「ラ〜イっ、明日は私とデートしましょうか」
昨日、じゃが丸くんの屋台販売を巡る一連の騒動がようやく落ち着きを見せた頃。
僕の主神であるデメテル様は、とびきりの笑顔で唐突にそう宣言した。
「デートですか?まあ、デメテル様が望むのなら」
「あら、よかったわ。ライってば、最近全然構ってくれないから寂しかったのよ」
そんなやり取りを経て、僕の今日という1日は、デメテル様とお出かけすることになった。。
本来であれば、今日は最初からじゃが丸くんの屋台を監視するつもりだった。
昨日の売上対決を見る限り、リヴェリアに監督役を任せておくのは非常に不安が残るし。
だけど、デメテル様に誘われてしまったならそっちを優先するしかない。リヴェリアが同じ失敗をしないと信じよう。
後でギルドからクレームが来ないことだけを祈りつつ、僕は自室の鏡の前に立って身だしなみを整えていた。
コンコンッ
「ラ〜イ、準備はできたかしら?」
扉の向こうから、弾むような明るい声が聞こえた。
「はい、今開けます」
扉を開けると、そこには、息を呑むほどに美しい女神が立っていた。だが、その服装は普段のピンク色のワンピースではない。
一目見るだけで高級だとわかる、淡いクリーム色を基調とした滑らかな生地のサマードレスだ。
胸元や裾に軽くあしらわれた上品なリボンが愛らしさを演出しつつ、ウエストがきゅっと絞られた美しいシルエットが、デメテル様の豊満な肢体をより一層引き立てている。
太陽の光を編み込んだかのような髪は、緩やかに編み込まれて片方の肩に流されており、つばの広い麦わら帽子が、優しい顔立ちによく似合っていた。
「どうかしら?今日は気合いを入れて選んでみたんだけど」
デメテル様は少し照れたように頬を染め、スカートの裾を軽く摘んでその場でくるりと回ってみせた。
ふわりと、陽だまりと甘い花の香りが僕の鼻腔をくすぐる。
「......すごく、綺麗です。本当に、よく似合っています」
珍しい。この服は僕が以前に贈ったものだ。デメテル様はあまり自分の物にお金を使わないから、僕とリヴェリアが贈り物を定期的にしている。
僕がファミリアの品位を落とさないように身だしなみに気を使うのと同じく、デメテル様が見下されるようなことが起きて欲しくないからね。
まあ、そんなことは天地がひっくり返っても起きないだろうけど。
とにかく、これからも色々な服を着て欲しい。そして、デメテル・ファミリアの財力を象徴してくれると嬉しい。
「うふふ、ありがとう!ライも、とってもかっこいいわよ。すっかり立派な大人の男の子って感じね」
デメテル様は笑みを浮かべると、ごく自然な動作で僕の右腕に自分の腕を絡ませてきた。
「さあ、行きましょうか!今日は1日、私をたっぷりエスコートしてちょうだいね!」
豊かな胸の感触が、腕越しにダイレクトに伝わってくる。
いくら眷属と主神という関係とはいえ、さすがにこの密着具合は心臓に悪い。
「お望みであれば、いくらでもエスコートしますよ」
「ふふっ、流石ライね。でも、あまり無理しないでね。ライと一緒に街を歩くだけで楽しいから」
「なるべく頑張ります」
「ええ、よろしく頼むわね」
こうして、僕たちは腕を組んだまま、朝の活気に満ちたオラリオの街へと繰り出した。
オラリオのメインストリートは、今日も多くの人々と活気で溢れ返っていた。
僕たちが歩を進めるたびに、周囲から好意の声が聞こえてくる。
「おおっ、デメテル様!後でうちの店寄ってってくださいよ!」
「いつも美味い野菜をありがとう!デメテル様んとこの野菜のおかげで、うちの店も繁盛してるよ」
「デメテル様〜!これ、うちで取れたばかりの新鮮な果物です!ぜひ持っていってください!....デメテル・ファミリアのとは比べないで欲しいですけど」
道を歩けば、住人たちから次々と声が掛かる。
デメテル様はその一人一人に対して足を止め、丁寧に、そして笑顔で応えていた。
「ありがとう!あなたの果物、いつも本当に甘くて美味しいのよ。ライにも後で食べさせてあげるわね」
「まあ、体調が良くなったの?それは本当に良かったわ。私のファミリアが育てた栄養満点の野菜、これからもたくさん食べてね」
微笑みかけるだけで、その場にいるすべての人の顔がパッと明るくなる。
これは、デメテル様の圧倒的な慈愛と温かさがもたらす温かさのお陰なんだろう。少なくとも僕にはできない。
9年前、僕たちがこの街に辿り着いた時、オラリオは慢性的な食糧不足に喘いでいた。
飢えに苦しむ子どもたち、その日暮らしで疲弊しきった大人たち。
その状況を憂いたデメテル様の願いを叶えるために、僕たちは地を耕し、野菜を育て続けた。
