無差別の技師 〜MAP技師は身体を全て取り返す〜 作:羊毛ローブ
酒屋の看板が見えてくる頃には、ノエラもすっかりカーナの背中へ身体を預けていた。
店先まで来ると、奥から出てきた母親が、見知らぬ女に背負われている娘を見て顔色を変える。
「ノエラ!」
「お母さん」
「どうしたの!? 怪我したの?」
「怪我はしてないよ」
慌てて駆け寄ってきた母親に続き、父親も店の奥から姿を現した。二人はノエラの身体を上から下まで確かめ、大きな傷がないことを確認してようやく僅かに息を吐く。
「じゃあ、どうして背負われているの?」
「……お母さん、ごめんなさい」
ノエラが申し訳なさそうに目を逸らした。
「今日、凄く調子が良かったから森の手前まで歩いたの」
「森の手前?」
母親の眉が上がる。
「遠くまで行ったら駄目だと言ったでしょう?」
「うん……」
「一人で?」
「うん」
「ノエラ」
「それでね!」
これ以上怒られる前に話してしまおうと思ったのか、ノエラが慌てて続ける。
「そしたらライガーがいたの」
「ライガー?」
「ブレイドライガー」
「ブレイドライガー!?」
今度は両親の声が揃った。
「襲われたのか?」
父親が尋ねる。
「襲われそうになった」
「同じようなものじゃない!」
「でも大丈夫だったよ」
「何が大丈夫なの!」
母親が額へ手を当てる。
「そしたら、このお姉さんたちが助けてくれたの」
ノエラがようやくカーナとガルディナを示すと、両親の視線が二人へ向いた。
「娘を助けてくださったんですか?」
「まあねぇ」
カーナはノエラを背負ったまま笑う。
「たまたま通り掛かっただけさ。間に合ってよかったよ」
「ありがとうございます」
父親が深く頭を下げる。
「本当に……何とお礼を言えばいいか」
「いいって、いいって。目の前で子供が襲われてりゃ、普通は助けるだろう?」
「カーナ様の場合、相手が何であっても助けていたと思われます」
ガルディナが横から言う。
「そこは褒めてるのかい?」
「事実を述べただけです」
「相変わらずだねぇ」
父親が椅子を寄せ、カーナはようやくノエラをそこへ座らせた。ノエラは一息ついたところで、もう一つの用件を思い出したように顔を上げる。
「あ、それでね」
「まだあるの?」
母親が少し身構える。
「このお姉さんたち、お酒と泊まる場所を探してるんだって」
「酒と?」
「正確には宿を探していたんだよ」
「酒も探しておられました」
「ガルディナ」
「はい」
「今は黙っておいで」
「承知しました」
「それで、うちに泊まったらって言ったの」
両親が顔を見合わせる。少し考えた後、父親が頷いた。
「それなら、ぜひうちに」
「いいのかい?」
「もちろんです。娘の恩人ですし、空いている部屋もありますから」
「いやぁ、そいつは助かるよ」
カーナの表情が明るくなる。
「あ、別に無理強いするつもりはないんだよ。宿代は払うし、でも――」
一度言葉を切る。
「酒だけは絶対に買わせてほしい」
「そこだけ妙に力が入っていますね」
「大事だからねぇ」
母親が小さく笑った。
「うふふ。私もお酒は好きですよ」
「おや」
カーナの目が輝く。
「話が分かりそうなお母さんだ」
「ただし、飲み過ぎる人は嫌いですけどね」
「…………」
「カーナ様」
「何だい?」
「既にノエラ様から同様の忠告を受けておられましたね」
「世の中、アタイに厳しいねぇ」
「自業自得かと」
父親も思わず笑った。
「娘の恩人ですし、料金なんて――と言いたいところですけど」
「いや、それは困るよ」
「でしょうね」
父親が頷く。
「お金は頂いた方が、あなた方も気を遣わないでしょうし、こちらも商売ですから」
