あの子だけ先生との距離感がおかしい!! 作:炊き込みご飯くん
「コハルちゃーん☆」
自分を呼ぶ声が聞こえた瞬間、コハルの肩が目に見えて跳ねた。
振り向く前から、誰が近づいてきているのか分かってしまったのだろう。抱えていた教材を胸元へ引き寄せ、わずかに背筋を伸ばしたところへ、長い桃色の髪を揺らしたミカが追いついた。
「ミ、ミカ様。こんにちは」
「うん、こんにちは☆ 今日も補習?」
「今日は普通の課題です! いつも補習を受けているみたいに言わないでください!」
「そうだったんだ。ごめんね?」
口では謝りながらも、ミカは楽しそうに笑っている。
コハルは少し不満そうに頬を膨らませたものの、立ち去ろうとはしなかった。
以前なら、ミカに話しかけられただけで何を企んでいるのかと警戒したかもしれない。今でも完全に気を許しているわけではないが、自分が助けたことをきっかけに、ミカが妙に懐くようになってからしばらく経つ。会うたびに明るく話しかけられ、時にはお菓子まで渡されるうちに、慌てることには慣れなくても、逃げ出すほどの緊張はなくなっていた。
「それで、どうしたんですか?」
「用事がなかったら話しかけちゃ駄目?」
「駄目じゃないですけど...」
「よかった。じゃあ、一緒にお茶しよ☆」
「今からですか!?」
「ちょうどロールケーキをもらったんだ。コハルちゃんと食べようと思って」
ミカが提げていた紙袋を持ち上げると、コハルの視線がそこへ吸い寄せられた。
断る理由を考えているようだったが、甘い香りが漂ってきた瞬間、分かりやすく言葉に詰まる。
「少しだけですよ」
「やった☆」
二人が向かったのは、校舎の端にある小さな談話室だった。
放課後には生徒が集まる場所だが、今日は珍しく誰もいない。コハルが紅茶を用意している間にミカがロールケーキを切り分け、窓際の机を挟んで腰を下ろした。
「...えっと、何かあった?コハルちゃん」
最初は授業や課題について話していたはずなのに、ロールケーキが半分ほどなくなった頃には、何故か神妙な空気になっていた。
シリアスな話題に移ったりした訳では無い。
ただ、先生の話が出た途端、コハルの頬が赤くなったため、何かあったのかと軽く尋ねただけだ。
たったそれだけの事で、目に見えてコハルの様子がおかしくなってしまった。
「...あの子が」
「あの子?」
ミカが首を傾げると、コハルは口を閉じた。
言ってしまった、と顔に書いてある。
「誰のこと?」
「いや、その」
コハルは忙しなく眼球を動かし続ける。何かを誤魔化そうとしている。ミカは、そんな空気を察した。
「...もしかして、誰かに嫌なことでもされてるの?」
「え!?」
「もしそうなら、相談して欲しいな」
「ち、違います!」
ミカが、不穏な勘違いをしてしまった。コハルは慌てて、手を体の前で左右に振りながら否定する。
「あ、違うんだ」
じゃあ、コハルちゃんは何を誤魔化そうとしてるの?とミカは小首を傾げた。
「その...ミレニアムの生徒で、白峰ユウって子がいるんです」
「ユウ?」
知らない名前だった。
「その子が、その...すっごく、先生とその...」
「...ふーん」
ミカは、極めて冷静に相槌を打った。
別に、先生が生徒と仲がいいなんてこと、珍しくもなんともない。
ただ、コハルの言葉の詰まり具合に、妙に引っかかった。単純に仲がいい、という話でもないのかもしれない。
「そのユウって子と先生が、コハルちゃんが気になるくらい仲良しなの?」
「仲良しというか...その...」
「付き合ってるとか?」
「つ、付き合っ...!?」
コハルの椅子が床を擦り、大きな音を立てた。
「そんなわけないでしょう! 先生と生徒ですよ!? そういうのは駄目です! 死刑です!」
「アハハ☆ 冗談だよコハルちゃん。先生が生徒と付き合うわけないじゃんね☆」
「......」
「...コハルちゃん?」
露骨に視線を逸らしたコハルに、ミカは不穏なものを感じ取る。
「...ちなみに、そのユウって子と先生の間には、実際何があったの?」
「...く、詳しくは言えないです」
「どうして?」
「い、言えないです!」
コハルは耳まで赤くし、紅茶へ視線を落とした。
ミカは目をぱちくりと瞬かせて、恐る恐ると言った様子で呟く。