結果として、オラリオの食糧事情は劇的に改善され、デメテル・ファミリアは街の生命線として絶対的な支持を得るに至ったというわけさ。
歩くだけでここまで声をかけられる神を、僕はデメテル様以外に知らない。知名度があっても、性格に難があって恐れられる神の方が多いから。
「みんな、本当に元気になってくれたわね」
ふと、デメテル様が周囲の喧騒を見渡しながら、愛おしそうに目を細めて呟いた。
「ええ。デメテル様が、オラリオを救いたいと願ったからですね」
そうでなければ、僕はオラリオの食糧事情の改善なんてしなかった。やったとしても、せいぜいファミリア内で食べれる程度の農業だったと思う。
「違うわ、ライ」
デメテル様は僕の腕を抱きしめる力を少しだけ強め、僕の顔を見上げて優しく微笑んだ。
「あなたとリヴェリアが、私のワガママを聞いて、毎日ボロボロになるまで土を耕してくれたからよ。2人がこの街を、この笑顔を作ってくれたの。私はね、そんなあなたたちのことが、何よりも誇らしいのよ」
「僕はただ、デメテル様に従っただけです。リヴェリアは優しいから本人の意思もあるでしょうけど」
照れ隠しに視線を逸らすと、デメテル様は嬉しそうに笑い、僕の腕に頬を擦り寄せてきた。
その後、僕たちは高級な装飾品や服飾品が並ぶエリアへと足を向けた。
「ライ、あのお店に入ってみましょう!」
デメテル様に手を引かれて入ったのは、オラリオでも有数の高級ブティックだった。
店内には、宝石を散りばめたような華やかなドレスや、仕立ての良い紳士服がズラリと並んでいる。
「いらっしゃいませ、本日はどのようなお召し物をお探しでしょうか?」
「この子に似合う服を、上から下まで全部見繕ってもらえるかしら?あ、予算は気にしないで」
「デメテル様、僕の服はいいですよ。それより、デメテル様のを買いましょう」
「私には、ライとリヴェリアがプレゼントしてくれた洋服が沢山あるもの。お返しよ」
店員の目が『超大口の客が来た』と言わんばかりにギラリと光り、僕はあっという間に試着室へと押し込まれた。
それからの1時間は、着せ替え人形だった。
次から次へと持ち込まれる高価なシャツ、ジャケット、コート。
「うんうん、シックな黒も似合うわね。でも、ライの銀髪にはこういう深緑のジャケットの方が映えるかしら?」
「デメテル様、僕はこんなに服は....」
「ダメよ、ライ。いざという時のために一張羅の3着や4着は持っていなくちゃ。それに──私が、色んな服を着たライを見たいの」
上目遣いで諭すように優しく言われてしまえば、もう抵抗する気力も湧いてこない。
結局、デメテル様が厳選した数着の服を購入することになり、僕は両手にずっしりと重い紙袋を下げることになった。
なお、この中にはデメテル様がリヴェリアにプレゼントする予定の服も含まれている。
「ありがとう、ライ。とっても楽しかったわ」
「デメテル様が楽しんでくれたなら、重労働の甲斐がありましたよ」
店を出て、再び腕を組んで歩き始める。腕を組む度に、なんというか、なんというか....
さて
──渡すなら、このタイミングかな。僕は、昨日急遽作り上げた琥珀のブレスレットを取り出してデメテル様に差し出した。
「デメテル様。今日はデートとの事だったので、プレゼントを用意しました。受け取ってもらえませんか?」
そう言って差し出すと、デメテル様は驚いたように目を丸くした。急遽作ったとはいえ、我ながら完成度は完璧だと思う。
「これ......私に?」
「はい。デメテル様に、すごく似合うと思ったので」
デメテル様はブレスレットを受け取ると、愛おしそうに胸元で両手で包み込んだ。そこまで喜んでもらえたなら良かった。
「ありがとう、ライ......とっても、とっても嬉しいわ」
デメテル様の瞳に、うっすらと涙の膜が張っているのが見えた。
あ、いや、そこまで喜ばれるのは予想外だった。普段から贈り物を渡してるから、今回が決して初めてというわけではないのに。
「どうかしら?変じゃない?」
「綺麗です」
素直な感想を伝えると、デメテル様は満面の笑みで僕の腕にギュッと抱きついてきた。
「もう、ライったら......」
僕たちはその後、予約しておいたレストランで昼食をとり、オラリオの街をのんびりと散策し続けた。
太陽が西の空へと傾き、街全体が茜色に染まり始めた頃。
僕たちはオラリオの北西部の城壁の上にいた。
ここからは、夕日に照らされて夕日に暮れるオラリオの全景と、その中心にそびえ立つ巨大なバベルの塔を一望することができる。
「綺麗ね......」
デメテル様は夕暮れの街を見下ろしながら静かに呟いた。
僕も隣に並び、同じ景色を見つめる。
