あの子だけ先生との距離感がおかしい!!   作:炊き込みご飯くん

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曇らせぇ...ゲヘヘッ!!俺はヒナを曇らせてシナシナにするのが大好きなのさッ!!

あ、アコさんこんにちは、どうされましたか?
え?なんで銃口をこちらに?いやあの、顔が怖いですy...


ゲヘナシナシナシロモップ

シャーレへ向かうだけの用事なら、部下へ任せても問題はなかった。

提出する書類に不備はなく、口頭で伝えるべき内容もない。端末から送れば、それだけで済む報告だった。

それでもヒナは、自分の手に薄い封筒を持っていた。

「...委員長、本当にお一人で行かれるんですか?」

風紀委員会の廊下を歩いていたヒナの後ろから、アコの声が追いかけてくる。

「書類を渡すだけだから」

「でしたら私が」

「いい。あなたには別の仕事を頼んだでしょう」

足を止めずに答えると、アコは何か言いたそうに息を詰まらせた。

内容に不備があるとは思っていない。ヒナ自身、それは分かっている。けれど、普段なら書類一枚を届けるために風紀委員長が自らゲヘナを離れることなどない。

アコが疑問を持つのも当然だった。

「それとも、私が不在だと仕事が手につかない?」

「い、いえ!責任を持って取り組みます!!」

「なら任せる」

騒がしい返事を背中で聞きながら、ヒナは校舎を出た。

空は晴れていた。

少しだけ眩しく感じて、目を細める。

先生に会うのは久しぶりだった。

正確には、数日前にも連絡は取っている。ただし、その時に交わしたのはゲヘナ自治区内で起きた小規模な騒動についての報告だけで、先生の返事も『分かった。ヒナも無理はしないようにね』という短いものだった。

いつもと変わらない言葉だった。

それでも、画面に表示された文字をヒナは少し長く眺めていた。

今回も仕事の話になる。

書類を渡し、先生が中身を確認し、何か問題があれば意見を求められる。なければ、数分ほど雑談をして帰るだけだろう。

それで十分だった。

別に、会いたかったわけではない。

ただ自分で渡した方が確実で、ついでにシャーレの状況を確認しておく必要があると判断しただけだ。

そう考えながら、ヒナはいつもよりわずかに早い足取りでシャーレへ向かった。

 

 

 

〇〇〇

 

 

 

