佐々木梓にひと目惚れした同級生の話   作:日向陰陽

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第6話 「LADY NAVIGATION」

―――無事、バスは学校に着いた。先輩方に「お疲れさまでした。」と挨拶して皆さんが降りるのを待つ。残るは俺、桃花先輩、南先輩。僅かな沈黙の間が続く。桃花先輩が俺の手を握って走る。南先輩が空いている方の手を握って後に続く。バスを降りる。

 

桃花「あっ⁉ 何やってるのよ、南⁉」

 

南「何って桃花と同じようにしてるだけだよ。ね、佐々木?」

 

眩しい笑顔を俺に向ける。

 

梓咲「は、はい…。」

 

頷くしか出来なかった。

 

翔子「集合!」

 

部長の元に集まる。ふたりがパッと手を離す。ホッとした。

 

翔子「皆さん! 今日はお疲れ様でした! これで解散とします! 以上です!」

 

「「「「「お疲れ様でした‼」」」」」

 

正門を抜けて帰っていく皆さんに続いて俺も歩こうとしたところにガシッと両腕を掴まれる。振り向く予想はしていたが桃花先輩と南先輩だった。

 

「「待って。」」

 

待った。

 

桃花「しゃがんで。」

 

しゃがんだ。正面から抱きしめられ頭を撫でられる。女性特有のいい匂いがする。

 

桃花「今日はよく頑張ったね。これはせめてもの恩返し。」

 

数分も経っただろうか。先輩は満足したように離れる。次に南先輩に抱きしめられる。頭を撫でられる。桃花先輩とは違う、いい匂いが漂ってきて頭がクラクラしそうになる。

 

南「今年のサンフェスは最高だったよ。これも佐々木のお陰だよ。だから恩返し。」

 

数分が経ち南先輩も離れる。

 

梓咲「どうして…どうしておふたりはこんなに俺なんかに優しくしてくださるんですか? 俺は先輩たちに何にもしてやれてないですよ。俺ばっかり得して先輩たちにお返し出来てませんよ。」

 

桃花「だから言ったじゃない。サンフェスがあんなに盛り上がったのは佐々木のお陰だって。」

 

梓咲「買いかぶり過ぎですよ。俺は俺のやるべきことをやっただけですよ。きちんと出来たのか不安ですけど。」

 

南「『俺がやるに決まってんだろう』『俺がこの曲を1番上手く吹ける』佐々木が言ったんだよ。その通りに佐々木はやり遂げた。私が経験したサンフェスの中で最高だった。ありがとう。」

 

梓咲「どういたしまして。」

 

桃花「そうそう、素直に受け取って。そんなに私たちが信じられない?」

 

梓咲「そんなことないです。副部長とドラムメジャーの仰ることなら信じます。」

 

南「もっと自信を持って。今日の佐々木は最高だったよ。」

 

梓咲「ありがとうございます。そのお言葉を俺、忘れません。」

 

南「うん、覚えておいて。」

 

梓咲「それでは…今日はお疲れ様でした。ありがとうございました。失礼します! また明日お会いしましょう!」

 

桃花「うん! また明日!」

 

南「また明日!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桃花「私…⁉ 感動した…⁉ 佐々木の演奏でお客さんが一気に盛り上がって…⁉ 涙堪えるのに必死だった…⁉」

 

南「私も…⁉ 凄い迫力の佐々木の演奏で歓声が沸き上がって…⁉ 泣きそうになっちゃった…⁉でももう我慢する必要ないよね…⁉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから間もなく、かの有名な『シング・シング・シング』の楽譜が配られた。朝練と部活を利用して吹かせてもらった。その内楽譜を見ずとも吹けるようになった。それからネットに投稿されている去年の立華の何らかのイベントの『シング・シング・シング』の動画を観てサックス奏者の振り付けをメモし部活が終わった後の運動に取り入れた。体が覚えるまで動きまくった。今年の振り付けはどうなるか知らないので一応覚える程度に留めて筋トレに励んだ。ある日の朝、音楽室。