しばらくの間、心地よい沈黙が僕たちを包み込んでいた。
やがて、デメテル様がぽつりと、静かな声で口を開いた。
「......ライ。私ね、ずっと怖かったの」
その声には、日中の明るいデートの空気は一切感じない。
「あなたがヘラに目をつけられて、不治の病を治す薬を作れと脅されたと聞いたあの日から......私は、毎晩まともに眠ることができなかったわ」
デメテル様は手すりを握る手を強く握り締め、俯いた。
「毎日、夜まで調合室に籠もって、血を吐くような努力をしているあなたを見ていることしかできなかった。神である私が、私のファミリアを守るために、一番大切な子どもであるあなたに、命懸けの重圧を背負わせてしまった」
「デメテル様......」
「私がもっと力のある神だったら。ゼウスやヘラのように、誰も逆らえないような武力を持ったファミリアの主神だったら....あなたをあんな目に遭わせることはなかったのに」
声が震えている。
デメテル様の言葉は間違っている。僕が問題を引き寄せて僕が解決した。ただそれだけの話で、ファミリアを危険に晒したのも僕だ。
「ごめんなさい、ライ。私......重要な時に、あなたのことを守ってあげることができなかった」
悲壮感溢れる表情で、自身の無力さを責める女神。
その姿を見て、僕は心が激しく締め付けられるのを感じた。
だって、全ては僕が悪かったんだから。
僕はゆっくりと手を伸ばし、震える両肩を優しく包み込む。
「顔を上げてください、デメテル様」
「ライ......」
潤んだ瞳が、僕を見上げる。
「謝らないでください。デメテル様は何も悪くない。事の発端は僕のついた嘘ですし、何より──僕はデメテル様が、優しくて慈愛に満ちた女神様だからこそ、救われたんです」
僕は瞳を真っ直ぐに見つめ返し、言葉を紡ぐ。
「僕をあの森から連れ出してくれたのはデメテル様です。もしあの時、デメテル様が力と武力だけを求める神だったら、僕みたいな薄汚れた妖精狐になんて、見向きもしなかったと思います」
「......っ」
「多少甘すぎると思うことはありますけど、だからこそ、ついて行こうと思えた。僕は、デメテル様が僕を拾ってくれて、僕の主神で──心から良かったと思ってます」
僕の言葉に、デメテル様は息を呑み、そして、堪えきれないように僕の胸に顔を埋めた。
「うぅ......ライ......っ、ライ......!」
その背中を、僕はゆっくりと撫で続けた。
夕日が完全に沈みかけ、空に一番星が現れるまで、僕たちはそのままの姿勢で寄り添い続けた。
やがて、落ち着きを取り戻したデメテル様が、小さく鼻をすすりながら僕の胸から顔を離した。
「ごめんなさい、せっかくのデートなのに、泣いちゃって」
「構いませんよ。デメテル様が泣きたい時は、いつでも僕の胸を貸します」
僕がハンカチで涙を拭うと、デメテル様はふわりと柔らかく微笑んだ。
次の瞬間、デメテル様の瞳に浮かんだのは、母親のような慈愛の色ではなく、熱を帯びた強い感情だった。
「ライ」
僕の胸に当てていた手をそのまま首筋へと這わせ、僕の顔を引き寄せるようにして背伸びをした。
顔と顔の距離が、数センチまで縮まる。
互いの息遣いが直接肌に触れ、甘い花のような香りが広がる。
「......私は神様よ。だから、こんな感情を持っちゃいけないって頭では分かっているの」
デメテル様は、濡れた瞳で僕を真っ直ぐに射抜いた。
「デメテル、様」
「あなたは私の眷属。私の可愛い子ども。でも......それだけじゃない。私にとってあなたは、この下界で見つけた、たった一人の大切な『男の子』なの」
女神の唇が、僕の頬にそっと、羽が触れるような優しさで触れた。
心臓が、激しく脈打つ。違う、これはいつもの慈愛でも親愛でもない。
「私のライ。多くは望まないわ。だから──私の元から離れることだけは禁止ね」
「──誓いましょう。僕がデメテル・ファミリアから抜けることはないと。偉大なる女神、デメテル様に」
僕がそう答えると、デメテル様は今日一番の、最高に美しくて可愛らしい笑顔を咲かせた。
「ふふっ、言質は取ったわよ、ライ」
僕たちは手を繋ぎ、来た時よりもずっと近い距離で肩を寄せ合いながら、ファミリアの拠点へと向かって歩き出した。
神が眷属に抱いてはいけない感情、か。僕はデメテル様が言っているその感情が何を指しているか理解している。
所有欲だ。
眷属に対しての所有欲なんて、他の神達も抱いているのに、デメテル様はそんなことを気にするなんて甘す....心優しすぎる。
優秀で頼れる眷属が他の神に引き抜かれたくないのは当たり前の感情なのに。
デメテル様