無差別の技師 〜MAP技師は身体を全て取り返す〜 作:羊毛ローブ
「さて」
カーナはガルディナから受け取った水を飲みながら、机の上へ視線を向けた。
「どこまで話が進んでいるのかい?」
「その前に」
アンガードが言う。
「姉貴、今日は触るなよ」
「分かってるさね」
返事は意外なほどあっさりしていた。
「昨日あれだけ飲んだんだ。今日は話を聞くだけにするよ」
「え?」
ノエラが首を傾げる。
「カーナお姉さん、お酒飲んでたらお仕事しないの?」
「ああ」
「お酒好きなのに?」
「好きなのと仕事は別さね」
カーナは残っていた水を飲み干した。
「他人の身体を弄る仕事だよ。酒が入ったままやるほど酔狂じゃないさ」
「カーナ様は、技師として仕事へ入られる際には一滴も飲まれません」
ガルディナが補足する。
「一滴も?」
「はい」
「へぇー……」
「何だい、その意外そうな顔は」
「だって昨日十四杯飲んでたから」
「忘れておくれ」
「十四杯も?」
アンガードがカーナを見る。
「ガルディナ」
「事実です」
「聞いてねぇことまで答えるんじゃないよ……」
カーナは額を押さえた。
「とにかく、この子の件に手を出すなら酒はここまでだ。身体認識まで弄るんだろう? 終わるまでは飲まないよ」
ノエラが感心したように頷く。
「えらいね」
「何で子供に褒められてるんだい、アタイは」
「当然のことです」
「ガルディナまで乗るんじゃないよ」
アンガードが笑いながら、机の上に置かれた部品を指した。
「じゃあ説明するぞ。身体側は俺がやる」
昨日の検査結果では、受容基部の取り付けそのものを中止するような問題は見つかっていない。施術後は腫れや拒絶反応、神経の状態を数日確認し、身体側が安定してから次へ進む。
「MAP本体は私である」
エルヴィスが続けた。
「昨日測定した身体寸法を基に、既存の森人族用脚部MAPから組み直している。受容基部を取り付けた後、その位置と神経反応へ合わせて《結合芯》を最終調整する」
「なるほどねぇ」
カーナは脚部MAPへ目を向けた。
自ら手に取ることはせず、椅子に座ったまま二本を眺める。
骨格。
筋繊維。
神経系。
試験に必要な主要部分は既に組まれているが、完成品には程遠い。内部構造が露出している箇所も多く、外見だけなら人の脚より精巧な模型に近かった。
しばらく眺めた後、カーナの眉が僅かに上がる。
「エルヴィス」
「何である?」
「皮膚は?」
「最低限である」
「最低限?」
「試験用であるからな。内部保護に必要な部分のみ設けている」
「ちゃんとした皮膚は付けないのかい?」
「現段階では必要性が低い」
エルヴィスは平然と答えた。
「動作が成立する保証すらない。加えて、初期段階では内部を何度も調整する可能性が高い。皮膚系まで完成させれば、そのたびに作業の妨げとなる」
「俺も同じ考えだ」
アンガードが頷く。
「まず動かせるか確かめる。見た目を整えるのはその後でいい」
「効率の問題としては分かるさ」
カーナは二本の脚を見たまま答えた。
「でも、そりゃ良くないね」
「何がだ?」
「アンタら、仕組みのことばっかり見て、心の方を考えてないよ」
「心?」
「ああ」
今度はノエラへ視線を移す。
「この子に何を覚えさせようとしてる?」
「脚の動かし方だろ」
「その前さね」
カーナは自分の脚を軽く叩いた。
「今まで存在しなかった物を、『これは自分の脚だ』って認識させようとしてるんだろ?」
「……そうだな」
「だったら、自分の身体だと思える物にしてやらなきゃ駄目だ」
「外見の問題であるか?」
「外見だけじゃないよ」