建物へ到着すると、中は不思議なほど静かだった。

執務室へ向かう途中ですれ違う生徒の姿もなく、廊下にはヒナの靴音だけが響いていた。

先生は、また仕事を溜めているのかもしれない。

机の上に積み重なった書類を思い浮かべ、ヒナは小さく息を吐く。

前に来た時も、先生は片付けたと言いながら、机の端へ書類を移動させただけだった。注意すると笑って誤魔化し、最後にはヒナまで整理を手伝うことになった。

今日も同じような状況なら、少しくらい手伝ってもいい。

時間には余裕がある。

ゲヘナの方も、アコたちへ任せてある。

扉の前まで来たヒナは、手を上げた。

ノックをしようとした指が、扉へ触れる直前で止まる。

中から先生の声が聞こえた。

「おぉ! 完成した!?」

普段よりも高く、弾んだ声だった。

ヒナは瞬きをした。

誰かと話している。

それ自体は珍しくない。シャーレには毎日のように生徒が訪れ、先生はその一人一人へ丁寧に対応している。

ただ、今の声は相談へ応じる時のものとは少し違った。

「はい。前回ご指摘いただいた部分を直してみました」

続いて聞こえたのは、穏やかな声だった。

知らない生徒の声。

「見てもらってもよろしいでしょうか」

「もちろん! 早く見せて!」

あまりにも楽しそうな返事に、ヒナの指先がわずかに下がる。

何の話をしているのだろう。

聞き耳を立てるつもりはなかった。

けれど、このまま入ってよいのか迷っている間にも、室内から会話は続いていた。

「では、失礼します」

小さな物音がした。

布が擦れるような音。

その後、数秒ほど沈黙が続いた。

「...いかがでしょう、先生?」

「うん、可愛い」

先生の声が落ちた。

先ほどまでの騒がしさとは違う、心から感心したような声だった。

「すごく可愛いよ。前よりずっとまとまってる」

「ありがとうございます」

「このリボン、変えたよね?」

「はい。以前のものですと、全体に対して少し主張が弱いと感じましたので」

「うんうん、こっちの方がいい。髪の色にも合ってるし...あ、ちょっと待って」

足音がする。

「少し曲がってるよ」

「なんと、それは失礼しました」

「直すね」

ヒナは、扉の前から動けなかった。

先生が誰かの服装を褒めている。

それだけなら、何もおかしなことではない。先生は生徒の小さな変化にもよく気付き、髪型や服装を褒めることもある。

ヒナも以前、先生から髪飾りを褒められたことがあった。

けれど、こんなふうに声を弾ませているところは、あまり見たことがない。

「先生、近くありませんか?」

室内の生徒が静かに尋ねた。

責めるような声ではない。

困っている様子すらなく、ただ事実を確認しているような口調だった。

「あ、ごめん。でも動くと結びにくいから、そのままで」

「分かりました」

「もう少しだけ...よし、できた」

「ありがとうございます」

「いやぁ、今回も最高だね」

先生が笑った。

その笑い声を聞いた瞬間、胸の奥に小さな違和感が生まれた。

ヒナは封筒を持つ指へ、少しだけ力を込めた。

帰ろうかと思った。

急ぎの用事ではない。書類は後から送ってもいいし、ここへ置いて帰ることもできる。

中にいる生徒の時間を邪魔する必要はない。

そう考えた時、扉が開いた。

「何か飲み物でも...あれ、ヒナ?」

先生が目を見開いた。

片手を扉へかけたまま、少し驚いた顔でこちらを見ている。

「いつからいたの?」

「今来たところ」

ヒナは迷わず答えた。

嘘ではない。

ほんの少し前に来たのだから、何も間違ったことは言ってない。

先生の肩越しに、部屋の中が見えた。

