あの子だけ先生との距離感がおかしい!! 作:炊き込みご飯くん
先生を巡る戦いは、今始まったのだ。
「み、ミカ?」
先生に名前を呼ばれ、ミカは我に返った。
「ほんとに何でもないよ、先生☆」
笑顔を作り直し、残っていた苺アイスを口へ運ぶ。手元のスプーンが僅かに曲がっていたが、逆向きに力を加え、元に戻す。
隣では、ユウが何事もなかったように白桃のシャーベットを食べている。先ほど先生の頬へ触れた指も、アイスを口へ運んだ唇も、本人にとっては本当に些細なことだったらしい。
その余裕が、ミカにはますます恐ろしく見えた。
「ユウ、次からは先に教えてくれる?」
「ん? 承知しました」
先生が困ったように言うと、ユウは素直に頷いた。
「先生がご自身で取れる位置であれば、お伝えするようにします」
「うん。そうしてもらえると助かるかな」
「ただ、早急に取り除いた方が良い場合は、その限りではありません」
「どうして例外を残すのぉ?」
「服が汚れてしまいますので」
真剣な顔で答えるユウに、先生は額へ手を当てた。
二人の会話は、どう聞いても恋人同士のものではない。それでも先生がユウの突飛な行動へ慣れており、注意しながらも本気では怒らないことだけは分かった。
ミカは空になったカップを手の中で弄びながら、先生の横顔を窺う。
先ほどの一撃は確かに強烈だった。けれど、いつまでも動揺しているわけにはいかない。
初手を取られただけだ。
先生との時間も、積み重ねてきた思いも、こちらには十分にある。
次はこちらから仕掛ければいい。
〇〇〇
休憩を終えて歩き始めると、広場の先には先ほどより多くの人が集まっていた。何かの催しが始まったらしく、通りを行き交う人の流れも複雑になっている。
先生は歩調を緩め、左右にいる二人を確認した。
「はぐれないように気を付けよう」
「それなら、こうしておけば安心だよね☆」
ミカは自然な動作で先生の腕へ自分の腕を絡めた。
先生の肩が僅かに揺れたものの、引き離されることはない。
「み、ミカさん? 歩きにくくないかな?」
「私は大丈夫だよ☆」
笑顔で答え、先生の腕を抱いたままユウへ目を向ける。
「ユウちゃんも、迷子にならないように気を付けてね☆」
これは明確な牽制だった。
先生と自分の間には、こうして腕を組んでも受け入れられる積み重ねがある。
ユウは二人を見つめ、穏やかに頷いた。
「お気遣いありがとうございます」
そのまま先生の反対側へ近づき、袖の端を指先でつまむ。
「では、僕はこちらをお借りします」
「え?」
先生が目を瞬かせた。
ユウが触れているのは腕ではなく、服の端だけだ。距離も近すぎず、先生の歩行を妨げない。
「はぐれないためです」
「そのくらいなら...まあ、大丈夫かな」
先生は困惑しつつも、拒まなかった。
ミカは笑顔のまま二人の手元を見る。
同じ方法では返してこない。
先生の腕を抱いているのも、自分の体温を感じてもらっているのも、自分だけ。
今回は、まだミカの方が上である。
「ミカ、少し力を緩めてもらえる?」
「え?」
「痛くはないけど、歩きにくくなってきたかな」
知らないうちに、抱く力が強くなっていたらしい。
「ごめんね、先生☆」
慌てて力を抜くと、先生はほっとしたように笑った。
「そんなに掴まなくても、置いていかないよ」
その一言が胸へ落ちた瞬間、先ほどまでの苛立ちが少しだけ薄れる。
置いていかない。
先生自身が、そう言ってくれた。
ミカは隠しきれない喜びを笑顔へ滲ませながら、ユウへ視線を送った。
ユウは先生の言葉へ反応することなく、袖を持ったまま人の流れを見ている。
一勝一敗。
少なくとも、ミカの中ではそうなった。
〇〇〇
次に入ったのは、小さなアクセサリーショップだった。
棚には指輪や腕輪だけでなく、携帯端末や鞄へ付けるチャームが色ごとに並べられている。
ミカは店内を見回し、すぐに桃色と白の羽根を模した飾りを見つけた。
同じ形で色だけが違う。
露骨なペアアクセサリーではない。それでも二つを並べれば、お揃いだと分かる程度には似ている。
「先生、これ可愛くない?」
桃色を自分の手元へ残し、白い方を先生へ渡す。
「羽根かな」
「うん。私のヘイローにも少し似てるでしょ?」
「確かに」
