僕の名前はライ・フェンネル。
狐人とエルフの血を引くハーフであり、この広い世界でも非常に珍しい
尖った耳とふさふさとした狐の尻尾は、僕が2つの種族の境界に立つことの何よりの証明である。
僕は数年前から、とある女神と一緒にこの薄暗い森の奥深くで暮らしている。
なんでも、天界から下界を見下ろしていた女神様は、孤独に泥水をすする僕の姿がどうしても気になって仕方なかったらしい。
温かく、慈愛に満ちたその神様との出会いは、間違いなく僕の人生を根底から変えた。
まあ、今はそんな感動的な過去のことはどうでもいい。それよりもずっと、切実で大事なことがあるのだ。
「焼き松茸に焼きとうもろこしに焼きおにぎり─デメテル様、お肉が食べたいです」
目の前のテーブルに並ぶのは、芳醇な香りを漂わせる秋の味覚たち。
いくら美味で栄養満点でも、毎日毎日同じようなものが続けば心は確実に死んでいく。そう、僕は完全に野菜という存在そのものに飽き果てていた。
いやまあ、デメテル様に会う前は日々の食事にも困り、慢性的な飢えと寒さに震えていたから、あの地獄のような日々と比べたら間違いなくここは天国ではあるんだけど......それでも飽きたものは飽きたのだ。
眷属になったばかりの頃、初めて得た力と抑えきれない衝動のままに、この森に生息する獣を片っ端から狩り尽くしてしまったのが、今になって激しく悔やまれる。
あんなに急いで大切なお肉を消費するべきではなかった。少しは生かして、繁殖させるべきだったのだ。
「そうよね。食べ盛りだもの、お野菜ばかりだと飽きてしまうわよね」
困ったように、けれどどこか愛おしそうに微笑む美しいデメテル様に、僕はかねてからの思いを思い切って口にした。
「そろそろ森の外に出てもいいのでは?僕もいつまでもこの鬱蒼とした森の中に籠もっているのは本意ではありませんし」
物心ついた時から、僕には両親がいなかった。
というか、僕を庇護してくれる者は誰1人として存在しなかった。
見渡す限りの木々と獣だらけの森の中、泥にまみれ、名もない苦い雑草を噛み締めながら、ただ必死にその日を生きながらえてきた。
だから、この薄暗い森には恨みこそあれど、あまりいい思い出など残っていないのだ。
唯一いいところがあるとすれば、デメテル様と僕を引き合わせてくれたことくらいだろう。
その奇跡のおかげで僕は彼女のただ1人の眷属になれた上に、特別な魔法まで発現することができた。
魔法の名は『
対象となる野菜や植物に使用するとその成長速度を劇的に早め、滋養強壮満点の『極上の野菜(高品質の植物・土)』へと瞬時に変質させるという破格の魔法だ。
そのお陰で眷属になってからというもの、食事の量や質そのものに困ったことは1度もない。
お肉は一切なく、完全な野菜限定の食卓ではあるけども......それでも、飢えの辛さを骨の髄まで知る僕にとっては、涙が出るほどありがたいことだと思っている。
「そうね。それなら、オラリオに向かいましょうか。多くの神がそこに集まっているの」
「僕はここから出ることができるのなら、どこでも」
今まで何度か遠回しにお願いしたことがあったけど、ついに僕の希望が通った。純粋に嬉しい。
神々が集うというその街がどんな場所なのかはよく分からない。
だけど、きっとこの森よりはずっと活気があって、美味しいお肉だって売っているはずだ。
そこに着いたら、僕は駆け出しの冒険者としてたくさん稼いで、雨風に怯えなくてもすむ大きくて良い家を手に入れて暮らしたい。
「......オラリオはどっちに向かえばいいのかしら?」
その言葉を聞いた瞬間、僕は危うく手からお茶の入った木組みのコップを落としそうになった。
コップの中の温かいハーブティーがちゃぷんと揺れ、かすかな波紋を作る。
目の前に座る美しき女神様は、小首を傾げながら純粋な疑問を浮かべていた。