机の前に、一人の生徒が立っている。

アコと同じくらいの身長だろうか。柔らかな色の髪には大きなリボンが結ばれ、細かなレースの施された服を身にまとっていた。

可愛らしい。

最初に浮かんだのは、素直な感想だった。

服だけではない。

立ち方も、指先の置き方も、表情の作り方も、その装いが最も綺麗に見えるよう整えられている。

偶然そうなったのではなく、長い時間をかけて研究してきたのだと、ヒナにも分かった。

「初めまして」

生徒はヒナと目が合うと、すぐに丁寧な礼をした。

「お邪魔しております」

「...初めまして」

悪い印象はなかった。

むしろ礼儀正しく、落ち着いた生徒に見える。

先生が困らされている様子もない。

それどころか、先ほどまで聞こえていた声から考えれば、先生の方が楽しんでいた。

「今日はどうしたの?」

先生が扉を大きく開け、ヒナを部屋へ招こうとする。

「報告書を持ってきた」

「わざわざ届けに来てくれたの?」

「近くに用事があったから」

また嘘をついた。

先生は疑うことなく、いつものように笑った。

「ありがとう。入って入って」

「渡すだけでいいわ」

ヒナは封筒を差し出した。

先生は受け取ろうとして、ふとヒナの顔を見つめた。

「ヒナ、疲れてる?」

「別に」

「本当に? 少し顔色が」

伸びてきた先生の手を見て、ヒナは反射的に半歩下がった。

先生の手が止まる。

「...ヒナ?」

先生が不思議そうに名前を呼んだ。

何をしているのだろう。

先生はただ、いつものように体調を確かめようとしただけだ。

分かっている。

先ほどまで、その手で別の生徒の髪を整えていたことも、関係はない。

「何でもない」

ヒナは先生の手へ視線を向けないまま、封筒を押し付けた。

「中身は確認済み。問題があれば連絡して」

「う、うん」

「それじゃあ」

背を向ける。

「待って、ヒナ」

先生の声に足を止めた。

「せっかく来たんだから、少し休んでいかない? 飲み物も用意するよ」

いつもの誘いだった。

普段なら、少しだけ迷うふりをしてから受け入れていたかもしれない。

先生の机を片付け、仕事を手伝いながら、最近のゲヘナについて話す。先生がまた徹夜をしているようなら注意して、それでも聞かないなら、せめて温かいものを飲ませる。

そんな時間を、ヒナは嫌いではなかった。

けれど今は、自分がここへ残れば、先ほどまで楽しそうにしていた二人の時間を奪うことになる。

「いい」

振り返らずに答えた。

「まだ仕事が残っているから」

「でも」

「アコたちだけに任せるわけにはいかないわ」

自分でも驚くほど、声は普段通りだった。

「先生も忙しいでしょう?」

そう続けると、先生は少し黙った。

忙しい。

先生の机には、今日も書類が積まれている。

それなのに先生は、その生徒の服を見るために仕事の手を止めていた。

きっと、それだけ大切な時間なのだろう。

「...分かった」

先生は納得していないようだったが、それ以上引き止めなかった。

「無理はしないでね」

「先生も」

短く返し、ヒナは歩き出した。

廊下を曲がる直前、背後からあの生徒の声が聞こえた。

「ヒナさんと言うのですね。お忙しそうな方です」

「うん。ヒナはいつも頑張りすぎるから、少し心配だな」

先生の声は優しかった。

いつもと同じ、穏やかで、生徒を気遣う先生の声。

先ほどまでの弾んだ声とは違う。

ヒナは足を止めなかった。

胸の奥に生まれた痛みにも似た違和感へ名前を付けないまま、シャーレを後にした。

ゲヘナへ戻る頃には、空が少し傾いていた。

 

 

 

〇〇〇

 

 

 

