「痛い目にあってもらうぜ」
そのセリフを聞いてはいるようでドゥーガは全く耳に入っていなかった。
何故ならば、鞄から取り出された腕を前に、ドゥーガはしばらく言葉を失っていたからである。
肌の色も、指の太さも、関節の形も、失う前の自分の左腕とほとんど変わらない。
何度か腕とアンガードの顔を見比べた末、ドゥーガは残された右手でアンガードの肩を掴んだ。
「お前は俺の腕を食った魔獣だったのか!?」
「痛ぇって、おやっさん! そんなに揺らすな! 何の話だよ!?」
ドゥーガはアンガードの肩を力任せに揺らした。
「そういう昔話があるんだよ。人間の一部を食った魔獣は、食ったところだけ本人そっくりになるってな。知らねえのかよ」
「俺はおやっさんの腕を生やしてるのか?」
「いや。持ってきちゃいるが、生やしてはねぇな」
「なら、違うんじゃねぇか?」
「……確かに」
ドゥーガの手から、ふっと力が抜けた。
「そもそも、そんな昔話を知ってたところで何の役に立つんだよ」
「違いねぇな!」
ドゥーガは豪快に笑い、ようやくアンガードを解放した。
「まったく……何で俺の方が痛い目にあってんだ」
乱れた服を直すアンガードの隣で、ミラは鞄の上に置かれた腕をじっと見つめていた。
「これが、お父さんのMAP……?」
「ああ」
聞き慣れない名前の意味は、先ほど教えてもらった。
けれど、名前を知ったところで、目の前にあるものが人間の腕にしか見えないことは変わらない。
ミラも義肢なら見たことがあった。
辺境に暮らしているとはいえ、父のドゥーガは腕利きで知られた鍛冶師だ。木や金属で作られた義肢を、父が修理しているところを何度も見ている。
この工房へよく顔を出す常連客の娘も、生まれつき両脚がなく、普段から義足を使っていた。
だが、ミラが知っている義肢は、どれも身体にない手足の形や役割を補うための道具だった。
目の前にあるものとは、まるで違う。
「でも……普通の義肢は、自分の手足みたいには動かせないんだよね?」
「そうだな」
アンガードは腕を持ち上げ、接続部分をドゥーガへ向けた。
「普通の義肢は、身体にない部分を補うための道具だ。物を押さえたり、身体を支えたりする。それで充分な奴もいる」
「じゃあ、これは?」
「こいつは、おやっさんの身体に繋ぐ」
アンガードは赤い手袋に包まれた右手で、MAPの人差し指をつまんだ。
そのまま関節を確かめるように、ゆっくりと曲げてみせる。
まだドゥーガの身体とは接続されていない。手を離しても自ら動くことはなく、指は曲げられた形のまま止まっていた。
「身体側の神経と繋いで、本人の意思で動かす。慣れれば物を掴むことも、道具を扱うこともできる」
「また鍛冶もできるの?」
ミラの問いに、アンガードは少しだけ間を置いた。
「最初の同期から、いきなり以前とまったく同じように動かせるわけじゃねぇ。訓練も調整も必要だ」
期待に輝きかけたミラの顔が、わずかに曇る。
「だが、もう二度とできないわけじゃない。それに、こいつなら身体へ馴染むまで、そう長くはかからねぇ」
ミラが顔を上げた。
「それも、MAPの優れているところだ」
アンガードは腕を鞄の上へ戻し、その甲を軽く叩いた。
「俺が作ってるのは、そういう……」
少しだけ間を置き、言い切る。
「すべての義肢の頂点だ」
「自分で言うかねぇ」
ドゥーガが呆れたように笑う。
「事実だからな」
「本当に、自分の腕みたいに動くの?」
ミラは、まだ信じ切れない様子で尋ねた。
「簡単な話よ」
ルアンナが笑顔で右手を持ち上げた。
指を一本ずつ曲げ、手を握り、再び開く。
その動きは、どこから見ても人間の腕そのものだった。
「私のこれもMAPなの」
「えっ?」
ミラが目を丸くする。
ルアンナは右腕を左手で掴んだ。
「ルアンナ」
アンガードが低い声で名前を呼ぶ。
「いいのよ。別に減るものじゃないし、実際に見た方が安心するでしょう?」
「手順を踏んで外せよ?」
「それじゃ時間がかかるもの」
「おい、待て!」
アンガードの制止よりも早く、ルアンナが右肘の接続部へ力を込めた。
ガチャリ、と小さな金属音が鳴る。
次の瞬間、彼女の右腕が肘から外れた。
「う、腕が外れた!?」
ミラの悲鳴が室内に響いた。
ドゥーガも目を見開いている。
しかし、当のルアンナは痛がる様子もなく、外した右腕を左手に持って笑っていた。
その隣では、アンガードが不機嫌そうな顔を隠そうともしていない。
「こういうこと」
「こういうこと、じゃねぇ」
アンガードは左手を伸ばし、ルアンナから右腕を奪うように受け取った。
「接続を解除せずに強引に外すなよ。再接続したときに同期エラーが起きる確率が跳ね上がるだろうが」