嘘だろ、と僕は心の中で盛大にツッコミを入れた。
あれだけ堂々と『オラリオに向かいましょうか』と提案しておきながら、まさか方角すら全く分かっていなかったなんて。
いや、僕も知らないから何も言えないのだけれど。
「デメテル様......もしかして、オラリオの場所をご存知ないんですか?」
「ええ、全く知らないわ!天界から見ていた時は、下界の地理なんて気にしていなかったもの」
悪びれる様子もなく、むしろ清々しいほどの笑顔で断言されてしまうと、不思議と怒りや呆れよりも脱力感の方が勝ってしまう。
これが神様という存在のスケールの大きさなのか、それとも単にデメテル様が少しばかり天然なだけなのか。
おそらく後者だろうと僕は密かに結論づけた。
「......仕方ありませんね。とりあえず、この森を抜けて人がいそうな場所を探しましょう。誰かに道を尋ねるのが一番確実ですから」
「そうね、それがいいわ!ふふっ、なんだか本格的な冒険が始まるみたいでワクワクするわね」
まるでピクニックにでも出かけるかのような無邪気な様子に、僕は小さくため息をつきながらも、自然と口元が綻んでしまうのを止められなかった。
僕たちはすぐに出発の準備に取り掛かった。
と言っても、元々この森での生活は質素なもので、持っていく荷物などたかが知れている。
数着の着替えと、野営のための少しばかりの道具、そして折りたたみ式の小さなテントが1つだけ。
あとは道中で僕の魔法『
「よし、忘れ物はないですね。行きましょうか、デメテル様」
「ええ、よろしく頼むわね、ライ」
並んで歩き出し、長年暮らした薄暗い森に背を向けた。
鬱蒼とした木々のアーチを抜け、少しずつ視界が開けていくのを感じる。
足元の感触が湿った腐葉土から乾いた硬い土へと変わり、頬を撫でる風にも陽だまりの匂いが混じり始めていた。
どれくらい歩いただろうか。
数時間ほど歩き続け、ついに森の境界線を越えた時、目の前にはどこまでも続く青々とした草原が広がっていた。
「わあ......!見てライ、空がとっても広くて綺麗よ!」
デメテル様は歓声を上げ、両手を広げて草原の風を全身で受け止めている。
その金色の髪が太陽の光を反射してキラキラと輝き、まるで彼女自身が光り輝く太陽の一部になってしまったかのように神々しかった。
「本当に......こんなに広い空を見るのは、物心ついてから初めてかもしれません」
外の世界は、僕が想像していたよりもずっと明るく、そして果てしなく広大だった。
しかし、感動ばかりもしていられない。
太陽が西の空に傾き始め、空が茜色に染まる頃には、僕たちは今日の寝床を探さなければならないからだ。
「今日はこの辺りで野営にしましょう。風避けになりそうな岩陰もありますし」
「ええ、そうしましょうか。たくさん歩いたから少し疲れちゃったわ」
手早く荷物を下ろし、1つしかない小さなテントを組み立て始めた。
慣れた手つきで骨組みを立て、丈夫な布を被せてペグを地面に打ち込んでいく。
あっという間に完成したテントは、想定していたよりもずっと小さかった。
その後、近くで拾い集めた枯れ枝で焚き火を起こし、夕食の準備に取り掛かる。
道中で見つけた野生の硬い根菜や、酸っぱそうな木の実を並べ、僕は静かに意識を集中させる。
【謳え、慈愛の大地。万物を育む豊穣の母よ】
【我が祈りをもって陽光と為し、我が声をもって恵雨と為す】
【目覚めよ、小さな命】
【理を束ね、刹那の刻に花を咲かせん】
【与えよ、満たせよ、至高なる大地の恩寵をここに】
「『
僕の手から淡い光が放たれ、植物たちを優しく包み込む。
次の瞬間、干からびていた根菜は丸々と太ったみずみずしい極上の野菜へと変貌し、木の実は甘い香りを漂わせる宝石のような果実へと姿を変えた。
「相変わらず素晴らしい魔法ね。ライの力は本当に世界を豊かにするわ」