「ありがたいね」
「ただ、サービスはさせてもらいますね」
「……いい店だ」
「まだ酒を一口も飲んでいませんよ?」
「もう分かるさね」
「何がです?」
「いい店だってことが」
「酒があるからでしょう」
「細かいことは気にしない」
両親が笑う中、ノエラが椅子から身体を起こそうとすると、母親がすぐに肩へ手を置いた。
「今日はもう歩いたら駄目よ」
「はーい」
「返事だけはいいんだから」
「今日アンガードさんにも似たこと言われた」
何気なく出た名前に、カーナの動きが僅かに止まる。
「……アンガード?」
「うん。変な技師さん」
「ノエラ」
母親が窘める。
「本人にも言ってるよ?」
「そういう問題ではないでしょう」
カーナはノエラを見る。
「お嬢ちゃん。そのアンガードってのは、MAP技師だって言わなかったかい?」
「そう、なんか地図の技師とかなんとか言ってたよ」
「…………」
「知ってるの?」
「多分ねぇ」
カーナの口元がゆっくり上がる。
「ちょっとした知り合いさ」
「友達?」
「それとは少し違うねぇ」
「じゃあ何?」
「可愛い弟分ってところかね」
少し後ろで聞いていたガルディナが、何も言わずカーナを見る。
「何だい、その目は」
「何も」
「絶対何か言いたい顔してるだろう」
「気のせいです」
ノエラは二人のやり取りを見ながら、不思議そうに首を傾げる。
「そのアンガードが、お嬢ちゃんの脚を造るのかい?」
「うん。エルヴィスさんも一緒だよ」
今度は、カーナの目が僅かに細くなった。
「……エルヴィスも?」
「知ってるの?」
「そっちもねぇ」
「二人とも知ってるんだ」
「ああ。それで、何を造ってもらうんだい?」
「私の脚」
ノエラは自分の簡易義足へ目を落とす。
「私、生まれた時から脚がないんだって。だから普通にMAPを付けるだけじゃ動かないかもしれないけど、できるか試してくれるの」
「…………そうかい」
カーナはそれ以上詳しく聞かなかった。ただ一度、ノエラの義足と、その上にある身体へ視線を向ける。
「なら、無茶して歩き回るのは余計にやめときな」
「はーい」
「返事が軽いねぇ」
◯
その夜、酒屋の一階では随分遅い時間まで酒瓶の栓が抜かれていた。
「おや、アンタも随分いける口だねぇ」
「うふふ。私、昔からお酒には強いんですよ」
ノエラの母親が平然と杯を空ける横で、父親が呆れたように二人を見る。
「二人とも、飲み過ぎには気を付けてくださいよ」
「分かってるさね」
「分かっていますよ」
同時に答えた二人の前には、既に何本もの空瓶が並んでいた。
◯
翌朝。
アンガードとエルヴィスは、昨日の検査結果を基に準備した部品を持って、再びノエラの家を訪れていた。
「んーカーナの姉貴、どこ探しゃいいんだろうなぁ」
居間の机へ道具を並べながら、アンガードが唸る。
そこにあるのは、ノエラの身体へ合わせて準備した受容基部を構成する基礎部品。その隣には、エルヴィスが昨日のうちに組み直した試験用の脚部MAPも置かれていた。
外見はまだ完成品とは程遠い。皮膚系は最低限で、一部は内部構造を確認できる状態のままだが、骨格、筋繊維、神経系など、試験に必要となる主要部分は既に組み上がっている。
ただし、まだノエラへ装着することはできない。
まず身体側へ受容基部を取り付け、腫れや拒絶反応、神経の状態を確認しながら安定を待つ。その後、実際の接続位置や反応へ合わせてMAP側の《結合芯》を最終調整して、初めて装着試験へ進むことができる。
「ルピナスの婆様には聞いてみたし、師匠にも伝言は頼んだけど……」
アンガードが頭を掻く。
「まだ返事も来てねぇし、姉貴本人が今どこにいるのか分からないんじゃなぁ」
