無差別の技師 〜MAP技師は身体を全て取り返す〜 作:羊毛ローブ
《受容基部》を取り付けてから、数日が経った。
「痛みは?」
「触ったら、ちょっとだけ」
「何もしてない時は?」
「ほとんどないよ」
「痒みとか、変な感じは?」
「ない」
「よし」
寝台へ腰掛けたノエラの両脚の付け根を確認し、アンガードはようやく頷いた。受容基部を取り付けた直後にあった赤みや腫れはかなり引いている。傷が完全に治ったわけではないが、接続試験を妨げるような異常は見られない。
「兄さん」
「こちらも問題ないのである」
傍らに立つエルヴィスが記録から顔を上げた。
「昨日までの計測結果を含め、受容基部は安定している。結合芯の最終調整も完了しているのである」
「ほんと!?」
ノエラの顔が一気に明るくなった。
「ああ。ただし」
「今日は歩かない!」
アンガードが続けるより先に答える。
「……覚えてたか」
「何回も言われたもん」
「何回でも言うぞ。今日は歩かない。立たない。自分から脚を動かそうともしない」
「足の指だけも?」
「駄目」
「ちょっとだけでも?」
「駄目」
「ケチ」
「そういう問題じゃねぇよ」
頬を膨らませながらも、ノエラの視線はすでに別のものへ向いていた。
部屋の中央。
そこには二本の脚部MAPが置かれている。
数日前までの試作品とは、随分と印象が変わっていた。調整を続ける必要がある接続部の周辺こそ露出しているものの、膝から脛、踝、踵、そして五本の足指まで、その大部分は柔らかな皮膚に覆われている。
色もノエラ自身の肌へ近づけられていた。
「……これ、本当に私の?」
「まだ試作品ではあるがな」
アンガードの言葉に、カーナが鼻を鳴らした。
「アン坊は相変わらず夢がないねぇ」
「事実だろ」
「事実をどう言うかって話さ」
カーナは二本の脚のうち片方を持ち上げ、ノエラの前へ置いた。
「触ってみな」
「いいの?」
「そのために皮膚まで付けたんだからねぇ」
ノエラがおそるおそる手を伸ばした。
脛へ触れる。
「……柔らかい」
指で押すと、僅かに沈む。
離せば戻る。
今度は掌全体で撫でてみる。
「本物みたい」
「いやこれは本物なのさ」
カーナが笑った。
「ねえ、カーナさん」
「何だい?」
「これって、この前言ってた『アレ』?」
アンガードとエルヴィスの視線もカーナへ向いた。
「皮膚の材料かい?」
「うん。企業秘密って言ってたやつ」
「ああ、それか」
カーナが楽しそうに口元を上げる。
「出来てからのお楽しみだったねぇ」
「教えてくれるの?」
「材料くらいならね。処理の仕方まで喋ったら、本当に企業秘密じゃなくなっちまう」
カーナが皮膚を指先で軽く叩いた。
「スライムさ」
「…………」
ノエラの手が止まる。
「え?」
「スライム」
「……あの、ぷるぷるしてる?」
「そう。そのぷるぷるしてるやつ」
「これが!?」
隣で見ていたミラまで目を丸くして近寄った。
「全然スライムに見えないよ!」
「見えたら困るさね」
カーナは笑う。
「正確には、特殊な処理を施したスライムの外殻を主に使って、他の素材も混ぜてある。伸びるし戻る。皮膚として使うには、なかなか便利な素材なのさ」
ノエラはもう一度、脛を押した。
「……スライムの脚」
「そう言われると台無しだねぇ」
「カーナさんが言ったんじゃん」
「ありゃまぁ。言い方が悪かったかねぇ」
笑い声が起こる。
だが、それも長くは続かなかった。
「さて」
エルヴィスが作業台の記録を閉じる。
「始めるのである」
ノエラの手が止まった。
目の前にある二本の脚を見る。
「……今日、本当に付くんだよね」
「ああ」
アンガードが答えた。
「その前に、もう一回だけ説明するぞ」
「また?」
「まただ」
アンガードはノエラの前へしゃがんだ。
「MAPはな、繋いだ後に感覚が一個ずつ入ってくるわけじゃない」
「うん」
「結合芯と受容基部が繋がれば、神経系も繋がる。そうなった時点で、そのMAPから身体へ返ってくる感覚は一気に脳へ入る」
「一気に?」
「ああ」
エルヴィスが続けた。
「触れている感覚。関節がどこにあるか。どのような状態にあるか。MAPから身体へ返される情報は、それぞれ順番を待って届くわけではないのである」
ノエラが自分の頭へ手を置いた。
