無差別の技師 〜MAP技師は身体を全て取り返す〜   作:羊毛ローブ

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その8


30話『明日へ歩く』

 

 

 森を自分の脚で歩いた日から、数日が経った。

 

「ノエラ、もう一往復」

 

「はーい」

 

 酒屋の奥から返事が聞こえ、しばらくしてノエラが姿を現した。

 

 以前なら腰と上半身を大きく動かし、簡素な義足を左右へ運びながら進んでいた場所を、今は二本の脚で歩いてくる。

 

 まだ完全に自然とは言えない。歩幅には左右で僅かな差があり、床の継ぎ目へ足を取られそうになれば、一瞬だけ動きが固くなることもある。

 

 それでも、止まらない。

 

 右脚を出せば左脚が続き、身体が僅かに傾けば足首と腰がそれを戻す。数日前まで一つずつ考えなければできなかった動作が、少しずつ「歩く」という一つの動きへ馴染み始めていた。

 

「着いた!」

 

「じゃあ戻れ」

 

「また!?」

 

「一往復って言っただろ」

 

「今ので一回じゃないの?」

 

「片道だ」

 

「ずるい!」

 

「何がだよ」

 

 文句を言いながらも、ノエラは笑っている。

 

 踵を返す時だけはまだ慎重だった。右足へ重心を寄せ、左脚を小さく動かして身体の向きを変える。途中で一度足元を見かけたものの、すぐに顔を上げた。

 

 その様子を、エルヴィスが記録を取りながら眺めている。

 

「方向転換時の動作も、昨日より安定しているのである」

 

「でしょ?」

 

「ただし、まだ急ぐと崩れるのである」

 

「急いでないよ」

 

「先ほど走ろうとしたのである」

 

「あれはちょっと速く歩こうとしただけ!」

 

「両足が同時に地面から離れかけてたぞ」

 

 アンガードが呆れたように言う。

 

「それを走るって言うんだよ」

 

「惜しかったのに」

 

「惜しいとかじゃねぇ」

 

 隣で見ていたミラが楽しそうに笑った。

 

「ノエラ、走れるようになったら競争しようよ」

 

「する!」

 

「約束!」

 

「お前ら今ここで約束すんな!」

 

 二人の少女が笑い合う。

 

 アンガードが頭を抱える横で、カーナまで肩を揺らしていた。

 

「いいじゃないか。目標が増えるのは悪いことじゃないさ」

 

「姉貴が焚きつけるなよ」

 

「走らせろとは言ってないだろ? そのうちさ、そのうち」

 

「そのうちは俺も否定してねぇよ」

 

「じゃあ決まりだね」

 

「カーナさんも競争する?」

 

「アタイが?」

 

「うん」

 

 カーナは少し考える素振りを見せたあと、にやりと笑った。

 

「いいよ。ただし、お嬢ちゃんが負けても泣かないって約束するならねぇ」

 

「泣かないもん!」

 

「お。言ったね?」

 

「姉貴、大人気なさすぎるだろ」

 

「勝負は勝負さ」

 

「まだ走れるようにもなってねぇよ!」

 

 いつの間にか未来の競争の話になっている。

 

 そのやり取りを聞きながら、ノエラの母親が店の奥で笑っていた。

 

 父親も同じだった。

 

 二人とも、最初の頃のようにノエラが歩くたび息を止めることはなくなった。

 

 初めて一人で立った日は、倒れないかと身体を強張らせていた。初めて支えなしで歩いたと聞いた時には、母親は娘を抱き締めたまま泣き、父親は何度も同じ話を聞き返していた。

 

 けれど今は、娘が店内を歩く姿を見ながら普通に仕事ができている。

 

 それもまた、大きな変化だった。

 

「よし。そこまで」

 

 アンガードに言われ、ノエラが立ち止まる。

 

「もう終わり?」

 

「歩く方はな。次は脚を見る」

 

