あの子だけ先生との距離感がおかしい!!   作:炊き込みご飯くん

1 / 7
興が乗った、それだけだ。


「先生、大胆なポーズなどいかがでしょう?」

シャーレのオフィスへ続く廊下は、休日の校舎と似た静けさに包まれていた。

遠くから聞こえる銃声については、キヴォトスでは蝉の声と大差ない。窓の外で何かが爆発したような気もするが、こちらへ飛んでこないのなら問題はないだろう。

僕は廊下の窓に映った自分の姿を横目で確認し、毛先を指先で整えた。

淡い色のブラウスに、膝上まで伸びたプリーツスカート。腰のリボンは大きすぎず、かといって地味にもならないよう、何度も調整したものだ。ゆるく巻いた髪との相性も悪くない。

正直に言えば、かなり可愛い。

いつも可愛いとは思っているが、今日はその中でも上位に入るだろう。昨夜、鏡の前で二時間ほど研究した甲斐があった。

問題があるとすれば、先生がこの可愛さを正しく理解できる状態にあるかどうかだった。

扉の前に立ち、二度ノックする。

返事はなかった。

もう一度叩いてみたものの、やはり中から声は聞こえてこない。留守なのかと思ったが、扉の隙間からは照明の光が漏れていた。

「先生、失礼します」

静かに扉を開けると、机へ突っ伏した先生の姿が見えた。

書類の山に埋もれ、片手にはペンを握ったまま動かない。眠っているのか、それとも力尽きているのか、一見しただけでは判断が難しかった。

近づいて横顔を覗き込む。

「先生」

「...うん」

反応はあった。

「生きていますか」

「たぶん」

「曖昧ですね」

先生はゆっくりと顔を上げ、目元を擦った。机の上には飲み終えたコーヒーの容器がいくつも並んでいる。その数から考えると、少なくとも一晩はまともに眠っていない。

それでも僕の姿に気づいた瞬間、半分閉じていた目がわずかに開いた。

「おお...」

先生は椅子の背もたれから体を起こし、僕を上から下まで眺めた。

「来たね」

「はい。来ました」

「今日も可愛い」

「ありがとうございます。僕もそう思います」

率直に答えると、先生は一度だけ瞬きをした。

「相変わらず自己評価が安定してるね」

「事実を控えめに申し上げただけです」

「控えめだったんだ」

本当は、今日はかなり可愛いと言いたかった。先生も疲れているようなので、多少は遠慮したつもりである。

僕は机の前で一度回り、スカートの裾を軽く広げた。布がふわりと浮き、遅れて元の形へ戻る。

先生の視線が裾から腰のリボンへ移った。

「前よりスカート短くした?」

「二センチだけです。全体のバランスを考えると、こちらの方が脚が綺麗に見えると思いまして」

「なるほど。確かに前より軽い印象になってる」

「やはり先生もそう思いますか」

「うん。腰のリボンも変えたよね」

「少し細くしました。以前のものは可愛かったのですが、上半身よりもリボンが目立ってしまいましたので」

「そこまで考えてるのか...」

先生は感心したように頷き、椅子を少し後ろへ引いた。僕の全身を見るためだろう。

この人は、衣装を見せたときだけ妙に真剣になる。

可愛いかどうかだけでなく、布の重なり方や色の組み合わせまで見てくれるので、僕としても感想を聞く価値があった。

僕が男だと知った後も、先生は一度も女装をやめた方がいいとは言わなかった。

驚きはしたらしい。

けれど、その後に出てきた言葉は「似合っているならいいんじゃない」だった。

それ以来、新しい衣装が完成するたびに、僕はこうして先生へ見せに来ている。

「後ろも見せてもらっていい?」

「もちろんです」

先生へ背中を向け、髪を片側へ寄せる。ブラウスの襟元と背中の装飾が見えるようにしたところ、先生は小さく唸った。

「後ろ姿も普通に女の子だなぁ」

「普通以上ではないでしょうか」

「そこは譲らないんだね」

「せっかく努力していますから」

謙遜したところで、服がより可愛くなるわけではない。自分の努力を最も正確に評価できるのは自分なのだから、可愛いものは可愛いと認めるべきだと思う。

