無差別の技師 〜MAP技師は身体を全て取り返す〜   作:羊毛ローブ

31 / 33
その7


29話『歩いた理由』

 

 

 翌日。

 

「右膝……左に重心……足首……」

 

 ノエラの右脚が床から離れ、昨日よりも滑らかに前へ出た。着地した右足へ慎重に体重を移し、今度は左脚から荷重を抜こうとする。

 

「左膝……腰……」

 

 そこで動きが鈍った。

 

 右足首が揺れ、それを直そうとして腰が大きく動く。今度は左膝への意識が抜け、身体が傾き始めたところで、すぐ傍にいたアンガードが肩を支えた。

 

「そこまで」

 

「まだいけた!」

 

「倒れ始めてから言うな」

 

「でも昨日より進んだもん」

 

「それはそうだな」

 

 アンガードはノエラを支えながら姿勢を戻した。

 

 昨日は最初の一歩を出したあと、次の脚へ繋げるところで完全に止まっていた。今日は左脚を動かそうとするところまでは進んでいる。進歩していないわけではなく、むしろ一つずつ見れば昨日より確実に良くなっていた。

 

「身体側の反応にも問題はないのである」

 

 エルヴィスが記録から顔を上げる。

 

「各関節へ送られる信号も、昨日より安定している」

 

「じゃあ、もうちょっとで歩ける?」

 

「そこが難しいのである」

 

「何で?」

 

「今の話を聞いてなかったのかよ」

 

 アンガードが苦笑する。

 

「一個ずつは昨日より良くなってる。でも、お前は相変わらず一個ずつやってるだろ」

 

「だって、やらないと動かないもん」

 

「今はな」

 

「またそれ」

 

 ノエラは不満そうに口を尖らせた。

 

 今日の訓練には、酒屋の裏手にある少し開けた場所を使っている。地面は事前に確認し、大きな石や凹凸も取り除いてあった。転倒した際の危険を減らすためでもあるが、室内より長い距離を取れることも理由だった。

 

 自力で立つことそのものは、もう珍しくない。

 

 ノエラは今も誰にも支えられずに立っている。

 

 問題は、その先だった。

 

「もう一回」

 

「少し休め」

 

「まだ疲れてない」

 

「脚だけの話じゃねぇよ。頭も使いっぱなしだろ」

 

「頭?」

 

「右膝、左膝、足首、重心、腰。ずっと全部考えてるじゃないか」

 

 横からカーナが笑った。

 

「見てるこっちまで忙しくなってくるくらいだよ」

 

「でも考えないと忘れるよ」

 

「忘れるんじゃないさ」

 

 カーナはノエラの前へしゃがむと、額を指先で軽く突いた。

 

「ノエラは覚えすぎてるんだよ」

 

「覚えすぎ?」

 

「一つ一つ覚えるところまでは上手くいった。だから今度は、その一つ一つが気になって仕方ないのさ」

 

 ノエラは自分の脚を見下ろした。

 

「じゃあ、考えないようにする?」

 

「それが簡単にできるなら苦労しないねぇ」

 

「じゃあどうするの?」

 

「それを今から探すんだよ」

 

「また探すの?」

 

「ここまでずっとそうだったろ?」

 

「……そうだけど」

 

 ノエラは渋々、用意されていた椅子へ腰を下ろした。

 

 足裏にはまだ地面の感触が残っている。膝を動かせば位置が分かり、足首を曲げればその角度も分かる。最初に脚を接続した時には、あまりに情報が多くて頭の中がうるさいと感じたものだった。

 

 今では、その一つ一つを自分の身体から返ってくる感覚として理解できる。

 

 できることは増えた。

 

 それなのに、「歩く」という一つのことだけが上手くいかない。

 

「変なの」

 

「何がだ?」

 

「前の義足の時は、こんなに色々できなかったのに歩けたんだよ?」

 

「ああ」

 

「今の脚は膝も動くし、足首も動くし、立てるのに。一人だと歩けない」

 

「だから、できることの数だけで決まるわけじゃないんだろうな」

 

 アンガードもノエラの脚へ目を向けた。

 

