僕はデメテル・ファミリアの広大な敷地の一角にある、僕専用の農場まで、3人の客人を連れてきた。
普段は品種改良の実験や、最高等級の野菜を育てるために使っている畑だ。
なぜわざわざここに案内したかといえば、理由は極めて単純明快である。
通常の農場には、うちのファミリアの団員たちが大勢出入りしている。
万が一、ヘラとアルフィアが癇癪を起こそうものなら、団員たちでは絶対に対応しきれないからね。
今日1日ここで様子を見て、問題がなければ明日からは通常の農場に移動してもらうつもりだ。
「さて、ここが耕してもらう畑です。道具はそこに置いてあるので......」
僕がクワ等の入った木箱を指差して説明しようとした、その時だった。
「──本当に申し訳ありませんでしたっ......!」
不意に、弾かれたように勢いよく頭を下げたのは、メーテリアだった。
その声には涙の響きが混ざり、深く下げられた頭からは、彼女の心からの謝罪と後悔の念が痛いほど伝わってくる。
どうやら昨晩のうちに、ヘラかアルフィアから、この1年間に僕が受けてきた扱いについて教えてもらったらしい。
メーテリアに続いて、今度はその隣に立っていたアルフィアが、静かに、しかし深く頭を下げた。
「......その、悪かった」
冷徹でプライドの高い彼女が、Lv.5の若輩者に向かって頭を下げるなんて、普通なら天地がひっくり返ってもあり得ないことだろう。
だが、今の彼女の態度には一切の嘘は感じない。純粋な感謝と、己の非を認める誠実さがあった。
そして最後。
腕を組み、ふいっとそっぽを向いていた最高神が、メーテリアからジト目で無言の圧力をかけられ、居心地悪そうに身をよじった。
「......妾が謝る理由など、本来であれば」
「ヘラ様......?」
メーテリアの、怒りを含んだ真っ直ぐで純粋な瞳。その視線に射抜かれたヘラは、数秒の葛藤の後、観念したように大きなため息を吐き出した。
「──認める。以前はやりすぎて、悪かった」
オラリオを統べる最凶の女神の、歴史的な謝罪の瞬間である。
「気にしてません。まあ、一応謝罪は受け取っておきます」
本当に気にしていないわけではない。
骨を折られた痛みも、吐いた血の味も、そう簡単に忘れられるものではない。
だけど、いつまでも根に持っているほど僕も子供じゃない。なにより、結果として全てが上手く回った。
「それじゃあ、早速作業に取り掛かりましょうか。今日は基礎の基礎、土の耕し方と種蒔きから教えます」
僕が手本を見せるためにクワを手に取ると、3人も慣れてない手つきで農具を握りしめた。
メーテリアはやる気に満ち溢れており、クワを軽々と持ち上げている。アルフィアに至っては、クワを自分の身体の一部のように軽々と振り回している。
意外にも意外。ヘラは多少渋々感もあるが、文句を言わずにしっかりとクワを握っている。
「アルフィアさん、危ないので振り回さないでくださいね」
「......手に馴染むか確かめていただけだ」
「あー、それなら、使い方を説明しますね。土に空気を含ませるように、柔らかく返すんです。貸してください、こうです」
言葉で説明しても伝わらないと悟った僕は、アルフィアさんの背後に回り込み、彼女が握るクワの柄の上から、自分の両手を重ねた。
「っ......」
背中合わせになるほどの近距離。アルフィアの肩がビクッと跳ね、微かに緊張したのがわかった──距離感がバグってた。気をつけよう。
「力を抜いてください。腕の力だけで振り下ろすんじゃなくて、腰の回転を使って......クワの重さを利用して地面に下ろすんです。ほら、手首を少し柔らかくして」
まあ、してしまったことは変えられないので次回から気をつける。そのまま彼女の後ろから手取り足取り、身体の動かし方を伝えた。
「ここから、スッと引くように。どうですか、感覚わかりました?」
「あ、ああ......なるほど。ただ力任せに振るえばいいというものではないのだな」
......そういえば、アルフィアって、見ただけで動きを模倣できるんじゃなかったっけ?ひょっとして、僕が1度見本を見せれば良かっただけなのでは....?
