世界の終わりに、何の話をしようか 作:獅子唐の遺跡
遡行した者が、過去に居ながらも未来を超えるように。
劣るものに成り下がったとしても、それは成長と呼ぶのだろう。
成長
君は死んだ。
歴史が語り継ぐ必要もない絶対の法則に従い、安らかな、痛みもない最期を迎えて。
私は君の温もりが冷えていくのを、ただじっと見つめていた。
……また私だけが遺された。
何度目の循環か、あるいは何回目の別れかもわからない。
世界は私が望むたびに「光あれ」の言葉とともに新しく書き換えられ、無垢な命たちが芽吹き、また新しい社会や技術や言語を生み出していく。
神も、私以外の天使もいない、人間だけが紡ぐ独立した世界。そこにはもう、死の天使たる私の居場所も、かつて神を凌駕した人間の居場所もないはずだった。
「……ずるいよなぁ、君は。」
眠っているような、しかし命を感じない君の横顔に触れる。
君は恐怖も孤独も知らず、私に愛された記憶を抱いたまま消えていった。遺された私だけが、訪れることのない死に苦しんで、またこの忘却と恐怖の螺旋を歩まなければならない。
だが、ふと思うのだ。
もし歴史が「前例がある限り答えてくれるもの」であるなら――—死の天使が一人で永遠を彷徨い続けるという歴史から、破滅以外の答えを導き出せてもいいはずだ、と。
私は君の冷たくなった胸元にそっと手を置いた。
世界が与えた権能、「愛される」ために残された力。
「光あれ」と一言呟くだけでいい。もう一度循環が始まり、時間の規則を規定することもなく、また新しく一歩を踏み出せる。
私だけが一歩を踏み出すのだ。
そして、私だけが遺されるのではないかという恐怖が、これまでの現実が襲い来る。
だからといって、君にもう逢えないのも嫌だと、心が熱を持って叫んでいる。
「あれだけ偉そうに話をしてきたけどさ、私は怖がりなんだよ。どうしようもないほど、臆病。」
自分に残された権能は、もう一つある。
あらゆる生きとし生けるものを屠り、終わりを与える以外は何もできない権能。
これを使って、自らを世界へと捧げるのなら……恐怖も再会も、果たせるのかもしれない。
「……。」
そんな事はありえない。
かつて君へ語ったように、『死』とは終わりだ。
私と世界だけが逃れられる、虚無の終着点。
だけど、君と同じ終わりに辿り着けるのなら。そう思ってしまうと求めてしまう。
空を見上げた。
かつて見る度に罪悪感を抱かせ、苦痛の象徴だった空を見上げても、もう何の感慨も抱かなかった。
「嘘つきな君には、罰としてもう少し話を聞いてもらおうかな。」
何の話をするのか、思いついたのは今さっきだけれど、不思議と話せそうな気がした。
「……今回の話は、『成長』だ。」
「私は、本当に永くを生きてきた。目的もなく、無駄な時間を過ごしてきた。」
「君に出会ってからは天使じゃなくて、"人"として生きようとした。そのために色々と学んだんだ、過去の文献と見てきた事実を元にして、自分なりに人として生きられるように。」
「……駄目だった。天使という存在である以上、『死』を司る存在である以上、君と歩むことはできなかった。できることは、君の始まりから終わりまで、共にいる事だけ。」
「今思えば、それでも良かったんだろう。君の幸福だけを考えていれるのなら満足だ。だけど、心は弱いくせに欲望は強くて、自分の幸福を追い求めてしまった。天使の名が泣くよ。」
「でもさ、これって天使じゃなくて、人間らしくなれたってことじゃないかな?」
「天使から人間になるのは、格としては下がっているんだろう。けれど私にとっては、それが『成長』だった。誰だろうと、私だろうと、生きていれば寂しさを感じる瞬間は訪れるもので……。」
「ふと横を見ても誰もいないとき。夢中でどこかに走って疲れたとき。心が苦しいのではなく、重いと感じるとき。新しいことを始めて忘れることは出来ても、一生忘れることは出来ない。」
「———そんな感情を覚えるときは、馴染み深い場所に戻ればいい。君が、教えてくれたんだ。」
「だから私も、そろそろ戻ろうと思う。」
変わらず瞬く星を眺めた。
私を拒絶するように輝いているようにも見え、また容認するようにも見える。
ただ一人の存在である私を拒むことはできない。今の世界は眺めることしかできず、人では私を縛れない。
それでも、私自身が許さないだろう。
側で寝る一人の人間の顔を、焼き付けるように見た。
「変な成長をした私じゃ戻れないけれど、これ以上留まっても意味がないから。」
最後に私は膝を折って、冷たくなった君の頬をそっと両手で包み込む。
呼吸のなくなった唇に、ゆっくりと自分の唇を重ねた。
熱の失われたその口づけは、私たちが確かにここに存在し、互いを愛したという、言葉よりも深く、記憶よりも永く、この世界の歴史に刻む最後の印。
「それじゃあ……さようなら。ありがとう。 私を愛してくれて。 」
君の温もりの残滓を抱きしめたまま、私はゆっくりと瞳を閉じる。
もう二度と明けることのない夜のなかで、君の隣に横たわりながら。
そして静かに、自らを終わらせた。
世界はただ、その選択を眺めていた。
語り部としての私のお話は、これで本当におしまい。
けれど、もしかしたら……。
風を感じるとき。 川のせせらぎに耳を澄ますとき。誰かを愛おしいと思い、運命を信じ、歴史の先へ進もうとするとき。
君の隣で、消えたはずの私は微笑むのだろう。
「———今日は、何の話をしようか?」