「前のお前は、少ない動きでどうやって歩くかを身体が知ってた。今はできることが増えた分、それをどう一緒に使うかをまだ身体が知らない」

 

「身体に教える?」

 

「そうなるな」

 

「どうやって?」

 

「だから、それを考えてんだよ」

 

「アンガードさんも分かんないんだ」

 

「分かってたら昨日のうちにやってる」

 

「そっか」

 

「何でちょっと嬉しそうなんだよ」

 

「私だけ分かんないんじゃないから」

 

「そういう安心の仕方すんな」

 

 ノエラが笑い、アンガードも呆れたように笑い返した。

 

 その様子を、少し離れたところからルーフェが見ている。今日もクリスの傍らで青い翼を畳み、訓練が始まってから一度もノエラへ近づいてはいなかった。

 

「休憩終わり!」

 

「早ぇよ」

 

「もう休んだ!」

 

「三分も経ってねぇ」

 

「十分!」

 

「何が十分なんだよ」

 

「休んだの!」

 

「時間じゃなくて気分で決めんな」

 

 それでも立ち上がろうとするノエラを見て、カーナが肩をすくめた。

 

「まあ、やらせてみたらどうだい。力み始めたら止めりゃいいさ」

 

「姉貴は甘いんだか厳しいんだか分かんねぇな」

 

「ノエラ」

 

「なに?」

 

「転んでもアタイは笑わないから安心しな」

 

「それ絶対笑うやつ!」

 

「よく分かってきたじゃないか」

 

「姉貴……」

 

 再びノエラが立つ。

 

 今度はアンガードも、最初から細かな指示を出そうとはしなかった。

 

「好きにやってみろ」

 

「え?」

 

「昨日から俺たちの言った通りにやりすぎてる。最初の一歩くらい、自分で好きに出してみろ」

 

「間違ってたら?」

 

「止める」

 

「転びそうになったら?」

 

「支える」

 

「じゃあ……やる」

 

 ノエラは前を向いた。

 

 右脚を出す。

 

 そう思っただけで、昨日までに覚えたことが次々と頭の中へ並び始める。

 

 左へ重心を移し、右脚から荷重を抜く。膝を曲げて腰を使い、足首の位置も確かめる。

 

 考え始めた途端、身体が遅くなった。

 

 それでも最初の一歩は出る。右足を地面へ着け、今度は右へ重心を移して左脚を出そうとするが、そこでまた身体が止まった。

 

「……何で」

 

 できる。

 

 膝も動く。足首も動く。重心だって移せる。

 

 全部できるはずなのに、繋がらない。

 

「もう一回」

 

 今度は左脚から始める。

 

 一歩は出た。

 

 だが、二歩目で止まった。

 

「もう一回!」

 

 右から試しても同じだった。

 

「ノエラ」

 

「まだ!」

 

 カーナの声にも首を振る。

 

「もう一回やったらできるかもしれない!」

 

 姿勢を立て直し、再び前を見る。

 

 けれど今度は、最初の一歩さえぎこちなくなった。考えれば考えるほど、身体のあちこちが別々のものになっていく。

 

「右膝……足首……左に――」

 

 その時だった。

 

 視界の端で、青いものが動いた。

 

「……?」

 

 ノエラの意識が、自分の脚から外れる。

 

 クリスの傍らにいたルーフェが、ゆっくりと歩き出していた。

 

「ルーフェ?」

 

 クリスが呼ぶ。

 

 けれどルーフェは止まらない。

 

 ノエラの前を横切り、そのまま数歩先まで進む。

 

 そこで足を止めると、ゆっくり振り返った。

 

「…………」

 

 ノエラが動かなくなった。

 

 ルーフェは何もしない。ただ少し離れた場所から、ノエラを見ている。

 

 青い翼を持つ、今まで何度も目にしてきた姿。

 

 それなのに。

 

 その距離が。

 

 少し先まで進んで、自分を待つように振り返る仕草が。

 

「……レーちゃん?」

 

 小さな声だった。

 

 アンガードがノエラを見る。

 

「ノエラ?」

 

 返事はない。

 

 ノエラの目は、ルーフェから離れなかった。

 