「ありがとうございます。すべてデメテル様のお陰です」
出来上がった極上の温野菜を2人分のお皿に取り分けた。
味は文句なしに美味しいし、一口食べるだけで全身に活力がみなぎってくるのが分かる。
......野菜、飽きたなぁ。美味しいんだ、美味しいんだけどやっぱりお肉が食べたい。
オラリオに着いたら、絶対に肉汁滴る分厚いステーキを食べてやる。
そんな野望を胸に秘めながら、僕たちは静かな草原の夜空の下で夕食を終えた。
夜が深まり、冷たい風が吹き始めると、僕たちは焚き火の始末をしてテントの中へと潜り込んだ。
僕はテントの外で火の番をしながら休むと提案したが、デメテル様に即座に却下された。
「うふふ、なんだか秘密基地みたいで楽しいわね」
テントの中は予想以上に狭く、僕とデメテル様は肩が触れ合うほどの距離で横になるしかなかった。
「狭くて申し訳ありません。やっぱり、僕は外で......」
こんな窮屈な思いをさせるわけにはいかないと改めて提案したのだが、デメテル様は僕の腕をギュッと掴んで首を横に振った。
「ダメよ。夜の冷え込みを甘く見てはいけないわ!それに、私はライと一緒に寝たいの」
その言葉とともに、僕にすり寄るようにして身を預けてきた。
「デ、デメテル様!?」
「あたたかいわね......ライの尻尾、とってもふわふわで気持ちいいわ」
デメテル様は僕の狐の尻尾を毛布代わりのように抱き寄せ、幸せそうに目を閉じている。
デメテル様の体からは、陽だまりと豊かな大地のようなどこか懐かしく甘い香りが漂い、僕の鼻腔をくすぐった。
心臓が早鐘のように鳴り響き、顔にカッと熱が集まるのが分かる。
いくら眷属とはいえ、敬愛する女神様とこんなに近い距離で夜を明かすなんて、心臓に悪すぎる。
ああ、でも、デメテル様は最初からこうだった。孤独だった僕に温もりを教えてくれた。
泥だらけで誰にも見向きもされず、冷たい雨に震えながら丸まっていたかつての夜。
あの暗闇の日々を思えば、今は信じられないほど幸せで、満たされている。
「......おやすみなさい、デメテル様」
僕は小さく呟き、そっと目を閉じた。
翌朝、小鳥のさえずりと共に目覚めた僕たちは、再び目的地の分からない旅を再開した。
1日目は広大な草原をひたすら歩き、2日目はなだらかな丘陵地帯を越え、3日目には透き通るような美しい川のせせらぎに沿って進んだ。
景色は毎日変わるのに、一向に人の気配も、オラリオという巨大な街の影すら見えてこない。
「ライ、あっちの山を越えたら何かあるかもしれないわ!」
「デメテル様、昨日はあっちの森を抜けたら何かあるって言って、結局行き止まりだったじゃないですか......」
方向感覚という概念が全く存在しないデメテル様に振り回されながらも、不思議と辛さは感じなかった。
むしろ、道なき道を手探りで進んでいくこの旅路自体が、僕にとってはかけがえのない宝物のように思えていたからだ。
とはいえ、いつまでも野宿を続けるわけにはいかない。
僕の体力はともかく、神の力を封印して下界に降り立っているデメテル様の身体に負担をかけるわけにはいかないからだ。
そんなあてもない旅が5日目を迎えた日の午後。
僕の鼻が、風に乗って運ばれてきたある微かな匂いを捉えた。獣ではなく、家畜の匂いだ。
「......音が」
耳を澄ませば、遠くから微かに何かを叩くような音や、家畜の鳴き声のようなものが聞こえてくる。
間違いない。
「どうしたの、ライ?」
「デメテル様、あっちです!あっちから、音が聞こえます!人もいるはずです!」
「本当!?すごいわライ......!」
デメテル様に頭を撫でられ、尻尾が左右に揺れるのを必死に抑えながら、僕たちは音のする方向へと急いで足を踏み出した。
