「だって、お金もらったことないもん」
「まだ額も決まってないぞ」
「いっぱい?」
「いきなり交渉を始めるな」
「いっぱいがいいなぁ」
「お前な……」
父親が思わず吹き出し、母親も口元を押さえて笑う。それまで張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ。
だが、アンガードは最も大切な確認をまだ終えていなかった。
「ノエラ」
「なに?」
「お前はどうしたい?」
両親でも、ミラでも、ルーフェでもない。
本人へ尋ねる。
「次からは今日よりちゃんと身体を調べる。受容基部を付けるなら痛い思いもする。MAPを付けても、最初は全然動かないかもしれないし、何度やっても上手くいかない可能性だってある」
「うん」
「それでもやるか?」
ノエラはすぐには答えなかった。
今まで何度も転びながら、自分を支えてきた二本の義足へ視線を落とす。やがて顔を上げると両親を見て、ミラを見て、最後に少し離れた場所にいるルーフェへほんの一瞬だけ目を向けた。
「やりたい」
答えは短かった。
「私、自分の脚で歩いてみたい」
『…………』
ルーフェの翼が僅かに揺れる。
「ノエラ」
母親が娘を見る。
「本当に?」
「うん」
「怖くないのか?」
父親が尋ねた。
「怖いよ。痛いのも嫌」
「なら――」
「でも」
父親の言葉を遮り、ノエラは自分の義足へ手を置く。
「この脚で歩けるようになったのも嬉しいよ。いっぱい練習したから」
それから、自分の脚が本来あるはずの場所を見る。
「でも、本当に自分で脚を動かして歩くって、どんな感じなのか知りたい」
両親はしばらく娘を見つめていた。やがて父親が大きく息を吐き、母親も静かに頷く。
「……この子がここまで言うなら」
「お願いします」
二人がアンガードとエルヴィスへ頭を下げる。
「できるところまでで構いません」
「娘に、試させてあげてください」
『……クリス』
「はい」
『どうにかできねぇか?』
ルーフェの声は、いつもより低かった。
クリスが相棒を見つめたあと、アンガードへ向き直る。
「アンガード様」
「何です?」
「私からも、お願いいたします」
クリスが静かに頭を下げる。
「成功を約束していただきたいわけではありません。ただ、あの子が望んでいる間は、できることを試していただけませんか」
アンガードは頭を掻いた。
「最初から、そのつもりですよ」
◯
両親への説明を終え、アンガードたちは店の外へ出た。
「とりあえず、ご両親への説明は終わった。本人もやる気がある」
アンガードが言う。
「次は身体の詳しい検査だな。問題がなければ受容基部の設計に入れる」
「試験へ用いるMAPも決めておくべきであるな」
「ああ。兄さんはどうする?」
「今回は私のMAPを使った方がよい」
エルヴィスの返答は早かった。
「兄さんの?」
「私のMAPは構造の共通化を前提としている。今回のように何度も構成を変更する可能性がある検証では、一人の身体へ完全に合わせるお前の物より都合がよい」
「確かにな」
部品を交換し、長さを変え、必要な系統だけを組み直す。何度も試行錯誤を繰り返すことになるなら、最初から一つの完成形を目指すより、エルヴィスの方式が適している。
「可能性が低いことは承知しておる」
エルヴィスは続けた。
「だが、あの子が望むのであれば試す価値はある」
「あの子の願いだもんな」
アンガードも頷く。
「受容基部と身体側の調整は俺がやる。そもそも、俺ほど自分の身体へ受容基部を付けてきた奴もそうはいない」
「違いない」
「痛い場所も、付けた後に腹が立つ場所も大体分かる」
「後半は技術知識ではないであろう」
「使う側には重要なんだよ」
「では、脚部MAPは私。身体側の接続はお前を中心に進める」
「ああ」
本人の意思もある。家族の同意も得た。試験用のMAPと、身体へ接続する部分を担当する技師も決まった。
そこまでは決まった。
「で、残す問題はだ」
「カーナであるな」
「……そうなんだよな」
アンガードは頭を掻いた。
幻想魔術と身体認識。自分たちには造れない最後の部分を埋められる可能性がある姉弟子だが、肝心の本人がどこにいるのか分からない。
「師匠に聞くか、ほかの兄弟子を当たるか……最悪、酒場を片っ端から回るしかないな」
「カーナを探す方法として、最後のものが最も成功率が高そうなのが困りものである」
「否定できねぇ」
アンガードは苦笑しながら、何気なく後ろを振り返った。
ノエラの家。その正面には酒屋の看板が掛かり、戸の向こうには何本もの酒瓶が並んでいる。
数秒、それを見つめる。
「…………」
「どうした?」
「いや、まさかなと思って」
「何がである?」
「姉貴のことだからさ」
アンガードが酒屋を指す。
「こっちが必死になって探してる間に、酒の匂いでも嗅ぎつけて、勝手にここへ来るなんてことはないよな?」
エルヴィスも酒屋へ視線を向けた。
「…………」
「何で黙るんだよ」
「否定する根拠がない」
「そこは嘘でも否定してくれ」
「技師として、根拠のない発言はできぬ」
「こんな時だけ真面目になるなよ」
クリスが二人の後ろから酒屋を見る。
「カーナ様は、それほどお酒がお好きなのですか?」
「酒があれば大陸を跨ぐくらいには」
「それは流石に言い過ぎであろう」
「多分な」
「多分なのですか……」
アンガードは肩を竦め、再び歩き出した。
「まあ、そんな都合のいい話があるわけないか。帰ったら探すぞ、兄さん」
「承知した」
二人の後ろを、クリスとルーフェが続く。
酒屋の軒先では、小さな看板が風に揺れていた。