「はーい」

 

 ノエラは慣れた様子で椅子へ座った。

 

 アンガードが《受容基部》の状態を確認し、エルヴィスが《結合芯》と各部の反応を見る。カーナも皮膚表面を指で押しながら、膝や足首を曲げた時の伸び方を確かめていった。

 

「赤みなし。擦れもなし。痛みは?」

 

「ないよ」

 

「熱いとか痒いとかは?」

 

「ない」

 

「膝の裏」

 

「そこも平気」

 

「足の裏は?」

 

「いっぱい歩いた日はちょっと変な感じする」

 

「どんな?」

 

「じんじんする感じ」

 

 カーナが足裏を確認する。

 

「今のところ傷にはなってないね。単純に今まで使ってなかった感覚を長く受けて、疲れてる可能性が高そうさね」

 

「休んだら治る?」

 

「今のところはね。続くようなら配合を少し弄るよ」

 

「また手の内?」

 

「よく覚えてるじゃないか」

 

「教えてくれなかったもん」

 

「教えたら手の内じゃなくなるだろ?」

 

「けち」

 

「何とでも言いな」

 

 カーナが笑い、最後に脛の皮膚を軽く叩いた。

 

「こっちは問題なし」

 

「身体側も問題ねぇ」

 

 アンガードも立ち上がる。

 

「兄さん」

 

「結合芯、神経反応、運動信号、感覚信号のいずれにも現時点で異常は認められないのである」

 

「なら」

 

 アンガードはそこで一度、ノエラを見た。

 

「今回の検証は、成功でいいだろ」

 

 ノエラが瞬きをする。

 

「成功?」

 

「ああ」

 

「じゃあ、完成?」

 

「そこは違う」

 

「えー!」

 

「最後まで聞け」

 

 アンガードは苦笑しながら、ノエラの脚を指した。

 

「まだ試作品だ。成長すりゃ寸法も変わるし、今後もっと長く歩けば新しい問題が出るかもしれない。走る、跳ぶ、段差を上るってなったら、また別の調整も必要になる」

 

「じゃあ完成じゃない?」

 

「今のお前が歩くための脚としては、ちゃんと使える。けど、これで一生何もしなくていい完成品って意味じゃねぇ」

 

「……難しい」

 

「身体だって成長したり調子悪くなったりするだろ。それと一緒だよ」

 

 カーナが助け舟を出した。

 

「今のノエラに合わせた脚はできた。でもノエラ自身がこれから変わるんだから、脚の方も合わせ続けなきゃならないってことさ」

 

「ああ、そっか」

 

 ノエラは納得すると、自分の膝を撫でた。

 

「じゃあ、今は私の脚?」

 

「その質問、前にもしただろ」

 

 アンガードが笑う。

 

「今さら違うって言ったら怒るぞ」

 

「怒る」

 

「なら聞くなよ」

 

「確認したかったの!」

 

「お前の脚だよ」

 

 ノエラは満足そうに笑った。

 

 その横で、父親が深く頭を下げる。

 

「本当に……ありがとうございました」

 

 母親も続いた。

 

「この子が歩いているところを見られる日が来るなんて、私たちは……」

 

「それ以上はいいって」

 

 アンガードが困ったように頭を掻く。

 

「俺たちも、最初からできるって分かってたわけじゃない。ノエラが付き合ってくれたから、ここまで来られたんだ」

 

「でも――」

 

「今回は検証だ。それは最初に話しただろ」

 

 父親が何か言おうとするのを、アンガードが先に止めた。

 

「ノエラは依頼人ってだけじゃなく、検証に協力してくれた側でもある。こっちだって、今まで知らなかったことを山ほど教えてもらった」

 

「報酬の話も忘れるなよ」

 

 カーナが言う。

 

 ノエラが自分を指差した。

 

「私がもらうやつ?」

 

「ああ」

 