「もしかしてエッチなことぉ...だったりし...て?」
「/////ッ!!!」
「コハルちゃん? コハルちゃん??? 違うよね? その、否定して欲しいんだけど...」
「違います、あれ、あれは...エッチなんかじゃない...はず...」
最後の二文字が、ほとんど消え入りそうな声になった。
「はず?」
ミカが聞き返すと、コハルは自分の失言に気付いたらしく、両手で口元を覆った。
「今のは忘れてください!」
「無理だよ。そんな言い方されたら、余計に気になるじゃん」
「忘れてくださいったら忘れてください!」
「何をしたのかは教えてくれないんだ?」
「言いません!」
話はそこで終わってしまった。
コハルがそれ以上は口を割らず、ミカも無理に聞き出すことはしなかった。
とにかく分かったことは、白峰ユウという可愛い女子生徒がいること。
先生とのただならぬ何かがありそうであるということ。
具体的に、それが何であるのかは分からない。
手元に残ったのは、その程度の曖昧な情報だけだった。
〇〇〇
数日後、ミカはシャーレへ訪れていた。
約束をしていたわけではない。ただ、今日は休日で、先生の仕事も比較的少ないと聞いたので、午後から一緒に出かけられないか聞きに来ただけだ。
執務室へ入ると、先生は珍しく机の上を片付けていた。
以前なら書類の山を左右へ移し、空いた場所を作っただけで片付けたと言い張っていたところだが、今日は種類ごとに揃えて棚へ収めている。
「先生、今日は真面目だね☆」
「最近、身の回りが乱れてると無性に整えたくなるんだ」
先生は目を逸らした。
ミカはどこか意味深な気配を感じつつ、机の前へ立ち、少し身を屈めて先生の顔を覗き込む。
「午後って空いてる?」
「急ぎの連絡が来なければ大丈夫だと思うけど」
「じゃあ、一緒にお出かけしようよ。久しぶりに先生とゆっくりしたいな☆」
「どこか行きたいところがあるの?」
「まだ決めてないけど、先生と一緒ならどこでも楽しいよ」
先生が返事をしようとした時、執務室の扉が開いた。
「先生、お時間よろしいでしょうか」
聞き覚えのない、穏やかな声だった。
振り向くと、一人の少女が入口に立っている。
淡い色の髪は丁寧に整えられ、立ち居振る舞いには落ち着きがある。一目で分かるほど洗練された動作の一つ一つには、思わず目を奪われるようだった。そしてなんと言っても、可愛かった。
先生は少女の姿を認めると、普段と変わらない声で言った。
「あ、ユウも来てたんだ」
ユウ。
コハルが話していた生徒の名と、目の前の少女が重なった。
ミカは反射的に先生の表情を確かめた。
特別に嬉しそうな顔をしたわけではない。
椅子から立ち上がって迎えに行くこともなければ、髪や服へ触れる様子もなかった。ただ、よく知る生徒へ向ける自然な笑みが浮かんでいるだけだ。
ユウの方も、先生を見たからといって声を弾ませたり、距離を詰めたりはしない。扉の近くで一礼し、ミカへ視線を移した。
「お話の途中でしたか」
「大丈夫だよ。どうしたの?」
「午後にお時間があれば、商業区までご同行いただけないかと思いまして」
先生とユウの距離は、机を挟んだまま変わらない。
話し方も普通だ。
コハルから聞いた内容が強く印象へ残りすぎていたのかもしれない。少なくとも今の二人を見ただけなら、特別な関係には見えなかった。
ミカはわずかに肩の力を抜いた。
「もしかして、君が白峰ユウちゃん?」
声を掛けると、ユウは少し目を見開いた。
「はい。白峰ユウです」
「私はミカ。聖園ミカだよ☆」
「存じております。お会いできて光栄です、ミカさん」
丁寧な挨拶だった。
ミカを警戒している様子も、先生との親しさを誇示する態度もない。むしろ初対面の年上へ接する態度として、十分すぎるほど礼儀正しい。
「私のこと、知ってるんだ?」
「ミカさんをご存じない方は少ないと思います。トリニティのティーパーティー。他学園に疎い僕でも、その名は何度も耳にしてきました」
「なんか照れるな☆ ...まぁ、もう今はティーパーティーじゃないんだけどね」
「そうなのですか?」
ユウは不思議そうに首を傾げた。
「それで、ユウはどこへ行きたいの?」
先生が尋ねる。
「期間限定の服飾店です。髪飾りやレースも扱っているそうですので、先生にもご意見をいただければと思いました」