獣道を抜け、背の高い草を掻き分けて進むと、やがて地面に轍の跡が残る土の道が現れた。
その道をさらに進んでいくと、ついに視界の先にぽつぽつと建ち並ぶ木造の家々が見えてきた。
それはオラリオのような巨大な都市には程遠い、周囲を低い柵で囲まれただけの、本当に小さなのどかな村だった。
村の入り口には見張りのような青年が立っており、見慣れない僕たちの姿に驚いたように目を見開いている。
「あ、あの......旅の方ですか?ここは、辺境のルエカ村ですが......」
青年は警戒と好奇心が入り混じったような表情で、おずおずと僕たちに声をかけてきた。
「えぇ、僕たちは旅の者です。オラリオという街を目指しているのですが、道に迷ってしまいまして......」
僕ができるだけ警戒されないように穏やかな声で答えると、青年は『オラリオ!?』と頓狂な声を上げた。
「オラリオなら、ここから馬車でさらに2週間は西に向かわないと着かないぞ!あんたたち、完全に逆方向から歩いてきたよな!?」
その言葉に、僕はガックリと肩を落とし、横にいるデメテル様は『あちゃー』という顔でペロッと舌を出していた。
どうやら、僕たちの旅はまだまだ長くなりそうだ。
「......とりあえず、道は後で詳しく教えていただくとして。この村に、宿屋や食堂はありますか?」
「あ、ああ。村の中心に小さな酒場兼宿屋があるけど......」
「デメテル様、行きましょう!お肉です!村があるなら、絶対にお肉があるはずです!」
「ふふっ、ライったら本当に食いしん坊ね」
僕は長かった野菜生活からの解放を予感し、歓喜の声を上げながら村の中へと足を踏み入れた。
そんな確信を胸に抱きながら、酒場へ向かって、期待に胸を膨らませて駆け出した。
アルヴの王森を出奔してから1年が経過した。
従者として伴をしてくれたアイナ・リンドールは外の空気が身体に合わず、体調を崩しがちになってしまった為、とある高地にある自由都市で半年前に別れた。
その際に今後の生活に困らないように大半の路銀を渡したため──今の私には、全くと言っていいほどお金がない。
野営を重ね、時には森で木の実を採集し、どうにか誤魔化しながら路銀を使ってきたが、私の革袋にはもう50ヴァリスしかない。
この村でまともな食事を1度でも取れば、間違いなく全財産が吹き飛んでしまうだろう。
「ハ、ハイエルフ......?どうなってるんだ、今日は。
門番と思しき人間族の青年が、私の顔を見るなり何かブツブツと呟いている。
ひどく失礼な物言いだが、空腹と長旅の疲労で限界を迎えている今の私には、彼の言葉をとがめる気力すら残っていなかった。
「......そこの貴方。独り言は構わないが、少し道を尋ねてもいいだろうか」
「ひっ!?あ、はい!何でしょうか、ハイエルフ様!」
「様はつけなくていい。私はただのしがない旅人だ。この村で、最も安く食事ができる場所を教えてほしい。できれば、50ヴァリス以内で腹を満たせるような店を」
王族の矜持など、とうの昔に捨て去った。誇りや見栄を張ったところで、鳴り響く腹の虫を黙らせることなどできないのだ。
門番の青年は私の身なりと懐事情のギャップに戸惑ったように目を瞬かせたが、すぐに村の中心の方角を指差した。
「そ、それなら村の広場にある宿屋兼酒場に行くといいです。というか、この村にはそこしか食事処がないんで......」
「そうか、感謝する」
私は青年に短い礼を告げ、重い足取りで村の中へと足を踏み入れた。
ルエカ村と呼ばれるこの集落は、私の故郷である王森とは比べ物にならないほど小さかった。
あちこちから家畜の獣臭い匂いが漂い、土の道は歩くたびに容赦なく土埃を舞い上げる。
だが、そんな辺境の村の中心部から、尋常ではないほどの活気と、鼻腔を強烈にくすぐる芳ばしい匂いが漂ってきたのだ。
(この匂いは......野菜だろうか?)