「先生も一つ付けない?」
先生は白いチャームを手に取ったまま、少し考え込んだ。
生徒とお揃いの物を持つことへ、やはり慎重になっているのだろう。以前なら、可愛いねと笑ってそのまま受け取ってくれたかもしれない。
「駄目?」
少しだけ声を落とすと、先生はこちらを見た。
「駄目じゃないよ。ただ、私が持っても似合うかなって」
「先生の鞄へ付ければ、よく映えると思います」
横からユウが口を挟んだ。
二つのチャームを見比べ、真剣に色合いを確認している。
「先生の鞄は暗い色ですので、白い方が目立ちます。ミカさんの桃色と並べた際にも、統一感が出ますね」
「そうかな」
「はい。お二人でお持ちになるのであれば、非常に可愛らしい組み合わせだと思います」
ミカは一瞬、言葉を失った。
まさかの援護射撃である。
先生と自分がお揃いになることを嫌がるどころか、むしろ後押ししている。
この程度では動揺しないという余裕なのか。それとも、自分と先生の間には他にもっと特別な物があるため、目に見えるお揃いなど譲っても構わないということなのか。
「先生」
ミカは改めて笑いかけた。
「一緒に買おう?」
先生はミカの顔を見つめ、やがて穏やかに頷く。
「分かった。大切にするよ」
「本当?」
「うん」
胸の奥が一気に明るくなる。
先生は自分が選んだ物を、大切にすると言ってくれた。
今度こそ、はっきりと得点を取った。
「ありがとう、先生☆」
会計を終え、店の外で互いの鞄へチャームを取り付ける。
先生は留め具を開くのに少し苦戦していた。
ミカが手伝おうとしたその瞬間、ユウがそっと手を伸ばす。
「ミカさん、その位置では歩いた際に金具が擦れるかもしれません」
「...え?」
「少し、失礼します」
ユウはミカへ近づき、慣れた手つきで留め具を外した。傷が付きにくく、それでいて正面から見える位置を選び、白い羽根を付け直す。
「こちらでいかがでしょうか」
「え、あ...ありがとう?」
「いえ」
ミカは自分の鞄へ付けた桃色の羽根を見つめた。
呆気に取られていた。なんのつもりなのだろう。ユウの意図が全く汲み取れない。
そんなミカから視線を外すと、ユウは次に先生を見た。
「先生、少し苦戦していますね。僕が代わりに付けさせていただいても?」
「ん? あぁ、ありがとう。お願いするよ」
「...ハッ!?」
ミカは我に返った。
しまった、これが狙いだったのか。
今の先生は、少しだけ生徒との接触を躊躇っている。手伝おうと申し出たとて、このくらいは自分で出来るから大丈夫だよと断る可能性が高い。
それを見越して、ユウは敢えて先にミカのアクセサリーを調整したのだ。その流れなら、自然に先生にも接触できる。
なんて策士。なんて理に適った策略。
(クッ...やるじゃん☆)
ミカは心の中で、思わず呟かずにはいられなかった。
「出来ました」
「ありがとう、流石だね」
お揃いは手に入った。
しかし、最後を掻っ攫っていったのはユウだった。
今回は引き分け。
ミカはそう判定した。
少なくとも、自分の方が負けたわけではない。
〇〇〇
店を出てしばらく歩くと、先生が喉を押さえるような仕草をした。
ちょうど目の前には飲み物を売る店がある。
今度こそ、先生との積み重ねを見せる機会だった。
「先生、何か飲む?」
「そうだね。少し喉が渇いたかも」
「甘い物を食べた後だから、無糖の紅茶でしょ?」
先生が僅かに目を見開いた。
「よく覚えてたね」
「先生、甘い物の後はいつもそうするもん☆」
「それじゃあお願いしようかな」
「了解☆ ...ユウちゃんは、何がいい?」
「...いえ、僕は結構です」
「じゃあ、私と先生の分だけ買ってくるね☆」
ミカは嬉しさを隠さず、先生の分と自分の分を注文した。
振り返ると、ユウがこちらを見ている。
「ミカさんは、先生のお好みをよくご存じなのですね」
「まあね☆」
「参考になります」
穏やかに頷くユウへ、ミカは内心で胸を張った。
先生と過ごしてきた時間は、絶対に負けない自信がある。これは明確に自分の勝ちだ。
先生へ紅茶を手渡すと、期待した通りの笑顔が返ってきた。
「ありがとう、ミカ。助かったよ」
「どういたしまして☆」
休憩所へ入ると、先生はミカとユウの向かい側の長椅子へ並んで座った。