 

梓咲「おはようございます。」

 

「「「おはよう。」」」

 

梓咲「ひとつ…『シング・シング・シング』について質問してもよろしいでしょうか。」

 

「「「いいよ。」」」

 

梓咲「去年から振り付けの変更や編曲はされましたか?」

 

翔子「振り付けは変えたよね?」

 

「「うん。」」

 

梓咲「かしこまりました。失礼します。」

 

「「「ちょっと待った‼」」」

 

桃花「もしかして去年の振り付け覚えたの⁉」

 

梓咲「はい。変更の可能性を考えて一応覚える程度に留めましたが。」

 

南「今出来る?」

 

梓咲「演奏しながらでよろしいですか?」

 

「「「うん。」」」

 

動画とメモと帰ってからの運動の記憶を呼び起こす。動きにメリハリを付けて止まるところはしっかり止めて動くところは素早く動いた。演奏もしっかり吹いた。

 

梓咲「如何でしたか?」

 

「「「凄い…⁉」」」

 

桃花「キレッキレだったよ⁉ ね、南⁉」

 

南「まだ教えてないよね⁉ どこで覚えたの⁉」

 

梓咲「ネットの動画サイトに投稿されている去年の先輩方の動画を拝見して、帰ってからの運動に取り入れました。でも変更の可能性を考えて途中で止めて後は走り込みと筋トレに励みました。」

 

翔子「佐々木くんには驚かされてばかりね…⁉」

 

梓咲「恐縮です。変更点が多いようでしたらこの振り付けの練習は止めておいた方がよろしいですか?」

 

桃花「うーん…どうする、南?」

 

南「変更点はあるけど基本的な動きは変わらないから続けていいと思うよ。」

 

梓咲「かしこまりました。それでは朝練へ行ってきます。」

 

「「「いってらっしゃい。」」」

 

走って校舎裏へ向かった。梓さんは…いた。

 

梓咲「おはようございます。梓さん。」

 

梓「おはよう! 今日は遅かったね! どうしたの?」

 

梓咲「『シング・シング・シング』について幹部の御三方に去年と振り付けの変更点はあるかの確認しました。去年のを披露したので遅くなりました。」

 

梓「えっ⁉ 去年の⁉ もう覚えたの⁉」

 

梓咲「はい、幹部の御三方に確認していただきましたが間違ってはいないようでした。南先輩が『変更点はあるけど基本的な動きは変わらないから続けていいと思うよ。』と仰っていたので続けることにしました。でも癖になるといけないので注意しておこうと思います。」

 

梓「見せてもらっていい⁉」

 

梓咲「はい…では行きます。」

 

幹部の御三方に披露した動きを思い出す。メリハリを付けて止まるところはしっかり止めて動くところは素早く動いた。演奏もしっかり吹いた。

 

梓咲「如何でしょうか?」

 

梓「凄い⁉ 凄いよ⁉ 足の動きなんて凄く早くてきちんと脚も上がってて…とにかく凄い⁉」

 

梓咲「恐縮です。」

 

しばらく俺が『シング・シング・シング』を披露して梓さんがずっと眺めるという光景が続いた。じっと梓さんに見られるのは照れ臭かったが悪い気はしなかった。夢中で踊り続け演奏し続けた。視界に映る梓さんが何かを叫んでいる。見覚えのある光景、動きを止める。腰に衝撃。目を向ける。南先輩だった。

 

南「掴まえた⁉」

 

梓咲「あっ⁉ 南先輩⁉ もしかして朝練終了ですか⁉」

 

南「そういうこと! 呼んでも気づかないから捕まえに来たよ!」

 

梓咲「お恥ずかしいです…。」

 

南「いいよいいよ! 私だっていいもの見せてもらって嬉しいよ! さあ、行こう!」

 