カーナは首を振った。
「皮膚ってのは、中身を隠すためだけにあるんじゃない。何かに触れたことも、温かいことも、冷たいことも、布が擦れたことも、そこから身体へ入ってくる」
そしてノエラを見る。
「お嬢ちゃん。今の義足を誰かに触られたら分かるかい?」
「うーん……」
ノエラは自分の簡易義足へ手を置いた。
「強く叩かれたら、揺れたり音がしたりするから分かるよ。でも、触られただけなら分かんない」
「そうだろう?」
カーナが頷く。
「この子には今まで、脚を触られるって感覚そのものがなかった。でも、これからは違う」
地面へ触れる。
服が擦れる。
水に濡れる。
誰かの手が触れる。
そうした一つ一つの感覚も、そこに自分の脚が存在していることを身体へ教えていく。
「自分の脚だって認識させたいなら、動かすことだけ考えちゃ駄目さ。見て、触って、触られて、それが自分の身体なんだと思えるようにしてやる必要がある」
エルヴィスが脚部MAPを見る。
「皮膚系から得られる感覚も、身体認識の構築へ利用するということであるか」
「そういうことさね」
「理屈は分かる」
アンガードが腕を組んだ。
「でも兄さんが言った通り、こいつはまだ調整前だ。皮膚で全部覆ったら作業しにくくなるぞ」
「全部塞ぐなんて言ってないよ」
カーナが呆れたように笑う。
「結合部や調整が必要な場所は開けておけばいい。最初から完成品と同じように仕上げる必要はないさ」
「試験に必要な範囲だけ皮膚系を設けるのか」
「ああ。それでも、お嬢ちゃんが見て、触って、『自分の脚になる物だ』と思える程度にはしてやる」
そこでカーナはノエラへ向き直った。
「それにね」
「なに?」
「アンタらにとっては試作品でも、この子にとっては初めての自分の脚だろ?」
ノエラが机に並ぶ二本のMAPを見る。
「……うん」
「だったら、ちゃんと着飾ってあげないとね」
ノエラの目が僅かに輝いた。
「綺麗にしてくれるの?」
「綺麗にするだけじゃないよ」
カーナが笑う。
「お嬢ちゃんの身体にするのさ」
アンガードはしばらく試験用MAPを眺めた後、小さく息を吐いた。
「……姉貴らしいな」
「何だい、その言い方は」
「褒めてる」
「なら許そう」
「兄さんと同じこと言うなよ」
「私は関係ないであろう」
エルヴィスが僅かに眉を上げる。
カーナは二人を無視して、脚部MAPを指差した。
「皮膚はアタイが作ろう」
「姉貴が?」
「ああ」
「それは助かるけど……いいのか?」
「何だい。アタイじゃ不満かい?」
「逆だよ」
アンガードが首を横へ振る。
「姉貴の皮膚系は俺じゃ真似できない」
「私にも再現は困難である」
エルヴィスもあっさり認めた。
「そんなに凄いの?」
ノエラが尋ねる。
「カーナお姉さんの皮膚」
「ああ」
アンガードが答える。
「姉貴は皮膚系MAP-Sの専門家だからな」
「まっぷ……す?」
ノエラが首を傾げた。
「なにそれ?」
「そういや、お前は知らないか」
「MAPもまだよく分かってないよ。地図の技師なんでしょ?」
「そういやMAPのちゃんとした説明してなかったか?」
アンガードが頭を掻く。
「MAPそのものは今度ちゃんと教えるとして……MAP-Sってのは、簡単に言えば技師が自分で作り上げた得意技みたいなもんだ」
「得意技?」
「ああ。俺達の師匠から教わった技術だけじゃなくて、そこから先を自分で考えて、自分にしかできないところまで伸ばした技術だ」
「正確には少々異なる」
エルヴィスが口を挟んだ。
「師から学んだ標準技術を越え、自ら確立した専門領域として認定された技術を《MAP-S》と呼ぶ。それを確立し、認定を受けることは、独立したMAP技師を名乗るための条件でもある」