「……いっぱい来る?」
「そう思っておいた方がいい」
アンガードは二本の脚へ目を向ける。
「しかも、お前には今まで脚から感覚が来たことがない」
「…………」
「だから、俺たちにもお前が最初にどう感じるのかは分からない」
「痛い?」
「痛いとは限らないさね」
答えたのはカーナだった。
「ただ、何が何だか分からなくなるかもしれない。気持ち悪いかもしれないし、怖いかもしれない。頭が疲れるかもしれない」
「カーナさんにも分からない?」
「分からないよ」
迷いのない返事だった。
「アタイができるのは、入ってきたものを整理する手伝いだけさ。感覚そのものを消してやるわけじゃない」
カーナはノエラの額を指先で軽く叩いた。
「それに、受容基部を付けたところにはまだ傷がある。その痛みと、新しく入ってくる『脚がある』って感覚を、最初からごちゃ混ぜにして覚えちまうのも避けたい」
「分けるの?」
「きっちり二つに切るって意味じゃないよ。身体の中で、これは傷から来たもの、これは脚から来たものって、整理しやすくしてやる」
「難しい」
「だろうねぇ」
カーナが笑った。
「だから、ノエラが全部理解する必要はないさ」
アンガードも頷く。
「とにかく今日は、繋いだ後に動かさない。そこだけ覚えてればいい」
「何で動かしちゃ駄目なの?」
「動けば、入ってくる情報まで変わるからだ」
アンガードは自分の左腕を軽く曲げた。
「曲げた。伸ばした。力が入った。何かに触れた。そういう変化まで次々入ってくる。ただでさえ初めての情報が大量に来るのに、いきなり動かせば脳へ掛かる負担も増える」
「だから今日は、付けるだけ?」
「そういうことだ」
「……分かった」
今度は素直な返事だった。
「怖くなったかい?」
カーナが尋ねる。
ノエラは少し考えてから頷いた。
「ちょっと」
「それでいいさ」
「いいの?」
「今までなかった身体が、いきなり感覚ごと増えるんだよ。怖くない方が変さね」
「カーナさんでも?」
「アタイでも怖いよ」
「アンガードさんは?」
「俺は最初の時、怖がってる余裕なんかなかった」
「参考にならないねぇ」
「うるせぇ」
ノエラが小さく笑った。
少しだけ緊張が抜ける。
「じゃあ」
自分から寝台へ横になった。
「やる」
「よし」
母親が傍らへ座り、ノエラの手を握る。父親も反対側へ立った。ミラは邪魔にならない位置まで下がり、クリスはその隣から静かに見守っている。
ルーフェもまた、青い翼を畳んだままノエラから目を離さない。
『…………』
その声は、まだない。
少し離れた壁際にはガルディナが立ち、カーナの作業を見守っていた。
「右からいくぞ」
「うん」
アンガードとエルヴィスが右脚MAPを持ち上げる。
数日前に取り付けた《受容基部》。
そこから改めて得た神経配置や身体の反応を基に、最終調整された《結合芯》。
二つを正確に合わせる。
「カーナ」
「いつでもいいよ」
「ノエラ」
「うん」
「無理に何が何だか考えなくていい。変だと思ったら、そのまま言え」
「分かった」
「いくぞ」
結合芯が、ゆっくりと受容基部へ入っていく。
「……っ」
「痛いか?」
「ちょっと押されてる」
「続けられる?」
「うん」
アンガードは急がない。
接続部の違和感を一つずつ確認しながら、結合芯を定位置まで進める。
そして。
「兄さん」
「問題ない」
最後の固定。
小さな音がした。
右脚MAPとノエラの身体が繋がる。
その瞬間。
「――っ!」
ノエラの全身が強張った。
母親の手を握る指へ力が入る。
大きく見開いた緑の瞳が、何もない一点を見つめていた。
「ノエラ」
アンガードが声を掛ける。
返事はない。
「ノエラ」
カーナが静かに呼ぶ。
「アタイの声、聞こえるかい?」
「…………うん」
掠れた声が返った。
「よし。それだけでいい」
「…………」
「何が来てるか、無理に説明しなくていいよ」
「……いっぱい」
ノエラが呟いた。
「いっぱい、ある」
右脚は寝台の上から一切動いていない。
それでも。
今まで存在しなかった場所から、感覚がある。
寝台へ触れている。
膝が曲がっている。
足首がある。
足先がある。
右脚という一本のMAP全体から返ってくる情報が、一つずつではなく、最初からまとめてノエラの脳へ押し寄せている。