先生は机へ肘をつき、僕の姿を見ながら笑った。

「しかし、本当に女装上手くなったよね。最初の頃から凄いクオリティだったけど、今はもっとずっと自然に見えるよ」

「先生にアドバイスをいただけているおかげです。しかし、まだ改善の余地はありますね」

「これ以上?」

「歩き方と座り方については、もう少し研究した方がよいかと」

「十分自然に見えるけどなぁ」

「先生は僕が男だと知っていますから、評価に先入観が入っている可能性があります」

「私の評価、信用されてなかった」

「いえ、先生の審美眼は信用しています。ただし、正体を知っている人間の意見だけでは、客観性に欠けるという意味です」

「すごく真面目な顔で女装の客観性について話してる...」

先生はなぜか遠い目をしていた。

まだ疲れが残っているのだろう。

僕は先生の机へ近づき、少し腰を屈めて顔色を確かめた。目の下には薄い隈がある。

「昨日は眠りましたか」

「少し」

「何時間ですか」

「目を閉じた時間も含めていい?」

「駄目です」

先生は視線を逸らした。

「では、眠っていないということですね」

「三日くらい」

「三日」

思わず聞き返したが、先生は悪びれる様子もなく頷いた。

「仕事が溜まっててね」

「寝た方がよろしいのでは」

「これが終わったら寝るよ」

先生が指した書類の山は、昨年から存在していたと言われても信じられる高さだった。

今日中に終わるとは思えない。

「それでは、あまり長居しない方がよさそうですね」

「えっ」

先生の顔から、分かりやすく笑みが消えた。

「もう帰るの?」

「先生がお疲れのようですので」

「いやいやいや、衣装は別だよ。衣装を見る時間は仕事じゃないから」

「睡眠でもありませんよ」

「心の休息になる」

真剣な声だった。

そこまで言われてしまうと、断る方がよくない気もする。

僕は少し考え、先生から一歩離れた。

「実は、今日は見せ方についても研究してきました」

「見せ方?」

「はい。ただ立っているだけでは、衣装の魅力を十分に伝えられないと思いまして」

「ほう」

先生の姿勢がよくなった。

三日眠っていない人間とは思えない反応である。

「先生にも楽しんでいただけるよう、いくつかポーズを考えてきました」

「私へのサービスってこと?」

「その認識で問題ありません」

僕は両手を腰の後ろで組み、片足をわずかに曲げた。肩越しに先生へ顔を向け、事前に研究しておいた角度で小さく微笑む。

雑誌で見つけたポーズを参考にしたものだ。スカートの形が崩れず、髪も顔へかからないよう練習してある。

先生の口が開いたまま止まった。

「いかがでしょう」

「可愛い」

「ありがとうございます」

「可愛いよ!!」

急に声が大きくなった。

「先生、ここは屋内です」

「いや、だって可愛いじゃん! 何そのポーズ!」

「雑誌を参考にしました。少し幼く見せながらも、品を損なわない点が優れていると思います」

「分析が冷静すぎる」

「先生も気に入ってくださったようで安心しました」

先生は椅子から半分立ち上がり、僕の周囲を確かめるように顔を動かした。

「正面も見たい」

「分かりました」

体の向きを変え、今度は片手を頬へ添える。

先生が息を呑んだ。

「うっひょぉ!! 最高!!」

「先ほどより反応が大きいですね」

「この角度すごいよ! 男だって分かってても、一瞬分からなくなる!」

「先生、褒め方が少し複雑です」

「褒めてる! ものすごく褒めてる!」

そう言うのであれば、成功なのだろう。

しかし、まだ本命が残っている。

「では、最後にもう一つ」

「まだあるの?」

「はい。少しだけ大胆ですが、先生にはこちらの方が喜んでいただけるかと思いました」

「私が?」

僕はスカートの端を指先でわずかにつまみ、足を交差させた。あくまで布の形を綺麗に見せるためのポーズであり、露出が増えるほど持ち上げているわけではない。

ただ、普段よりは少しだけ大人びて見える。