先ほど購入した髪飾りを鞄から取り出し、ミカは先生へ見せる。
「先生、こっちの髪飾りも買ったんだ」
「最初の店で見てた物?」
「うん。ユウちゃんのおすすめをいくつか付けてみようと思って」
鏡を見ながら自分で髪へ差し込む。
少し位置がずれた気がしたが、直しているうちに先生の視線がこちらへ向いた。
「どう?」
「似合ってるよ。ミカらしくて可愛い」
迷いのない言葉だった。
胸が大きく弾む。
「本当?」
「本当だよ」
先生の目は、自分だけを見ている。
可愛いという言葉も、今はユウへ向けた物ではない。
ミカは嬉しさを噛み締めながら、隣へさりげなく視線を送った。
(先生から可愛いって言ってもらったよ、ユウちゃん☆)
声には出していない。
けれど、きっと伝わっているはずだ。
ユウは髪飾りをじっと見つめ、少し首を傾げた。
「どうしたの? ユウちゃん。何か言いたいことがありそうだけど☆」
「そうですね...余計なお世話かもしれませんが、僭越ながら、髪飾りの位置が気になりまして」
「え?」
「少々よろしいでしょうか」
返事を待つように手を止めたため、ミカは一瞬迷ってから頷いた。
「う、うん。お願い」
ユウの指が長い桃色の髪へ触れる。
引っ張らないよう丁寧に髪飾りを外し、周囲の髪を整えてから、先ほどより少し高い位置へ差し直した。
「こちらの方が、顔周りが明るく見えると思います」
先生が改めてミカを見る。
「本当だ。さっきよりもっと似合ってるね」
「...そう?」
「うん。すごく可愛いよ」
嬉しい。
素直に、ものすごく嬉しい。
しかし、その言葉を引き出したのはユウだった。
自分の一手を妨害するどころか、さらに強くして返してくる。
「ユウはやっぱり上手だね」
「ありがとうございます」
ミカは笑顔を保ったまま、膝の上で指を組んだ。
(なるほど。私を可愛くして、先生からもっと褒めさせたうえで、自分まで評価される。引き分けに持って行ったわけだね☆ ...一歩も引かないんだね、ユウちゃん☆)
それでも不思議と、不快ではなかった。
髪飾りを綺麗に見せようとしてくれた手つきに、悪意は一切ない。自分が先生に褒められることを、ユウも素直に喜んでいるように見える。
敵なのに、嫌いになれない。
むしろ話せば話すほど、好感を持ってしまう。
まさか、そこまで含めて戦術なのだろうか...だとすれば、あまりにも強すぎた。
「...ごめん」
その時、先生が不意に口を開いた。
「少し、お手洗いに行ってきてもいいかな?」
「あ、うん、気をつけてね☆」
先生が、離席する。この場には、ミカとユウだけが取り残された。
牽制し合うなら、今だろう。ミカは笑顔を続けながら、徐に口を開いた。
「ユウちゃん」
「はい」
「先生と二人きりでいること、多いんだよね?」
ユウは質問の意図を探る様子もなく答える。
「衣装を確認していただく際には、そうなることがあります」
「先生から可愛いって言われるの、嬉しい?」
「はい。努力した部分を理解していただけるのは嬉しいですね」
「誰に言われても?」
「褒めていただけること自体は嬉しく思います」
予想通りの答えだった。
先生だけに褒められたいわけではない。
少なくとも、表向きにはそう言うつもりらしい。
ミカは笑顔を深めた。
「私はね、先生に可愛いって言われるなら、他の子と同じ意味じゃ嫌かも☆」
ユウが僅かに眉を上げる。
ミカが何を言っているのかを察したのか、少し考えてからゆっくり頷いた。
「ミカさんにとっては、先生がどのような思いで仰るかも重要なのですね」
「ユウちゃんは違うの?」
「僕は、評価が正確であれば満足です。ただ...」
ユウは真剣な眼差しを作る。
「先生は衣装が完成するまでの過程もご存じですので、他の方から褒めていただくより、嬉しく感じることはあります」
胸の奥がざわつく。
この言葉の裏に、どれくらいの意味があるのか、全てを推し量ることは出来ない...けれど少なくとも、ユウにとっても先生は特別だと、そう言おうとしているのは分かった。
ミカはそう解釈していた。
「そっか」
「はい」
「じゃあ、やっぱり譲れないね☆」
「...ん? 何をでしょうか」
「まだとぼけるんだ?」
「申し訳ありません。話の流れを理解できておりません」