風紀委員会の校舎へ入ると、廊下の向こうからアコが駆け寄ってくる。

「お帰りなさい、委員長! 何事もありませんでしたか?」

「書類を渡しただけよ。何もないわ」

「先生は何か?」

「別に」

それだけ答えて横を通り過ぎると、アコは不思議そうに後をついてきた。

「ヒナ委員長?」

「何?」

「いえ、その...随分とお早いお帰りだと思いまして」

「書類を渡すだけなんだから、時間はかからないでしょう」

「それは、そうですが」

アコの声が少しだけ遠慮がちになる。

行く前の自分が、何か期待しているように見えていたのだろうか。

そんなはずはない。

ただ、直接届けた方が確実だっただけだ。

ヒナは風紀委員室へ入り、自分の机へ向かった。

不在の間に増えた書類が、端へ整えて積まれている。量はそれほど多くない。普段なら一時間もかからず処理できる程度だった。

椅子へ座り、一枚目を手に取る。

校内設備の修繕申請。

内容を読み、必要性を確認して、署名を入れる。それだけの書類だった。

視線を上から下へ動かす。

文字は読める。

意味も分かる。

それなのに、最後まで読み終えたはずの文章が、頭の中には何も残っていなかった。

ヒナは最初へ戻った。

もう一度読む。

申請場所は旧校舎の廊下。壊れた窓枠の交換。危険性があるため、早急な対応が必要。

署名欄へペン先を近付けたところで、先生の声が蘇った。

『可愛い』

手が止まる。

ヒナは目を伏せ、ペンを机へ置いた。

別に、先生が誰を褒めようと関係ない。

先生は生徒の努力をよく見ている。あの生徒が服装に多くの時間をかけていたことも、見れば分かった。先生がそれを評価するのは当然だ。

髪を整えたことも、少し距離が近かったことも、それだけだ。

ただ、先生があんなふうに笑うところを、自分は知らなかった。

「委員長、お茶をお持ちしました」

アコが机の端へカップを置いた。

返事をしなかったせいか、少し間を置いてから、覗き込むように顔を寄せてくる。

「...委員長?」

「聞こえているわ」

「ですが、これは...」

アコが指差したのは、ヒナの手元だった。

一枚目の申請書には、署名欄から大きく外れた位置へペン先が触れ、細い線が一本だけ伸びている。

ヒナは無言で書類を見た。

「どこか具合が悪いのではありませんか?」

「少し、疲れただけ」

「でしたら、今日はもうお休みになってください。残りは私が」

「必要ない」

「ですが」

「大した量じゃないから」

新しい書類を取り出し、もう一度読み始める。

今度こそ集中しようとしたが、数行進むたびに、室内で聞いた会話が浮かんだ。

先生の弾んだ声。

近付く足音。

知らない生徒の髪へ伸ばされた手。

『今回も最高だね』

今回も。

今日が初めてではない。

きっと、あの二人には自分の知らない時間が何度もあった。

衣装のことを話し、完成を待ち、見せてもらうことを楽しみにする。先生は忙しいはずなのに、そのためなら仕事の手を止める。

自分が先生へ持っていくのは、いつも報告書だった。

風紀委員会の状況。

ゲヘナで起きた問題。

危険な組織についての情報。

先生から頼られることを、嬉しいと思っていた。

自分にしかできないことがある。

先生が自分を必要としている。

それを、どこか特別なものだと思っていた。

けれど、先生が本当に一緒にいて楽しそうなのは、あの生徒のような子なのかもしれない。

何も背負わせず、仕事の相談もせず、ただそこにいるだけで先生を笑わせられる子。

自分にはできない。

一緒にいれば、どうしても仕事の話になる。先生は優しいから、疲れている自分を気遣ってくれる。それは自分だからではなく、誰に対してもそうする人だからだ。

今日だって、少し休んでいくよう言われた。

きっと、どの生徒にも同じように声をかける。

「...そういうことなら、仕方ない」

「何がでしょうか?」

すぐ近くから返事があり、ヒナは顔を上げた。

アコが困惑した表情で立っている。

「何でもない」

「委員長、やはり何かありましたね?」

「ないわ」

「いいえ、あります。シャーレで先生に何か言われたのですか? もしや、風紀委員会に対して不当な要求を」

「違う」

少し強い声が出た。

アコが口を閉じる。

ヒナは息を吐き、視線を書類へ戻した。

「先生は何も悪くない」

むしろ、自分が勝手に期待していただけだ。

先生に頼られていることを、自分だけの何かだと思い込んでいた。

先生は全ての生徒を大切にしている。

自分も、その中の一人。

それ以上でも、それ以下でもない。

最初から分かっていたはずなのに、今さら何を落ち込んでいるのだろう。

「ごめん、やっぱり今日はもう帰るわ」

突然の言葉に、アコが目を見開いた。

「え?」

「残りは明日やる」

「は、はい! もちろんです! すぐにお車を」

「いえ、歩いて帰る」

「ですが」

「少し一人になりたいの」

アコはまた何か言おうとしたが、最後には黙って頭を下げた。

「...分かりました」

椅子から立ち上がり、上着を手に取る。

机には、ほとんど手の付いていない書類が残っていた。

それを見ても、今は何も感じなかった。

部屋を出る直前、背後からアコの声がした。

「委員長」

ヒナは振り返らない。

「何」

「その...今日は、ゆっくりお休みになってくださいね」

少し迷ってから、短く答えた。

「...えぇ」

校舎の外へ出ると、夕方の風が髪を揺らした。

普段なら、寮へ戻る前に区域内を一度見回る。

けれど今日は、その気力も湧かなかった。

何か問題が起きれば連絡が来る。

自分がいなくても、風紀委員会は動ける。

それなら少しくらい、何もしない時間があってもいいはずだった。

それでも足取りは軽くならない。

 

 

 

〇〇〇

 

 

 

