あの子だけ先生との距離感がおかしい!! 作:炊き込みご飯くん
ミレニアムの大体の生徒に顔は覚えて貰ってるし、友達と言えなくもないかな、くらいの関係性を築いてる。
けどユウは、それ以上に深く関わろうとしないので親友と呼べる相手はいないよ。
それは、唐突だった。
「今だ!」
廊下の角を曲がったところで、左右から伸びてきた手に腕を取られた。
「確保ーっ!」
「対象の捕獲に成功しました! クエスト目標達成です!」
右にモモイ、左にアリス。二人は待ち伏せていたらしく、僕の腕を一本ずつ抱え込むと、そのまま勢いよく廊下を進み始めた。
「こんにちは、お二人とも」
「挨拶してる場合じゃないよ!」
「これよりユウには、重要参考人として同行してもらいます!」
「参考人なのですね」
「そう! 抵抗しても無駄だから!」
特に抵抗する理由もなかったので、二人に歩調を合わせる。今日は衣装箱を持っていないため、腕を引かれても裾やアクセサリーが乱れる心配はない。念のため窓に映った自分の姿を確認してみたが、低い位置でまとめた髪も、白いリボンも綺麗なままだった。
「それで、どちらへ向かっているのでしょう」
「ふっふっふ...それは着いてからのお楽しみだよ」
「秘密のダンジョンです」
「ゲーム開発部の部室では?」
モモイの肩が跳ねた。
「どうして分かったの!?」
「進行方向がそちらですので」
「まずいよアリス、情報が漏れちゃってる!」
「これは高難度クエストです。敵の洞察力が想定を上回っています」
「僕は敵なのでしょうか」
「今のところは容疑者です!」
「参考人ではなかったのですか?」
アリスは答えに詰まり、モモイを見上げた。モモイも一瞬だけ目を泳がせたものの、すぐに胸を張る。
「細かいことはいいの! ほら、着いたよ!」
勢いよく開かれた扉の向こうは、僕の知っているゲーム開発部の部室とは随分様子が違っていた。
窓には黒い布が掛けられ、照明もほとんど消されている。部屋の中央へ寄せられた机には卓上ライトが一つだけ置かれ、その光が向かい側の椅子を真っすぐ照らしていた。机の奥にはノートを広げたミドリが座っており、僕たちが入ってくると、申し訳なさそうに小さく手を上げた。
「ごめんね、ユウさん。止めたんだけど、お姉ちゃんがどうしてもって」
「ミドリも資料作りを手伝ってくれたじゃん!」
「お姉ちゃん一人に任せると、関係ない写真まで証拠に入れそうだったから」
「全部関係あるよ!」
部屋の隅に置かれたロッカーから、微かに衣擦れの音がした。扉は閉じているように見えたが、よく見ると指一本分ほど隙間が開いており、その奥からこちらを窺う気配がある。
「ユズさんもいらっしゃるのですね」
ロッカーが小さく揺れた。
「い、いない...」
「承知しました」
「承知するんだ...」
ミドリが困ったように笑う。
モモイとアリスに促され、卓上ライトの正面へ座った。光が少し眩しかったので顔の角度を変えると、すかさずモモイが机を叩く。
「顔を背けても無駄だよ!」
「眩しかっただけです」
「あっ、ごめん」
モモイはライトの向きを少し下げてから、もう一度机を叩いた。
「でも、追及の手は緩めないからね!」
「お姉ちゃん、今のでかなり締まらなくなったよ」
「ミドリは黙って記録して!」
「はいはい」
アリスは僕の隣へ回り込み、どこで用意したのか、黒いサングラスを掛けて腕を組んだ。
「ユウ、ここでは真実のみを話してください。嘘を選択すると、バッドエンドへ直行します」
「分かりました」
「黙秘権はありません!」
「アリス、それはたぶん駄目なやつ」
ミドリに注意され、アリスはサングラスを少し下げる。
「では、黙秘権はあります。しかし使用すると、モモイの機嫌が悪くなります」
「取り調べがヒートアップしちゃうかもね!」
モモイは一度咳払いすると、机の下から分厚い封筒を取り出した。表には赤い文字で『極秘』と書かれており、隅にはアリスが描いたらしい剣と盾の絵が添えられている。
