「──ああ、めんどくさい。なぜ俺が、このようなことをしなければならないのだ」
重い足取りでデメテル・ファミリアの拠点の門をくぐりながら、俺は内心で深くため息を吐いた。
ファミリアの運営や煩わしい雑事は、全て団長のザニスに任せているというのに。
俺はただ、静かに神酒の醸造と探求に没頭していたいだけなのだ。それ以外のことには興味もないし、俺には必要ない。
だというのに、今日ばかりは重い腰を上げ、他の神の拠点へと自ら足を運ばざるを得なくなってしまった。
応接室に通され、ふかふかのソファに腰を下ろす。
向かい側に座るのは、天界にいた時と変わらず太陽のように朗らかな微笑みを浮かべる豊穣の女神。
「──何か怒らせることをしただろうか、デメテル」
単刀直入に尋ねると、彼女は紅茶のカップを置き、小首を傾げた。
「あら、私は怒ってなんていないわよ」
「それなら何故、嫌がらせをしてくる」
俺がはるばるデメテル・ファミリアを訪れなければならなくなった理由。
それは数日前、デメテル・ファミリアから唐突に、我がファミリアへの食材及び果実や薬草類の『取引の一切を打ち切る』と通達されたからだ。
最初はザニスに解決するよう指示した。たかが食材の仕入れ先が一つ減った程度、別の商会かファミリアを見つければ済むことだと思っていた。
だが、甘かった。
オラリオにおける高品質な農作物の市場は、今や完全にデメテル・ファミリアに掌握されている。
彼らが供給を止めれば、他を当たっても必要量を確保することなど到底不可能なのだ。無論、品質を落とすことを良しとすれば購入できなくもない。
ザニスもその事実に焦ってデメテル・ファミリアとの交渉を試みたようだが、全く解決の糸口が見えない。
それどころか『門前で追い返されるため、デメテル・ファミリアの団長と会話すら困難である』という情けない報告を受ける始末だった。
ザニスが微塵も使えなのであれば、神である俺が出るしかない。だからこうして、気乗りしない中わざわざ出向いて来たのだ。
「取引停止の件ね。でも、それは私の子どもが決めたことだから、私にはどうしようもないわよ」
デメテルは困ったような顔を作ってみせるが、その瞳の奥には微かな冷たさが宿っているように見えた。
「それなら、その子どもに俺のファミリアと取引を再開するように命じてくれ。神酒が作れない。俺の探求が遅れる」
「ふふっ、無理よ。ライがそう決めたんだもの。私はあの子の意思を最大限に尊重するわ」
主神が眷属の決定を覆せないなど、あり得ない。ただ単に、俺の要求を突っぱねるための建前に過ぎないことは明らかだった。
どうやら、デメテルでさえこちらの要求を聞く様子を見せないほど怒らせているみたいだ。となると、うちの連中が『何か』をしでかしたらしい。
「......こちらの眷属が、何かしらそちらの気に障ることをしたのであれば、相応の罰を与える。望むなら、そいつらをファミリアから追放してもいい。だから、取引停止を解除するよう命令してくれ」
俺にとって、誰がファミリアにいようといまいとどうでもいいことだ。
神酒の醸造に支障が出るくらいなら、原因となった者などすぐにでも切り捨てる。
こうなったデメテルがこちらの願いを素直に聞いてくれるとは思えない。だが、それでも、なんとしても譲歩を引き出さねば困るのだ。
「市場で購入すればいいじゃない。わざわざ直接取引しなくても、街のあちこちでうちの野菜や果物は売っているわよ?」
「量が全く足りない。その上......お前のところの団員の圧力か、市場に出回っている最低品質のC等級しかうちの団員には売ってもらえない。更には、購入金額も相場の倍以上を払わされているらしい」
「あら、市場の価格や誰に売るかは、商人さんたちの自由よ?私たちが強制しているわけじゃないわ」
白々しい。デメテル自身が何もしてないとしても、デメテル・ファミリアが裏で手を回し、ソーマ・ファミリアへの締め付けを行っているのは明白だ。
確かにC等級とはいえ、デメテル・ファミリアの食材は、その辺の農家のものとは比べ物にならないほど質がいいのは認める。
だが、俺が求めている神酒の到達点には、それでは届かない。
A等級、あるいはS等級の極上の素材。それらと比較すると、C等級では明らかに劣るのだ。
だから俺は、今まで通りA等級以上の素材を直接卸してもらわなければならない。
「デメテル。お前も神ならば、俺の気持ちがわかるだろう。未知を探求し、至高を求める神の渇望が。頼む、この通りだ」
俺はソファから立ち上がり、深く頭を下げた。
神が神に対して深く頭を下げる。それは決して軽い意味を持たない。
これだけの態度を見せれば、いくらデメテルとて無下にはできないはずだ。
「......ふぅ」
