「交渉成立だな」
アンガードとドゥーガが、固く握っていた手を離す。
その直後、ドゥーガは鞄の上に置かれた自分の左腕へ目を向けた。
「それで、早速こいつを着けるのか?」
「馬鹿言うな。このまま着けられるわけねぇだろ」
「なんだよ。さっきは装着して調整するって言ってたじゃねぇか」
「必要な手順を全部すっ飛ばして、今すぐ着けるとは一言も言ってねぇ」
アンガードはドゥーガの左肩へ視線を向けた。
「MAPを繋ぐには、身体側に受け口が必要だ。今のおやっさんにはそれがない」
「受け口?」
ミラが首を傾げる。
「正式には《受容基部》だ」
アンガードは鞄の上に置かれた左腕を持ち上げ、その付け根を二人へ見せた。
腕の根元の中央には突出している部分があり、よく見るとその部分に細かな配線が集まっている。
「MAP側にあるこいつが《結合芯》。身体へ取り付けたへこんでる部分の受容基部側に差し込んで、神経や血管、それから魔力の流れを交互に送る」
「じゃあ、先にお父さんの身体へ、そのじゅようきぶを取り付けるの?」
「そういうことだ」
アンガードは左腕を鞄の上へ戻した。
「施術に一日。その後、受容基部を身体へ安定させるのに二日。MAPを着けられるのは四日目だ」
「四日もかかるのか」
「たった四日だ。身体へ新しい部品を埋め込むんだぞ。今日装着して、明日から槌を振れるなんてのは都合が良すぎる」
「そこまでは思ってねぇよ」
そう答えたドゥーガだったが、その目は明らかに不満そうだった。
アンガードは呆れたように鼻を鳴らす。
「おやっさんみたいな奴が一番危ねぇんだよ」
「どういう意味だ?」
「少し動くと分かった途端、調子に乗って重い物を持ち始める」
「まだ何もしてねぇだろ」
「やってからじゃ遅いからな」
言い合う二人の隣で、ルアンナが右肘から先のない腕を軽く持ち上げた。
「話がまとまったなら、先に私の腕を戻してもらえる?」
「自分で外してる癖にか?」
「二人にMAPを理解してもらうためよ」
「だとしても接続を解除せず、力ずくで引き抜く必要はなかっただろうが」
「細かいことを気にする男は嫌われるわよ」
「技師が接続エラーを気にしなくなったら終わりだろ」
アンガードは鞄の上からルアンナの右腕を取り上げた。
まず腕側の結合芯を確認し、次にルアンナの右肘へ設けられた受容基部を覗き込む。
「結合芯に欠けはなし。受容基部も、見たところ大きなずれはねぇな」
「なら問題ないでしょう?」
「見たところは、だ。強引に外したせいで、内部が変形してる可能性は残ってる」
アンガードは両方の位置を慎重に合わせた。
「動くなよ」
「分かってるわ」
結合芯を、受容基部へゆっくりと差し込んでいく。
小さな金属音が何度か続き、最後にカチリと乾いた音が鳴った。
外れていた右腕が、再びルアンナの身体と一つになる。
接続部分を覆う外皮が馴染むと、そこに腕が外れていた痕跡は残らなかった。
「指を動かせ」
ルアンナは右手を開き、一本ずつ指を曲げていった。
次に手首を回し、肘を軽く曲げ伸ばしする。
「うん。特に違和感はないわね」
「お前の感覚だけじゃ信用できねぇ」
「失礼ね」
「多少おかしいと思っても、力で押し切って動かす奴が何言ってるんだよ」
アンガードは接続部へ指を当て、もう一度状態を確認した。
「外から分かる範囲では問題ねぇ。だが、内部の同期まではここじゃ確認できない」
「なら帰ってから調べるの?」
「ああ。ちょうど定期検査の時期でもある。工房へ戻ったら右腕は再調整だ」
「違和感はないのに?」
「違和感が出てからじゃ遅ぇんだよ。今度こそ、余計なことをするな」
「はいはい」
「返事は一回」
「はーい」
「伸ばしてんじゃねーよ」
二人のやり取りを見ながら、ミラはルアンナの戻った右腕を見つめていた。
つい先ほどまで外れていたことが嘘のように、継ぎ目すら見当たらない。
ドゥーガも同じ腕を見ていたが、その顔に浮かんでいるのは驚きよりも覚悟だった。
「で、俺の施術はいつ始める?」
「おやっさん次第だな」
「なら、さっさと始めようぜ」