「ユウ。今日ここへ来てもらったのは、他でもない」
先ほどまでとは違う低い声で、モモイが言う。
「先生との関係について、洗いざらい話してもらうためだよ!」
「先生との関係、ですか」
「とぼけても無駄! こっちには決定的な証拠が揃ってるんだから!」
封筒から一枚目の写真が取り出され、勢いよく机へ叩きつけられた。
シャーレの玄関前で、先生が僕の前髪へ手を伸ばしている。撮影された瞬間の風が強かったのか、スカートの裾を片手で押さえている僕の髪は随分乱れていた。
「ああ、この日ですか」
「知ってるね!?」
「もちろんです。急に風が吹いたので、先生が髪を直してくださいました」
「え、あ、み、認めた!」
モモイが僕を指さす。
「開始十秒で自白しました!」
アリスも満足そうに頷いた。
「供述と証拠が一致しました。捜査経験値を獲得です」
「自白というほどのことではないと思うけど...」
ミドリはそう言いながらも、ノートへ何かを書き込んでいる。
「『先生、校舎前でユウさんの髪に触れる』っと」
「少し物騒な書き方ですね」
「お姉ちゃんが雰囲気を出せって言うから」
「ちゃんと『親密そうに』って付け足して!」
「それはお姉ちゃんの感想でしょ」
「写真を見れば分かるよ! こんなに顔が近いんだよ!?」
改めて見てみると、確かに先生の顔は近かった。風に煽られる髪を押さえながら整えてくださったので、離れていては難しかったのだろう。
ただ、それよりも気になる部分があった。
「この写真、いただくことはできますか?」
「な、何で!?」
「横から見た時の髪型を確認したかったのです。正面から見た時は綺麗にまとまっていたのですが、後頭部の丸みが少し足りませんね」
「髪型の確認!?」
「はい...ふむ。こちらの編み込みも、もう少し緩めた方が柔らかい印象になるでしょうか...」
「と、取り調べ中になんて胆力...ッ」
モモイが頭を抱え、アリスは写真と僕を交互に見比べる。
「ユウは非常に強い精神防御力を持っています」
「防御しているつもりはないのですが」
「じゃあ、次!」
モモイは一枚目の写真を取り返すと、間を置かず二枚目を叩きつけた。
今度はシャーレの執務室で、先生が僕の後ろに立ち、髪へリボンを結んでいる場面だった。鏡の前に座る僕の表情は真剣で、先生もリボンの形を整えることへ集中している。
「先生に髪を結んでもらってる!」
「はい」
「迷いなく認めるね!?」
「写真に写っておりますので」
「潔く白状したからって、取り調べの手は緩めないよ。さぁ、どうして先生が君の髪を結んでるの!?」
「後ろは自分では見えませんから」
「それなら鏡を使えばいいじゃん。なんなら手探りでいいじゃん」
「鏡越しでは左右を間違えやすいのです。そもそもなかったですし。それに、特にこのリボンは形が崩れやすく、一度で綺麗に結ぶには少し技術が必要でした」
「だから先生に頼んだの!?」
「はい。先生は手先が器用ですので」
ミドリのペン先が止まった。
「先生って、髪を結ぶのが得意なんだ...」
「最初はあまりお上手ではありませんでしたが、何度かお願いしているうちに慣れてくださいました」
「何度か!?」
モモイの声が裏返る。
「先生に何度も髪を結んでもらってるの!?」
「正確には、髪飾りやリボンを付け直していただくことが多いですね。編み込みはまだ難しいようで、以前お願いした際は途中で分からなくなってしまいました」
「編み込みまで頼んだことあるんだ...」
ミドリが小さく呟き、ノートへ視線を落としたまま、さりげなく質問を続ける。
「それって、シャーレで?」
「はい」
「二人だけだったの?」
「その時は、そうですね」
ミドリのペンが紙の上で止まった。
モモイがゆっくりと妹の方を向く。
「ミドリ、今の質問、私より取り調べっぽかったよ」