梓咲「はい! 今戻ります! 梓さんそれでは!」

 

梓「うん! またね!」

 

南先輩のペースに合わせて走る。楽器室に着く。

 

梓咲「お待たせしました!」

 

「「「待ってないよ。」」」

 

楽器ケースをしまう。

 

桃花「もしかしてずっとシングやってたの?」

 

梓咲「はい、梓さんに見たいと頼まれたのでひたすらやりました。」

 

南「ふふっ、前もそうだったけど何回呼んでも気づかないんだもん。だから掴まえちゃった。」

 

梓咲「はい、掴まってしまいました!」

 

桃花「あっ⁉ ズルい⁉ 南ったらそういう口実で抱き着いたんでしょ⁉」

 

南「そんなことないよ。可愛い後輩を気遣って優しく呼んであげただけだよ。」

 

桃花「ぐっ⁉ 次は私が呼びに行くからね⁉ 佐々木は練習に集中するように⁉ わかった?」

 

梓咲「かしこまりました。それでは…失礼します。お疲れ様でした。」

 

「「「お疲れ様。」」」

 

そして去年のシングの練習を繰り返す日々が過ぎ日曜日を迎えた。今日から今年版のシングを教えていただけるらしいのでテンションが上がった。集合時間は午前8時だがいつもの習慣で7時前には着いてしまった。試しに楽器室へ向かう。扉は…開いている。音楽室もだ。アルトサックスを拝借して音楽室の後ろの方の席に座った。久々に…といっても2週間も経っていないがB’zの楽曲を吹いていないので無性に吹きたくなった。バッグを漁り着替えに埋もれた楽譜を取り出す。ペラペラとめくり脳内の曲と音符を一致させる。吹いてみた。指が滑らかに動く。最後まで吹き切った。拍手が鳴る。音源を探る。音楽室の入り口で西条姉妹が並んで立って拍手していた。

 

「「いい曲だね。」」

 

梓咲「原曲はもっともっといい曲ですよ。お聴きするのをお勧めします。」

 

「「何ていう曲なの?」」

 

梓咲「『いつかのメリークリスマス』という曲です。」

 

花音「何ていうか…悲しげな曲だったね…。」

 

梓咲「そうですね…別れた恋人と過ごしたクリスマスの思い出に浸る…って感じの曲ですね。」

 

美音「サンフェスの時みたいに熱くなるような曲吹いてもらっていいかな?」

 

梓咲「いいですよ。お気に召すといいのですが…。」

 

最初から大音量で原曲通りハイスピードで吹き切った。

 

「「おー⁉」」

 

美音「いいねいいね⁉ 何ていう曲なの⁉」

 

梓咲「『アラクレ』という曲です。では次…行きます。」

 

同じように大音量でハイスピードで吹いた。

 

「「おー⁉」」

 

花音「今のは何ていう曲⁉」

 

梓咲「『MOVE』という曲です。」

 

「佐々木らしい熱い曲だね。」

 

「いい曲だね。サンフェスを思い出すよ。」

 

梓咲「おはようございます。桃花先輩、南先輩。」

 

「「お、おはようございます‼」」

 

桃花「佐々木、楽器持ったままちょっと来て。」

 

梓咲「はい、かしこまりました。」

 

アルトサックスを持っておふたりの後ろをついていく。楽器室の隣の空き教室へ入る。

 

桃花「その…何ていうか…私に捧げる曲…みたいなのないの? 出来れば吹いてほしい…。」

 

桃花先輩が上目遣いで頬を赤く染めながらそう呟いた。見惚れた。

 

梓咲「はい、それではこの曲を桃花先輩に捧げます。」

 

情熱と日頃の感謝を込めて全力で吹いた。最後のギターソロまで吹き切った。

 

桃花「ノリのいい曲だね…。何ていう曲…?」

 