私は匂いに釣られるように無意識に歩みを速め、やがて目的の酒場兼宿屋の前へと辿り着いた。
建物の外まで人々の熱気と歓声が漏れ出しており、まるで年に1度の収穫祭のような大騒ぎになっている。
意を決して木製の分厚い扉を押し開けると、店内は所狭しと村人たちでごった返していた。
「おい、信じられるか!?このただの焼き野菜、俺が今まで食ってきたどの肉より美味いぞ!」
「あぁ!あの口の悪い狐のガキ、最初は料理が不味いなんて文句を言いやがって生意気だと思ったが......まさか本当に厨房を乗っ取って、こんな極上の料理を出すなんて!」
「おい親父!このジャガイモのロースト、もう1皿頼む!いくらでも払うぞ!」
飛び交う怒号のような称賛の声に、私は思わずその場に立ち尽くした。
どうやら、私が来る少し前にこの酒場を訪れた世にも珍しい──門番が言っていた
しかも、彼自身が持ち込んだ野菜を調理しているらしく、それが村人たちを狂乱させるほどの大絶賛を浴びているらしい。
「そこのお嬢さん!突っ立ってないで空いてる席に座りな!今日は相席になるけど我慢してくれよ!」
忙しなく店内を駆け回る給仕の女性に促され、私はむさ苦しい村の男たちが座る丸テーブルの空席に半ば強引に押し込まれた。
周囲の男たちは私がハイエルフであることに一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに目の前の料理の虜に戻り、猛然と皿にかぶりつき始めた。
私は壁に掛けられた木札のメニュー表に目を向ける。
肉の串焼き盛りが90ヴァリス。野菜と干し肉の煮込みが70ヴァリス。お任せ串盛り50ヴァリス
(......他にもう少し安い料理はないだろうか)
そう思いながらメニューの端に視線を移すと、そこには乱雑な手書きで追加された新しい項目を見つけた。
『妖精狐特製・焼き野菜の盛り合わせ......30ヴァリス』
これだ。今の私にはこれしか選択肢がない。
私は安堵の息を漏らし、通りかかった給仕を引き止めた。
「すまない、この焼き野菜のメニューを1つ頼む」
「はいよ!特製焼き野菜1丁ね!すぐ持ってくるから待ってな!」
注文を終え、私は木製のジョッキに注がれた水を飲みながら静かに待った。
たかが30ヴァリスの焼き野菜だ。味は期待できない。
王森で最高の野菜料理を味わってきた私にとって、人間の村で出される野菜などたかが知れている。今までもそうだった。
そう、高を括っていたのだ。
だが、運ばれてきた木皿を見た瞬間、私の常識は根底から覆されることになる。
「お待ちどうさま!熱いから気をつけてな!」
目の前に置かれたのは、無造作に厚切りにされ、表面に軽く焼き目がつけられただけの数種類の野菜だった。
まるで内側から光を放っているかのように瑞々しく、立ち上る湯気からは森の奥深くの清浄な空気を濃縮したような、甘く芳醇な香りが漂っている。
私はフォークを手に取り、最も大きく切り分けられた根菜を口に運んだ。
「......ッ!?」
噛み締めた瞬間、私の思考は完全に白く染まった。
なんだ、これは。
シャキッとした絶妙な歯ごたえと共に、暴力的なまでの甘みと旨味が口内を徹底的に蹂躙する。
ただ火を通しただけのはずなのに、溢れ出す果汁は極上のスープのように濃厚で、喉を通るたび私の身体の隅々にまで強烈な活力が満ちていくのがわかる。
味付けはほんの少しの塩だけだというのに、野菜そのものが持つポテンシャルが段違いだ。
(美味しい......いや、そんな陳腐な言葉では到底表現できない)