「ただの確認だから」
「顔が真剣だけど」
「照明のせいだよ」
その時、ロッカーの扉がほんの僅かに開いた。暗い隙間の奥から、途切れがちな小声が漏れてくる。
「……いつも……二人だけなの?」
「いつもというわけではありません。先生にはお仕事がありますし、当番の方がいらっしゃる日もありますから」
「……当番が、いない日は?」
「それはまぁ、二人になることが多いですね。物理的に」
扉が静かに閉じた。
直後、ロッカーの内側で何かが壁へぶつかる音がする。
「ユズさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫...」
「あまり無理な姿勢を取らない方がよろしいかと」
「う、うん...」
「容疑者がユズを心配しています!」
アリスが手を挙げる。
「これは説得イベントでしょうか」
「何でユウがこっちを心配する流れになってるのさ」
モモイは封筒の中を探り、三枚目の写真を取り出した。
「じゃあ、これはどう説明するの!」
写真には、ソファへ腰掛けた僕と先生が写っていた。先生は僕の顔へ手を伸ばし、頬の近くへ指を添えている。撮られた角度のせいか、向かい合った二人が見つめ合っているようにも見えた。
「これは...」
「今度こそ言い逃れできないでしょ!」
「先生に顔を触られています! 凄く近いです!」
「はい。この時は頬のラメを取っていただきました」
「...ラメ?」
「新しいアイシャドウを試したのですが、粉が少し落ちていたようです。先生が教えてくださったので、取っていただきました」
「自分で取ればいいじゃん!」
「僕からは見えない場所でしたので」
「さっきから全部それじゃん!」
「見えない部分を確認していただくことが多いですから」
モモイは写真を持ったまま固まり、やがて机へ両手をついた。
「先生、どれだけユウのこと見てるの...?」
「衣装の感想をお願いしておりますので、よく見てくださいますね」
「感想って、どこまで?」
ミドリの問いかけには、先ほどまであった呆れがほとんど残っていなかった。ノートへ書き込む手は止まり、僕の答えを待つように顔を上げている。
「全体の印象から細かな部分までです。色の組み合わせや布の質感、髪型との相性についても意見をくださいます」
「先生って、そんなに詳しかったっけ」
「初めはそれほどでもありませんでしたが、今ではかなりお詳しいですよ」
「育てたの!?」
「僕が尋ねる機会が多かったので...もしかしたら、勉強してくださったのかもしれません」
「先生を専属のファッションアドバイザーみたいにしてる...」
モモイが椅子へ崩れ落ちる横で、アリスが目を輝かせた。
「先生は経験値を獲得し、ジョブレベルが上昇したのですね!」
「その表現は分かりやすいですね」
「分かりやすいんだ...」
ミドリが額へ手を当てる。
ロッカーの扉が再び僅かに開いた。
「……先生は……毎回、可愛いって言うの?」
小さな質問だったが、部屋の中が急に静かになった。
モモイもアリスも、返事を待ってこちらを見ている。ミドリだけはノートへ視線を落としていたものの、ペン先は動いていない。
「はい。よく褒めてくださいます」
「よく!?」
モモイが即座に食いつく。
「どのくらいよく!?」
「新しい衣装をお見せした時は、ほとんど毎回ですね」
「毎回...」
「ただ、可愛いと言うだけではなく、どの部分が良いかも教えてくださいます。先日は、襟元のレースが顔の印象を柔らかく見せていると仰っていました」
「具体的すぎるよ!」
「丁寧に見てくださっている証拠です」
「その言い方! その言い方がもう駄目!」
モモイが頭を抱えて机へ突っ伏した。
「先生、私が新しいゲーム見せても『面白そうだね』くらいしか言ってくれないのに!」
「実際に遊んでいただいてから感想を聞けば、詳しく教えてくださるのではありませんか?」