 昔、義足で森の入口まで行った時。

 

 赤い大きな身体が、自分より少し先へ進んだ。

 

 本当なら、ノエラを置いていくらでも先へ行けたはずなのに、いつも少しだけ先まで進んでは振り返った。

 

 ノエラが追いつくまで待っている。

 

 急かすこともなく、迎えに戻ってくることもなく。

 

 ただ、そこで待っていてくれる。

 

「…………」

 

 ルーフェが一歩だけ進んだ。

 

 そして再び止まり、ノエラを見る。

 

 胸の奥で、何かが強く鳴った。

 

「待って」

 

 ノエラが呟く。

 

 ルーフェへ向かって。

 

「待ってよ」

 

 一歩、近づきたい。

 

 右膝をどう動かすのか。

 

 足首をどこへ向けるのか。

 

 重心をどちらへ移すのか。

 

 そんなことよりも先に、一つだけ強い思いが浮かんだ。

 

 追いつきたい。

 

 昔、何度もそうしたように。

 

「ノエラ」

 

 アンガードの声が聞こえた。

 

 けれど、ノエラはもう自分の膝を見ていなかった。

 

 見ているのはルーフェだけだった。

 

「待って!」

 

 身体が動いた。

 

 左へ重心が移ると同時に右脚から荷重が抜け、腰の動きに合わせて右膝が曲がる。足が地面から離れて前へ出ると、膝が伸び、踵が地面へ触れた。

 

 そこへ自然に体重が移る。

 

「……え?」

 

 誰かの声がした。

 

 けれどノエラには、それが誰の声だったのか分からなかった。

 

 右脚へ体重が乗ると左脚が軽くなり、腰の動きに合わせて左膝が曲がる。そのまま脚が前へ出て、再び足裏が地面を捉えた。

 

 二歩目だった。

 

 ノエラは止まらない。

 

 右膝のことを考えていない。左足首も、重心をどちらへ移すのかも、一つずつ確かめてはいない。

 

 それでも身体は、これまで何度も練習してきた通りに動いている。

 

 昔から使ってきた腰と上半身の動きが身体を前へ運び、新しく覚えた膝がその流れに合わせて曲がる。足首が地面を捉え、体重を受け止めれば、今度は反対の脚が前へ出る。

 

 三歩目。

 

 四歩目。

 

「ノエラ!」

 

 母親の声が聞こえた。

 

 それでもノエラは止まりたくなかった。

 

「レーちゃん!」

 

 ルーフェが待っている。

 

 だから、追いつく。

 

 最初の頃から何度も使ってきた、腰と上半身で身体を前へ運ぶ動き。何日も掛けて一つずつ覚えた、膝と足首の動き。

 

 それまで別々だったものが、ノエラの中で初めて一つに繋がっていた。

 

 歩くために膝を動かそうとしているのではない。

 

 歩くために足首を動かそうとしているのでもない。

 

 ただ前へ進もうとした身体が、そのために必要なことをしている。

 

 最後の一歩が少しだけ大きくなり、ルーフェのすぐ前まで来たところで身体が揺れた。

 

 アンガードが反射的に駆け出しかける。

 

 しかし、その前にノエラの足首が動き、腰が僅かに戻った。

 

 自分で姿勢を立て直した。

 

「…………」

 

 誰も声を出さなかった。

 

 ノエラもその場から動かず、目の前にいるルーフェを見上げている。

 

「レー……ちゃん?」

 

 もう一度、今度は先ほどよりも近くで呼んだ。

 

 ルーフェが身体を低くした。

 

 前脚を折り、背をノエラへ差し出す。

 

 昔と同じように。

 

「……あ」

 

 ノエラの目が大きく開く。

 

 森まで自分で歩いていき、追いついたら、いつもこうしてくれた。

 

 身体を低くして、一人では行けない場所まで自分を背中へ乗せてくれた。

 

「レーちゃん……」

 

 今度の声に、疑問はなかった。

 

 ルーフェは言葉を返さない。

 

 けれど顔を上げたノエラへ、静かに頭を寄せた。

 

「……ほんとに?」

 