梓咲「『太陽のKomachi Angel』という曲です。真夏の太陽のような魅力的で美しい女性をイメージした曲らしいです。」

 

桃花「そ、そうなんだ…。嬉しい…。」

 

南「それじゃあ次は私に捧げてもらおうかな。とっておきのを頼むよ。」

 

南先輩の顔をじっと見つめる。美しい。南先輩に似合うような曲…何となくだがイメージできた。情熱と日頃の感謝を込めて吹いた。サンフェスの時のように無心で吹いた。

 

南「いいね。何ていう曲?」

 

梓咲「『VAMPIRE WOMAN』という曲です。」

 

南「ヴァンパイア⁉ 吸血鬼でしょ⁉ どういう曲なの⁉」

 

桃花「ぷっ、くくく…⁉」

 

梓咲「歌詞を意訳すると…男性を魅了するような魅力に溢れた女性に身も心も委ねたい…といった曲です。」

 

南「そ、そうなんだ…。それは…佐々木も私にそういう気持ちを持っていると考えていいのかな…?」

 

南先輩と目が合う。美しい。見惚れてしまう。

 

桃花「はいストップ⁉ 副部長として風紀の乱れを放っておけないわ⁉ 離れなさい⁉」

 

南「もう…⁉ いい所だったのに邪魔しないでよ⁉」

 

桃花「なぁにが『いい所だったのに邪魔しないで』よ⁉ 南ったらムッツリスケベね⁉」

 

南「んな⁉ 桃花こそ佐々木に吹いてもらって満更でもない態度だったじゃない⁉ 人の事言えないわよ⁉ 大体サンフェスの帰りのバスでも怪しかったの私覚えてるんだから⁉」

 

桃花「南こそ同じ状況だったらどうなってたかな⁉ あ~いやらしい⁉」

 

梓咲「お、おふたりとも⁉ どうか⁉ お願いします⁉ どうか⁉ 争いはお止めください⁉ 副部長とドラムメジャーでしょう⁉ このままでは部が滅茶苦茶になってしまいます⁉」

 

教室の扉が開く。

 

翔子「ちょっと⁉ 何の騒ぎ⁉ 佐々木くんが困ってるじゃない⁉ 何してるのよ⁉」

 

桃花「別に、何も。ねえ南?」

 

南「そうだね桃花。」

 

翔子「ふーん、そう。ほら、さっさとミーティング始めるわよ。」

 

「「わかった。」」

 

音楽室を見渡す。梓さんの隣の席に俺のバッグが置いてあった。先輩方に挨拶しながら座る。

 

梓「何かあったの?」

 

梓咲「俺にもサッパリわかりません。」

 

今ほど翔子部長の有り難味を感じたことはなかった。どうにか事なきを得た。翔子部長が黒板に書いたスケジュールを確認してから個人練習(自由)に移ろうとした。

 

桃花「佐々木、楽器持って付いて来て。」

 

嫌な予感がしたが副部長命令には逆らえなかった。楽器室の隣の空き教室に入る。南先輩は…いない。向かい合うように座らされる。

 

桃花「佐々木が吹ける曲、片っ端から吹いて。」

 

梓咲「かしこまりました。」

 

記憶にある楽譜集の音符とイメージする曲を一致させる。

 

梓咲「では…行きます。」

 

久しぶりだが何も考えずとも吹き終えた。数秒間を置いて別の曲を吹く。桃花先輩はじっと俺の顔を見ているので緊張する。ひたすら無心でいられるように頑張った。もうすぐ個人練習が終わるという頃に最後の曲を吹き終えた。教室の扉が開く音がする。

 

「佐々木、個人練習終わる…あっ⁉ 桃花⁉ 何やってんの⁉」

 

南先輩が激昂する声が聞こえる。嫌な予感が止まらない。

 

桃花「別に? 佐々木の個人練習を確認してただけだよね、佐々木?」

 

梓咲「そうですね…。」

 