「言っておくが――」
「分かってる。痛い目に遭わせるんだろ?」
ドゥーガが笑う。
アンガードはその笑みを見返し、口の端をわずかに上げた。
「泣いても途中では止めねぇからな」
「誰が泣くかよ」
◯
施術には、その日のほとんどを費やした。
工房の奥にある一室から家具を運び出し、床や壁を徹底的に清める。
アンガードが鞄から取り出したのは、左腕だけではなかった。
大小さまざまな器具。
受容基部を構成する部品。
液体の入った小瓶や、身体と神経の状態を確かめるための道具。
必要なものが次々と並べられ、普段は物置として使われていた部屋が、簡素な施術室へ変わっていった。
「そんなもんまで持ち歩いてるのかよ」
準備を眺めていたドゥーガが、感心したように言う。
「何が必要になるか分からねぇからな」
「まぁ商売道具ならそんなもんか」
「そんなもんだ」
言い合いながらも、アンガードの手は止まらない。
準備を終えると、ドゥーガの左肩を改めて確認した。
傷は既に塞がっている。
だが、ただ傷が治っていることと、MAPを接続できることは別だった。
アンガードは肩の形を確かめ、鞄から拡大鏡を取り出して神経や血管の位置を一つずつ調べていく。
「ここに受容基部を取り付ける」
「そこへ、あの腕を差し込むのか?」
「ああ。ただし、受容基部は誰にでも同じ物を使えるわけじゃねぇ」
アンガードはドゥーガの肩へ触れ、取り付ける角度を確かめる。
「傷の形も、残ってる神経も血管も、人によって違う。位置が少しでもずれれば、装着した後も痛みや違和感が残る」
「お前が失敗するとは思ってねぇよ」
「失敗はしないが、やり直す場合はある」
「そうなのか?」
「細かい事を言っても伝わらないから簡単に言うぞ、違和感を感じたらやり直しってこった」
「は?」
「言ったろ、装着した後に痛みと違和感が残るって事はずっとそのままの感覚になってしまう。だから麻酔が切れた後の装着後の痛みと違和感は絶対に言えよ」
アンガードの手にある受容基部を見つめるドゥーガだが、見るからに機械のようなものを自分の身体に付けようとしているのに痛みや違和感がない事なんてあるのかが信じられない。
「んなもん付けて違和感がない事あるのか?」
「装着してから直ぐは腫れも出るだろうが、2日もしたら収まるがそこで痛みと違和感が出たらやり直しだな」
「面倒くさいな」
「そういうもんだ。正常な自分の身体に痛みや違和感あったらおかしいからな」
「そんなもんか」
「そんなもんだ、そろそろ処置にはいるぞ」
ミラは部屋の入口から、二人の様子を不安そうに見ていた。
「ミラ」
ドゥーガが娘へ声をかける。
「終わるまで、ルアンナの姉ちゃんと一緒にいろ」
「でも……」
「大丈夫だ。お父さんがコレくらいでどうにかなるわけないだろ?」
ドゥーガはミラを安心させる為に笑顔を向けている。そんな姿を見てルアンナはミラの肩へそっと手を置いた。
「任せましょう。アンガードは口が悪いけれど、こういうことで手を抜く人じゃないわ」
「一言余計だ」
「口が悪いのは事実でしょう?」
ミラはまだ心配そうだったが、最後には小さく頷いた。
「お父さん、頑張ってね」
「おう」
ドゥーガが残された右手を持ち上げて応える。
扉が閉じられると、部屋にはアンガードとドゥーガだけが残った。
アンガードは施術に使う器具を手に取り、低い声で告げる。
「始めるぞ。麻酔は使うが、神経そのものに触れる施術だ。どれだけ痛むかは人によって違う」
「ああ」
「我慢できねぇときは言え。身体が動く方が困る」
「泣いても止めねぇんじゃなかったのか?」
「止めねぇが、痛みの程度は把握する必要があるし、施術後の痛みと違和感は絶対に痩せ我慢して言わないなんて事はするなよ」
「まぁその辺は専門家に全部任せるわ」
ドゥーガは笑い、目を閉じた。
その返事を確認し、アンガードは施術へ取りかかった。
◯
陽が沈む頃、施術していた部屋の扉が開いた。
廊下の椅子に座っていたミラが、勢いよく立ち上がる。
「お父さん!」