ユウの表情には、本当に困惑しかなかった。
その時、先生が帰ってくる。
「おまたせ」
「うん、おかえり☆」
先生が席へ戻ると、ミカは何事もなかったように笑いかけた。
ユウも軽く頭を下げ、先ほどまでと変わらない表情で先生を迎える。
「何か話してた?」
「少しだけね」
その様子を見て、先生の表情が綻んだ。まるで、不安が払拭されたみたいに、穏やかな笑みだった。
「良かった」
「えっと...何が?」
「ミカとユウが、仲良くなってくれたみたいで」
それは、予想外の言葉だった。
ミカはキョトンとしつつ、
「そう見える?」
「うん。だってミカ、すっごく楽しそうだから」
「楽し、そう?」
ミカは考えた。そう言えばここまで、ユウに対して嫌悪感を覚えてはいない。普段の自分なら、先生と距離が近い生徒には、少なからず黒い感情が芽生えたはずだ。
それなのに、ユウに対しては...まるで、競争相手みたいに。
事実、競い合ってはいたけれど。なんというか、爽やかにも近い心地だ。
「ユウはどう? 今日一日ミカと過ごしてみて」
「はい、僕もとても楽しかったですよ」
ユウは笑顔を見せた。
「ミカさんはとてつもないセンスの持ち主です。直感で、最適解を導き出す様子には思わず嫉妬してしまいます。そしてなにより、なによりも...」
ユウは、珍しく語気を強めながら、
「ミカさんは、最高に可愛いので。見ているだけで、とても幸せな気持ちになります」
「...ふぇっ!?」
「うん、ミカは可愛いよね」
「せ、先生までッ!?」
なんなの?なんなのこれは。
ミカは困惑していた。胸中を渦巻く複雑な感情に振り回されて、頭がショートしてしまいそうだった。
「ど、どういう作戦なの!? ユウちゃん!!」
「はい? 作戦、ですか?」
「あ、いや...」
咄嗟に口を塞ぐ。水面下で繰り広げられていた激戦を、先生に知られるわけには行かなかった。
しかし先生は、何もかもを見透かしたように、ミカを見る。
「ミカ」
「...な、なに?」
「詳しいことは分からないけど、たぶんね」
先生の視線が、ユウに移る。ミカも追って、ユウに顔を向けた。
ユウは、目を数度瞬かせながら、小首を傾げていた。
「ユウは何も狙ってないと思うよ?」
「...え?」
ミカの笑顔が固まった。
先生は椅子へ深く腰掛け直すと、困ったように眉を下げる。
「たぶん、ユウは今日ずっと、普通に買い物を楽しんでただけだよ」
「そ、そんなわけ...」
ミカの脳裏へ、今日一日のユウの行動の解釈が蘇った。
洗練された牽制。周到な策略。高度な一手。
けれど、先生の言葉を交えて改めて考えると、それらは驚くほど単純な出来事に変わってしまう。
「で、でもアイスは!?」
最後の砦へ縋るように、ミカは声を上げた。
「あれは絶対おかしいでしょ!? 普通、先生の頬から取ったアイスを、そのまま食べたりしないよね!?」
「それは私もおかしいと思う」
「ほら!」
「でも、ユウは多分、普通にそういうことしちゃう子だから...」
先生がユウへ視線を向ける。
「だよね?」
「はい」
迷いのない即答だった。
「アイスクリームが先生の衣服へ落ちる可能性がありましたので、先に取り除きました。指へ付着した分については、捨てる必要もないと判断しただけです」
「わ、私に何か見せつけようとは?」
「...?? 考えておりませんが」
「先生との距離が近いことを示そうとも?」
「そのような意図はありません。えっと、これは今、どのような文脈の会話なのでしょうか。見せつける...? すみません。ほんとによく分からなくて」
完全な無罪だった。
ミカは口を開いたまま動けなくなった。
自分が宣戦布告だと思った一撃は、そもそもこちらへ向けられてすらいない。
あの瞬間、ユウの視界には先生の頬に付いたアイスしか存在していなかったのだ。
「じゃ、じゃあ...」
声が掠れる。
「ユウちゃんは、特に私に対抗していた意識は、なかった?」
「はい、ないですね」
ユウはきっぱりと言い切った。
その顔には照れも計算もなく、本当に疑問を抱いている様子しかない。
ミカの顔が一気に熱くなった。
頬だけではない。耳も、首筋も、体の内側まで熱が広がっていく。