「そういう問題じゃない!」
「では、どのような問題でしょう」
「それが分からないから取り調べしてるの!」
「なるほど」
僕が頷くと、アリスも深く頷いた。
「謎がさらに深まりました。推理ゲームとしては順調です」
「順調じゃないよ! むしろユウが素直に答えすぎて、こっちが追い詰められてるんだけど!」
「僕は何か隠した方がよかったでしょうか」
「隠しちゃだめ!」
「難しいですね」
本当に難しい。何を答えてもモモイの疑問は増えるらしく、机の上にはすでに何枚もの写真が広がっていた。
先生が僕の髪を整えている写真。
服の襟元へ指を添えている写真。
隣り合ってソファに座っている写真。
シャーレの玄関で僕を見送っている写真。
どれも見覚えのある場面だったが、こうして並べられると、衣装制作の記録写真のようにも見える。
「モモイさん」
「何?」
「これらの写真は、どなたが撮影されたのでしょう」
モモイの目が泳いだ。
「そ、それは捜査上の秘密」
「お姉ちゃんだよ」
「ミドリ!」
「物陰から撮ってた」
「尾行までしてたんだね」
ロッカーの中からユズの声がした。
「アリスも協力しました! 草むらへ潜伏し、ステルスミッションを実行しました!」
「皆さんで撮影してくださったのですね」
写真の一枚を手に取り、光へかざす。
「構図が綺麗です。特にこちらは、スカートの広がり方がよく分かります」
「怒らないの?」
「何にでしょう」
「勝手に写真撮ったこと」
「次から一言いただければ、より綺麗に写る角度を選べますよ」
「そこなんだ...」
「せっかくですから、衣装が最も映える状態で残した方がよいと思います」
モモイは口を開けたまま僕を見つめ、やがて両手で机を叩いた。
「やっぱり調子が狂う!」
「ユウは通常の選択肢を選びません」
「別に変なことを申し上げたつもりはないのですが」
「そういうところだよ!」
モモイは一度大きく息を吸うと、封筒の底から最後の一枚を取り出した。それまでの写真より大きく印刷され、赤い丸や矢印まで書き込まれている。
「これが決定的証拠だよ」
写っていたのは、シャーレの廊下で先生と並んで歩く僕の姿だった。先生の腕は僕の肩へ回り、僕も少し体を寄せて笑っている。先生が何か冗談を言った直後だったのだろう。詳しい内容は思い出せなかったが、楽しかったことだけは覚えている。
「どうして肩を抱かれてるの?」
「この日は僕が少し疲れていたので、先生が支えてくださいました」
「疲れてただけで肩を抱く!?」
「靴の踵が高かったため、少し歩きにくかったのです」
「何でそんな靴でシャーレへ行ったのさ」
「この衣装には、その高さが最も合いましたから」
「転ぶくらいなら低くしてよ!」
「次から気を付けます」
素直に答えると、モモイは続く言葉を失った。
ミドリが写真へ顔を近づけ、赤い矢印の先を指でなぞる。
「でも、これ...支えてるというより、普通に肩を組んでるように見える」
「途中から歩けるようになりましたので、そのままお話をしていました」
「そのまま!?」
「先生も特に離れる理由がなかったのでしょう」
「女子生徒とこんな歩き方する理由もないと思うけど...」
ミドリの声は小さかった。
「先生にとっては、問題のない距離なのでしょう」
「何で?」
「僕だからではないでしょうか」
(同性同士の距離感としてはこのくらいが普通でしょうし)
などと思いながら僕がそう答えると、四人は揃って黙り込んだ。
モモイは目を細め、ミドリは僅かに眉を寄せる。アリスは難しい謎へ遭遇したように腕を組み、ロッカーの扉も動かなくなった。
「それって...」
ミドリが慎重に口を開く。
「先生が、ユウさんだから特別にしてるってこと?」
「特別と言うほどではないと思います」
「でも、他の生徒にはしないよね?」
「そうなのですか?」
「そうだよ!」
モモイが勢いよく立ち上がった。
