無差別の技師 〜魔獣に奪われた身体を造り直す〜 作:羊毛ローブ
6話『切望の帰還と説教の予感』
魔獣を生業として狩る者の多くは、騎士団に所属するか、冒険者協会へ登録している。
魔獣を討伐した事実が正式に認められ、その危険度や功績に応じた報酬を得るためだ。
冒険者協会では、登録された冒険者の実力を七段階に分けている。
下からE、D、C、B、A、S、そしてSS。
さらに、その枠組みすら越えた者だけが、殿堂入りとして特別に扱われる。
ランクが制定された理由は単純だった。
依頼を受ける冒険者の実力が分かれば、どの程度の危険へ対応できるのかを判断しやすい。
同時に、誰が大陸でも指折りの実力者なのかも明確になる。
その中でも、SSランク《ホワイト》と殿堂入り《ブラック》は、通常の冒険者とは明確に隔てられた存在である。
色を与えられた二つの別格。
それらは通称、《
クリス・ニューゼルは、その《
だが、殿堂入りを除けばSSランクに次ぐ、Sランクの冒険者である。
異名は《紅氷》。
広い大陸の中でも有数の実力者であることに、疑いの余地はなかった。
◯
「それで、クリスさんはいつ帰ってくる予定なんだ?」
ルアンナの右腕MAPを再調整していたアンガードが、作業台へ視線を落としたまま尋ねた。
外皮を外された右腕の内側には、骨格や筋繊維、神経を模した無数の部品が収められている。
結合芯の近くで僅かにずれていた伝達線を正しい位置へ戻しながら、アンガードは返事を待った。
「あと一週間くらいじゃないかしら」
ルアンナは椅子に座り、右肘から先のない腕を膝へ載せていた。
「まだ一週間もあるのか」
アンガードが露骨に嫌そうな顔をする。
「何よ。せっかく二人きりなのに、不満でもあるの?」
「お前の面倒を見る奴が、俺しかいねぇだろ」
「私は別に、誰かに世話をされなくても――」
「私がどうかしましたか?」
すぐ背後から聞こえた声に、アンガードの肩が大きく跳ねた。
「うわっ!」
危うく工具を取り落としかけ、慌てて作業台へ置く。
勢いよく振り返ると、いつの間に入ってきたのか、工房の入口に一人の森人の女性が立っていた。
その傍らには、冷気を纏った青い鳥が静かに翼を畳んでいる。
「いつからいたんです?」
「アンガード様が、私の帰還予定を尋ねられた頃からです」
「ほとんど最初からじゃないですか!声くらいかけて下さいよ」
「失礼ですね。きちんと扉から入りました」
「だとしてもです」
森人の女性――クリスは、驚くアンガードから視線を外し、ルアンナへ向き直った。
それまでほとんど変化のなかった表情が、僅かに和らぐ。
「ただいま戻りました、ルアンナ様。お元気そうで何よりです」
「おかえりなさい、クリス」
ルアンナの表情も明るくなる。
「ルーフェも、おかえりなさい」
青い鳥――ブルーフェニックスのルーフェが、小さく鳴いた。
次の瞬間には床を蹴って飛び上がり、ルアンナの左肩へ頭を擦りつける。
翼から零れた冷気が、灰白色の髪を僅かに揺らした。
「ふふっ。相変わらずね」
ルアンナは残された左手で、ルーフェの頭を優しく撫でる。
「一か月の休暇では?」
アンガードが尋ねた。
「予定していた用事が早く終わりましたので、一週間ほど早く戻りました」
「休暇は何をしていたの?」
ルアンナが尋ねる。
クリスは少しだけ考えた。
「主に情報収集と、MAPに使用できそうな素材の収集をしておりました」
「休暇中まで素材を探してたのか?」
「ついでです」
「他には?」
「《
アンガードは眉を寄せた。
「それは休暇って言わないんじゃ?」
「そうでしょうか?」
「休んでます?」
「ルアンナ様が、『たまにはアンガードと二人きりで過ごしたい』と仰せになられたので、仕方なく取得した休暇です」
工房の空気が一瞬だけ止まった。
アンガードがゆっくりとルアンナを見る。
ルアンナは明らかに視線を逸らした。
「……お前、そんなこと言ったのか?」
「言ったかもしれないわね」
「言ったんだな」
「別にいいでしょう」
「なら、俺に直接言えよ」
「言ったら、アナタは仕事を理由に断るでしょう?」
アンガードは口を開いたが、否定する言葉が出てこなかった。
クリスは二人のやり取りが終わるのを待ってから、淡々と続ける。
「ですので、私が休暇中に働いていたこと自体は問題ありません」
「問題ないのか?」
「アンガード様、それは愚問です」
「ぐ、愚問?」
「休暇を取得した目的は、私が休むことではありません」
クリスの視線がルアンナへ向く。
