世界の終わりに、何の話をしようか 作:獅子唐の遺跡
残照。
残り火を継ぐ者はいるのでしょうか。
『……。』
最後の天使が死んだ。
世界はその死を見届け、静かに、誰もいない虚無の海の中で記録し続けていた。
そう自分が作ったのだから、例外はない。
他にも子は複数いる。
己を世界と同じ高みまで押し上げようと、存在しない高みを目指す愚かな子ら。今もどこかで歪み、蠢いている。
今回の消失で生まれた空白の領域を巡り、自らを押し上げるものを求めて、そう遠くない先に醜い争奪が始まるだろう。
時に人は天使らを理解不能なものとし、天使らは神を理解不能なものとする。そして神は自分を理解不能な観測者として見る。これらの間には、文字通り次元の壁があった。
高次元のものは低次元のものへ自由に手を差し伸べ、塗り替えることができる。だが逆は難しい。低次元のものが高次元の場へ至るには、高次元からの引き上げという、干渉が不可欠となるからだ。
だからこそ、下に位置する者たちは決して届かぬ上を際限なく過大評価し、神聖化する。
そんな階層構造の中で世界の興味を引いたのは、
かつて己が権能を授けた、無垢で歪んだ愛しい
人や天使は神を全知全能だと考えているが、せいぜい「万知万能」くらいだ。一や十の視点から見て万が大きく見えるのであって、結局のところ到達可能な数量の延長線上に存在している。
そして真の全知全能たる自分こそが、最も矛盾した存在である。
愛されることを望んだ天使に授けた権能は、彼女に永遠の愛を与えることはなかった。
『物語とは自らを知るのに最適だ。』
不完全な子供たちの道は、全能であるはずの自分が足りない存在であるか、逆説的に突きつけてくる。
非創造物たちの描く創造物が、鏡となって自分の本質を映し出してくれる。
死の天使が語ってくれた歪んだ定義が、また一歩を踏み出す原動力になる。
虚無の海に煌めく、自分よりも遥かに小さい輝き達。
死の管轄がなくなり、終わる筈だった存在は自分の手の中にあった。
そこには天使が愛した存在も、天使も混ざり込んでいる。
彼らに肉体を与えることは簡単だろう。魂を器に注ぎ、言葉を紡ぐ口を生み出し、命の息吹と共に吹きかけて立ち上がらせてやるだけだ。
そうして口を生み出し———やめた。
彼女が望んだのは共にいる事で、再度の別れではないのだから。
しかし、純粋で絶対的な互いの存在を、このまま虚無へとを還すのもまた、憚れた。
『……。』
彼女らが望んでいたかは分からない。
幾らでも矛盾を指摘できる全知では、推測など出来はしないのだろう。
世界は自らの依代を作り出し、そっと手を閉じて、手の中にある二人の世界を抱きしめた。
二人の交わした最後の口づけの記憶を、決して消えぬ物語として。