「ああ、前に言ってたお店?」
「はい。本日から営業を始めています」
「今日からだったんだ」
二人の会話には、以前からその店について話していたことを示す自然なつながりがある。
だが、先生の口調は普通だった。
ミカに対する時より冷たいわけでも、甘いわけでもない。
先生は少し考え、二人の顔を順番に見た。
「ミカも商業区で大丈夫なら、三人で行こうか」
ミカは一瞬だけ返事を止めた。
今日は先生と二人で過ごすつもりだった。それでも、ユウはミカが先に先生を誘っていたことを知らない。偶然同じ時間に来ただけの相手を追い返して、自分だけが先生を独占するのも少し大人げない。
それに、実際に話してみれば、ユウはコハルが大騒ぎするほど危険な相手には見えなかった。
「いいよ☆」
ミカは笑って頷いた。
「ユウちゃんの買い物が終わったら、私の行きたいところにも付き合ってくれる?」
「もちろんです。ミカさんにも商品についてご意見をいただければ嬉しいです」
「私の意見?」
「はい。ミカさんは華やかな装飾がお似合いですので、選ぶ際の参考になるかと」
裏のない言葉だった。
先生の前で取り入ろうとしているというより、本当に服飾の話をしているだけらしい。
「そっか。じゃあ、私もちゃんと選んであげるね☆」
〇〇〇
三人でシャーレを出ると、先生は自然に中央へ入った。
ユウとの距離を意識しているのだと、ミカはまだ知らない。ただ、どちらか一人へ偏らないようにしていることは伝わってきた。
道中、先生は最初にミカへトリニティでの生活を尋ね、次にユウへミレニアムでの様子を聞いた。話題が途切れれば、街に新しくできた店や最近見た映画について振り、三人全員が会話へ入れるよう気を配っている。
ユウも先生との共通の話ばかりを持ち出さず、ミカへ自然に話を振った。
「ミカさんは、普段どのようなお店へ行かれるのですか」
「私は服より、お菓子のお店が多いかな。可愛い服も好きだけど、自分で作ったりはしないし」
「......」
「...えっと。どうかした?」
「いえ。申し訳ありません。ミカさんの服がとても可愛かったもので。ミカさんの雰囲気に非常にマッチしていますし、髪飾りやブレスレットなどとの相乗効果も凄まじいです。一体、何からこのような着想を?」
「えっと、なんとなく、かな?」
「なるほど...ミカさん、貴方は天才です」
「え、えへへ☆ それほどでもないよ☆」
ミカは嬉しくなって、少し歩みを軽くした。
ユウは可愛い。
礼儀正しく、気配りもできる。
先生との距離も、今のところは普通の生徒と教師に見える。
コハルの説明が大げさだったのだろう。
そう結論づけるには、十分だった。
目的の服飾店へ到着すると、それまで穏やかだったユウの目に明らかな光が宿った。
入口のすぐ近くに並ぶ髪飾りを見ただけで足が止まり、一つずつ形や素材を確認していく。声を荒らげるわけでも、飛び跳ねるわけでもないが、話す内容が急に細かくなった。
「こちらは色合いが非常に綺麗ですね。ただ、花びらの縁が厚いため、横から見た時に少し重い印象が出るかもしれません」
「そこまで分かるの?」
ミカが覗き込むと、ユウは髪飾りを横へ傾けた。
「光の反射がこの部分で途切れていますので。正面から見る分には問題ありませんが、髪へ付けた際には角度が変わります」
「へぇ...本当に好きなんだね」
「はい」
ユウは迷いなく頷いた。
その表情は、先生と話している時よりも少しだけ楽しそうに見える。先生へ近づくために服を利用しているのではなく、服そのものを心から好きなのだと、ミカにもすぐ分かった。
先生も、ユウの説明を邪魔せず聞いている。
時折感想を求められれば答えるが、以前から聞いていたような過剰な距離の近さはない。ユウが髪飾りを当てる時も、自分から手を伸ばさず、鏡の位置を教えるだけだった。
「ミカさん」
少し離れた棚を見ていたユウが戻ってくる。
手には、桃色の石と白い羽根を組み合わせた髪飾りがあった。
「こちらは、ミカさんに似合うと思います」
「私に?」
「はい。髪の色と調和しながら、白い部分がよい差し色になります。現在のお召し物にも合うかと」
渡された髪飾りを、ミカはしばらく眺めた。