寮へ戻り、制服を脱いで部屋着へ着替える。

ベッドへ腰を下ろすと、そのまま横になった。

眠いわけではなかった。

目を閉じても、先生の声が消えてくれない。

『可愛い』

以前、ドレスを着た時にも似た言葉をかけられた。

似合っていると褒めてくれた。

嬉しかった。

今でも覚えている。

けれど、今日の先生はもっと楽しそうだった。

あの生徒とは、そういう話を何度もしているのだろう。

自分に向けられた言葉も、特別ではなかったのかもしれない。

「...馬鹿みたい」

誰にも聞こえない声で呟き、枕へ顔を埋めた。

端末が震えた。

画面を見ると、先生からメッセージが届いている。

『無事に戻れた?』

短い文章だった。

返信欄を開く。

『戻った』

そう入力して、少し考える。

普段なら『先生も仕事を溜めすぎないように』と続けていたかもしれない。

今日は指が動かなかった。

そのまま送信する。

すぐに返事が来た。

『やっぱり何かあった?』

ヒナは画面を見つめた。

先生は、こういう時だけ妙に鋭い。

何もないと打ち込む。

一度消し、言い直した。

『問題ないわ』

送信すると、しばらく返事は来なかった。

それでよかった。

先生は今頃、あの生徒との楽しい時間の続きを話しているのだろう。自分のことで時間を使わせる必要はない。

端末を伏せ、目を閉じる。

数分後、また振動した。

『分かった。でも、無理はしないでね』

ヒナは返事をしなかった。

先生は優しい。

だから、誰にでもそう言う。

それを忘れなければ、もう勘違いすることもない。

 

 

 

〇〇〇

 

 

 

翌朝、ヒナはいつも通りの時間に目を覚ました。

眠れた感覚はほとんどなかったが、体は動く。

制服へ着替え、髪を整え、風紀委員会へ向かう。

委員室へ入ると、アコが既に待っていた。

「おはようございます、委員長」

「おはよう」

「本日の予定ですが、午前中の会議は私が代わりに」

「私が出る」

「し、しかし」

「昨日休んだ分もあるから」

机へ向かい、積まれた書類へ手を伸ばす。

アコは納得していない様子だったが、それ以上は逆らわなかった。

午前中の仕事は、普段より時間がかかった。

内容を理解するまでに何度も読み返し、署名の前には必ず確認する。失敗はしなかったが、一つ終えるたびに疲労だけが増えていった。

昼を過ぎた頃、アコが端末を手に近付いてきた。

「すみませんヒナ委員長、シャーレから連絡が」

ヒナの指がわずかに止まる。

「先生から?」

「はい。昨日の報告書についてですが」

「...あなたが対応して」

「え?よろしいのですか?」

「内容は説明できるでしょう」

「それは可能ですが...先生は委員長へ直接確認したいと」

「問題があるなら、文章で送ってもらって」

アコはしばらくヒナを見つめた。

「...承知しました」

端末を受け取らず、次の書類へ目を落とす。

これでいい。

先生と話せば、また余計なことを考える。

仕事だけをしていれば、何も間違えない。

 

 

 

〇〇〇

 

 

 