「さてな?」
エルヴィスが答える。
「何だよ、その興味のなさは」
「私も知らぬものは知らぬ」
「せめて考えてくれ」
「考えた結果であり、これ以上無闇に探しても意味がない」
「一番困る答えだな」
アンガードが溜息を吐く。
「まあ、とりあえず受容基部の方は進められる」
「うむ」
「姉貴が見つかるまで何もできないわけじゃないからな」
「その通りである」
その横で、ノエラは試験用の脚部MAPをじっと眺めていた。
「これ、本当に私の脚になるの?」
「なるかもしれない脚、だな」
アンガードが答える。
「まだ分からない?」
「ああ。そこは嘘つけない」
「でも昨日より脚っぽくなってる」
「兄さんが昨日のうちに組んだからな」
「一晩で?」
「正確には、日が変わる前には終わっていた」
エルヴィスが平然と答える。
「早い」
「私のMAPは、そのための構造でもある」
「兄さんだからな」
「またお前が得意げになるのか」
「いいだろ、別に」
ノエラが笑い、その隣に置かれた受容基部の部品へ目を向ける。
「ねえ、アンガードさん」
「ん?」
「受容基部の取り付けって、痛いの?」
アンガードの手が止まった。
「痛い」
「即答なんだ」
「嘘ついても仕方ないだろ」
「すごく?」
「個人差はある。でも、痛みはあると思ってた方がいい」
ノエラが少し不安そうな顔で受容基部を見る。
「ドゥーガおじさんも痛かった?」
「そりゃ痛かっただろうな」
「泣いた?」
「本人に聞け」
「アンガードさんは?」
「俺?」
「いっぱい付いてるんでしょ?」
「ああ」
「泣いた?」
「泣いてねぇよ」
「本当?」
「……多分」
「多分なの?」
「昔のこと全部覚えてるわけじゃないんだよ」
ノエラがくすくす笑う。
アンガードも笑ったが、すぐに受容基部へ視線を戻した。
「痛みはできるだけ抑える。ただ、何も感じなくして終わりってわけにもいかない」
「どうして?」
「神経がどう反応してるか、どこまで感覚が届いてるかを確認しながら繋ぐ必要があるからだ。何も分からなくすると、逆に危ないこともある」
「じゃあ我慢するの?」
「できるだけ我慢しなくて済むようにはする」
「痛みを与えることが目的ではない」
エルヴィスも続ける。
「必要な情報を得られる範囲で、負担は可能な限り減らすべきである」
「ふーん……」
ノエラは不安そうではあるものの、小さく頷いた。
「そこは、全て賛成できないねぇ」
突然、どこか聞き覚えのある声が割り込んだ。
「ん?」
アンガードが顔を上げる。
声は二階へ続く階段の方から聞こえてきた。
「何で?」
ノエラも振り返る。
「痛みを残すのが駄目って話じゃないよ。痛い物は痛い。傷があるんだから、それを全部消す必要もないさね」
アンガードとエルヴィスが階段を見る。
「なら、何が問題である?」
エルヴィスが尋ねる。
「この子の場合は、初めて自分の中へ『脚がある』って認識を作ろうとしてるんだろう?」
「……そうだ」
「だったら、その最初の感覚へ施術の強い痛みまで一緒に重ねるのは、あまり良くないねぇ」
アンガードの表情が変わる。
「痛みと身体認識が結び付くってことか?」
「そうなる可能性があるって話さ」
声の主は続ける。
「この子には今まで、脚そのものを自分の身体として感じた経験がない。これから新しく、脚の位置や形、重さや動きを覚えさせるなら、『脚がここにある』って感覚と『ここは痛い』って感覚を、最初から一つのものとして身体へ覚えさせる必要はないだろう?」
「しかし、接合部の痛覚そのものを消すのは危険である」
「消さないよ」
返事は早かった。