今日一日、自分はどれほど真剣に戦っていたのだろう。
先生の腕を取り、お揃いを選び、好みを知っていることを示し、可愛いと言われる意味まで競おうとした。
そのたびにユウの反応を読み、勝った、負けた、引き分けだと、一人で採点までしていた。
なのに相手は、試合が始まったことすら知らなかった。
「先生...」
「うん」
「いつから気付いてたの?」
恐る恐る尋ねると、先生は少し考えるように視線を上げた。
「人混みで腕を組んだ後くらいかな」
「ほとんど最初じゃん!」
「最初は、いつもの甘え方だと思ったんだよ。でも、その後ずっとユウの顔を確認してたから」
「見てたの!?」
「ミカが分かりやすかったから...」
ミカは両手で顔を覆った。
今すぐ床へ溶けて消えてしまいたい。
「言ってよ!」
「言った方が良かった?」
「ん、んぐぐ...」
「それに、私が変に止めたら、ミカが余計に意地になる気もしたから」
「...なったと思う」
「だから、ユウと話していれば、そのうち何も考えてないって分かるかなって」
「分からなかったよ!」
ミカは顔を覆ったまま叫んだ。
「だって、やること全部が自然すぎるんだもん! 普通は先生の頬に触ったり、袖を持ったり、鞄に手を伸ばしたりしないでしょ!?」
「そう、なのですね。すみません、僕はあまり、他人との距離感が掴めていないのかもしれません」
「あ、謝らないでよ。なんか惨めな気分になっちゃう」
先生が堪えきれなかったように、小さく笑った。
「笑わないで先生!」
「ごめん。でも、ミカがずっと真剣だったから...」
ミカは机へ突っ伏した。
髪が頬を隠してくれたのが、せめてもの救いだった。
しばらく誰も話さなかった。
先生が笑いを落ち着ける気配と、ユウがどう声を掛けるべきか迷っている空気だけが伝わってくる。
「ミカさん」
やがてユウが静かに呼んだ。
「...なに」
「僕の行動によって、ミカさんを不安にさせてしまったのであれば、申し訳ありません」
「ユウちゃんは悪くないよ」
机へ顔を伏せたまま答える。
「私が勝手に勘違いして、勝手に燃えてただけだから」
「...では、」
ユウの声が、少し沈んだ。
「今日、仲良くなれたと思っていたのは...僕だけだったのでしょうか」
「え?」
ミカが、ハッと顔を上げた。対照的に、ユウは俯いていた。
「ユウちゃん?」
「...あ、いえ、なんでもありません。気にしないでください」
「い、いやいや、気にするよ」
「忘れてください。失言ですので」
「...ユウ?」
先生も、ユウの不穏な様子に、心配そうな声を上げる。
「ユウは、ミカと仲良くなりたいの?」
「...もちろんです。しかし、それには然るべきステップがあったことを失念していました」
「ステップ?」
「ですので、今の僕の言葉はお忘れください。まだ、ミカさんと仲良くなる資格が、僕にはない」
「そんなことないよ」
先生が、即座に否定する。
「仲良くなることに、資格なんて必要ない。ね? ミカ」
「そうだよ。そりゃ、ちょっとしたすれ違いはあった...主に私が勝手にすれ違ってただけだけど。えっと、そう☆ 誤解が解けたから言うんだけど、私、ユウちゃんのこと結構好きだよ☆」
ミカの表情に、いつもの笑顔が戻る。
「ユウちゃんみたいないい子、嫌いになるわけないもん☆ ステップとかなんとかよく分からないけど、私でいいなら、ユウちゃんと友達になりたいな☆」
「...ミカさん...しかし、」
ユウは、なお渋る。その理由を、二人は知らなかった。
「んもう!」
ミカは、無理やりユウの手を取った。
「ほら、これで友達! でしょ☆」
「......」
ユウは、握られた自身の両手をまじまじと見つめた。それが、ミカからの親愛の証であることなど、すぐに分かった。心が震える。情けないことに、目柱が熱くなってくることを、ユウは感じていた。
「...はい。よろしくお願いします、ミカさん」
「うん☆」
傍目から見て、ユウはきっと、まごうことなき笑顔だっただろう。しかし、先生には、見えていた。
その笑顔の奥底に隠れる、後悔の念を。
生徒の負の感情にだけ異様に敏感な先生なのです。
まぁ、それ以外に関しては?まぁ、ね?うん。朴念仁だから。
曇らせについて
-
肯定派
-
否定派