「本来なら、自分の意思で接続を解除して外すこともできるのよ。普段は滅多にやらないけれど」
「今やったのは解除じゃなくて、力ずくだ」
「外れたんだから同じでしょう?」
「同じなわけがあるか!」
言い争う二人を前に、ミラはルアンナの右肘を見つめていた。
血は流れていない。
それでも、つい先ほどまでそこにあった腕は、どこから見ても本物だった。
「普通の義肢なら、ここまではできないわ」
ルアンナが言う。
「見た目だけじゃない。動かして、触れて、自分の身体として使える。それがMAPよ」
アンガードはため息をつきながら、ルアンナの右腕の接続部を確認した。
「後で調整するからな」
「お願いね、私の専属技師様」
「誰のせいだと思ってやがる」
二人のやり取りを見ていたドゥーガが、ふとアンガードの左腕へ目を向けた。
ルアンナの腕を受け取った拍子に左の袖口がわずかにずれ、その隙間から鈍い灰色の金属が覗いていた。
「お前……その腕、まさか」
ドゥーガの声から、それまでの軽さが消えた。
アンガードは視線の先を確かめるように、自分の左腕を見る。
「……見えたか」
アンガードはルアンナの右腕を鞄の上へ置くと、左腕を持ち上げ、ずれた袖口をわずかに引いた。
現れたのは、人肌とは似ても似つかない、無骨な金属の腕だった。
ドゥーガは目を細め、その表面を食い入るように見つめる。
「
「ああ」
短い返事を聞いた途端、ドゥーガの表情が険しくなった。
鍛冶師である彼は知っている。
鍛冶師達に知られているのは加工の難しさが一番に挙げられる。
並の炉ではまともに熱を通すことすらできず、加工方法を誤れば、そこから生じる毒が職人の身体を蝕む。
ましてや、それを人間の指と同じように動く腕へ仕上げるなど、腕の良い鍛冶師というだけでは到底届かない領域だった。
確かに、加工さえできればその特殊な性質を活かせる。
そう考えて大枚をはたいて小さな星金を加工しようと一度は挑むものの、あまりの扱いづらさにすぐ断念する。
それが、一流の鍛冶師を志す者なら誰もが一度は通る道だった。
「これを……お前が作ったのか?」
「一応な」
アンガードは左手を握り、ゆっくりと開いてみせた。
金属同士が擦れる音さえ、ほとんどしない。
五本の指が、生身の手と変わらない滑らかさで動いている。
ドゥーガはしばらく何も言わなかった。
やがて、アンガードの顔と、鞄の上に置かれた自分の新しい腕を見比べる。
「なるほどな……」
「何がだよ」
「いや」
ドゥーガは小さく息を吐いた。
「
もう一度、アンガードの左腕へ目を向ける。
「普通の職人が手を出していい領域じゃねぇともな」
「別に名乗ってもいいんだが、言ったところで分かる奴の方が少ないからな」
「違いねぇ」
そう答えたものの、ドゥーガの目から疑いは消えていた。
代わりに浮かんでいたのは、同じ物作りに携わる者としての驚きと、わずかな畏れだった。
ドゥーガは改めて、鞄の上に置かれた左腕を見る。
「それで、代金は?」
「代金?」
「とぼけんな。こんなもん、金が幾らあっても足りねぇだろ」
ドゥーガの表情が再び厳しくなる。
「家と工房を売ったところで、払える額とは思えねぇ」
ミラの身体が強張った。
アンガードはそんな二人を見て、首を横に振る。
「俺が報酬で欲しいのは金だ」
ドゥーガの眉間に皺が寄った。
「ただし、銭の方じゃねぇ」
「何?」
「金属だ。合金を作ってもらいたい」
予想していなかった言葉に、ドゥーガが目を瞬かせる。
アンガードは鍛冶場の方を顎で示した。
「まずは一度こいつを装着して、動きと接続部を調整する」
鞄の上の腕を指差す。
「それが済んだら、俺の指定する配合で合金を作ってみてくれ。それを代金にする」
「そんなもんでいいのか?」
「そんなもんかどうかは、作ってみなきゃ分からねぇ」
アンガードはドゥーガを真っ直ぐに見る。
「同じ材料を、同じ量だけ混ぜても、職人が違えば出来上がるものは変わる。腕利きの鍛冶師にしか頼めねぇことなら、俺にとっては金を積むより価値がある」
ドゥーガはしばらく黙っていた。
やがて、その口元に笑みが浮かぶ。
「俺の腕を作る代わりに、新しい金属を作れってか?」
「そういう取引だ」
「
「
「なるほどな……面白ぇ」
ドゥーガは残された右手を、アンガードへ差し出した。
「その話、乗った」
アンガードも、赤い手袋に包まれた右手を差し出す。
二人は固く手を握り合った。
「交渉成立だな」
ミラには、二人が話している技術のすべては分からなかった。
それでも、父が家も工房も失わずに済むこと。
そして、もう一度鍛冶場に立てるかもしれないことだけは分かった。
ミラは鞄の上に置かれた、父の新しい左腕を見つめた。
その腕で父が再び槌を振るう姿を、初めて思い描いた。