桃花先輩に手を握られそのまま引っ張られて教室を出る。南先輩の視線が突き刺さる。内心で先輩に詫びた。梓さんの隣に座る。ただ吹いていただけなのにかなり疲労感を覚える。シングのステップ練習が楽しみだった。思いっきり体を動かしたかった。基礎合奏を終えて第2視聴覚室へ移動し椅子を机に逆さに乗せて片っ端から教室の後ろに片付ける。まだ時間があるので最後列に楽器ケースとバッグを置いて席を取って廊下に出る。端に寄り立った状態から左右に開脚して股割りをしてストレッチする。

 

「凄く体柔らかいんだね。股割りっていうの? 実際にやる人初めて見た。」

 

聞き慣れた声…顔を向ける。南先輩が微笑を浮かべて立っていた。

 

梓咲「あっ⁉ 南先輩⁉ すみま―――。」

 

南「ストップ! まだ時間に余裕はあるから続けていいよ。」

 

梓咲「はい、かしこまりました。」

 

南先輩が顔を俺の耳元まで近づける。

 

南「ステップ練習の間、私だけを見て。」

 

そう囁いた。

 

梓咲「はい、南先輩だけを見ます。」

 

上目遣いで頬を染める先輩、とても美しかった。見惚れた。それ以上言葉が出なかった。時計を見る。時間になりそうなので立ち上がった。

 

梓咲「よろしくお願いします。」

 

挨拶して視聴覚室に戻った。南先輩も逆側の扉から入ってくる。 部員の皆さんの正面に立つ。

 

南「はい、じゃあ練習始めます。シングの振り付けは代々受け継がれてきたものです。先輩部員の方が考えてくださったものが今にまで伝わっています。そのため、ステップの種類も多くあります。次回のステージドリルも、夏のマーチングも、要はここで教えるステップと全体での動きとの組み合わせで構成されます。今サボっていると後で泣きを見ることになるので、浮ついた気持ちで取り組まないようにしてください。」

 

「「「「「はい‼」」」」」

 

南「それではまず、基本からです。」

 

ノートとボールペンを取り出し南先輩の動きを観察する。確かに変更点がある。去年の項目に✕印をつけ書き足していく。細かく確認してから動きを修正した。しかし…困った。周囲のスペースが狭い。脚を上げて前に蹴る時など前方の人に蹴りを入れてしまいそうになる。最初の約2時間で確認は全て終えた。後は体に刻みつけるだけだ。ひたすら南先輩の「1、2、3、4。」のカウントに合わせてステップする。南先輩が俺の方を見る。

 

南「佐々木、そこ狭い?」

 

梓咲「はい、少し狭いです。」

 

南「前に来て。」

 

楽器ケースとバッグを持って「失礼します、通ります。」と声を掛けながら前に出る。ここなら充分に動けそうだ。南先輩に向き直ってひたすらステップする。基本的に部員の皆さんの動きを見渡しているが稀に俺を見て動きを確認してくださる。その度に頷く仕草を見せる。嬉しかった。南先輩に認めてもらえていることに。繰り返し繰り返し今年版の動きを体に刻みつける。最後に俺と南先輩のふたりで合わせてステップすることになった。

 

梓咲「せっかく楽器持ってきたので吹いてもよろしいですか?」

 

南「いいよ。」

 

楽器を持って間隔をあけて南先輩と横並びになる。先輩のカウントに合わせてステップする。横目で南先輩の動きを見る。タイミングにズレはない。演奏のタイミングに入った。吹きながら小刻みにステップする。最後に気をつけの姿勢をとる。

 

「「「「「おー⁉」」」」」

 

という歓声と拍手をいただいた。パン!と南先輩が大きく両手を鳴らす。一斉に静かになる。

 

南「佐々木はどうやってシングを身につけたの?」

 

梓咲「去年の先輩方のシングの動画を拝見してそれを参考に動きまくって覚えました。それから今日の南先輩の今年版のシングを披露していただいたので細かく修正してからひたすら今年版のを体で覚えました、以上です。」