「……変」
「気持ち悪いか?」
「分かんない」
「痛い?」
「痛いのは……ここ」
ノエラが受容基部の近くを指そうとする。
「手は動かさなくていいよ」
カーナが止めた。
「言葉だけで十分さ」
「うん……」
カーナがノエラの額へ手を添える。
幻想魔術。
入ってくる情報を消すためではない。
右脚から届く感覚。
接続部に残る傷の痛み。
今まで身体認識の中になかった場所。
それらが一つの大きな混乱として結びつかないよう、カーナが慎重に整理していく。
「……なんか」
「何だい?」
「頭の中が、うるさい」
カーナの口元が僅かに緩んだ。
「いい言い方だねぇ」
「いいの?」
「今まで何も言わなかった場所が、急に全部喋り始めたようなもんだからね」
「全部……」
「一個ずつ聞こうとしなくていい」
カーナの声は変わらない。
「右に何かある。それだけでいいよ」
「……右」
「そう」
しばらく待つ。
アンガードも、エルヴィスもMAPへ触れない。
動かさない。
余計な刺激を加えない。
ノエラの呼吸だけが、少しずつ落ち着いていった。
「どうだ?」
アンガードが尋ねる。
「……まだ、いっぱいある」
「さっきより辛い?」
「ううん」
「頭痛は?」
「ちょっと疲れた感じ」
エルヴィスが記録へ書き込む。
「右側の接続は正常。神経反応にも現時点で異常はないのである」
「左はどうする?」
アンガードがカーナを見る。
「急ぐ理由はないねぇ」
「だな」
アンガードはすぐに頷いた。
「今日は右だけでも――」
「やる」
ノエラが言った。
「ノエラ」
「右だけなの、すごく変」
「変?」
「うん」
ノエラは右脚を見た。
視線を向けただけで、動かそうとはしない。
「右にはいっぱいあるのに、左には何にもない」
カーナとエルヴィスが視線を交わす。
「辛いから終わりたいんじゃないのか?」
アンガードが確認する。
「違う」
「本当に?」
「怖いのはまだ怖い。でも、右だけの方が変」
しばらく考えてから、カーナが頷いた。
「反応は落ち着いてる。アタイも続けていいと思うよ」
「私も同意する。ただし」
エルヴィスがノエラを見る。
「左を接続した後、本日の接続試験は終了するのである」
「動かさない?」
「動かさない」
「……はい」
「そこは残念そうにするところではない」
僅かに空気が緩む。
そして左脚。
右と同じように位置を合わせ、結合芯を受容基部へ進める。
圧迫感。
傷口から来る僅かな痛み。
それを確認しながら、最後まで接続する。
「固定」
小さな音。
「――っ……!」
再び、ノエラの身体が強張った。
今度は右だけの時より表情が大きく歪む。
「ノエラ聞こえるかい?」
「…………聞こえてる」
「よし」
「……増えた」
目を閉じたまま、ノエラが呟いた。
「左も……いっぱい来た」
右。
左。
生まれてから一度も存在したことのない二本の脚。
そこから送られてくる感覚が、今は絶え間なくノエラの脳へ届いている。
アンガードは脚を動かさない。
エルヴィスも接続状態の確認だけに留める。
カーナだけがノエラの傍らで、脳へ届いた情報と身体認識が無秩序に絡み合わないよう補助を続けている。
「右と左、分かるかい?」
「……分かる」
「無理に細かいところまで考えなくていいよ」
「うん」
「ただそこにある。それだけでいい」
「……ある」
時間が過ぎる。
誰も急かさなかった。
ノエラも動かそうとはしない。
ただ、自分の身体へ突然加わった二本分の感覚を受け続ける。
やがて。
「……さっきより静か」
ノエラが目を開いた。
「感覚が減ったか?」
「ううん」
アンガードの問いに首を振る。
「あるのは同じ。右も左も、いっぱいある」
「じゃあ何が違う?」
「……びっくりしなくなってきた」
エルヴィスの筆が動いた。
「それでよい。感覚が消えたのではなく、受け取る側が慣れ始めているのである」
「受け取る側?」
「お主の脳だ」
「私の?」
「ああ」
エルヴィスは記録から顔を上げる。
「初めてMAPを接続した者にとって、最初の情報量は大きな負担になる。故に、接続直後から無闇に動かす必要はない。まずはMAPを身体として使う者自身が、その感覚へ適応する時間を取るのである」
「MAPを身体として使う人……」