「受容基部を取り付けた場所が痛むなら、それはそこに生じた痛みとして残す。アタイが言ってるのは、その痛みを新しく作る脚の身体認識へまで混ぜないってことさね」
一拍置く。
「痛みは痛み。脚がある感覚は脚がある感覚。それぞれ何の感覚なのかを、できるだけ分けて身体へ覚えさせる。幻想魔術なんかが丁度良いんじゃないかい?」
アンガードが僅かに目を見開いた。
「幻想魔術で、身体認識の方を整理するのか」
「そういうことだねぇ」
「可能なのであるか?」
「絶対とは言わないよ」
声はそこで一度止まった。
「お嬢ちゃんを技師としてちゃんと診てもいないからね。ただ、アタイならその方向から考える」
アンガードは階段を見つめたまま黙った。
脳信号。
身体認識。
幻想魔術。
しかも、聞き覚えのある話し方。
「……兄さん」
「うむ」
「俺、こんなこと言い出す奴を一人しか知らないんだけど」
「奇遇であるな。私もだ」
「まあ」
階段の上から、少し掠れた声が返ってきた。
「なら話が早いさね」
ゆっくりと足音が響く。
一段、また一段と階段を降り、最初に見えたのは白に近い淡い銀紫の長い髪だった。ただし昨日より随分と乱れている。
やがて姿を現した女は片手で額を押さえ、見るからに機嫌が悪そう――というより、具合が悪そうな顔をしていた。
「おはよう」
「…………」
「朝から随分難しい話してるねぇ」
アンガードが固まる。
「……姉貴?」
「おや」
眠そうな目がアンガードを捉える。
「アン坊じゃないか」
「カーナ?」
エルヴィスも珍しく目を見開いた。
「エルヴィスもいるのかい。こりゃまた久しぶりだね」
「あ、お姉さん! 起きれたの?」
ノエラが嬉しそうに手を振る。
「おはよう、お嬢ちゃん」
アンガードはカーナを見た。次にエルヴィスを見て、もう一度カーナを見る。
「姉貴!?」
「朝から大声出すんじゃないよ……」
カーナが露骨に顔をしかめた。
「頭に響く」
「何で姉貴がここにいるんだよ!」
「そりゃ客なんだから泊まってるよ」
「何でここに泊まってんだよ!」
「酒屋付きの宿だからねぇ……素晴らしい」
「理由になってるようでなってねぇ!」
「昨日、お嬢ちゃんを助けてねぇ。そのまま家まで送ってきたら、酒も宿もあるっていうじゃないか」
アンガードの口が止まり、ゆっくりと酒屋の中を見回した。
「…………」
「どうしたんだい?」
「昨日」
「うん?」
「兄さんとここ出た時にさ」
アンガードがエルヴィスを見る。
「姉貴が酒の匂い嗅ぎつけて、勝手にここへ来たりしてなって……」
「言っていたな」
「来てるじゃねぇか!」
「知らないよ、そんなの」
カーナが笑おうとして、すぐに頭を押さえる。
「うっ……」
その後ろから、ガルディナが水の入った器を手に階段を降りてきた。
「カーナ様」
「何だい……」
「水です」
「ありがとう」
「昨夜は飲み過ぎです」
「ちょっとだけさね」
「十四杯です」
「数えるんじゃないよ……」
「途中で止めると仰っていました」
「覚えてないねぇ……」
「でしょうね」
「それより」
カーナは水を口へ運びながら、恨めしそうにノエラの母親を見る。
「お前さん、あれだけ一緒に飲んで、何でそんなに平気なんだい……」
「うふふ。私、お酒には強いんですよ」
「強いにも限度があるだろう……」
「飲み過ぎは駄目ですよ?」
「一緒に飲んでた本人が言うんじゃないよ……」
アンガードは呆然とカーナを見る。
自分たちが居場所も分からず探そうとしていた人物。
ノエラへ、今まで存在しなかった脚の身体認識を与える手掛かりを持つかもしれない技師。
カーナ・クティス。
技師名――《
探し人は――二日酔いで、二階から降りてきた。