 

南「初心者のド素人の佐々木でもここまで練習してシングを覚えました。皆さんも佐々木の姿勢を見習ってください。午前練習はここまでです。昼からはもっとキツくなるので覚悟しておいてください。食べ過ぎると運動しにくくなるので、適量で我慢することをお勧めします。それでは。」

 

「「「「「ありがとうございました‼」」」」」

 

俺も含めて一斉に頭を下げる。南先輩が足元に置いてあるペットボトルの飲料を飲む。唇、喉、華奢な首、見惚れる。「ちょっと来て」と言われたので着いて行った。廊下に出て視聴覚室の扉を閉める。

 

南「はい、水分補給。」

 

飲みかけのペットボトルを渡される。これは南先輩が口をつけたペットボトルだ…ということは…。

 

梓咲「え、あの、これは…南先輩が…口をつけたのですよね? よろしいのですか?」

 

南「私のじゃ嫌?」

 

上目遣いで悲しそうな表情をする南先輩。

 

梓咲「いえ、むしろ嬉しいというか…いただきます⁉」

 

一気に飲み干した。南先輩が笑顔になる。俺だけに見せる笑顔。心臓の鼓動が早くなる。

 

梓咲「ごちそうさまでした。」

 

南「お粗末さまでした。午後のステップ練習も同じ位置でやってもらうから。私だけを見て。」

 

梓咲「はい、南先輩だけを見ます。」

 

南「よろしい、それじゃあね。」

 

梓咲「お疲れ様でした。」

 

南先輩は立ち去っていく。後ろ姿が見えなくなるまで見つめていた。視聴覚室に戻る。アルトサックスをケースにしまいバッグを持とうとすると

 

「南先輩何て言ってたの?」

 

梓咲「水分補給は重要だからきちんとするようにと叱られました。」

 

梓「その割に…汗かいてないよね?」

 

梓咲「普段から運動しまくってますので。」

 

梓「え、いつ?」

 

梓咲「部活が終わってからです。」

 

梓「どのくらい?」

 

梓咲「そうですね…川の土手の端から端まで全力で走ってもう走れないってくらい息が上がるまで走ってからスクワット4000回、腹筋運動1000回、コンクリートの上で拳立て1000回、指立伏せ200回、以上です。」

 

梓「そんなに…⁉ 大丈夫なの⁉」

 

梓咲「体も頭もフラフラになるまで体追い込まないと眠れるか不安になるのでしょうがないですね。」

 

梓「体に異常が出たらすぐに言ってね。私たちはお昼ご飯食べるから書道室行くけど梓咲くんどうする?」

 

梓咲「俺は飲む物飲んで体育館倉庫で筋トレでもして時間潰します。皆さんによろしく伝えておいていただけますか?」

 

梓「わかった。それじゃあまたね!」

 

梓咲「はい、いってらっしゃい。」

 

梓さんを見送る。水飲み場の縁にバッグを置いて漁る。サプリメントと痛み止めを水で流し込んでひと息つく。気合いを入れ直して体育館へ向かった。ベンチプレスとスクワットをこなして道に迷うのを考慮して早めに戻った。早く来すぎた。もっと迷うかと思ったが意外と早く着いた。まだ練習開始まで20分くらいある。最近、首を鍛えてないことを思い出して首でブリッジした。

 

「佐々木、いる? えっ⁉ 何やってんの⁉」

 

梓咲「南先輩ですか? 時間を持て余してしまったので首を鍛えることにしました。」

 

南「……何か手伝えること、ある?」

 

梓咲「では俺の腹の上に座っていただけますとありがたいです。」

 

南「じゃ、じゃあ…いくよ…?」

 

女性特有の柔らかいお尻の感触が腹に伝わる。下半身に血が流れそうになるのを脳内で念仏を唱えながら必死で堪えた。もう限界というところで先輩に降りていただいた。首を念入りに回しながらマッサージする。