午後になり、委員室の外が少し騒がしくなった。

廊下を走る足音と、制止する声が聞こえる。

「お待ちください! 今委員長は執務中で」

「少し顔を見るだけだから」

聞き覚えのある声に、ヒナは顔を上げた。

扉が開く。

「ヒナ」

先生が立っていた。

呼吸が少し乱れている。急いで来たのか、普段より服装も整っていなかった。

その後ろでは、止めきれなかったアコが青ざめている。

「せ、先生! 事前の連絡もなく委員長の執務室へ入らないでください!」

「ごめん。でも、連絡したら会ってくれなさそうだったから」

先生は悪びれた様子もなく言い、ヒナの机へ近付いた。

「どうしてここにいるの」

「ヒナの様子を見に来たんだ」

即座に返ってきた言葉に、ヒナは黙った。

仕事の相談ではない。

書類の不備を確認しに来たわけでもない。

先生は机の前で立ち止まり、ヒナの顔を覗き込んだ。

「やっぱり、疲れてるみたいだね」

「問題ないわ、このくらい」

「昨日も聞いたけど、問題ないようには見えないよ」

「本当に何もないわ」

「何もない人は、いつも自分で説明してくれる報告をアコに任せたりしないよ」

後ろでアコが小さく息を呑んだ。

ヒナは視線を逸らした。

「忙しかっただけ」

「忙しいなら、なおさら無理をしないで」

「先生には関係ないでしょ」

口から出た言葉に、自分でも驚いた。

室内が静かになる。

アコは今にも倒れそうな顔をしている。

先生だけが、怒るでもなく、困ったように眉を下げた。

「関係あるよ」

穏やかな声だった。

「ヒナが無理をしてるなら、私は気になる」

「...先生は誰にでもそうでしょう」

「うん。生徒が困っていたら、誰だって心配する」

即答され、胸が少し沈んだ。

分かっていた答えだった。

先生は全員を大切にする。

自分だけではない。

「でも、同じ心配の仕方はしないよ」

続いた言葉に、ヒナは顔を上げた。

先生は机の上の書類へ視線を落とし、その中から最初の一枚を持ち上げる。

昨日、自分が線を引いてしまった申請書だった。

「ほら、ヒナは放っておくと、一人で全部抱えるから」

書類を机へ戻し、先生が小さく笑う。

「大丈夫って言いながら、本当に限界になるまで休まない。だからヒナが変だと思ったら、私は直接見に来る」

「...シャーレの仕事は」

「置いてきた」

「昨日の子は?」

先生が瞬きをする。

「昨日の子?」

「部屋にいた生徒」

「ああ」

ようやく思い出したように頷く。

「暗くなる前に帰ったよ?確か今日は、別の予定があるって言ってたかな」

あっさりした返事だった。

ヒナが想像していたような、二人だけの長い時間などなかったのかもしれない。

それでも、まだ胸の奥に残るものがある。

「...先生は、あの子といる時、楽しそうだった」

言ってしまってから、ヒナは目を伏せた。

こんなことを聞くつもりではなかった。

子供のようだ。

先生は少し黙り、それから、小さく呟いた。

「楽しかったよ」

否定しない。

ヒナの指先に力が入る。

「服の話をすると、すごく真剣だから。前に相談されたところもちゃんと直してきて、見ていて面白いんだ」

先生は、あの子の努力を説明するように話している。

そこには、ヒナが恐れていたような甘さはなかった。

純粋に、頑張った生徒を褒めているだけの声だった。

「でも、ヒナといる時も楽しいよ」

「仕事の話しかしていないのに?」

「仕事の話だけじゃないでしょ」

先生が笑う。

「私の机を片付けながら怒ったり、ちゃんと寝たか確認したり、無理にでも休ませようとしたり」

「それは、先生がだらしないから」

「そういうところも含めて、ヒナと過ごす時間だよ」

言葉が出なかった。

先生は、当たり前のことを説明している顔をしている。

特別な意味を持たせようとしている様子もない。

ただ本当に、自分と過ごした時間を覚えていた。

「それに」

先生が少し身を屈め、ヒナと目線を合わせる。

「何も用事がなくても、ヒナに会いに来ていいでしょう?」

胸の奥へ、静かに言葉が落ちた。

仕事を頼むためではない。

風紀委員長の力を借りるためでもない。

ただ、様子がおかしかったから。

自分が心配だったから。

それだけの理由で、先生はシャーレの仕事を置き、ゲヘナまで来た。

ヒナは視線を逸らした。

先生に顔を見られたくなかった。

「...勝手にすれば」

「うん。勝手にする」

先生が満足そうに頷く。

その返事が少しおかしくて、ヒナの口元がわずかに緩んだ。

「委員長ぉ...」

後ろからアコの震える声が聞こえる。

「何?」