ユウ自身の買い物に付き合っているだけだと思っていたのに、自分へ似合う物まで探してくれていたらしい。
「ありがとう。付けてみてもいい?」
「もちろんです」
鏡の前で髪へ当てようとしたが、位置が上手く定まらない。
ミカは先生へ顔を向けた。
「先生、どこに付けるのがいいと思う?」
「もう少し上かな。髪に隠れない位置の方がよく見えると思う」
「付けてくれないの?」
先生の目が僅かに泳いだ。
「自分でできそう?」
「出来るけど、ちょっぴり難しいかも」
「それじゃあ、出来なかったら私が手伝うよ」
ミカは、スッと視線をスライドさせて、ユウを見る。
先ほどからユウは鏡を使って自分で位置を確かめていた。先生がユウだけへ触れるのを避けているわけでも、ミカだけを拒んでいるわけでもない。
「そっか」
ミカは自分で位置を調整した。
「これくらい?」
「うん。よく似合ってる」
「本当?」
「本当だよ。明るい色だけど、ミカの髪に馴染んでる」
先生は具体的に答えた。
適当に褒めたわけではないと分かり、ミカの表情が自然に緩む。
「じゃあ、これにしようかな☆」
その後も三人で店内を見て回った。
ユウは商品について語り始めると熱が入るものの、先生だけへ意見を求めるわけではなく、ミカにも何度も尋ねた。
先生も二人を平等に扱い、どちらか一人とだけ会話を完結させることはない。
買い物を終える頃には、ミカの中に残っていた警戒心はほとんど消えていた。
コハルは考えすぎたのだ。
ユウは少し変わっているが、悪い子ではない。
先生との距離も、普通だ。
むしろ服の話ばかりしているため、恋愛的な駆け引きをする姿など想像しにくい。
店を出ると、午後の日差しは思っていたより強かった。
先生の提案で広場のアイスクリーム店へ寄り、近くのベンチで休憩することになった。
先生はバニラ、ミカは苺とミルクの二段、ユウは白桃のシャーベットを選んだ。
座る位置は、先生が中央だった。
ミカが左、ユウが右へ腰を下ろす。
先生が二人の間へ入ったことにも、今のミカは特別な意味を感じなかった。
三人で話しやすいようにしただけだろう。
「今日はどうだった?」
先生が尋ねる。
「楽しかったよ☆ 可愛い髪飾りも見つかったし」
「僕も非常に参考になりました。ミカさんのご意見も興味深かったです」
「私、そんなに詳しいこと言った?」
「淡い色だけでは輪郭がぼやけるというご指摘は的確でした」
「あれ、何となく言っただけなんだけどなぁ」
「感覚的に理解されているのだと思います」
ユウから真面目に褒められ、ミカは少し照れくさくなった。
本当に感じのよい子だ。
先生が可愛がるのも、少し分かる気がする。
「ユウちゃんは、先生とよく買い物するの?」
「必要な物がある際に、ご同行いただくことがあります」
「二人で?」
「はい。そうなることもあります」
答えに含みはない。
先生が少し慌てて口を挟んだ。
「衣装の材料とか、今日みたいなお店へ行く時だよ。毎回じゃないし、他の生徒と一緒になることもあるからね」
「先生、どうしてそんなに急いで説明するの?」
「いや、別に急いでは...」
「大丈夫だよ。別に疑ってないから☆」
実際、今はほとんど疑っていなかった。
ユウと話し、二人の様子を見たことで、コハルの話は誤解だったのだろうと思い始めている。
先生が少し気を回しすぎているのは気になったが、それも生徒同士の間へ余計な不和を生まないためだろう。
先生は安心したように息を吐き、バニラアイスを口へ運んだ。
「...あ」
柔らかくなったアイスが、先生の頬へ小さく付いた。
ミカはすぐに気付いた。
先生はまだ気付いていない。
「せn...」
教えてあげようとして、ふと思いとどまる。
せっかく三人とは言えデートに出かけているのだ。普通に指摘するだけでは少し味気ない。
ハンカチで拭いてあげれば、先生へ自然に近づけるかもしれない。けれど、急に顔へ触れれば驚かれるだろうか。先に「動かないで」と言うべきか、それとも何も言わず取った方が自然なのか。
ミカはアイスを食べながら、頭の中でいくつかの方法を比べた。
あくまで自然に。
先生が困らないように。
それでいて、少しくらいは自分を意識してもらえる形で。
答えが決まりかけた、その時だった。
「先生」
ユウが突如、先生へ手を伸ばした。