ドゥーガは顔色こそ悪かったものの、自分の足で部屋から出てきた。
左肩には厚く包帯が巻かれている。
「よう」
「大丈夫なの?」
「ああ。少しばかり疲れただけだ」
平然としてみせているが、額には汗が浮かんでいた。
その後ろから出てきたアンガードも、普段以上に疲れた顔をしている。
「施術は終わった。受容基部も予定どおり入った」
「じゃあ、腕を着けられるの?」
ミラが尋ねる。
「まだだ」
アンガードは即座に答えた。
「ここから二日、受容基部を身体へ馴染ませる。腫れや拒絶反応が出ないか、神経が正しく反応してるかも確認する」
「二日間は何をすりゃいい?」
「休め」
「それだけか?」
「それだけだ」
「工房くらいなら――」
「入るな」
「見るだけなら――」
「駄目だ」
「槌には触らねぇから――」
「近づくな」
ドゥーガの顔が渋くなる。
アンガードは取り合わず、包帯の状態を確認した。
「酒も飲むな。勝手に包帯を外すな。肩を動かしすぎるな。痛みや熱が出たら、すぐに俺を呼べ」
「注文が多いな」
「守らなかったら、四日目の装着は延期だ」
「全部守る」
即答だった。
「槌が絡むと素直ね」
ルアンナが楽しそうに笑った。
◯
翌朝、ドゥーガは工房へ向かおうとして、アンガードに襟首を掴まれた。
「どこへ行く」
「少し様子を見るだけだ」
「部屋に戻れ」
「昨日は工房へ入るなとは言われたが、入口から見るなとは――」
「そんな戯言が通じるわけねぇだろ」
その翌日には、窓から作業場を覗こうとしてミラに見つかった。
「お父さん、安静にしてないと腕を着けてもらえないよ」
娘にそう言われると、ドゥーガも引き下がるしかなかった。
その間も、アンガードは休んでいたわけではない。
一日に何度も包帯を外し、受容基部の状態を確認する。
施術した当日は腫れがあったが、翌日には引き始めた。
神経の反応を測り、受容基部の角度や内部の位置を細かく記録する。
その計測結果を基に、今度はMAP側の結合芯を削り、形を整えていった。
「腕の方は、もう完成してたんじゃねぇのか?」
作業を眺めていたドゥーガが尋ねる。
「腕そのものはな」
アンガードは結合芯の表面を削りながら答えた。
「だが、受容基部は実際に身体へ取り付けてみなきゃ、結合芯の最終的な形が分からねぇ」
「人によって差があるって話か」
「ああ。おやっさんの身体に合わせて、最後の部分を作ってる」
アンガードは削った結合芯と計測値を見比べる。
「ここを適当に済ませたら、どれだけ腕の出来が良くても意味がない」
ドゥーガは、自分のために削られていく部品をしばらく黙って見つめていた。
「本当に、俺の腕になるんだな」
「そのために作ってんだよ」
二日間の安定期間を終えた夜。
アンガードは受容基部の状態を確かめると、新しい包帯を巻き直した。
「痛みや違和感は?」
「コレどんな技術なんだ?まるでないから逆に怖いんだが」
「義肢の最高到達点の技術だからな……よし状態は良好。予定どおり、明日の朝に装着する」
「ようやくか」
ドゥーガの顔が明るくなる。
アンガードは道具を片づけかけたが、ふと手を止めた。
「そういや、おやっさんには一つ言ってなかったことがある」
「何だ?」
ドゥーガの表情が一瞬で険しくなる。
「今さら着けられねぇなんて言うんじゃないだろうな?」
「違ぇよ。装着した後の話だ」
アンガードは鞄の中に収めた左腕へ目を向ける。
「普通のMAPは、最初の調整さえ終われば、定期的に分解して整備する必要はほとんどない」
「ほとんど?」
「身体が大きく変わったり、怪我をしたり、無茶な使い方をしなければな。一度馴染めば、大人は生涯、自分の腕として使える」
ドゥーガは眉を寄せた。
「待て。お前、ルアンナの姉ちゃんには定期検査だの調整だの言ってたじゃねぇか」
「……あいつのことを基準に考えるな」
アンガードは、わずかに顔をしかめた。
「あいつに作ったのは、右腕だけじゃねぇ」
「右腕だけじゃない?」
ドゥーガの視線が、ルアンナの右腕から全身へ移る。
何かに気づいたように、その目が僅かに見開かれた。