ノエラが首を傾げた。
「そういう人って、何か名前あるの?」
「あるぞ」
アンガードが答える。
「MAP技師は《アエゲル》って呼ぶ」
「アエゲル?」
「ああ。簡単に言えば、MAPを身体として使ってる奴のことだ」
エルヴィスが補足する。
「ただ治療を受けるだけの患者という意味ではない。MAPを装着した後も、それを身体として使い、生活していく者。それがアエゲルである」
ノエラは少し考えた。
それから、自分の二本の脚を見る。
「……じゃあ」
「ん?」
「私もアエゲル?」
アンガードも二本の脚を見る。
そして。
「そうだな」
「今日から?」
「そうだな」
ノエラの顔に、ゆっくりと笑みが広がった。
「そっか」
ただの一言。
けれど、どこか嬉しそうだった。
「私もアエゲルなんだ」
「嬉しいもんなのか、それ」
「だって」
ノエラは脚を見る。
「MAPを使ってる人ってことでしょう?」
「ああ」
「だったら、ちょっと嬉しい」
「変な子だねぇ」
カーナが笑う。
「カーナさんに言われたくない」
「おや。随分言うようになったねぇ」
また少し笑いが起こった。
その時。
ノエラが右手を動かした。
「おい」
アンガードの声に、動きが止まる。
「脚は動かしてないよ」
「手も最低限だ」
「触るだけ」
「……ゆっくりな」
「うん」
ノエラの右手が、自分の右太腿へ向かう。
指先が皮膚へ触れた。
「…………」
ノエラの目が大きくなった。
「どうした?」
今まで使っていた義足なら。
触れた時に分かるのは、手の感覚だけだった。
硬い。
冷たい。
滑らか。
それを手で知るだけ。
だが。
「……手で触ってる」
「ああ」
「でも」
ノエラの指が、ほんの少しだけ皮膚の上を滑る。
「脚も……触られてる」
触っている。
同時に。
触られている。
二つの感覚が、一つの身体の中へ返ってくる。
「…………」
ノエラはもう一度、同じ場所へ触れた。
「右」
次に左手を伸ばす。
今度は左の太腿。
「……左も」
右。
左。
自分の手で触れるたびに。
そこから感覚が返ってくる。
ノエラの表情から、先ほどまでの戸惑いが少しずつ消えていった。
「ねえ」
「何だ?」
「これ」
右脚へ触れたまま、ノエラが尋ねる。
「私の脚なんだよね?」
アンガードはすぐには答えなかった。
試作品。
まだ動かせる保証はない。
身体認識も、ようやく始まったばかり。
完成したMAPだと言うには、何もかも早い。
それでも。
「ああ」
答えた。
「お前の脚だ」
「…………」
ノエラが脚を見る。
また触れる。
手に返る感触と。
脚から返ってくる感触。
「……ある」
小さな声だった。
「脚が」
右。
左。
「ここにある」
母親が口元へ手を当てた。
父親は何も言わず、娘を見つめている。
ミラも声を出さなかった。
クリスの傍らでは、ルーフェの青い翼が僅かに震えた。
『……そうか』
その声を聞けるのは、クリスだけだった。
彼女は何も伝えず、ただ小さく微笑んだ。
「ねえ、アンガードさん」
「何だ?」
「いつ動かしていい?」
「まだだ」
「明日?」
「まだ分からん」
「明後日?」
「だから分からんって」
「三日後?」
「日数の問題じゃねぇ!」
「えー」
「お前の頭がこの感覚に慣れてからだ!」
「じゃあ早く慣れる」
「気合いでどうにかするな!」
カーナが吹き出した。
「アン坊」
「何だよ」
「随分と立派なアエゲルが増えたじゃないか」
「どこがだよ」
「動かすなって言われた端から、いつ動かせるかしか考えてない」
「……誰かに似てる気がする」
アンガードが呟く。
「誰?」
「気にするな」
ノエラは不思議そうに首を傾げた。
その間も。
二本の脚から感覚は届き続けている。
まだ、どう動かせばいいのかは知らない。
膝を曲げる方法も。
足指を動かす方法も。
一歩を踏み出す方法も。
何一つ知らない。
そして今日は、それを試す日ですらなかった。
まずは、この大量の感覚を受け入れること。
今まで存在しなかった場所が、確かに自分へ繋がっていることを知ること。
それだけで十分だった。
ノエラはもう一度、自分の脚へそっと触れた。
触っている。
触られている。
その両方が分かる。
まだ動かない。
けれど。
そこには確かに、二本の脚があった。