 

梓咲「ありがとうございました。」

 

南「どういたしまして。」

 

気のせいか南先輩の声が上ずっている気がする。

 

南「ねえ…午前の個人練習の時、桃花と何してたの?」

 

梓咲「俺が吹ける曲を片っ端から吹いてほしいと頼まれたので吹きまくりました。桃花先輩はずっと俺の顔を見たまま身動きもしませんでした。」

 

南「それだけ?」

 

梓咲「はい、それだけです。」

 

南「そう…安心した。」

 

1年生の皆さんの話し声が廊下越しに聞こえてくる。自然と先輩から離れて軽く準備体操をする。午後の練習が始まった。俺は始めから楽器を持って練習をすることを許可された。練習が始まって早々に先輩の指導の声が飛び交う。皆さんを見渡す。明らかに辛そうな人が何人もいた。

 

「本番は楽器持って吹くんだよ。そんなのでいいと思ってるの?」

「背筋はまっすぐ。上半身は揺らさない。」

「ちゃんと腹から声出して。もうバテてるの?」

「名瀬、遅れてる。ちゃんと足動かして。」

 

次々と先輩の叱責が飛ぶ。俺は無心でステップを続けた。

 

南「じゃあ次、楽器持ってやります。」

 

「「「「「はい‼」」」」」

 

楽器を構えてのステップ練習に移った。「1、2、3、4。」という南先輩の規則正しいカウントと比べて明らかに皆さんの動きが遅れている。着いていけているのは梓さんと西条姉妹さんくらいだろうか。先輩のカウントが終わると皆さんは一斉に疲れ果てた様子で座り込む。

 

南「座っていいって誰が言った?」

 

先輩が冷静に告げる。慌てて皆さんが立ち上がる。

 

南「この程度で疲れてどうするの? 本番は楽器吹きながらやるんだよ?」

 

「「「「「すみません‼」」」」」

 

南「踊りながら吹けない人は、ハピコンの本番は吹かずに出てもらうので。 じゃあ、もう1回通します。」

 

「「「「「はい‼」」」」」

 

「1、2、3、4。」という南先輩の規則正しいカウントに合わせてステップを続けた。

 

 

 

南「はい、午後の練習はここまで。それでは。」

 

「「「「「ありがとうございました‼」」」」」」

 

皆さん一斉に座り込む。疲労困憊といった感じだ。その中で南先輩に呼ばれた。楽器ケースとバッグを持って廊下に出る。

 

南「はい水分補給。」

 

梓咲「いただきます。」

 

胃に溜まらない程度に飲んだ。

 

南「もういいの?」

 

梓咲「飲み過ぎても動きにくくなるだけですので。」

 

南「じゃあ残り貰うね。」

 

俺が口を付けたペットボトル飲料を飲み干した。

 

南「後は…終わりの会だけだから一緒に行こう。それが終わったら個人練習やってた教室で待ってて。」

 

梓咲「はい、かしこまりました。」

 

一緒に音楽室へ戻った。途中で何か会話をしていたと思うがよく覚えていない。音楽室に入り午前に俺が座っていた一番後ろの席に座った。一応隣に俺のバッグを置いて梓さんの席を取っておいた。先輩方が先に入ってくる。1年生の皆さんも入ってくる。梓さんは…いた。手を振る。笑顔で駆け寄ってくる。

 

梓「ありがと。」

 

梓咲「朝のお礼です。」

 

 

「「「「「ありがとうございました‼」」」」」

 

長い休日練習が終わったが俺は南先輩に呼び出されている。

 

梓「ねえ! 一緒に帰らない!」

 

梓咲「すみません、南先輩から呼び出しを受けていまして…。」

 

梓「そうなんだ…何かと目を付けられてるみたいだから気をつけてね。」

 