「まさか……」
「両腕と両脚。全部よ」
ルアンナが、何でもないことのように答えた。
ミラも驚いたように、ルアンナの脚へ目を向ける。
衣服の隙間から見える肌には、右腕と同じように継ぎ目も金属も見当たらない。
「全部、お前が作ったのか!」
「ああ」
アンガードは短く答えた。
「あいつの身体と力に、今の俺が作るMAPが追いついてねぇ。だから定期的に状態を見て、ずれや傷みを直す必要がある」
少し離れた場所で話を聞いていたルアンナが、静かにアンガードを見る。
「別に、今の四肢に不満があるわけじゃないわよ?」
「お前が不満に思うかどうかの話じゃねぇ」
アンガードはそれだけ言うと、ドゥーガへ視線を戻した。
「おやっさんの腕は、勝手な真似をしなけりゃ、定期的に分解して調整する必要はない。身体の一部として、そのまま使い続けられる」
「俺と姉ちゃんじゃ、話が違うってことか」
「そう思ってくれていい」
ドゥーガはアンガードとルアンナを交互に見た。
二人の間に、外からは分からない何かがあることを察したのか、それ以上は尋ねなかった。
「なら、それで充分だ」
「ああ。今日は大人しく寝ろ。装着は明日の朝だ」
「分かってる」
「今から工房を見るなよ」
「分かってるって言ってんだろ」
◯
四日目の朝。
ドゥーガは椅子へ座り、左肩を露出していた。
施術によって設けられた受容基部は、身体の一部として収まっている。
その正面で、アンガードが鞄から左腕を取り出した。
受容基部の計測結果に合わせて、結合芯の最終調整も終わっている。
ミラとルアンナは、少し離れた場所から見守っていた。
「これから結合芯を受容基部へ繋ぐ」
アンガードが説明する。
「接続した瞬間に、神経とMAPの間を一気に信号が流れる。痛みはほとんどねぇが、初期接続の違和感は相当なもんだ」
「どんな違和感だ?」
「説明しても分からねぇよ」
「説明が下手なだけじゃねぇのか?」
「着ければ嫌でも分かる」
アンガードはドゥーガの顔を見る。
「それでも着けるか?」
「今さら聞くな」
ドゥーガは新しい左腕へ目を向けた。
「そのために三日も大人しくしてたんだ」
「二回も工房へ入ろうとしただろうが」
「入ってねぇから、大人しくしてたことになる」
「ならねぇよ」
いつもの調子で言い合ったあと、アンガードは表情を引き締めた。
「肩の力を抜け」
「抜いてる」
「入ってる」
「これ以上は無理だ」
「息を吐け。ゆっくりだ」
ドゥーガが長く息を吐く。
肩の力がわずかに抜けたところで、アンガードはMAPを持ち上げた。
身体側の受容基部と、腕側の結合芯。
二つの位置を慎重に合わせる。
「繋ぐぞ」
ドゥーガが頷く。
アンガードは結合芯をゆっくりと押し込んだ。
カチリ。
硬い音が一度鳴る。
続いて、細かな部品が順番に噛み合っていく音が肩口から響いた。
「――っ!」
ドゥーガの身体が大きく強張った。
痛みではない。
だが、失ってから沈黙していた左肩の先へ、突然、膨大な感覚が押し寄せてきた。
肩。
肘。
手首。
そして、存在しないはずだった五本の指。
それらすべてが一度に身体へ戻り、脳がどの感覚をどう受け取ればよいのか分からず混乱している。
左側へ身体を引かれているような感覚。
肩から先に、巨大な異物がぶら下がっているような感覚。
それなのに、異物のはずの腕が、確かに自分の身体として存在しているようにも感じられた。
「お父さん!」
ミラが一歩前へ出る。
「近づくな」
アンガードはドゥーガの肩とMAPを両手で支えたまま言った。
「今は最初の同期を取ってる。脳がMAPから送られてくる信号を認識してる最中だ」
「こいつは……確かに、気持ち悪ぃな……!」
「もう少しだ」
やがて、押し寄せていた感覚が少しずつ整理されていく。
違和感は消えていない。
それでも、ただの異物だった腕の中に、ぼんやりとした自分の身体の輪郭が生まれ始めていた。
「気分は?」
アンガードが尋ねる。
ドゥーガは荒い呼吸を整えながら、新しい左腕へ目を向けた。
「確かにコレは言いようが見つからねぇ」