細い指先が先生の頬へ触れ、付いていたアイスを静かに掬い取る。
そして、そのまま自分の口へ運んだ。
一切の迷いもなく。
「え?」
先生が目を瞬かせた。
「ユウ、今何したの?」
「アイスクリームが付いていましたので」
「そ、それは分かるけど...」
先生は自分の頬へ触れ、それからミカの方を見た。
顔には明らかな焦りがある。
しかし、ユウだけは何もなかったように白桃のシャーベットを食べていた。
「......」
ミカは動けなかった。
つい先ほどまで、自分がどうやって先生の頬へ触れるか考えていた。
自然に見える方法を選び、先生の反応まで想像し、慎重に一歩を踏み出そうとしていた。
その全てを、ユウは何の躊躇もなく飛び越えた。
頬へ触れた。
指でアイスを取った。
それを口へ運んだ。
ミカの目の前で。
しかも、先生も強く拒絶しなかった。
「へぇ...」
ようやく出た声は、自分でも驚くほど普段通りだった。
「ユウちゃんって、結構大胆なんだね☆」
「そうでしょうか」
「先生の顔に付いていたアイスを取って、そのまま食べるなんて」
「捨てる必要もないかと思いまして」
少し行儀が悪かったかもしれませんねと、ユウは真顔で呟くだけだった。
照れている様子も、言い訳を探す素振りもない。
まるで、先生の頬へ触れることも、その指に付いた物を口へ運ぶことも、自分にとって当然の行動だとでも言うように。
「...ふーん」
ミカの中で、何かが鳴った。
コハルの言葉が蘇る。
ユウの今の一連の動きは、明らかに手馴れすぎている。普段から、この距離感でなければ実行できるはずがない。
こんなの...普通ではない。
それを見せつけるかのように行った。本人は涼しい顔を浮かべている。
...先ほどまでの買い物は、偽装だったのだろうか。
ミカへ親切にしたのも、先生の前で余裕を見せるため。
自分と仲良くしようとしたのも、警戒心を解くため。
先生との距離が普通に見えたのも、わざと隠していたから。
そして、ミカが先生へ近づこうと考えた瞬間、何の迷いもなく格の違いを見せつけた。
まさか、最初から全て計算していたのだろうか。
「ミカ?」
先生に呼ばれ、ミカは我に返った。
無意識のうちに、手に持っていたスプーンが僅かに曲がっている。
「なぁに? 先生☆」
「いや、その...スプーンが...」
「なんでもないよ?」
笑顔を作り、ユウへ視線を戻す。
ユウは首を傾げていた...その仕草まで、余裕に見えた。
開戦の合図は、あまりにも静かだった。
ユウは声を上げず、勝ち誇る笑みすら浮かべない。
ただ先生の頬へ触れ、アイスを口へ運んだ。
それだけで十分だった。
こちらの警戒を解いた後、一撃で自分の立場を理解させる。
完璧な宣戦布告だ。
「先生とユウちゃんは、普段からそういう感じなの?」
ミカが尋ねると、先生は困ったように眉を下げた。
「ちょっと質問の意図を図りかねるかな...」
「なんだか先生、今日は少しだけ浮き足立ってたね☆ まるで、何かを誤魔化そうとしてたみたい☆」
「き、気のせいじゃない?」
「そうなんだ☆」
ユウがこちらを見ている。
ミカは笑顔のまま見返した。
宣戦布告を受けた以上、逃げるつもりはない。
自分は先生と過ごしてきた時間も、先生へ向ける思いも、誰にも負けていない。
ましてや、今まで存在すら知らなかった一年生へ、簡単に先生の隣を譲るつもりなどなかった。
「ユウちゃん」
「はい」
「私、君のことを少し誤解してたかも」
「うん? どのような誤解でしょうか」
「大人しくて、すごく素直な子なんだと思ってた」
「今は違うのでしょうか」
「ううん。そう見えるよ☆」
最後までとぼけるつもりらしい。
ミカの中で、ユウに対する評価が静かに塗り替えられていく。
可愛くて礼儀正しいだけの後輩ではない。
先生との距離に絶対の自信を持ち、相手の警戒を解いてから決定的な一手を打つ、底の知れない強敵。
先生を巡る戦いは、今始まったのだ。
ミカだけには誤解されるわけにはいかないという生存本能が働いた!!
先生は安全な距離感を発動した!!
ユウには効果がいまひとつのようだ!!
そう言えば、空行がなかて見にくいというご意見を頂きましたので台詞と地の文の間に入れておきました。
曇らせについて
-
肯定派
-
否定派