 ノエラは両手を伸ばし、その顔へ触れる。

 

「ほんとに、レーちゃんなの?」

 

 ルーフェが目を細めた。

 

 それだけだった。

 

 けれど、ノエラにはそれで十分だった。

 

「ずっと……いたの?」

 

 声が震える。

 

「私、探そうと思ってたんだよ」

 

 歩けるようになったら、今まで行けなかった場所まで探しに行けるかもしれない。

 

 昨日、そう話したばかりだった。

 

 その相手は、ずっと自分の近くにいた。

 

「ばか」

 

 ノエラがルーフェの顔を抱く。

 

「分かんないよ……こんなの、分かんないよ」

 

 涙が一つだけ頬を伝った。

 

 ルーフェは逃げず、ノエラに抱かれたままじっとしている。

 

 誰もその時間を邪魔しなかった。

 

 アンガードも、エルヴィスも、カーナも、クリスも。ただ、二人を見守っていた。

 

 やがてノエラが顔を上げ、目元を腕で拭う。

 

 そこでようやく何かを思い出したように、自分が来た方を振り返った。

 

「……私」

 

「ああ」

 

 アンガードが笑っていた。

 

「歩いたぞ」

 

「一人で?」

 

「ああ」

 

「誰も持ってなかった?」

 

「誰も」

 

「カーナさんも?」

 

「アタイは何もしてないよ」

 

「エルヴィスお兄さん」

 

「測定上も、全てノエラ嬢自身の動作である」

 

 ノエラは自分が歩いてきた場所を見る。

 

 数歩どころではない。

 

 アンガードたちがいる場所から、ルーフェのところまで、自分の脚で進んできた。

 

「私、膝のこと考えてなかった」

 

「ああ」

 

「足首も」

 

「ああ」

 

「重心も……途中から何にも考えてなかった」

 

「でも動いてた」

 

「うん」

 

 ノエラは自分の脚へ視線を落とした。

 

「歩こうって思っただけ」

 

「それだ」

 

 アンガードが頷く。

 

「これ?」

 

「ああ。俺たちが探してたのは、多分それだ」

 

 エルヴィスも記録へ視線を落とした。

 

「個々の動作が消えたわけではない。全て実行されていたのである。ただし、ノエラ嬢はそれぞれを個別には意識していなかった」

 

「身体がやった?」

 

「お前がやったんだよ」

 

 アンガードが答える。

 

「今まで歩いてきた身体と、新しく覚えた脚でな」

 

 ノエラは少し考え、ルーフェを見た。

 

「レーちゃんに会えたから?」

 

「それだけじゃねぇ」

 

 アンガードはそこだけは、はっきりと否定した。

 

「レーちゃんがいたから、お前は膝を動かせるようになったのか?」

 

「違う」

 

「足首は?」

 

「練習した」

 

「立つのは?」

 

「いっぱい練習した」

 

「荷重の移し方は?」

 

「それも」

 

「だろ?」

 

 アンガードは笑った。

 

「必要なものは、昨日までに全部お前の中にあったんだよ」

 

「じゃあレーちゃんは?」

 

「最後に、それを一個ずつ考えるのを忘れさせてくれたんじゃねぇか」

 

「忘れさせた?」

 

「追いつくことしか考えてなかっただろ」

 

「……うん」

 

「その時に、お前の身体が今まで覚えたものを全部一緒に使った」

 

 横でカーナが腕を組む。

 

「いやぁ、これは面白いねぇ」

 

「姉貴」

 

「分かってるよ。今は技師の顔をするところじゃないさ」

 

 そう言いながらも、カーナの目は嬉しそうだった。

 

「でも、ノエラ」

 

「なに?」

 

「一回できたからって、これで終わりじゃないよ」

 

「分かってる」

 

「おや。珍しく素直だねぇ」

 

「だって、もう一回やりたい」

 

 アンガードが眉を上げた。

 

「今?」

 

「うん」

 

「レーちゃんを追いかけなくても?」

 

 ノエラは少しだけ迷った。

 

 それから、しっかり頷く。

 

「うん」

 

「いいぞ」

 