しばらくの沈黙の後、デメテルは短く息を吐いた。
「顔を上げて、ソーマ。私がいくら言っても無駄なことは分かってもらえたかしら?でも......そうね。ライと直接話をさせてあげることくらいなら、私にもできるわ」
「......直接交渉しろと言うのだな」
「ええ。あの子を納得させることができたら、もしかしたら取引を再開してくれるかもしれないわよ?」
デメテルの言葉に、俺は微かに希望を見出した。
相手は所詮、下界の子どもだ。神である俺が直接赴き、多少の便宜を図ってやれば、機嫌を直すだろう。
「恩に着る、デメテル。すぐにその少年の元へ向かおう」
「今はギルドに呼び出されているから、戻ったらここに来るよう伝えるわ。それまで、ゆっくりと待ちましょう」
「わかった」
この時の俺は、まだ理解していなかった。いや、知らなかった。
ライ・フェンネルがギルドに呼び出された理由が、ザニスの策略であったことを。そしてそのせいで、俺とライ・フェンネルとの交渉の余地が消えたことを。
『デメテル・ファミリアにレベル虚偽申告の可能性があるため団長は至急ギルドまで来たし。拒む場合は相応の罰を与える』
届けられた羊皮紙に記された、そのあまりにも高圧的で脅迫じみた文面を思い出しながら、僕はギルドの廊下を歩いていた。
指定された応接室の扉を開ける。
そこにギルド職員の姿はなく、代わりに高そうな身なりをした、胡散臭い笑みを浮かべる男が一人、ふんぞり返るようにしてソファに腰を下ろしていた。
「初めまして、ソーマ・ファミリア団長のザニス・ルストラと申します」
男は僕の姿を見るなり、芝居がかった手つきで立ち上がり、揉み手でもしそうな勢いで愛想笑いを浮かべた。
「──なるほど。ギルドがファミリア間の争いに私情で介入したのか」
僕は小さくため息を吐き、冷たい視線で部屋を見渡した。
オラリオを管理するギルドは、決して一枚岩ではない。僕たちデメテル・ファミリアが街にもたらす恩恵を評価し、友好的に接してくれる人間もいれば、当然ながらその逆もいる。
特に僕たちのファミリアは、税率の特例など様々な面でギルドから譲歩を引き出しているからね。
それを快く思わない連中が、今回ソーマ・ファミリアの裏金か何かに買収されて、この不正規な会談をセッティングしたのだろう。
まあ、どうでもいい。こんなつまらない罠で僕を騙してここまで足を運ばせた代償は、後で関係者全員にきっちりと払わせるとして。
「わざわざ呼び立てておいて用件がこれなら、帰るよ」
会話をする価値すら見出せず、僕がすぐに身を翻して部屋から出ようとドアノブに手をかけた、その時だった。
「なっ、待ってください!」
ザニスが血相を変えて立ち上がり、慌てて僕の前に回り込んで扉の前に立ち塞がった。
邪魔だ。
殴り飛ばしてもいいんだけど.....一旦話だけは聞いてみるか。どうせ下らない言い訳と取引を持ちかけてくるだけだろうけど。
それに、見方を変えればこれは僕にとって『口実作り』にはもってこいの展開だ。
本当ならシャクティたちガネーシャ・ファミリアからの報告を受けたギルド上層部から、直接彼らに圧力をかけて欲しかったんだけど、この癒着具合だと正常な機能は期待できない。
上手くいったら、穏便な方法で終わらせることができたのに。
「今回の件、決してソーマ・ファミリア全体の意思ではありません!あの愚かな団員の一部が独断で住民の方々に迷惑をかけただけなのです!」
「それで?」
「ですので、今回の件はもう手打ちにしていただけませんか?もちろん、誠意としてデメテル・ファミリアに相応の金銭もお支払いいたします」
「なるほど」
「ライさんにも当然、個人的にささやかなプレゼントも贈らせていただきますので、後日ご確認ください。我々ソーマ・ファミリアからの、心からの友好の証ですので」
ザニスは卑屈な笑みを浮かべながら、僕の顔色を窺うように身を乗り出してきた。
「ふむふむ。君たちは、今回の件の賠償としてデメテル・ファミリアと僕個人に金銭や贈り物をしてくれると。それで行う対応は、全てで間違いないか?」
「──ええ!他に何かお望みのことがあれば、可能な限り伺いますが」
愚かだ。本当に、心底呆れるほどに愚かだ。
そろそろいいか。ここまでする予定は本当になかったんだけど、自ら絶好の大義名分を差し出してくれたのだから、これを利用しない手はない。
「君は何も分かっていない。今回の件で、君たちが真っ先に賠償し、頭を下げて謝罪しなければならないのは、君たちの団員が迷惑をかけ、恐怖を与えたオラリオの住民たちだというのに」
僕の声音から温度が消えた。
「おべっかを使い僕に媚びへつらうその薄汚い態度、何より市民への謝罪も反省も全くないその姿勢──これは、到底許せるものではない」
建前だ。でも、いい大義名分でしょ?