「こんな、少し際どいポーズはいかがですか」

先生は数秒間、何も言わなかった。

まずかっただろうか。

雑誌ではよく見かける構図だったが、実際に試すと不自然だったのかもしれない。

僕が姿勢を戻そうとした瞬間、先生は両手で机を叩いた。

「際どすぎるッ!!」

書類が揺れた。

「そうでしょうか」

「男の夢だ!!」

「そこまでですか」

「エッチすぎるッ!!!」

勢いよく立ち上がった先生の膝が机へぶつかり、積まれていた書類が大きく傾いた。

僕は慌ててそれを両手で支える。

「先生、落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるか!」

「落ち着いてください。書類が落ちます」

「書類より大事なものが今ここにある!」

どうやら、かなり気に入ってくれたらしい。

三日間の徹夜によって多少言葉遣いがおかしくなっているが、感想そのものは肯定的だと受け取ってよさそうだった。

「そこまで喜んでいただけるなら、練習した甲斐がありました」

「練習したの!?」

「鏡の前で一時間ほど」

「努力の方向性が素晴らしい!」

「ありがとうございます」

そのとき、背後で扉の軋む音がした。

振り返ると、わずかに開いた隙間から、青みがかった髪と眼鏡が見えた。

先生も気づいたらしく、片手を上げる。

「あ、ユウカ。お疲れさま」

ユウカさんは扉を開けたまま動かなかった。

視線が先生から僕へ移り、それから僕の指先につままれたスカートの裾へ落ちる。最後にもう一度先生を見たものの、表情はほとんど変わらない。

「...何をしているんですか」

静かな声だった。

「ファッションショー」

先生は迷いなく答えた。

「ファッションショー」

「うん。すごく可愛いでしょ?」

ユウカさんの視線が再び僕へ向いた。

僕はスカートから手を離し、軽く頭を下げる。

「こんにちは」

「こんにちは...」

返事はあったが、彼女の目は笑っていない。

僕の衣装に何か問題があったのだろうか。

「先生」

「なに?」

「先ほど、何とおっしゃっていましたか」

「どれのこと?」

「際どすぎる、とか」

「ああ」

先生は僕を指しながら、悪びれる様子もなく笑った。

「だって本当に際どかったから」

「男の夢、とも聞こえましたが」

「言ったね」

「エッチすぎる、とも」

「それも言った」

ユウカさんは眼鏡の位置を直した。

伊達だろうか。非常に似合っている。お洒落眼鏡については絶賛研究なので、凄く参考になる。

「なるほど」

ユウカさんは、声だけは穏やかだった。

ただし、その手には力が入っている。ワナワナなどという擬音が聞こえてきそうだ。

「ユウカさんも見ますか」

僕が尋ねると、彼女は目を見開いた。

「え?」

「先生には好評でした。女性から見た意見もいただけると、より客観的な評価になると思います」

「いえ、私は...」

「この子、本当にすごいよ。さっきのポーズもう一回やってあげて」

「先生がそこまでおっしゃるなら」

僕が先ほどと同じようにスカートの端へ手を伸ばすと、ユウカさんは片手を突き出した。

「結構です!」

珍しく大きな声だった。

「そうですか」

「はい。十分です」

何が十分なのかは分からないが、彼女の中では評価が済んだらしい。

ユウカさんは持っていた書類を先生の机へ置くと、僕たちを交互に見た。

「先生」

「うん」

「お仕事は?」

「してるよ」

「私には、可愛い女子生徒に際どいポーズを取らせて喜んでいるようにしか見えませんが」

先生は首を傾げた。

「女子生徒?」

ユウカさんの眉がわずかに動いた。

僕は先生の横顔を見る。

先生も僕を見る。

互いに数秒ほど黙ったあと、先生が何かに気づいたように口を開いた。

「ああ、いや」

その先を言いかけたところで、机の上から端末の着信音が鳴った。

先生が画面を確認する。

「ごめん、ちょっとこれ出ないと」

「先生?」

「すぐ戻るから!」