そんな微笑ましい?指導風景を繰り広げていると──不意に、背後からバキィッという嫌な音が響いた。
振り返ると、畑の端に待機していたリヴェリアが、手にした木製のクワの柄をへし折っていた。なんでも、何かあった時に対応できるように監視しているらしい。
「リ、リヴェリア?どうしたの、それ」
「......いや、なんでもない。少し柄が腐っていたようだな」
なんでもなくない。新品の丈夫なクワなんだけど。
彼女は瞳を細め、僕とアルフィアさんが密着している様子を、ジッと射抜くように見つめていた。
「別に気にしていない。ただ、指導にしては少々距離が近すぎるのではないかと思っただけだ」
声のトーンは平坦だが、折れたクワの残骸を握りしめる手に、ミシミシと力が込められている。
それは認める。
とはいえ、クワを壊すのはやめてほしい。
「つい熱が入っちゃってね。あ!ヘラ様。あんまり大きく振り被らないでください。危ないので」
僕は引き攣った笑みを浮かべ、適当な口実をつけて、そそくさとアルフィアから離れた。
その後も、僕はヘラに小言を言われながら土の均し方を教え、3人に種まきのやり方まで教えた。
ヘラ様は『なぜ妾がこんな泥まみれに......』と終始ブツブツ文句を言っていたが、隣で楽しそうに土を弄るメーテリアさんの笑顔を見ると、それ以上は言えないらしく、なんだかんだ言いながらクワを動かし続けている。
そして、作業開始から1時間ほどが経過した頃。
「......そろそろいいか、
静かにつぶやいたアルフィアさんの様子が、劇的に変化した。
彼女はクワを握り直し、深呼吸を一つ。
次の瞬間、彼女の身体から無駄な動きが一切消え失せた。
ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ......!
目にも留まらぬ速さでクワが振り下ろされ、一歩進むごとに、1寸の狂いもなく真っ直ぐで等間隔に土が返されていく。
「な、なんだあれ......」
思わず呆然と声を漏らす。
Lv.7という規格外の身体能力と、あらゆる技術を瞬時に模倣し習得してしまうという『才能の権化』。
オラリオ最強の戦闘力が、今、ただ畑を耕すためだけにその才能を遺憾無く発揮している。
「フッ......こんなものか」
「速すぎるし、正確すぎる。僕でもこの速さは無理だ」
たった数十分で、僕が半日かけて耕すほどの広大な面積が、ふかふかの完璧な土壌へと作り変えられてしまった。
才能の無駄遣いにも程がある。だが、労働力としてはこれ以上ないほど優秀だった。
「お姉ちゃんすごい!」
「お前はそこで休んでいるといい。元々、私とヘラが行うべき内容だ」
メーテリアに褒められ、アルフィアさんはまんざらでもない様子で少しだけ口角を上げ、さらに凄まじいスピードで作業を進めていく。
その横でヘラは苦笑いを浮かべながらも、休むことなく頑張っている。意外だ。
そんな農作業が続く中、太陽が空の真上に差し掛かる頃。
「みんなー!お疲れ様!お昼ご飯を持ってきたわよ!」
朗らかな声と共に、ピクニック用のバスケットを抱えたデメテル様がやってきた。
彼女の顔には、昨日のような恐ろしい女神の面影は微塵もなく、いつもの慈愛に満ちた太陽のような笑顔が浮かんでいる。
「さあ、手を洗ってこっちにいらっしゃい。今日は特製のおにぎりとお茶を用意したわ」
農場の隅にある休憩スペースの丸太の椅子に、僕たちは腰を下ろした。ヘラ・ファミリアの3人と、僕、リヴェリア、そしてデメテル様。
「......なんだ、ただのおにぎりか。こんな質素なもの、何百年ぶりだろうか」
ヘラが、デメテル様から渡されたおにぎりを指先でつまみ、若干不満気に見つめている。
「いいから食べてみなさい、ヘラ。ライが育てたお米で作ったおにぎりだから、すっごく美味しいわよ」
デメテル様に促され、ヘラはおにぎりを口に運んだ。
パリッ、という海苔のいい音が響く。
「............ッ!?」
ヘラの瞳が、驚愕に見開かれた。
「な......なんだこれは。口の中で米が一粒一粒ほどけ......この少ししょっぱいくらいの塩加減が良い......!」
「美味しい......!お米が甘くて、海苔の香りがとってもいいわ!」
メーテリアも両手でおにぎりを持ち、幸せそうに頬を緩めている。
「......悪くない。いや、むしろ美味だ。余計な味付けがない分、素材そのものの良さがよくわかる」