梓咲「はい、気をつけます。それではまた明日。」

 

梓「うん! また明日!」

 

笑顔で帰っていく彼女を手を振って見送る。先輩方に挨拶しながら空き教室に入る。アルトサックスの手入れをしながら待つ。ついでに楽譜集も取り出しペラペラとめくる。音符と脳内の曲と一致させる。教室の後ろの扉が開く音が聞こえる。

 

「お待たせ。」

 

聞き慣れた声。振り向かなくてもわかる。当然のように俺と向かい合って座る南先輩。

 

南「それじゃ佐々木が吹ける曲、片っ端から吹いて。」

 

桃花先輩と姿が重なった。すぐに消えた。妖艶に微笑む南先輩。見惚れてしまう。楽譜集を渡す。

 

梓咲「俺の好みが左右しますけどよろしいですか?」

 

南「いいよ。」

 

妖艶な笑み。無心で吹くことにした。1曲ごとに数秒を間を空ける。ひたすら何も考えずに吹き続けた。

 

梓咲「そちらの楽譜集の曲は以上です。次は…こちらをどうぞ。」

 

別の楽譜を渡す。先輩の指が振れる。指が絡まる。手を握られる。

 

梓咲「南先輩ってモテませんか? 誰かに告白されませんか?」

 

南「稀にそういうのはあるけど魅力的だとは思わなかったかな。」

 

梓咲「それならどうして俺なんかを気に掛けてくださるんですか?」

 

南「佐々木が魅力的だからだよ。」

 

梓咲「俺なんて入学して3ヶ月も経ってない小僧ですよ。」

 

南「時期なんて関係ないよ。佐々木より男らしい男子なんてこの学校にいないよ。」

 

梓咲「進路はどうなさるんですか?」

 

南「大学に進学予定だけど。」

 

梓咲「そこで出会いがあるかも知れないじゃないですか。決断が早すぎますよ。」

 

南「そんなことないよ。もっと早く佐々木に会いたかった。一緒に時間を過ごしたかった。」

 

梓咲「それは俺も同感です。もっと早く先輩たちに会いたかったです。」

 

南「『たち』っていうのは桃花も?」

 

梓咲「はい。おふたりに争ってほしくないです。それに…これからどんどん忙しくなるんじゃないんですか? 詳しいことはわかりませんが。」

 

南「そうだね…今もこれからも部活で手一杯だよ。恋愛する暇もないよ。でも私が佐々木を好きだっていうのは覚えておいてほしい。」

 

梓咲「桃花先輩もきっと同じこと言うと思います。」

 

南「分かってる。」

 

梓咲「俺にはどちらを選ぶことなんてできないっていうのも覚えておいてほしいです。」

 

南「それはこっちの問題だね。気にしなくていいよ。」

 

梓咲「俺が伝えたかったのは以上です。先輩は他にありますか?」 

 

南「途中まで一緒に帰ろう。」

 

梓咲「はい。」

 

教室を出る。

 

「おーい佐々木! 一緒に帰ろ…あっ⁉ 南⁉ 何してたの⁉」

 

南「別に、何も。ねえ佐々木?」

 

梓咲「はい。」

 

桃花「こんな時間にふたりっきりで何もってことないでしょ⁉ 何かいやらしいことしてたんじゃない⁉」

 

南「考え過ぎよ。ねえ佐々木?」

 

梓咲「はい。」

 

桃花「ふーん、まあ、変な匂いもしないしそういうことにしておいてあげる。さあ、帰るわよ⁉」

 

楽器ケースをしまい正門まで3人並んで歩いた。そして挨拶をして走って帰った。運動しまくって後始末諸々を終えてさっさと薬飲んで寝た。今日は色々あった気がする。桃花先輩と南先輩の姿を思い浮かべた。すぐに眠れた。




何故か桃花先輩のCVは釘宮理恵さんで脳内再生されます。

不思議だなぁと思いました。
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