実は、欲しいものがあるんだ。
新規事業として酒造を始めようと計画しているものの、酒造の世界は僕が思っていたよりも遥かに奥深く、難しい。
一から試行錯誤してノウハウを蓄積し、設備を整え、レシピを開発するのは、それを任せる団員たちにとっては大きな負担になる。
でも、君たちが長年かけて培ってきた『酒造りのすべて』を譲ってくれるなら、その悩みも一瞬で解消する。
「我々デメテル・ファミリアは、そちらの不誠実な対応を断じて容認しない。よって、ソーマ・ファミリアに対して『戦争遊戯』を申し込む」
「なっ......!?せ、戦争遊戯だと!?」
「ああ。君たちは神酒という欲望に溺れ、冒険者としての矜持を失っている。一度裸一貫、初心に返ってやり直した方がよさそうだからね──僕たちが勝てば、君たちのファミリアの本拠地と、その中にある全てのものの『所有権』をもらう」
ザニスの顔から、先ほどまでの媚びた笑みが完全に消え去り、代わりに脂汗が滝のように流れ落ちていた。
「ば、馬鹿な!そんな条件、受けるはずがないだろう!」
そうだね、受けるはずがない。僕たちとソーマ・ファミリアでは、戦闘力に差がありすぎるから。
でも、断ったところで、君たちは最終的に受けざるを得なくなる。オラリオの世論を動かして、君たちを逃げ場のない盤上へと引きずり出すだけだから。もちろん、僕も重圧をかける。
だから、今は喚いて断るといい。
君たちの本拠地の建物自体には何の興味もないけど──君たちが持っている『酒造りのノウハウ』が、僕たちの新しい事業に必要だから。
レシピだけをピンポイントで要求すると、僕たちが彼らの暴走を建前にして、利己的に動いていることが第三者から見てすぐに分かってしまう。
だからカモフラージュとして、ファミリアの本拠地ごと全てを奪う形にした。これなら、ただの苛烈な制裁として受け取られる。
「交渉は決裂だ。震えて待っているといい」
僕は絶望に顔を歪めるザニスを置いて、応接室の扉を開けた。
ああ、まずはその前に。
今回僕にこんなふざけた呼び出し状を送りつけ、ソーマ・ファミリアに買収されてコソコソと動いていたギルド職員たちを、徹底的に締め上げてやらないとね。
僕は誰もいないギルドの廊下で、酒の香りを想像しながら、静かに、そして深く笑みを浮かべた。
「──僕たちが仮にレベル詐称してても、ファミリア等級はSだし、課せられる税も最低で固定なんだから関係ないよね。今後くだらない事で僕の時間を奪うことがないことを願うよ」
「『戦争遊戯』を私のファミリアがやることになるなんて、思ってもいなかったわ」
私は基本的に争いを好まない。『戦争遊戯』なんて、私たちには最も縁遠いイベントだと、思っていたのだ。
だからこそ、目の前に立つ私の愛おしい子どもからその言葉を聞いた時、私は思わず目を丸くしてしまった。
「まだ決まってませんが、これから重圧をかけて戦争遊戯をやることになると思います。もしかして......ダメでしたか?」
銀色の髪を少し揺らしながら、彼──ライは、私の顔色を窺うように少しだけ視線を落とした。
普段は誰よりも大人びていている子が、今だけは親に叱られるのを恐れる小さな男の子のような表情をしている。
ああ......ダメよ、そんな顔をされたら。
ただでさえ私のライは可愛いのに、少し不安げに眉を下げるその表情を見せられたら、私の胸の奥で渦巻く母性と愛情が限界を突破してしまいそうになる。
「ダメ、なわけないじゃない」
私はふわりと微笑み、彼の手を両手で優しく包み込んだ。
少しひんやりとした、農作業で培われたマメのある、頼もしい男の子の手。
「私が驚いたのはね、あなたがそこまで強引な手段に出るなんて思っていなかったからよ」
ライは私の言葉に少しだけホッとしたように息を吐き出した。
ライがギルドに呼び出された顛末は、先ほど報告を受けたばかりだ。ちなみに、ソーマは時間が勿体ないと待っている間に帰ってしまった。
ギルドの一部職員がソーマ・ファミリアと癒着し、私たちのファミリアにレベル虚偽申告の疑いをかけてライを脅迫じみた文面で呼び出したという。
その報告を聞いた瞬間、私の心の中に生まれたのは、ソーマ・ファミリアと愚かなギルド職員に対する、冷たく静かな怒りだった。