「先生は私の髪を結んでくれたこともないし、ミドリの顔に付いたラメを取ったこともないし、アリスの衣装を顔がくっつきそうな距離で確認したこともない!」
「では、先生へお願いしてみてはいかがでしょう」
「な、何を?」
「髪を結んでいただくことです。先生は練習しましたので、簡単なリボンであれば綺麗に仕上げてくださいますよ」
「できるかーっ!」
「どうしてでしょう」
「そ、そりゃ、だってぇ...ッ」
モモイの叫びが部屋へ響いた直後、扉の向こうから控えめなノックが聞こえた。
全員の動きが止まる。
「入っても大丈夫?」
聞き慣れた声。誰なのかは、すぐに分かった。
「あ、うん、どうぞ」
扉が開き、そこから先生が顔を覗かせた。
薄暗い部屋と、机の上へ広げられた大量の写真、その中央で卓上ライトを浴びている僕を見て、先生は何度か瞬きをする。
「ええと...何をしてるの?」
「取り調べです!」
アリスが元気よく答えた。
「取り調べ?」
「ゲーム開発部特別捜査本部は、ユウと先生の関係を捜査しています!」
「私とユウの?」
先生はますます分からないといった顔をしながら、部屋へ入ってくる。
「えぇっと、ユウカから頼まれて、部費に関する書類を届けに来たんだけど」
「貰いますね」
ミドリが先生から書類を受け取る。その最中に、モモイが慌てて机の上の写真を集めようとしたが、途中で動きを止めた。
「……待って」
「どうしたの、モモイ」
「ちょうどいいところに来たね、先生」
それまでユウへ向けられていた卓上ライトが、音を立てて先生の方へ回された。
「眩しいな」
「さぁ先生! そこに座って!」
「え?私も?」
「今から取り調べの第二部を始めるよ!」
モモイが向かい側の空いている椅子を指さす。先生は僕と四人の顔を順番に見回したものの、誰も冗談だと説明してくれないと分かると、諦めたように椅子へ腰を下ろした。
「分かったけど、あまり長いのは困るよ。仕事が残ってるから」
「容疑者はみんなそう言います!」
「いつから容疑者になったの?」
「座った瞬間からです!」
アリスが胸を張る。
先生は小さく笑い、机へ肘をついた。
「それで、何を聞きたいの?」
その落ち着いた態度が気に入らなかったのか、モモイは封筒の中から一枚目の写真を引き抜いた。
「まず、これ!」
シャーレの玄関前で、先生が僕の前髪を直している写真だった。
「先生はこの写真に見覚えがありますか!」
「あるよ」
「認めるの!?」
「写真に私が写ってるからね」
僕と同じ答えを返され、モモイの顔が引きつる。
「じゃあ聞くけど、何でユウの髪を触ってるの!」
「乱れてたから?」
「自分で直してもらえばよかったでしょ!」
「鏡がなかったし、すぐ直せると思って」
先生は何でもないことのように答えた。
ミドリがノートを開き、先ほどの記録の下へ新しい一文を書き加える。
『先生、本人の判断で髪を直した』
「み、ミドリ?その書き方は合ってるけど、何か恣意的じゃない?」
「事実ですから」
「先生、反省しているの!」
「えっと、何を?」
モモイが机を叩いた。
「その態度! ユウにだけ距離が近すぎるの!」
「そうかなぁ」
「そうだよ!」
「他の子の髪が乱れてたら教えると思うけど」
「教えるだけでしょ?」
「本人が直せなかったら手伝うかもしれない」
モモイが言葉を失い、ミドリが横から静かに問いかける。
「それじゃあ、私の髪が乱れていたら直してくれるんですか?」
「ミドリが嫌じゃなければね」
「……そうですか」
ミドリはノートへ視線を落とした。
「何でちょっと嬉しそうなの、ミドリ!」
「嬉しそうじゃないよ」
「声がいつもより柔らかいよ!」
「照明のせい」
「絶対関係ないよ!?」
アリスが手を挙げる。
「先生、アリスの髪も直せますか?」
「もちろん」
「では今度、髪型変更イベントをお願いします!」
「いいよ。私にできる髪型なら喜んで」