「歩けるようになって、お金ももらえるの?」

 

「そう言うと随分得したみたいに聞こえるねぇ」

 

「得してる!」

 

「お前は何回転びかけたと思ってんだ」

 

「でも歩けたからいいの」

 

 ノエラは即答した。

 

 父親と母親が顔を見合わせ、やがて二人とも笑った。

 

「アンガードさん」

 

「ん?」

 

「また、来てくれる?」

 

「確認に来るよ」

 

「違うよ。何もなくても」

 

 アンガードが少し黙った。

 

「……酒買いに来いってことか?」

 

「それでもいいよ」

 

「なら親父さんに安くしてもらうか」

 

「それは別です」

 

「そこは駄目なのかよ!」

 

 父親の即答に笑いが起こった。

 

 その声に反応したのか、店の外にいたルーフェが入口から顔を覗かせる。

 

「レーちゃん!」

 

 ノエラは椅子から立ち上がった。

 

「走るなよ」

 

「分かってる!」

 

「本当に分かってんだろうな!」

 

 ノエラは歩いてルーフェのところまで行く。

 

 まだ少し慎重で、時折歩幅も乱れる。

 

 けれど、その足を運んでいるのはノエラ自身だった。

 

「今日も森行く?」

 

 ルーフェが首を傾げる。

 

「今日は駄目だって言われるかな」

 

「駄目だ」

 

「ほら!」

 

「今日はもう歩きすぎだ」

 

「じゃあ明日」

 

「明日は状態見てから」

 

「アンガードさん細かい」

 

「それが仕事だ!」

 

 ルーフェの頭を撫でながら、ノエラが笑う。

 

 カーナはその姿をしばらく眺めていた。

 

 やがて、大きく伸びをする。

 

「さーて」

 

 声が変わった。

 

「終わったねぇ」

 

「何が?」

 

 ノエラが振り返る。

 

「アタイの仕事さ」

 

 カーナはそこで、店の棚へ視線を向けた。

 

 何日も並んでいるのを見ながら、一度も手を伸ばさなかった酒瓶へ。

 

「というわけで店主」

 

「はい?」

 

「酒」

 

「姉貴!」

 

「仕事は終わっただろ!」

 

 カーナは堂々と言い切った。

 

「今日まで一滴も飲んでないんだよ。これ以上我慢させたらアタイの方が治療される側になるさね」

 

「ならねぇよ!」

 

「約束は守ったんだからいいじゃないか」

 

「それはそうだけどよ……」

 

 父親が笑いながら一本を取り出す。

 

「これは私から出します」

 

「お、話が分かるねぇ!」

 

「待て。それ依頼料代わりとか言わねぇだろうな」

 

「違いますよ。これはただのお礼です」

 

「なら……まあ」

 

「アン坊も飲むかい?」

 

「飲まねぇよ」

 

「エルヴィス」

 

「私は遠慮するのである」

 

「相変わらず付き合い悪いねぇ」

 

「カーナ様。飲み過ぎないように」

 

「ガルディナまで!」

 

 久しぶりに酒杯を手にしたカーナが、本気で嬉しそうな顔をした。

 

 その周りで笑い声が重なる。

 

 ノエラはその輪から少しだけ離れ、もう一度自分の脚を見た。初めて繋いだ日は、そこに脚があるだけで頭の中がいっぱいになり、初めて膝が動いた時は、自分が動かしたのか何度も確かめた。

 

 一人で立った時は、たった十一秒が嬉しかった。

 

 そして今は。

 

 行きたいと思った場所へ、自分で歩いていける。

 

「レーちゃん」

 

 ノエラが呼ぶと、ルーフェが隣へ寄った。

 

「明日はどこ行こうか」

 

 返事はない。

 

 それでもノエラは、もう気にしなかった。明日になれば、また自分の脚で歩けばいい、行ける場所は、これから増えていくのだから。

 

  

 

 

 

 

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