「…………」
ノエラはしばらく考えた。
「つまり、カーナお姉さんは皮膚を作るのが凄く上手?」
「まあ、お前ならそれでいい」
「随分と削ったな」
「子供相手に全部覚えろって方が無茶だろ」
「アタイもそれで構わないよ」
カーナが笑う。
「皮膚を造らせたら凄いお姉さん。それだけ覚えときな」
「分かった!」
「まあ、昔からできたわけじゃないけどね」
「昔?」
ノエラが首を傾げる。
カーナは少しだけ黙り、隣に立つガルディナへ目を向けた。
「昔ね、アタイの相棒が全身に大火傷を負ったのさ」
「相棒?」
「ああ」
先ほどまでの軽い声音が、僅かに落ち着く。
「命は助かった。でも、身体の広い範囲で皮膚がまともに機能しなくなった」
ノエラも黙って聞いていた。
「どうにかしたかった」
カーナは自分の掌を見る。
「アタイたちMAP技師は、失った物をできる限り、その人の身体として取り戻すことを目標にしてる。腕がなくなれば腕を造る。脚がなくなれば脚を造る」
けれど。
「火傷には手が出せなかった」
「どうして?」
「MAPを身体へ付けるには《受容基部》が必要だからさ」
カーナは机に置かれた部品を示した。
「腕なら肩、脚なら股関節や膝。身体とMAPの境目へ受容基部を造ればいい。でも皮膚は違う」
背中も、胸も、腹も、腕も、脚も、首も、顔も。
皮膚は身体の表面全体に存在し、身体を動かすたびに伸び縮みしながら、常に外からの感覚を受け取っている。
「全身の皮膚を普通のMAPと同じやり方で置き換えようとしたら、身体中へ受容基部を造らなきゃならない」
「いっぱい?」
「いっぱいなんてもんじゃないねぇ」
カーナが苦笑する。
「火傷した身体をどうにかするために、今度は受容基部を付けるために全身を傷付ける。それじゃ意味がない」
「本末転倒であるな」
「ああ」
エルヴィスの言葉にカーナが頷いた。
「だから、受容基部をたくさん造るのをやめた」
「……やめたの?」
「ああ」
「じゃあ、どうしたの?」
「一つずつ繋ぐんじゃなくて、皮膚の下にある接触面そのものを、全部まとめて身体との繋ぎ目として扱ったのさ」
「全部?」
「全部だ」
アンガードが答える。
「姉貴は、皮膚の下の接触面全体を一つの《受容基部》として扱う方法を作った」
「通常の方法では、まず再現できぬ」
エルヴィスが続ける。
「皮膚全面にわたり、感覚、血流、魔力、身体を動かした際の伸縮まで同期させ続ける必要がある」
「そこへ幻想魔術まで組み合わせた」
カーナは自分の指先を見る。
「ただ貼り付けるんじゃない。その人自身の皮膚として身体へ繋ぐためにね」
「それで、その人は?」
「ここにいます」
静かな声が答えた。
「え?」
ノエラが振り返る。
ガルディナだった。
「私のことです」
「ガルディナ」
「隠すことではありません」
いつもと変わらない声だった。
ノエラの視線が、ガルディナの青い肌へ向かう。
これまでは、少し珍しい色の肌だと思っていただけだった。
「じゃあ、その青い皮膚……」
「はい」
ガルディナは自分の腕へ視線を落とした。
「現在の私の皮膚は、カーナ様が造られた皮膚型MAPです」
「…………」
ノエラは何度か瞬きをした。
「全然分かんなかった」
「そう見えるように造ったんだからねぇ」
カーナが少しだけ得意そうに笑った。
「普通の皮膚みたいなの?」
「触れてみますか?」
「いいの?」
「はい」
ノエラが手を伸ばし、ガルディナの腕へそっと触れる。
「……普通だ」
「失礼ですね」