「予約が成立しました!」
「アリスまで乗っからないで!」
モモイは写真を回収し、すぐさま二枚目を突きつけた。
「じゃあこれは!?」
先生が僕の髪へリボンを結んでいる写真だった。
先生はしばらく写真を眺めた後、少しだけ眉を寄せる。
「この時は、右が下がってたんだよね」
「覚えてるんだ!?」
「ユウに後で指摘されたから」
「先生は何度もユウのリボンを結んでるって本当ですか?」
ミドリの質問は、先ほどよりも明らかに早かった。
「何度もってほどじゃないけど、頼まれたら手伝うよ」
「最初は下手だったとも聞きました」
「それは本当。思ったより難しいんだよ、あれ」
先生は苦笑し、自分の指先を見る。
「綺麗に左右を揃えようとすると、結構集中が必要で...」
「先生」
モモイの声が低くなった。
「何でそんな詳しくなってるの?」
「何度かやったから」
「何度かやってるじゃん!」
「これは、論破イベントです!」
アリスが先生を指さす。
「供述に矛盾が発生しました!」
「何度もと何度かは違うと思うけど」
「言葉で逃げようとしています!」
「アリス、ずいぶん楽しそうだね」
「はい! 先生は強敵です!」
先生は困ったように笑い、机の上へ並んだ写真へ目を落とした。
「みんな、これを撮るためにユウを追いかけてたの?」
「え、あれ?き、気づいてたの?」
「ヘイローが見えてたから」
先生が事もなげに答える。
アリスは驚愕の表情を浮かべるモモイの前へ割り込み、三枚目の写真を掲げた。
先生が僕の頬へ手を伸ばしている場面である。
「では先生、このイベントでは何をしていたのですか?」
「頬に何か付いてたから取っただけだよ」
「何が付いていたか覚えていますか?」
「えっと...ラメだったかな」
「ら、ラメ!」
モモイが椅子から立ち上がる。
「何でそんな細かいこと覚えてるの!?」
「ユウが新しい化粧を試した日だったから」
「親密度イベントですね!」
「か、感想とか言ったの?」
「目元が明るく見えていいんじゃないかって」
モモイが机へ突っ伏した。
「ちゃんと見てる...」
「質問されたから答えただけだよ」
「先生はユウの服やメイクを、いつもそんなに詳しく見ているのですか?」
ミドリが問う。
先生は少し考えるように腕を組んだ。
「感想を求められた時、ちゃんと答えてあげたいからね。適当に可愛いと言うだけじゃ、ユウも困るだろうし」
「先生」
モモイがゆっくり顔を上げる。
「私たちがゲームを見せた時も、それくらい真剣に感想を言ってる?」
「言ってるつもりだけど」
「昨日、私が新しいシナリオを見せた時は『勢いがあってモモイらしいね』だけだったじゃん」
モモイは、これまでの勢いが嘘のように...まるで、拗ねた子供の様に口を尖らせた。
先生は、少しだけ大きく瞳を開いた。
モモイの表情には、明らかに負の感情が滲んでいた。不満、不服...それ以前に、悲しそうに見えた。
先生は、慎重に言葉を選んでいるのか、顎に指を当てて思案すると...ゆっくり、口を開いた。
「...シナリオの分岐の仕方に、一工夫入れてたよね?」
「...え?」
モモイは顔を上げる。
続けて、先生はミドリの方を向いた。
「ミドリのイラストも、最近色の使い方が変わったよね」
「は、はい」
更に、奥のロッカーへ。
「ユズの作った部分も、遊びやすくなってたよ。ね、アリス」
「はい!先生との協力プレイは順調でした!」
ロッカーの中で小さな音がした。
「...本当? ...良かった」
扉の隙間が僅かに広がる。
モモイは、目を見開いていた。
「ちゃんと、見てくれてたの?」
「勿論だよ。みんなの作るゲームは、心から楽しんで作ってるのが伝わってくるし。いつも楽しみにさせて貰ってたんだ...ごめん、もっとちゃんと、口に出すべきだった」
「せ、先生...ッ!」
先生の言葉に、モモイはキラキラと瞳を輝かせて...