先生は端末を手にしたまま、慌ただしく隣の部屋へ入っていった。

室内に、僕とユウカさんだけが残される。

彼女は閉じた扉を見つめ、それからゆっくりと僕へ顔を向けた。

「...いつも、こんなことを?」

「はい」

「いつも!?」

「新作が完成したときは」

僕が答えると、ユウカさんは深く息を吸った。

「冷静になれ、冷静になれ...感情は因数分解するのよ、ユウカ」なんていう独り言が聞こえた。かなり頓珍漢な方だ。

「ふぅ、そうですか」

「先生は細かい部分まで見てくださるので、とても参考になります」

「こ、細かい部分まで?」

「今日はスカートの丈についても評価していただきました」

「丈まで...ッ」

なぜか、返事をするたびに声が低くなっていく。

やはり、何か不快にさせてしまったのだろうか。

「申し訳ありません。お仕事の邪魔でしたか」

「...いえ、あなたが謝ることではありません」

ユウカさんは妙に力強く答えた。

「悪いのは全部、あの人ですから」

「あの人?」

「先生です!」

「先生は褒めてくださっただけですが」

「そこが問題なんですよ!」

「褒めることがですか」

「褒め方がです!」

僕には違いがよく分からなかった。

先生は普段から、似合っている服は似合っていると言う。今日の反応は少し大きかったものの、三日間眠っていないことを考えれば、多少おかしくなっていても仕方がないだろう。

「先生はお疲れのようですから、あまり強く叱らないであげてください」

「...庇うんですか」

「三日ほど寝ていないそうです」

「またですか!?」

ユウカさんの表情が、嫉妬とも困惑ともつかないものから、純粋な怒りへ切り替わった。

どうやら、先生が眠っていないことの方が大きな問題だったらしい。

「分かりました。今日はもう仕事をさせません」

「それがよいと思います」

「あなたも帰ってください」

「え?まだ先生に、座ったときの見え方を確認していただいていませんが」

「帰ってください」

「はい」

これ以上残ると迷惑になりそうなので、素直に従うことにした。

机の横へ置いていた鞄を持ち、扉へ向かう。退出する前に振り返ると、ユウカさんは先生の机に積まれた書類を整えながら、小さな声で何かを呟いていた。

「私たちにはあんな顔しないくせに...」

よく聞き取れなかった。

「何かおっしゃいましたか」

「何も言っていません」

「そうですか」

僕は一礼し、オフィスを出た。

廊下の窓に映った自分の姿を、もう一度確認する。

先生の反応を見る限り、今日の衣装は成功と考えてよいだろう。少し大きすぎたリアクションについては、睡眠不足の影響として差し引く必要があるが、それでも全体的な評価は高かった。

次は座った姿も綺麗に見える衣装を考えたい。

そのためには、生地をもう少し柔らかいものへ変えた方がよいかもしれない。

僕が次の構想を練りながら歩いていると、背後から先生の声が聞こえた。

「ちょっと待って! まだ写真撮ってない!」

振り返る。

扉から顔を出した先生の後ろで、ユウカさんが無言のまま拳を握っていた。

「先生」

「なに」

「覚悟はできていますか?」

「何の!?」

僕は二人の様子を眺め、少し考えた。

写真については、また今度でよさそうだった。

「先生、それでは次回にしましょう」

「ええっ!?」

「今日はゆっくりお休みください」

「待って! 本当に可愛かったから! 記録に残したい!」

「せ、ん、せ、い?」

「いや違うよユウカ! そういう意味じゃなくて!」

扉が静かに閉じる。

直後、向こう側から先生の声が響いた。

「だから男友達みたいなものなんだって!」

「意味が分かりません!!」

僕は閉じられた扉をしばらく見つめたあと、窓に映った自分へ視線を戻した。

今日もやはり可愛い。

次は、写真に残してもらおう。

 

曇らせについて

  • 肯定派
  • 否定派
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。