アルフィアに至っては、すでに2個目のおにぎりに手を伸ばし、無言で、凄まじいペースで平らげていた。
「ふふっ、でしょう?ライが作ったお米だもの、当たり前よ」
デメテル様が我が事のように胸を張る。
「リヴェリアも、たくさん食べてね。午前中、すごい顔でクワを折ってたからお腹空いたでしょう?」
「っ......!?デメテル様、それは......」
僕の隣でおにぎりを食べていたリヴェリアが、急に顔を真っ赤にしてむせ返った。
「慌てないで。はい、お茶」
僕が水筒から温かいお茶を注いで渡すと、リヴェリアはそれを一気に飲み干し、バツが悪そうに視線を逸らした。
「......ライが悪い。異性に対してあのような距離感で物事を教えるなど、本来であれば極刑に処されてもおかしくない。いや、処されるべきだ。そもそも、私と同じテントで数え切れぬほどの朝を迎え、あまつさえ私の着替えを.......ンンッ!.....なんでもない」
小さく呟く彼女の言葉に、僕は苦笑するしかなかった。
青空の下、広大な畑を吹き抜ける風が、僕たちの間を穏やかに通り過ぎていく。
1年前には想像もできなかった、奇妙な経験だ。
「──っ....!梅もあるのか....!全部塩だと思っていたから驚いたぞ」
「アルフィアさん。食べ過ぎたら、午後からの作業で動けなくなりますよ」
「問題ない。この程度、動けばすぐに消化できる」
「そういう問題じゃないんですけど......」
「───っ!ラ、ライ.....私もその、これで5個目なのだが....」
何で張り合ってるんだろうか。これは、なんて返すのが正解なんだろうか。
「もぐもぐ....ングッ。はぁ。デメテルの子は、わかりやすい嘘をつくのだな」
「そう言わないの、ヘラ。可愛いでしょう?」
「──いい天気だなぁ」
とりあえず、手の中の塩むすびをかじりながら、空を見上げて小さく微笑んだ。
.....それにしてもどうしようか。明日からアルフィアを一般農場の方に移したら、団員の仕事がなくなる。
じゃが丸くん販売とか.....やってくれないか、聞いてみよう。
雑音でしかなかった。
私の持つ【静寂】という二つ名は、皮肉にも私の目に映る世界そのものを表している。
あらゆる技術、あらゆる魔法、あらゆる武の極致。
それらは私にとっては容易く理解でき、一瞬で模倣できるものだった。
『才能の権化』。そう呼ばれる私の前では、他者の血の滲むような努力も、数十年かけて培われた秘伝の技も、ただの薄っぺらい紙切れのように思えた。
だからこそ、世界は退屈で、無機質で、ただ耳障りな雑音だけが響く虚無の空間だった。
そんな私の人生における唯一の光は、双子の妹であるメーテリアだけだった。
だが、その光は生まれながらにして理不尽な病のせいで長くは生きられないことが決まっていた。私も同様の病を患っていた。
どれだけ圧倒的な才能を持っていようと、ベッドの上で苦しそうに息を吐く妹の苦痛を和らげることすらできない。
私がメーテリアの才能を産まれる時に奪ってしまったばかりに、メーテリアは冒険者としての才能はない。もう少し才能があれば、苦痛も和らいだだろうに。
神々の奇跡でさえ治せない不治の病。
無力だった。自分の才能など、一番欲しいものの前では何の役にも立たないゴミ屑だと、幾度となく自分を呪った。
だから、あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
薄暗い路地裏で、ヘラ・ファミリアの名を騙る愚かな小僧を見つけた時のことを。
イシュタル・ファミリアの娼婦どもから逃れるためとはいえ、私たちのファミリアの名を軽々しく口にしたその少年を、私は無価値な虫けらのように壁に叩きつけた。
彼が『3年で病を治す』と口走った時も、無様な命乞いだと切り捨てようとした。
ヘラがそれを1年に短縮し、過酷すぎる条件を突きつけた時、私は数日でオラリオから逃げ出すか、あるいは重圧に耐えかねて死ぬだろうと思っていたのだ。
しかし、少年は逃げなかった。
狂うこともなく、ただひたすらに前を向いた。
毎日、バベルの塔に運ばれてくる極上の野菜と、メーテリアが心の底から嬉しそうに食べる見たこともない甘味。
それを目にするたび、私は彼の精神力に驚かされた。監視とまでは言わないが、週に1回は様子を見るようにしていた。
午前はミアハ・ファミリアに通いつめ、午後はダンジョンへと潜り、夜も眠らずに書物と向き合う日々。