 元の場所へ戻る時だけは、アンガードに支えてもらった。

 

 疲労もある。感情が大きく動いた直後でもある。一度の成功だけで無理をさせる理由はなかった。

 

 十分に休んだあと、ノエラはもう一度立った。

 

 今度はルーフェを追いかけない。

 

 数歩先に立っているのはアンガードだけだ。

 

「何を考える?」

 

 アンガードが尋ねる。

 

 ノエラは少し考えた。

 

「そっちまで行く」

 

「膝は?」

 

「考えない」

 

「足首」

 

「考えない」

 

「重心」

 

「……それも考えない」

 

「いいのか?」

 

「必要になったら身体がやるんでしょ?」

 

「やってみろ」

 

 ノエラは前を向いた。

 

 怖くないわけではない。

 

 先ほどはルーフェへ追いつきたい気持ちだけで動けた。今度は自分の意思だけで、もう一度歩こうとしている。

 

 それでも。

 

 ――歩く。

 

 そう思った。

 

 右脚が前へ出る。

 

 続いて、左脚。

 

 まだ少しぎこちない。

 

 三歩目で身体が揺れ、足首へ意識を向けそうになる。それでもノエラは足元を見ず、数歩先のアンガードを見た。

 

 そこまで行く。

 

 それだけを考えて、もう一歩進む。

 

 そして次の一歩で、アンガードの前へ辿り着いた。

 

「……できた」

 

「ああ」

 

「できた!」

 

「ああ」

 

「今度はレーちゃん追いかけてないよ!」

 

「見りゃ分かる」

 

 ノエラの顔が一気に明るくなる。

 

「私、歩ける!」

 

 アンガードは今度こそ、何も付け加えなかった。

 

「ああ。歩けるぞ」

 

 

 それから数日が経った。

 

 まだ転ぶことはある。疲れれば動きは崩れ、ふとした拍子に膝や足首を意識しすぎて、動きがぎこちなくなることもあった。

 

 それでも、ノエラは歩けた。

 

 一度だけ起きた偶然ではない。

 

 自分で立ち、自分で最初の一歩を出し、そのまま次の一歩へ繋げる。その動きを何度も繰り返せるようになった。

 

 その日、ノエラは森の入口に立っていた。

 

 アンガードたちも少し離れて同行している。まだ一人で森へ行かせるつもりはない。

 

 けれど、ノエラの身体を支えている者はいなかった。

 

 隣にはルーフェがいる。

 

「ここ、覚えてる?」

 

 ノエラが尋ねる。

 

 ルーフェは言葉を返さない。

 

「私は覚えてるよ」

 

 昔、ここまでは自分で来た。

 

 簡素な義足で、腰と上半身を使いながら何度も足を運んだ。

 

 そして、この先からはレーちゃんの背中に乗せてもらった。

 

「昔はここから乗せてもらってたよね」

 

 ルーフェがノエラを見る。

 

「今日は乗らない」

 

 ノエラが笑った。

 

「今日は一緒に歩く」

 

 森の中へ一歩踏み出す。

 

 土の柔らかさは、家の床とも、整えられた訓練場所とも違う。足裏から返ってくる感覚も違い、僅かな起伏に身体が少し揺れた。

 

 それでもノエラは止まらなかった。

 

 ルーフェも急がない。

 

 昔のように少し先まで進んで待つことも、背中を差し出すこともしなかった。

 

 ただ、ノエラの隣を歩いている。

 

「レーちゃん」

 

 ノエラが呼ぶと、ルーフェが顔を向けた。

 

「私、歩けるようになったよ」

 

 返事はない。

 

 それでもノエラは笑った。

 

「今度は、自分で行けるよ」

 

 右脚を出せば、左脚が続く。

 

 腰も動く。

 

 膝も足首も、重心も、必要な時に必要なだけ働いている。

 

 ノエラはもう、その一つ一つを数えてはいなかった。

 

 ただ歩いていた。

 

 昔、自分で覚えた歩き方も、新しく覚えた脚の動きも、どちらも失わずに。

 

 自分の身体で。

 

 森の中を、レーちゃんの隣で歩いていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。