「違うよ! 褒めてるの!」
「ならば、ありがとうございます」
「ガルディナ、それ褒められて嬉しいのかい?」
「カーナ様の技術を褒められていますので」
「……そういう返しされると何も言えないねぇ」
カーナは困ったように笑った。
「本人はね、もう十分だから気にするなって何度も言ったのさ」
「今でも申し上げています」
「ほらね」
「カーナ様が聞かれないだけです」
「頑固者なのさ」
「それはカーナ様です」
「……そういうところだよ」
アンガードが思わず吹き出す。
「何笑ってんだい」
「いや、昔から変わらねぇなと思って」
「アン坊まで余計なこと言うんじゃないよ」
少し和らいだ空気の中、カーナはガルディナを見た。
造って、繋いで、感覚を合わせる。
身体を動かせばずれ、場所によって必要な柔らかさも違う。そのたびに直し、調整し、また造り直した。
「そうやって出来上がったのが、今のアタイの皮膚系MAPだよ」
カーナがノエラへ向き直る。
「まあ、これだけは師匠にも負けるつもりはないね」
「言うねぇ、姉貴」
「皮膚だけはね」
「皮膚系のMAP-Sだもんな」
「ああ」
ノエラはカーナを見て、それからガルディナを見る。
最後に、自分のために造られた二本の脚へ視線を戻した。
「じゃあ、私のもガルディナお姉さんみたいになるの?」
「いや」
カーナが笑う。
「お嬢ちゃんには、お嬢ちゃんの皮膚を造るよ」
「私の?」
「ああ」
カーナはノエラの腕へ目を向けた。
「色も、見た目も、触った感じも、お嬢ちゃんの身体へ合わせる。脚だけ別人みたいになったら嫌だろう?」
「嫌」
「なら決まりだ」
カーナは机の脚部MAPへ視線を戻す。
「調整する場所は残す。最初から完成品にはしない。でも、触られたことが分かって、見た時に『自分の脚だ』と思える物にする」
「爪も付く?」
「付けるよ」
「ちゃんと触ったら分かる?」
「そこまで持っていく」
「綺麗になる?」
「そこは絶対だね」
ノエラの顔が、質問を重ねるたびに明るくなっていく。
「じゃあ、本当に私の脚みたいになる?」
カーナは一瞬だけ答えを止めた。
「違うよ」
「え?」
「お嬢ちゃんの脚みたいにするんじゃない」
まだ完成していない二本のMAPを見る。
「お嬢ちゃんの脚にするのさ」
ノエラが目を丸くした。
アンガードとエルヴィスは何も言わない。
骨格を造る。
筋繊維を組む。
神経を繋ぐ。
皮膚を与える。
そして、そのすべてを一人の少女の身体へしていく。
ノエラには、元に戻すべき脚がない。
だからこそ三人の技師は、存在しなかったものを、初めて彼女自身の身体として造ろうとしていた。
「じゃあ」
アンガードがカーナを見る。
「姉貴が実際に触るのは?」
「酒が完全に抜けてからさね」
「今日は?」
「やらないよ」
即答だった。
「そこは譲らないんだ」
ノエラが言う。
「ああ」
カーナは今度だけは笑わなかった。
「人の身体を造る仕事だからね」
そして、まだ中身の残った酒瓶が並ぶ店内を見回す。
「今日から、この仕事が終わるまでは酒抜きだ」
「大丈夫?」
「お嬢ちゃん、アタイを何だと思ってるんだい」
「お酒が大好きなお姉さん」
「……間違ってないのが腹立つねぇ」
「カーナ様」
「何だい?」
「念のため、店主にもお伝えしておきます」
「そこまで信用ないのかい?」
「万全を期します」
「相変わらず容赦ないねぇ……」
ノエラが笑う。
その日の夜。
酒屋に泊まっていながら、カーナの前に酒杯が置かれることはなかった。
初めての脚を、自分の脚にするために。
《装飾》の技師もまた、仕事へ入った。