「うぐっ...い、いえ、なんでもありません」

アコは勢いよく顔を背けた。

先生が空いている椅子を引き、ヒナの机の横へ座る。

「じゃあ、休憩しよう」

「でも仕事は残ってるわ」

「その状態で続けても進まないよ」

「...進んでいる」

「休めば、もっと効率的に進むよ」

ヒナは小さく息を吐き、ペンを置いた。

完全に体の重さが消えたわけではない。

十分睡眠をとったはずなのに、眠気も疲れも残っている。

けれど、昨日から胸の中へ張り付いていたものは、少しずつ薄れていた。

「十分だけ」

「三十分」

「十五分」

「じゃあ二十分」

「...分かった」

先生が嬉しそうに立ち上がる。

「何か飲み物を持ってくるよ」

「アコに頼めばいい」

「今日は私が来たんだから、私がやるよ」

そう言って扉へ向かう先生を、ヒナは目で追った。

途中で先生が振り返る。

「そうだ、ヒナ」

「何?」

「昨日の子が、今度ヒナにも服を選んでみたいって言ってたよ」

ヒナの動きが止まった。

「...服?」

「うん。ヒナは落ち着いた色も似合うけど、少し明るい色も映えそうだって」

「どうして、私の話を」

「ヒナが帰った後、少し心配そうだったから。元気がないように見えたって」

あの生徒も、自分の異変に気付いていたらしい。

先生との時間を邪魔されたと怒るどころか、見知らぬ自分を心配していた。

「それで、気分転換になるなら服を選びたいって」

「...そう」

「今度、三人で相談してみない?」

三人。

先生と、あの生徒と、自分。

胸の中の曇りは晴れたはずなのに、今度は別の感情が小さく顔を出した。

先生は楽しそうに続ける。

「ヒナなら絶対似合うと思うんだ。あの子、衣装のことになると本当にすごいから」

「先生」

「うん?」

「その話は、また今度でお願い」

声が少し低くなった。

先生は理由が分からないまま頷く。

「分かった。じゃあ飲み物を持ってくるね」

扉が閉まる。

室内に沈黙が落ちた。

アコがゆっくりとこちらを見る。

「委員長」

「何」

「その生徒について、詳しく調査いたしましょうか?」

「...いや、必要ないわ」

あの子は、悪い生徒ではない。

それは分かっている。

先生へ妙な意図を持っている様子もなかった。

...けど一つだけ、確認しておきたいことはあった。

どうして先生が、あれほど楽しそうに衣装の話をするのか。

どうしてあれほど自然に近付くのか。

それを知らないままでは、また同じことを考えてしまうかもしれない。

ヒナは机の端へ置かれた端末を取り、昨日先生から届いたメッセージを開いた。

『やっぱり何かあった?』

その文字を見つめてから、ゆっくりと画面を閉じる。

先生は来た。

何も頼まず、自分の顔を見るためだけに。

その事実だけで、今は十分だった。

「...服か」

小さく呟く。

アコが首を傾げる。

「はい?」

「...いや、何でもないわ」

今度の返事は、昨日より少しだけ軽かった。

廊下の向こうから、飲み物を探して誰かへ場所を尋ねる先生の声が聞こえる。

ヒナは椅子の背へ体を預け、わずかに目を閉じた。

二十分くらいなら、休んでもいい。

折角先生が来たのだから、少しくらいもてなさないと。

そう思えた時には、昨日から抜け落ちていた力が、ようやく少しだけ戻ってきた。

 




先生は生徒を全く同じように平等に扱うのではなく、全員を特別扱いするって解釈ですね。だから、オーダーメイドな距離感で生徒に接する。その生徒にとって最適な距離感。
まぁ、そりゃ男子生徒である主人公と接する時は距離も縮まりますわな?
主人公にとってもそれが一番心地のいい距離感だからね。
それにどれだけ近くても間違いが起こることがないもんで、遠慮がいらないのです。

グフフ……曇りそうな子がたくさんいるねぇ?
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シスターフッドの長、歌住サクラコ。その側近のマシンガンを得物とするシスターは、シスターフッドの敵となる者を粛清するのだという…▼主人公ちゃん「一マガジンで何もかも一切合切決着します!」▼サクラコ「待ってください!止まって…!……わっぴー!」▼主人公ちゃん「わっぴー!…はっ!?」▼…ていうのを描きたい(願望)▼2026/06/20 1:44▼軌道修正のため4、…


総合評価:499/評価:7.71/連載:6話/更新日時:2026年07月26日(日) 02:27 小説情報


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