左手の指先を見つめる。
「だが、指の先まで何かある気もする」
「それで正常だ。初期接続は違和感が残る。頭がその腕を身体の一部だと認めるまで、しばらくかかるからな」
アンガードは接続部を確認し、ゆっくりと手を離した。
新しい腕は、ドゥーガの左肩から自然に伸びている。
見た目だけなら、失う前の左腕とほとんど変わらない。
「いきなり腕全体を動かそうとするな。まずは指だ」
ドゥーガが左手を見る。
「動かせって言われても、どうすりゃいい?」
「自分の腕だぞ?前の腕を動かしてたときと同じだ」
「なるほどな」
ドゥーガは黙り込んだ。
左手に意識を集中させる。
鍛冶場。
炉の熱。
鉄を打つ音。
掌へ触れる、使い慣れた槌の柄。
落とさないように指を回し、しっかりと握り込む。
その感覚を思い出した瞬間、MAPの人差し指がかすかに震えた。
「動いた!」
ミラが声を上げる。
ドゥーガも目を見開いた。
人差し指が、ほんのわずかに内側へ曲がっている。
続いて中指が震えた。
薬指と小指も遅れて反応し、最後に親指がぎこちなく掌へ寄っていく。
完全に握ることはできていない。
それでも、五本の指は確かにドゥーガの意思へ応えていた。
「おお……」
ドゥーガの口から、低い声が漏れる。
「力を抜いて、開いてみろ」
アンガードの指示に従い、今度は槌から手を離すところを思い浮かべる。
曲がっていた指が一本ずつ震えながら伸びていった。
「もう一度だ」
ドゥーガは再び手を握る。
一度目よりも、わずかに滑らかだった。
「今日はそこまでだ」
「まだ指しか動かしてねぇぞ」
「最初はそれで充分だ」
「肘くらいなら――」
「駄目だ」
アンガードは即座に言い切った。
「受容基部が安定してても、同期したばかりの神経は別だ。違和感が強い状態で無理に動かせば、脳が間違った感覚を覚える」
「少しくらいいけるだろ」
「外して三日待たせてもいいんだぞ」
ドゥーガは黙った。
その様子を見て、ルアンナが笑う。
「アンガードの言うことを聞いた方がいいわよ。こういうときだけは本当に容赦がないから」
「こういうとき以外も容赦ねぇだろ」
「否定はしないわ」
ドゥーガは不満そうに鼻を鳴らしながらも、新しい左手へ視線を戻した。
もう一度、ゆっくりと指を曲げる。
動きはまだぎこちない。
それでも確かに、自分の意思で動いていた。
「三日もすれば、軽い物を持つ練習くらいはできる」
アンガードが言う。
「槌を使って複雑な動きを安定させるなら、二週間は見ろ」
「二週間か」
「二週間で済むんだ。文句を言うな」
「分かってるよ」
そう答えながらも、ドゥーガは動いたばかりの指から目を離さなかった。
ミラはその手を見つめたまま、そっと父へ近づく。
「お父さん」
「なんだ?」
ミラは自分の手を、ドゥーガの左手の前へ差し出した。
ドゥーガは戸惑ったように娘の顔を見る。
「触ってみて」
ドゥーガは新しい左腕へ意識を向けた。
腕全体を持ち上げることは、まだできない。
アンガードが肘の下へ手を添え、その重さだけを支える。
「指だけだ。無理に握るな」
ドゥーガはゆっくりと左手を動かした。
人差し指の先が、ミラの掌へ触れる。
「……分かる?」
ドゥーガは目を閉じた。
肩から先にある奇妙な感覚へ意識を集中させる。
何かに触れていることは分かる。
場所も、力の加わり方も、ぼんやりとではあるが伝わってくる。
だが、生身の手で触れたときのように、温度や細かな感触までははっきりしない。
「触ってるのは分かる」
ドゥーガは目を開いた。
「だが、まだぼんやりしてんな」
「それで正常だ。感覚の方も使ってるうちに馴染んでいく」
ミラは安心したように笑った。
ドゥーガも口元を緩める。
そしてもう一度、娘の掌へ触れた指を、ゆっくりと曲げた。
鍛冶槌を握るには、まだ遠い。
以前のように鉄を打てるようになるまでには、訓練と時間が必要になる。
それでも、失ったはずの左手は確かにそこにあり、自分の意思へ応えている。
ドゥーガの新しい指が、初めてゆっくりとミラの手を握った。