「ルアンナ様とアンガード様が、二人で過ごす時間を確保することです」
「その目的さえ果たせれば、自分が何をしてても構わないって?」
「そのとおりです」
「休暇の使い方が歪んでる……」
「アナタにだけは言われたくありません」
あまりにも素早い返答に、アンガードが言葉を失う。
ルアンナは口元を押さえ、肩を震わせていた。
「何がおかしい」
「何でもないわ」
「笑ってんじゃねぇか」
「気のせいよ」
ルーフェまで、ルアンナの肩の上で小さく鳴いた。
アンガードが目を細める。
「こいつも笑ってねぇか?」
「気のせいです」
クリスも平然と答えた。
◯
再会の挨拶を終えると、クリスは工房の中を見回した。
作業台。
素材棚。
薬品を収めた小瓶。
保管箱の中身を一つずつ確認していた視線が、MAP用の素材を置いてある一角で止まる。
「そういえば、MAP用の素材がいくらか減っていませんか?」
「帰ってきて最初に見るところがそこですか?」
「ルアンナ様の四肢に関わる物ですので」
クリスは素材箱へ近づき、中身を確かめた。
「ルアンナ様用として確保していた素材には、手をつけていないようですね」
「当然です。そこの線引きはしてます」
「ルアンナ様用を残したまま、それ以外の素材が減っているから申し上げております」
クリスが振り返る。
「どなたかにMAPを製作されたのですか?」
「ドゥーガって腕利きの鍛冶師の左腕を」
「鍛冶師のドゥーガ……元Bランク冒険者の?」
名前を聞いただけで、すぐに誰のことか分かったらしい。
「知ってるんですか?」
「鍛冶師としても、元冒険者としても有名な方です。現役時代は、前衛を任せられる一流の冒険者だったと記憶しています」
「森で娘を庇って、魔獣に左腕を食われたって娘が言ってましたね」
「ドゥーガ様本人からの依頼ですか?」
「正確には、娘のミラからの依頼ですね」
アンガードは、ミラと出会ってからドゥーガへMAPを装着するまでの経緯を簡単に説明した。
依頼料として金銭を受け取らず、ドゥーガが左腕を使いこなせるようになった後に、合金を作ってもらうことも。
一通り聞き終えたクリスは、静かに頷いた。
「なるほど。自己満足のためですか」
「自己満足?」
「必要な素材と時間を先に費やし、受け取る報酬は早くても一か月後。それも現金ではなく合金」
クリスは指を一本ずつ折りながら確認する。
「収支だけを考えれば、明らかに割に合っていません」
「使える合金が手に入るんだから、割には合ってます」
「その合金を欲しがっているのは、アンガード様ご自身でしょう?」
「俺が必要なものを報酬にしますよ、ルアンナのMAPの向上にも繋がる」
「ですから、自己満足だと申し上げています」
「依頼人の腕を作った結果、俺の欲しい素材も手に入る。誰も損してない」
「少なくとも、工房の資金は減っています」
「必要経費です」
「問題があるかどうかは、帳簿を確認してから判断いたします」
クリスの言葉に、アンガードの視線が僅かに泳いだ。
ルアンナがそれを見逃さない。
「もしかして、見られたら困るの?」
「困らねぇよ」
「今、目を逸らしたでしょう?」
「気のせいだ」
先ほど自分が使われた言葉を、そのまま返す。
ルアンナは楽しそうに笑った。
クリスはそれ以上追及せず、別の疑問を口にした。
「しかし、不思議な話ですね」
「何がだ?」
「鍛冶師のドゥーガといえば、元Bランクの冒険者です。現役を退いたとはいえ、並の者より遥かに優れた感覚を持っているはずです」
クリスは僅かに眉を寄せた。
「その人物が、子供に尾行されて気づかなかったのですか?」
「ああ。クリスさんは、そういえばミラには会ったことがなかったな」
アンガードは、ミラが人目につかない建物の陰で泣いていた姿を思い出した。
自分たちが気づくまで、ほとんど気配を感じさせなかった少女。
父親を尾行して工房まで来た際にも、ドゥーガは娘の存在へ気づいていなかった。
「まあ、近いうちに会う機会はありそうなんで……それにクリスさんなら、実際に会えば理由が分かると思う」
「それほど隠密に長けているのですか?」
「少なくとも、普通の子供ではないかな」
クリスは興味深そうに目を細める。
その傍らで、ルーフェも話を理解しているかのように小さく首を傾げていた。
◯
クリスが帰還してから、しばらく後の事。
「アンガード様、少しよろしいですか?」
その声は、先ほどまでより僅かに低かった。
作業台へ向かっていたアンガードの手が止まる。
「……何ですか?」
振り返ると、クリスは一冊の帳簿を両手で持っていた。