気がつけば、無我夢中で皿の上の野菜を貪っていた。
熱さなど気にも留めず、芋を噛み砕き、キノコを味わい、トウモロコシの粒を1粒残らず食べる。
あっという間に皿は空になった。
足りない。
こんなものでは全く足りない。もっと、もっと味わいたい。
長きにわたる貧乏旅で抑圧されていた私の食欲という名の怪物が、完全に目を覚ましてしまった。
「すまない!この焼き野菜を、もう3皿......いや、5皿持ってきてくれ!」
私は勢いよく立ち上がり、はしたないほど大きな声で給仕を呼んだ。
周囲の村人たちが目を丸くして私を見たが、今の私に羞恥心など微塵も存在しなかった。
「あいよ!お嬢さん、細いのに良い食いっぷりだね!特製の野菜スープもあるけど、どうだい?」
「もらう!それも3杯頼む!あと、そこの男が食べている芋のローストもだ!」
それから先の記憶は、ひどく曖昧で断片的なものだ。
私は次々と運ばれてくる極上の野菜料理を、まるで何かに取り憑かれたかのように胃袋へと流し込み続けた。
あまりの美味さに感動の涙を流しながら、咀嚼する喜びにただ身を委ねる。
周囲の喧騒すらも遠くの世界の出来事のように感じられ、ただひたすらに至高の味覚を貪り続けたのだ。
己の所持金がたったの50ヴァリスしかないという、残酷な現実を完全に忘却の彼方へと追いやって。
「ふぅ......」
すべての皿を平らげ、心地よい満腹感と多幸感に包まれながら、私は深く息を吐き出した。
エルフの王族としてあるまじき暴食を働いてしまったが、後悔は一切ない。これほどの美食に出会えたのだから。
私は備え付けの粗末な布で口元を拭い、満ち足りた表情で給仕の女性を呼んだ。
「素晴らしい食事だった。厨房の少年に賛辞を伝えておいてくれ......お代はいくらだ?」
給仕の女性は手元の帳簿を指でなぞりながら、満面の笑みで告げた。
「ええと、焼き野菜が6皿で180ヴァリス、特製スープが3杯で150ヴァリス、芋のローストが2皿で100ヴァリス。合計で430ヴァリスになりますね!毎度あり!」
「......え?」
私の顔から、スッと血の気が引いていくのがはっきりとわかった。
430ヴァリス。
私は自分の革袋の中身を思い出す。中に入っているのは、どう贔屓目に見ても50ヴァリスのみ。
380ヴァリスの不足。それはつまり、無銭飲食という犯罪行為に他ならない。
「あの、どうかしましたか?お嬢さん」
不思議そうに首を傾げる給仕の女性を前に、私は全身からじっとりと冷や汗が噴き出すのを感じた。
先程までの至福の時間は一瞬にして消え去り、現実が私の首筋に冷たい刃を突きつけている。
「あ、いや......その......」
私の脳裏に、皿洗いや床掃除といった労働で借金を返済する自身の惨めな姿が鮮明に浮かび上がった。
アルヴの王森を出奔したハイエルフが、辺境の村で無銭飲食の末に酒場の下働きに落ちる。
あまりにも滑稽で、あまりにも悲惨な結末ではないか。
厨房からは、まだ見ぬ
彼の料理が悪いのではない。私の自制心のなさがすべての元凶なのだ。
「......少し、店主に相談があるのだが」
私は震える声でそう絞り出すと、深々と頭を抱えて油に塗れたテーブルに突っ伏した。
その後、私は妖精狐のライ・フェンネルが店主に口を聞いてくれたおかげで無罪放免となり、彼が所属しているファミリアに入ることになった。
森の外の世界は恐ろしいこともあるものだ.......
デメテル様
リヴェリア様
っぱ、ダンまちだよなぁ。