「ハッ!」
突如我に返ったかのように半歩退いた。
「ちょっと待って! 今ので何かいい話みたいになってるけど、取り調べ中だからね!」
「あ、まだ継続してるんだ」
「先生が全員を褒め始めたせいで、捜査本部の士気が下がっています! 先生は策士です!」
「そういうつもりじゃなかったんだけどな...」
「先生が私たちのこともちゃんと見てくれてるってことは分かった。けどね、これからが本番なんだから。アリス、見せてあげて!」
「では、最重要証拠へ進みます!」
アリスが大きな写真を両手で持ち上げた。
先生が僕の肩へ腕を回し、並んで歩いている写真である。
「この密着イベントについて、説明してください!」
「ユウが歩きにくそうだったから支えてただけだよ」
「途中から普通に歩けるようになった後も、そのままだったそうじゃん!」
モモイが追及する。
「ああ、そのまま話しながら歩いてたかも」
「どうして離れなかったの!?」
「別に困ってなさそうだったから」
「先生は困らないの!?」
「何が?」
モモイは目を見開き、机を何度も叩いた。
「そこ! そこなんだよ!」
「机が壊れるよ」
先生が苦笑する。
モモイは口を開きかけたものの、言葉が出てこないらしい。代わりにミドリがノートを閉じ、先生を真っすぐ見た。
「つまり。先生は、ユウさんにだけ距離が近いです」
「そう?」
「そうです」
今度は迷いのない答えだった。
「髪を直したり、リボンを結んだり、顔に付いたものを取ったり、肩を組んだりします。他の生徒には、そこまでしません」
先生は、ほんの一瞬だけ目を逸らした。
「必要がないからじゃないかな」
「必要があれば、私たちにもするんですか?」
「まぁ、嫌じゃなければ」
「じゃあ、どうしてユウさんには毎回確認しないんですか?」
先生が僅かに首を傾げる。
「ユウは、嫌なら嫌って言うから」
「私たちも言います」
「うん。だから、みんなにも必要なら確認するよ」
ミドリはそれ以上言葉を続けなかった。
答え自体は公平だった。先生は誰か一人を選んでいるのではなく、頼まれたことや必要なことへ、その都度応えているだけなのだろう。
それでも、目の前に並んだ写真の数は減らない。
モモイは納得していない顔で腕を組み、先生を睨んだ。
「じゃあ最後に聞くけど、先生はユウのことを特別だと思ってないの?」
部屋の中が静まり返った。
アリスもサングラスを外し、ミドリは先生の返事を待つ。ロッカーの扉も、先ほどより僅かに開いていた。
先生はすぐに答えず、机の上に並んだ写真を一枚ずつ眺めた。
「特別だよ」
モモイの肩が跳ねる。
「やっぱり!」
「みんなと同じようにね」
勢いよく立ち上がりかけたモモイが、その場で止まった。
先生は困ったように笑う。
「モモイも、ミドリも、アリスも、ユズも、ユウも、私にとっては大事な生徒だよ。でも、同じ接し方をすればいいとは思ってない。それぞれ違うから、必要なことも違うでしょ」
「でも、ユウだけ近い!」
「そう見えるなら、そこは私も気を付けた方がいいかもしれないね」
先生はあっさり認めた。
モモイたちは予想していなかったのか、一斉に黙り込む。
「ただ、ユウに頼まれたことを断る理由もないし、困っていたらこれからも手伝うよ。もちろん、みんなが困っている時も同じ」
「……ずるい答え」