遠くから監視をしながら、ボロボロになっていく姿を見るたびに、私の胸の奥には得体の知れない感情が渦巻いていた。
それは罪悪感だったのかもしれないし、あるいは、決して折れない彼に対する畏敬だったのかもしれない。
そして、期日ギリギリに届けられたあの黄金の液体。
それを飲み干してステイタス更新をし、苦痛が嘘のように消え去った瞬間。
私の胸に飛び込んできたメーテリアの温かさと、力強い心音。私の中で、世界を覆っていた灰色のベールが完全に剥がれ落ちた。
雑音でしかなかった世界に、鮮やかな色彩と、澄み渡るような音楽が響き渡ったのだ。
彼が成し遂げたのは、単なる万能薬の生成ではない。
私とメーテリアの近い将来訪れる死の運命を根底から書き換え、暗闇から救い出してくれた、正真正銘の奇跡。
だからこそ、私は彼に対して、どんな罰でも受ける覚悟があった。
万が一戦争遊戯になっていたとしても、私は戦おうとは思っていなかった。その結果ファミリアが戦争遊戯で負け、ファミリアを解散しても構わないとすら思っていた。
それなのに、彼が要求したのは──『毎朝、畑を手伝いに来い』という、あまりにも間抜けで、優しすぎる罰だった。
今日、初めてデメテル・ファミリアの農場を訪れた。正確には、彼個人の畑らしい場所に案内された。
そして私は──メーテリアに続けて謝罪した。
謝罪を受け入れてくれた彼の笑みは、どこまでも澄み切っていて、私の方がいたたまれなくなるほどだった。
クワの使い方を教わった時のことは、思い出すだけで顔に熱が集まるのがわかる。
背後からそっと近づかれ、私の手に、彼の手が重ねられた。
男性に触れられることなど、これまで一度たりともなかった。ゼウスがセクハラをしようとしてきた時はヘラに言いつけたし、誰かが触れようとしたなら殴り飛ばしてきた。
......私の肩が跳ね、心臓が警鐘を鳴らすように跳ね上がったのを、彼は気づいていただろうか。
彼の息遣いが耳元をくすぐり、腰の回転を教えるために身体が密着したあの瞬間、私の脳内は完全に真っ白になっていた。
それからは、彼の驚く顔が見たくて、メーテリアの笑顔が見たくて、無我夢中でクワを振るっていた。
気づけば私は、無意識のうちに彼と親しげに話すあのハイエルフ──リヴェリア・リヨス・アールヴに、対抗意識を燃やしていた。
エルフの王族でありながら、彼と共にファミリアを率い、彼と共に死線を潜り抜けてきた女。
彼女がクワの柄をへし折るほどの嫉妬を隠そうともしない姿を見て、私はなぜか無性に腹が立ったのだ。
お前だけが彼の苦労を知っているような顔をするな。
お前だけが彼の隣にいる資格があると思うな。
彼が、私のような血塗られた女をどう思っているかはわからない。いや、むしろ嫌われているだろうことはわかっている。
彼にとって私は、ただの理不尽な脅迫者であり、忌むべき過去の象徴かもしれない。
それでも、気づいてしまった気持ちを無視することは出来ない。
雑音でしかなかった私の世界。
私の心の中心にいたのはメーテリアだけだった。だが今は、ライ・フェンネルもそこにいる。
ああ、私は生まれて初めて。
恋をした。
ライ・フェンネル
Lv5
力F:306
耐久E:400
器用A:860
敏捷B:756
魔力S:950
魔法スロット1
【謳え、慈愛の大地。万物を育む豊穣の母よ】
【我が祈りをもって陽光と為し、我が声をもって恵雨と為す】
【目覚めよ、小さな命】
【理を束ね、刹那の刻に花を咲かせん】
【与えよ、満たせよ、至高なる大地の恩寵をここに】
【『
効果:対象となる野菜や植物に使用するとその成長速度を劇的に早め、滋養強壮満点の『極上の野菜(高品質の植物・土)』へと瞬時に変質させる。
魔法スロット2
【
氷の
魔法スロット3
【狐ノ窓】
人物若しくは範囲指定で使用可能。対象に向かって放たれた物理攻撃や魔法攻撃は、直前で空間が滑るように軌道が逸れ、対象を避けて通り過ぎる。
スキル
所属ファミリアの知名度に比例してステイタスが早熟する。共闘した同ファミリアの団員にも効果あり。改宗した場合、当スキルは消滅する。
世界樹の加護
世界樹を生み出したものにこの効果は付与される。植物の魅力を最大限引き出すことができる。自らが生み出した世界樹が枯れる、無くなると当スキルは消滅する。
異常無効
あらゆる毒、病魔、呪いを無効化し、肉体と魂を清浄に保つ。
発展アビリティ
神秘B
調合D
錬金D
精癒H
農作業アルフィア