私の大切な子どもを、そんな安い罠に嵌めて呼び出し、コソコソと裏で取引を持ちかけるなんて。
どうして私のライを自分たちの都合で振り回そうとするのかしら。この子を不当に扱う者は、誰であろうと許さない。
それがたとえ、オラリオを管理するギルドの幹部であったとしても。
「ソーマ・ファミリアの団員が、一般の住民の方々に迷惑をかけているのは知っていたわ。神酒に溺れて正気を失っているなんて、悲しいことね......」
住民たちが理不尽な暴力に晒されているのは見過ごせない問題だ。
けれど、ライがわざわざ『戦争遊戯』を仕掛けようとしている真の理由は、決してそんな純粋な正義感だけではないことを、私は知っている。
ライは、ファミリアの新たな事業として『酒造』に目を付けていた。
そして、それは行き詰まっている。ライが現場にいないと機能しないのだ。
その状況を解消するために、一からレシピやノウハウを構築する手間を省くため、ソーマ・ファミリアが持つ酒造りの全てを合法的に奪い取ろうとしている。
ソーマ・ファミリアの評判の悪さを『大義名分』として利用し、相手を逃げ場のない盤上へと引きずり出す。
なんて強かで、恐ろしくて......そして、愛おしい私の眷属。
「住民の安全を守る。そのためにあなたが立ち上がってくれたのね。私のライは、本当に立派だわ」
「えっと......はい。住民が安心して暮らせるオラリオにするためには、一部の腐敗を取り除かなければならないと思いまして」
少しだけバツが悪そうに目を逸らすライを見て、私は思わずクスッと笑ってしまった。
自分が利己的な目的で動いていることを私が察しているのを理解しているのに、私に直接話すのは後ろめたいと思っているのだろう。
そんな計算高いところも、私にとっては愛すべき彼の一部でしかないのに。
「ライ。私はね、あなたが望むなら、大抵の事は許してあげるわ」
私は彼の手を引いて、そのままそっと抱き寄せた。
私の胸に顔を埋める形になったライが、少しだけ慌てたように肩を強張らせるのが分かる。
「デ、デメテル様......?」
「あなたがオラリオ中のファミリアを敵に回すというのなら、私は喜んであなたの盾になるわ。あなたが我慢して生活する必要なんてないもの」
私の唇が、彼の銀色の髪にそっと触れる。
「だから、戦争遊戯でも何でも、あなたの好きなようにやりなさい。何かあっても責任は全て、主神である私が持つから」
「......本当に、いいんですか?自分でやっておいてあれですけど、もし負けたら、ファミリアの財産を失うかもしれないんですよ?」
「あら、あなたが負けるはずがないじゃない。それに......」
私は彼の耳元に口を寄せ、とびきり甘い声で囁いた。
「万が一全てを失ったとしても、ライとリヴェリアさえ私のそばにいてくれれば、何度だってやり直せるもの。私にとっての宝物は、ファミリアの財産なんかじゃなくて、あなたたちなんだから」
私の言葉に、ライは小さく息を呑み、やがて観念したように私の背中にそっと腕を回してくれた。
もちろん、他の子どもたちも大切なのは変わらない。それでも、特別な子どもというのは存在する。それが、ライとリヴェリアだ。
「......分かりました。デメテル様の期待に応えるためにも、必ず勝ちます。そして、ソーマ・ファミリアの全てを奪い取ってみせます」
「ええ、期待しているわ。私の可愛い団長さん」
彼を抱きしめたまま、私は窓の外の青空を見つめた。
ソーマには少し申し訳ない気もするけれど、彼が自分の眷属の暴走を止められなかったのが悪いのだ。
それに、ギルドの愚かな幹部たちにも、デメテル・ファミリアの恐ろしさを教えてあげるいい機会かもしれない。
私の愛する子どもに手を出せばどうなるか、今回の戦争遊戯でわかるはずよ。
「あ、そうだわライ。戦争遊戯の準備で忙しくなる前に、今日のお昼は私が特製のシチューを作ってあげる!だから、もう少しだけこうしていましょうね」
「......デメテル様がそう仰るなら」
ライの呆れたような、けれど優しい声を聞きながら、私は至福の時間を噛み締めた。
ええ、好きなようにやりなさい、私のライ。
あなたの進む道がどんな道だろうと、私はいつだって、あなたを全て肯定してあげるから。
デメテル様
現在のライくん