「帳簿を確認しました」
「流石に早くないですか!?」
「資金が圧倒的に不足しています」
「圧倒的って事はない筈ですよ!」
「次回の素材購入費、薬品代、炉の燃料代、工房の維持費、食費まで計算した結果、圧倒的です」
「合金が入れば!」
「しばらくしたら合金が手に入る予定ですね、ですが合金では薬品代を支払えません」
アンガードは黙った。
「今回使った分は、必要経費ってもんです」
「仕方ありませんね、などと言うとでも?」
クリスの口元には笑みが浮かんでいた。
だが、その笑顔には不思議なほど温度がない。
アンガードが無意識に一歩下がる。
「いや、でも。MAPを作るには必要な――」
「MAPに使用した分だけであれば、まだ理解できます」
クリスは帳簿の間から、数枚の紙を抜き取った。
「問題はこちらです」
「何だ、それ」
「領収書です」
その言葉に、ルアンナの肩が僅かに揺れた。
クリスはその反応を見逃さなかった。
「ルアンナ様」
「な、何かしら?」
「この領収書に、お心当たりは?」
「別に、変な物は買ってないわよ?」
「食材が、すべて最高級品です」
「美味しい物を選んだだけよ」
「肉も、野菜も、香辛料も、すべて一般的な品の十倍以上の価格です」
「身体に良い物を選んだの」
「水に至っては、通常の二十倍です」
アンガードが勢いよくルアンナを見る。
「水が二十倍って、何を買ったんだよ」
「店員が一番美味しいと言っていた水よ?」
「水の味に二十倍の差があるわけねぇだろ!」
「でも、少し柔らかかったわ」
「その少しのために二十倍も払うな!」
ルアンナは納得できない様子で首を傾げた。
クリスは小さく息を吐く。
「ルアンナ様、アナタは一般的な世の中では通用しません」
「クリス、それは失礼じゃない?」
「ルアンナ様。アナタが知っている常識は、残念ながら世の常識とは異なっています」
「えっ、そうなの?」
本気で驚いている。
アンガードは頭を抱えた。
「今さらかよ……」
「討伐依頼や、百歩譲って護衛依頼であれば問題ないでしょうが、それ以外の仕事は難しいかと」
「調査依頼も出来てましたよ」
アンガードが口を挟む。
クリスはルアンナを見る。
「そうなのですか?」
「凄く良かった」
「えっへん!」
ルアンナが誇らしげに胸を張る。
クリスは一瞬だけ黙った。
「……では、調査依頼も加えておきましょう」
「ほら、私だって普通に働けるじゃない」
「ですが、それ以外は、はっきり申し上げてポンコツです」
「ク、クリス?」
「実際、買い物一つでこの有様です」
クリスは領収書を掲げた。
「普通の商店で働けば、客へ最高級品だけを勧めるでしょう。飲食店なら、原価を考えず最高の食材だけを使う。宿屋なら、すべての客へ最上級の部屋を用意しかねません」
「良い物を出した方が、皆も喜ぶでしょう?」
「店が潰れます」
即答だった。
ルアンナがアンガードを見る。
「そうなの?」
「俺に聞くな。けど、たぶん潰れる」
「世の中って難しいのね」
「お前の常識が難しくしてんだよ」
アンガードは帳簿を覗き込み、顔をしかめる。
「食費だけじゃなく、素材も買い足さなきゃならねぇな」
「薬品も不足しています」
「炉の燃料も残り僅かか」
「では、結論は一つです」
クリスが帳簿を閉じた。
「仕方ありませんね。ルピー様に仕事を貰いに行きましょう」
「《
ルアンナの表情が明るくなる。
「私の帰還報告も必要です。ちょうどよいでしょう」
クリスは帳簿をアンガードへ差し出した。
「アンガード様とルアンナ様には、まとまった報酬を得られる依頼を受けていただきます」
「俺も!?」
「資金を使った張本人の一人ですので」
「一人?」
アンガードがルアンナを見る。
ルアンナもアンガードを見る。
「どちらが多く使ったのかは、帳簿の細部を確認してから判断いたします」
クリスの言葉に、二人は同時に視線を逸らした。
その様子を眺めていたルーフェが、楽しそうに一声鳴く。
「こいつ、絶対笑ってるだろ」
「気のせいです」
クリスは帳簿を抱えたまま、工房の扉へ向かった。
「ついでにMAPの素材に必要ない物の買い取りもしてもらいたいですしね」
「そう言えば休暇中に収集していた素材はどこに?」
「もう倉庫に入れております。ココでは少し手狭だったので」
「流石ですね…」
「それ以外は空間魔法の中にありますよ、では参りましょう。ルピー様のところへ」
資金不足に陥った二人と、休暇から戻ったばかりの一人。
そして、青い翼を持つ聖霊獣。
こうして彼らは、久しぶりに《