モモイが頬を膨らませる。
「そうかな」
「そうだよ。怒れないじゃん」
「怒るために取り調べしてたの?」
「そ、そんなつもりじゃなかったけど...」
アリスが元気よく手を挙げた。
「先生、アリスから追加質問があります!」
「どうしたの?」
「先生は今後、アリスが新しい装備を獲得した際、ユウと同じ熱量で感想を述べられますか?」
「装備?」
「新しい服です!」
「もちろん」
「髪型が乱れた場合は?」
「直すよ」
「頭を撫でるイベントは発生しますか?」
「頑張った時なら」
アリスは両手を上げた。
「交渉成立です!」
「アリス、何を勝手に取り決めてるの!」
「モモイも質問すればいいのです」
「わ、私は別に!」
「お姉ちゃん、さっきから一番気にしてたよね」
「ミドリまで何なの!?」
ロッカーの中から、小さな声が聞こえた。
「……先生」
「うん?」
「……今度、ゲームを最後まで遊んでくれる?」
「もちろん。完成したら、みんなで一緒にやろう」
「……うん」
扉が少しだけ開き、ユズの顔が半分ほど覗く。
モモイはそんな三人を見回し、最後に僕へ視線を向けた。
「...ユウは、どう思ってるの?」
「はい?」
「だから、先生のこと...」
「先生は皆さんのことも、よく見ていらっしゃるのですね」
「そういう綺麗な感想じゃなくて!」
「...そうですね」
僕は、少しだけ考え込んだ。
「...信頼できる方です。誰よりも」
僕の回答に、モモイは押し黙った。僕は構わず、言葉を続ける。
「とにもかくにも、取り調べは成功なのではありませんか?」
「え?」
「ほら、先生のお考えを確認できました」
モモイはしばらく口をぱくぱくと動かした後、再び机へ突っ伏した。
「何か丸め込まれた気がする...」
「先生とユウは会話スキルが高いです」
アリスが真剣な顔で頷く。
「なんだか、私たちが勝手に大騒ぎしてただけだったね」
ミドリが写真を一枚ずつ集め始める。
先生も手伝おうと腕を伸ばしたが、その中の一枚を見て動きを止めた。
「これ、よく撮れてるね」
モモイが顔を上げる。
「どれ?」
「ユウの服が綺麗に写ってる」
「同じこと言ってるぅ!!!」
モモイは再び机へ額を打ち付けた。
「ほんとにそういうところだよ、先生」
先生が苦笑すると、ミドリとアリスが笑い、ロッカーの中からも小さな笑い声が漏れた。
「では、捜査はこれで終了ですか?」
「まだ終わってないよ!」
モモイが勢いよく立ち上がる。
「次は先生が本当に全員へ同じように接するか、経過観察する!」
「それは監視じゃない?」
「捜査です!」
「名称を変えても同じだと思うけど」
「アリスは長期クエストへ移行します!」
「……私も、少しだけなら」
ユズまで小さく手を挙げる。
先生は困ったように僕を見た。
「ユウ、何とか言ってくれない?」
「皆さんが楽しそうで何よりです」
「ユウまでそっち側なの?」
先生のため息へ、四人の笑い声が重なった。
ゲーム開発部特別捜査本部は、その日をもって解散することなく、活動内容だけを少し変えて存続することになった。
これくらいの嫉妬度ならね、まだいいんですよ。誤解を解くのもそれほど苦じゃないから。
問題は激重感情生徒たちなんですよ。
ねぇ?先生。頑張ってね。
曇らせについて
-
肯定派
-
否定派